著者
松田 素二
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.69, no.2, pp.247-270, 2004-09-30 (Released:2017-09-27)
被引用文献数
1

20世紀の最後の10年間、自由は、現代世界における究極的価値としての地位を独占するようになった。「個人の自由」は、個々の社会的行為を支配する最終審級となったし、政治や経済の自由化は、武力介入さえ正当化できる「正義」となった。こうした状況の出現に対して、それを自由のアナキズムと批判して、何らかの歯止めをかけようとする動きが出てくるのもうなずける。無制限な自由の膨張に対する、もっとも強力な歯止めは、共同体からの規制であった。諸個人を共同体の文脈に位置づけ直して、自由の行き過ぎを規制し、社会の秩序を回復するという志向は、自由主義に対する共同体主義として定立されてきた。この二つの志向のあいだの論争は、1980年代以降、コミュニタリアン・リバタリアン論争として知られているが、本論の目的は、こうした論争における共同体の議論の不十分点を、人類学的思考で補うことにより、個人の自由と共同体という問題構制にに、新たな視角から光をあてることにある。これまでの共同体に関わる議論には三つの不十分点があった。第一には、生活論的視点がまったく欠如していた点であり、第二には、共同体を固定的な実体として自然化するか、もしくは、それと正反対にたんなる構築物として言説世界に還元してしまう平板な認識図式にとらわれていた点である。第三には、こうした個と共同体のアポリアを解決するため考案された創発的連帯モデルの限界に無理解だった点もあげられる。そこで本論においては、共同体の内外で生成される生活組織の多層で変異する態様を明らかにする。それを通して、共同体の外延(境界)をそのままにして、生活の必要に応じてうちから融通無碍に変質していく過程を、ナイロビにおける社会秩序の生成を題材にして分析することを試みる。
著者
金子 守恵
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.77, no.1, pp.60-83, 2012-06-30 (Released:2017-04-10)

本論は、エチオピア西南部に暮らす農耕民アリの女性土器職人たちの手指の動きを手がかりとし、それが職人の行為や土器の評価にむすびつく過程を描きだすことをめざした。具体的には、職人の手指の動きやその配列を記録し、その動きの配列を経てうみだされる土器を「アーニ(=手)」という言葉で人びとが評価する過程に注目して、職人(の身体)と自然環境が双方向的に関わって(=「交渉」)土器つくりが実践されているととらえる視点にたつ。女性職人は、粘土の採取、土器の成形と焼成、そして市場において社会集団の異なる農民へと土器を販売するまでを担っていた。女性のライフコースと職人が成形できる土器種との関連性について検討すると、結婚したばかりの女性職人のなかに、成形途中や焼成後に土器が壊れてしまって生計をなりたたせることができないものがいた。本論でとりあげた職人Dは、約6ヶ月のあいたに自らのアーニにあわせて一定の配列を確定させるべく試行錯誤を続けた。一方、土器の利用者である農民は、アーニという土器つくりの行為に関わる表現をもちいて土器を評価し、その土器を介して社会集団を超えた盟友的な関係を職人とむすんでいた。このことを手がかりにして本論では、手指の動きの配列は、個々の職人と環境との関わりの歴史であり、それが前提となって社会的な関係が形成されていると論じた。手指という身体が自然環境との絶え間ない「交渉」を続ける過程で私のアーニという認識がつくりだされ、さらにそれはアリの人びとのあいだで新しい土器のかたちを創りだしていることも示唆された。土器を介した人びとのむすびつきは、環境や他者との関わりによって見いだされる自らの身体的な経験を基盤にしていた。手指の動かし方だけをとりあげると、それは土器を成形するうえでの微細な身体動作でしかない。だがその動作はそれが連鎖となって一定の配列を確立すると、異なる社会集団を架橋するような社会的な実践として認識され、さらには身体を基盤としたコミュニティをとらえる切り口となる可能性をもっている。
著者
辰巳 慎太郎
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.72, no.1, pp.44-67, 2007

本稿では東ティモールにおいて独立の是非を問う住民投票後の騒乱のさなかにおこった少女の連れ去りを事例として、少女が反独立派民兵の「性奴隷」の状態にあると訴える支援活動の言説と、「結婚」の文脈で説明する少女の家族、および共同体の理解の相違について考察する。従来の人類学は、略奪婚を集団間の結婚の一形態として記述し、共同体における儀礼的、社会的意味により関心を払ってきた。しかし結果として出来事の暴力性、当事者である女性の視点には注意が向けられなかった。他方、紛争下の性暴力の問題を訴える普遍的人権やフェミニズムの言説は、略奪婚も紛争下の性暴力の一形態として取り上げるようになった。しかしながらそうした言説の持つ普遍主義的性格は、当事者である女性の経験の多様性を奪っている側面もみられる。このような略奪婚をめぐるグローバルな言説とローカルな規範双方における当事者である女性の視点の不在は、近年の研究で指摘され、当事者の視点に主眼をおくことの重要性が指摘されるようになった。本稿の事例では、当事者である少女自身が新聞報道を通じて誘拐の事実を否定し、結婚の意思を表明していた。本稿ではこの当事者からの拒絶に対する人権活動家、家族、共同体それぞれの反応に焦点をあてることによって、この出来事をめぐる「和解」の認識論的問題について考察を試みる。この考察によって、暴力をめぐるグローバルな言説と共同体や当事者の論理の相違は、「他者」が受けた痛みに主眼を置く普遍的立場と、「自己」が受けた痛みをどのように解決するかという「和解」の論理にあることを主張する。この議論を通じで、出来事の暴力性を抹消することなく、かつ当事者のエージェンシーをも認めうる民俗誌的記述の可能性を探る。
著者
菅原 和孝
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.78, no.3, pp.323-344, 2013

南部アフリカ狩猟採集民グイのもとでの30余年にわたる調査に基づいて、フィールドワークがどんな意味で直接経験であるのかを考える。出発点はゴッフマンの「直接的共在」である。ヨクナパトーファ譚と呼ばれるフォークナーの作品群は、独特な時間性を提起している点で、過去の出来事を素材にした民族誌を書くことに手がかりを与える。私が追求する民族誌記述の戦略は、口頭言語を身ぶりとして捉え、語りの表情を明らかにすることである。6つの談話分析の事例から以下の7点を語りの表情として抽出した。(1)親族呼称が間投詞として使用される際に、代替不可能な語の表情が際立つ。(2)共在の場にはグイに特有なハビトゥスと間身体性が滲透している。(3)語り手の身ぶりによって儀礼の本質を象徴する身体配列が現成する。(4)複数の語りの相互参照により現実の多面的な相貌が開示される。(5)語り手と調査者は、その相互間で、あるいはかれらと言及対象との間で、文脈に応じて変化する仲間性を投網しあう。(6)「話体」は、個々の語り手の修辞的な方策によってだけでなく、複数の語り手に跨がる相互行為の構造によっても規定される。それによって実存的な問題に身を処する人びとの一般的態度が照らされる。(7)語り手がある出来事を忘却していることを露呈するとき、その欠落の周囲に、事実の間の連結と記憶の相互的な補完とが浮かびあがる。以上の分析に基づき、民族誌と小説は人びとの生の形を描き出す点で共通しているが、世界との関わりにおいて大きな違いがあることを論じる。民族誌記述は、実在した談話の語り手(発話原点)との指標的な隣接性に基礎を置く。その隣接性を成り立たせる連結こそ、調査者と現地の人びととの直接的共在である。言い換えれば、民族誌の生命は、人びとの生の事実性がもつ、汲めども尽きない「豊かさ」に源をもつ。
著者
後藤 明
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.77, no.1, pp.41-59, 2012-06-30 (Released:2017-04-10)

本稿は、Mモースに由来するフランス技術人類学の伝統と、英米の人類学・考古学の遭遇という視点から、過去20年の人類学的技術論の展開を分析する。1993年は、フランスの人類学者A.ルロワ=グーランの大著[1964]が英訳された技術人類学の転機である。この年の前後に、フランスの技術人類学関係の論集や、それに呼応した英米圏の考古学などにおいて、新たな動きが進行していた。ルロア=グーランは、人類の骨格、技術、知能、そして言語の共進化を分析する概念としてジェーン・オペラトワール(chaine operatoire)を唱え石器の分析に適用した、フランス人類学のその後の世代によって石器の製作だけではなく、土器、水車、製塩、醸造法など多様な技術的行為の分析に適用されてきた。ジェーン・オペラトワールとは、原材料をその自然uの状態から加工された状態へ変換する一連の動作である。そして、その行為において潜在的な選択可能性のひとつを、行為者が身体を通して物質に働きかけることによって顕在化する過程を意味する。この視点においては、身体技法、技法と技術の違い、さらに素材の選択や生産物に対する認知や社会表象の総体が分析対象となる。またその結果として、技術的選択の社会性あるいは社会に埋め込まれた技術的行為という視点が提唱される。米英の民族誌あるいは考古学の潮流にも、類似の指向性は散見されたが、過去十数年はハビトゥスやエージェンシーのような概念と考古学資料をつなぐミドルレンジ・セオリー(中範囲理論)としてジェーン・オペラトワール論が適用され成果をあげている。またジェーン・オペラトワール論では、認知の問題も重要であり、認知におけるモノの重要性を唱える物質的関与論との接近も予想されている。さらに、近年ルロワ=グーランの再評価の論集が認知科学や哲学の世界でも出版されており、ジェーン・オペラトワール論は、今後も人文学全体においても重要な参照項であり続けるだろう。
著者
加瀬澤 雅人
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.70, no.2, pp.157-176, 2005

近年、アーユルヴェーダは世界的な医療となりつつある。南アジア地域固有の医療実践であったアーユルヴェーダは、今日では世界各地に拡大し、それぞれの地域で新たな解釈が加えられ実践されている。インドにおいてもアーユルヴェーダがグローバル化した影響は大きい。多くの患者が海外からインドに訪れるようになり、南インド・ケーララ州では、このような患者のための滞在施設が乱立し、アーユルヴェーダは一大産業となりつつある。世界とのかかわりのなかで、インドのアーユルヴェーダ実践は変容し再構成されているのである。しかし、アーユルヴェーダがグローバルな産業として発展している現状について、インド現地のアーユルヴェーダ関係者の不安もある。海外でアーユルヴェーダが医療ではなく「癒し」術として広がり、その一方でアーユルヴェーダの生薬や治療法にたいしては先進国の企業によって特許が取られていく。このような状況は、インドのアーユルヴェーダ医師や製薬関係者の海外進出を阻み、アーユルヴェーダを彼らの関与できない方向へと転換している。こうした状況のなかで、アーユルヴェーダの知識・技術に関する権利を国家的に保護し、インド主導で医療・産業としての可能性を世界規模で広げていくために、近年ではこれらの知的財産・技術をインドの「ナショナルな資源」として位置づける動きが生まれつつある。
著者
奈倉 京子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学
巻号頁・発行日
vol.80, no.4, pp.615-634, 2016

従来の研究の中で、中国は中国系移民にとって揺るぎのない「故郷」であり、当事者と常につながりを維持している対象であることが自明視されてきた。これに対し本稿では、父方祖先の出身地とのつながりに着目しながら、実際に中国での生活を経験することになった中国系移民の個人が持つ通時的な中国認識のダイナミズムを考察する。 考察の対象とするのは、排斥や戦争のために帰国を余儀なくされた中国系移民の二世の人々で ある。突如、中国と直接的に関わることを余儀なくされた人々にとって中国とはどのような存在 なのだろうか。筆者は帰国華僑のコミュニティ調査に基づく2つのケースから、彼らの中国認識について分析した。 2つのケースから、彼らにとって中国を「故郷」と認められない状況が生まれていることが明らかになった。1つ目のケースは、当事者の矛盾する中国認識を示している。帰国後も父方祖先の出身地の親戚との付き合いを続けており、中国に愛着を感じてはいる。だが中国社会の目に見えない規範のために「故郷」から跳ね返されてしまう。もう1つのケースは、父方祖先の出身地との連絡が途絶えていることに加え、中国で生活を経験してきたどの場所に対しても愛着を持つことがない。当事者は中国よりも元移住先の地に親しみを抱いている。彼にとっての中国は、「故郷」を消失している状態の中で、物理的生活を営むいくつかの無機質な場の点在として現れている。 このような中国系移民の中国へのつながりのあり方は、クリフォードの「起源(roots)」と「経路(routes)」の考え方により説明できる。本稿のケースから、父方祖先の出身地を中心に据えるような本質的に理解されてきた「起源」が、「経路」によって意味づけ直されたり、変更されたりすることが明らかになった。本質的な「起源」への「経路」が持つ構築性を浮かび上がらせているのである。このような考え方は、中国系移民が中国との関係を所与のものとする従来の認識に再考をせまるものである。
著者
左地(野呂) 亮子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.78, no.2, pp.177-197, 2013-09-30 (Released:2017-04-03)

住まいの空間をめぐる人類学の研究において、これまで、住居と象徴的、類比的関係をもつ身体や、空間の意味を読み解く媒体となる身体が注目されてきたが、感覚や運動を通して周囲の環境へと働きかけ、居住空間構築のプロセスに関与するような身体の経験については十分に議論されてきたとはいえない。そこで本論文では、フランスに暮らす移動生活者マヌーシュのキャラヴァン居住を事例として、環境や他者と関係を結びながら「方向=意味」を産出し、空間を「つくりあげる」身体の働きを明らかにすることを試みた。マヌーシュは、キャラヴァンという移動式住居を用いて野外環境を取り込んだ開放的な居住空間を構築するが、そこでは外部環境や他者との交わりの領域へと身体の正面を向ける独自の「構え」があらわれる。本論文では、このマヌーシュの身体の姿勢、ないしは環境や他者への構えを「身構え」と呼び、それが日常生活で出会い共在する他者との相互行為をどのように方向づけることで、キャラヴァン居住の空間構成にかかわるのかを検討した。そしてそれにより、マヌーシュの住まいの空間が、他者とのあいだで「共在感覚」を生み出しながら空間を拡張する身体の働きを通して構築されていることを明らかにした。
著者
大川 真由子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.69, no.1, pp.25-44, 2004-06-30 (Released:2017-09-28)

本稿は、オマーンにおいて専門職として社会進出を果たしているアフリカ系オマーン人のエスニック・アイデンティティを明らかにすることを目的としている。具体的には1970年代以降のオマーン社会において、ネイティブ・オマーン人との関係性の中で、「ザンジバリー」という社会カテゴリーがどのように生成・表象されてきたのかを検討し、名称(「名づけ」と「名乗り」)、系譜、混血といって視点から彼らのエスニック・アイデンティティを分析する。一般的な移民と異なり、アフリカ系オマーン人は移住先だけではなく、祖国でも差異化されるという特徴をもつ帰還移民である。アフリカ系オマーン人は、東アフリカへの移住、スワヒリ化、ザンジバル革命、オマーンへの帰国というさまざまな歴史的経験を通じて、複雑なアイデンティティを形成した。本稿はこうした歴史的経験に加え、父系を強調するアラブの系譜意識が彼らのアイデンティティ形成に影響を与えることを指摘する。ネイティブ・オマーン人から「ザンジバリー」と呼ばれ、アラブとみなされていないにもかかわらず、アフリカ系オマーン人は系譜を用いてみずからのアラブ性を主張する。筆者は、「ザンジバリー」と「名づけ」られた側の「名乗り」や自意識のあり方の考察を通じて、彼らのアラブ性の主張のなかにも多様性が存在することを明らかにする。さらにはその主張が実践を伴わないことを示すことにより、彼らのエスニック・アイデンティティの揺れを描写することが可能となるのである。
著者
根本 達
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.78, no.3, pp.345-366, 2013

本論では後期近代の特徴が見られるインドの中間集団として、宗教社会運動の中で再創出されてきたナーグプル市の仏教徒(「不可触民」)集団を取り上げ、ヒンドゥー教から仏教への改宗運動に取り組む仏教徒活動家と、宗教を分断する活動家の働きかけを受けつつも宗教間の境界に立ち続ける「半仏教徒・半ヒンドゥー教徒」の視点に着目する。仏教徒たちは指導者アンベードカルの教えを基盤とする仏教徒共同体を創出している一方、生活世界から立ち上がる「親族」関係の網の目の中にもそれぞれの居場所を持っている。前者は「国民的同一性」の論理に依拠する閉鎖的で排他的な共同体であり、国際社会を宗教によって切断・分類するものである。そこでは「エンジニア」のやり方を基礎とする「分ける者」の連帯が構築されている。後者は「関係性による同一性」の論理に依拠し、水平的に拡張する対面関係の網の目であり、それぞれが家族的な愛情によって繋がっている。現在のナーグプル市では仏教への改宗運動における取り組みを通じて、排他的共同体と対面関係の網の目が対立しており、「過激派」を含め、仏教徒たちは「差別に抗する団結か、家族的な愛情か」という二者択一の問いの前でジレンマに直面している。このような中、「半仏教徒・半ヒンドゥー教徒」と呼ばれる仏教徒青年たちは抗議デモと日常的な喧嘩の間に類似性を見出し、排他的共同体と対面関係の網の目を繋ぎ合わせ、「団結か、愛情か」という二者択一のジレンマを乗り越えている。そこでは「ブリコルール」のやり方を基礎とする「繋ぐ者」の連帯が構築されている。不確実性を特徴とする後期近代において、「分ける者」の連帯の形成が排他的共同体間の対立に繋がるものである一方、「繋ぐ者」の連帯には別々の共同体に属する自己と他者が別の経路を通じて同一の連帯に参加する可能性が常に残されており、自己と他者の交渉の場が開いたままになっている。
著者
松田 ヒロ子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学
巻号頁・発行日
vol.80, no.4, pp.549-568, 2016

1945年8月に日本が無条件降伏した際、台湾には約3万人の沖縄系日本人移民(沖縄県出身かあるいは出身者の子孫)がいたといわれている。そのなかには、1895年に日本が植民地化して以来、就職や進学等のために台湾に移住してきた人びととその家族や親族、戦時中に疎開目的で台湾にきた人びとや、日本軍人・軍属として台湾で戦争を迎えた沖縄県出身者が含まれる。本稿はこれらの人びとの戦後引揚げを「帰還移民」として捉え、その帰還経験の実態を明らかにする。沖縄系移民は日本植民地期には日本人コミュニティに同化して生活し、エスニックな共同体は大きな意味を持っていなかった。にもかかわらず、米軍統治下沖縄に引揚げの見通しが立たないまま、台湾で難民状態におかれた沖縄系移民らは、はじめて職業や地域を超えて全島的な互助団体「沖縄同郷会連合会」を結成した。中華民国政府からは「日僑」とよばれた日本人移民らは、原則 として日本本土に引揚げなくてはならなかったが、米軍統治下沖縄への帰還を希望した人びとは、 沖縄同郷会連合会によって「琉僑」と認定されることによって引揚げまで台湾に滞在することが特別に許可された。すなわち、帝国が崩壊し引揚げ先を選択することが迫られたときに、それまで日本人移民コミュニティに同化して生活していた人びとにとって「沖縄(琉球)」というアイデンティティが極めて重要な意味を持ったのである。しかしながら、「琉僑」として引揚げた人びとが須らく米軍統治下沖縄社会を「故郷」と認識し、また既存の住民に同郷人として受け入れられたわけではなかった。とりわけ台湾で幼少期を過ごして成長した引揚者たちは、異なる環境に適応するのに苦労を感じることが多かった。また、たとえ自分自身は沖縄社会に愛着と帰属意識を持っていたとしても、台湾引揚者は「悲惨な戦争体験をしていない人」と見なされ、「戦後」沖縄社会の「他者」として定着していったのである。
著者
吉田 佳世
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.80, no.1, pp.59-70, 2015-06-30 (Released:2017-04-03)

This paper describes women's status in Okinawan ancestral rituals, focusing on the differences between wives and sisters. I attempt to reexamine the image of female domination in Okinawan rituals, which has been grounded in the traditional concept of onarigami. Onarigami is the belief that a sister's sacred power guards brothers from danger. Anthropologists had paid much attention to this belief, because they regarded it as the basis of kinship systems in Okinawa. That research showed that sisters are ritually more predominant than wives, and that wives gradually become full-fledged members of their husband's family as they move through their life cycles, becoming first mothers and then grandmothers. However, academic curiosity about onarigami created a strong impression that female status in Okinawa is high. In recent research, those studies have been criticized for overemphasizing female domination. In addition, academic interest in women's studies has moved away from measuring the relative position of women, because it leads to a monolithic image of women. In recent studies, researchers have attempted to find differences between women and the causes of those differences. Based on those debates, I would like to pay attention to the real relationship between wives and sisters in ancestral rituals. This paper focuses on whether differences exist between wives and sisters regarding their roles and status, and if so, what actually causes those differences. Also, it asks what significance there is in the handling of rituals by women when it imposes a great burden on them. Four cases of memorial services for ancestors (suko) are presented, collected between 2007 and 2009 in X district in northern Okinawa Island. The paper's findings include the following points: Married sisters continue to play an influential role in the management of rituals as members of their parents' homes. On the other hand, wives, like guests, have no role at the beginning, but gradually begin to play an important role and build a solid position in the husbands' families. These features were nearly identical to those suggested in previous studies on onarigami. However, in fact, some sisters don't play major roles, and some wives don't assume leadership even if they become grandmothers. Understandably, they tend to keep a low profile in their families and do not have much say in decision-making. That indicates that women's status in their families depends on how they contribute to the rituals. In other words, all women are not automatically elevated to positions in their families, but acquire them over time by their own endeavors. By comparing them with men, this paper concludes that this feature is characteristic of women. The significance of women carrying the burden of rituals has changed with the modernization of Okinawa. In the past, it used to mean that women built up a strong position within the family. In recent days, however, it has come to mean that women follow in the tradition of male domination.
著者
内山田 康
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.76, no.1, pp.53-76, 2011-06-30

ミーナークシー寺院の北門を守るチェッラッタンマンは、偉大な神に否定された卑しい女神なのか。菜食の神々と肉食の神々の関係は、カースト間関係と相同のロジックを持ち、両者は相補的で階層的な関係にあるとするデュモン、ビアドゥー、フラーらの構造的な思考からこぼれ落ちたパーソンの過剰を本稿は取り上げる。パーソンは階層的に差異化した存在者ではない。パーソンは変態する。パーソンは他のパーソンの中に現れる。私は本稿において、高位の神の分身とされる低位の神の本性を、答えが予め決定している階層性の公準において捉えるのではなく、パーソンに内在する生成する差異とその外在化において探求する。すなわちアンチテーゼでチェッラッタンマンを捉えるのではなく、テーゼにおいてチェッラッタンマンは誰かを問う。南インドの周縁の伝統には、パーソンの連続性に関る古い主題と古いロジックが残っている。このロジックを辿ると、高位の神と低位の村の神の間に、差異と連続性が現れる。古い南インドの存在論のパースペクティヴから見ると、チェッラッタンマンとミーナークシーは、反復から生まれた相互の分身と捉えることができる。持続の中で、ミーナークシーは部分的にチェッラッタンマンの未来となり過去となる。私は全体性のパースペクティヴが捨象した契機を、存在への問いに導かれて記述することを試みる。
著者
鈴木 七美
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.70, no.3, pp.355-378, 2005-12-31

「介護」は、他者への配慮・自己への配慮といった人間関係行為の総体に関わる概念だと捉えられる。「介護」を問うことは、「全体としての生」をテーマとして、人間の身心に具体的に関わる配慮的関係のありようを再考することであり、それ自体社会的・文化的に規定された文化人類学研究の対象である。本稿では、「高齢社会問題」そのものがどのように問題化されているのか、その構造に関し検討を加えた。「介護」にかかわり、「自立した生活」などと表現される「個生」へのまなざしをとりあげ、「個別的ライフスタイル」や、相互性のなかに生きる人間のアイデンティティの表現としての「個生」の模索について考察した。「介護」の試みは、高齢者の福利厚生のみを対象とすることでは果たせず、どの世代に関しても諸関係性を紡ぐ過程で創造される充足に配慮した構想を立ち上げる必要に言及した。「介護」あるいは「ケア」、すなわち相互性のなかに生きることに関して検討することは、壮年を中心とした狭義の社会を問い直すことにほかならない。とはいえ、現代生活においても人々は自らの暮らしを問い直し関係性を紡ぐ方途を模索し続けている。各人の活動の充足を念頭に労働時間の短縮や変更が広く認められているスイス連邦では、自宅で暮らすことを願う高齢者を援助する「シュピテックス」を推進してきた。対面的コミュニケーションが日常的に実現できる地域では高い評価を受けているこのシステムだが、都市部ではコミュニケーションや高齢者の創造的活動については保証できないという問題点が指摘されている。この点を考慮しつつ、地域に適合的な産業振興を模索してきた町を例として、高齢者が充足する社会は、環境をも含め共生社会構想と切り離しては実現できないという点に言及した。人々が求めるものは、一方から他方へのサービスのみを考案することでは持続的に充足せず、循環機構を組み立ててゆくことが不可欠である。この過程で、人々は年齢を問わず「明日」を見据えることが習慣となり、常に変動の相にある新たな相互関係を築くことに参与することになった。ケアについて考えることは、諸関係性を生きる様式のヴァリエーションに関し現時点で再考することにほかならない。
著者
八木 弥生
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.70, no.3, pp.335-354, 2005-12-31

本稿は、ふたりの乳がん患者会リーダーが、自らの病いの苦悩を見据え、日常的に相互交流を深めながらそれぞれの患者会を運営し、他の患者をケアしていくことによって、自己活用の価値や病いの意味に気づき、人をケアすることを通して自分自身もケアされていくことを認識するプロセスを明らかにすることを目的とした。ほとんど構成のないインタビューをそれぞれ別に実施し、自由に語られた彼女らの物語りを、それぞれのライフヒストリーとして再構成した。それ等を比較検討すると、家族背景や生活環境の多少の違いはあるものの、それぞれのライフヒストリーは相似形を成したので、これをふたりのライフヒストリーとした。ふたりのライフヒストリーは次のような8項に分けることができた。1 中年期の専業主婦として家族の世話に忙しく、自分の健康問題への関心が疎かになっていた日常の中で乳がんを発見する。 2 異なる環境でそれぞれに苦悩しながら、乳がんの治療を受け、自らのからだに生じていることへの認識を高める。 3 術後1年で同側への再発(Bさん)、退院後1週間で反対側の乳がんの発見(Cさん)という現実に圧倒される。 4 初発時より苦悩は深まるが、病気に関連するさまざまな学習を深める。 5 患者会のリーダーとなる過程でふたりは知り合い、さらに共通の知己となったT医師とも協同していく。 6 家族の協力を得て患者会活動を充実・発展させていく。 7 医師や患者会の援助を受け、ふたりの協同で活動を社会的に発展させていく。 8 患者会活動を通して、乳がんの経験の人生における意味を味わう。 また、逐語録を詳細に吟味し、病いの経験がふたりの人生にもつ意味を象徴的に語っている箇所を抜き出し、同じ要素をもつものを集めて分類して次の3項にまとめた。 1 自らの人生は自らが織り成すものである。 2 病いは共存していくもので、織り成していく人生の一部である。 3 病いを克服していく力は、苦悩を人生に織り成すことによって強められる。 ふたりの乳がん患者会のリーダーは、病いとともに生きることが自分の生き方を強く深くしてきたと解釈しており、さらに、患者会に集まる人々のための世話をする過程で、その人々もまた強められていく様子を見ていくことに喜びを感じていた。また検診に関して行政を動かし、医学生の教育の一端を担えるようになったことなど、病いを経験しなければ味わえない喜びを味わっていた。彼女たちは人をケアすることによって、ケアの本質である「成長」と「自己実現を果たす」プロセスを歩んでいた。
著者
白川 千尋
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.69, no.1, pp.115-137, 2004-06-30

本稿は、日本のテレビ番組におけるメラネシア地域とそこで生活する人々の取り上げられ方について検討したものである。対象とした番組は1998年から2002年までの約5年間に放映された44件である。序論の第I章に続く第II章において、メラネシアのなかでとりわけどのような地域や人々が番組の対象としてより頻繁に選び出されているのかという点を明らかにした後、第III章と第IV章では、選び出された地域や人々の描かれ方の分析を行なった。また、第V章では、対称の選択の仕方や描き方をめぐる複数の番組間、あるいは番組と雑誌や図書などの間の参照関係を具体的に跡づけるとともに、そうした関係に対する民族誌的著作物の関与のあり方を明らかにすることも試みた。検討の対象とした番組ではイリアンジャヤやヴァヌアツ、パプアニューギニアの集落部や、腰蓑やペニスケースなどの「伝統的装束」を身につけた人々がとりわけ頻繁に取り上げられていた。また、番組ではもっぱらこれらの地域や人々の「近代的な世界」からの隔絶性が強調され、そうした世界との交流を示す事象は遠景に退けられたり捨象されていた。こうしたなかで、民族誌的著作物は番組製作者側によって番組を制作する際の情報源ないしアイデアの供給源として利用されることにより、対象の選択の仕方や描き方をめぐる参照関係のネットワークのなかに取り込まれていることが明らかになった。結論の第VI章では、こうした状況において人類学者が取り組むべき課題について触れた。