著者
丹羽 博之
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学論集 (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.23-31, 2007

本稿は、一海知義先生主催の「読游会」(南宋の詩人陸游の詩を詳しく読む会)発表後の研究報告である。発表の際、議論になった「青氈」の語について調べると、「青氈」には、王之敬(王献之の字"王義之の子。三四四〜三八八)の逸話がある。その逸話が白楽天や陸游の詩にも見える。更にこの逸話が日本文学にも利用されていることが判明した。本稿では、その経緯を述べる。会でのやりとりの詳細は仮題『続・一海知義の漢詩道場』(岩波書店〇八年八月刊行予定)を参照されたい。
著者
古田 榮作
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学論集 (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.(85)-(107), 2011

日常語となっている「地獄」は、梵語 niraka 奈落、niraya 泥梨の訳語として日本語になっているが、この語の概念はアッシリア・シュメール文化起源のものであり、インドに移入されたものである。「善因楽果」「悪因苦果」と説く仏教に取り入れられたのである。『ダンマパダ』はその一章を「地獄の章」(Niraya-vagga)としている。釈尊の時代にどのように「地獄」が位置づけられ、どのように仏教の一つの重要な概念としてまでたかめられたのであろうか。六道の最下層に置かれる地獄が、悪因の苦果として描かれ、さらにはどうもがこうとも休むことなく続く苦しみを受ける avici 阿鼻地獄、無間地獄までもがリアルに描かれている。しかし悠久の転生によりそこからの他の六道への移行も否定はしない。『ダンマパダ』の「地獄の章」を中心として、地獄がどのように描かれ、どのような者が「地獄」に墜ちるのだろうかを考察した。
著者
芦原 直哉
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学論集 (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.317-337, 2008

本稿の目的は交渉が人類社会発展に果たしてきた役割を明らかにし、その歴史認識に立ってこれまでの交渉の定義を見直し、21世紀の社会が正しく発展していくための交渉のタイプを明示することにある。最初に、人類の発展は協力関係による分業の歴史であり、分業を成り立たせたることを可能にしたのは人類が営々と行ってきたコミュニケーションとしての交渉であることを論ずる。次に、その歴史的認識を踏まえこれまでの交渉についての定義である相互の妥協に基づく分配という定義ではなく、新しい定義として「交渉とは、複数の交渉当事者が共通目的を達成するために、コミュニケーションを通じて協力関係を構築し、協働によって価値を創造し双方の問題を解決することである。」とした。最後に倫理観と交渉者双方の交渉目的と利害の関係軸を使って5 つの交渉タイプに分類して今後のあるべき交渉タイプを模索した。結論として、社会の協力関係に基づく分業という観点に立ち返り、従来の交渉タイプである分配型交渉を利害交換型交渉へ、更には共利協働の理念に基づく問題解決型交渉及び最高レベルの交渉である価値創出型交渉に転換するべきであると論じる。
著者
田中 紀子
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学論集 (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.187-202, 2008

John Steinbeck の小説Of Mice and Men は、1930年代のカリフォルニアの農場を渡り歩く労働者二人の友情を中核とし、彼らの夢とその崩壊を描いた作品である。最初の映画化は1939年に行われ、それ自体の評価は良かったが、原作との違いには喜ばしくない点も見受けられる。それ以後1992年にはGary Sinise 監督・主演で新たに制作された映画は、概ね原作に忠実だと認められてはいるが、それでもいくつかの変更箇所が目につく。本稿では、小説のテーマである孤独、それを表わす人物であるCandy とCrooks とCurley の妻、さらにオープニングとエンディングの描き方についてこの1992年版の映画と比較し、原作者の意図と照らし合わせながら検討する。
著者
仲野 好重 桜本 和也
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学論集 (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.177-195, 2009

大学の初年次教育の一環として「自分探しの心理学」という科目を位置づけ、それを履修する大学一年生の自己認識に対する精神的変化を量的および、質的に分析することを目的においた。関西にある共学の四年制大学で上記の科目を履修している大学一年生100名に対し、学期の初めと終わりに、(1)自己肯定意識尺度、(2)自己受容測定尺度、(3)多次元自我同一性尺度を実施した。また、毎授業の終了時に、学生は授業内容に即したコメントメモを提出し、その日の授業で学んだことがらを中心に、自己の内面を見つめる機会が与えられた。これらの3尺度の結果とコメントメモの内容から、学生たちの自己意識の変容を分析した。まず3尺度すべてにおいて、授業開始時に比べて終了時では、平均値の有意な上昇が認められた。すなわち、本講義を受講した学生たちは、自己肯定意識、自己受容、及び自我同一性の形成において有意に促進されたと考えられる。その要因はこの授業だけにあるのではなく、学生生活におけるさまざまな体験が複合的に作用していると考えられるが、自分探しに焦点をあてた授業内容が何らかの精神的変化の契機になっていたのかもしれない。また、コメントメモから得られた質的データは、学生の心の動きを詳細につかむ助けとなっており、自己の肯定的側面の発見や自己受容がうながされた授業の直後には、大きな心理的変化を示す学生が多数存在していた。
著者
萩原 美智子 一棟 宏子 中野 迪代 戸田 聡子
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学論集 (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
no.11, pp.43-60, 2010

住宅の長寿化と資産価値の維持に向けて居住者支援の体制作りを考えるために、米国では居住者がどのように住宅の資産価値を維持・向上させているかを明らかにしようと試みた。方法は、1988年に調査されたカリフォルニア州の戸建て住宅93戸の22年後の変化を、1)住宅開示情報から93戸の2010年時点での住宅の状況と査定価格などと、2)再訪問8戸の改修履歴、資産価値維持のための行動、資産価格の推移などに関するアンケートとインタビュー調査からみた。その結果、1)住宅の資産価値は築年とは関係がなく、2)定期的なメンテナンスや改修によって維持されており、3)居住者の資産価値維持・向上に対する意識も強い。また4)居住者自身が改修を行い易い状況(専門家との共同作業・部材のカタログ販売など)や税制面でのインセンティブがある。更に、5)設備の刷新や住要求の変化に対応しやすい住まいづくりが、資産価値維持のためのリフォーム行為を支えていることが分かった。
著者
アンドウ シャーリー 宮川 真子
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学論集 (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.A1-A7, 2007

明治維新ならびに、第二次世界大戦敗北が主な引き金となって、日本は欧米の文明に習った近代化を急速に推し進めた。その結果、民主的政治形態が確立し、科学技術や産業もめざましい発展を遂げた。経済も急速に発展し、多くの国民が物質的な豊かさを享受できるようになった。反面、「欧米に追いつき追い越せ」のスローガンの下に始まった近代化の思想が、日本より欧米の方が優れていると考える傾向を生み、日本が自信と誇りを失ってしまったようだ。「校内暴力」、「いじめ」、「引きこもり」、「学級崩壊」、「モンスターペアレント」などの社会問題は日本でも深刻の度を増しているが、アメリカではすでに半世紀前から問題となっていた。さらに現在急速な経済発展を遂げている国々でも同様の問題が起き始めている。著者らはこの点に着眼し、上の社会問題と日本が大きな影響を受けたと考えられる西洋文明の物質的側面との関連を検証し、それぞれの異なった観点や分析を開示し、その解決法を模索した結果がこの論文である。今回は、アンドウが論点を解説し、宮川がその論を展開した前半部分を提示している。宮川は日本の社会問題の解決を、欧米に見習うだけでなく、日本古来の精神文化の再評価を通して日本人であることに自信と誇りを取り戻し、現代社会に役立てる知恵を自らの文化の中に見出すことによって独自の問題解決を試みることを提案する。これに対してアンドウは、上の現象は近代化の過程でどうしても避けられないもので、日本固有のものとは捉えがたいという観点から、次回の論集においてその論を展開する。
著者
吉田 暁史 横谷 弘美
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学論集 (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.237-257, 2009

学術情報流通の変化は、特にデジタル環境においてめざましいものがある。デジタル資源については、メタデータが適切に作成・利用されることによって効率よく活用できると考えられ、異なるシステム間でメタデータを共通利用するために定められた規格がOAI-PMHである。本稿では、学術情報の流通面からみた必要性、規格としての技術仕様、活用事例といったことを広く取り上げる。特に、OAI-PMHとダブリンコアとの関係、横断的検索機能実現との関わりを論じ、そして、より質の高いメタデータの活用のために、その記述内容・質的水準に関わる規定等についてはどうあるべきか等が引き続き問題となることを指摘する。
著者
太田 素子
出版者
大手前大学
雑誌
大手前大学論集 (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
no.14, pp.31-40, 2013

パーティをキーワードにして、ヴァージニア・ウルフ(Virginia Wbolf)の作品を読み解こうと試みる。パーティはウルフの作品に於いて重要な役割を果たしていながら、これまで、必ずしも正当に評価されてきたとは言えない。しかし、例えばパーティの催される1日を描く『ダロウェイ夫人』(Mrs.Dalloway)では、「瞬間」("themoment")を捉える特有の儀式として、パーティが効果的に用いられている。そこでは、もろさと表裏をなしながら至福の「瞬間」が鮮やかに定着されている。ウルフが、個我や自我に収敏したいわば閉塞的な世界を描いた作家と思われている一面で、常に社会との関係を意識し続けていたことを再考するひとつの試みでもある。パーティ空間を媒介にして、人は社会と幸福に関係を保とうとするが、そうはできない時代や個人の意識のため、様々なアンビヴァレントな意識を感じていると言える。パーティの準備に始まりパーティのクライマックスで終わる『ダロウェイ夫人』をとりあげて、G.ジンメル(Georg Simmel)や山崎正和の「社交論」、C.エイムズ(Christopher Ames)のパーティ論を踏まえつつ、ヨーロッパ近代の社交とウルフのパーティ空間について考える。
著者
松井 博司
出版者
大手前大学
雑誌
大手前大学論集 (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
no.13, pp.127-134, 2012

大学に初めてスイーツ学専攻が開設された意義は何かを問う。スイーツの定義から始まり、大学教育としてスイーツ学を学ぶ根拠を明確にする必要がある。さらに、スイーツ学の学術体系を構築すべき内容について論じる。
著者
柏木 隆雄 Takao KASHIWAGI
出版者
大手前大学
雑誌
大手前大学論集 (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
no.15, pp.43-65, 2014

昭和初期から30年代後半にいたるまで、抒情詩人として活躍した三好達治の詩業は多くの詩集に窺われるが、詩作の根底に彼が学んだフランス語詩の影響がある。人口に膾炙する彼の『測量船』中、取り分けて有名な「雪」と「甃のうへ」の両詩について分析を試み、「甃のうへ」については、フランス詩とのかかわりで新たな視点を得ようとする。またジュール・ルナールやフランシス・ジャムの詩の読書体験から、三好の詩作に与えた影響を探る。さらにその詩的生涯において特記すべき、福井県三国町での戦中・戦後の生活についても考察を加える。
著者
Ando Shirley
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学論集 (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.33-42, 2009

「日本人論」は、単なる理論の枠をこえ、日本社会そして個々の日本人が毎日の生活の中で体現している生きた「現実」である。それは、日本人自身の自画像や日本という国のナショナルアイデンティティを生みだすための大切な役割を果たしている。日本文化やその「特殊性」を、単純明快に表現するときに使われることも多い。また、文化的アイデンティティを守り、創りだし、あるいは強化することによって、世代を超えた国家共同体の重要性を強調する。
著者
丹羽 博之 Hiroyuki NIWA
出版者
大手前大学
雑誌
大手前大学論集 (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
no.17, pp.1-10, 2016

鳥居枕作詞・瀧廉太郎作曲の「箱根八里」は、明治三十四(一九〇一) 年三月刊の『中学唱歌』に於いて発表された。一箱根の山は天下の険 谷関も物ならず万丈の山千初の谷 前に聾え後に支う雲は山を廻り 霧は谷を閉ざす昼猶暗き杉の並木 羊腸の小径は苔滑らか一夫関に当るや 万夫も開くなし天下に旅する剛毅の武士大刀腰に足駄がけ 八里の岩根踏み鳴らす斯くこそありしか 往時の武士二箱根の山は天下の阻 蜀の桟道数ならず万丈の山千初の谷 前に聾え後に支う雲は山を廻り 霧は谷を閉ざす昼猶暗き杉の並木 羊腸の小径は苔滑らか一夫関に当るや 万夫も開くなし山野に狩りする 剛毅の壮士猟銃肩に草鮭がけ 八里の岩根踏み破る斯くこそありけれ 近時の壮士「箱根八里」の歌詞は、「函谷関も物ならず」「万丈の山」「千初の谷」= 夫関に当るや万夫も開くなし」「蜀の桟道数ならず」等、いかにも明治うまれらしく漢詩漢文の影響を受けている。ふとしたことから、『新修漢文新制版巻二』(昭和十二年七月印刷昭和十六年八月修正印刷)を読んでいると、草場侃川(一七八八〜一八六七) の「山行示同志」詩に目が留まった。以下にその詩を挙げる。路入羊腸滑石苔 路羊腸に入りて 石苔滑らかに風従鮭底掃雲廻 風鮭底に従ひ 雲を掃ひて廻る登山恰似書生業 山に登るは 恰かも書生の業に似たり一歩歩高光景開 一歩歩高くして 光景開く一読、起句は「箱根入里」とそっくりである。これは偶然の一致とは考えにくい。鳥居枕が箱根の険を表現するときに、草場の詩を利用したことはあきらかであろう。承句の「掃雲廻」「鮭底」は「箱根八里」の「雲は山を廻り」「猟銃肩に草鮭がけ」に似通う。当時は先行作品を上手に利用するのが常套手段。寧ろ、いかに先行作品を利用するかが作者の腕の見せ所であった。また、「箱根入里」の出だしの「箱根の山は天下の険」は白楽天の「夜入崔唐峡」の冒頭「嬰唐天下険」を参考にしたものと考えられる。嬰唐峡の上流には、蜀の桟道がある。草場の詩は、山行に託して、学問は上達するに従い物の見方が広くなることを同志に説いたものであり、教訓的・勧学の詩であり、旧制中学生が学ぶにはまことにふさわしい教材と言えよう。「箱根八里」も『中学唱歌』に発表されたということは、旧制中学の唱歌の時間に歌われていたのであろう。明治期の極めて優秀な旧制中学生は、この唱歌を歌いながら草場の詩を想起していたであろう。唱歌を歌いながら、草場の詩を頭に思い描き、学問の深さに憧れ、上級の学校に進み学問の奥深さを早く体験したいと思っていたのではないか。
著者
石毛 弓 Yumi ISHIGE
出版者
大手前大学
雑誌
大手前大学論集 (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
no.16, pp.1-14, 2015

さまざまな哲学者たちが人格の同一性に関する論を展開しているが、なかでもデレク・パーフィットは彼独特の一種ラディカルな見解を示している。それを端的に示せば、「人格の同一性は、私たちの生存にとってもっとも重要なものではない」になるだろう。この見解は彼自身が認めている通り、一般的な経験からすると受け入れることが難しいものである。本論は彼がこの見解に至った過程を考察するとともに、その妥当性を功利主義の観点から検討する。まずパーフィットにおける人格の同一性の概念を、彼の論に沿って「非還元主義」と「還元主義」に分けて解説する。非還元主義とは、人格はなにかによって説明され得るものではなく、それそのものとしか表しようがないとする考えを指す。他方、還元主義では、人格の同一性はなんらかの経験的なものによって説明され得るとみなされ、彼自身の考えは大きくくくればこちらに与する。人格の概念に対してパーフィット流の還元主義を選択した場合とそうでない場合では、私たちの思考や態度は変化するだろう。後半ではこの変化をとくに功利主義の観点から追い、人格に対する彼の主張を検証する。
著者
山口 正晃 Masateru YAMAGUCHI
出版者
大手前大学
雑誌
大手前大学論集 (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
no.17, pp.11-45, 2016

三国魏において制度化された都督制は、若干の変化を見せながらも、次の西晋王朝まで大枠としては変更なく受け継がれた。その制度上の特徴について明らかにすることが、本稿の主題である。具体的には、(1)魏晋期都督制の制度内容について最もまとまった記述のある『晋書』職官志の分析、(2)都督制に付随する「節」という権力標識から見た都督制の成立経緯、(3)都督制の実際の運用状況、(4)軍隊組織における都督の位置づけという四つの視点から、検討を加える。その結果、都督制が将軍の地位下落を契機として出現した制度でありながら、実際にはその制度上の基盤は却って将軍に存すること、すなわち都督とは独立した官職ではなく、将軍が持つ「肩書き」であることが判明した。この結論は、二つの点において先行研究に対する独自の意義を有する。一つは、漢末三国に将軍号が虚号化して軍事長官の座から転落したという従来の理解に釘を刺し、西晋期まで「一軍」の長官としての地位はなお保っていたことを指摘した点。いま一つは、一部の研究者に見られる都督の主体を刺史・太守と見なす誤解を正し、現実に刺史・太守が都督を兼任する場合はあるものの、それは将軍号を持つ刺史・太守であって、制度的に都督が付与されるのはあくまでも将軍に対してであることを論証した点、である。
著者
松原 秀江
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学論集 (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.(47)-(74), 2008

『たけくらべ』の中の「子どもたちの時間」は、吉原界隈の当時の大人(親)たちの価値観や暮しの中にあること、また一葉の分身と思われる信如と美登利には、一葉の家族や文学に対する様々な思いのこめられていることを、古典とのかかわりの中で述べた。
著者
松原 秀江 Hidee MATSUBARA
出版者
大手前大学
雑誌
大手前大学論集 (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
no.17, pp.65-92, 2016

数え年十歳で、近世の名家・葛野流大鼓師の娘だった母・すゞを失った鏡花にとって、すゞの長兄・孫惣の未亡人・ちよとその娘たち、特にすゞ同様江戸生まれのふみが、代々伝えて今はない鼓の精として、紅葉を師と仰ぐ鏡花の作家としての成長に深くかかわることを、清次とすゞの出会いのきっかけも含め、能とのかかわりの中で述べた。
著者
大沼 穣
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学論集 (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.A33-A55, 2007

公益事業の民間開放を進めてきたEU・欧州委員会は、なぜ水道セクターに限って自由化指令を断念せざるをえなかったのであろうか。確かに途上国インフラブームの終焉によって、水道企業は先進国市場を求めていた。しかし西欧では水道公営の伝統を持つ国々も多く自由化への抵抗も強い。またさまざまな民間的経営手法も普及し始めており、さらには水道企業自体が水道部門の比重を低下させ多角化を進めているなどの理由により、EU水道セクターに強制的に競争を導入するかしないか、という選択肢が水道企業にとって重要性を失っていったと考えられる。しかし対外的にEUが市場開放を求め続けていることには注意を要する。