著者
由村 百代
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.51, no.5, pp.406-415, 1978
被引用文献数
1

Bunjir&ocirc; Kot&ocirc; (1856_??_1935) ist einer der Geologen, die zur Entwicklung der modernen Geographie von Japan beigetragen haben.<br> An der Universit&auml;t Tokyo studierte er 1877_??_1879 Geologie. Zu semen Lehrern geh&ouml;rte der deutsche Geolog E. Naumann. Japanisches Kultusministerium schickte Kot&ocirc; nach Deutschland, Geologie zu studieren. 1881/82 in Leipzig and 1882_??_1884 in M&uuml;nchen studierte er Geologie. Im Fr&uuml;hling 1884 kehrte er nach Japan zur&uuml;ck, and 1886_??_1921 hatte er den Lehrstuhl f&uuml;r Geologie an der Kaiserlichen Universit&auml;t Tokyo inne.<br> 1887 ver&ouml;ffentlichte er eine Buchbesprechung &uuml;ber das zweib&auml;ndige Japanwerk von J. J. Rein in der Zeitschrift &ldquo;T&ocirc;y&ocirc; Gakugei Zasshi&rdquo;, and 1908 schrieb er einen Aufsatz &uuml;ber die &ldquo;Neue Geistesstr&ouml;mung in den deutschen Geographen&rdquo; in der Zeitschrift &ldquo;Rekishichiri&rdquo;. Seine eingehenden Kenntnisse in der deutschen Geographie zeigen diese Buchbesprechung and der Aufsatz.<br> Im ersten Band des &ldquo;Journal of Geography (Chigaku Zasshi)&rdquo; 1889 erschien emn Aufsatz unter dem sonderbaren Titel &ldquo;Ich gebe die Definition der Geographie anl&auml;sslich der ersten Ver&ouml;ffentlichung des &lsquo;Journal of Geography&rsquo;&rdquo;. Seine Definition kommt aus dem ersten Kapitel &ldquo;Begrif der Geographie&rdquo; and dem zweiten &ldquo;Die Stellung der Geographie im Kreise der Wissenschaften&rdquo; der ersten Abteilung von F. Ratzels &ldquo;Anthropo-Geographie, I.&rdquo; (1882). Das zeigt, dass schon am Ende der 80er Jahre des 19. Jh. ein Teil von Ratzels &ldquo;Anthropo-Geographie, I.&rdquo; (1882) in Japan vorgestellt wurde, and Kot&ocirc; die Kenntnisse von nicht nur Physischer Geographie, sondern auch der Geographie des Menschen hatte.<br> Sowohl Kot&ocirc; als Ratzel kritisierten, dass die bisherige Geographie nur die Erdbeschreibung gewesen war, and die Natur der L&auml;nder fast vernachl&auml;ssigt worden war. Man kann die Geschichte der japanischen Geographie der Meiji-Zeit nicht verstehen, ohne den Prozess der Einf&uuml;hrung der europ&auml;ischen and amerikanischen Geographie in Japan zu verfolgen. Doch sp&auml;testens in der zweiten H&auml;lfte der Meiji-Zeit waren die deutschen Gedanken &uuml;ber, die Geographie unmittelbar von &ldquo;Anthropo-Geographie, I.&rdquo; (1882) oder mittelbar durch den Aufsatz Kot&ocirc;s eingef&uuml;hrt worden, and sie waren die neuesten Gedanken &uuml;ber die Geographie zu jener Zeit.
著者
土 隆一
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.32, no.12, pp.642-652, 1959-12-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
13
被引用文献数
1 1

静岡市の東南に位置する有度丘陵周辺の地形発達を地質構造にもとづいて考察した.この地域には,古い方から,久能山面,日本平面,国吉田面,現冲積平野面の4 stagesの平坦地形面が認められるが,これらは洪積世初期からの, 4回の海侵によつて生成した地層それぞれの堆積面をあらわし,各面形成の間には顕著な海退期が認められる.一方,この地方では洪積世初期以降,継続的なドーム状隆起が続いており,そのため各地形面は旧期の面ほど強く曲隆し,有度丘陵は背後の山地から離れて冲積原に孤立している.また,丘陵東側および南側に見られる海蝕崖地形の形成時期について,冲積面下の地質,遺跡の資料にもとづいて検討し,前者が洪積世末期,後者が繩紋時代の海面上昇期と推定した. これらの事実から,この地方の地形発達は,海に迫つた急峻な背後山地とそれを侵蝕して多量の荷を運ぶ河川の存在と云う地理的条件のもとに,ドーム状曲隆運動とおそらくGlacial eustasyとが相まつて作用したと解釈することができる.
著者
渡辺 久雄
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.34, no.12, pp.631-649, 1961-12-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
48

本研究の目的は,条里制起源が,これに先行する肝晒地割にあることを明らかにし,中国の肝晒地割形式が,朝鮮を経て,古墳時代にわが国に伝来し,条里制の基盤となつたことを,地割形式およびGeo-magnetochronologyの成果より明らかにすることにある.その:解明の順序は1)条里制と5刊百地割, 2) 東亜における磁石・磁針の問題,3)兵庫県下における条里遺構の復原とGeomagnetochronologyの応用とする. (1) 古い地積単位の残存から,条里地割に先行する一種の地割の存在を考える立場は早くからあつた.しかしそれがいかなるものか,いつ頃実施されたものかについては必ずしも明確にされていなかつた.この点に関して,筆者は条里先行地割が,中国の井田・肝階地割と同系のものと考え,その証明として,地割形式を尺度および進法の変遷から検討した, (2) この種の先行地割方式が,いつ頃わが国で開始されたかという,本論文の表題である起源論について,この種の先行地割が古く阡陌地割と呼ばれていた点から,地割の経緯線は常に東西と南北を指している筈だと考え,中国における古代の方位決定法,ならびに磁石・磁針の問題の解決から出発した.その結果,わが国へも,古墳時代すでに司南と呼ばれる一種の簡易Compassが渡来し,阡陌地割の施行に利用されている可能性を認めた, (3) 条里遺構の復原に関して,筆者の年来の疑問点の一つは,条里地割における経緯線方向の区々なることにあつた.その理由に関する従来の解釈に疑義を持つとともに,あらたな解釈として,磁針を用いたことによつて生.じた当時の地磁気偏角に原因すると仮定した.そのテストとして,兵庫県下における条里地割の経緯線方向の測定値を,近年著しく発達したGeomagnetochronologyの偏角永年変化表に照合し,地割が紀元3世紀より6世紀にわたつて施行されたことを知つた.また結果において,河系ごとに地割施行に関する地域的類型の存在をも認めることができた. 最後にGeomagnetochronlogyが,本論文の起源論の根幹をなすものであるだけに,その客観妥当性を若干の吏実との照合によつて試みた.もちろん100%の妥当性があるか否かは,史実自体の側にも問題がある限り明言できぬが,かなり高い信頼度を認めることができた.しかし今後,全国各地における条里地割への適用をはじめ,各方面における妥当性の検証が必要である.
著者
宮川 泰夫
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.49, no.1, pp.25-42, 1976-01-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
22

大都市零細工業的性格をもった眼鏡枠工業は,今日では,その約80%を地方の町鯖江に於て産出している.この地への導入は,大阪へ出稼者や移住者を出しながら絶えず地場産業を求めていた北陸の一寒村の地域性と東京の名工と大阪の問屋がもつ「都」「市」的機能と地場の低廉な労働力の結合を可能にした増永家の家業性を基礎に置く.明治末に生野に定着した眼鏡枠工業は,大正に入ると同様の地域性をもち帳場の親方の出身地である東部地域に分家的独立の形態をもって展開し,技能と低廉労働力に基礎をもつ村の工業となってゆく.それが昭和になり機械化が進み組立工業的性格を強めながら低廉な技能者の集積によって大阪・東京といった大都市産地との競合に打勝って産地規模を拡大してゆくにつれその生産流通機能の展開に適した新興の町に生産拠点を移し町の工業へと転換していった.戦後は繊維や漆器といった地場産業の展開する町を棲み分けつつ,拡充した町の生産流通機能に主導された町から村へ連らなる一大産地を眼鏡枠工業は形成している.このように眼鏡枠工業の配置は工業がその発展段階に応じて性格を異にする地域を棲み分けることによってもたらされたといえる.
著者
池田 安隆
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.52, no.1, pp.10-29, 1979
被引用文献数
7

大分県中部の第四紀火山地域には,短く屈曲に富んだ正断層が多数発達するが,その多くが地溝をなして分布している.このうちの主要な2つの地溝万年山地溝および速見地溝について,その具体的な発達過程を明らかにすることを試みた。両者は筑紫熔岩の流出後,およそ80~50万年前に活動を始めた.断層運動と並行して地溝内での火山活動があり,万年山地溝では万年山熔岩が,速見地溝では山陰系の火山岩類が噴出した.これらの噴出口の配列から,地溝中心部にはマグマの通り道となった開口割れ目が存在すると考えられる.速見地溝の北西縁では内側の断層の方が外側の断層より活動時期が新しい.これは開口割れ目を境にして両側のブロックが展張していくとすれば説明できる.地溝周辺の隆起も,開口割れ目の生成に伴う周囲の変形として説明できる.地溝を形成する断層運動自体は,開口割れ目の生成に伴う付随的な運動であろう.
著者
杉浦 芳夫
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.50, no.4, pp.201-215, 1977-04-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
24
被引用文献数
1 1

大正期に世界的規模での流行をみたスペインかぜのわが国における流行過程は,これまで不鮮明であるとされていた.本稿は,その拡散経路を推定しつつ,この点の再検討を行なうことを目的としている.日本帝国死因統計を資料として, 1916年7月~1926年6月の10か年の各月ごとの府県別インフルエンザ死亡率を因子分析にかけた結果, 3つの流行地域が抽出された.それによると,第1因子は西日本地域,第2因子は都市地域,第3因子は東日本地域を識別していることがわかった.そして,因子得点間のクロス相関から3つの流行地域の時間的前後関係を検討してみると,スペインかぜは,西日本の主要港湾ならびに横浜港から侵入した可能性のあることが示唆され,その拡散過程において近接効果と階層効果が働いていたことも明らかとなった.以上の分析結果は,従来の通説とは異なり,わが国におけるスペインかぜの流行過程に,一の空間的秩序のあったことを意味するものである.
著者
竹内 淳彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.39, no.10, pp.665-679, 1966

戦後,北九州工業地域の国内的地位の低下の実態と要因を明らかにした.<br> 1. 全地域生産額の75%を占める八幡製鉄など臨海部重化学工業の停滞は筑豊炭の重要性の減少,大陸貿易の中止などによって有利性を失っている上に,巨大な固定設備を要するこれらの工業の新規投資が市場条件などにより他地域に行なわれているためである.<br> 2. 三大工業地帯では生産の中心となっている機械工業部門が,当地域では筑豊炭田・八幡製鉄・小倉兵廠などの発展条件を有しながら4部門合せて11%と全く低調である.これは親企業の自己完結的生産体系によって素材加工部門や部品生産のための下請,再下請群などの生産体系が養成されていなかったためである.今日,耐久消費財部門の成長が全くみられないのもここに原因がある.<br> 3. 日用消費財部門が全く欠如している.これは, (1)八幡製鉄の消費財充足形態が成立の事情などから地元に消費財部門を養成しなかったこと, (2)八幡製鉄が諸雑作業のために,日用消費財生産を支えるべき多くの低位労働力を吸収してしまっていること,および, (3)臨海工場によって埠頭が占拠される結果,雑貨取扱を不振とし,ライナーポート化を困難にするため,港依存の雑貨工業の発達が抑圧されたこと,などによるものである.<br> 4. 北九州の停滞はわが国臨海型重化学工業地域の発展の限界を示す最初の事例と考える.
著者
中山 正民
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.27, no.12, pp.497-506, 1954-12-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
15
被引用文献数
1 1

There have been made public many papers on the roundness of gravel, but no work has so far been done on various sizes of gravels over a long distance in field. However, in order to make clear the relations between roundness and transportational agency it is necessary to investigate these factors. The purpose of this paper is to clarify the change in roundness of various sizes of pebbles over a distance and the relations between roundness and size in particular stations. The investigation was made in the river-bed of the Tanla River extending over about 60km. from Hikawva to Futako-Tamagawa and 12 sampling stations were selected there. The mathod of measuring is as follows: First samples are divided into four clesses, those of 61_??_. 32_??_. 16_??_. and 8_??_mm. in diameter respectively, and next, about 150 graywacke pebbles of each class were photographed and then the roundness was measured by the method developed by Wadell. The results are as follow: (1) The number of pebbles necessary for measuring mean roundness was determined in the following way. At Ome, where the frequency of roundness seems to be most complex, the relations among number and mean roundness and confidence interval were elucidated (Tab. 1). The table shows that the smallest number with small confidence interval is approximately 150. (2) The roundness of pebbles is not always the function of transported distance as shown in fig. 2. Where the detritus from valley walls are mixed with transported gravels in the upper reaches, the roundness decreases abruptly. The location where the roundnesss suddenly decreases is different according to pebble size. For the size of detrital materials differs according to the density of crack or joint spacing which differs as the outcropping locality differs. (3) In the lower reaches there are locations where the roundess of pebbles increases abruptly. The location where the roundness increases abruptly lies in comparatively upper streamn in case of larger pebbles and in comparatively lower reaches incase of smaller pebbles. It is probable that laorger rabbles change first the mode of heir downward shifting by decrease of the gradient of river course and friction acts on them earlier than it does on smaller pebbles. (4) The relation between size and roundness is not always expressed as y=mxn, where y is roundness, x is size, n is a coefficient, and. in is a constantas shown in fig. 3. In the upper reaches where the detritus from the valley walls are mixed with river gravels, no relation like this can be found or the converse relation is observed. At each sampling station in the river-bed from Ome to Futako-Tanzagawa, roundness of pebbles of 8_??_4mm. in size is remarkably lower than that of larger pebbles. This fact suggests that pebbles of a size of 8_??_4mm. are transported by saltation, while the larger pebbles by rolling or sliding in the reaches above-mentioned.
著者
土井 重彦
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.49, no.2, pp.94-103, 1976-02-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
7

地域的道路網構造はその交通流特性によって階層型をとる.このような道路網構造の空間的変異は地域特性に起因している.しかも,その空間的変異を規定する地域特性は道路網の階層ごとに相異っている.以上のことを主旨とする地域的道路網構造の空間的変異モデルをクリスタラー空間のK7組織をもとにして構築する.ついで,日本のいくつかの地域を選定し,単純な相関分析によって,道路網構造と地域特性の関係を明らかにする.そして,このモデルの現実性を検定してみる.
著者
長島 弘道
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.42, no.1, pp.60-75, 1969-01-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
6
被引用文献数
1 1

戦後の日本農業のひとつの特色は商業的農業の著しい発展である.本稿では,成長部門の一環として養鶏業をとりあげ,その発展過程,経営形態を中心に検討を試みようと思う. 養鶏業には二つの発展期が認められる.第一期は昭和20年代後半であり,第二期は30年代後半である.前者は飼料事情の好転と鶏卵市場の拡大によって飼養羽数が増大した時期であり,後者は農業経営の体質改善という農村内部からの動きによって養鶏が導入され,専業化が進んだ時期である. 今日,養鶏には副業養鶏を別にして,専業養鶏,企業養鶏,協業・集団養鶏の三つの経営形態がある。専業養鶏は家族労働を主体としているのに対して,企業養鶏は常時雇用労働力を導入している.両者とも大.市の近郊に立地しているが,最近企業養鶏は外延的に立地移動し,分散化の傾向がみられる.協業.集団養鶏は全国的に分散している.
著者
上田 信三
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.11, no.7, pp.616-630, 1935-07-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
7

The Hida Range (about 3000m height) runs from N to S at the NE extremity of the Inner Zone of South-western Japan. Near the peaks of this range, between 2800m and 2300m, are remnants of the old erosion surface that were completed during the previous cycle. They are surrounded by steep valley walls of “aufsteigende Entwicklung” (Fig. 1) that show recent rapid uplift of the mountain land (Fig. 3). The two Rivers Kurobe and Takase flow from S to N, dividing this range into two or three parallel mountain chains. The longitudinal profiles of the valley floors (Fig. 2, 7), which are steep in the uppermost part, become gradually gentler, and at 1500-1300m have already graded slope of full maturity. These erosion levels are called Upper Stream Levels (Daira. Level in the R. Kurobe and Yumata Level in the R. Takase). In their middle parts the inclination becomes again very steep and the valley form changes into young narrow gorges (Fig. I IV is a transverse section of the Daira Level, while II and III are those of the gorge). Here we find many knick points, which are called Middle Stream (or Simorôka in the R. Kurobe) Knick Points. The tributaries of these rivers also belong to the same type (Fig. 3). The author traced and reconstructed the older erosion levels in the valley floors, which were formed during a stationary period of the earth movement. From these data he concludes that there were two phases of elevation -Pre- and Post Upper Stream Levels in this district.

1 0 0 0 OA 書評等

出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.78, no.2, pp.126-132,i_2, 2005-02-01 (Released:2008-12-25)

1 0 0 0 OA 書評等

出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.75, no.8, pp.544-552,iii, 2002-07-01 (Released:2008-12-25)
著者
河内 伸夫
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.49, no.1, pp.43-53, 1976-01-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
31
被引用文献数
1

中国山地の穿入蛇行の分布,蛇行の波長と流域面積との関係,穿入蛇行の成因,地質との関係を検討したが,結果は以下のようである. 1) 穿入蛇行には侵蝕平坦面自体を刻むタイプと,侵蝕平坦面の境界付近に発達するタイプがあり,前者は掘削蛇行ないし生育掘削蛇行を示しており,侵蝕平坦面上の自由蛇行より受け継がれた可能性が高い.後者は一般に生育蛇行を示し,必ずしも自由蛇行から受け継がれたと考える必要はない. 2) 穿入蛇行の波長と流域面積との関係は,欧米とほぼ同じであるが,穿入蛇行と自由蛇行の波長の関係は,中国山地に気候変化による明白な無能河流がないことを示す. 3) 古生層地域と花崩岩地域の穿入蛇行を比較すると,谷幅,攣曲度とも一般に前者の方が小さく,またより規則的で滑らかな彎曲を描いている.
著者
坂口 慶治
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.47, no.1, pp.21-40, 1974-01-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
8
被引用文献数
2 1

丹波高地東部の由良川中流域に生じた廃村3例をとりあげ,それらの比較研究によって,廃村化の過程と機構を解明しようと試みた. ここは,太平洋・日本海両斜面を流れる諸河川の源流域とは対照的に,近距離指向離村の性格が著しく,集団離村もその一環として実現したものと考えられる. 3廃村についてみれば,それらの立地環境,とくに隔絶性の強弱が廃村化に重要な影響を及ぼしたことが判明した.すなわち隔絶性が強ければ,生活利便指向性の上層先行型近距離離村が生じ,耕地保留離村が多いために耕地が荒廃しやすく,それによって廃村化が促進される.これに対し,隔絶性が弱ければ,経済指向性の下層先行型遠距離離村が生じ,集落はさほど動揺しないけれども,他面では村外者の耕地所有率が高くなりがちである.このような傾向が強まった場合は,経済変動による一斉的な耕地放棄が生じて,廃村化を促す.そしてこれらの荒廃過程は,集落形態や所有耕地の分布形態と密接に関わりあっており,また,各村落のコミュニティ形態との間にも強い関連性が認められる.
著者
田中 恭子
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.55, no.7, pp.453-471, 1982-07-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
22
被引用文献数
5 3

第2次世界大戦以前に都市化が終了した中野区中央3・4丁目と,大戦前・後にまたがって都市化が進行した武蔵野市西久保の2地区において,都市化に対応した農民の土地供給形態と,その後,現在に至るまでの旧農民の土地所有と土地利用の変遷を比較した.戦前の住宅は主に借地上に建設されたため,中野区の農民は耕地を貸宅地に転換し,宅地地主となった.ところが,武蔵野市の場合,中野区と同様に終戦までに宅地地主に転じた農民も存在したが,終戦後も農業を継続していた約半数の農民は, 1960年前後から土地を切り売りしはじめ,やがて種々の不動産経営を展開するようになった.現在,両地区とも農業生産は消滅し去った市街地となっているが,旧農家の貸地上に宅地化が進展した中野区では高層・高密度化が進み,一方,武蔵野市では今なお旧農家が所有する駐車場などの土地がオープン・スペースを提供している.つまり,第2次世界大戦の前・後で農民の土地供給が貸地から土地売却へと変質した結果,戦前の都市化地域と戦後の都市化地域では市街地の土地利用パターンも著しい対照を呈するようになった.
著者
鹿野 忠雄
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.11, no.12, pp.1027-1055, 1935-12-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
4