著者
兵藤 裕己
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.66, no.1, pp.2-13, 2017-01-10 (Released:2022-02-02)

『源氏物語』や『平家物語』の語り(narrative)について、風景や装束が記述的・事実確認的ではなく行為遂行的(performative)に語られること、それに関連して、語り手と読者および作中人物の共主観的(相互主観的)なあり方について述べた。また、そのような物語の語りが、近世の出版メディアのなかで変容することを、近松門左衛門の作者署名の問題や、洒落本・人情本の自己言及的な語りの問題として論じ、末尾で、江戸後期の戯作の語りが、明治期の尾崎紅葉や泉鏡花の語りに接続することを述べた。
著者
中村 三春
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.36, no.11, pp.1-11, 1987-11-10 (Released:2017-08-01)

太宰治初期の代表作「道化の華」は、心中未遂を犯し自分だけ助かった主人公大庭葉蔵の物語であるが、同時に、その物語を語る語り手が、自分自身の語る物語の内容や構成に関する注釈を縦横に加える構造になっている。これは、小説創造と小説創造に関する陳述の同居という、いわゆるメタフィクションの定義に完璧に合致する典型的テクストである。本稿ではメタフィクションの一般理論に照らして、この作品に再検討を加えてみた。
著者
志立 正知
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.59, no.7, pp.46-55, 2010-07-10 (Released:2017-08-01)

中世後期における地方武家の家伝・系譜伝承の形成過程について、安藤氏による「下国家譜」を例として検討を加えてみた。従来は、その成立時期が不明確であったために、かなり幅広く形成期を想定して、在地伝承などの形成と重なるものとして理解する意見が多かった。しかし、平川氏の問題提起を受けて、拙稿ではそれを検証しながら、成立時期が平川氏の想定よりも若干下る十五世紀中頃以降である可能性を指摘、その時代に安藤氏が置かれていた情勢の分析から、「下国家譜」に、長年にわたって抗争を続けていた南部氏を意識した津軽・秋田における先住権・支配権の主張という一面が認められること、さらには家譜編纂作業が、京都・羽賀寺と本拠を結ぶネットワーク上に想定する方が自然であることを指摘した。
著者
内藤 まりこ
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.60, no.7, pp.14-24, 2011-07-10 (Released:2017-05-19)

「和歌」という詩的言語には、「叙景」と呼ばれる表現方法があるとされる。「叙景」の方法は古代にまで遡るとされるが、「叙景」という言葉は明治二〇年代に初めて登場した。本稿では、まず、「叙景」の成立を明らかにし、「叙景」の方法が古典詩歌の解釈の枠組みとなるまでの過程を考察する。次に、中世の「叙景歌」と呼ばれる歌について、「叙景」の枠組みでは捉えきれない歌の構造を、人称を手がかりに解き明かす。
著者
山本 淳子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.55, no.9, pp.35-43, 2006-09-10 (Released:2017-08-01)

『権記』は一条院が出家後死の床で詠んだ歌を記し、後に「其の御志は皇后に寄するに在り」とする。近年この「皇后」を時の中宮彰子ではなく故定子だとする新釈が提出された。検証のため『権記』中の定子と彰子の呼称を全て調査すると、「皇后」は彰子立后当初は彰子専用だったが、定子崩御後は定子専用の語となったと判明、当該「皇后」は定子との結論に達した。これを受け、行成がそう考えた要因を考察、彼の見方に従う本歌通釈を試みた。
著者
鳥羽 耕史
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.59, no.11, pp.14-26, 2010-11-10

一九六〇年代の小松左京は、SFやルポルタージュや評論によって、「日本」を探究したが、その結論は意外にも古き良き故郷であり、開発を望むものではなかった。『日本沈没』も田中角栄『日本列島改造論』への批判として書かれ、沈没する日本は古代に遡行したものとなっていた。この小説は現在に至るまでマンガ、ラジオドラマ、映画、テレビドラマなど、様々なメディア向けに脚色され続けているが、その流れを追っていくと、サブカルチャーを介した日本回帰という「J回帰」の特徴が出ていることがわかる。
著者
佐々木 孝浩
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.43, no.7, pp.20-30, 1994-07-10 (Released:2017-08-01)

鎌倉時代の文永年中(一二六四〜一二七六)に、天台座主澄覚と後鳥羽院女房二条局が勧進した、後鳥羽院忌日(二月二十二日)の追善影供和歌会について考察する。後鳥羽院孫澄覚が歌人であったこと、二条局が隠岐に供奉した坊門信清女西御方であることを確認し、両者が用いた後鳥羽院画像についても検討。この後鳥羽院影供が、忌日に催された影供歌会の初例であったことの、影供史上での意義と役割を述べる。
著者
川口 則弘
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.62, no.11, pp.2-12, 2013-11-10 (Released:2018-11-10)

著名な二つの文学賞、直木三十五賞と芥川龍之介賞について、次のような俗説が多くの文献で紹介されている。「もともと菊池寛が、雑誌の売上の落ち込むニッパチ(二月・八月)対策として、雑誌を宣伝するために設けた」。この真偽を判別し、その上で、流言の発生源と流布にいたった経緯を探る。そして両賞には、広く存在が知られているという性質と、内実に興味を向ける人の少ない性質とが、不可分に混在していることを確認する。
著者
山根 由美恵
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.50, no.9, pp.40-49, 2001-09-10

「世界の終りとハードボイルド・ワンダーラント」は、『世界の終り』と『ハードボイルド・ワンダーランド』という二つの異なる世界が、パラレルの位置のまま並行して進み、結末において統合されていくと考えられてきた。しかし、二つの世界は展開するにつれ相対する世界の性質へと変化している。本稿では、この性質の変化を<ウロボロス>という円環構造で捉え、自我と外界が対立しない近代自我神話の終結という世界観を読みとった。
著者
白石 良夫
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.53-60, 2014-01-10 (Released:2019-01-26)

一 「「羅生門」の下人の恐怖」羅生門の楼上で「頭身の毛も太る」ように感じた下人。その「頭身の毛も太る」を「恐怖のために髪が逆立つように感じられる」と説明するのが教科書の註釈であるが、下人の心理を辿ってゆくと、そのような解釈が成り立たないことを指摘する。二 「李徴はなぜ「狂悖の性」を抑えることができなかったか」「山月記」の李徴の「狂悖の性」を「きちがいじみてわがままなさま」とする教科書の註は、儒教思想史の常識からいえば、漢学の家の人、中島敦の作品の読み解きとしては、間違っていることを指摘。三 「作者は本当のことを書くか」虚構であることが自明の文学作品に、わざわざ架空であることの註釈をつけることが意味のない行為であることを指摘。作品の嘘を無視して、作者の実像を穿鑿することは文学の読み解きとは無関係であることを述べた。
著者
佐藤 壮広
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.60, no.4, pp.28-34, 2011 (Released:2016-12-09)

沖縄本島の地図と自身の身体を重ね合わせるようにして、沖縄戦の負の記憶や米軍基地を前にしての現在の抑圧状況を感受する民間巫者。沖縄でユタと呼ばれている宗教的職能者のなかには、シマの痛みを身体の痛み(症状)と重ね合わせつつ、過去・現在を語る者がいる。報告者はそれを「身体地図」としてイメージ化し、論文やエッセイを書き、またそれを文化事業のひとつとして衆前で語っている。人類学的な方法を介しながら、語りから描写、そして描写から語りへという一連の行為的な循環がここでは生じている。またこれは、他者の痛みの体験をイメージ化すること、そしてそれを語ることの関係性という、解釈や理解というより大きな課題にかかわる作業である。報告では、沖縄の民間巫者(ユタ)の語りから報告者が構造化した「身体図式」というイメージを提示し、それを報告者がどのように語ってきたかを晒した上で、その限界と可能性の一端について述べてみたい。
著者
跡上 史郎
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.45, no.6, pp.31-40, 1996-06-10

物語は物語を批判し、留保や注釈をつけながら、物語ならざるなにものかの相貌をまとってあらわれてくる。物語からは原理的に逃れられないのだとすれば、物語との緊張関係を生きるための知が必要なのではないだろうか。澁澤龍彦は、一九八〇年代に流行した「物語批判」に関心を寄せつつ、「反物語」「反反物語」を試みた。物語の知の可能性を、九〇年代のいまなお潜在的にも顕在的にも影響力を行使している「物語批判」の側面から逆照射する。