著者
吉野 瑞恵
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.61, no.5, pp.33-43, 2012-05-10 (Released:2017-11-02)

『源氏物語大成』に結実する『源氏物語』の文献学的な研究で知られる池田亀鑑は、『宮廷女流日記文学』においては、主情的な評論を試みており、両者は鮮やかな対照をなしている。彼のこのような二面性は、個人的な資質による面もあったが、さらに、池田が人間形成をした大正期に哲学・芸術・文学・社会運動などあらゆる領域を席巻した「生命主義」とも呼ばれる大きな潮流の影響を考える必要がある。池田という研究者は、大正期という時代の新しい流れに反応し、この時代に文学研究をめぐって浮上してきた問題を引き受けて、一生を送ったといえるのである。
著者
渡瀬 淳子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.54, no.12, pp.21-29, 2005-12-10 (Released:2017-08-01)

中・近世を通して流行した、熱田明神が楊貴妃となったという伝説について、中世の諸文化との関連から多角的に論じた。『曽我物語』巻二「玄宗皇帝の事」という章段の簡単な記述を出発点とし、この伝説がどのように生成・発展し、広がっていったかを追った。その中で、時代が下るにつれて物語が具体的に変化していく様子や、謡曲や『長恨歌』注釈への影響、日本の伝説の中国への輸入など、この伝説を取り巻く状況が明らかになった。
著者
松本 真輔
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.53, no.6, pp.11-20, 2004-06-10 (Released:2017-08-01)

中世における聖徳太子信仰が、観音信仰と重なるものであったことは、かねてより指摘のあることである。そこには、「救世」の言葉にふさわしく、慈愛に満ちた太子のイメージを読みとることができる。しかし、中世における太子信仰は、観音信仰のみで語り尽くせるものではない。多種多様な形で展開していた中世太子信仰の世界においては、時として、戦争を仕掛ける凶暴な太子の姿も描かれていた。本稿では、中世太子伝における太子の兵法伝受説の展開を端緒として、武人としての太子像の形成について検討し、更に、こうした太子像の広がりを示す一例として、滋賀県甲賀郡にある油日神社の縁起を取り上げる。
著者
竹内 瑞穂
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.58, no.11, pp.45-56, 2009-11-10

本論は、井東憲『上海夜話』(一九二九)における、探偵小説とプロレタリア文学の<交通>の試みを扱う。井東のプロレタリア探偵小説の構想は、芸術大衆化論争が目指す大衆化とは、似て非なるものだった。その構想自体は成功したとはいえないが、井東の作品は、探偵的(興味本位)な眼差しの導入により、既存のプロ文が捉えられなかった、上海という国際的空間における、民族主義(ナショナリズム)依存の問題に触れ得たのである。
著者
中村 三春
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.39, no.11, pp.21-30, 1990-11-10 (Released:2017-08-01)

有島武郎の童話「一房の葡萄」は、従来主人公を成長に導いた先生の「愛の力」に重点を置いた読み方が通説となってきた。しかしテクストの語りの構造に即して見直せば、この物語の真の主役は学校空間そのものなのである。有島が示唆していた<他者>としてのこどもの措定、それは近代の天皇制が巧みに利用した学校教育という制度自体を根底から相対化する作業である。天皇制の柔構造もそこに新たな解明の端緒を見出しうるであろう。
著者
渡辺 衆介
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.35, no.9, pp.42-49, 1986-09-10 (Released:2017-08-01)

『今昔物語集』中の説話に、鬼など霊的なものの出現する方向として「後(うしろ)の方(かた)」という言葉がたびたび出てくる。本稿はこの「後の方」が寺院の後戸(うしろど)に祀られた神秘にして強力な霊格「後戸の神」に関連すると説く。そして、高取正男・服部幸雄両氏の研究を補う形で、後戸の神の多様な側面を解析する。後戸と戌亥信仰との関係、祖霊・家霊信仰との関係、源三位頼政と後戸とのつながり等々である。
著者
高橋 明彦
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.40, no.1, pp.25-35, 1991-01-10 (Released:2017-08-01)

作者は、作品の原因であり生成の場でありその所有者である、といった特徴を持つだろう。その特徴は、読解のために要請された機能であるにも拘らず、逆に読解の基盤として実体化される。一般的な作家論は、これを素直に受け入れ、その現実に安住感を持ち、作品理解を作者の名の下に統合する。しかし《多田南嶺の浮世草子》は、「八文字屋浮世草子」と「多田南嶺」との間に微妙な緊張関係を強いる。が、作者を実体として捕捉しえない多田南嶺という存在こそ、その時我々の前に純粋な作家論の対象として幻出する。
著者
東 喜望
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.50, no.1, pp.28-37, 2001-01-10 (Released:2017-08-01)

この論稿は、十島や奄美諸島・沖縄先島に伝承されている平家伝説と、奄美から沖縄本島にかけての島々に伝えられている源為朝伝説を紹介しながら、まず、これらの伝説を形成させた社会的背景について考察している。次いで、これらの伝説が国または国家レベルで果たした役割について言及している。畢竟、古琉球時代、既に存在した為朝伝説や近世期に形成された奄美の平家伝説は、政治的に作意された話だと作者は推定している。
著者
山田 俊治
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.61, no.11, pp.2-11, 2012-11-10 (Released:2018-01-12)
被引用文献数
1

言文一致小説の成立は、同時代の表現が受容されて新たな文体を生成するという問題にとって欠かすことのできない課題である。口語体による書記言語の書物を実現した三遊亭円朝の速記本を受容することで、坪内逍遙以下によって通俗的な読み物を美術小説に転ずる努力がなされた。逍遙の傍観的な語り手の試みから、二葉亭四迷の同化表現による語り手の消去、山田美妙による修辞的な物語叙述などが試みられ、言文一致体小説は美術小説としての卓越性を獲得していった。そして、円朝速記本はその起源と見なされるようになるのである。
著者
蔵中 進
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.21, no.1, pp.11-28, 1972-01-01

Yakatsugu Isonokami (729-781) was Otomaro's child and was called Bunjin no Shu (Fether of Letters). He became a government official at 23 and won steady promotion. One tanka (poem) composed on January 4 in 753 was found in 'the Manyoshu.' When thirty-three, he was appointed vice-envoy to China. About that time he built a private library named the Untei in his house and permitted lovers of learning to use it. He himself also studied Buddhism and was engaged in reading and studying Chinese poetry there. He seems to have written a book about Buddhism, but only its name is known. When Ganjin, who came form China, preached the religious precepts and built the Toshodaiji Temple, died in 763, he made a Chinese poem lamenting his death, which was put in 'the Todaiwajyotoseiden.' One time he plotted with others to kill Nakamaro Fujiwarano only to fail and to be relegated. But Nakamaro's downfall let him come back and serve the Emperor Shotoku. Most of his Chinese poems in 'the Keikokushu' are those he composed in those in those days. Later he called himself the Mononobe family of warrior and guarded the court. He also had opportunities to meet Chinese envoys. But in his last years he was absorbed in studying Chinese poetry and reached the rank of Dainagon and Shikibukyo. Thus a man of letters in the late Nara Period seems to have meant a man composing and studying Chinese poetry, and the tanka was ceasing to be used publicly. And Yakatsugu Isonokami's life and life and literature was to show a previous notice of the following Black Age of Japanese Literature.
著者
関口 安義
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.40, no.2, pp.64-73, 1991

「『謀叛論』と芥川龍之介」というテーゼは、厭世的・芸術至上主義的にのみ芥川文学を考えるこれまで支配的だった芥川観を訂正するため導き出されたものである。芥川は徳冨蘆花の<謀叛のすすめ>を見事に文学化することに成功した作家である。本論は同時代人共通の課題として「謀叛論」をとらえた芥川と同僚松岡譲、一方、その問題提起を聞き逃した菊池寛・久米正雄のその後の歩みが、奇しくも彼らの文学上の歩みと一致するものであったことを論じる。
著者
小谷 真理
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.57, no.4, pp.24-34, 2008-04-10

飛浩隆「ラギッド・ガール」(<SFマガジン>二〇〇四年二月号に掲載)は、ある事情で放置されている仮想現実世界を扱った<廃園の天使シリーズ>の中編である。仮想現実世界は、<数値海岸(コスタ・デル・ヌメロ)>といい、<廃園の天使シリーズ>は、その創造と放棄と内部変化を描いている。もちろん仮想現実世界といっても、現実世界はあまりにも膨大なデータであるために、現実をそっくり写しとれるわけではなく、いわば仮設の情報集積所となっており、人間の似姿と人工知能が混在する世界として想定されており、インターネットに近い感触を持つ。「ラギッド・ガール」の「ラギッド」とは「ざらざらの」という意味。主要登場人物である安形渓の身体の異形を指している。物語は、体験や記憶がすべて体内に蓄えられながら生きる情報集積体たる渓の身体論を中心に、アガサとキャリバン、安奈と渓の関係を読み解きながら、現実世界、仮想現実世界、さらに仮想現実世界に内蔵されたサイバースペースという三つの空間にまたがって、性差とセクシュアリティの諸問題を投げかけ、人と人とのコミュニケーションについての問題を探求していく。この作品における女性の身体と性差の設定は、アメリカのSF作家ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの「接続された女」を彷彿とさせ、共通点が多い。特筆すべき要素は、女性身体をめぐる話題、「身体の醜さ」、「暴力」、「レズビアン・セクシュアリティ」である。そこで、本稿では、電脳空間を素材にしたサイバーパンク小説の先駆けと評される「接続された女」と、ポスト・サイバーパンク小説「ラギッド・ガール」を比較検討し、女性性、身体性、情報集積体としての性差について再考する。
著者
光石 亜由美
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.58, no.11, pp.34-44, 2009-11

一九一〇〜二〇年代のモダニズムの一面を変態や異常を消費する人々の出現として捉え、<女装><変態><犯罪>というキーワードで谷崎潤一郎「秘密」(一九一一年)に描かれた女装を分析した。「秘密」では、セクソロジーの言説を背景に、<女装すること>ではなく、<女装という変態を演じること>に快楽を見出し、女装をロマン化する。しかし、同時に、着脱可能な<表層>のドラマとしての女装が「秘密」以後の映画や探偵小説の中で消費されることも暗示している。
著者
沖本 幸子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.53, no.7, pp.22-31, 2004-07-10 (Released:2017-08-01)

平安時代を通して宮廷音楽の中心は雅楽であり、歌声もまた、雅楽の、特に笛の音に規定されるものとして存在していた。これに対して、能楽の声につながっていくような、雅楽の音にとらわれない歌声は、いつ頃からどのような形で登場してきたのか。平安末期から鎌倉初期にかけて流行した「白拍子」「乱拍子」という芸能の声の姿に注目しながら、世阿弥の音曲論につながる、中世的な歌声の始まりについて考察する。
著者
横濱 雄二
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.55, no.1, pp.51-61, 2006

メディアミックス作品を統合的に把握するために、『新世紀エヴァンゲリオン』を分析する。一連のアニメには互いに矛盾を持つ四つの物語世界が含まれている。これらはコンピューターゲームの事例でも踏襲され、ストーリーの分岐は物語世界の並立を明示している。その意味で、物語世界は一作品に複数措定しうるが無関係の分立ではなく、それらの間に表現や描写の矛盾として現れる交渉があることがわかる。こうした物語世界の性質を踏まえることが、メディアミックスの理解に一定の可能性を切り開くことになる。