著者
山崎 晃男
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学研究紀要 (ISSN:21860459)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.73-81, 2013-01-31

音楽と絵画が同時に提示された時の音楽と絵画の相互作用について検討した。実験1では、25名の参加者が15種類ずつの音楽刺激と絵画刺激に対する印象評定をおこない、できるだけ印象がばらけるとともに音楽と絵画の印象の強さが揃うようにという基準で、実験者が5種類ずつの音楽刺激と絵画刺激を選択した。実験2では、それらを組み合わせて提示し、実験1に参加した23名の参加者が各刺激の印象評定をおこなった。実験の結果、明暗の印象に関して、音楽と絵画の印象が大きく異なっているときに、音楽の印象に近づく方向に絵画の印象が変化していることが示された。音楽が絵画の印象に与える影響の大きさと絵画が音楽の印象に与える影響の大きさを分散分析によって比較した結果、明暗の印象に関しては音楽の影響の方が絵画の影響よりも有意に大きく、迫力の印象に関しては音楽の影響の方が絵画の影響よりも大きい傾向が見出された。
著者
神村 朋佳 Tomoka KAMIMURA
雑誌
大阪樟蔭女子大学研究紀要
巻号頁・発行日
vol.7, pp.51-62, 2017-01-31

アイルランドの昔話「ノックグラフトンの伝説(The Legend of Nockgrafton)」におけるアイルランド語の歌について、日本語訳に初歩的な誤りが見られたこと、二種の日本語訳書で歌詞に揺れが見られたことから、石井桃子訳、井村君江訳と、二訳書の原書とみなされるJacobs、Yeats、Croker の英語原書三種を比較検討した。その結果、アイルランド語に関する語釈の誤りは、英語圏に最初にこの話を紹介したと目されるCroker 版の本文および注記に起因しており、それが後続の編著者、翻訳者によって、修正されることなく踏襲されてきた可能性が高いと推測できた。また、このことから、アイルランドの昔話の英語、日本語への翻訳、紹介、その受容の諸相における様々な問題点が浮かび上がってきた。そこで文献資料のみならず、音声資料も含めた資料の収集と比較検討を進め、子どもに語るにふさわしい、正確でよりよい翻訳、再話の可能性を追求したい。
著者
中 周子
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学研究紀要 (ISSN:21860459)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.3-12, 2013-01-31

田辺聖子が樟蔭女子専門学校時代に書いた「十七のころ」の自筆原稿が発見され全文が公開された。従来、自伝小説『しんこ細工の猿や雉』の中に紹介されて題名だけは知られていたが、所在も全文も不明であった作品である。本論文は「十七のころ」の本文を分析し、後の田辺文学に通じる手法や主題が見いだせることを指摘した。すなわち、田辺聖子の得意とするユーモアに満ちた軽妙洒脱な文体、大阪弁を駆使した巧みな会話による人物形象、田辺聖子が一貫して書き続けた戦後の女性の生き方という主題である。さらに、十七歳で終戦を迎えた体験から、十七歳が田辺聖子にとって特別な意味を持つこと、自伝小説『欲しがりません勝つまでは』の中に描かれた、自らの意思によって真の人生を歩み始める十七歳の少女の原型が、「十七のころ」の主人公であることを指摘した。「十七のころ」は田辺文学の原点と位置づけられる作品であることを論じた。
著者
川上 正浩
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学研究紀要 (ISSN:21860459)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.47-53, 2013-01-31

言語の認知過程研究においては、視覚呈示された単語のみならず、それと正書法的に類似した単語である類似語(Coltheart, Davelaar, Jonasson, and Besner, 1977)も同時に活性化することが示唆されている。この問題の検討に際しては実験者は何らかの語彙基準を参照し、類似語数を操作することになる。しかし、こうした操作そのものの妥当性を受け入れる前に、辞書などの外在基準に基づく類似語数が実験参加者の心的辞書における類似語数と対応していることを確認しておく必要がある。本研究では、川上(1997)が報告している資料に基づく漢字二字熟語の類似語数と、漢字一文字を手がかりとして、実験参加者が産出可能な漢字二字熟語の数とが対応しているのか否かが吟味された。229名の実験参加者を対象とした実験の結果、川上(1997)に基づく類似語数と実験参加者が産出した漢字二字熟語の数との間に対応が認められた。この対応は、川上(1997)が参照した辞書である岩波広辞苑第四版と実験参加者が有する心的辞書との間に対応があることを示していると解釈された。
著者
川上 正浩 小野 菜摘 佐々木 美香 西尾 麻佑
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学研究紀要 (ISSN:21860459)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.95-103, 2012-01-31

本研究では、読み(音韻)から漢字(形態)への対応について、人間の反応に基づいたデータベースを構築することを目的とした。具体的には、仮名一文字で表記される特定の音韻(読み)から想起される漢字のバリエーションについて明らかにすることを目指した。実験参加者169 名を4 つの群に振り分け、それぞれの群に、仮名一文字で表される15 個の音韻を呈示した。30 秒の制限時間内に当該音韻から想起される漢字一文字のデータベースを作成した。集計の結果、本研究で対象とした仮名一文字のうち、もっとも多くの漢字が想起されたのは「か」(4.98)であり、もっとも少ない漢字が想起されたのは「ぬ」(0.80)であった。これは各実験参加者の想起漢字数であるが、想起された漢字のバリエーションについては、「か」(46)がもっとも多く、「せ」(3)がもっとも少なかった。
著者
川上 正浩 坂田 浩之 Masahiro KAWAKAMI Hiroyuki SAKATA
雑誌
大阪樟蔭女子大学研究紀要
巻号頁・発行日
vol.6, 2016-01-31

全項目を対象に因子分析を繰り返し、10 因子解 (73 項目:表1)を採用した。第1 因子はメディアで 喧伝される不思議現象に対する懐疑である"懐疑"因 子、第2 因子は神仏や霊の存在を信奉する"スピリチュ アリティ信奉"因子、第3 因子は不思議現象を楽しむ 態度である"娯楽的享受"因子、第4 因子は占いやお まじないを嗜好する"占い・呪術嗜好性"因子、第5 因子は自ら知覚する社会的現実を根拠に宇宙人や霊の 存在を否定する"社会的現実を根拠とした否定"因子、 第6 因子は霊体験の有無を表す"霊体験"因子、第7 因子は血液型性格判断に端を発する社会的問題を危惧 する"血液型性格判断に対する批判"因子、第8 因子 は事件の件数等の事実に基づき、霊や霊能力の存在を 否定する"事件の頻度を根拠とした否定"因子、第9 因子は不思議現象に対する恐怖である"恐怖"因子、 第10 因子は問題の原因を前世に帰属することに対す る否定的な"前世帰属に対する否定"因子であると解 釈された。以上の10 因子は、旧尺度の6 下位尺度に、 社会的現実を根拠とした否定、血液型性格判断に対す る批判、事件の頻度を根拠とした否定、前世帰属に対 する否定の4 下位尺度を加えたものであると解釈でき る。 *この研究は、日本心理学会第79 回大会において発 表された。
著者
山本 一成
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学研究紀要
巻号頁・発行日
vol.5, pp.43-50, 2015-01-31

本論文は、保育者と子どもが経験世界を共有することが可能であるかという問いについて、自然実在論に基づく哲学から応えていこうとするものである。実在論の哲学と実践との関係は、知覚の問題に焦点を当てることで結ばれることとなる。本論では、ギブソンのアフォーダンス理論を自然実在論的に解釈することで、私たちが「そこにあるもの」に直接知覚するリアリティが、協働的に確証されるプロセスにあることについて論じる。私たちは「そこにあるもの」の実在を共有しつつ、異なる仕方でそれを経験している。共通の実在を手掛かりに異なる経験世界を共有していくことで、お互いの理解と変容が生じることとなる。以上の議論から、環境の意味と価値は共有可能である一方、多様で汲みつくせないことが導かれる。結論として、保育者は、子どもがそれぞれの仕方で知覚するアフォーダンスに注意を向けることによって、子どもの経験世界を探求することが可能になることについて論じる。
著者
小西 瑞恵
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学研究紀要 (ISSN:21860459)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.3-14, 2013-01-31

鎌倉時代の堺荘の荘園領主はだれかを明らかにするのが、本稿の第一の課題である。前稿で摂津国堺荘の史料であることを明らかにした元亨3年(1323)7月の「堺御庄上下村目録帳」(海竜王寺文書)が、元亨3年5月11日の「西園寺実兼御教書」をうけて作成されたもので、このとき摂津国堺荘は、春日社祈祷料所として興福寺東北院覚円(実兼子息)が領家になったことを、初めて明らかにした。この2点が摂津国堺荘の史料で、豊田武以来の通説とは異なる。当時の和泉国堺荘(堺南荘)は、最勝光院領で領家は永福門院藤原鏱子(伏見天皇中宮、実兼女)で、西園寺実氏が亡父公経のために建立した天王寺遍照光院の寺役も勤めていた。第二に、南北朝時代の摂津国堺荘で現地代官の地位にあった渡辺薩摩入道宗徹を検討し、宗徹が摂津国住吉郡守護であった楠木正儀の守護代であったことから、楠木正成に遡って南北朝動乱期の摂津渡辺党(渡辺惣官家)の動向のなかで論じた。
著者
竹田 博信
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学研究紀要 (ISSN:21860459)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.190-196, 2011-01

「就職氷河期の再来か?」という記事が今年もマスコミで喧伝されている。昨年一年間の学生の就職活動を支援していて気付いた点が、視野が狭いために「情報」を取得できる情報が少なく、またその少ない情報に対してもリテラシーが低いために正しく活用できていないことだった。改めて企業側の視座からの意見を確認して、そこからの気づきについてまとめてみた。
著者
桶谷 弘美
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学研究紀要 (ISSN:21860459)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.120-128, 2011-01-31

音楽を学ぶ者の前に立ちはだかる大きな障壁は、音楽理論を正確に把握することである。難解な専門用語が簡単に理解できないからだ。コード-・ネームや音程や音階あるいは五度圏等の解説には、通常専門用語を用いて説明が施されるが、これがスタート早々に躓きになってしまう。そこで、これらの専門用語をすべて数字に置き換えてみることにした。端的に言えば、半音ずつ数えていく方法で、習得困難な専門用語を理解させる試みである。例えば、長3度は5、短3度は4として、その数字から長3度とか短3度という用語を頭に入れさせるのである。また、五度圏の説明で、♯或いは♭が完全5度ずつ移動するというところを、8の移動に変えるだけで成り立つことを納得させることができる。この小論は、音楽を学ぶ者や初心者に刺激と学習意欲を燃やす動機と効果をもたらす指導法として論じたものである。この数字の代替理論は、筆者の独創によるものである。ゲームを楽しむような仕方で学べることが救いであり、本来の専門用語に徐々に慣れ親しむようになることが特筆すべき点である。
著者
佐野 美奈
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学研究紀要 (ISSN:21860459)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.93-102, 2013-01-31

この研究の目的は、音楽的表現育成プログラムの実践過程で4歳児の「音への気づき」を起点とした活動の展開の特徴を考察することを通して、活動の要素の変容について明らかにすることである。4歳児のこの活動事例について、保育園で3年間の実践過程を検討した。その結果、実践2年目と実践3年目に活動の要素が増し、展開の可能性が示された活動の特徴が見い出されることがわかった。実践1年目で「音への気づき」については、生活音に限定されていた。実践2年目では、虚構体験がその活動の対象となった。特に、ストーリー化の過程において、パターン化された表現形式を経験することによって、子ども達に自発的表現が多く生じていた。同時に、動きから3段階目の音楽的諸要素の認識に向けた活動の特徴も見られた。実践3年目では、擬音語、擬態語のイメージによって歌詞を創造したり、クリエイティブ・ムーブメントを生じたりする展開が特徴的であった。
著者
村井 尚子 ムライ ナオコ Naoko MURAI
出版者
大阪樟蔭女子大学学術研究会
雑誌
大阪樟蔭女子大学研究紀要 (ISSN:21860459)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.175-185, 2016-01

本研究は、子どもにとっての「家」のもつ意味を現象学的人間学的な手法をおよびリアリスティック・アプロー チを用いた授業を展開することで、学生とともに探究する試みを扱ったものである。現象学的人間学の方法は、1950 年代のオランダユトレヒト学派によって用いられるようになり、現代カナダの現象学的教育学者マックス・ヴァン= マーネンによって深化されることで各国の教師教育の現場で活用されるようになっている。さらに、リアリスティッ ク・アプローチは、現代オランダの教育学者F・コルトハーヘンによって、学び続ける教師を養成するための教師教 育の手法として開発された。筆者はこれらの手法を参考にしながら、学生と共に創るワークショップ型の授業を実施 し、家のイメージの抽出、絵本や映画における家の意味についての考察、学生自身のお留守番の経験を振り返るといっ た方法を用いて、様々な角度から子どもにとっての「家」の有り様を明らかにした。この授業を通じて、学生達は、 家族が子どもの成育に与える影響を自ら体感的に理解し、家庭の有り様と子どもとの関係に感受性豊かに気づき、教 師・保育者として子どもの育ちの基盤を支えていくことの意義を看取したと言える。
著者
長尾 知子
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学研究紀要 (ISSN:21860459)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.15-27, 2013-01

1920年代まで存在を疑われたカナダ文学が世界文学の仲間入りを果たしたのは、20世紀も末に近い。本稿は、そのような後発ぶりを示すカナダ文学の背景となる事情を探ると同時に、展開のプロセスに伴う、カナダとカナダ文学が抱えるジレンマの背景を浮き彫りにしたい。まず、英系カナダ文学の発展に寄与したフライとアトウッドの足跡に言及した上で、カナダ文学の後進性を物語る、日加両国の事情を確認した。日本でのカナダ文学の受容のプロセスを翻訳事情と研究状況の観点から概観し、カナダ本国での研究状況、初期の出版事情、その背景となる歴史的・地理的事情を探った。さらに、英系カナダ文学に影を落とすジレンマの背景を、初期アメリカ文学の場合と比較し、事例として、植民地時代の作家ジョン・リチャードソンとスザンナ・ムーディーの置かれた英系カナダ文学の状況を考察した。最後の事例には、ポストモダニズムを先取りしていたゆえに、再評価を待たねばならなかったハワード・オヘイガンの代表作を取り上げ、ジレンマの諸相に目を向けると共に、アメリカ文学とは異なる英系カナダ文学の独自性を読み取った。
著者
川野 佐江子 カワノ サエコ Saeko KAWANO
雑誌
大阪樟蔭女子大学研究紀要
巻号頁・発行日
vol.1, pp.197-205, 2011-01-31

本論は、プロレスラーの身体を題材にして「男性身体」という概念をいかに捉えたらよいのか、という問いを検討していく研究ノートである。「男性身体」は、「近代パラダイム」あるいは「覇権的なものの可視化されたフォルム(姿)」という位置づけで捉えられる。 まず、プロレスラーの身体がいかに「男性身体」を表象しているかについて検討する。つまりレスラーの身体がいかに「理性」に訴求するように身体加工されているのかということに着目する。次にプロレスとは、二項対立構造や権威的ヒエラルキー制度の中で展開されているのだということを指摘する。続いて、プロレスのスペクタクル性について指摘し、「男性身体」との関係を述べる。最後にレスラーのアイデンティティについて触れ、それが「男性身体」を変容させる可能性をもつという仮説を立てて本論は閉じられる。
著者
川上 正浩 カワカミ マサヒロ Masahiro KAWAKAMI
雑誌
大阪樟蔭女子大学研究紀要
巻号頁・発行日
vol.4, pp.3-14, 2014-01-31

心理学は領域の広い学問である。そして、心理学という学問内での領域が細分化されているため、"心理学"という1つの学問体系としての基礎知識がどの範囲のものを指すのかは、極めて曖昧であると言える。心理学教育においては、こうした心理学領域での、特に初学者に対しての教育の"エッセンス"を用語の形で明らかにすることが必要である。本研究では、心理学テキストの索引をテキストデータとして扱い、そのデータベース化を行う。今回のデータでは2006年から2010年に刊行された35冊の心理学テキストを参照したパイロット・スタディの結果を報告した。
著者
伊豆原 月絵
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学研究紀要 (ISSN:21860459)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.49-54, 2011-01-31

筆者は、神戸ファッション美術館との学館協同事業の一つとして、復元研究を行い、細部にわたって計測をした第一次資料を基に、第二次資料および構成図を作り、実物ドレスの制作を行った。 本論文では、18世紀中葉の衣服制作の技術的な変遷を解明するために、制作時期が、およそ10年離れているとされる2体の復元したドレスについて、裁断と縫製などの衣服制作技術について、比較検討を行った。 ドレスは、布地が手織りの織物で作られているため、縫製段階で、「ねじ曲げる」「折り目をずらす」などの工夫がされていた。例えば、腰の膨らみを強調するために、手織りの織物の特性である独特の打ち込みの甘さを用いて、「ねじり」を入れ縫うことにより、元に戻ろうとする糸の力を用いて、布地を押し上げ膨らみをもたせるなどの技術や、織り布を倹約するための「布テープ」によるほつれ止めの手法の発達などがあげられる。ドレスの復元制作の過程から、18世紀中葉の衣服製作の技術の変遷を考察した。
著者
伊豆原 月絵
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学研究紀要 (ISSN:21860459)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.40-48, 2011-01-31

本研究は、1700年代を中心に、1600年代中葉以降のフランス宮廷を中心とした欧州貴族の女性にみられる美意識を明らかにすることを目的とする。往時の女性に対する観察者の「美意識」については、図像資料や文献資料を基に論じた。文献資料からは、1600年代から1700年代初期までは、情感を表現する眼差しや表情を「美しい」としていたが、1700年代の中葉にかけて、次第に女性の外見に重きをおいた記述が増え、「豊かな胸」「見事な肩」「背が高い」などの外見的特徴が主な美の構成要素になっていく。 また、美しさを構成する要素は、「真直ぐ伸びた背中」、「高い胸」のデコルテと「なで肩」であり、それは、姿勢と体型に関係がみられることを、人体解剖学的見地より考察し、新しい視点を示唆した。
著者
村井 尚子 ムライ ナオコ Naoko MURAI
雑誌
大阪樟蔭女子大学研究紀要
巻号頁・発行日
vol.5, pp.175-183, 2015-01-31

省察的実践家概念は教師の専門性を基礎づける概念として教育学研究において一定の位置づけを得ている。しかし、その鍵概念となる省察の意味するところについては、これまであまり詳しく検討されてこなかった。本稿ではまず、ショーンが『省察的実践とは何か』の中で用いている行為の中の省察を3つの意味で用いていることを明らかにする。第一にショーンは、行為の中の省察の前提となる行為を、数か月といった比較的長い期間を指すものとして用いている。次に、行為のただ中における省察について述べるが、言語を媒介とするこの省察は、わずかな瞬間であっても行為を中断することを前提とし、その中断自体の有用性が主張されている。しかしヴァン=マーネンによれば、教室で教師が子どもと対峙している状況においては、立ち止まって考える猶予はなく、常に真正な態度で子どもとパーソナルな関係を保っていることが求められる。そのような状況において我々は、教師として子どもにとって善いと思われることをほとんど熟考したり計画したりしないままに判断し行っている。ここで要求されるのが教育的タクトなのである。教育的タクトは、言語を媒介しない直観ともいえるショーンの3つ目の省察に近いと考えられるが、それが「教育的」である限り、何よりも子どもの善に向けて行われなければならないという意味で、通常の省察とは異なるものである。教育的タクトは、行為の中の省察に近いものではあるが、それは行為に先立って行われる省察、行為の後に回顧的な仕方で行われる省察を繰り返すことによって培われていく。しかもその省察が、省察の仕方そのものを省察するという現象学的な仕方においても行われることが重要なのである。The idea of ""reflective practitioner" is considered as a basic concept underlying the professionalism of teachers. However, the meaning of reflection has not been examined closely until now, even though it is a key term of ""reflective practitioner". Donald Schön uses the idea of reflection in action for three meanings. First, a practitioner's reflection in action may not be very rapid. The action present may stretch even weeks or months. Second, Schön describes the reflection in the midst of action. He insists that even when the action present is brief, performers can sometimes train themselves to think about their actions. However, according to van Manen, when we interact with students we must maintain an authentic presence and personal relationship for them. So we do not have enough time to stop and think as a teacher in the classroom. We should do the right thing for the child without reflecting in a deliberative or planning manner. He argues that in such a situation pedagogical tact is required. Schön also mentions the third type reflection which is implicit. This type of reflection is considered to be similar to pedagogical tact. However it must be pedagogical, be oriented to the good for children. In order to enhance the pedagogical tact, it is useful for teachers and training teachers to conduct the anticipate reflection and recollective reflection time and time again. And it is important that these reflection should be phenomenological.
著者
萩原 雅也 ハギハラ マサヤ Masaya HAGIHARA
雑誌
大阪樟蔭女子大学研究紀要
巻号頁・発行日
vol.2, pp.193-204, 2012-01-31

近年、芸術文化の持つ創造性を都市再生につなげようとする創造都市論への関心が高まり、そのコアというべき概念である「創造の場」への注目が集まっている。本稿の主題は、別府市におけるアートNPO BEPPU PROJECTを中心とする実践事例を詳述したうえで、拙稿(2009)による「創造の場」4類型にもとづいて実証的考察を加えることにある。これによって得られる結論は、この事例の創造的営為が「創造の場」に依拠しており、またその形成を意図した活動であること、4類型が「創造の場」の基本的な分析フレームとして有効であるとの証左が得られることである。さらに、創造的営為には空間の大きさや開放性など多様なあり方を示す「創造の場」とその連鎖が必要であり、「創造の場」の形成のためにはアートNPO と行政等のネットワーク構築が重要であることが示唆される。