著者
新里 喜宣
出版者
「宗教と社会」学会
雑誌
宗教と社会 (ISSN:13424726)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.95-109, 2017-06-03 (Released:2019-05-31)
参考文献数
24

本稿は1960年代から80年代までを対象とし、この時期に台頭した巫俗言説の構造を文化および宗教という観点から捉え、その多様な展開を明らかにしようとする試みである。1950年代において、巫俗はほぼ迷信としてのみ語られていた。しかし、1960年代を基点として国家の民俗政策、そして研究者による学術活動などが本格化することで、巫俗は韓国文化の源泉としてその価値が肯定されるようになっていく。国家や知識人が巫俗を文化として語る際、それが迷信として批判されていることも相まって、巫俗の歴史性にのみ焦点が当てられる傾向が見出せる。現存する巫俗は迷信だが、巫俗は韓国文化の源泉として意味があるという言説である。他方、主に研究者やシャーマンによる巫俗言説は現存する巫俗を肯定し、その宗教的世界観に目を向けようとする。文化と宗教という巫俗言説は、時に対立しながらも韓国社会において巫俗の位相を押し上げる役割を担った。
著者
神本 秀爾
出版者
「宗教と社会」学会
雑誌
宗教と社会 (ISSN:13424726)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.33-47, 2015

<p>本研究の目的は、文化人類学的見地から、日本人ラスタのラスタファーライへの参入経緯と、彼らの解釈および実践の傾向を明らかにし、日本におけるラスタファーライの受容のされ方について考察することである。第2節では、日本におけるラスタファーライの概略を記述する。第3節では、日本におけるラスタファーライの展開を3期に分け、それぞれの時期における日本人ラスタたちの参入と探求の過程を論じる。第4節では、日本における解釈の特徴を、「『自然』の重視」「セラシエ崇敬の弱さ」「外見の重視」の3つの視点から分析する。以上を通じて、本稿では、日本人ラスタの多くは、それぞれの時代に流行しているレゲエを介してジャマイカのラスタファーライに接近しながらも、その受容に際しては、ラスタファーライそのものや、ラスタファーライの拠って立つ、聖書に根ざした救済観を相対化し、地球への愛着とも呼ぶべき思想につくりかえていると結論づけた。</p>
著者
川端 亮 秋庭 裕 稲場 圭信
出版者
「宗教と社会」学会
雑誌
宗教と社会 (ISSN:13424726)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.89-110, 2010-06-05 (Released:2017-07-18)

海外で日本人の枠を超えて現地に適応した新宗教は少ないが、本稿が対象とする創価学会の海外組織SGIは、1970年代半ばにはアメリカ化したといわれ、現在アメリカで多くの現地人の会員を獲得している。本稿は、シカゴの会員のインタビューから、70年代半ば以降の彼らの信仰や体験を記述し、SGIのアメリカ化を再検討するものである。まず、SGI-USAの歴史を略述したのち、日本人パイオニアのインタビューを通して、シカゴのSGIの歴史とかつての信仰や体験を示す。ついで、ユダヤ系、アフリカ系アメリカ人のインタビューから、エスニック・マイノリティにとってのSGIの魅力を描く。以上のことから、日本よりもはるかに多様なエスニシティで構成されるアメリカ社会において、日本の創価学会の教えが、多民族社会においてこそ生じる新たな意味を持って受け取られていることを示し、それが従来の研究では記述されていないアメリカ化の一側面であると論じる。
著者
金子 毅
出版者
「宗教と社会」学会
雑誌
宗教と社会 (ISSN:13424726)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.21-41, 2003

本稿のテーマは、労働災害という異常な死を「殉職」へと転換させる企業主催の慰霊行為を、祖先祭祀の枠組から捉えつつ、近代産業化の遂行の過程で導入された外来の「安全」理念の労使双方による主体的受容とのかかわりからこれを論ずることにある。「安全」遵守は、就業中の事故が労災か、本人の過失による事故かを見極める基準とされたがゆえに、雇用者には企業利益を守るための「戦略」として用いられる一方で、労働者には労災補償を得るための「戦術」として受容され、「ハビチュアル・レスポンス」としての身体の主体的構築を促すことになった。その結果、殉職者は「安全」理念に殉じた者として語られ、また殉職者慰霊は雇用者には企業永続のための一種の祖先祭祀として、労働者には無辜の仲間の死を悼む場として営まれつつ、「安全」の相互補完的受容が再確認される場になったと考えられる。