著者
松尾 知明
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.83, no.2, pp.154-166, 2016 (Released:2016-08-06)
参考文献数
40

本稿では、知識社会の到来を背景に人的資源の開発が求められる中で、教育の大規模調査において、リテラシーやコンピテンシーの概念がいかに展開してきたのかを、OECDの国際教育指標事業の動向を中心に明らかにした。リテラシー概念が、最低限の読み書き能力から高次の情報処理能力へ拡張され、さらに、情意を含む人間の全体的能力としてのコンピテンシー概念へと展開し、その概念的な精緻化と測定が発展的に進化したことを論じるとともに、学びのイノベーションを促す課題を指摘した。
著者
土屋 忠雄
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.20, no.1, pp.74-86, 1953 (Released:2009-01-13)
参考文献数
54
著者
池野 範男
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.81, no.2, pp.138-149, 2014 (Released:2015-06-18)
参考文献数
46
被引用文献数
2

本稿では、現代のグローバル社会におけるシティズンシップ教育を構成員教育の一形態と考え、構成員教育の類型化を行い、現代のシティズンシップ教育の位置を特定化する。その上で、現代のシティズンシップ教育の多様な形態を整理し、3タイプに大別し、それぞれの課題と可能性を検討する。その結果、現代に求められているシティズンシップ教育は、これまでの目標であった市民になるや市民に育てることではなく、公共空間を形成する人を作り出すことを目標にしていると主張する。
著者
菅井勝雄
雑誌
教育学研究
巻号頁・発行日
vol.60, pp.23-37, 1993
被引用文献数
2
著者
八鍬 友広 Yakuwa Tomohiro
出版者
日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.70, no.4, pp.524-535, 2003-12

How many people could read and write in Tokugawa Japan? This is the main topic for this paper. Actually it's very difficult to calculate the number of people who could read and write in Tokugawa Japan. Because there are no documents like marriage certificates with signatures, as most research on popular literacy in western society usually include. But we can glean fragmentary information about popular literacy by following historical sources: (1) the surveys on the rate of people who could write their own names in the Meiji period, (2) the "Monjincho", attendance books of "Terakoya", and (3) the historical materials with "Kao", special signature in medieval and early Tokugawa Japan. (1) There were several surveys on the rate of people who were above six years old and could write their own names during 1877-1889. Results of those surveys of Shiga, Gunma, Aomori, Kagoshima and Okayama prefectures were listed on "Monbusho Nenpo", annual report of Japanese Ministry of Education. Those surveys show that about 90% of men in Shiga could write their names, but on the other hand 33% of men and only 4% of women in Kagoshima could write their own names. The 1879 survey of Kuga County, one of the counties of Yamaguchi Prefecture, on the rate of people who could write their names is important. It covered 122 villages and towns, 88 school districts and a population of approximately 135,000. The literacy rate, the rate of people who could write their own names for the total population, was 36.3%(men 55%, women 16.5%). The literacy of men of every district ranged from 19.3% to 98.3% and women from 0% to 68.5%. Literacy rate has minus correlation with the rate of agriculture population (r= -0.66), and has plus correlation with the rate of commerce and manufacture population (r=0.65). (2) The "Monjincho" of "Jishuusai juku" in Omi and "Isobe Juku" m Echigo show how many people of those regions were enrolled for Terakoya. According to Jun Shibata, 91% of Kitanosho village people were enrolled for "Jishusai juku" in 19 Century. Through the case of "Isobe juku" we can see the situation in the 18th Century In Komachi one of the towns of Murakami city, 64% of the households had their children, at least one child, enroll for "Isobe juku" in the middle of the 18th Century. (3) In medieval and early Tokugawa period there were some documents with "Kao", special signature. To sign "Kao" practice in writing was required. Those who could not sign "Kao" marked a circle by stem of the brush. Therefore we can know the literacy through these documents. According to Masanobu Kimura, about 80% of the present head of the family could sign "Kao" in the first half of the 17th Century. We can conclude that partial literacy has already been considerably high even in early Tokugawa period, and a major difference of literacy between men and women existed, which deeply depended on the region even in early Meiji era.
著者
坂元 昂
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.35, no.1, pp.47-60, 1968-03-30 (Released:2009-01-13)
参考文献数
37
著者
竹中 暉雄
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.67, no.3, pp.344-352, 2000-09-30 (Released:2007-12-27)

ここに紹介するのは、その存在が確実視されながら未だ確認できていなかった、E・ハウスクネヒト(Emil Hausknecht, 1853~1927)作成の中学校教員の資格と国家試験に関する勅令案である。それは、東京帝国大学の外国人教師であった(1887年~1890年)ハウスクネヒトが品川弥二郎に送った書簡の中で、「江木千之と一緒に作成した勅令案であり、すぐにでも実現して欲しい」と訴えていたものである。彼はドイツにおけると同様に、中学校教員は大学卒業者に対して2度の国家試験を課して選抜し、その地位と経済的待遇とを高める必要性を折に触れ主張していた。しかしこの勅令案では、その一番重要な点において妥協がなされている。それでもすでに存在していた日本の中等学校教員検定制度と比べると、かなり多くの相違点が存在していた。だからこそそれを日本政府に提案する意義があったのである。勅令案には、非妥協の点もあった。重要な点は2点あり、その1点目は、ドイツ流に学術上の検定と実務上の検定とをする2段階検定制を採用することであり、2点目は、予備学として全志願者に教育学・教授学を課すことである。この後者のことは、ヘルバルト主義者としては譲れない点であった。けっきょく勅令案は採用されることなく、ハウスクネヒトは失意のうちに帰国していった。けれどもその後、勅令案に含まれていた事項の多くは、検定制度改革のつど、実現されていった。ハウスクネヒトの主張でついに実現されることがなかったのは、実務の検定と複合科目試験制、上級教員称号制のみであった。しかし、実現されたといっても、それがはたして勅令案の影響によるものであったかどうか、それを肯定あるいは否定する証拠は現在のところまだない。新たな史料の発掘が残された課題である。
著者
西平 直
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.66, no.4, pp.395-405, 1999-12

本論は、「精神世界」という知の枠組み(日本におけるニューエイジ潮流)を検討したものである。1980年代以来、この潮流は、物質中心主義の既成の学問体系(アカデミズム)に対する代案として、成立してきた。 この潮流をオカルト主義とだけ理解してはならない。むしろ、それは、地球の危機と近代文明の限界を痛感した人々によって,自然発生的に求められた新たな世界観(コスモロジー)であり、その特徴は、エコロジカル・ホリスティック・コスモロジカル・トランスパーソナル・スピリチュアルといった形容詞によって示される。アカデミズムは、こうした大衆的潮流といかに関わるべきなのであろうか。 まず、三つの鍵概念が検討される。1「こころ」心理学的、精神的、宗教的な領域の複合態。2「からだ」物質としての肉体ではなく、私たちがそれとして生きている身体。3「いのち」個人の生命ではなく、むしろ、生きとし生けるものの命であり、地球生命体の命である。こうした鍵概念は、近代の物質中心主義的還元主義に対する代案としての意味を持っている。 続いて、二つの理論が検討される。1ホリスッティック教育。2トランスパーソナル心理学。どちらも、既成のアカデミズムと対話の可能性を秘めた理論である。 こうした考察の後、本論は、この潮流の問題点を以下のように捉えた。1、この潮流は今後とも拡大し続け、とりわけ、環境問題に心を痛め、近代科学に限界を感じる人々によって支持されるであろう。2、しかし、そのロマン主義的傾向から、この潮流は大衆受けするエンタテインメントに成り下がる危険性を持つ。3、それを避けるためには、既成のアカデミズムとの対話が必要である。4、アカデミズムの側からの共感的かつ批判的な対応が求められている。それは、単にサブカルチャーであるこの潮流のためではなく、アカデミズムが脱近代社会における人々の必要と結びつくためにも、大切なことである。
著者
長尾 彰夫
出版者
日本教育学会
雑誌
教育学研究
巻号頁・発行日
vol.55, no.3, pp.239-247, 1988-09-30 (Released:2015-02-09)