著者
西澤 美仁 居駒 永幸 菊地 仁 木下 資一 小林 幸夫 錦 仁 浅見 和彦 花部 英雄
出版者
上智大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2004

平成16年度から19年度まで、8月上旬または下旬に、和歌山(高野山及び熊野)・伊勢、香川(白峯及び善通寺)・静岡(小夜の中山及び専称寺)の実地調査を西行伝承研究会(第9回〜第12回)として開催した。その間、現地の研究者との交流を行い、口野西真定(高野山奥の院維那=当時)・樫山茂樹(南方熊楠記念館常務理事=当時、故人)・晝川楠茂(伊勢市立郷土博物館)岩井田尚正(伊勢御師)・岡田登(皇學館大学教授)・高橋弘(坂出郷土資料館)・中井博一(鎌刃越開拓)・片山友一(水茎の岡西行庵管理)ほか多くの方々から有益な御協力を得た。研究会の開催以外にも、和歌山県博物館で木村蒹葭堂『熊中奇観』を調査したほか、岡山県瀬戸内市長船で「西行腰掛石」の縁起を調査、山梨県南部町西行で西行の一族を伝承する遠藤家系図・西行像を調査、長野県山ノ内町で興隆寺の縁起に連なる『寺志』『萬松山興隆寺之賦』を調査するなど、全国各地の西行伝承調査を行った。中でも、日比・渋川から白峯への航路及び鎌刃越を経由する伝承ルートを直接体験することができたこと、『佐久郡三十三所縁起』との関連で、布引観音から善光寺に至る西行伝承が滋野一族のアイデンティティーを語るものとして真田信之の松代藩政に利用された可能性を見出したこと、『紀伊続風十記』『紀伊名所図会』に連なる紀伊国地誌の原点ともいうべき『紀路歌枕抄』校本を完成させ、西行伝承の形成を具体的に判明させつつあること、は大きな収穫と思われる。19年年末には名古屋大学阿部泰郎教授が主催する研究集会を共催して、シンポジウム・講演会ほかを行い、三次10年間に及ぶ「西行伝説の説話、伝承学的研究」及び12年間に及ぶ「西行伝承研究会」の締めくくりとした。
著者
菅原 裕二
出版者
上智大学
雑誌
カトリック研究 (ISSN:03873005)
巻号頁・発行日
vol.73, pp.29-50, 2004-08-01

The magisterium of the Church highly esteems the apostolic works and presence of religious in the world. It confirms that the religious exist for the good of the universal church and that their specific vocation is realized in the structure of a determined particular church. With special reference to the norms of the 1983 Code of Canon Law, this article studies , the meaning of the apostolate of religious in the local church and the relationship among different members and vocations in the light of the magisterium from Vatican Council II to the 10th Synod of Bishops (2001). Since the Second Vatican Council, the magisterium has continually taught that religious should cooperate with the local church, bishops and diocesan clergy. Various recent continental Synods (1994-1999 : Africa, America, Asia, Oceania) have insisted on the perspective of historical and territorial "contextualization" for the mission of evangelization. Also, Synods on various states of life in the Church (1985-2001 : lay person, presbyter, consecrated person, bishop) have underlined the importance of "collaboration and exchange of gifts" among all the members of the Church. The apostolic presence and works of religious also are to be considered in these new ecclesiological perspectives. "The apostolate of religious consists first of all in the witness of their consecrated life" (c.673). The church appreciates the witness that religious give by the very consecration of their lives. Even the simple presence of religious in the local church can be anapostolate if it is a missionary sign of communion and reconciliation in a world which suffers conflicts and division. For this, the magisterium requires the presence of religious in a particular way as community and family, their continuous efforts at conversion to be "true experts of communion" (cf. Vita consecrata 46) ; and their fidelity to their foundational charism for the good of the Church. Bishops have the pastoral task of recognizing and defending the charism and discipline of religious. To realize the full collaboration of religious at various levels in the particular church, canon law provides for ordered collaboration in the diocese under the direction and guidance of the bishop (cc. 394, 680) and the cooperation of the major Superiors of religious institutes (c.708). In addition, the magisterium affirms the necessity of understanding conciliar and post-conciliar teachings on various states of life in the Church and calls for courses in the theology of the particular church and of the consecrated life as part of priestly and religious formation. It is no less important to seek the cooperation and dialogue of religious in the pastoral field, including participation in many organizations and in their decision making process. Finally the participation of religious in the pastoral work of a diocese is not to be considered to be merely assistance to supply for the lack of clergy, but an occasion for positive collaboration between the diocese and the institute.
著者
辻 麻衣子
出版者
上智大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2012

当該年度に実施した研究の主な成果は、以下の2点である。1. 『純粋理性批判』(以下、『批判』)超越論的演繹論(以下、演繹論)において統覚概念と並んで重要である構想力概念を、以下の2つの側面から詳細に考察した。(1)『批判』刊行の直前期の形而上学講義や草稿を用いて、構想力概念についての分析および『批判』第1版との比較を行った。当時のカントにとって構想力概念は、経験心理学の中で語られる能力であったが、超越論哲学という新たな軸を打ち出した『批判』に至って、この概念の性格もまた変更されざるをえなかった。このような移行の中で、構想力概念もまた両者の狭間で揺れ動いていることを、上記テキストおよび『批判』の精査を通じて明らかにした。(2)能力論における「カントの先駆者」と呼ばれるヨハン・ニコラウス・テーテンスによるテキストを精査し、カントの構想力概念に与えた影響に関する発表を行った。両者が考えた構想力概念の体系には確かに相違点も多くあるが、同時代の他の哲学者には見られないような、特異な共通点もまた存在する。この共通点を両者のテキストから析出し、これまで省みられることの少なかった構想力概念におけるテーテンスとカントとの関係に焦点を当てた。2. 『批判』演繹論における、統覚を中心とした自己意識論から強い示唆を受けて成立したフィヒテの知識学講義を精読し、そこでの自己意識論をカントによるものと比較した。1790年代末に行われた講義をまとめたものである『新たな方法による知識学』を基本テキストとし、そこで「五重の総合」という名称で展開されるフィヒテの自己意識論に着目した。フィヒテがカントの統覚概念をさらに発展させ、理論的認識という側面においてのみならず、実践的側面においても自己意識の統一を第一原理としたことを明らかにした。
著者
荻野 弘之 早川 正祐 佐良土 茂樹 波多野 知子 三浦 太一 荒幡 智佳 桑原 司 赤堀 愛美 ロウ クリストファー チャールズ デイヴィド ヴォルフ フランシス フェラーリ ジョン ロング アンソニー
出版者
上智大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2011-04-28

1980年代の「徳倫理学」の復興以来注目されているアリストテレス倫理学を、従来のように、単に『ニコマコス倫理学』だけで解釈するのではなく、『エウデモス倫理学』『大道徳学』『徳と悪徳について』といった(参照される機会が殆どなかった)複数の著作やヘレニズム時代の偽作との比較検討を含めて、成立史、影響史を立体的に考察する。この作業を通じて、「善美」「思慮」「幸福」「友愛」などの諸概念をめぐるアリストテレス倫理学を単なる一枚岩の体系としてではなく、複雑な可能性の芽を孕んだ思想の培養基として理解する道を開く。これによって最近の英米でのアリストテレス研究の水準に追いつくことが可能になった。
著者
水野 一
出版者
上智大学
雑誌
ソフィア (ISSN:04896432)
巻号頁・発行日
vol.20, no.3, pp.27-42, 1971-11
著者
荒井 隆行
出版者
上智大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2009

我々は今まで、音声の生成機構を直感的に理解できるような「声道模型」や「肺の模型」などを製作し、子ども向けの科学教室から大学での講義や講演に至るまで幅広く活用し、その有効性を実証してきた。模型にはそれぞれ一長一短があり、どの型が最善であるかは一概には言えない。そこで本研究では、目的や対象ごとに現状を調査してそれに基づいた改良を行うと共に、それまで実現できていなかった目的や対象に適した模型の設計・使用法の開発を行い、それらを評価した。
著者
三田 千代子 小池 洋一 柳田 利夫 山田 政信 山ノ内 裕子 拝野 寿美子 田中 祐司 柴崎 敏男 田村 エミリオ 加藤 博惠 堀 永乃 高木 和彦 松尾 隆司 松井 謙一郎 渡会 環
出版者
上智大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2008

日本の外国人就労者である日系ブラジル人は、ホスト社会、エスニック集団、ホームランドの3社会に同時に存在している。エスニック集団はホスト社会に組み込まれたものであるが、ホームランドとの繋がりを維持しているのは、IT機器や携帯電話といった容易で安価で迅速なコミュニケーション手段の普及の結果である。すなわち、物理的に存在しているホスト社会は、ブラジル人就労者にとっては絶対的空間であり、種々のコミュニケーション手段によって社会的関係を維持しているホームランドは相対的空間である。この2つの空間に人が生きているということは、グローバル化時代だからこそ可能となったことである。
著者
新井 範子
出版者
上智大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2011

エンターテイメント財の消費の意識を探るための調査や実験を行った。エンターテイメント財の消費をファン行動としてとらえると、行動の継続性を形成しているものは対象に対する魅力よりも、自分の過去の行動の一貫性や投資意識が大きく影響していることがわかった。また、エンターテイメント財を活用した戦略としてプロダクトプレースメントを取り上げ、実験を行い、コンテンツへの関与の度合いによって、影響力が大きく異なることを実証した。
著者
阿部 仲麻呂
出版者
上智大学
雑誌
カトリック研究 (ISSN:03873005)
巻号頁・発行日
vol.72, pp.45-81, 2003-08-01

Motivation Opening up the possibility of life while ascertaining the structure of the Absolute Awakening (Hongaku) is a common human task. Putting that in philosophical parlance, one should be conscious of the Absolute Awakening (the Root of all self-formation) . In this way, the consciousness of being is given life as a "common basis for fundamental existence" which can be called "Shinnyo". This can becomes a point of contact between philosophy and theology. Theme The subject of this paper is a search for "circle-structure" and the "possibility" of Absolute Awakening based on the epistemology of Asvaghosha's Discourse on the Awakening of Faith in the Mahayana. The problem of theology in Japan has epistemological elements in it. Premise Artists in Japan's medieval period tried to pursue a "spiritual philosophy of self-awareness (jikaku) which is open to everyone". This attitude is a point of contact between the Christian faith and Japanese aesthetic thought. Contents In chapter one, I survey the state of research concerning "Hongaku" thought which in the philosophy of Asvaghosha's Discourse on the Awakening of Faith in the Mahayana was made central concept in the logic of "Awakening" in the Japanese medieval period. In chapter 2, I present an outline of the hermeneutic of a language for understanding. I will go on to refer to the epistemological possibility of the" Logical understanding". In chapter 3, I write about the common topos of the understanding of life in Buddhism and Christianity. In chapter 4, I suggest a possibility of "Hongaku" thought. Further Remarks It is indispensable to understand the awareness and the practice of "the Absolute Awakening" in the progress of Japanese culture from ancient times to the contemporary age in order to trace the effect of the philosophy of Mutai Risaku and Nishida Kitaro and of "Hongaku" thought. One can see that there is a similarity between the structure of thought seen in Christian theology's concept of 'the indwelling of the Holy Spirit in the deepest recesses of the human spirit' and the concept of the "Indwelling of Buddha in human nature" peculiar to "Nyoraizo" thought. Conclusion My conclusion is that the epistemology of Asvaghosha's Discourse on the Awakening of Faith in the Mahayana opens up the possibility of life through ascertaining the circle-structure of the Absolute Awakening.
著者
根本 敬 宣 元錫 梶村 美紀
出版者
上智大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2011

日本を中心に韓国、タイ、オーストラリアに住むビルマ人コミュニティに焦点を合わせ、移住するに至った歴史的背景と、直面してきた課題について調査し、相互比較することを目的とした研究である。移民・難民を排出したビルマ本国の状況についても調査し、英領期から独立期に転換する時期の海外移住者(特に英系ビルマ人)についても調べた。その結果、移住先4か国それぞれの移民・難民受け入れ政策の違いが、各ビルマ人コミュニティが抱える課題と深く関わっている点が明確となり、また日本では多数派のバマー(ビルマ)民族と少数民族諸コミュニティ間の連帯が2000年代後半に深まり、「在日ビルマ人」意識の自覚が見られることが判明した。
著者
鰍沢 千鶴
出版者
上智大学
雑誌
上智大学国文学論集 (ISSN:02880210)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.53-71, 1995-01-15
著者
中岡 俊裕 荒川 泰彦
出版者
上智大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2014-04-01

本研究では、まず、研究蓄積の深いInAs自己量子ドットを用いて、コンパクトな実装に不可欠であるだけでなく、光の回折限界を超えた集積化、量子もつれを用いる集積化に重要な電流注入型サイドゲート素子の開発を行った。素子の作製プロセスおよびゲート制御に必要なフリップチップ型の実装及び測定手法の確立に成功した。達成したエネルギー変化量0.3meVは、これまでに量子もつれ状態作製に用いられている光励起型と同等であり、コンパクトな実装に適した電流注入型において集積化への道筋が開けたと考えている。さらに、集積化への次ステップとして、高密度集積化可能なナノコラムからの単一光子発生を実証し、その有望性を示した。
著者
小松 太郎
出版者
上智大学
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2014-04-01

研究期間にわたり、ボスニア・ヘェルツェゴビナ国の住民参加型学校運営制度と地域社会の社会的結束の関係について確認した。一年目の調査では学校運営協議会の実態を確認した。二年目は紛争中に民族虐殺が発生したスレブレニツアにおいて、少数民族系の生徒に対し面接調査を行った。生徒自身が民族交流の場としての学校を評価していた。三年目は民族混在性の高いブルチコ地区を中心に、協議会委員へ面接調査を行った。多民族から構成される協議会は、学校運営の正統性(legitimacy)を高めていたことがわかった。学校は社会的結束を促進しうる。多民族住民参加型学校運営は学校の正統性を確保しその役割を促進することが示唆された。
著者
伊藤 直紀 和南城 伸也 野澤 智
出版者
上智大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2001

当該研究期間の研究成果は以下のとおりである。1.銀河団におけるSunyaev-Zeldovich効果に対する多重散乱の寄与の研究標記の寄与について、Fokker-Planck展開を用いた方法、およびBoltzmann衝突項を数値積分する方法の両方により計算を行った。その結果、通常の銀河団については、多重散乱の寄与は1%よりはるかに小さいことが明らかとなった。この研究成果により、本研究代表者たちが以前に発表した1回散乱のみを考慮した計算結果が、通常の銀河団については十分適用できることが判明した。この研究により、銀河団における相対論的Sunyaev-Zeldovich効果の研究は、真の意味で精密科学の段階に到達した。1998年Astrophysical Journalに発表された論文に始まる本研究代表者たちの一連の研究の基礎が最終的に確立したのである。この事実は、宇宙物理学のみならず、統計物理学としての本研究の価値を大いに高めるものである。この研究論文はMonthly Notices of Royal Astronomical Societyに発表された。2.超高温銀河団におけるSunyaev-Zeldovich効果の研究近年25keVを超える超高温ガスを含む銀河団が発見されている。われわれはこれまでのわれわれの計算方法を用いて、このような超高温銀河団における、相対論的Sunyaev-Zeldovich効果を精密に計算した。この際に、結果を詳細な数表と解析的なフィット式によって表現した。これらの結果は将来の観測結果の解析に大いに有効であると考えられる。この研究結果は、Astronomy and Astrophysicsに掲載された。
著者
ホーキンス リチャード・A
出版者
上智大学
雑誌
アメリカ・カナダ研究 (ISSN:09148035)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.47-67, 1995-03-31

1930年代, アメリカ合衆国の大陸部分は史上最悪の経済恐慌を経験した。しかしながら, 本稿では合衆国の大陸外の領土のひとつであるハワイが, 大恐慌の最も深刻な影響を回避することに成功した事実を論じている。これは, この時期のハワイの失業率が合衆国本土のそれと比較して極めて低い水準に保たれていたことに象徴される。このハワイの成功はハワイ経済が二大農産物(砂糖とパイナップル)に過度に依存している事実を鑑みれば奇異な現象であるともいえる。ハワイ経済は, 合衆国本土のそれとは対照的に寡占企業による支配構造が特徴である。ハロルド・イッキーズ(ローズヴェルト政権内務長官)の言葉によれば, ハワイの経済は「『砂糖寡頭制』によって支配されていた」のである。この寡占体制は兼任重役制による企業の経営権確保を手段としてハワイを牛耳っていった。そしてこの支配権によって, ハワイ経済が大恐慌による悪影響から隔離される結果となったのである。失業率は, フィリピン移民労働者の非強制本国送還があり, その空白を「市民労働者」が埋め合わせたために高くなることがなかった。さらにこの時代, 新製品の缶入りパイナップルジュースの輸出が飛躍的に伸びたために経済全体が潤うこととなった。ニュー・ディール政策に関しても, ハワイはアメリカの他地域と比較して影響を受けなかったといえる。雇用機会創出計画は確かにハワイの労働者に利をもたらしたが, それはアメリカ本土における影響の大きさに較べれば死活的なものではなかった。しかしながら, 二つの政策は確かに重要な意味を持った。ジョーンズ=コスティガン法によってハワイのサトウキビの年次生産量が設定され, それによってハワイは本土の砂糖製造業社に較べて著しく低い生産上限が割り当てられた。この事実は, ハワイ全体の収入源がニュー・ディール政策によって制限されることのなかったパイナップル産業へと転換されたことの一因でもある。ハワイに大きな影響を与えたいまひとつの政策は, 「全国産業復興法(項目7A)」, 「全国労働者関係法」によるものであり, それによって労働条件, 最低賃金の改善が行われたのである。
著者
YAMAGUCHI A・E
出版者
上智大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2011

ロンドン市内のエスニック・ビジネスの展開及び地理的空間が明らかにし、そこで多くのブラジル人が分散して居住していることがわかった。そしてブラジル人越境者のダイナミックな移動戦略があった。その戦略の1つが、彼ら自身が持っているエスニック資本を利用して、正規に英国に入国を果たしている。②彼らは、世界経済の動きに直接影響を受ける対象者でもあるが、そうした影響を受けながらも、また新たな移動戦略の可能性を生み出しているのである。③また、「段階的な戦略移動」を行っていることも分かった。つまり、世界情勢により移動の最終的な目的地がアメリカであれ、英国であれ、別の国を経由してからそれらの国に入国している。
著者
河野 至恩
出版者
上智大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2011-04-28

明治期から昭和戦前期における日本近代文学の欧米語への翻訳状況を総合的に分析し、当時日本文学の翻訳出版に関わった翻訳者や出版社などについて調査した。その結果、この時代の日本近代文学の翻訳の大きな動向のひとつとして、日本研究との深い関連があることを示した。例えば、二葉亭四迷『其面影』を英訳(共訳)した グレッグ・シンクレアについて、1930年代にハワイ大学で東洋学研究所の設立に関わるなど、当時の日本研究の展開に深く関わっていることが明らかになった。また、森鴎外の小説『百物語』(1911)における鴎外の「世界文学」意識を、当時の鴎外作品の翻訳状況に照らして明らかにすることができた。
著者
兼原 敦子
出版者
上智大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2009

日本と近隣諸国との間には、海洋境界画定紛争がある。島に対する領域主権の問題が関わるため、紛争は短期には解決されず、長期化する。日本は、とくに中国との間の大陸棚境界画定につき、中間線方式を主張しているが、その妥当性が文献、実践から明らかになった。また、日本の調査捕鯨船への妨害行為についての国際法上の対処についても検討した。