著者
Haynes Louise
出版者
名古屋市立大学
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.247-261, 2008-12-23

This study offers a content analysis of the lyrics of 100 songs of protest during two periods of war, the Vietnam War during the 1960s and early 70s and the war in Iraq which began in March of 2003. It provides a brief overview of some of the social and technological conditions which have led to the changes that have taken place in recent protest songs. The article shows that more recent protest music has become more specific, with a greater focus on historical events than occurred in the lyrics of protest music written during the years of the Vietnam War.
著者
気駕 まり
出版者
名古屋市立大学
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.115-124, 2004-01-10

女性のみを処罰の対象とする刑法の自己堕胎罪は、ジェンダーの視点から捉えて問題があると言わざるをえない。この自己堕胎罪について、保護法益を基点にして現代の日本に存在する意味、その矛盾点、背景にある文化的規範などを考察していきたい。まず、堕胎は殺人と同等とするには、あまりにも保護法益の前提量が違いすぎることを指摘する。次に、その前提の内容を検証することによって、そこから女性の自律した身体であり続ける権利を導き出す。このことによって、堕胎罪の法益を設定する前段階における一つの違法行為、男性の側からは発想しにくいであろう女性の権利の侵害行為が明らかになる。妊娠しないままでいる権利を法益とした場合、避妊しない性交は法益の侵害を意味する。行為の主体は男性で、客体は女性である。望まない妊娠があって、自己堕胎が発生するとしう因果関係を考慮するのなら、まず確立しなければならないのは、堕胎罪の運用方法より、この権利侵害の「犯罪」であろう。「犯罪」の刑罰を設定することによって、主体である男性は規範を動機づけられ、女性の権利侵害を安々と行わなくなる。これは、堕胎を減少させ、結局のところ堕胎罪が求める規範に合致するのである。
著者
日沖 敦子
出版者
名古屋市立大学
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.154-142, 2004-01-10

継母の策略によつて、四辻に捨てられた鉢かづきは、入水自殺を図るが、鉢をかづいているために浮いてしまい死ぬことができない。山蔭三位の中将と出会うのは、そんな矢先のことだった。この山蔭三位の中将は、様々な文献にその名が確認できる藤原山蔭のことであると考えられる。山蔭三位の中将は、流布本系『鉢かづき』に登場し、鉢かづきのその後の運命に大きな影響を与える。鉢かづきは山蔭の邸の湯殿で下働きをし、山蔭の四男宰相殿と結ばれる。このような展開を踏まえると、『鉢かづき』の中での一つの転機が、この山蔭との出会いの場面であったと言っても過言ではないだろう。本稿では、〈亀の報恩譚〉(継子譚〉を主要素とする山蔭説話の流れが、その後の室町時代物語にどのように繋がつていくのかを辿りつつ『鉢かづき』らに山蔭というキーパーソンを登場させることによって広がる物語世界を読み味わってみたい。山蔭説話の流れの中での『鉢かづき』の位置を確認した上で、『鉢かづき』と山蔭説話の比較を試みる。そこから導き出すことができる入水直後に鉢かづきが山蔭と出会うという物語展開について考察したい。
著者
森 哲彦
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.1-11, 2008-06-25

カントは、1760年代前半の独断的、論理的形而上学期において、伝統的なドイツ形而上学に依存しつつも、真に自立した形而上学者の立場を表明する。統いて1760年代半ば以降の経験的、懐疑的形而上学期では、ドイツの伝統的哲学と関わりながらも、研究に社交的文明精神を導入することにより、人間学的観察と道徳的原則の探究を行うものとなる。このようなカントの新しい思想的「変化」は「カントにおける一つの革命」と評される。本論で取り上げる著作『美と崇高の感情の観察』1764年においてカントは、当時ドイツで紹介されていたイギリス道徳哲学、とりわけハチスンの道徳感情論を取り上げ、伝統的な哲学者としてよりも観察者の眼をもって「美と崇高の感情」に現れる様々な諸相を、美学的、人間学的に分析する。だが文明化した社会の「多様性のただ中の統一性」を観察するイギリス道徳感情論にカントは満足せず、文明化した人間社会を批判するルソーの思想に出会い、新たな転向を迎えるものとなる。カントがルソーの思想を取り上げる著作は『美と崇高の感情の覚書』1765年である。この著作は、前著作『観察』の余白にカント自身によって書き込まれた種々の断片的な文章により構成されている。そこにおいてカントは、ルソーがいうように堕落した文明を批判し、単純で自足した自然にもどることを、提唱するのではなく、文明化した社会を人間、自然、自由、および意志の完全性により啓蒙し、新しい道徳的原則を、志向しようとするものである。
著者
山本 将士
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.153-170, 2008-12-23

本稿の目的は,笠地蔵の教材価値の再発見,笠地蔵の変容過程に関する調査研究,絵本として再話された作品分析である。比較研究の結果,民話「笠地蔵」絵本は,本来「貧乏な爺が満足な正月を迎えたいという願望を叶えるために町へ買い物に行く。しかし町へ行く途中に,地蔵が雪を被っているのを見つけて,爺が2人でこしらえた売り物の笠を地蔵にかぶせるが,笠が1つ足りないので,自分の笠(手ぬぐい,ふんどし)を地蔵に被せてあげる。爺が家に帰って,何も持っていない理由を説明すると,婆も一緒に喜んでくれるが,大晦日に食べものが何もないために,そのまま2人とも寝てしまう。夜中に地蔵が賽物,金銀,米,餅を運んで来てくれる翌朝外を見ると,地蔵が立ち去る後姿が確認できた。そして,爺婆は良い正月を迎えることができた。」が,理想の物語であるとことを示すことができた。また,上述した条件に,最も近似する笠地蔵の採話が,『日本昔話名彙』(柳田國男,1951)であった。さらに,これまでに出版された58冊の絵本を評価した結果,(稲田・梅田,1978) 『かさこじぞう』,(瀬田・赤羽,1966) 『かさじぞう』の2冊を優れた民話絵本であることを示すことができた。
著者
山田 明
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.27-36, 2006-06-24

財政優遇措置により市町村合併を推進してきた合併特例法は、2006年3月末で経過措置も期限が切れ、「平成の大合併」は第2ラウンドに入った。1999年3月末からの合併件数は582、関係市町村は1993にのぼり、基礎自治体のかたちは様変わりした。合併にたどりつく前に破綻したケース、当初の構想とはかなり異なるケースも少なくない。破綻の典型的なケースとして、合併の目的やメリット、新市の名称や庁舎の位置、合併を揺るがす事件、財政状況などの原因があげられる。「3市1町」の合併協議が破綻した愛知県知多北部など、合併破綻の検証から「平成の大合併」の問題点と今後の課題を探っていきたい。
著者
松野 充貴
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.19-29, 2014-07-31

本稿の目的はミシェル・フーコーの哲学におけるイマヌエル・カントの批判(概念)の役割を明らかにすることである。従来のフーコー研究ではフーコーとカントの関係はモダンとポスト・モダンの論争の枠組みのなかで論じられてきた。それゆえ、フーコー哲学とカント哲学は対立するものとして捉えられてきた。しかし、2008年に生前未公刊だった『カントの人間学』が出版され、フーコーのカント解釈が明らかになり、フーコーとカントの関係を見直さなければならなくなった。なぜならば、フーコーは『カントの人間学』のなかで、自らがこれから歩む哲学的企図をカント哲学と関係づけながら論じているからである。そこで、本稿はまず『カントの人間学』におけるフーコーのカント解釈を論じる。次に、『臨床医学の誕生』においてフーコーがニーチェの試みを『純粋理性批判』と対比して論じていることに着目し、フーコー哲学におけるニーチェとカントの関係を考察する。最後に、「啓蒙とは何か」のなかでフーコーが自らの探求を批判(概念)と論じていることに依拠しながらフーコーとカント哲学との関係を論じる。
著者
小川 仁志
出版者
名古屋市立大学
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.1-13, 2006-01-10

ヘーゲルの共同体論は、従来国家を頂点とする国家主義哲学として誤解を受けてきた。それは、弁証法的発展の理論を絶対視した結果もたらされた悲劇であるといえよう。なぜなら、家族、市民社会、国家というかたちで構成される彼の共同体論は、すべてが国家に収斂してしまい、家族や市民社会が全否定される性質のものでは決してなく、逆に家族や市民社会などの他の共同体類型によってこそ国家という共同体が基礎付けられるという側面を多分に内包しているからである。そこでは明らかに人間精神陶冶のための機能分担が企図されている。その大胆かつ緻密なロジックは、利己心と公共心の緊張関係の組み合わせによって、各共同体の存在意義を規定していく。愛のための家族、誠実さのための市民社会、そして公共心のための国家。その意味では、国家という共同体は公共心の最も開花した状態であるといえる。国家において、他者との支え合いの精神は頂点を極め、ヘーゲルのいう「具体的自由」が実現する。またそれは視点を変えると、同じく支え合いの理念である「共生」の概念とも結びついてくる。本稿は、ヘーゲルの共同体論をこのような意味で公共哲学として読み替える試みである。そのときヘーゲルは、いわば公共性というプリズムを通して、私たちに各共同体の類型に応じた共生のための知恵を授けてくれる。こうした共生のための知恵を自覚すること、これこそがヘーゲル哲学を公共哲学として読み直す今日的意義であるといえる。
著者
山田 明
出版者
名古屋市立大学
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.27-36, 2006-06-24

財政優遇措置により市町村合併を推進してきた合併特例法は、2006年3月末で経過措置も期限が切れ、「平成の大合併」は第2ラウンドに入った。1999年3月末からの合併件数は582、関係市町村は1993にのぼり、基礎自治体のかたちは様変わりした。合併にたどりつく前に破綻したケース、当初の構想とはかなり異なるケースも少なくない。破綻の典型的なケースとして、合併の目的やメリット、新市の名称や庁舎の位置、合併を揺るがす事件、財政状況などの原因があげられる。「3市1町」の合併協議が破綻した愛知県知多北部など、合併破綻の検証から「平成の大合併」の問題点と今後の課題を探っていきたい。
著者
山田 美香 水野 恵子 有賀 克明
出版者
名古屋市立大学
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.117-132, 2006-06-24

本研究は、台湾・台北の多様な幼児教育機関への訪問を踏まえ、これら幼児教育機関の保育者へのインタビューや関連行政機関担当者へのインタビューをまとめたものである。これらの調査から明らかになったのは、日本以上に抜本的な改革が行われていることであった。しかし日本とは違い、NPOや母親の有志が国や地方自治体を大きく動かすような状況、民間と公的機関の連携もほとんどみられなかった。幼稚園、託児所が多様化しているが、強力な政府主導型による託児所・幼稚園行政が行われていた。2004年11月の段階で、幼保一元化など、これまで幼稚園、託児所と大きく二分されていた就学前教育のあり方にメスが入った。政治的・財政的要因があるにせよ、改革は受益者である子どもの権利を尊重することにあると明確に原理原則を打ち出している点は傾聴に値する。台湾では、日本に比べ、急激に子どもを取り巻く環境、子どもの減少など大きな変化が訪れ、その対応に追われつつも、自由競争の中で効率的な質の高い幼児教育・保育を真摯に求める姿が見られた。
著者
Jutta Jerlich
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.115-128, 2011-02-01

National borders have lost importance and competition is becoming more global every day. Products and services are sold and available concurrently in large geographical regions. Problems and issues are crossing borders, affecting the global economy rather than only the national. The need to address global problems on a global level by the international community is apparent. For a company to survive in such an environment it has become a pre-requisite to attract and retain the best human capital. It has to adopt and apply knowledge-based intercultural and interdisciplinary work processes and go beyond their national markets. Education is having a growing importance for supplying qualified graduates to industry. My observations and experiences from teaching in Japan, seen through the filter of Hofstede's cultural dimensions, illustrate how a threefold cultural layer constrains the adaptation demanded by the pressure from a competitive global market. The change process happening all over the world is hindered and halted by a mindset that has not yet seen the need for change to communicate and cooperate across borders.
著者
北原 和子
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.123-136, 2012-06-30

名古屋市の保育園が乳児保育・長時間保育を制度化するにあたって、どのような保育運動が行われたのかを、名古屋の女性運動や地域住民をまきこんだ市民運動の視点を交えて考察した。1955(昭和30)年、日雇い労働の母親たちが立ち上げた簡易保育所に始まり、国鉄、郵政、法務局に勤務する女性労働者達が職場内保育所を作った。1959(昭和34)年、伊勢湾台風後に始められたヤジエセツルメント保育所の活動が、名古屋市における保育運動の始まりであった。働き続けたい母親労働者と研究者,女性運動家達が共同保育所を設立すると、保育運動を継続させるために愛知保育所づくり連絡会が発足した。さらに団地に住む母親労働者達が保育所設立のための市民運動を行った。市民をまきこんだ保育所建設の要求が名古屋市を動かし、生後6ヵ月からの乳児保育、8時から18時までの長時間保育を実現させた。
著者
吉村 公夫
出版者
名古屋市立大学
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.31-39, 2004-01-10

本稿では、社会的制度、活動である社会福祉が対象とするもの、生活問題となづけられているが、まずその生活問題という規定の系譜をあげ、その中で、以前取り上げた一番ヶ瀬康子による生活問題規定を引き継いでいると考えられる、副田義也の生活問題論を検討し、次に、その副田の論考を引き継いでいると見なされる、古川孝順による生活問題規定を考察する。副田は、一番ヶ瀬の生活問題規定が労働力を中心に規定されていることに不足を感じ、生活そのものの検討と、それには社会学研究で盛んになっている生活構造論が有効ではないかと提案している。古川は研究方法に関しての、この副田の提案を受け取り、生活問題規定に進んだ。先行研究としては、一番ヶ瀬の他に、岡村重夫、三浦文夫の研究を踏まえ、生活問題の成立、経路、類型の内容の検討、説明に挑んだ。生活危険、生活不能、生活障害、さらに生活基盤の障害、生活能力の障害、生活関係の障害、生活環境の障害と詳細な生活問題類型を提示した。 しかし、それぞれの類型の具体例があげられたが、詳細になった点とそれぞれの問題成立の説明が判然としなく、現象列記の印象をあたえている。
著者
梶田 美香
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.23-38, 2012-12-21

1990年代における公立文化施設の急増や2001年に制定された文化芸術振興基本法がきっかけとなって、日本の文化政策は文化振興に力点を置くようになった。特に貸館事業中心だったホールについては、地域に密着した自主事業の実施に運営方針の舵が切られ、舞台芸術における大きな変化となった。また美術領域においても地域全体を包み込むイベントが多く行われるようになった。本稿では、このような全国的な潮流を踏まえた上で東海圏の芸術を取り巻く環境を概観し、地域との関係性における課題を探索した。その結果、シビックプライドに関心を持つことと、劇場の働きを拡充させることについて課題があることがわかった。
著者
土屋 勝彦
出版者
名古屋市立大学
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.67-82, 2004-01-10

多和田葉子の文学は、言語表現への不可能性を表明しつつ、それでもなお不可視のものの言語化を試みようとする脱領域化ないしは越境的な言語空間の創造に向かう。ドイツと日本の両言語文化のエートスから逃れ、それらの中間地帯に独自の「民俗語的詩学」を構築しようとするのである。『無精卵』では、語り手の視線の変容によって幻視される事物の変貌を語りつつ、分身からの身体的な逆襲による自己否定を通して、語り自体が否定される。『飛魂』では、意味性(シニフィエ)と表象性(シニフィアン)の変転と循環のプロセスにおいて、音声映像の言霊の力が発揮され、表象文字の映像化が身体の言語として発現する。ここには言語遊戯と言語実験の中から生まれる新たな言語表現構築への強い志向が一貫して見られる。異質で奇矯なイメージの衝突によって想起される文学空間は、夢と現実の狭間に浮かぶ幻視の反物語であり、世界の認識不能性を示す。国民文化に還元されえない、語りえぬ中間地帯への絶望的な志向性こそ、越境文学の持つ宿命的なデラシネのパトスを支えるものに他ならない。
著者
椎葉 富美
出版者
長崎純心大学・長崎純心大学短期大学部
雑誌
人間文化研究
巻号頁・発行日
vol.6, pp.62-49, 2008-03

大半の文学作品においては、作者が描いたりもしくは創り出した人物が登場し、さまざまに表現されている。それらの表現の中で、特に〈人物の指し示し方〉に作者の創意工夫が表れていると考えた。その創意工夫にあたる部分、すなわち「作者の内面的・主観的特性を言語という手段の中で表わそうとする意識」を「表現意識」と名付け、作者がどのような表現意識を持っていたかを、〈人物の指し示し方〉を手がかりに解明しようとする。『土佐日記』『蜻蛉日記』『和泉式部日記』『更級日記』を対象として、登場する人物すべてについて考察した。従来の研究では、「君」「上」などの単一名詞(「1単語」と呼ぶ)のみを扱うことが多かったが、指し示し方を幅広く捉えることが必要であると考え、人物の指し示し方の範囲を「その人物を直接指し示している表現のすべて」とした。例えば、「あづまぢのみちのはてよりも猶おくつかたにおいいでたる」という修飾部分が、「人」に収斂されているような場合、修飾部分を切り離して考えるのではなく、一括した表現(「2単語以上」と呼ぶ)として考察の対象とする。四作品すべての「1単語」「2単語以上」の指し示し方を対照・検討した結果、四作品それぞれに固有の表現意識があることがうかがえた。この方法によって、あらゆる文学作品において、作者が自身もしくは指し示す人物を、どのように位置づけようとしたかを見ることができるのではないかと考えている。
著者
山田 美香
出版者
名古屋市立大学
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.79-92, 2006-01-10

中国では犯罪予防教育が盛んである。2005年に北京で調査した際、法曹界が積極的に学校で法教育を実践していた。また中国の社会科・道徳の授業の指導要領には子どもが犯罪に遭わないためにどうしたらいいのかを第一義に考える項目があり、教科書もそのような構成となっている。その一方で、日本は少年犯罪発生を他人事のように考え、決して学校レベルで解決するという姿は見られない。少年犯罪の対処の方法は中国と日本では大きく異なっている。第一に、中国では犯罪予防の認識が高い。これは中国の社会が多様であり、貧困から犯罪に走ること、自己の権益が守れないこと、日本と同じように都市文化の影響で簡単に非行に走るケースが見られるなど、その対応に追われているためである。第二に、従来から、共産党組織や党の活動が犯罪防止に役立ったが、最近の中国では党主導の活動より学校教育で犯罪予防をする方向にある。第三に、日本では、個人のプライバシーや行政の家庭への介入への蓄積がないことが、問題を放置させる原因となっている。抜本的な改革が必要だと考える。第四に、中国ではモデル地区を選定し、その実施の状況を広く全国に進めていく政策方針を取っている。犯罪予防教育に対する各界の連携も北京市海淀区などは好例だが、各々の機関が協力しあう雰囲気を作っている。日本も各市町村にモデル地区を作るべきではないか。
著者
谷口 幸代
出版者
名古屋市立大学
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.155-168, 2008-06

多和田葉子の戯曲『Pulverschrift Berlin』は、森鴎外の『大発見』を下敷きにしながら、観客を様々な固定観念から解き放ち新しい発見へと導く。本稿はその発見の過程を、言語遊戯と新たな鴎外像の創出という二つの観点から検証する。まず、音の連想、意味の連関などから日本語とドイツ語の間を往還し国家の支配から自由になった言葉が、様々な固定観念を融解することを明らかにした。その中で鴎外の留学目的の衛生学を意味するドイツ語も解体されて日本語へ変身し、多言語の「エクソフオニー」の響きを奏でる。次に鴎外像の創出では、多和田はクライストの翻訳史に関する考察の中で、日本の近代化を推進する意志と近代化に対する批判とを併せ持つ鴎外像を構築しており、この戯曲の鴎外もそれを受けたものと考えられる。続いて作中に挿入された詩の分析へ進み、鴎外がその名のイニシャルを通して、詩の題名でもあるアルファベットの「O」に変身させられるととらえた。それは様々な固定観念から解放されるトンネルの出入り口だと考えることができる。以上から、この戯曲はルイーゼ像が建つ場所をこうした出入り口を発見する可能性に満ちた場所とする。それによって、かつてクライストが詩を捧げたプロイセン王妃ルイーゼに極めて現代的な作品として捧げ直されるべき作品として創作されたと結論した。
著者
有賀 克明 水野 恵子 山田 美香
出版者
名古屋市立大学
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.171-183, 2006-12-24

香港の幼児教育改革で特徴的なのは、幼保一元化(調和)が行政レベルでは既に2004年から開始されていることである。現在の就学前教育・保育は、教育統籌局Education and Manpower Bureauの管轄の幼稚園Kindergarten、社会福利署管轄の幼児園・幼児センターChildcare centerに二分される。2005年9月に両者の行政組織を調和harmonizationさせた。質の高い幼稚園は当然人気が高い。しかし多くの家庭はメイドを雇っていて、その数は20数万人にものぼるため、幼児園(幼児センター)等の役割は相対的に低く、政府による就学前教育への投資は抑制しがちになる。メイドの平均月給は3,500香港ドル(以下、ドルと略称、1ドル=16円程度)前後で、全日制幼児園の平均的な学費2,000数百ドルより高いが、メイドが家事全般をこなしてくれることを考えると割安と言えるので、幼児園よりメイドを選ぶ家庭が多くなるのも当然であろう。