著者
要 友紀子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.71, no.2, pp.233-246, 2020 (Released:2021-09-30)
参考文献数
13

本稿は,筆者の23 年間にわたるセックスワーカー運動について自身の経験と考察を中心に論じることで,セックスワーカー運動が遭遇した困難とそれが示す社会の実情について明らかにしたものである.セックスワーカー運動はHIV/AIDS の影響もあって1980 年代半ばに国際的に広まり,日本では1999年にSWASH(Sex Work and Sexual Health)が設立された.しかしその運動の軌跡は,セックスワーカーを囲む社会の壁の厚さを実感させるものであった.それらは,調査結果を事実として受け入れてもらえない壁,政治家や研究者,メディアが自分たちの思い描く枠組の中でセックスワーカーに役割を演じさせようとする壁,セックスワーカーが遭遇する困難の実際をみないようにする壁,自分たちの経験を示す言葉がないという壁である.その一方で,この運動は国際的な出会いを通して,自分たちが被抑圧者でありながらも抑圧者となる可能性を基礎とし,属性に関係なく差別や排除に対抗した「セックスワークは労働である」をスローガンに続けられてきた.こんにち,それらの壁を乗り越えるために必要なのは,代弁者ではなく,当事者の経験や困難の通訳者であることを指摘した.
著者
益田 仁
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.87-105, 2012-06-30 (Released:2013-11-22)
参考文献数
33
被引用文献数
3

これまでのフリーター研究では, その析出過程をめぐって構造的側面と主体的要因が切り離されて論じられ, 両者をリンクさせようとする視点が欠けてきた. そのような問題意識のもと, 本稿では5年間をかけて継続的に行ったフリーターへの聞き取り調査をもとに, 彼らの置かれた生活世界を明らかとし, その「希望」をすくいとることにより, フリーター研究における構造と主体という二元論的な対立を乗り越えたい. それは結果として, 現代日本社会の有する構造的な緊張の一端を照らし出すだろう.事例から確認されることは, われわれの社会は, 構造として不安定な雇用を必要としつつも, 規範面においてはそれを引き受ける主体を許容しない/しえない, という事実である. 結果, そのひずみは個々人のうちに蓄積され, 主体レベルでの解消が要求されているのである. 構造と規範の軋轢が発動した不安と焦りの行きつく先が「希望」なのであり, 何がしかの「希望」を自らの生の一部に組み込むことによって, 彼らはその生全体を受け入れようとしているのである. しかし, 事例から確認されたそれぞれの「希望」は, その発生源それ自体の変革には向かってはおらず, むしろ構造的緊張の緩衝剤として機能していることが確認された.
著者
青木 秀男
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.66, no.1, pp.89-104, 2015 (Released:2016-06-30)
参考文献数
49

本稿は, 1945年8月6日に広島で炸裂した原爆について, 市内の被差別部落A町を事例に, 被害の他町との差異を分析し, その意味を, 災害社会学の概念 (社会的脆弱性, 復元=回復力) により解釈する. そして1つ, 原爆被害の実相を見るには, 地域の被害の<構造的差異>を見る必要がある, 2つ, 地域には被害を差異化する力と平準化する力が作用し, それらの力の拮抗と相殺を通して被害の実態が現れる, という2点を指摘し, 災害社会学を補強する. A町民の原爆死亡率は, 爆心地から同距離の他町とほぼ同じであったが, 建物の全壊・全焼率および町民の負傷率が高かった. そこには, ①A町には木造家屋が密集していた, ②建物疎開がなかった, ③原爆炸裂時に多くの人が町にいた (仕事場が自宅であった) 等の事情があった. また同じ事情で, A町民は多くの残留放射能を浴び, 戦後原爆症に苦しむことになった. そこには, A町の, 被爆前の社会的孤立と貧困の <履歴効果> と, 被爆による生活崩壊・貧困・健康障害の <累積効果> があった. 他方でA町民は, 被爆直後より被害からの復元=回復に向けた地域共同の努力を開始した. 地域共同は, A町の人々の必須の生存戦略であった. A町には, 地域改善運動や部落解放運動の基盤があった. しかしそれでもA町は, 戦後も孤立した町にとどまった. 地域の景観は大きく変った. しかし被害の構造的差異は, 不可視化しながら持続した.
著者
前田 泰樹
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.56, no.3, pp.710-726, 2005-12-31 (Released:2009-10-19)
参考文献数
29
被引用文献数
1 2

社会学にとって人々の行為を記述するとはどのようなことだろうか.この問いは2つの論点に集約されてきた.すなわち「どのような記述をしても不完全さは残るのではないか」という記述の可能性への問いA, 「社会学的記述はメンバーによってなされる記述とどのような関係にあるべきか」という記述の身分に関わる問いBである (Schegloff 1988) 本稿では, まず問いAに対し, 記述の懐疑論には採用し難い前提が含まれていることを論証する.さらに, その前提のもとで見落とされてきた論点として, 実践において行為を記述することは, それ自体, メンバーシップカテコリーへと動機を帰属させる活動でありうる, ということを示す.次に問いBに対し, H.サノクスたちによる社会学的記述の方針を検討する.まず, メンバーによる記述はそれ目体手続き上の特徴を備えている, ということを確認し, その実践の手続き上の特徴によって制約を受けつつ社会学的記述を行う, という方針を検討する.さらにその検討をふまえて実践の分析を行い, 行為を記述することが動機や責任の帰属といった活動であること, また, その活動が実践の編成にとって構成的であること, を例証する要約するならば, 行為を記述することは, それ自体, 動機や責任の帰属といった活動であり, その他の様々な実践的活動に埋め込まれている.本稿では, こうした実践の編成そのものを記述していく方針の概観を示す.
著者
中河 伸俊
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.55, no.3, pp.244-259, 2004-12-31 (Released:2010-04-23)
参考文献数
42
被引用文献数
3 1

社会的構築のメタファーが流布するとともに, その意味するところは多義化し, 探究の方法上の指針としてだけでなく, 批判のための一種の「イズム」として使われるようにもなっている.そうした「構築」系の “バベルの塔” 状況を整理するために, 本稿では, エンピリカル・リサーチャビリティ (経験的調査可能性) という補助線を引く.ただし, 近年では, 社会的いとなみを “エンピリカルに調べることができる” ということの意味自体が, 方法論的に問い返されている.そして従来のポジティヴィストと解釈学派の双方が批判の対象になっているが, その批判者の問にも, 調査研究の営為について, 認識論的 (そしてときには存在論的) に「折り返して」理解するアプローチと, (語用論的転回を経由した) 「折り返さないで」理解するアプローチの種差がみられる.2つの理解のコントラストは, 価値と事実の二分法の棄却問題への対応や, リフレクシヴィティという概念についての理解をみるとき鮮明になる.後者の, エスノメソドロジーに代表される「折り返さない」タイプの理解は, さまざまな領域で, エンピリカルな構築主義的探究のプログラムを組み立てるにあたって, 有効な指針を提供すると考えられる.応用や批判といった, 研究のアウトプットを「役に立てる」方途について考えるにあたっても, 思想的であるよりエンピリカルであることが重要である.そして, 活動と活動の接続として社会的いとなみを見る後者のタイプの理解は, 従来のものとは異なる, ローカルな秩序に即応した応用の試みを可能にするだろう.
著者
菅野 摂子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.64, no.1, pp.91-108, 2013 (Released:2014-09-10)
参考文献数
28
被引用文献数
1

胎児を独立して検査できる出生前検査の出現により, 胎児の疾患や障害のため中絶する, いわゆる選択的中絶が問題として浮上している. 通常の中絶に対してフェミニストはその正当性を確保するために ‹自己決定› を主張してきたが, 優生思想への危機感から選択的中絶を ‹自己決定› としては認めず, 中絶の特異点と措定した.本稿では, 筆者がこれまでに行ったフィールド調査から, 女性たちの出生前検査および選択的中絶の経験を記述し, 選択的中絶と日本のフェミニズム理論との関連を考察した. その結果, フィールドでの選択的中絶の問題点は望んだ妊娠にもかかわらず中絶への回路が開かれてしまうというところにあった. その際, 自分のためというより胎児のため, という母性的な言説が使われており, それは出生前検査の受検の際にも使われていた. 超音波検査によって胎児への愛情が喚起されたり, 思わぬアクシデントがある中で, その選択は状況依存的な決定にならざるをえない. そうした決定を支える, ‹自己決定› 概念の創出がフェミニズムにもとめられる. ここでいう ‹自己決定› は, 自分で決めたからという理由で無条件に選択的中絶を正当化するものではなく, 母性に収奪されがちな文化と優生思想に対する批判の双方を捉えながら, 可変で多様な「自己」に対応可能な概念である.
著者
三島 亜紀子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.61, no.3, pp.307-320, 2010-12-31 (Released:2012-03-01)
参考文献数
43

1987年に「社会福祉士及び介護福祉士法」が制定されたことから,社会学は社会福祉士の国家資格の試験科目になった.そこで教えられる「社会学」は「社会福祉士に必要な内容」に限られているが,歴史的にみれば社会学は福祉の研究や実践のあり方を大きく方向転換させるなど大きな影響を与えてきた.本稿の目的は,社会福祉士養成課程と社会福祉学における「社会学」を分析し,この領域における社会学の可能性について考察することである.まず社会福祉教育の現状と,そこで社会学はどのように扱われているかについて明らかにする.つぎに,これまでに社会学が社会福祉の教育・研究・実践に与えた影響を概観する.そして今後,社会学は社会福祉の教育・研究・実践にどのような貢献ができるかを考察した.近年,脱施設化がすすめられ,福祉サービスにおけるパターナリズムは否定され,「利用者」の自己決定や「物語」に敬意が払われるようになった.こうした変化にあわせて社会福祉学の理論も展開をみせており,それらの一部は「ポストモダニズム」と呼ばれる.しかし,すべての場面においてこうした変化が及んだわけではなかった.現在の専門家は,「ポストモダン」的な援助をする一方で,過去のエビデンスを根拠に権力をもって介入を行う者と特徴づけられる.周辺への/周辺からの社会学を活発にするためには,こうした新しい専門職のあり方を考慮する必要がある.
著者
兼子 諭
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.3, pp.360-373, 2014

本稿は, アレグザンダーの「市民圏」論の検討によって, 公共圏論の理論的な刷新を図ることを目的とする.<br>公共圏論に大きな影響を及ぼすハーバーマスは, 公共圏を公論形成の領域と規定する点ではマクロ的な観点を保持する. だが, 直接的な対話による了解を志向する討議を公共圏におけるコミュニケーションのモデルとすることから, 民主的社会における市民の意思形成とマクロレベルでの政治プロセスの接続という点で理論的困難を抱えている.<br>これに対してアレグザンダーは「市民圏」概念を提唱する. 彼は, 市民圏におけるコミュニケーションを, 討議から, 感情的な共感に訴えることでオーディエンスからの承認を求めるパフォーマンスに代替することを主張する. 彼に従えば, 基本的なコミュニケーションをパフォーマンスとして捉えることこそが, 民主的社会における公共圏のより適切な理論化につながる.<br>理論的課題は多く, 公共圏におけるコミュニケーションがスペクタクルとして上演されることを肯定するだけという評価もあるかもしれない. だが, アレグザンダーの市民圏論が, 現代の民主的社会と公共圏の関係に対する新たな洞察を可能にすると, 筆者は主張したい.
著者
荻野 達史
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.58, no.1, pp.2-20, 2007-06-30 (Released:2010-03-25)
参考文献数
23
被引用文献数
8

「ひきこもり」支援施設とは,社会的諸活動から撤退していた青年たちが,自宅に限定されがちな生活から,主として就労・就学の場へと生活の場を広げていくことを援助する施設である.こうした施設は一種の「居場所」といえ,その機能は,住田(2004)によれば,利用者のきわめて否定的な自己定義を書き換え,行動上の変化をもたらすことにある.本稿は,ある支援施設におけるフィールドワークに基づき,施設利用者の自己アイデンティティが肯定的に変容する条件とその限界について分析したものであり,以下の諸点を明らかにした.ひきこもり経験者たちが,対人的な交流の場に定着し,肯定的な自己アイデンティティを構築する上で,施設の場が高度な相互行為儀礼を備えた空間であることは機能的である.しかし,その儀礼性の高さが,新たな自己物語のリアリティを支えるのに必要な「他者性」を支援空間から減退させるために,肯定的アイデンティティは強度を持ちえない.また,施設内の高度な儀礼性に自覚的になるほど,「外部社会」は対照的に,彼ら/彼女らの面目にもっぱら損傷を与える空間として思念されやすくなる.そして,その結果,外部社会へのアプローチは躊躇され,そのことがまた外部社会の一枚岩的に否定的なイメージを再生産させていることが予測される.ただし最後に,社会理論的視点からみた,相互行為儀礼の遂行能力自体の価値を確認し,本稿の含意を確認する.
著者
福井 康貴
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.59, no.1, pp.198-215, 2008-06-30 (Released:2010-04-01)
参考文献数
43

本稿は,戦前日本の大卒者の就職において〈自己の力で職に就く〉という自己志向的なルールが登場するまでのプロセスを明らかにする.明治・大正期の就職は紹介者や学校成績の影響力が非常に強かったのだが,従来の研究はこうした事態を現代的な価値観点を投影して理解しがちであり,両者の担う意味を十分に捉えていなかった.本稿では,当時の人々の認識に定位することでこの事態をより正確に把握し,それが自己志向的なルールの登場とともに背景化したことを指摘する.最初に,近世商家の職業観と対照する形で,戦前における職業選択の自由を検討し,それを職業選択の可能性として社会学的に概念化する.つぎに,この可能性に対処するために,就職が紹介者と学校成績への信頼という2つの形式をとったことを指摘したうえで,人々が両者を正当なものとして考えていたことを明らかにする.最後に,大正期後半から昭和初期に両者が非正当化すると同時に,志望者の「人物」に注目する面接試験が登場する経緯を描きだす.その過程は,「自己/他者」および「個人/制度」という行為主体に関する区別に「正当/不当」という道徳的な区別を重ねることで,自己本位の職業選択のあり方を導くものだった.
著者
昔農 英明
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.1, pp.47-61, 2014 (Released:2015-07-04)
参考文献数
44

本稿は, 治安という意味と生活保障という意味を包含した二重のセキュリティという観点から移民の統合政策の政策方針を論じたものである. 近年のドイツでは, 国家の構成員資格の基準が従来のエスニック同質的な価値規範ではなく, 民主主義, 法治国家の原則, 両性の平等, 政教分離といった理念的な原則を順守することに加えて, 自己統治の実践という社会経済的な原則を守ることになっている. こうした原則は国籍を超越した全人口を対象とするものである. 他方で液状化する近代, あるいは高度近代における経済的・存在論的な不安の高まりの中で, 公的な統治は移民とセキュリティ概念を結びつけ, 防衛的, 警察的な対策を推し進めて移民を排除する方針を掲げている. すなわち福祉国家の再編・統合能力の減退という問題のもと, 公的な統治はその正統性を確保するために, 福祉国家に負荷をかける, 自己統治能力のない移民が過激思想に染まるのを未然に防ぐために, ゼロ・トレランスの観点からこうした移民を排除する. その対策において決定的に重要な役割を果たすのが, 本稿で検討するように治安機関や警察などのセキュリティ対策の専門機関の有する知識・情報・実践である. こうした専門機関の役割により, 移民は道徳的モラルの観点から非難されるだけではなく, 治安管理の対象として取り締まられる. そのため移民統合政策は移民の統合を促進するよりも, その排除を推進する危うさを有している.
著者
富永 健一 友枝 敏雄
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.37, no.2, pp.152-174,268, 1986-09-30 (Released:2009-11-11)
参考文献数
13
被引用文献数
1 1

戦後四十有余年を経た今日、日本の社会科学は戦後の社会変動の帰結を実証的に明らかにする時期にきている。本稿の目的は、SSM調査三時点 (一九五五年、一九六五年、一九七五年) データの分析によって戦後日本社会の地位非一貫性の趨勢を明らかにすることである。この目的のために用いた分析手法は、 (1) 地位非一貫性スコアによる分析と (2) クラスター分析である。分析の結果、 (1) 一九五五年から一九七五年までの二〇年間に地位の非一貫性が増大したこと (2) 地位の非一貫性の増大は、この二〇年間の高度経済成長が下層一貫の人びとの地位の部分的な改善をなしとげることによっておこったこと (3) 主観的階層帰属や政党支持などの社会的態度に関して、非一貫の人びとは、上層一貫の人びとと下層一貫の人びとの中間に位置しており地位非一貫性が欲求不満やストレスをひきおこし、革新的な政治的態度と結びつきやすいというレンスキーの仮説は、日本社会にはあてはまらないこと、が明らかになった。以上の分析から、地位非一貫性は、地位の結晶化が不十分な場合に生ずる異常な状態ではなくて、むしろ高度産業社会においては正常な状態であり、しかも階層構造の平準化や平等化をもたらす重要なメカニズムであると考えられる。
著者
佐藤 俊樹
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.68, no.3, pp.404-423, 2017 (Released:2018-12-31)
参考文献数
38

最近注目されている統計的因果推論やベイズ統計学は, 効果量 (効果サイズ) の分析などとともに, 社会学にも大きな影響をあたえうる. これらは基本的な考え方ではウェーバーの適合的因果や理解社会学と共通しており, 量的データにもテキスト型データにも適用できる.例えば, 統計的因果推論は個体レベルの因果の多様さを前提に, その期待値として集団単位の因果効果を厳密に測定する方法であり, 一回性の事象にも理論上は適用できる. 潜在的な結果変数と原因候補と全ての共変量の同時分布を想定することで, 適合的因果をより正確かつ一貫的に再定義したものにあたる. 理解社会学であれば, 主観的で仮説的な先入観をデータの客観的な情報を用いてくり返し修正していくベイズ更新として, 再定式化できる.こうした方法群は主観性と客観性の両面を同時にもっている。それゆえ, これらを通じて観察される社会の実定性もこの両面をつねにもつ.
著者
平本 毅 高梨 克也
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.66, no.1, pp.39-56, 2015 (Released:2016-06-30)
参考文献数
14
被引用文献数
1 1

本稿では日本科学未来館で2011年8月に公開された展示物『アナグラのうた――消えた博士と残された装置』制作チームの活動場面の会話分析から, チームのメンバーが想像を「共有」する際に用いる1つのプラクティスを明らかにする. 制作チームのメンバーは展示の現場で将来的に生じる種々の問題を想像して発見し, 意識を共有し, 解決していくことを通じて展示物を形作ってゆく. 本稿ではこの活動の中でメンバーが頻繁に用いる, 想像を「共有」するという行為の記述を可能にするような1つのプラクティスに着目する. 展示やそこで生じる入場者の動きを演じながら他のメンバーに説明するとき, 制作チームのメンバーはしばしば頭部を捻って聞き手を「振り向く」. この「振り向き」はランダムに生じるのではなく, 語りの特定の位置で, 想像を「共有」しようとしていることが理解可能なかたちで行われる. 「振り向き」は語りの, とくに想像を「共有」することが相互行為上の課題となることが聞き手にわかる位置で生じる. このとき語り手の演技は進展を止め, これを背景にして頭部の動きで聞き手にはたらきかけることにより, 想像の「共有」を求める. これにたいして聞き手はしばしば, このはたらきかけに応じていることがわかるかたちで反応を返し, 「想像の共有」を達成する.
著者
風間 孝
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.53, no.3, pp.348-364, 2002-12-31 (Released:2009-10-19)
参考文献数
21
被引用文献数
2 3

本稿の目的は, 同性愛者であることを公言するカミングアウトの実践が持つ政治性を明らかにすることにある.まず, 性について語ることによって解放された自然状態への移行を目指す解放主義者の言説が, 同性愛嫌悪に回収されることを指摘する.つぎに, 自己のセクシュアリティを公言するカミングアウトを告白と同一視する一部の社会構築主義者の主張は, セクシュアリティの装置の中における自らの位置を問いたださない点で, 当の装置と同延上にある点を指摘する.東京都が同性愛者団体の青年の家利用を拒絶したことに端を発する訴訟の分析を踏まえて, カミングアウトを, 権力関係のない状態を目指す解放にかわって, 権力の外部に立つのではなく権力の中にとどまりつつ, 同性愛嫌悪の社会における権力行使のあり方を変える抵抗の行為として位置付ける.そのうえで, カミングアウトが, 公/私を貫く規範として異性愛規範があることを顕在化させるとともに, セクシュアリティの装置が性的欲望を秘密として設定することを通じて自己の真理を生産していく知の枠組みを疑問に付す行為であることを明らかにする.
著者
小泉 義之
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.55, no.3, pp.209-222, 2004-12-31 (Released:2009-10-19)
参考文献数
20

健康と病気の社会構築主義は, 生物医学モデルを批判し, 社会モデルを採用した.そして, 健康と病気を生命現象ではなく社会現象と見なした.そのためもあって, 社会構築主義において批判と臨床は乖離することになった.そこで, 健康と病気の社会構築主義は心身モデルを採用した.心身モデルとゲノム医学モデルは連携して, 心理・社会・身体の細部に介入する生政治を開いてきた.これに対して, 生権力と生命力がダイレクトに関係する場面を, 別の仕方で政治化する道が探求されるべきである.
著者
松田 いりあ
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.59, no.1, pp.186-197, 2008-06-30 (Released:2010-04-01)
参考文献数
36

フォーディズムからポスト・フォーディズムへの移行過程において,私的な商品消費は福祉国家の社会政策にもフレキシビリティを要求した.サッチャリズムは,規制緩和とプライヴァタイゼーションによって,このフレキシビリティ要求に応えようとするものであった.興味深いのは,サッチャリズムの支持者だけでなくその批判者もまた,商品消費がアイデンティティ編成にもつ意義を積極的に評価していたということである.しかしながら,アイデンティティがなによりも商品消費との関連で定義される消費社会では,社会政策の対象であった貧困層は周縁化されてしまうことになる.Z. バウマンによれば,消費社会の貧困層は消費選択の自由をもたないだけでない.労働者でも消費者でもなくなった貧困層は犯罪化されている.「マイナス記号のついた自画像」として,かれらは消費社会の自己イメージを保つ役目を果たす.貧困層の犯罪化は,かれらを福祉国家の規範の外部におき,経済的にだけでなく倫理的にも貧困を正当化することになる.
著者
堀 智久
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.64, no.2, pp.257-274, 2013 (Released:2014-09-30)
参考文献数
36

本稿の目的は, 日本臨床心理学会の学会改革運動の歴史的展開を追い, そのなかでクリニカルサイコロジスト (clinical psychologist) が, いかにして自らの専門性のもつ抑圧性を認識しながらも, その否定し難さと向き合ってきたのかを明らかにすることである.1970年代以降, 日本臨床心理学会は, 臨床心理学および臨床心理業務の総点検を行う. 彼らは, 心理テストや心理治療のもつ抑圧性を告発し, また自らの専門性を全否定することから, 専門職としての関わりを超えて, 「共に悩み, 共に考え合える」関わりを模索する.だが, 1970年代を通して徹底されるに至る専門性の解体の志向は, 日常的に専門性に依拠し職務を遂行するクリニカルサイコロジストにとって, 自身の立場を危うくもする. 専門性の否定だけでは, 日常の臨床心理業務は成り立たないからである. 1980年代以降, 日本臨床心理学会では, 日常の臨床行為に立脚し, 現場で活用できる知識や技術, 方法論等を模索する専門性を再評価する動きが見られる. その具体的な現れが, 事例=実践相互研修会の開催である. 一方で, 1980年代後半には, 医療現場の会員から資格の必要性が主張される. とりわけ, 厚生省による医療心理職の国家資格化に協力するか否かをめぐっては, 学会内でも激しく意見が対立する.本稿では, こうした日本臨床心理学会の学会改革運動の歴史的変容から, 1970年代および1980年代における運動の質の相違を浮き彫りにする.

7 0 0 0 OA 甘える男性像

著者
中尾 香
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.54, no.1, pp.64-81, 2003-06-30 (Released:2010-04-23)
参考文献数
15

本稿の目的は, 戦後期日本において共有されていた男性イメージを確定するための作業の第一歩として, 戦後の『婦人公論』にあらわれた男性イメージを明らかにすることである.その結果, 明らかになったのは, 1950年代に登場した二つの系譜による男性イメージ-戦後に大衆化しつつあったサラリーマンが担うようになった「弱い」男性イメージと, 「家制度」のジェンダーを焼き直した「甘え」る男性イメージ-が, その後重なり合いながら展開し, 1955年頃から1960年代半ばにかけて繰り返し言説化されたことである.それらは, 男性の「仕事役割」を強調することをてことして, 私的な空間におけるジェンダーを母子のメタファーで捉え, 男は「甘え」女は「ケア」するというパターンを共有していた.さらに, 「仕事をする男性像」と「甘える男性像」のセットは, 60年代に言説にあらわれた「家庭的な男性」とは矛盾するものであった.この結果より, 次のような仮説を提示した. (1) 「甘え役割」と言い得るような男性の役割が成立していた可能性, (2) その「甘え役割」が女性の「ケア役割」を根拠づけているということ, (3) 「甘え役割」は「仕事役割」によって正当化されているということ, (4) 否定的に言説化された「家庭的男性」が「甘え役割」および「仕事役割」のサンクションとして機能していた可能性である.