著者
私市 正年
出版者
上智大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2017-04-01

研究計画に沿って以下のことを行った。1.ケドゥーリー、ゲルナー、アンダーソン、スミスらの著作を読み、独立運動と密接に関わるナショナリズムの理論の整理を行った。2.Zawiya al-Hamilの教育プログラムを調べ、イスラーム教育における政治的イデオロギーの要素を抜き出した。特にテキストとして使われたKhalil b.Ishaq:Mukhtasar al-Alama Khalilのjihadの章を読み。そこで記述されたジハードの内容を小ジハードと大ジハードに分けて分析した。分析から得られた事実は、武装闘争を是認する小ジハードに関する教育は生徒たちに一定のイデオロギー的影響を与えた、との暫定的結論を出した。4.Zawiya al-Hamilの19世紀末の生徒名簿を分析した。171人の名簿の出身地を調べると、ブーサーダ地区を中心にしたアルジェリア中部が最大多数であるが、ほぼアルジェリア全域に広がっていることがわかる。さらに、モロッコのフェスやマラケシュ地方の出身者もみられる。このことから、ザーウィヤのイスラーム教育がアルジェリアの全域に及び、教育と独立運動との間にイデオロギー的関係があったと判断される。ただし、他のザーウィヤにおける教育内容の分析をしないと一般化することができるのか、断定は難しい。5.1930年代から1950年代の植民地期におけるコーラン学校の数と生徒数については、Kamel Katebの論文(Insaniyat, vols.25-26, 2004)を読み、1932年から1951年の間に、生徒数は、学校数は2.4倍、生徒数は2.85倍に増加していることがわかった。
著者
私市 正年 清水 学 川島 緑 小牧 昌平 東長 靖 赤堀 雅幸 小林 寧子 栗田 禎子
出版者
上智大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2002

本報告は、現代イスラーム運動や民主化問題の背後にある民衆の役割と宗教運動について、歴史性と現代的諸状況とを総合的に比較しながら、その実態の分析を行なった調査・研究の成果概要である。東長と私市は、スーフィズムと聖者崇拝の原理と思想的本質の分析をすることによって、それが民衆イスラームを包含する多元的性格を有していることを解明した。小牧と川島は、それぞれ遊牧社会のアフガニスタンと農耕社会のフィリピンを事例にして、近代から現代初頭に関する新資料の調査、解読により、近代以降の当該社会の民衆がナショナリズムやイスラーム政治思想の形成に重要な役割を果たしていることを明らかにした。栗田は現代スーダンを事例に、イスラーム復興と民主化への動きにおいて民衆の担う役割を分析した。小林はインドネシアにおける宗教法改正案を分析し、その背後に民衆の「市民社会的権利」を拡大する努力を見出した。清水と赤堀の成果は、それぞれ中央アジアのイスラーム運動とエジプトの遊牧民を事例にして、地域ごとに異なるイスラーム運動の多様性および遊牧社会のイスラーム価値観の変容を明らかにした。両者の成果はステレオタイプ的イスラーム理解に対する鋭い批判であり、この視点こそ「民衆と宗教運動」の研究の意義、イスラーム社会を相対的に理解する重要性を示しているといえよう。また私市「北アフリカ・イスラーム主義運動の歴史」は、大衆に支えられた社会運動としてのイスラーム主義運動の総括的研究である。本研究プロジェクトを効率よく推進するため、高橋圭(研究協力者)が「民衆と宗教運動」に関する文献リストを作成した。また、民衆が関与するNGO活動の重要性にかんがみ、岡戸真幸(研究協力者)がエジプトの同郷者集団の調査を実施した。
著者
私市 正年
出版者
上智大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2013-04-01

従来のアルジェリア・ナショナリズム運動の研究では、ザーウィヤなど民衆的イスラーム組織は否定的、ないしは植民地支配に協力的であった、と説明されてきた。しかし、al-Ruh紙の分析によって、民衆的イスラーム施設ザーウィヤの青年たちがFLNよりも先に、行動主義的主張をし、独立運動を担うイデオロギーを構築したことが明らかになった。この事実は、従来のナショナリズム運動と独立運動の研究に根本的な修正を求めるものである。本資料の重要性に鑑み、テキスト全文と資料解題をつけてal-Ruh-Journal des jeunes Kacimiという書名で2017年出版(Dar al Khlil社)をした。
著者
中山 秀太郎
出版者
上智大学
雑誌
ソフィア (ISSN:04896432)
巻号頁・発行日
vol.20, no.3, pp.98-101, 1971-11
著者
ラブソン スティーブ
出版者
上智大学
雑誌
アメリカ・カナダ研究 (ISSN:09148035)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.1-17, 1992-11-30

アメリカ人の多くは, 1945年8月14日の「対日戦勝記念日("Victory over Japan Day"=V-J Day)」と聞けば, 長く破壊的な戦争が終わったことへの安堵の気持ち, そして目標が達成されたことへの満足感を連想するだろう。大統領ハリー・S・トルーマンが1946年にその名前を単に「勝利の日(Victory Day)」と短くした。その後, いくつかの州がこの「勝利の日」を法的な祝日とすることを宣言し, その中には1948年に同様の宣言を出したロード・アイランド州も含まれている。しかしながら, 1975年までにはこれらの州のすべてがこの祝日を廃止してしまった。それでも, ロード。アイランドのみはその唯一の例外であった。ロード・アイランドでは, 「勝利の日」は未だに広く"V-J Day"と呼ばれており, それは新聞や"V-J Day"記念特売のための宣伝などにさえも使われている。ロード・アイランドに住む日本人, 日系アメリカ人らは, 祝日の名前が法制化されていること, 及び名前が"V-J Day"と短く呼びやすくなっていることによってこの古く不名誉な呼び方が引き続き使われていることが促されているのであり, それによって彼らが戦時中の攻撃や虐殺に関して謂のない辱めを受け, 更に日本人, 他のアジア人, アジア系アメリカ人に対する中傷, 暴力の元となっている, と主張している。そのような事件は実際には少数であるにせよ, ここ数年増加する傾向を見せている。おそらくは, 日米間貿易での緊張の高まり, さらにはそれがメディアのセンセーショナリズム, 両国の政治家が感情的な愛国論を打ち上げていることによって不必要に煽られていることがその一因であろう。この祝日法を改定し名前を変えようと試みた法案が四つ州議会に提出されたものの, 州政府に多大な影響力を持つ退役軍人組合からの執拗な圧力によってその通過は阻まれてしまった。第二次世界大戦中にはロード・アイランド出身者から多数の死傷者が出たため, 祝日の名前を変えることは軍人の犠牲を軽んじることになり, さらには, 「歴史の見直し」を主張している日本の右翼集団を助長させてしまっていると, 彼らは主張している。しかし, 多くの退役軍人は改定を支持している。そして, 反核団体, 在米日本人, アジア系アメリカ人, ロード・アイランド州議会黒人幹部会なども同様の態度をとっている。彼らは, 日本の政治家が数度にわたりアフリカ系アメリカ人に対して偏見に満ちた発言をしたことに対しては怒りを隠さないにせよ, その祝日の現在の名前は差別的であるということにおいては一致を見ているのである。
著者
水野 一
出版者
上智大学
雑誌
ソフィア (ISSN:04896432)
巻号頁・発行日
vol.20, no.3, pp.27-42, 1971-11
著者
金本 めぐみ 横沢 民男 金本 益男
出版者
上智大学
雑誌
上智大学体育 (ISSN:02870568)
巻号頁・発行日
vol.32, pp.1-10, 1999-03-25

本研究は青年期において,自己の身体がどのように認知されているか男女の認知構造について検討するとともに,身体的魅力の自己および他者の相互認知の構造を分析することを目的とした。大学生女子914名(平均年齢19.0歳),大学生男子934名(平均年齢19.4歳)を対象に調査がなされた。その結果以下のことが明らかとなった1. 現実の身長,体重および理想とする身長,体重から算出されたケトレーのBMI(BodyMassIndex)より,女性は男性に比べ細長体型への志向が顕著であった。2. 異性に対する理想体型は,女性は男性に対して普通の体型を理想とし,男性は女性に対して痩身体型を理想とする傾向が認められた。3. 身体満足度においては,女性は現実の肥痩パターンに関わらず自己の身体に対して否定的な認知をする傾向が認められた。4. 肥痩意識では女性は現実の体型より,より太っていると歪曲した身体認知を示した。一方,男5. 20の身体部位からみた身体満足度は,男女ともに低い傾向にあった。身体領域という視点での女性の不満部位を考えた場合,下肢部・スタイル・身体的性に代表されるように即時的に変えることが困難な身体領域に強い不満を感じていると言える。容姿・鼻・顔から構成される容貌の領域は予測に反して不満度はそれほど高くはなっかた。女性に比べ男性では不満足度の強い身体領域は認められなっかた。6. 男性および女性から見た身体的魅力の重要度における相互認知の違いが,男女というカテゴリーによるものか,個人を取り巻く環境的要因を基盤とした個人差としての認知傾向か今後詳細に検討する必要性が示唆された。
著者
高柳 俊一
出版者
上智大学
雑誌
アメリカ・カナダ研究 (ISSN:09148035)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.53-77, 1991-03-31

本論文はポール・ケネディーの『大国の興亡』, アラン・ブルームの『アメリカン・マインドの終焉』(以上は日本語訳で広く知られている), E・D・ハーシュの『文化的読解力』(Cultural Literacy)を1987〜88年の自国の影響力衰退についての米国内の反応として捉え, そのいくつかの側面を指摘したものである。ケネディーは他の彼の著書においても記述のパラダイムとして, 「興亡」を使っているが, それはアウグスティヌス, ギボン, シュペングラーが用いたものであり, トインビーが使った「挑戦と対応」は「興亡」の根拠を捉えるためのパラダイムであると思われる。この背景には世界史の中心となったヨーロッパ文明がローマ帝国の後継者として次々に登場し, 米国は西ローマ帝国, ソ連は東ローマ帝国の後継者として世界を分割し, 現在その枠組が崩壊しつつあるという事実がある。以上の三つの書物が出版された時, ソ連の東欧帝国の崩壊はまだはじまっていなかった。それがロシア正教会一千年記念と同時に顕現化したことは興味ある事実である。二つの帝国はそれぞれ拡張の限界に達し, かつてのローマ帝国と同じ様に, 時代の経緯とともに起こってくる内部からの挑戦に対応することができなくなったのである。歴史学の危機は米国で脱構築(解体)の理論による建国神話の非神話化において顕著に見られる。帝国とは他民族を含むものでありながら, 一つの共通言語・文化をもち, その優位性への絶対的信頼の上に平和と秩序を維持する政治・経済・文明形態である。かつてのローマ帝国の衰退も多数民族の民族主義と支配民族の優位性についての懐疑主義によって推進された。ブルームの著書はいわゆる世俗的ヒューマニズムの立場から, 70年代の学生紛争の体験をもとにしながら, 世界における「アメリカ的現在」の回復を求めたものであり, ハーシュの著書も同様のテーマを, 「文化的理解力」の社会における目立った衰退とそれにに対する懐疑がいかに経済的な衰退の原因になっているかの観点から論じている。本論文は, 以上のような議論自体を「興亡」のテーマ以上に, 「挑戦と応答」をめぐる議論として捉え, 植民地時代, 建国時代からのアメリカ思想史と1950年代中葉以後の大学教育をめぐる議論のコンテクストのなかに位置づけ, あわせて特にブルームの著書が巻き起し, 今日まで続けられている論争を加味しながら, 取り扱ったものである。
著者
松浦 寛
出版者
上智大学
雑誌
Les Lettres francaises (ISSN:02851547)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.21-29, 1988-06-15

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著者
小泉 進
出版者
上智大学
雑誌
上智大学ドイツ文学論集 (ISSN:02881926)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.7-9, 2003-12-30

加藤宏教授追悼号