- 著者
-
苅谷 剛彦
- 出版者
- 一般社団法人日本教育学会
- 雑誌
- 教育学研究 (ISSN:03873161)
- 巻号頁・発行日
- vol.64, no.3, pp.327-336, 1997-09
近年、日本では高等教育進学率が急速に上昇しつつある。若年人口の減少が、その上昇を加速している。現在46%の大学進学率は、20世紀初頭にはには60パー近くにまで上昇すると予想されている。このような高等教育機会の拡大の中で、日本の有名な「試験地獄」は存続するのか。それとも、それは終焉を迎えるのか。非エリートの学生たちがますます大学に進学することにより、新たな教育問題が発生するのか。さらには、近年の教育改革論議において、こうした問題は果たして注目されているのか。この論文はこれらの問題に答えようとするものである。教育研究者も教育評論家も、これまで入学試験をいじめや不登校などの教育問題を生みだす原因として批判してきた。「試験地獄」は、これまで長い間日本の教育における主要な問題点の一つであった。そして、こうした学校の諸問題を解決するために、受験のプレッシャーを軽減することが改革の中で目指されている。しかしながら、この論文で示すように、すでに4割りに近い大学入学者は、推薦入試をへることで、こうした厳しい選抜を回避している。また、すでに多くの大学が、より多くの志願者を集めるために、入試科目数の削減を行っている。このような入学者選抜制度の変化の結果、受験のプレッシャーはたしかに弱まりつつある。しかしながら、こうした入学者選抜の改革は、大学教育に新たな問題、それもこれまで日本の大学が体験してこなかった問題を生みだしている。たとえば、近年、補習教育を取り入れた大学が現れた。また、学生の多様な学力に対応するために、能力別学級を始めた大学もある。日本社会が「価値多元化社会」に近づくかいなかにかかわらず、高等教育機会の急速な拡大のために、あらたな問題が大学教育で発生しつつあるのだ。多くの改革論者たちは、いまだに「試験地獄」を問題視する視点にとらわれている。しかし、現実は、それとは反対の方向に動いている。そうだとすれば、受験の圧力を減圧しようとする改革は、その意図をくじかれてしまうのではないか。そうした改革の意図せざる結果は何か。とりわけ、厳しい選抜をへずに大学に入学してきた学生と、彼らを教える大学教師たちにとって、どのような新たな問題が生起するのだろうか。アメリカにおける高等教育のマス化常態について概観した後で、この論文では、東京の13の高校の3年生を対象に行った調査データを分析する。その分析によって、(1)容易に大学に入学する学生が増えていること、(2)彼らは従来よりも低い学力の持ち主であること、(3)大学の教育には適しない態度を身に付けていることなどを明らかにする。これらの結果に基づき、この論文では「すべてのものに高等教育を」という理想の実現は、教育問題の解決に結びつくのではなく、むしろ、これらの問題を中等教育から高等教育レベルに遅延するにすぎないことを議論する。