著者
松田 真希子 タン ・ティ・キム・テュエン ゴ ・ミン・トゥイ 金村 久美 中平 勝子 三上 喜貴 Makiko MATSUDA Thi Kim Tuyen THAN Minh Thuy NGO Kumi KANAMURA Katsuko NAKAHIRA Yoshiki MIKAMI
雑誌
世界の日本語教育. 日本語教育論集 = Japanese language education around the globe ; Japanese language education around the globe (ISSN:09172920)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.21-33, 2008-06-30

本研究は、ベトナム人日本語学習者のための日本語の漢語とベトナム語の漢越語の対照分析である。現代ベトナム語は漢字を使用しないが、語彙には漢語からの借用語(漢越語)が多いため、韓国語・日本語と同様に漢字文化圏に属する。そのため、ベトナム語母語話者は、日本語を学ぶ際に学習ストラテジーとして漢越語知識を活性化させていることが明らかになっている(Tuyen 2003)。しかし、実際に漢越語知識がどの程度日本語学習に効果があるかはまだ明らかにされていない。そこで本研究では、ベトナム人学習者が日本語を学ぶ際、漢越語の知識がどの程度日本語学習に役立つかを明らかにすることを目的に、日本語能力試験出題語彙全約8,000語に占める二字漢字語約4,000語における漢越語との意味の一致状況を調査した。その結果、 (1)二字漢字語においては全体の5割が一致語や類似語である。 (2)1級と2級の二字漢字語については日越漢語の一致や類似が6割近くに達し、更に語彙全体に占める二字漢字語の比率も1級56%、2級46%と高くなっている。 (3)4級語彙については日越の漢字語彙の一致度は多くとも2割以下である。3級も同様に一致度は低い。 (4)和製漢語と漢越語の一致率は6割以上であり、学術専門用語であれば更に一致する可能性がある。ということを明らかにした。これにより、漢越語知識は日本語の習得に役に立つが、特に効果が発揮されるのは中級以降であること、また学術専門用語の学習には漢越語知識が役に立つ可能性が高いことが明らかになった。ただし日本語学習における漢越語の効果については個々の意味の対応の調査だけでなく、書字や音との関係性も踏まえて漢字語彙の認知処理の状況を調べる必要がある。今後の課題である。
著者
川崎 享子 カースティ マックドゥガル Kyoko KAWASAKI MCDOUGALL Kirsty メルボルン大学言語学応用言語学科 ケンブリッジ大学言語学科 Candidate University of Melbourne Candidate University of Cambridge
雑誌
世界の日本語教育. 日本語教育論集 = Japanese language education around the globe ; Japanese language education around the globe (ISSN:09172920)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.41-55, 2003-09-29

男女の言葉遣いの差を表すものの最も顕著なものとして終助詞があげられる。最近では、これまで女性専用とされてきた「のよ」「わよ」等の表現が使われなくなってきており、特に若い女性の間では従来「男ことば」とされてきた表現の使用も見られることを指摘する研究も多いが、教科書の会話では登場人物の年齢に関わりなく女性の発話にはいわゆる「女ことば」が多用されている。本論文は話し手の性を示唆する終助詞の使い方に焦点をあて、中級の教科書の会話と実際の会話データを比べて、教科書中の会話がどの程度実際の言語使用を反映しているか論じる。教科書中の女性話者は実際のデータのどの年齢層よりも女性的終助詞の使用が多く、伝統的な女性のステレオタイプを映し出しているように思える。実際の会話のデータでは年齢が低いほど終助詞の使用も低く、一番若い年齢層の終助詞使用は、教科書中の男性話者のそれとほぼ一致する。また、教科書中の男性話者の終助詞使用は、人物によって、また教科書によって差が見られるのに対して、女性話者はどの教科書でも使える環境では必ず「女ことば」を使うという傾向が見られる。この教科書の会話と実際の言語使用の差は、学習者の学習意欲、文化理解、または母語話者とのコミュニケーションに何らかの影響を与えるものと思われる。One of the key features by which Japanese speakers traditionally denote separate men's and women's languages is sentence final particles (SFPs). In recent years it appears that female speakers are shifting from using the traditional feminine forms to neutral and even masculine forms, whilst in Japanese language textbooks a more traditional, gender-specific portrayal of language is maintained. This study compares the distribution of gender-associated SFPs in Japanese language textbook dialogues with that in natural conversation across several age groups, to investigate the extent to which Japanese teaching materials reflect actual spoken language. Female characters in the textbooks examined used feminine SFPs more often than real female speakers from all age groups, indicating that textbooks are promoting a more traditional and stereotypical view of women's language. In the natural conversation data, the younger the age group, the smaller was the number of feminine SFPs used, with the youngest group's usage of SFPs actually resembling that of male characters in the textbooks. It is argued that the discrepancy found between Japanese language as presented in foreign language textbooks and as spoken in Japanese society has significant implications for Japanese language teaching.
著者
朱 春日 Chunri Zhu
雑誌
世界の日本語教育. 日本語教育論集 = Japanese language education around the globe ; Japanese language education around the globe (ISSN:09172920)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.89-106, 2009-03-19

日本語の語彙的複合動詞の組み合わせは、他動性調和の原則、主語一致の原則などにより制約されているが、語彙的複合動詞の中には、このような諸制約から外れた不規則な組み合わせの複合動詞が存在する(例:打ち上がる、舞い上げる)。これらの不規則な複合動詞は、自・他対応する複合動詞から派生されたと指摘されてはいるものの、具体的にどのような場合に派生されやすいのかについては考察されていない。本稿では、主に「上げる」「上がる」を後項とする語彙的複合動詞を取り上げ、「他動詞+非対格自動詞」と「非対格自動詞+他動詞」型の不規則な複合動詞が派生されやすい場合と派生されにくい場合について探った。その結果、「他動詞+非対格自動詞」型の不規則な複合動詞が派生されやすいのは、」後項動詞が実質的な意味を持つか持たないかに関わらず、前項動詞が実質的な意味を持たない場合と」前項が抽象的な意味を、後項が実質的な意味を持つ場合で、派生されにくいのは、(1)後項動詞が実質的な意味を持つか持たないかに関わらず、前項動詞が物理的な意味を表す場合と(2)前項が抽象的な意味を、後項が実質的な意味を持たない場合であることが分かった。「非対格自動詞+他動詞」型の複合動詞の派生においては、「他動詞+非対格自動詞」型の複合動詞に比べ、その数が限られており、「自動詞+自動詞」型の複合動詞と自・他対応しているのも少ないことが明らかとなった。
著者
茂木 俊伸 森 篤嗣 Toshinobu MOGI Atsushi MORI
雑誌
世界の日本語教育. 日本語教育論集 = Japanese language education around the globe ; Japanese language education around the globe (ISSN:09172920)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.139-153, 2006-08-31

本研究は、「階段に座っての食事」「全力を尽くしての結果」のように、テ節を内部に含む名詞句(「テノ名詞句」と呼ぶ)について、(1)主要部の被修飾名詞の特性、(2)名詞句内のテ節の意味・用法、(3)テノ名詞句の統一的な意味、 という三つの観点から分析を行なったものである。本研究では、まず、先行研究の記述の整理を行ない、問題となる点を明らかにした上で、形態的な基準に基づいて被修飾名詞を「述語性名詞」と「非述語性名詞」に分類し、それぞれの名詞とテ節との関係が異なることを指摘した(上記(1)(2))。先行研究で中心的に扱われてきた述語性名詞の場合、文(動詞句)に並行的な構造を持っており、テ節と名詞とは連用修飾に相当する意味的関係にある。この構造的特性から、テノ名詞句において、一部の用法のテ節のみが生起可能であることが説明される。一方、非述語性名詞の場合、文に並行的な構造を持っておらず、連用修飾との関係は薄い。むしろ、この非述語性名詞には、「外の関係」の連体修飾に相当する意味的関係を持った名詞の多くが該当するということが指摘できる。以上のように、本研究では、従来は明確な整理がされてこなかったテノ名詞句を二つに区分した上で、さらに、二つのタイプのテノ名詞句でそれぞれ観察される制限から、テノ名詞句全体に共通する意味的特徴を抽出した(上記(3))。この特徴は、「時間的展開の内包」であり、最終的には、テ節が持つ一般的な特徴に還元できるものである。
著者
李 徳泳 吉田 章子 Duck-Young LEE Akiko YOSHIDA オーストラリア国立大学日本センター オーストラリア国立大学日本センター Japan Centre Faculty of Asian Studies Australian National University Graduate School of Asian Studies Japan Centre Australian National University
雑誌
世界の日本語教育. 日本語教育論集 = Japanese language education around the globe ; Japanese language education around the globe (ISSN:09172920)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.223-237, 2002-06-28

「けど」は日本語の会話においてもっとも頻繁に使われる表現の一つであるが、特に「んだ」と共起して「んだけど」の形で用いられる場合が多い(本研究のデータは「けど節」全体の 58% が「んだ + けど」)。これは、「んだ」と「けど」が組み合わされることによってそれぞれの機能や特性が結合し、会話で頻繁に用いられる何らかの効果を生み出しているのにその理由があると考えられるのである。本研究の目的は、会話における「けど」の役割や「んだ」 の特性を調べ、これらの結合のメカニズムを明らかにすることである。 分析の結果をまとめると、まず、発話に「けど節」が主節(本稿では「関連要素」)と一緒に現れた場合に、「けど節」は「前置き」または「補足」としての役割を果たすが、ここで「んだ + けど」の組み合わせは、聞き手の注意を喚起する働きを持つ。また主節は現れず「けど節」が単独で使われた場合には、「んだ + けど」は、一方では話し手の気持ちを一通り表し、他方ではそれがあまり強く直線的にならないように抑える二重的な働きを持つ。この二重的な働きにより話し手は自分の気持ち感情を過不足なく表すことができ、また聞き手の注意を喚起する働きにしても、主節における主メッセージを相手に理解してもらう上で重要である。このようにして「んだけど」の表現は、円滑なコミュニケーションを行なう上で重要なストラテジーとして好まれるのだと考えられる。
著者
野原 美和子 Miwako NOHARA インドネシア日本語・日本文化センター日本語学校 Japanese Language and Culture Centre Indonesia
雑誌
世界の日本語教育. 日本語教育論集 = Japanese language education around the globe ; Japanese language education around the globe (ISSN:09172920)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.101-113, 1999-06-30

学習者の多様化に伴い、「人間中心主義」(縫部1991)を基調とする教師の学習支援的な役割が求められてきている。教師の学習支援的役割とは、偏に、「言語習得を促進するような学習環境を整えること」と言えるが、日本語教師が実際に教育現場でどのような活動を行なって環境整備をしているのかは推測の域を脱し得ていない。本稿は、言語習得を促進すると考えられる多数の要因の中から学習者の自発的な発話を採り上げ、それを導く教師の学習支援的言動について考える。 本稿では、先ず、学習者の自発的な発話が言語習得に与える影響を見、その後、自発的な発話の分類を行なった。自発的な発話は「積極的な自発的発話 (積極自発)」と「消極的な自発的発話(消極自発)」に分類されるが、学習者が抱いた問題の直接的な克服手段となる積極自発のみに焦点を当て、その内容と生じた状況・要因を授業分析を通 して特定した。それにより、積極自発を導いた教師の言動について考察を行なった。 総体的に見ると、積極自発の内容が何であれ、一方向的な説明等の状況よりインターアクションがあり交渉の行い易い状況を増やすことが積極自発の増加につながることが分かった。そのような環境を作り出していくことが、積極自発に関する教師の学習支援的言動であると言える。
著者
曺 喜澈 Hee Chul CHO 国立国語研究所 National Language Research Institute
雑誌
世界の日本語教育. 日本語教育論集 = Japanese language education around the globe ; Japanese language education around the globe (ISSN:09172920)
巻号頁・発行日
no.4, pp.61-73, 1994-06-01

これまでの漢字文化圏の学習者に対する漢字教育は、すでに漢字の下地があるものとみなされ、非漢字文化圏の学習者に対する漢字教育に比べてみると、相対的になおざりにされてきた感がある。 韓国人の既習の漢字能力を大いに活用して、日本語の教育に臨むべきであるが、安易に両国語の類似性だけを強調して、日韓両国の漢字の異同を見逃してはいけない。日韓両国の代表的な漢字使用の基準である、常用漢字と基礎漢字には、字種および字 体はもちろん、音や訓などにも数多くの違いがみられる。さらに、使用頻度や実態にもかなりのずれがみられる。したがって、日本語学習や教育においてはいうまでもなく、教材や辞書・字典など の作成においても両国の漢字の位相をよく工夫・研究し、韓国人の日本語学習者のための教育方法を講じなければならない。本稿は、主に日本の「常用漢字」と韓国の「基礎漢字」を対照比較しつつ、日本語の漢字教育を行なう際に注意すべき点をまとめ、 韓国人学習者のための漢字の学習法・指導法の改善に資することを期したものである。
著者
菅井 三実 Kazumi SUGAI
雑誌
世界の日本語教育. 日本語教育論集 = Japanese language education around the globe ; Japanese language education around the globe (ISSN:09172920)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.113-135, 2007-06-30

本稿は、現代日本語の「ニ格」に認められる多様な用法を包括的に考察し、認知言語学的な手法によって一元的に特徴づけるとともに、特に周辺的な現象として扱われて来た[起点]および[動作者]の用法について、意味分析に基づいた統一的な説明を与えるものである。本稿で言う認知言語学的アプローチとは、意味を解釈と規定する意味観に基づく点であり、言語話者の解釈に依存する分析をいう。 第1節では、「ニ格」の意味役割を概観した上で、 空間的な用法において、自動詞の主格NPまたは他動詞の対格NPが与格NPに《一体化》するという観点から一元化され、同時に《一体化》に《融合性》《密着性》《到達性》《接近性》という程度差を認めることで、個別の意味役割を一元的に整理できることを示した。第2節では、「ニ格」の用法のうち非空間領域の用法を取り上げ、空間次元と並行的に、《一体化》という単一の軸の上に整理できることを確認した。 第3節では、周辺的な意味として、「友人に本を借りる」のような[起点]の用法を取り上げ、主格NPから与格NPへのエネルギー伝達を前提とする点で、[起点]の用法が[着点]の基本的含意を継承しており、移動主体との乖離を前景化する「カラ格」と弁別的に区別されることを具体的に示した。 第4節と第5節では、受動文の動作者標識としての「ニ格」を取り上げ、(1)受動文においても「ニ格」は主格または対格へのエネルギーの到達が保証される点で基本的な意味を保持する、(2)複合辞「ニヨッテ」は〈出来事を引き起こすもの〉をプロファイルする、(3)「カラ格」は、主格NPと動作者相当句とが離脱した状態にあることをプロファイルする、 という点で弁別的に区別されることを例証した。 本稿の分析を通して、「ニ格」の意味を統一的に規定すると同時に、解釈によって多様な振る舞いを見せる「ニ格」の用法を統一的に説明できることが示されたと思われる。
著者
近藤 正憲 Masanori KONDO
雑誌
世界の日本語教育. 日本語教育論集 = Japanese language education around the globe ; Japanese language education around the globe (ISSN:09172920)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.175-192, 2005-11-10

戦前の中東欧の日本語教育についてはまだ知られていないことが多い。しかし、政治的、経済的な交流の深まりとともに中東欧地域はこれまでになく日本人に身近な存在になりつつあり、 現時点でこの地域の日本語教育の歴史について研究することは意味のあることであると考える。 本稿は20世紀初頭にハンガリーではじめて出版された日本語教科書を題材に、出版された当時の日本についての知識と、背景となった社会状況を明らかにすることを目的とする。ハンガリーではじめての、ハンガリー語で書かれた教科書は1905年に出版された。同書は日本に長期滞在した経験のあるハンガリー語母語話者が自らの経験と知識を総動員して書き上げた著作であると考えられる。今日の目から見ると教科書としては難点が多いとは言うものの、 母語で書かれた教科書の出版は日本語学習の大きな障害の一つを取り除いた点で高く評価されるべきである。また、同書の出版という事実そのものが当時のハンガリー人一般の日本に対する興味の高まりを物語っている。この日本への関心の高まりは日露戦争という政治的事件が契機となったものであるが、この背景には当時のハンガリー人自身が持っていた反露意識と、高揚するナショナリズムが存在していたと考えられる。この反露意識の裏返しとしての親日意識は自ずと限界があった。極東において帝国主義的性格を強める日本がロシアとの協調関係を築き、足元のバルカン半島でスラヴ系諸民族による反オーストリア=ハンガリーの運動が激化するにつれ、日本に関する興味関心は次第に退潮していった。中東欧に限らず、ある地域の日本語教育の歴史を振り返ることは、その国や地域や民族の対日認識の歴史そのものと向き合う作業であり、それを知ることは外国で日本語を教えるものにとっては特に大切なことであると考える。
著者
カイザー シュテファン Stefan Kaiser 筑波大学文芸・言語学系 University of Tsukuba
雑誌
世界の日本語教育. 日本語教育論集 = Japanese language education around the globe ; Japanese language education around the globe (ISSN:09172920)
巻号頁・発行日
no.5, pp.155-167, 1995-04-28

中国の文字体系と比べて、全体としての日本の文字体系は「世界の文字」の中で従来あまり注目されず、文字学ではむしろ漢字から発達した仮名文字に興味が集中した。 本稿は文字のタイポロジーとその問題点を概観してから、中国の体系と3大表語文字体系であるエジプト、シューメル、マヤの体系との相違点の分析を行なう。とくに、3システムにおける象形文字内部に表音性が備わっていないことや、それにともなって同じ象形文字が補音符などとして早い段階で使われるようになった点に注目する。それに対して、中国の漢字が量 的に他のシステムと比べて圧倒的に多い事実は、その文字に内在する表音性によるもので、他のシステムのような文字の表音的使用が発達しなかった。以前から一部の人がいっているように、中国の漢字は形態素音節文字というべく、表語文字ではない。その考えの正当であることは最近の実験の結果 でも確認できる。 日本のシステムにおける漢字は、中国の場合と違って基本的に一字多音である。そこでエジプト、シューメル、マヤの体系と同様に多読字の読み方は文脈に頼るだけでなく、送り仮名など表音文字で補助的に示す傾向がある。エジプト、シューメル、マヤの文字体系を表語文字と呼ぶなら、日本語のシステムもその範疇に入れることになるが、同じ漢字を使う中国語のためには別の分類が適当である。
著者
菅井 三実 Kazumi SUGAI 兵庫教育大学学校教育学部 Hyogo University of Teacher Education
雑誌
世界の日本語教育. 日本語教育論集 = Japanese language education around the globe ; Japanese language education around the globe (ISSN:09172920)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.175-191, 2002-06-28

本稿は、格助詞「が」の両義性を出発点として、 2種類の「構文スキーマ」を提案し、基本文型を具体的に範疇化するところにまで発展させたものである。まず、「ガ格」成分の基本的意味として述語レベルで 〈主体〉 と 〈対象〉 の 2つを認める。前者は 「太郎が走る」のような主語的なもので、後者は「水が欲しい」のように、むしろ目的語的なものである。 この両義性が 《意味と形式の一対一対応》 の原則に反することから、より高次のレベルにおいて「ガ格」を「述部内において最も顕著な成分」を標示するものとして同化させる。その上で、述語レベルにおける 2つの意味を分化させるために構文レベルに 2つの「構文スキーマ (constructional schema)」を導入する。この構文スキーマを導入することで、従来、その位置づけが確然としなかった 〈存在文〉 〈同定文〉 〈能力文〉 〈可能文〉 〈てある文〉 〈主観表現〉 〈形容詞文〉 などに対し、ガ格の意味に基づいて構文的特徴を明らかにするとともに、プロトタイプ効果を確認しながら、明示的な範疇化を試みる。具体的には、 存在文をプロトタイプ的メンバーとし、《存在のあり方》 を変数とする存在表現のバリエーションとして放射状に範疇化するというものである。同時に、〈存在のありか〉 が「ニ格」で標示されるかどうかという存在文に固有の特性に着目することで、〈(広義の)同定文〉 〈数量形容詞文〉 〈知覚文〉 〈関係文〉 が 1次的メンバーとして位置づけられ、〈情意・情態形容詞文〉 〈主観表現〉 〈能力文〉 〈てある文〉 が 3次的メンバーとして位置づけられることを例示する。
著者
加藤 陽子 Yoko KATO 国際大学日本語プログラム International University of Japan
雑誌
世界の日本語教育. 日本語教育論集 = Japanese language education around the globe ; Japanese language education around the globe (ISSN:09172920)
巻号頁・発行日
no.5, pp.209--224, 1995-04-28

本稿は、用言のテ形(書いて、白くて、静かで、など)で接続されている複文を、従属節の主節に対する依存の程度(従属度)の違いによって分類することを目的とした。その従属度を測定する基準の一つとして、「主節末のモダリティや否定辞のスコープによる複文の構造」という統語的側面 を考察した。これらのスコープを観察することで、複文は、主節末のスコープが主節命題と従属節命題まで及ぶ構造(α構造)と、主節末のスコープが主節の命題のみにしか及ばない構造(β構造)に分けられた。本稿では、このα・βの構造の違いが、従属度を反映し、分類の統語的基準になると考えた。また、従属度を測定するもう一つの基準として、「節間の関係的意味を成立させる要素」という意味的な側面 を考えた。この要素は、(1)従属節の、複文全体における命題形成の機能、(2)主節・従属節間の論理関係、(3)主節・従属節間の時間・順序関係、(4)主節・従属節の述語の主語の異同、の四つである。本稿では、これらの要素が相互に関連しながら緊密に節同士が関係しあって複文を構成するものを従属度の高いテ形、これらの要素間にあまり関係がなく、節間の緊密な関係もみられないものを従属度の低いテ形、とした。この二つの基準から、テ形節は、テ1(付帯状況)、テ2(継起的動作)、テ3(原因・理由)、テ4(並列)、テ5(発言のモダリティ成分)に分類され、テ1からテ5の順番で、従属度が低くなっていくことを述べた。
著者
黄 文溥 Wenpu HUAHG 華僑大学外国語学院 College of Foreign Language Huaqiao University China
雑誌
世界の日本語教育. 日本語教育論集 = Japanese language education around the globe ; Japanese language education around the globe (ISSN:09172920)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.193-208, 2002-06-28

従来、時間節の事態と主節の事態が継起的である場合、q 時間節の述語動詞のアスペクト形式が同一でその形式が表すアスペクト的な意味も同じだと考えられる立場と、w「(スル)前」節と「(シタ)後」 節のアスペクト形式がスルかシタかをとり、それぞれ違うアスペクト的な意味を表し、その違いをスルとシタのアスペクト的対立と考える立場がある。本稿では、「(する)まで」節や「(し)てから」節などをも考察し、時間節のスルもシタもシテも同じく完成相形式で、そのアスペクト的な意味の違いを含め、 それぞれの時間節のアスペクトの異なったあり方は後続・先行関係や先行・後続関係などといった時間関係と関連するということを論じる。 具体的には次のような事実を指摘する。(1)後続・先行関係を表す「前(に)」複文と先行・後続関係を表す「後(で)」 複文や「(して)から」複文とで時間節の述語動詞の完成相の表すアスペクト的な意味やその他のアスペクト的な性格が異なっている。(2)「前(に)」節や 「まで」節の述語動詞の完成相が 〈終了限界達成≠ひとまとまり〉 を表す場合、無限界動詞に制限が見られ、「後(で)」節や「(して)から」節の述語動詞の完成相が 〈開始限界達成≠ひとまとまり〉 を表す場合、 多くの動詞に制限が見られる。(3) この種の制限は継起的時間関係が捉えられる他の従属節(「(しない)うち(に)」節や「するのを待つ」の「するのを」節)にも見られる。This present article intends to point out the following facts:(1) In mae (ni) clauses referring to precedence and in ato (de) clauses and (shite) kara clauses referring to subsequence, the meanings of the perfective and other aspectual features of both are different.(2)When the perfective of mae (ni) clauses and made clauses does not refer to the action as a whole, but only to its end point, atelic verbs are restricted in use, and the perfective of ato (de) clauses and (shite) kara clauses does not refer to the action as a whole, but only to its initial phase, and many verbs are restricted in use.(3)Such restrictions can be found in other complex sentences referring to sequential temporal relation.