著者
黒岩 裕市
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.100, pp.221-246, 2021-09-30

二〇〇〇年代前半のフェミニズムへのバックラッシュの中で、ジェンダーフリー教育が「性別」をなくす企てであると攻撃の対象になった。一方、バックラッシュへの対抗言説でも、「性別」をなくすということ自体は否定的にとらえられ、結果的に性別二元論が温存されることになった。この点を批判的に問う先行研究を参照しつつ、本稿では「性別」をなくすというテーマが見られる村田沙耶香の『無性教室』(二〇一四年)を、バックラッシュをめぐる議論と関連づけつつ考察する。この作品の「私」が通う高校では「性別は禁止されている」。その「性別のない教室」がいかなるものかを検討しつつ、「性別」がなくなるということに対する「私」の不安をたどる。しかし作品終盤では「私」は「無性別の世界」をむしろ肯定する方向に向かっていく。このような展開に注目することで、性別二元論を再生産することなく、バックラッシュに抵抗する道筋を想像させるきっかけになり得るものとしてこの作品を読む。
著者
荷見 守義
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.77, pp.77-108, 2013

中国明代末期、サルフの戦以降、遼東鎮の要衝は次々と満族の手に落ち、この方面の明朝領は山海関周辺に限られた。明朝と朝鮮の陸上交通路は遮断され、朝鮮自体も満族に屈服したことから、明朝にとって中朝辺界の状況を把握することは困難となった。また、明朝国内では李自成らの叛乱が拡大していた。崇禎帝はこの事態に深く憂慮し、宦官を官軍の監視・監軍として付ける新体制を導入し、皇帝自らが官軍を直接指揮して対応しようとした。特に遼東方面は、他方面の監視・監軍体制が撤廃された後も、唯一監視体制が継続した。それは崇禎帝の寵愛厚い高起潜が任用されていたからである。しかし、この高起潜にしても、軍事的能力を有しておらず、システムとして下から上がる情報を上に伝えていただけで、うまく振る舞うことで崇禎帝の信任を得ていた。結局、この体制は機能しなかったが、中朝辺界の軍事情報のあるものはこの体制を通じて中央に吸い上げられ、政策形成の基礎的認識となった
著者
深澤 俊
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.77, pp.109-130, 2013

デイヴィッド・ロッジの『作者だ、作者』は、文学史上の大人物であるヘンリー・ジェイムズを素材に、伝記ではなく小説として作りあげたものである。ジェイムズは一時期、劇作家として表舞台に出ることを望んでいたが、戯曲『ガイ・ドンヴィル』公演初日に「作者だ! 作者!」の歓声に応えて舞台に立つと、ひどいブーイングにさらされて衝撃を受け、以後劇作家の道を断念する。そしてジェイムズは、後期の偉大な小説群を生み出すことになる。ロッジはこの事実に焦点を当て、当時の売れっ子であったデュ・モーリェとジェイムズとの交流に比重をかけて小説化した。この小説の背景となるヴィクトリア朝の演劇事情、大当たりをとったデュ・モーリェの小説『トリルビー』に言及しながら、ロッジの小説に込めたメッセージを解きほぐす。
著者
前之園 春奈
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.81, pp.225-237, 2015-10-30

ジャン=ジャック・ルソー(1712-1778)の『エフライムのレヴィ人』(1762)は旧約聖書の『士師記』の翻案である。作品の前半に登場するレヴィ人は『社会契約論』(1762)で論じられている立法者のモデルのひとつとして描かれていると考えられる。ルソーは『社会契約論』で立法者は共同体における例外的存在であると述べているが,レヴィ人もまたイスラエル民族の中で特殊な存在であった。このことを手がかりにして,レヴィ人が立法者としての資質を備えており,作品中では立法者としての役割を果たしていたということを明らかにした。
著者
渡邉 浩司
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.93, pp.239-255, 2019

ロベール・ド・ブロワが13世紀後半に著した『ボードゥー』は,ゴーヴァンの息子ボードゥーの幼少年期に焦点を当てた物語である。母の手で騎士に叙任されたボードゥーが一連の冒険の末に,群島王の姫君ボーテを妻に迎える筋書きの中で重要な位置を占めるのは,ボードゥーが最初の試練で獲得する「オノレ」という名の剣である。そもそも古フランス語によるアーサー王物語群では,アーサー王の剣エスカリボール(エクスカリバー)を別にすれば,オノレのように固有名を伴う名剣は珍しい。オノレという名は騎士が守るべき「名誉」というキーワードをもとにしているが,この名の由来を作中人物が説明している点は特筆に値する。
著者
垂井 泰子
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.93, pp.31-47, 2019

ヘンリー・ジェイムズはハイブラウで難解な作家であるが,彼の小説の映像版は広くミドルブラウの人々を対象に制作されている。『黄金の盃』の映画はミドルブラウの人々を惹きつけるために原作を大幅に変更している。BBC 制作の同小説のドラマ版は,原作になるべく忠実に作られているが,映画と同じようにミドルブラウの視聴者を対象にしている。ミドルブラウの人々はローブラウから上昇してハイブラウに近づこうとする上昇志向の人々で,新しい地位にふさわしい教養を求める。教養を求めて本から映像へとメディアを横断し,また階級も横断する,ダイナミックで消費意欲があるミドルブラウの人々を格好のターゲットとして,制作者は文学作品を映像化するのである。
著者
北舘 佳史
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.96, pp.1-27, 2020

本稿は『レラスのポンスの回心に関する論考とシルヴァネス修道院の始まりの真の物語』を分析の対象として共同体が起源をどのように記憶したのか,それが作成された状況においてどのような意味を持っていたのかを明らかにすることを目的とする。シルヴァネス修道院の第4 代院長ポンスは1160・70年代に内外の動揺を抑えて修道院の規律を立て直す改革の一環として創建者と共同体の歴史の編纂事業を行った。この史料の検討から重要な特徴として,現在と過去を統合するためにシトー会と共通する荒れ野や清貧や労働の主題が強調される一方,隠修士時代からの共同体の慈善の伝統の連続性とシトー会への加入手続きの正当性が主張されている点が挙げられる。また,初期の施しによる経済からシトー会時代の蓄積と生産の経済への移行が描かれるとともに,手の労働や執り成しの祈り,さらには緊急時の食料支援の物語を通じて修道院の富が正当化されている点が注目される。
著者
松本 隆志
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.75, pp.229-254, 2013-10-10

ウマイヤ朝後期のイラク総督ハーリドは,『歴史』と『征服』の二史料間で,質量ともに大きく描かれ方が異なっている。本稿はこのハーリドに関する叙述を二史料間で比較検討したものである。その結果として,ハーリドに関する言及の多い『歴史』では,その理由が南北アラブの部族間対立の文脈に求められ,ウマイヤ朝末期の第三次内乱においてハーリドおよび部族間対立が原因の一つとして機能していることがわかった。他方,ハーリドへの言及が少ない『征服』では,部族間対立の文脈は見られず,第三次内乱はウマイヤ家の内部抗争として描かれていることがわかった。本稿で明らかとなった叙述傾向の相違は,両史料の叙述全体についても反映している可能性があるものと考える。
著者
松本 隆志
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.75, pp.229-254, 2013

ウマイヤ朝後期のイラク総督ハーリドは,『歴史』と『征服』の二史料間で,質量ともに大きく描かれ方が異なっている。本稿はこのハーリドに関する叙述を二史料間で比較検討したものである。その結果として,ハーリドに関する言及の多い『歴史』では,その理由が南北アラブの部族間対立の文脈に求められ,ウマイヤ朝末期の第三次内乱においてハーリドおよび部族間対立が原因の一つとして機能していることがわかった。他方,ハーリドへの言及が少ない『征服』では,部族間対立の文脈は見られず,第三次内乱はウマイヤ家の内部抗争として描かれていることがわかった。本稿で明らかとなった叙述傾向の相違は,両史料の叙述全体についても反映している可能性があるものと考える。
著者
増田 桂子
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.78, pp.283-300, 2014-09-16

コミュニケーションにおいては,話し手がメッセージを伝える際に,言語そのもの以外の情報が非常に重要な役割を果たしている。対面コミュニケーションにおいては,これらの非言語情報は相手の声や表情,動きなどから読み取ることができる。しかしながら,近年急速に増えてきた,PC やスマートフォン等のデジタル機器を用いたインターネット上のコミュニケーションにおいては,相手の姿は見えず声も聞こえない。このような状況でコミュニケーションを円滑に進めるために,非言語情報を文字化して表記するという方策がとられている。声量や声質,話し方といった非言語的音声は,長音府やかな文字を非標準的な方法で組み合わせるなどして表現され,顔の表情,身体の動作といった視覚的情報は,文字や記号を組み合わせて並べ,表情や動作を図形化することで表現されている。
著者
渡邉 浩司
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.93, pp.239-255, 2019-09-30

ロベール・ド・ブロワが13世紀後半に著した『ボードゥー』は,ゴーヴァンの息子ボードゥーの幼少年期に焦点を当てた物語である。母の手で騎士に叙任されたボードゥーが一連の冒険の末に,群島王の姫君ボーテを妻に迎える筋書きの中で重要な位置を占めるのは,ボードゥーが最初の試練で獲得する「オノレ」という名の剣である。そもそも古フランス語によるアーサー王物語群では,アーサー王の剣エスカリボール(エクスカリバー)を別にすれば,オノレのように固有名を伴う名剣は珍しい。オノレという名は騎士が守るべき「名誉」というキーワードをもとにしているが,この名の由来を作中人物が説明している点は特筆に値する。
著者
倉田 賢一
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.76, pp.231-243, 2013-10-10

シェイクスピアの『ハムレット』は『十二夜』に次いで書かれたとするのが通説的であるところ,両者の構造的対比から得られるところは大きい。ジャック・ラカンは『ハムレット』を,ガートルードの欲望の対象の位置がクローディアスによって過剰に占められており,そのことがハムレットを精神的に動揺させる劇として解した。これを『十二夜』に適用すれば,オリヴィアの欲望の対象の位置が,過剰な喪によって逆に空位のまま保たれていることで劇が展開している,という構造が明らかになる。さらにマルヴォーリオいじめのサブプロットをトービーのハムレット的状況として解すれば,この二つの劇はちょうど裏返しの関係にあることになる。このように,中心となる女性の欲望をめぐって,一方では対象の位置を占めるものが破壊される悲劇が描かれ,他方では対象の位置を占めようとする人々が奔走する喜劇が描かれ,後者の喜劇のただなかに,前者の悲劇を予告する主題が含まれているのである。
著者
安藤 和弘
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.90, pp.31-57, 2018

本稿の主たる関心は,『日の名残り』においてカズオ・イシグロが読者の読みかたを操作するために駆使しているいくつかの語りの技法を考察することにある。それに類した考察を行っている研究には,主人公かつ語り手であるスティーブンスが,心的抑圧のために真実を語ることができず,真実を隠蔽するためにみずからの語りに技法を凝らしていると前提を立てた上で,心理的な角度から分析を行っているものが多い。語りに凝らされている様々な技法を考察するという点では本稿も同じだが,スティーブンスの心理が物語に反映されているという視点は,本稿では採用しない。本稿では,スティーブンスという人物とその心理をさぐるのではなく,彼が構成する物語のテクストそのものの組み立てられかた,特に読者の読みを操作する装置がどのような効果を生んでいるかを考察する。「二日目―午後」から「四日目―午後」冒頭部分までを考察の対象とし,それ以後の章の考察は別稿において行う。
著者
安藤 和弘
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.93, pp.1-29, 2019

本稿の主たる関心は,『日の名残り』においてカズオ・イシグロが読者の読みかたを操作するために駆使しているいくつかの語りの技法を考察することにある。それに類した考察を行っている研究には,主人公かつ語り手であるスティーブンスが,心的抑圧のために真実を語ることができず,真実を隠蔽するためにみずからの語りに技法を凝らしていると前提を立てた上で,心理的な角度から分析を行っているものが多い。語りに凝らされている様々な技法を考察するという点では本稿も同じだが,スティーブンスの心理が物語に反映されているという視点は,本稿では採用しない。本稿では,スティーブンスという人物とその心理をさぐるのではなく,彼が構成する物語のテクストそのものの組み立てられかた,特に読者の読みを操作する装置がどのような効果を生んでいるかを考察する。「四日目―午後」と「六日目―夜」を考察の対象とする。
著者
緑川 晶
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.96, pp.357-370, 2020

地域包括支援センターと居宅介護事務所の職員に対して,高齢期の発達障害についての認識を質問紙によって調査した。結果,発達障害についての熟知度は高かったが,発達障害の特性を有する認知症高齢者について,発達障害として見立てる傾向は高くないことが明らかとなった。
著者
安藤 和弘
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.87, pp.77-111, 2017-09-30

本稿の主たる関心は,『日の名残り』においてカズオ・イシグロが読者の読みかたを操作するために駆使しているいくつかの語りの技法を考察することにある。それに類した考察を行っている研究には,主人公かつ語り手であるスティーブンスが,心的抑圧のために真実を語ることができず,真実を隠蔽するためにみずからの語りに技法を凝らしていると前提を立てた上で,心理的な角度から分析を行っているものが多い。語りに凝らされている様々な技法を考察するという点では本稿も同じだが,スティーブンスの心理が物語に反映されているという視点は,本稿では採用しない。本稿では,スティーブンスという人物とその心理をさぐるのではなく,彼が構成する物語のテクストそのものの組み立てられかた,特に読者の読みを操作する装置がどのような効果を生んでいるかを考察する。およそ作品の前半に相当する「プロローグ」から「二日目―朝」までを考察の対象とし,それ以後の章の考察は別稿において行う。
著者
新井 洋一
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.93, pp.71-105, 2019-09-30

本稿では,英語の罵倒語の中で,強意語的機能を持つdamn, fucking, bloodyを取りあげる。まず,高増(2000),Hughes(2006),McEnery(2006),Ljung(2011)などを含む既存研究を前提に,これらの共通の特徴をまとめた後,OED3(Online)の初例を基に,これらの罵倒語の通時的な発達順序を辿ることにする。その結果,bloody ⇒ damn ⇒ fucking の順序で,ほぼ100年間隔で強意語的機能が発達していることを確認する。そして,取り上げた3種類の罵倒語の共通の機能的進化として,adj.( pre-noun: attributive) ⇒ adj.( pre-noun: intensifier)⇒ adv.( pre-adjective: intensifier) ⇒ adv.( pre-verb:intensifier),という機能転換(functional shift)の1つである品詞転換(conversion)が起きていることを明らかにする。また同時に,これらの罵倒語が修飾する共起構造として,どのような構造があるのかについて考察する。 後半では,新井(2011)に倣って,「快性」素性[±PLEASANT](略して[±P])を導入し,罵倒語が快素性[+P]を持つ語との共起が,かなり進んでいることを明らかにする。そして,約30年の間隔があるBNC とNOW corpus(https://corpus.byu.edu/now/)の2つの大規模コーパスから,罵倒語の共起語の頻度の高いものを抽出し,特に快素性[+P]を持つ共起語の広がり度を調査してまとめ,最近は特に,「damn と共起する[+P]形容詞の種類と動詞との共起の種類が格段に増えていること」を明らかにする。
著者
ヴィアール ブリュノ 永見 文雄 訳
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.81, pp.201-224, 2015-10-30

心理学者ルソーの豊かな革新の数々を示したい。ルソーは原罪を退け人間の自己愛を正当化したが,自己愛の対極にある自尊心をも重視した。自尊心とは他者の視線に対する気遣いだ。自尊心の危険を示したのはルソーが最初でなく,十七世紀のモラリストがルソーの先駆者である。人間には性的欲求・物質的欲求・承認の欲求の三つの基本的欲求があるが,ルソーには承認の欲求にほかならない自尊心の正方形が見られる。虚栄心が他者への軽蔑を生み,羞恥心が羨望を生む。傷ついた自尊心にはこの四つの顔が認められ,四者は緊密に結びついている。ルソーの自伝作品には虚栄心と軽蔑,羞恥心と羨望の組み合わせがしばしば見られる。ルソーの延長上にヘーゲル,ジラール,アドラー,サルトルを置くことができる。ルソーの作品にはホリスムと個人主義の両極端が同居している。ルソーが提供する精神分析の道具によって,ルソーの敗北がすなわちルソーの勝利であることがよくわかる。
著者
小田 格
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.89, pp.223-254, 2018-09-30

本稿は,中華人民共和国上海市の上海語テレビ放送をめぐる政策の実態を明らかにし,その今後を展望するものである。そして,こうした目的の下,同市における言語政策の枠組みや言語の使用状況,上海語放送の歴史及び現状などを確認したうえで,これらの情報に検討を加え,もって次のような結論を導き出した。すなわち,同市では1980年代から上海語テレビ放送が実施されており,1990年代中盤には上海語のドラマが一世を風靡したが,しかしそれゆえ当局が規制に乗り出し,その後は不安定な状況が続いてきた。一方,ポスト標準中国語普及時代に入った同市にあっては,言語政策に関する新たなコンセプトが掲げられ,これに関連する各種施策も認められるものの,諸般の事情に鑑みるならば,上海語テレビ放送の拡大は想定しがたいところである。ただし,同国の言語政策の今後を占う意味においても,時代の先端を行く同市の動向には,引き続き注視すべきである。