著者
大野 裕美
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.91-106, 2008-12-23

本研究では、日本におけるシュタイナー教育の動向を紹介し、普及を推進した力は何かを分析した。教育分野において数多くの理論や思想が生まれては消えていくなか、約90年もの実績があり世界58カ国に広がるシュタイナー教育は国内でも注目されている。シュタイナー学校の授業形態は、ユニークな特徴ある方法のため国の定める学習指導要領にそぐわない。それゆえ、公認は容易でなく先進諸国のなかで公認されないシュタイナー学校は我が国だけであったが、2005年に公的に認可されたシュタイナー学校が誕生した。このことは、世界のシュタイナー教育の動向のみならず、我が国の教育の歴史において公教育のあり方を問う点でも画期的なものである。本論文では、はじめにドイツに端を発したシュタイナー教育の思想を概観し国内への移入および展開を紹介し特徴を明らかにした。次に、近年隆盛になっている国内でのシュタイナー幼児教育の位置づけを行い、シュタイナー学校との接続を考察した。さらに、公認シュタイナー学校の設立経緯として「学校法人シュタイナー学園」の事例を紹介し、今後のシュタイナー教育と公教育との関係やあり方を含めて論じた。
著者
村元 麻衣
出版者
名古屋市立大学
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.151-170, 2006-12-24

本論文でほまず1章で、日本語とドイツ語におけるオノマトペの定義を検討した上で、オノマトペの定義をさだめる。2章では、ドイツ語の3つの辞典上でのオノマトペの記述を比較考察した後、ドイツ語のオノマトペの動詞・名詞・副詞といった品詞による分類と、子音に着目した音韻形態の分析を行う。さらに音と意味との関係を考察し、ドイツ語のオノマトペの特徴を探る。3章では、日本の文学作品のオノマトペとそのドイツ語翻訳版との比較、ドイツの文学作品のオノマトペとその日本語翻訳版との比較をし、それぞれの現れ方からドイツ語のオノマトペの表現法と特徴を考察する。4章では、ドイツ語のオノマトペの変遷と発展にふれ、この研究のまとめとした。日本語のオノマトペは擬音語・擬態語を指すのに対し、ドイツ語のオノマトペは主に擬音語に焦点が当てられている。ただし、例えば日本語のオノマトペ「バタバタ」のように、鳥が羽ばたく際に出る音としての「バタバタ」と、鳥が羽ばたく様を描写した「バタバタ」のような、両者にまたがるものもあり、ドイツ語のオノマトペも同様に擬音語と擬態語との区別がつきにくいものがある。また日本語のオノマトペは副詞が多く、「バタバタ」のように同じ音が二回あるいは三回重複した形で構成されているものが多いため見分けがつきやすいが、ドイツ語のオノマトペは動詞が多く、ある音あるいは様態を模写する働きの擬音・擬態の部分、つまり「音の響き」が、「quatschen(ベチャベチャしゃべる)」のように語全体に溶け込み一語となっているため、オノマトペとしての区別が付きにくいのである。本論文ではこの相違を、それぞれの「オノマトペ性」とし、分析を試みた。
著者
成田 徹男
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.109-120, 2013-06-30

本稿では、「おぼうさん」「おてつだいさん」「おつかれさん」など、接頭辞「お~」および接尾辞「~さん」の両者をともなう、現代日本語の一群の語彙について、その意味用法を整理し、形態的なバリエーションの偏りなどを考察した。その結果、「固有名詞」の「人名」については、形態の変異が豊富であるのに対し、「固有名詞」の「神仏」については変異がとぼしくかなり一語化している、「親族呼称・親族関係」については「親族Ⅰ類」は形態の変異がかなりあるのに対して「親族Ⅱ類」は変異がとぼしくかなり一語化している、「職業・地位・性質」についてはかなり一語化している、「擬人化など」については、「おつきさま」「おつかれさま」のようにかなりかなり一語化しているものと、「おにんぎょうさん」のように、形態的変異があるものとがある、というように整理できた。
著者
伊藤 静香
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.99-107, 2013-06-30

日本におけるジェンダー平等政策は、新自由主義的改革が展開した時代と同時期に「男女共同参画」という国策で進められた。特に日本の経済活性化のために、女性の労働力活用が求められ、女性の就労を支援するさまざまな法・制度の整備が進められた。しかしながら、経済的・政治的にも女性の参画や男女の格差解消は十分ではない。「日本的経営」でオイルショックによる経済危機を乗り切った日本では、ジェンダー分業を内包したまま女性の労働力活用が促進され、新自由主義的改革のもとで女性の自立と社会参画をめざす「男女共同参画」政策が進められた。その結果、女性たちは男性社会のルールの中で、「競争」と「選別」を余儀なくされ、その選択は「自己責任」に帰されている。筆者が研究テーマとする女性/男女共同参画センターにおける労働現場では、低賃金・非正規雇用の問題などが指摘され、女性の就労における課題の典型であると言われている。本研究ノートは、筆者の研究テーマである女性/男女共同参画センターのあり方に対する視角を固めることを目的として、日本における新自由主義的改革と男女共同参画政策の関係性に焦点をあてた研究成果をアメリカのフェミニスト理論家であるナンシー・フレーザーの論考からヒントを得て、整理・検討を試みた。
著者
都築 郷実
出版者
桃山学院大学
雑誌
人間文化研究 (ISSN:21889031)
巻号頁・発行日
no.4, pp.191-239, 2016-02-26

There are only a few demonstrative studies on the omission of the appositive clause `that'. This paper deals with the following six types of the appositive clause `that'. Type 1 : Verb+(.751 322.547 Tpreposition)+Noun+that clause Type 2 : there be Noun+that clause Type 3 : (Subject)+be+Noun+that clause Type 4 : Noun+that clause (Subject)+Verb Type 5 : Noun (Subject)+Verb+that clause Type 6 : Preposition+Noun+that clause There are many examples of the omission of the appositive clause `that' in Type 1 and Type 2. The examples in Type 3 and Type 6 have fewer than those in Type 1 and Type 2. Differently from the other types, the appositive clause `that' in Type 4 and Type 5 is usually obligatory. The appositive clause `that' in Type 1, 2, 3 and 6 are optional, depending on a writer's or speaker's subjective judgement. The omission of the appositive clause `that' occurs in colloquial English and written English. The following are examples in every Type. 1) ..., I've come to the conclusion he's gone underground permanently... -J. Black: Megacorp. 2) "There's no doubt the company is generally outperforming the industry." -Fortune, Dec. 4, 1978 3) ..., and the timing of his bill is another indication he expects more political than legislative results. -The New York Times, Weekly Review, July 27, 1979 4) Yet, already, the fact they had to be careful not to be seen together was a depressing intrusion upon their pleasure. -E. Thompson: Tattoo 5) While the fact remained we'd been seeing each other three years. -Stephen Elkin: Mirror in the Bathroom 6) ... working against the fear the door might be opened on him at any moment. -E. Thompson: Tattoo
著者
平 雅行
雑誌
人間文化研究
巻号頁・発行日
no.41, pp.204(35)-168(71), 2018-11-20
著者
原口 耕一郎
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.204-188, 2008-06-25

『古事記』『日本書紀』においては、かなり古い時代の記事から隼人は登場する。この隼人関係記事の信憑性をめぐって、大きく二つの議論がある。一つは天武朝以降の記事からならば、それなりに信を置くことができるとする理解であり、これは現在の通説になっているといえよう。もう一つは、天武朝より前の時期の記事にも史実性を認めようとする理解である。小論は、これまでの隼人研究史を回顧し、隼人概念の明確化をはかり、『記・紀』に史料批判を加え、天武朝より前の隼人関係記事については、ストレートには信を置きがたいことを論じようとするものである。つまり、可能な限り通説の擁護を目指すことが小論の目的である。まず、文献上にあらわれる隼人様を整理し、隼人概念の明確化を行う。次に考古資料と隼人概念との対比を、最近の考古学研究者の見解を踏まえながら行う。さらに畿内隼人の成立について触れる。その結果、『記・紀』編纂時における政治的状況、すなわち日本型中華思想の高まりの中で、政治的に創出された存在としての隼人の姿が明らかにされるであろう。このような、現在の隼人理解において中核的なテーゼをなす、「隼人とは政治的概念である」という主張を確認したうえで、天武朝より前の隼人関係記事は漢籍や中国思想により潤色/造作を受けていることを明らかにする。
著者
伊藤 泰子
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.201-215, 2008-12-23

「聞こえない」状態を医学的障害としてみる場合は、「聞こえない人、聞こえにくい人、聾者、聴覚障害者、難聴者、補聴器装用者、人工内耳装用者」などの言葉で表される。そして、「手話を使う人」のみが聞こえないことを医学的障害として捉えるのではなく、手話を使う、聞こえないことを社会文化的な違いとして捉える言葉である。次に口話法優先教育か手話法優先教育かのどちらかを受けたかによって、「聞こえない人」はグループ分けできる。そして、これらのグループ分けは、社会での立場、すなわち、アイデンティティについてのグループ分けにつながる。「聞こえない人」は、異なる「社会での立場」によって分かれる。障害者として自助努力を強いる同化主義的社会、と公的支援を得られる手話言語をもった社会ではアイデンティティが変化する。人工内耳、補聴器、口話法訓練など自助努力をして「聞こえる人」の社会で生きるか、手話通訳支援を提供され、手話通訳者の養成や手話を公用語にしようとする法律などの公助努力が進められている社会に生きるかによってアイデンティティは異なる。本稿では異なる「聞こえない人」のアイデンティティがあることを検証することにする。
著者
菅原 真
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.125-134, 2011-06-30
著者
江口 惠子
出版者
長崎純心大学・長崎純心大学短期大学部
雑誌
人間文化研究
巻号頁・発行日
vol.1, pp.33-46, 2003-03-01

救護施設についての研究は少なく,利用者については,ほとんど研究対象になっていない。救護施設はそれぞれの施設によって,利用者形態が異なっている。どの施設を救護施設の現状と捉えるかは,判断に迷うところである。その地域で,さまざまな障害形態の人がいる。その状況に応じた形を持つ施設が,救護施設である。筆者は救護施設に勤務する中で,救護施設利用者が年々変化していることを痛感している。その利用者が,社会・経済・福祉政策・法律に最も左右されてきた人々ではないかと考えた。本稿では,(1)救護施設利用者の変遷を通じて,救護施設が変化し,時代的に展開していることを明らかにする。(2)年代別の全国救護施設の実態を明らかにし,救護施設と社会,経済,法律,貧困者・障害者政策との関係を考察する。(3)救護施設とその利用者が,時代経過の中で,どのような位置付けをされていたかを検証する。
著者
井上 禎男
出版者
名古屋市立大学
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.155-193, 2006-06-24

フランスにおける情報公開法制と個人情報保護法制とのかかわりを整理し、2004年改正1978年法下でのフランスの個人情報保護法制につき、とくに当該分野の第三者機関であるCNIL(情報処理と自由に関する全国委員会)の実務に焦点をあてながら検証する。
著者
小島 俊樹
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.177-190, 2011-02-01

名古屋市立高校における学校納入金の未納者数は、09年度6月において前年度の5倍以上となった。この原因は不景気を背景として、高校生の世帯に貧困層が拡大しているためと推測した。子どもの貧困率として相対的貧困率がよく採用されるが、これでは高校生のように養育費がかかる年齢には低すぎる基準と思われる。むしろ、自治体が用いる基準である、給与所得控除を足し夫婦2人世帯で年収450万円(2005年)が妥当な基準と考える。これを基準とすると、高校生世帯の約30%が貧困層であると推定される。授業料減免者数の生徒総数に対する割合の推移(1996年~2006年)をみると、11年間で約3倍になっており、貧困層の拡大が急激にすすんでいる。名古屋市立の全高校を対象にした調査から、授業料減免者を普通科・職業科・定時制で分けてみると、職業科・定時制に集中していることが明らかになった。さらに、授業料減免の対象者が市民税非課税で、ほぼ相対的貧困基準に相当するため、そこから高校生世帯の貧困基準に基づき推定してみると、職業科・定時制生徒の世帯の半数前後が貧困層に該当すると考えられる。最後に、学校納入金未納者の担任への調査を通じて、高校生の貧困世帯は、今回の不景気により親の失業などで新たに貧困層へ加わる世帯と、すでに貧困世帯であったがリストラや賃下げなど今回の不景気のしわ寄せで更に貧困となった世帯、これらの2類型があると思われる。
著者
原口 耕一郎
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.232-204, 2011-06-30

『古事記』『日本書紀』においては、かなり古い時代の記事から隼人は登場する。この隼人関係記事の信憑性をめぐって、大きく二つの議論がある。一つは天武朝以降の記事からならば、それなりに信を置くことができるとする理解であり、これは現在の通説になっているといえよう。もう一つは、天武朝より前の時期の記事にも史実性を認めようとする理解である。小論は、これまでの隼人研究史を回顧し、隼人概念の明確化をはかり、『記・紀』に史料批判を加え、天武朝より前の隼人関係記事については、ストレートには信を置きがたいことを論じようとするものである。つまり、可能な限り通説の擁護を目指すことが小論の目的である。まず、文献上にあらわれる隼人像を整理し、隼人概念の明確化を行う。次に考古資料と隼人概念との対比を、最近の考古学研究者の見解を踏まえながら行う。さらに畿内隼人の成立について触れる。その結果、『記・紀』編纂時における政治的状況、すなわち日本型中華思想の高まりの中で、政治的に創出された存在としての隼人の姿が明らかにされるであろう。このような、現在の隼人理解において中核的なテーゼをなす、「隼人とは政治的概念である」という主張を確認したうえで、天武朝より前の隼人関係記事は漢籍や中国思想により潤色/造作を受けていることを明らかにする。
著者
平 雅行
雑誌
人間文化研究
巻号頁・発行日
no.43, pp.101-142, 2019-11-30
著者
西村 俊範
雑誌
人間文化研究
巻号頁・発行日
no.39, pp.139-159, 2017-12-20
著者
佐々木 高弘
雑誌
人間文化研究
巻号頁・発行日
no.41, pp.238(1)-206(33), 2018-11-20
著者
原口 耕一郎
出版者
名古屋市立大学
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.204-188, 2008-06

『古事記』『日本書紀』においては、かなり古い時代の記事から隼人は登場する。この隼人関係記事の信憑性をめぐって、大きく二つの議論がある。一つは天武朝以降の記事からならば、それなりに信を置くことができるとする理解であり、これは現在の通説になっているといえよう。もう一つは、天武朝より前の時期の記事にも史実性を認めようとする理解である。小論は、これまでの隼人研究史を回顧し、隼人概念の明確化をはかり、『記・紀』に史料批判を加え、天武朝より前の隼人関係記事については、ストレートには信を置きがたいことを論じようとするものである。つまり、可能な限り通説の擁護を目指すことが小論の目的である。まず、文献上にあらわれる隼人様を整理し、隼人概念の明確化を行う。次に考古資料と隼人概念との対比を、最近の考古学研究者の見解を踏まえながら行う。さらに畿内隼人の成立について触れる。その結果、『記・紀』編纂時における政治的状況、すなわち日本型中華思想の高まりの中で、政治的に創出された存在としての隼人の姿が明らかにされるであろう。このような、現在の隼人理解において中核的なテーゼをなす、「隼人とは政治的概念である」という主張を確認したうえで、天武朝より前の隼人関係記事は漢籍や中国思想により潤色/造作を受けていることを明らかにする。