著者
杉本 昌裕
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.A27-A42, 2010-03-15

本稿は、ここ10 数年の日本のアニメーション、アート、そして美術文化について論述したものである。この間筆者は、美術を守り育てる場、つくる場、広める場を経験し、それぞれの立場から日本の美術について考察でき、客観的で実証的な研究を進められた。日本の美術における今後の在り方を明らかにし、美術教育、美術文化振興、人材育成等に資することがねらいである。
著者
小川 功
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学マネジメント学部紀要 = JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF MANAGEMENT (ISSN:13481118)
巻号頁・発行日
no.9, pp.1-24, 2010-03

旅館主が地域振興に大きく貢献した例は別府の油屋熊八など全国に数多く存在するが,油屋など一\n部の例外を除き必ずしも伝記等で事跡が解明されているわけではない。その背景には旅館業の多くが家業として個人経営の形態で運営され情報公開されることも少なかった事情もあろう。\n今回取り上げた日本三景の一・松島の旅館主・大宮司雅之輔の場合,ご子孫が遺品たる書画骨董等\nの一切を瑞巌寺宝物館ほかに寄贈され,学術的な調査を経て数次にわたり同館で特別展を開催されて来たという希有な事情にあった。本稿では同館のこれまでの研究成果や『松島町史』等に依拠しつつ,大宮司が地元の観光振興を願って運輸業を中核とする地元企業の多くに役員・大株主等として積極的に関与した企業者史的側面を明らかにしようとした。\nまず松島軽便鉄道では執行役員による仮装払込が発覚して免許失効,次に松島電車では経営不振の\nため債権者に軌条・車両等を競落され運行停止に陥るなど,彼が関与した企業の多くは期待された成果を生まなかった。相次ぐ不首尾にもかかわらず,彼はその後も松島を中心とする陸海の各種運輸業への関与を止めようとしなかった。一面で浮世絵等の収集家でもあった彼は独自の考え方に基づいて美術商から大量の書画を買い続けたという。関与した松島軽便鉄道,松島電車等はいわば習作の部類に入るわけだが,最後に本命視した宮城電気鉄道(現仙石線)は仙台と直結する本物の観光路線として成功を収めた。彼が損失も覚悟の上で最後まで地域の公益企業に関与をし続けた根底には明治末期宮城県から松島公園の委員を嘱託された際に開陳した彼の宿願たる松島振興策があったものと考えられる。なお地元銀行の再生等に私財を投じて尽力した大宮司の銀行家としての今一つの重要な側面の解明は別稿にゆずりたい。
著者
小関 孝子
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学観光コミュニティ学部紀要 = Atomi Tourism and Community Studies (ISSN:21899673)
巻号頁・発行日
no.6, pp.59-68, 2021-03

筆者の研究関心は、ナイトクラブなど社交料飲業の前身といわれている明治期のカフェーが、なぜ女性による給仕を伴って受容されていったのかという問いである。本稿は、この問いを解明するための基礎資料として、明治後期に銀座に登場したカフェーに関する情報を整理したものである。日本で最初にカフェーという言葉を使用した店は、1911(明治44)年に銀座にオープンした「カフェー・プランタン」であるが、初めて女給をおいた店は1905(明治38)年12月に銀座にオープンした「台湾喫茶店」であったというのが、飲食文化史の研究においては定説である。しかし、女性による給仕自体は「台湾喫茶店」以前から牛鍋屋でもビアホールでも行われていた。それにも関わらず、「台湾喫茶店」が初めて女給を置いたとされているのはなぜだろうか。「台湾喫茶店」の現場を切り盛りしていたおかみさんのインタビュー記事や永井荷風の日記によると、「台湾喫茶店」のおかみさんが1904年の米国セントルイス万国博覧会で洋行した元新橋芸者であったことがわかる。元新橋芸者である彼女がセントルイス万国博覧会において世界各国の人々を接客したのちに、「台湾喫茶店」の現場を指揮したことは、接客における日本近世文化と西洋文化の最初の出会いであった、と捉えることができるだろう。
著者
小川 功
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学マネジメント学部紀要 (ISSN:13481118)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.1-24, 2010-03-15

旅館主が地域振興に大きく貢献した例は別府の油屋熊八など全国に数多く存在するが,油屋など一部の例外を除き必ずしも伝記等で事跡が解明されているわけではない。その背景には旅館業の多くが家業として個人経営の形態で運営され情報公開されることも少なかった事情もあろう。今回取り上げた日本三景の一・松島の旅館主・大宮司雅之輔の場合,ご子孫が遺品たる書画骨董等の一切を瑞巌寺宝物館ほかに寄贈され,学術的な調査を経て数次にわたり同館で特別展を開催されて来たという希有な事情にあった。本稿では同館のこれまでの研究成果や『松島町史』等に依拠しつつ,大宮司が地元の観光振興を願って運輸業を中核とする地元企業の多くに役員・大株主等として積極的に関与した企業者史的側面を明らかにしようとした。まず松島軽便鉄道では執行役員による仮装払込が発覚して免許失効,次に松島電車では経営不振のため債権者に軌条・車両等を競落され運行停止に陥るなど,彼が関与した企業の多くは期待された成果を生まなかった。相次ぐ不首尾にもかかわらず,彼はその後も松島を中心とする陸海の各種運輸業への関与を止めようとしなかった。一面で浮世絵等の収集家でもあった彼は独自の考え方に基づいて美術商から大量の書画を買い続けたという。関与した松島軽便鉄道,松島電車等はいわば習作の部類に入るわけだが,最後に本命視した宮城電気鉄道(現JR仙石線)は仙台と直結する本物の観光路線として成功を収めた。彼が損失も覚悟の上で最後まで地域の公益企業に関与をし続けた根底には明治末期宮城県から松島公園の委員を嘱託された際に開陳した彼の宿願たる松島振興策があったものと考えられる。なお地元銀行の再生等に私財を投じて尽力した大宮司の銀行家としての今一つの重要な側面の解明は別稿にゆずりたい。
著者
安藤 良平
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
no.15, pp.p1-19, 1982-03

前稿に登場した落合直亮は明治の国文学者、歌人落合直文の父であるが、本稿に述べる権田直助、藤川三渓とともに多くの著述をのこしている。幕末から明治にかけて尊王攘夷家が丹念に記録をのこし、文章をものしている理由について本論で若干の考察をしたい。かれらは維新の表舞台で活躍した雄藩の出身でないから、働いたわりには、戦後の生活は恵れなかった。また自ら売り込んで猟官運動をするほどの厚かましさもなかった。もっとも、晩年になって権田や藤川の尊王運動の語り口が、おおげさになったのは国家の処遇にたいする反感があったのかもしれない。革命期にはこのような中級の運動家は、御用済になれば、使いすてになるのは、いつの時代でもおなじである。自分の望むところに働き、著述に励むことのできたかれらはまだ幸福といってよい。多少の感慨をもって、かれら国事鞅掌者の生きざまを追ってみた。
著者
老川 慶喜
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学観光コミュニティ学部紀要 = Atomi Tourism and Community Studies (ISSN:21899673)
巻号頁・発行日
no.3, pp.53-62, 2018-03

群馬県吾妻郡長野原町北軽井沢の戦後は、草軽電気鉄道に運輸営業の廃止を告げられることから始まる。北軽井沢地区は、草軽電鉄の沿線に位置し、同鉄道の開通後別荘地として開発されてきた。したがって、同鉄道の営業廃止は、北軽井沢地区にとっては死活にかかわる問題であった。長野原町は、北軽井沢地区発展の道を観光開発に求め、「草軽東急」(東急電鉄、東急観光、草軽電鉄)と協力して進めようとした。しかし、これに国土計画興業(前身は箱根土地、のちのコクド)が異を唱え、北軽井沢の観光開発は頓挫することになった。国土計画興業と東急資本は、軽井沢や箱根で観光開発をめぐって対立しており、それが北軽井沢にも持ち込まれたとみることができる。筆者は、北軽井沢の観光開発をめぐる長野原町と観光資本の動向を明らかにしようと考えているが、本稿はその概要を『長野原町報』の記事と長野原町役場所蔵の行政文書によって明らかにしようとするものである。
著者
曽田 修司
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学マネジメント学部紀要 (ISSN:13481118)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.75-90, 2009-09-15

本論考では、2008年春に立て続けに生起した「びわ湖ホールのオペラ制作費削減問題」や橋下徹大阪府知事の行財政改革「大阪維新」にともなう文化予算の削減問題を入り口として、地方自治体の文化政策のあり方について考察を加えた。財政難を理由として自治体の文化予算を削減しようとする考え方が今日の大勢であるのに対して、文化的価値の重要さを正面から訴え、文化が公共財であると強く主張するやり方では、多くの場合、双方の主張が平行線をたどるだけで最終的な説得力に欠ける。本稿では、文化人類学における所有のあり方を論じた松村圭一郎著「所有と分配の人類学」の成果を応用し、文化は市場財か公共財かという従来からの対立的な議論の構図から脱却するために、現代社会における「共同財としての文化/アート」という視点を導入した。さらに、アートの公共性を考えるための補助線として、従前から文化経済学において指摘されてきた正の外部性の存在に加え、アートによる複数の参照系の保障、文化圏が形成されることによる経済圏の視覚化などについての概念を提起し、これらを活用した注目すべき文化政策の事例を全国各地の取り組みの中からいくつか紹介した。このことにより、今後、地方自治体の文化政策において「共同財としてのアート」に注目し、これを積極的に活用することで「文化の自己決定性」を高め、文化振興とまちづくりのための施策とが持続的な好循環を作り出す可能性が高まることを示した。