著者
左地 亮子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.78, no.4, pp.470-491, 2014-03-31

近年、人文社会科学の諸領域において、「語り」が意味生成に関与し、個人と他者や共同体との関係を架橋する社会的行為として注目されてきたのに対して、「語らないこと」や「沈黙」は、共同性に対立する孤立や孤独と結びつけられ中心的に扱われてこなかった。本論文は、こうした研究動向に新たな視座を提示すべく、フランスに暮らすマヌーシュの死者をとりまく「沈黙の敬意」を事例に、沈黙の共同性を明らかにすることを試みた。その際に注目したのは、服喪のあいだに死者をめぐって生じるマヌーシュの沈黙が、これまでの「死の人類学」において指摘されてきた、「個別特異な死者から集合匿名的な祖先への移行」を妨げる側面である。マヌーシュは死者の名前や記憶を口にすることを避け、遺品を廃棄する。先行研究は、この死者に属し死者を喚起するあらゆる有形無形の事物を共同体から排除するマヌーシュの態度を、死者の「忘却」を導き、死者を「集団の永続性」を保障する「匿名の祖先」に変換する手続きとみなしていた。しかし本論文では、マヌーシュの沈黙が、むしろ死者や遺族という共同体内部の個人の存在や体験の「特異性=単独性」を保護するために「敬意」という価値を与えられること、そしてそれがゆえに、個の体験を全体性の中に解消することを阻み、死者から祖先への移行が果たされる服喪の終了を先延ばしにすることを指摘した。マヌーシュの沈黙は、「個の全体への統合」を志向する調和的な儀礼モデルに抗いながら、差異の「分有」としての共同性を開示するのだ。
著者
佐々木 重洋
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.80, no.2, pp.242-262, 2015-09-30

本稿の目的は、エヴァンズ=プリチャード(以下、E-P)の思考の軌跡と、彼が示していた問題意識と手法をあらためて批判的に再検討し、その知的遺産と検討課題を現在に再接続させることにある。本稿では、民族誌や論考、講義録や書簡から読み取ることができるE-Pの構想のなかでも、人間の知覚と認識、その作用に影響を与えるものとしての社会、それも決して閉じた固定的なシステムではなく、人間関係の動態的な諸関係としてのそれとは何かをモンテスキューにさかのぼりつつ自省し続けた点と、民族誌と人類学の主要な仕事としていち早く解釈という営為を強調した点にとくに注目し、その背景を再検討した。アザンデの妖術やヌアーの宗教を扱った民族誌においては、当時の西欧的思考の枠組みに対する疑義ないし違和感が表明されていたが、E-Pとその後進たちの遺産は、そこに「インテレクチュアル・ヒストリー派」としての省察がともなうかぎり、主知主義批判、表象主義批判や言語中心主義批判、主客二元論批判や心身二元論批判としても、今なお私たちにとって着想の源泉たり得る。さらに、共感や友情を強調したその人文学的経験主義からは、絶えず自己に立ち返り、自らが影響を受けている知的枠組みと社会背景に対する自省を保ちつつ、調査する者と調査される者のあいだの共約不可能性を乗り越えようとする姿勢を継承でき、それはフィールドワークと民族誌を取り巻く思想的、物理的環境が大きく変わりつつある今こそ、あらためて参照に値することを指摘した。今日、E-Pに立ち返って考えることは、モンテスキューを脱構築しつつ、人類学的思考が哲学や社会学はもとより、法学や政治学、経済学などと未分化の状態であった時点に立ち返って考えることにつながるものでもあり、今後の人類学が人文学とどのように関係すべきかという点も含めた人類学の知のあり方を模索するうえで一定の意義があると考える。
著者
佐藤 斉華
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.73, no.3, pp.309-331, 2008-12-31

ニマ(仮名)は、「女は(嫁に)行く」ことが現在までなお揺るぎない規範性を保持しているネパール・ヨルモ社会に生きる、未婚の中年女性である。本稿は、社会的規範により抑圧され周縁化されている個人が、この規範との緊張を孕んだ関係のもとでいかなるエイジェンシーを発揮するのか、いかに自己を構築しその生存の場所を切り拓くのかという問いを、このニマが語るライフ・ストーリーを通して探究しようとするものである。興味深い事実は、婚姻を命じる規範がその一端を構成するところの、彼女にとって抑圧的な社会的編制のもとで生きることを余儀なくされながらも、彼女自身がこの婚姻規範を繰り返し肯定し、自らの「逸脱」性を率直に認めていることである。規範への全面恭順とそれが含意する自らの逸脱性の受容という、一見平板な身振りのもとで彼女が紡ぎだす語りを辿るにつれ浮かびあがってくるのは、しかし、規範への一面的な服従とは程遠いものであった。自己否定をあえて引き受けつつも自己の生存をしたたかに確保し、明示的には規範を肯定しながらもこの規範から逃れでていこうとする志向を滲ませる彼女の言葉は、体よい要約を拒み、不分明なその声は構造に折り込み済みのエイジェンシーを越えでる潜勢力を宿す。もちろん、そのような潜勢力がいかなる展開を遂げる(あるいは遂げない)かについて、軽々しく予断するのは不可能なことである。
著者
菊田 悠
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.77, no.3, pp.361-381, 2013-01-31

本稿では中央アジアのウズベキスタン東部の町を舞台に、ムスリム(イスラーム教徒)の住民が、各職業にはその職に従事する人々を守護する聖者「ピール(pir)」がいると考え、それに対して加護を願い、聖者廟への参詣や儀礼等を行う現象(ピール崇敬)を分析する。これにより、ソヴィエト連邦時代の急激な産業・社会構造の変化にもかかわらず、今もピール崇敬の多くの要素が維持され、幾つかの業種では同業者の連帯や親方の数と技能水準の維持に力を発揮していることが明らかとなる。一方、調査地の中心産業である陶業では、ピール崇敬を通じた同業者の統制機能は縮小しているが、一部の陶工たちはピールの教えとして工房における行動規範を現代的な生活様式に合う範囲で語り伝えたり、人智を超えた不可解な現象を起こす存在としてピールに畏敬の念を抱いたりしている。また、ピールに理想の陶工像やソ連後の市場経済化で必要とされる作家性の源泉等を見出して重要視する陶工たちも存在する。すなわち、ピール崇敬は現在も集団の統制から個の表現まで幅広い機能を果たし、ピールは脱呪術化・日常倫理化と神秘性の絶妙なバランスを保っている。これはイスラーム的聖者の性質の多様性と現代社会への適応力を示し、教団組織(タリーカ)を基盤としない聖者崇敬の事例としても貴重である。
著者
高橋 絵里香
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.73, no.2, pp.133-154, 2008-09-30

西欧/非西欧の二項対立は、人類学のパーソンフッド論における基本的な前提となってきたが、西欧的なパーソンフッドとしての「近代的個人」の背景にある自立の概念は、これまで十分に検討されてくることがなかった。しかし、自立/依存の概念は歴史的な変遷を遂げてきており、身体的自立・経済的自立・自己決定としての自立という3つの自立概念の「要素」は、現代では混在した状態にある。フィンランドの高齢者福祉における在宅介護サービスは、一人で暮らす人々の「自立」を支えているが、高齢者達が経験する身体的な危険はホームヘルパー達の介入を正当化し、彼らを施設へと移転させる契機としてシステムの中に組み入れられている。その一方で、そうした介入の機会は、高齢者達の側から能動的な働きかけを行う契機ともなっている。つまり、自立と依存は明確に分離することのできる概念ではなく、両者が錯綜した状態の中で互いの適用領域を定義し合っている。本稿で紹介する在宅介護サービスを通じて、他者への(からの)介入/非介入の境界上において、経済・身体・自己決定という自立の3要素が相互に連関し、自立のセットをなすという、近代的個人の一様態がエイジングの過程の中に見出される。
著者
中西 裕二
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.71, no.2, pp.221-242, 2006-09-30

本論は、桑山敬巳による「人類学の世界システム」論を、日本人による日本国内の文化人類学的調査研究、及びその日本語での記述に応用する可能性を探るものである。その一つの例として、歴史学者黒田俊雄の顕密体制論、その背景にある神仏習合思想、及びフィールドにおけるそれらの記述から導かれる諸問題を取り上げる。桑山は、「人類学の世界システム」という概念を設定することにより、文化の記述をめぐるヘゲモニーを明らかにしたと同時に、ネイティヴ、そしてネイティヴの人類学者の位置づけを明確化した。この、世界システムの中心と周縁の関係性は、日本の文化言説を創造するローカルシステムと日本人文化人類学者の関係性と類似している。日本の文化人類学は、日本を研究対象地域から除いたことにより、このローカルシステムの外部者となったからである。従って、世界システムの周縁から中心を相対化しようとする桑山の試みは、日本国内のローカルシステムに対しても有効であると考えられる。本論では上記の具体例として、中世史家黒田俊雄の文化史モデル、具体的には黒田が「顕密仏教」と呼んだ中世的宗教体系、及びその背景となる神仏習合に基づく民俗文化論を取り上げる。神仏習合はフィールドで観察可能であるのに対し、それを軸とする民族誌的記述は数が少ない。その原因がローカルシステムの文化言説におけるイデオロギー性と近代性に帰せられる点を指摘し、フィールドからの新たな日本研究のあり方を提示する。
著者
岸上 伸啓
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.70, no.4, pp.505-527, 2006-03-31

本稿では、カナダ国モントリオールの都市イヌイットをめぐる私自身の人類学的な調査を検討することによって、人類学的実践の限界と可能性を論じる。本稿で概略したように、私は1996年からモントリオールの都市イヌイットの中で人類学的な調査を実施してきた。そして1997年調査の結果は、モントリオール在住の何人かのイヌイットがモントリオール・イヌイット協会や月例夕食会を開始する契機となった。人類学者として私は都市イヌイットの民族誌を作成しようとした。また、同時にモントリオール・イヌイット協会のボランティアの協力者として協会に関係する問題に関して都市イヌイットの間や、彼らとカナダ政府の役人との間で仲介者の役割を果たしてきた。さらに、協会の代表者たちやカナダ政府の役人たちは、彼ら自身の目的のために私のデータや調査結果を利用している。前者の人たちは、カナダ政府からよりよい経済的な援助を受けようとして私の調査データを利用している。後者の人たちはオタワで政策を立案するために都市イヌイットの現状をよりよく理解するためにデータを利用している。このような状況の中で、私は人類学的実践や人類学者の役割を再考せざるを得なかった。とくに私は私自身の調査が多くの人々の生活に影響を及ぼすことを知ったので、人類学的な調査を行なう時には、倫理的な問題とかかわらざるを得ない。私は、文化人類学の目的とは現地調査において当事者と外部の両方の視点から、ほかの諸民族や諸社会とのかかわりの中で所与の人々が産み出す実践や言説、社会・文化現象を理解し、記述することであると考えている。この論文で示したように、人類学者は、主流社会に属する人々が無視する傾向があった人々の生活や文化を描き出すことができる。これは人類学の学術的な意義のひとつである。さらに、そのような調査の結果は、不遇な境遇にある人々の生活を改善させるための社会運動や政策形成に応用することができるので、人類学者は実践的なやり方で人類の諸問題の解決に大いに貢献することができる。概して現代の人類学は、目的に応じて民族誌の作成と応用人類学に大きく分けられる傾向にあるが、実際には両者の実践は相互に関係している。すなわち、長期の現地調査に基づいた研究は、現代の世界における数多くの多様な問題の解決に応用することができる。近年、「行動人類学」や「公共人類学」が人類学者の間で注目されてきた。本論文で私自身のモントリオール調査の事例で紹介したように、人々の生活に影響を及ぼす人類学的な実践の正当性の問題や集団内に派閥を作り出したような多くの倫理的な問題が付きまとう。これらの問題を避けることは不可能であるが、すべての人類学的実践を人類学者自身が自省しつつ行なうこと、そしてその人類学者以外の人がその実践を評価・批判し、常に相対化することによって、状況は改善されるであろうと私は主張する。最後に、民族誌的な表象における「文化を書く」ショックの問題を取り上げたい。ほかの諸民族や諸文化を研究し、記述する時に、新しい民族誌の描き方を開発するだけでは文化を記述する諸問題を解決することはできない。なぜならば、その間題は部分的には調査者とかれらのインフォーマントとの間にある世界システムが生み出す政治経済的な権力関係の不平等性に基づいているからである。しかしながらこの間題を部分的にせよ解決するもしくは改善させるためには、私は、個々の書き手(人類学者)、共著者(人類学者とインフォーマント)、インフォーマントおよび彼らと同じ集団のほかの成員、そのほかの読者(民族誌の消費者)が参加し、表象を検討しあうフォーラムの場をつくり、評価・批判しあう方が、新たな人類学的な知識、さらには新たな民族誌表象を生み出す可能性があるという点ではるかに実り多いと主張したい。民族誌に関するこの種のフォーラムでは、個々の民族誌の文化表象や集団表象の諸問題を完全には解決することはできないが、新しい人類学的な知識を生み出す刺激を提供することができる。
著者
石井 美保
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.70, no.1, pp.21-46, 2005-06-30

本論の目的は、ガーナのエウェ民族によって行われている卜占アファを対象に、地域社会を越えて利用されている卜占の特徴を明らかにするとともに、卜占と儀礼を通して創出される多声的な語りと重層的な現実構成の可能性を考察することである。サハラ以南アフリカの卜占を対象とする先行研究の多くは、共同体における社会秩序の再生産や合意形成といった卜占の社会政治的機能を指摘してきた。一方、卜占を利用する人々の主体性に焦点を当て、卜占の参与者を能動的なエージェントとしてとらえる視点が提起されている。社会構造に規定された存在としての人間像を生産してきた構造機能主義的な卜占研究に対して、後者の研究は人々の経験や能動的な行為に焦点を当て、構造に対する個人の戦略や選択の意義を明らかにした。しかしこのような視点は構造に対峠する個人の主体性を強調するあまり、託宣をはじめとする特殊な発話や行為の様式を通してうみだされる個人の意図を超えたエージェンシーや多元的な現実構成の可能性さえも、既存の社会内部における個人の選択や戦略に従属するものとして矮小化してしまう危険性をもつ。本論では、アファの卜占と儀礼を微視的に分析し、占師と依頼者の共同作業を通して多声的な物語りと超常的なエージェンシーが発現する過程を検討する。占いの過程では、依頼者の日常的な社会関係は託宣が開示する神話的/呪術的な現実の位相の中に位置づけなおされるとともに、語り手である依頼者の人称は多重性を帯びる。また、儀礼の過程では身体的な演技と祭祀要素の操作を通して、依頼者の苦難と運命は儀礼のエージェントとしての「もの」に依託される。II章では、アファ祭祀の一般的特徴を概観し、調査地の社を紹介する。III章では、卜占の対話と儀礼を分析し、物語りの創出と供犠の施行を通して依頼者が日常的な現実認識を脱却する過程を考察する。
著者
モハーチ ゲルゲイ
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.76, no.3, pp.288-307, 2011-12-31

今日の日本において病気そのものの民族誌を描き出すことを目的とするならば、遅かれ早かれ、科学の現場にたどり着くことになるだろう。本論文では、種々の民族誌的ならびに科学的な材料をもとに、医学の二つの現場である臨床と研究所で行われるさまざまな実践を描く試みを展開し、そこで生活習慣と倹約遺伝子という、糖尿病学のそれぞれ異なる標的を行き来する代謝の動きを追いかけていく。糖尿病などの慢性病を患っている多くの人々は、自覚されていない体内の働きを抱きつつ、日々の生活に不可欠な知識を習得していくなかで、さまざまな他者との距離をはかる人格を再構成していく。この二つの配置を互いに見いだすプロセスをここで「代謝を生きる」と呼び、生活と生物との相互包含関係に注目したい。まずは、働き盛りの中年男性の生活世界と血糖の検査値という一見異次元のようにみえるものの間を揺れ動く「生活習慣」の動的な性格を示す。そしてこの「生活習慣」が、生そのものを意味する倹約遺伝子の関与を得て、日本人という主体と創薬の対象の間を行き来することについては、論文の後半で述べる。最後に、こうした糖尿病研究の現場で増殖しているハイブリッドを通じて、人間と非人間の多様性が互いに関係しあい、影響しあうことに着目し、人間と科学の複雑で動的な相互干渉に取り組む人類学の可能性を実験的に模索する。
著者
中谷 和人
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.77, no.4, pp.544-565, 2013-03-31

芸術人類学にとって目下最重要の課題は「表象主義」の克服にある。ここでいう表象主義とは、芸術に関する諸問題を何であれ世界の「再現/表象」の問題に還元して理解する立場を指す。相対主義にせよ構築主義にせよ、従来の視点の多くがこの立場を共有してきた。だが表象主義は、外的世界と内的世界の二項対立を前提とするがゆえに、究極的には芸術の営みを私たちが生きるこの世界から排除し、いわば神秘化することへとつながる。知覚心理学者ギブソンを嗜矢とする生態学的なアプローチは、こうした表象主義とそれが依拠する二元論を乗りこえるための一方策となりうる。人間と環境の相互依存性を原則とする彼の視角は、メルロ=ポンティの現象学的身体論や絵画論にも通底する。またこの視角が含意するプラグマティックな存在論は、ジェルの芸術論とも基本的な考えを共有する。これをふまえ、本論ではデンマークの障害者美術学校における知的な障害のある人たちの絵画制作活動を検討する。活動現場で注目すべきは、一見謎めいた生徒たちの制作が、実際にはその周囲の事物との緊密なかかわりあいのなかで実現している点である。制作に関わる技能や動機づけは、その内的特性にも外的要因にも還元しえず、身体を具えたかれらと環境との共働や交流にこそ成立する。一方、制作された作品が既存の社会関係や実践を予想外の方向へ導くこともある。作品はいったん出来上がると環境の一部となり、制作者本人を含む行為者たちに新たな行為の可能性を提供する。作品を介してもたらされた世界との新しい関係は、制作者自身の自己関係へと還流し、後続する制作のための新しい土台ともなる。本論では、こうした障害者美術学校における絵画制作活動を事例に、制作から作品の働き、その生への接合までを一連の出来事として捉えなおすことで、従来の芸術人類学で支配的だった表象主義を真に克服する「芸術のエコロジー」をめざす。
著者
猪瀬 浩平
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.78, no.1, pp.81-98, 2013-06-30

2011年3月に起きた東京電力の原発事故によってもたらされた原子力災害は、人と人、人と自然との間に様々な分断をもたらしている。本論文は、ボルタンスキーの議論に依拠し、混沌とした事態としての<世界>がたち現れる中で、人々が科学的実践を媒介にしながら制御可能性を取り戻し、共有・調整可能な制度としての<リアリティ>を再構成していく過程を民族誌的に記述する。筆者のフィールドである見沼田んぼ福祉農園メンバーの、原発事故以降の活動を振り返りながら、農園の放射能の測定や、福島における栽培実験を行う過程を通して、放射能汚染に対抗するための科学の組織化過程を記述する。原子力災害によって、この農園では活動継続性についての問いかけが起こるとともに、放射能対策についての見解の相違や、地域への拘り方の違いによるメンバー内の分断が起こる。このような中で科学的実践は、見沼田んぼ、福島、チェルノブイリといった様々な場所において多様な人間-非人間を結びつけ、混沌とした<世界>を少しずつ理解可能なものにしていく。同時にその試行錯誤の過程は、かつての障害者の地域生活運動における暗中模索と重ね合わされることで、メンバー内の分断を乗り越えていく。これら一連の記述を通じて、原子力災害の中で人々が<リアリティ>を構成していく過程を解明するための枠組みを提示する。それと共に、人類学者自身も含め、人々にとって、不確実な世界の中で<リアリティ>を恢復させる手段としての民族誌的記述の意義について再評価を行う。
著者
大野 加奈子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.72, no.2, pp.165-187, 2007-09-30

本稿では、日本の伝統文化とされる「書」について、現在見られる日本の書道界のシステムをそこで活動する一般修練者の立場から記述して提示し、茶道やいけ花の家元制度と比較してその特徴を考察する。日本の書は、本来情報伝達手段であり実用的なものであったが、日本の近代化の中で実用的価値が薄れ消滅の危機を迎えた。「芸術」「伝統文化」へその存在価値を求めた書は、義務教育への参入を通して日本人の誰もが書を経験するものとなり、日展をはじめ出品数2万点を越す全国規模の大型展覧会の開催といった活動を通し、現在の日本の書とそれを支える書道界を作り上げた。日本の書道界では、日展を権威のヒエラルヒーの頂点とした、全国規模の大型展覧会での受賞歴により階梯を登るシステムが形成されている。そのシステムを家元制度と称し、西山松之助が『家元制度の展開』で書道界(会)について述べている。書道界(会)のシステムを家元制度との比較から考察し、そこに働く力学を探る。書道界(会)は家元制度的な組織運営形態をとっているが、代々続く家元や継承すべき型は存在せず、書道界で地歩を築き上昇するための方策として家元的制度を採用していること、またそうすることで書道界全体が日本の「伝統文化」の中に位置づけられるのを目指す意図があったことを示す。
著者
山口 睦
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.76, no.3, pp.237-256, 2011-12-31

本論は、1945年までの近代日本社会に存在した軍隊への贈与行為を分析対象として、非日常性が強調されがちな戦時下の贈与行為と、それ以前の日常的な贈与行為との連続性を明らかにするものである。そのなかで、近代国家における国民としての贈与行為の特異性が浮かび上がってくると考える。日本社会は、贈与交換研究が始められた「未開社会」と異なり長い貨幣使用の歴史をもち、かつ、被調査者自身による文字記録を豊富にもつフィールドである。本論では、山形県南陽市のある農家が保存していた20世紀前半に記された従軍者への餞別の記録、日露戦争直前に現役兵として過ごした3年間を記録した日記を分析する。また、新聞資料から当時の社会における慰問袋の果たした役割について検討する。以上の分析から、日本国民である、という社会関係において見返りを期待しない、一回性、一方向的な贈与行為、「国民的贈与」領域が確認できる。この国民的贈与とは、既存の社会関係の外にあり、短期的な国民同士という結びつきであるため、従来のイエや個人を単位とした互酬的な贈与行為とは異なる近代国民国家に特徴的なカテゴリーである。ただし、これらの贈与行為は、既存の社会関係を基礎として、家族や友人である兵士へ、郷土の兵士へ、そしてその他の不特定の日本国兵士へ、というように同心円状に発展した。つまり、日常性(普段のつきあい)を土台として、その延長線上に行為対象の拡大を経て、戦時下の贈与(従軍縁、慰問袋の贈与)が形成された。この国民的贈与は、日本社会のみにみられるものではなく、大きくは個人間の私的贈与に対して、国外や国内の不特定多数の人びとに対する慈善行為としての「公的贈与」に含まれる。ただし、国民的贈与は、"公"の領域を国家という1つの枠組みに限定し、さらに本論で提示した戦時下の贈与は、排他的な"国民"を単位とするという特徴をもつのである。
著者
飯嶋 秀治
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.77, no.2, pp.273-293, 2012-09-30

1990年から現在に至る児童相談所への相談件数は、この20年間に55倍にも増加している。こうした相談の過程で「要保護児童」とされる児童たちの受け皿となる最大の施設が、児童養護施設である。近年、一方で社会的排除論では児童養護施設における暴力を問題としてきたし、他方で文化人類学はネオリベラリズム下で実践的な人類学の可能性を論じてきた。ならば次には、実践的な人類学が「暴力」と思しき問題に、具体的にどのようにつきあってゆくのか、という次元での議論が必要となろう。本稿では、この問題に気づいた臨床心理学的な介入実践と、そこで協働した文化人類学的なフィールドワークとの連携事例を紹介し、そこから児童養護施設での暴力問題に気づいた研究者が、異分野の研究者、所管の児童相談所、民営の施設管理職、施設職員及び児童らとともに、いかにして連帯を形成し、施設内暴力の解決を展開させてきたのかを考察する。そこから、出遭った事件から展開させる学問の在り方、臨床心理学と文化人類学の協働の可能性、ネオリベラリズム下での社会的排除につきあう人類学の可能性を提示したい。
著者
倉島 哲
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.70, no.2, pp.206-225, 2005-09-30

何かの技法を身に付けようとしているうちに、それまで身に付けようとしていた当の技法についての認識を新たにする経験は一般的である。このような経験を捉えるための視角を提供することが本稿の目的である。最初に、この経験を捉えることの困難さを確認する。まず、技法の学習者と指導者の主観は、いずれもこの経験を捉えるための足場として不十分である。なぜなら、学習者も指導者も、学習者が習得すべき技法についての認識の変化を繰り返し経験してきたからである。また、この経験を客観的に捉えようにも、学習者が経験する認識の変化をすべて拾い上げることのできる客観的な指標は存在しない。次に、この変化を捉えるための手がかりを、マルセル・モースの「身体技法論」に求める。モースは、過去の泳法と現代のそれを比較するとき、これらの技法の相違を、生理的差異・心理的差異・社会的差異という三つの異質な差異として捉え直す。論理的には相互いかなる関係も有さない三つの差異としてこれらの技法の相違が捉え直されたということは、この捉え直しが経験的になされたことを意味する。そのかぎりで、モースの記述からは経験的記述の対象になるだけの固有のリアリティを帯びた技法が立ち現れる。モースのいう技法「有効性」とは、こうして陰画的に浮かび上がる技法の経験的リアリティとして解釈できる。学習者が指導者の技法の有効性を認識することによって触発される模倣を、モースは「威光模倣」と呼ぶ。その具体的な姿を検討するために、私が1999年より2005年まで(執筆時点で継続中)フィールドワークを行ってきた武術教室S流を考察する。技法の経験的リアリティを足場とした記述がなされることで、技法の有効性の認識は、モースが指摘したように威光模倣の開始時点で一度だけ行われるのではなく、その過程で繰り返し行われ、そのたびに有効性の内実が変化することが明らかにされる。
著者
嶋田 義仁
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.74, no.4, pp.585-612, 2010-03-31

本稿は、長年続けてきたアフリカのサハラ南縁の乾燥地文化の研究を出発点にした、人類文明史の再構築の試みの一端を示すことを目的としている。アフリカ大陸とユーラシア大陸を一連のアフロ・ユーラシア大陸として理解すると、その中央に巨大な乾燥地域が存在する。そこには、古来様々な国家や都市が形成され、ヨーロッパ中心の近代文明が世界に広がる以前、人類文明の中心はこの地域にあった。本稿では、この地域に形成された文明を「アフロ・ユーラシア内陸乾燥地文明」と呼び、その原動力として牧畜文化の文明形成力に注目する。従来、乾燥地に都市や巨大国家が形成された理由として、灌漑の重要性が指摘されてきたが、ここでは、牧畜のエネルギーに注目する。なぜなら、家畜は化石燃料が人類のエネルギー源となる以前の時代において、人間が利用しうる最大のエネルギー源であり、なかんずく長距離にわたる人と物資の移動(商業都市文化の基盤)と軍事力(巨大国家形成の原動力)にすぐれていた。筆者は、このことにアフリカのサハラ南縁イスラーム文明の研究をすすめるなかで気付かされた。しかし、「アフロ・ユーラシア内陸乾燥地」の自然条件も牧畜様態も多様である。その「文明」的表現となるとさらに多様である。イスラーム文明もあれば、モンゴルのように仏教やシャーマニズムの色濃い文明もある。こうした多様性も考慮した「アフロ・ユーラシア内陸乾燥地文明」全体像理解の糸口を、本稿では、次のような4類型化の可能性を提案することで探る。アフロ・ユーラシア内陸乾燥地は、自然環境条件から、(1)モンゴル・中央アジアの冷帯草原型、(2)サハラの熱帯砂漠型、(3)サハラの南の熱帯サヴァンナ型、(4)中東山地地帯のオアシス型の4類型に空間区分することができ、ウマ、ラクダ、ウシ、羊・ヤギが、それぞれの類型に特有な家畜として認められる。モンゴル人の言う5畜がおよそどの地域でも飼育されているが、ウマ中心の牧畜文化、ラクダ中心の牧畜文化、ウシ中心の牧畜文化、羊・ヤギ中心の牧畜文化がある。こうした仮説により、アフロ・ユーラシア内陸乾燥地文明を一連の牧畜文化複合体ととらえ、この地域の人間-家畜-自然の関係を多角的にかつ詳細に分析することにより、乾燥地としての共通性を有しながらもさまざまに発展していった乾燥地文明の多様性を構造的に整理して理解することが、アフロ・ユーラシア内陸乾燥地文明論の課題となることを示す。アフリカ、中近東、中央アジアと分断して研究されてきた旧大陸文明史を統一的に理解しようというこのような試みが、人類文明史理解のパラダイム変換を目指すような研究への寄与に些少とでもなりうること願う。
著者
西 真如
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.76, no.3, pp.267-287, 2011-12-31
被引用文献数
1

HIV/AIDS対策は、さまざまな知識や制度を動員した包括的な取り組みとして実施されるが、そこで中核的な役割を果たす技術のひとつとして、HIV検査を挙げることができる。サハラ以南アフリカでは近年、特別な設備がなくてもHIV検査を実施できる簡易検査キットの普及が著しい。検査キットは、あらゆる場所で「疫学的な他者」をつくりだす道具である。本稿では、エチオピアのグラゲ社会におけるHIV予防介入の展開と、HIV不一致カップル(一方がHIVに感染しており、他方が感染していないカップル)の経験について検討する。そしてHIV予防介入がつくりだす生政治的な過程の中で、疫学的な他者との共存を拒絶する政治が進行しているように見えるときにも、人びとが不一致を受容し、肯定的な関係を取り結ぶ可能性があることを明らかにする。不一致を生きる人びとの倫理的な関係を問う過程を、本稿では「生きられた身体の政治」として把握しようとする。生きられた身体の政治は、疫学的な知識を否定したり、公衆衛生介入を拒絶する過程ではない。むしろそれは、他者の身体が疫学的に危険であることを受け容れた上で、そのような身体を生きる者たちが、互いの健康と人格への配慮にもとづいて肯定的な関係を取り結ぶ可能性を開いてゆく実践である。
著者
鳥塚 あゆち
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.74, no.1, pp.1-25, 2009-06-30

本稿は、アンデス牧民社会が変容の過渡期にある現状を、牧民が伝統的に行ってきた農作物獲得方法の変化に着目し、変化の要因と過程をペルー南部高地のワイリャワイリャ村の具体的な事例を示すことによって明らかにすることを目的としている。高地に適したラクダ科動物の牧畜を専業的に行っているワイリャワイリャの人々は、耕作地を持たず主食である農作物を自給できない。また、家畜の乳を利用することもないため、作物の収穫期にリャマの雄のキャラバンを伴って農村に赴き、物々交換あるいは荷役用としてリャマを使うことによって農作物を獲得する旅を伝統的に行ってきた。しかし、筆者が調査を行った2004-06年の時点ではすでに旅は行われておらず、定期市や都市で作物を購入している状況にあった。この変化は約10年前から起こったものであり、そこには、道路網の整備と定期市の発達という外的要因や、市場価値のあるアルパカを改良するために取られた土地区分政策という内的要因と呼べるものがある。このような中、農作物獲得の旅において重要な役割を果たしていたリャマの雄が手放されていったが、これをめぐる言説は、変化に対しての村人の位置の取り方によって異なるものであった。本稿では、ワイリャワイリャ村を事例として、農作物獲得の旅が行われなくなった事態を、複雑に絡み合う多数の要因を識別しつつ、ミクロな視点から明らかにするとともに、村内の変化の影響や都市との関わりによって村内に層化が促される中、村人が既存の人間関係とは異なるアルパカの改良を中心とした新たな社会関係を築き、自らアイデンティティを選びとろうとしつつある現状を明らかにした。