著者
石田 淳
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.67, no.2, pp.182-200, 2016 (Released:2017-09-30)
参考文献数
37
被引用文献数
4

本論は, 「ブール代数分析による社会的カテゴリー分析」の枠組みを用いて, 2013年に実施されたインターネット調査により, 人びとのナショナル・アイデンティティを「日本人の条件」として把握し, その様態と社会的属性との関連を分析することを目的とする. 具体的には, 国籍・在住・血統・言語の4条件の組み合わせによる16パターンのプロフィールを回答者に提示し, 「日本人」だと思うか否かの2値評価を求め, 関連する意識や属性・社会経済的地位などの要因との関連を探った.分析の結果, 以下のことが明らかになった. まず, 回答者のイメージを統合した統合イメージについて分析した結果, 基本的に血統を必要条件とする条件組み合わせで構成されていた. 次に, 背後にある意識が日本人判断にどのように関連しているかを分析した結果, 国に対する誇りの高さは「血による包含」と, 排外主義は「血による排除」と, 同化主義は「文化による排除」と強く結びついていることが分かった. 最後に, 血統もしくは国籍に寛容的な日本人条件イメージが, 回答者の属性や社会経済的地位, 社会的経験とどのように関連しているのかを探った. その結果, 地域社会における外国人との接触経験や, 年齢の若さや学歴の高さといった外国人への寛容性と関連する属性・地位要因が, 異質性に寛容的な国籍拡張型のイメージの可能性を高め, 同質性に寛容的な血統主義的なイメージ拡張の可能性を低めることが確認された.
著者
石田 浩 三輪 哲
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.59, no.4, pp.648-662, 2009-03-31 (Released:2010-04-01)
参考文献数
30
被引用文献数
8 7

本稿では,世代間の階層移動を分析対象として,戦後日本にみられる長期的趨勢と国際比較の視点からみた日本社会の位置づけという2つのテーマを分析した.第1のテーマについては,社会の流動化の指標である相対移動率に着目すると,戦後日本の長いスパンを通して階層移動はおおむね安定しており,1995年から2005年にかけて日本社会の流動性が下がり階層の固定化が進展したという近年の「格差拡大論」を支持する結果は得られなかった.近年格差に関する関心が飛躍的に強まっているのは,おそらく人々が絶対レベルの移動の変化に反応しているためと考えられる.近年みられる社会の上層レベルでのパイ縮小と上昇移動率の低下,それと対応した下層レベルでのパイ拡大と下降移動率の上昇という変化が背景にあると思われる.第2のテーマの国際比較では,1970年代と90年代において日本社会が産業諸国の中でどのように位置づけられるかを検討した.相対移動率に着目すると,日本はどちらの年代でも,流動性がとりわけ大きくも小さくもない社会であることがわかった.全体移動率についてみると,日本は遅れて急速に発展した後発社会の特徴をもち,産業化の進展とともに全体移動率が顕著に増加したことが確認された.本稿では絶対と相対の双方の移動の趨勢を同時に検討することで,それぞれの社会の産業化の進展の軌跡と移動の趨勢の関連を考慮しながら,社会の位置関係を考察した.
著者
宮地 弘子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.63, no.2, pp.220-238, 2012-09-30 (Released:2013-11-22)
参考文献数
12

ソフトウェア開発エンジニアたちは, エンジニア職の自律性が尊重された職場において, 燃え尽きにまでいたるほど自発的に労働に没入している. このような自発的・没入的労働は, 従来, 企業が設計した文化的規範をエンジニアたちが内面化してそれに随順した, 規範的統制の結果として考えられてきた. 本稿は, 大手ソフトウェア開発企業X社を事例として取り上げ, エンジニアたちへのインタビュー調査をもとに, 現場の文化的規範であるを抽出した. エンジニアたちの自発的・没入的労働の語りは, 一見, 内面化したに随順し続けた物語のように解釈可能であった.しかしながら, 本稿は, エンジニアたちの語りを「人々の社会学」の視角から分析することで, 規範への随順に回収することのできない語りの意味を明らかにした. エンジニアたちは職場の文化的規範を一様に内面化し, 厳しい労働に没入しているのではない. エンジニアたちは, に象徴されるX社の現場に特有の常識的知識を解釈枠組みとして, 他者の語りの意味を不断に読み替え, またその裏で, を語ることで自己の関心をしたたかに追求し続けるという相互行為によって協働を達成し, 結果として, 燃え尽きにまでいたる厳しい労働に巻き込まれていくのである.

18 0 0 0 OA 公共性とは何か

著者
橋爪 大三郎
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.50, no.4, pp.451-463, 2000-03-31 (Released:2009-10-19)
参考文献数
10
被引用文献数
1 2

公共性の概念は, ある問題領域が, 不特定の人びとに開かれているところに成り立つ.公共性が人びとに明確に意識されるのは, 税, 王制, 法, 宗教, 市場, 言論といった公共性の装置が, 制度的に機能する場合である.ヘーゲルとその流れをくむ批判社会学は, 近代国家が市民社会のうえに立つ公共的な存在であると前提している.しかし, 市民社会は本来, 契約の自由を核とする公共性を実質としていると考えられる.自由な市民が, 契約のコストを税のかたちで負担することが, 公共性の原型である.国際社会が直面するこれからの課題は, 環境という公共財を維持するためのコストを負担する, 新しい公共性の枠組みをつくり上げることであろう.
著者
中村 高康
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.63, no.3, pp.439-451, 2012-12-31 (Released:2014-02-10)
参考文献数
62
被引用文献数
6 3
著者
小川 玲子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.70, no.3, pp.241-263, 2019 (Released:2021-02-16)
参考文献数
55
被引用文献数
1 2

急速な少子高齢化が進行する東アジアにおいて,家事や介護や育児などの再生産労働を担う移住労働者は増加しており,アジアにおけるリージョナルなケア・チェーンが形成されつつある.本稿はリージョナルとナショナルなレベルにおける移住ケア労働者の構築過程を明らかにすることを目的とする.第1に比較の枠組みとして,移民レジームとケアレジームという概念を導入し,2つのレジームの交錯点に日本,台湾,韓国における移住ケア労働者を位置づけた.東アジアの福祉国家は家族主義的であることが指摘されてきたが,移住ケア労働者の①市民権とケアの質,②労働条件とケア労働市場における配置,③グローバル化する福祉国家における配置は,東アジアにおいて異なる形で行われていることが明らかになった.第2に本特集号の趣旨に照らし,日本向けの移住ケア労働者の構築過程を新制度論の観点から検討し,その過程で他者化されていくプロセスを明らかにした.技能実習生「問題」は,一部の悪徳業者や雇用主による逸脱したケースではなく,移住労働者を日本向けに成型する公式・非公式の制度の相互作用により再生産され,構造化されている.アジアに対するオリエンタリズムを克服し,ケア労働におけるキャリアパスをつくり,移住労働者を対等なパートナーとして受け入れなければ,ケアの未来はない.長期的な視野に立ち,ケア労働と移民の社会的地位を高めるような受け入れのあり方を模索する時に来ている.
著者
坂 敏宏
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.2, pp.270-286, 2014

Max Weberの価値自由 (Wertfreiheit) という概念はこれまでさまざまに解釈されてきた. 本稿はまず, Weberの著作からwertfreiまたはwertungsfreiを含む語 ('価値自由') の用例を調べ上げることで, Weber自身がこの言葉にどのような意味を与えていたのかを明らかにしようとする. 調査の結果, '価値自由'の語はテキスト中30カ所において得られた. これらの用例を分析したところ, これらはすべて社会科学的認識のための方法論の立場を示すものとして用いられており, 実践的な「価値への自由」を含意していなかった. つまり, '価値自由'が意味しているのは, 実践的内容を含意するものである価値は, 科学的認識の「過程」において認識の対象とすることができるが認識の基準にすることはできないということ, および認識の「言明」において価値評価は排除されるということである. 次にその意義を考察した. それによると, '価値自由'は自然と対置される価値の世界を自然科学と同じ確実性をもって認識するための原理であって, これによって価値の世界を自然の世界と同様の客体として科学的に「説明」することを可能にするものであり, さらには, 認識と実践の統一を主張するHegel的な汎論理主義的性格に抗して, あくまで認識と実践との区別というKant的な立場に踏みとどまろうとするWeberの「哲学」の基礎をなしている.
著者
武田 俊輔
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.68, no.2, pp.265-282, 2017 (Released:2018-09-30)
参考文献数
20
被引用文献数
1

本稿は, 伝統的な都市祭礼における複数の祭礼集団間の対抗関係と, それを楽しむ見物人のまなざしと行為とが対抗関係に与える作用について明らかにする. 従来の都市祭礼研究の多くは対抗や競い合いが祭礼の場において具体的にどのように成立し, それぞれの町内の人々によって経験されるのかについて, そしてその優劣を判断する見物人の存在が対抗関係にもたらす作用について, 十分に論じてこなかった.また見物人のまなざしが与える影響について分析した数少ない研究においても, 担い手たちが祭礼における対抗関係をどのように経験し, それに基づく興奮と面白さを創り出すのか, またそれを眺める見物人が対抗関係にどう関与し, 「面白さ」を拡大すべくいかに担い手に働きかけるのかといった, 担い手と見物人の意識および行為を十分に捉えることができていない.本稿では上記の点について明らかにすべく, 滋賀県長浜市の長浜曳山祭という都市祭礼において, 祭礼組織同士の対抗関係が喧嘩という形で最もあらわになる「裸参り」行事を事例として分析を行う. そこで見物人のまなざしの下での祭礼における対抗関係について, 担い手・見物人双方の興奮と楽しみが創り出されていく仕組みや, 見物人たちが担い手に対して対抗関係を拡大すべくどのように働きかけるかについて論じ, 見物人の対抗関係への作用とそれが都市祭礼においてもつ意味の重要性について明らかにする.
著者
高艸 賢
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.69, no.4, pp.468-484, 2019 (Released:2020-03-31)
参考文献数
45

アルフレート・シュッツの生世界論は,社会学の研究対象領域の1 つを提示しているだけでなく,社会科学の意味を反省するための手がかりを与えている.本稿の問いは,シュッツにおいて生世界概念は何を契機として導入され,その結果彼の論理はどのように変わったのか,という点にある.その際,シュッツの社会科学の基礎づけのプロジェクトに含まれる2 つの問題平面を区別し,社会科学者もまた生を営む人間(科学する生)だという点に注目する.1920 年代から30 年代初頭にかけての著作において,シュッツは生の哲学の着想に依拠しつつ,生成としての生を一方の極とし論理と概念を用いる科学を他方の極とする「両極対立」のモデルを採用していた.しかし体験の流れとの差分において科学を規定するという方法には,科学する生を積極的には特徴づけられないという困難があった.こうした状況でシュッツは生という概念の規定を見直し,生世界概念を導入したと解釈される.生世界概念の導入によって,日常を生きる人間も科学に従事する人間も,世界に内属する生として捉え直された.私を超越し一切の活動の普遍的基盤をなす世界の中で,生は間主観性・歴史性・パースペクティヴ性を伴う.この観点からシュッツは科学する生を,科学の間主観的構造,科学的状況と科学の媒体としてのシンボルの歴史的成立,レリヴァンス構造による科学的探究のパースペクティヴ性という3 点によって特徴づけた.
著者
長谷 正人
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.57, no.3, pp.615-633, 2006-12-31 (Released:2010-04-23)
参考文献数
67
被引用文献数
1 1
著者
青山 薫
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.2, pp.224-238, 2014 (Released:2015-09-30)
参考文献数
42
被引用文献数
2

本稿は, 公序良俗を守り, 「健康な成人向け娯楽」を提供し, 「女性と子ども」をこの産業から保護する法が, 男女を分け, 女性を, 公序良俗の内部にいる「善い女性」と商業的性行為によって無垢さを失った「悪い女性」に分断する性の二重基準にもとづいていることを批判的に検証する. そして, この法によってセックスワーカー (SW) が社会的に排除され, あるいは保護更生の対象とされることを問題視する. さらに本稿は, 法の二重基準に内包された階級とエスニシティにかかわるバイアスが, グローバル化が広げる格差と不安定さによって鮮明になったことを指摘する. そして, このような二重基準が, 近年, 移住SWをつねに人身取引にかかわる犠牲者あるいは犯罪者と位置づけ, とくに逸脱化・無力化する法とその運用にもあらわれていると議論する.以上の目的をもって, 本稿では, SW支援団体と行ったアウトリーチにもとづいて, 人身取引対策と連動した性産業の取り締まり強化が, SW全体の脆弱性を高めていることを明らかにする. そして, 脆弱な立場におかれたSWの被害を真に軽減するためには, 従来の性の二重基準に替えて, 当事者の経験にねざしたエイジェンシーを中心に性産業を理解し, 法とその社会への影響を当事者中心のものに変化させようと提案する. それは, これもまたグローバル化によって広がっているSWの当事者運動に学ぶことでもある.
著者
清水 亮
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.69, no.3, pp.406-423, 2018 (Released:2019-12-31)
参考文献数
45

軍隊を経験した人々が戦後社会の形成にいかに関わっていたかは歴史社会学の重要な探求対象である. 本稿はその一端を戦友会の記念空間造成事業の担い手から考察する.事例として, 旧海軍航空兵養成学校予科練の戦友会の戦死者記念空間の造成過程を取り上げる. 予科練出身者は総じて若く, 社会的地位も高くなかったにもかかわらず, なぜ大規模な記念空間の造成を比較的早期に達成できたのか. 先行研究は, 集団が共有する負い目といった意識面から主に説明してきた. これに対して本稿は, 各担い手が大規模な事業を実現しうる資源や能力などの社会的な力を獲得していく, 戦前から戦後にかけての過程を, 特に軍隊経験に焦点を当てて探求する.事業を主導した乙種予科練の戦友会幹部は, 予科練出身者の独力のみならず, 軍学校時代に培われた年長世代の教官との人脈を起点としつつも, 軍隊出身者に限らない政財界関係者とのネットワークから支援を引き出していた. 戦友会集団の外部にあたる地域婦人会のリーダーは, 戦時中の軍学校支援の経験等を背景として, 造成事業において組織的な行動力と, 戦友会内部を統合する政治力を現地において発揮した.本稿は記念空間造成事業の大規模化の説明を通して, 負い目という意識の「持続」を重視する先行研究に対して, 軍学校や婦人会などの組織における軍隊経験を背景とした資源や能力の「蓄積」という説明図式をオルタナティヴとして提出した.
著者
宇田 和子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.53-69, 2012-06-30 (Released:2013-11-22)
参考文献数
33

本稿の課題は, 食品公害問題であるカネミ油症の被害がどのような意味で救済されていないのか, また不十分な補償がなぜ現在まで継続してきたのかを解明することにある.まず, カネミ油症の被害に対する補償の現状を検討すると, 類似する被害をもつ他の事例に比べて非常に手薄なものであった. 現在の日本には, 食品公害の被害に対応するための法制度が存在しないが, 被害の認定と補償は根拠法なき「制度」にもとづいて行われてきた. その内容は, 法的にも実質的にも被害者の権利を尊重しているとは言い難い.次に, とという2つの承認形式に着目してカネミ油症の「認定制度」を分析した. その結果, カネミ油症の被害者の認定は, 患者であることを認めるの形式でのみ行われており, 被害者がその権利を行使できるようなかたちで正当な権利要求を有する者であることを認めるが欠如していることがわかった. このようなを欠いた「認定制度」と「補償制度」が既成事実化している背景には, 補償協定の不在, 制度上の空白, 新たな対処法の不成立という3つの要因がある.以上の検討を通じて, カネミ油症の被害が救済されない根本には, 被害の認定がを欠いていることがあり, この欠如が被害者の権利要求を封じ, 結果として補償を不十分なものにとどめ続けているという構造が明らかになった.
著者
藤田 博文
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.59, no.3, pp.478-494, 2008-12-31 (Released:2010-04-01)
参考文献数
30
被引用文献数
1

本稿の課題は,M. フーコーが最晩年に取り組んだ古典古代思想研究におけるキー概念,「自己への配慮」が,〈倫理‐政治的〉な自律主体の形成という観点から構成されていることを明らかにすることにある.彼のこの取り組みについての従来の議論では,「自己の自己との関係」という形式をとる「自己への配慮」の「主体」が,閉じられた自己関係の枠内にとどまる「倫理的」主体として捉えられ,この主体との関わりで,彼の権力論において常に問われ続けてきた「抵抗」拠点の可能性について指摘されてきた.そこで本稿では,この議論を一歩進めて,「自己への配慮」と「抵抗」拠点との関係を単に指摘するだけにとどめず,両者の論理関係を捉えたうえで,この「自己への配慮」が常に「他者」との開かれた関係の中で機能する,〈倫理‐政治的〉な観点から貫かれた概念であることを検討する.この課題を遂行するために,まずはじめに,「自己への配慮」と「抵抗」拠点との論理関係を考察し,前者が「主体の変形」(「スピリチュアリテ」)の実践として定義されていることを明らかにする.次に,この「自己への配慮」が,2つの位相を持つ「他者」と常に関係を持ちつつ実践されることを明らかにする.そして最後に,この「自己への配慮」によってはじめて,下位の者が上位の者に対して生命を賭けて実践する「パレーシア」(「真理を語ること」)が可能になることを指摘する.
著者
橋口 昌治
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.2, pp.164-178, 2014 (Released:2015-09-30)
参考文献数
23

企業社会が揺らぐなか, 若年層はさまざまな困難を抱えつつも, それを社会的・構造的な問題として捉え, 集合的に異議申し立てを行うことが難しくなっている. なぜなら, 個人化が進んだ社会において人々が「集まる」ことすら難しいからである. また先行研究では, 共同性が政治的目的性を「あきらめ」させるという主張がある. その一方で, 「若者の労働運動」に参加している若者もいる. 本稿では, 「若者の労働運動」における抵抗のあり様を明らかにした. その際, エージェンシー性の高いと思われる組合員にインタビューを行った. エージェンシー性の高い人物ほど, 現在の地位が構造的要因に規定されたものなのか, 個人の選択や努力の結果なのかが判別しがたいという, 揺らぐ労働社会における矛盾が現れやすいと考えられるからである.その結果, まず, ユニオンが労働相談にのることで, インタビュー対象者が個人的な問題として捉えていたものを社会的・集団的に解決すべき問題へと転換させていたことがわかった. 次に, 「あきらめ」, つまり上昇アスピレーションの冷却や「私」を受け入れていくことを通じて, 「政治的目的性」は加熱されていたことがわかった. 先行研究においては, 政治的目的性や自分探し, 上昇アスピレーションが加熱か冷却かの二項対立で捉えられていたが, 2人の事例からは, 「あきらめ」の相互関係は二項対立では捉えきれず, また抵抗につながりうることが明らかになった.
著者
片瀬 一男
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.58, no.4, pp.476-491, 2008-03-31 (Released:2010-04-01)
参考文献数
60

戦後,日本社会の民主化をめざして導入された統計教育が,昨今の「ゆとり教育」のもとでのカリキュラム削減によって危機に瀕している.統計的リテラシーは,世論調査をはじめとする調査データを的確に読みとることによって適切な政治参加を促進するという点で,情報化社会における市民的教養教育にとって不可欠のものである.また,社会学教育においても,社会調査教育は,質的調査・量的調査を問わず,因果図式や仮説の構成を通じて,社会理論と社会的現実を架橋する社会学的想像力を涵養するという意味で枢要な位置を占める.ところが,実際の社会調査教育の現場では,たとえば社会調査士育成をめぐっても,大学間の格差が存在するだけでなく,量的調査では検定や多変量解析,質的調査ではフィールドノーツやドキュメントの分析技法の教授までは十分になされていないという問題点がある.今後はデータ収集の方法だけでなく,こうした分析技法の教育にさらに力をそそぐことが,社会調査教育の課題となる.これによって,メディアの流す多様な情報から,適切なものを読みとるリサーチ・リテラシーを育成することで,情報化社会における民主的な市民参加を促進することこそ,市民的教養教育としての社会調査教育に求められる使命である.
著者
小山 裕
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.37-51, 2010-06-30 (Released:2012-03-01)
参考文献数
46
被引用文献数
1

本稿の目的は,ニクラス・ルーマンが『制度としての基本権』(1965年)において最初に提示した機能分化社会という秩序表象が立つ共時的・通時的連関の解明にある.共時的な観点からは,ルーマンの機能分化社会理論が,公共性や公的秩序といった概念を手がかりとした,ドイツ的国家概念の批判という,同時代のドイツ連邦共和国の理論家の幾人かに共通して見られる試みの一ヴァージョンであったことが示される.ルーマンの機能分化概念は,かかる国家概念を支える19世紀ドイツの社会構造と見なされていた国家と社会の二元主義へのオルタナティヴであった.通時的な観点からは,機能分化社会という秩序表象がカール・シュミットの全面国家との比較から分析される.ルーマンは,シュミットのいう社会の自己組織化を,社会全体の政治化による自由なき全面国家の成立と見なし,それを批判するために機能分化を維持するためのメカニズムを探求した.政治システムの限界づけを志向するという点で,初期ルーマンの機能分化社会理論は,19世紀の市民的自由主義の自由主義的な再解釈であったと特徴づけることができる.