著者
大谷 尚
出版者
日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.73, no.2, pp.110-124, 2006

小論では、情報技術の教育利用に関して筆者が継続している質的研究を通した論考を示し、学習の場での観察的かつ理論的な研究の重要性を論じる。まず情報化に対応した教育政策の概観と、情報化社会に関する諸言説の検討を行う。その上で、技術の存在論的で現象学的な意味と意義について、ハイデッガーの『技術への問い』を通して検討する。これに基づき、情報技術の教育利用に関する著者自身の現象学的な質的研究について述べ、質的研究手法についても概観する。その後、総合的な学習の時間のインターネット利用での未習漢字の問題とその事例の検討を通して、近代文書化技術により形成されたカリキュラムや教授・学習文化の本質的特徴、また教師と学習者との不可視の権力構造に言及し、それらの脱構築の必要を論じる。最後に、情報技術の使用による人間発達への否定的影響と同時に、情報技術を通した人間の解放の事例と可能性についても触れ、教育学の課題を論じる。
著者
金田 裕子
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.67, no.2, pp.201-208, 2000-06-30 (Released:2007-12-27)
被引用文献数
1

<摘要邦文訳>本稿では、教室の会話に教師と子どもたちがどのように参加しているのか着目し、参加の様式の特徴を記述する方法を検討する。授業の過程は、単に認知的なだけでなく、知識と言葉を媒介にして参加者たちが社会的な関係を構成する過程でもある。その際に鍵になる概念は、エリクソンの提示した参加構造である。この概念は、いつ誰が誰に、何を言うことが出来るのかに関しての参加者たちの権利と義務であると定義できる。参加構造の研究は、教師と子どもたちの相互作用場面でのトラブルが、コミュニケーション様式についての予想が互いに異なることによって起こっていると説明してきた。しかし本稿では、以下の二点から参加構造の研究の新しい可能性を探りたい。第1に、参加構造の研究が提示している視点と研究方法は、教室に混在する会話の規則の静的なパターンを明らかにしているだけではない。コンテクストが変化するのに伴い、参加者たちの役割関係は再配分され、協同的な行為において異なる形状を作り出している。そうした点に着目することで、参加構造の研究は、教室の会話が即興的に展開していく側面を記述することを可能にする。個々の教室における参加構造の微細な変化は、会話の順番どり、発話のタイミング、会話フロアの生成に着目して記述することができる。教室の会話における即興的な側面を記述することで、子どもたちが積極的に状況を構成し、また教師が様々な方略を用いてコミュニケーションを組織している複雑な過程を捉えることが可能になるだろう。第2に、学習課題との関連をどのように捉えるかである。従来の参加構造の研究においては、構造的な会話の規則は、発話の際の手続きややりくりを簡素化して、学習の内容に集中できる機能を果たしていることが示されていた。しかし、教室のディスコースと学習課題の関係は、より複雑である。キャズデンが示した教室の「ディスカッション」では、即興的な会話の連続においては話題の選択に関する役割関係が重要になってくることが予見されていた。ランパートの研究において参加構造は、「何を知識とみなし、どのように知識を獲得するか」を決定するやり取りにおける権利と責任の配置として再定義される。その様な参加構造の形成によって、妥当な知識を決定する権威は教師から生徒たちのディスコースコミュニティへと移行し、同時にディスコースコミュニティの形成と維持において教師が果たす役割の複雑な側面が明らかになる。
著者
苅谷 剛彦
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.64, no.3, pp.327-336, 1997-09

近年、日本では高等教育進学率が急速に上昇しつつある。若年人口の減少が、その上昇を加速している。現在46%の大学進学率は、20世紀初頭にはには60パー近くにまで上昇すると予想されている。このような高等教育機会の拡大の中で、日本の有名な「試験地獄」は存続するのか。それとも、それは終焉を迎えるのか。非エリートの学生たちがますます大学に進学することにより、新たな教育問題が発生するのか。さらには、近年の教育改革論議において、こうした問題は果たして注目されているのか。この論文はこれらの問題に答えようとするものである。教育研究者も教育評論家も、これまで入学試験をいじめや不登校などの教育問題を生みだす原因として批判してきた。「試験地獄」は、これまで長い間日本の教育における主要な問題点の一つであった。そして、こうした学校の諸問題を解決するために、受験のプレッシャーを軽減することが改革の中で目指されている。しかしながら、この論文で示すように、すでに4割りに近い大学入学者は、推薦入試をへることで、こうした厳しい選抜を回避している。また、すでに多くの大学が、より多くの志願者を集めるために、入試科目数の削減を行っている。このような入学者選抜制度の変化の結果、受験のプレッシャーはたしかに弱まりつつある。しかしながら、こうした入学者選抜の改革は、大学教育に新たな問題、それもこれまで日本の大学が体験してこなかった問題を生みだしている。たとえば、近年、補習教育を取り入れた大学が現れた。また、学生の多様な学力に対応するために、能力別学級を始めた大学もある。日本社会が「価値多元化社会」に近づくかいなかにかかわらず、高等教育機会の急速な拡大のために、あらたな問題が大学教育で発生しつつあるのだ。多くの改革論者たちは、いまだに「試験地獄」を問題視する視点にとらわれている。しかし、現実は、それとは反対の方向に動いている。そうだとすれば、受験の圧力を減圧しようとする改革は、その意図をくじかれてしまうのではないか。そうした改革の意図せざる結果は何か。とりわけ、厳しい選抜をへずに大学に入学してきた学生と、彼らを教える大学教師たちにとって、どのような新たな問題が生起するのだろうか。アメリカにおける高等教育のマス化常態について概観した後で、この論文では、東京の13の高校の3年生を対象に行った調査データを分析する。その分析によって、(1)容易に大学に入学する学生が増えていること、(2)彼らは従来よりも低い学力の持ち主であること、(3)大学の教育には適しない態度を身に付けていることなどを明らかにする。これらの結果に基づき、この論文では「すべてのものに高等教育を」という理想の実現は、教育問題の解決に結びつくのではなく、むしろ、これらの問題を中等教育から高等教育レベルに遅延するにすぎないことを議論する。
著者
仲 新
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.23, no.2, pp.39-51, 1956-06-25 (Released:2009-01-13)
参考文献数
8
著者
佐貫 浩
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.74, no.4, pp.493-504, 2007-12
被引用文献数
1

本論の課題は、政治世界の公共性によって正統化された政治権力からの相対的自律性を有した教育の公共性世界の意義、その教育学的及び法的な枠組みの不可欠性を指摘することにある。またそういう視点から戦後の教育行政政策の変化、新自由主義的な市場的公共性に依拠した教育改革の性格、教基法の「改正」(2006年)の意味を明らかにし、併せて、そういう視点から国民の教育権論を発展的に継承する筋道を検討しようとした。
著者
平田 宗史
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.45, no.1, pp.1-12, 1978-03-30 (Released:2009-01-13)
参考文献数
71
著者
平井 悠介
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.74, no.4, pp.530-541, 2007-12

1990年代のアメリカ合衆国において、リベラル派の政治哲学者の間でシティズンシップ概念が注目を集めている。本稿の目的は、市民のアイデンティティや行為のあり方に焦点を当てる90年代のシティズンシップ論および市民教育論の展開の意義を、リベラル派の市民教育理論における「討議的転回」との関連のもと探究することである。探究に際し、本稿では討議的転回後のリベラル派の市民教育理論にみられる二つの立場からの議論(<討議を民主主義的意思決定の手段とみなす議論>と<討議を市民教育の手段とみなす議論>)の分析を行う。前者の立場のマセードおよびゴールストンの議論と、後者の立場のカランとガットマンの議論とを対比し、後者の議論で重視されている、批判的かつ自律的に思考する能力の育成と相互尊重という市民的徳の涵養が、人々のアイデンティティの多様性を尊重する国家的統合にとって必要とされることを示していく。