著者
西村 則昭
出版者
仁愛大学
雑誌
仁愛大学研究紀要 (ISSN:13477765)
巻号頁・発行日
no.3, pp.23-37, 2004

本稿では,思春期女子のアイデンティティの表明としてのあるストリート・ファッション,「ゴシック&ロリータ」と呼称されるジャンルを取り上げ,そこにみられる「魂の論理」を探求した.このジャンルに心酔し,実行する女子は,破壊的な「闇」の近隣に「私」の存在を見出し,そのポジションにあって,自覚的に,ことさらに「無垢」を生きることに,アイデンティティを見出していることがわかった.その背後には,サトゥルヌスープエラ(永遠の少女)のペアの元型が,見通されえた.また,彼女たちは「人形」に憧れるが,それは,「トラウマ」を想像することによって,失われた無垢を演じつつ,日常的な世界構成を停止させ,そこにおのずと性起する「静的な,永遠のリアリティ」(パトリシア・ベリィ)を,我が身の上に表現することで,「私」の存在の実感を希求していることだとわかった.幾多の想像的な世界観(虚構世界を構成する,感性やイマジネーションの特質とか,美意識とか,価値観といったもの)が享受される,この現代にあって,思春期女子の作り上げたアイデンティティのあり方のひとつが,浮き彫りにされた.
著者
千野 美和子
出版者
仁愛大学
雑誌
仁愛大学研究紀要 (ISSN:13477765)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.99-108, 2006-12-30

昔話に登場する水について,グリムメルヘンと日本昔話から,物語に表現された水を取り出し,物語の展開の中で,どのようなイメージとして語られているかを考察する.まず,グリムメルヘンに現れた水の表現を取り上げる.その表現を,死につながる水,異界としての水・異界の通路としての水,2つの世界を分かつ水や障害物としての水,不思議な力をもつ水,何かが起きる場としての水,その他の6つに分けて,そのイメージについて検討する.次に,日本昔話に現れた水の表現についても,同様に分けて検討し,グリムメルヘンと比較しながら,水のイメージについて検討する.昔話に現れた水は,当時の人が抱いた水のイメージであるとともに,意識から見た水のイメージが表現されていると思われた.
著者
西村 則昭
出版者
仁愛大学
雑誌
仁愛大学研究紀要 (ISSN:13477765)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.41-55, 2004-03-31

魂とは, ひとそれぞれの個性や来歴とわかちがたくむすびついた, 心の「機微」や「深み」のことである. そうした魂の存在に気づくとき, われわれの意識は, 自我 (現実世界を合理的・意志的に生きる主体) から, 魂へとシフトする. そして魂の観点をもつようになった意識は, 世界の魂 (美) に開かれていく. 魂の現象学とは, そうした人間と世界の両者の魂の現象に即して, そこにみられる論理をたしかな言葉へともたらそうとする試みである. 本稿では, 服飾という現象が扱われた. 服飾とは, 人間の魂と世界 (服) の魂との相応・融合である. 本稿では, とくに創造的なブランド, コムデギャルソンの心理学的な分析検討がおこなわれた. コムデギャルソンの創造性は, 既成の意味の網目を慎重に, 大胆に, 巧妙に解き, 意味以前の物自体, 身体自体の次元に到って, そこにおいて創作をおこない, 人間の存在を問いつつ, 「エレガンス」の名に値する, 新たなものを樹立することであることがわかった. その背後にはたらく元型的な力として, ギリシア神話の神々が, 見通されえた. まずクロノスに言及され, その創造的にして保守的な特質, 抑うつを惹起する邪悪な力が, どのようにコムデギャルソンの創造性と関連しているかが, 論じられた. またコムデギャルソンの提示する異形のエレガンスの背後に, 母親に捨てられた醜怪な子, プリアポスが, その母, アフロディーテにいとおしげに抱きしめられる様が, 透見されえた. そして本稿では, ひとつの臨床事例が提示され, 以上の論にもとついて, その事例の理解が深められた.
著者
山中 千恵
出版者
仁愛大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2006

本研究を通じて日本の戦争体験を描いたマンガやアニメが受容されるとき、作品の評価や作品の読書・視聴体験が、かならずしも各国における戦争の記憶や日本の歴史的問題と直接的にむすびつけられて語られるわけではないということが明らかになった。語りは、受容された国におけるマンガ・アニメ文化の位置づけと、読者の「メディア体験史」との関係から、異なるやり方で歴史意識と接続される。以上の結果から、今後の研究において、個人の記憶と集合的記憶の間にメディア体験それ自体が生み出す記憶という中間領域を想定し、考察を進める必要があることがわかった。
著者
塹江 清志 早川 清一
出版者
仁愛大学
雑誌
仁愛大学研究紀要 (ISSN:13477765)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.15-23, 2006-03-31

本論文の目的は,1853年のペリー来航の意味について考察することである.ペリー来航の目的は,世界経営者層の太平洋制圧作戦のための日本植民地化であると結論された.
著者
西村 則昭
出版者
仁愛大学
雑誌
仁愛大学研究紀要 (ISSN:13477765)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.41-56, 2007

詩とは,言葉を言語の日常的なあり方(散文的なあり方)から離脱させることによって,新しい時空,魂(散文的な言葉ではうまく捉えられない感覚や思い)に相応しい場を,開き出すものであるといえる.ところで,現在の言語の状況を見るならば,言語の散文的なあり方の拘束力が強まり,詩的な飛躍は難しくなっているのではないだろうか.現代の詩人たちは,言語の散文的なあり方の強い拘束力を意識した上で,それに対抗しうるより強度のある言葉を探求しているように思われる.本稿では,現代日本の詩人,金井美恵子(1947- ),野木京子(1957- ),小笠原鳥類(1977- ),水無田気流(1970- )の各々の作品を取り上げ,それらにはどのような魂の論理が見出されるか,分析解釈を行なった(魂の現象学の試み)が,その際,ジャック・ラガンの精神分析理論を参照しつつ,それらの作品における魂の表現のための言葉はどのようなものであるかを論じた.
著者
千野 美和子
出版者
仁愛大学
雑誌
仁愛大学研究紀要 (ISSN:13477765)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.25-35, 2006-03-31

心理療法において,夢や,遊び,箱庭表現の中に,水のイメージが現れることがある.その水のイメージに注目して,心理療法のプロセスをみると,意味深い展開が生じていることが多い.イメージは,多義性を持つものであり,水のイメージといっても,多様である.しかし,その中に,筆者はこころを治癒する治療的イメージが存在するのではないかと考える.本論文では,水の創世神話と,Eliadeの水のシンボル,Bachelardの物質的想像力としての水を概観し,次に,心理療法に関わって述べられる水のイメージについて,Jungを中心に,治療的イメージを探る.
著者
山中 千恵
出版者
仁愛大学
雑誌
仁愛大学研究紀要. 人間学部篇 (ISSN:21853355)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.69-77, 2011-12-30

近年,マンガやアニメなどのポピュラー文化を博物館,美術館,図書館などの文化施設におさめ,その集客力をもって地域活性化を図ろうとする動きがすくなくない.だが,これらの施設は,なにをもって「成功」したとみなせるのだろうか.今後こうした施設の設立を検討している人々は,何を目指し,先行の施設を参照すべきなのか.本稿では,こうした問題意識に基づき,韓国において設立されたマンガ関連施設「韓国漫画映像振興院」(富川市)を事例としてとりあげ検討する.当該施設がいかなる政策的背景のもと設立されたのかを概観し,それがマンガの雑種性や多様性を引き出すというよりは,「近代的なミュージアム」の思想にのっとって運営されていることを指摘する.
著者
工藤 保則
出版者
仁愛大学
雑誌
仁愛大学研究紀要 (ISSN:13477765)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.163-177, 2006-12-30

本稿は「女性の20代研究」の一環として,工藤(2005,2006)に続き,「地方出身で都市の大学に進学した女子大学生」だった3人へのインタビューをまとめたものである.インタビューでは,主に,仕事(勉強)のこと,家族・恋人のこと,将来のことについて語ってもらったが,それらは結果的に「自己実現」に関することが中心となった.
著者
鎌田 道彦
出版者
仁愛大学
雑誌
仁愛大学研究紀要 (ISSN:13477765)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.33-42, 2006-12-30

プロスポーツを職業にする人間の職業期間は短く,引退することによって第二の人生の選択を迫られる.今年度引退を行ったZINEDINE ZIDANEと中田英寿の両プロサッカー選手の引退エピソードについて考えた結果,両者とも体力的な衰えの要因は認められ,自分のイメージと実際のプレーとのズレが本人に不全感を生じさせていた.そして,このプロセスをプロサッカー選手としてのアイデンティティの混乱や危機として捉えることができた.この解決法として,プロサッカーを引退するプロセスを通じて,イメージと身体のズレを受け入れることによって,この危機に適応していけると考えられる.そのために,この引退の時期というものを自覚しつつ,サッカー以外の面での自己理解の促進や将来のビジョンの確立が重要と考えられる.今後,引退問題に対してカウンセラーの導入など,サポートシステムを充実していくことの重要性が示唆された.
著者
石川 昭義 西村 重稀 矢藤 誠慈郎 森 俊之 青井 夕貴
出版者
仁愛大学
雑誌
仁愛大学研究紀要. 人間生活学部篇 (ISSN:21853363)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.30-38, 2013-03-31

平成23 年8 月に,A市(政令指令都市)の保育所289 園とB県の保育所278 園の所長を対象に調査を依頼した(保育所長の保育所運営に係る意識に関する調査).本稿では,調査質問項目の中から,四大卒及び男性保育士の採用に係る調査結果と併せて,新たに実施したヒアリング調査の結果を報告する.保育所長は,四大卒保育士の採用については,「どちらともいえない」という回答が最も多く(56.1%),ついで「ややそう思う」(24.1%)という回答が多かった.四大卒の保育士に期待する領域としては,「子どもの発達過程の理解」,「ソーシャルワークの知識・技能」,「保護者からの相談対応」が高かった.今後の男性保育士の採用については,「どちらともいえない」(38.4%),「ややそう思う」(30.0%)という回答が多かった.男性保育士の採用をめぐる自由記述では,採用に積極的な意見から消極的な意見まで,多様な見解があることが判明した.同時に,保育士の給与のベースとなる運営費の在り方という課題も浮かび上がった.
著者
中野 研也 Nakano Kenya
出版者
仁愛大学
雑誌
仁愛大学研究紀要. 人間生活学部篇 (ISSN:21853363)
巻号頁・発行日
no.7, pp.117-125, 2015

フォーカル・ジストニアは,症状の程度によっては,その演奏活動を断念せざるを得ない程の深 刻な事態となる場合も少なくなく,楽器の演奏家や歌手にとって難しい問題となっている.フォー カル・ジストニアの認知度は,近年徐々に高くなっているが,病院は不明であり根本的な治療法や 解決法は未だ確立していない.本稿では,演奏家がフォーカル・ジストニアに罹患した場合におい て如何なる方法で克服したらよいのか,実践的対処法について演奏者の視点から考察する.
著者
四戸 友也
出版者
仁愛大学
雑誌
仁愛大学研究紀要. 人間学部篇 (ISSN:21853355)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.23-31, 2013-03-31

わが国に本格的なメディアが導入されたのは明治になってからだ.活版印刷機が導入され,デイリーで新聞が出されるようになるまで時間はかからなかった.その後,雑誌,書籍,映画,ラジオと日本人の好奇心と西欧文化取り入れる巧みさで,メディア大国になっていく.今日,インターネットの普及に伴い,メディアの多様化が言われて久しい.政治・経済・社会の隅々の活動にいたるまで「ネット」抜きには語れない.2010年から2011年にかけてアラブ世界で起きた,反政府運動はネットと政治との関連性を認識させた.体制が変わり,アラブの春とかジャスミン革命とも呼ばれた.ネットメディア,中でもフェースブック,ツイッターなどソーシャルメディアといわれるものが人々を動かす原動力になった.権力者は掲載禁止や放送禁止などの強制力を使いメディアをコントロールしようとした.メディアの発信元が限られている場合は可能だったが,インターネットの出現はコントロールを困難にしている.リビアに存在した独裁政権もこの流れの中で崩壊した.一方で光もあれば影もある.2012年10月に発覚した他人のパソコンを遠隔操作して脅迫メールを送った事件は,新たな犯罪を起こしうることは私たちにインターネットの怖さを印象付けた.メディアの歴史を振り返りながら「ネット」時代のメディアとマスコミュニケーションの今後,新たな情報社会でのメディアリテラシーにどう取り組むかを考えていく.
著者
谷出 千代子
出版者
仁愛大学
雑誌
仁愛大学研究紀要. 人間生活学部篇 (ISSN:21853363)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.109-120, 2010-12-30

「イソップ寓話」は海外の物語としては日本に最も早く入って来た物語である。その話の定かな数には多くの異論があり、今だ定まっていない。当研究では明治期から大正末期までに翻訳、再話された寓話の中で、いずれの出版物にもほぼ搭載されている「犬とその影」に限って、その表現形態から寓話としての特性である訓蒙までについて詳細に比較分析を試みた。その背景には、今日、保育教材の素材として扱われているにもかかわらず、「盗む」という用語が作品の冒頭から3回も使用され、さらに印刷を初版から4回重ねているにもかかわらず改訂版に至っていない実態について、果たして許容されている理由は何かを探求しようとしたことである。結果として、歴史的に時代を遡ると「盗む」というキーワードの表記されている作品、そうでなく「犬が肉塊を銜えて登場する」ところから始まる作品の両方ともが存在したことが判明した。また、読者は話の内容(展開)で充分に道徳律、いわゆる訓蒙を受容できるにもかかわらず、史的に著名な文人たちによって執拗に訓蒙の解説を力説し、多くのスペースを割いていることも時代の特性として検証できた。
著者
山中 千恵 伊藤 遊 百瀬 英樹 Yamanaka Chie Ito Yu Momose Hideki
出版者
仁愛大学
雑誌
仁愛大学研究紀要. 人間学部篇 (ISSN:21853355)
巻号頁・発行日
no.14, pp.39-50, 2015

本論文の目的は,台湾南投県にあるテーマパーク型宿泊施設「妖怪村主題飯店-渓頭明山森林会館」が作る南投渓頭妖怪村の事例をとりあげ,ポピュラー文化を活用した観光資源創造の可能性について検討することにある.非場所的な性質を持つポピュラー文化が,その特質ゆえにローカル化を容易にし,それによって,あらたな場所性を創造していくことを可能にする過程を確認する. 調査を通じて明らかになったのは,「妖怪」をめぐるポピュラー文化の再場所化を支えるのが,そこに書き込まれた「物語」を消費することではなく,むしろ,そうしたテキスト間の横断をうながす「キャラクターの自律性」という,日本に顕著にみられる能動的なポピュラー文化消費の形式と,それを支えるシステムだということである.こうしたシステムの存在に注目することで,ポピュラー文化のグローバルな消費をめぐる議論を,ファンの受容行動にとどまらない文脈へと接続することが可能になると思われる.
著者
工藤 保則
出版者
仁愛大学
雑誌
仁愛大学研究紀要 (ISSN:13477765)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.55-68, 2005-03-31

本稿は,都市と地方の中学生の姿を,ネットワーク論を手がかりとして,とらえようとしたものである.論文では,まず,ネットワークの構造の地域別の特徴を示した上で,ネットワークの違いによる意識(特に社会化に関係する意識)の違いについて,M・グラノヴェターの「弱い紐帯の強さ」理論を応用しながら計量的に考察している.それらを受けて,最後に,「中学生の社会化」について,それを10代という文脈の中でとらえる試みを行っている.
著者
工藤 保則
出版者
仁愛大学
雑誌
仁愛大学研究紀要 (ISSN:13477765)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.57-66, 2006-03-31

10代については,これまでそのどこかに焦点をあてた研究はされてきたが,10代という10年間を単位として社会学的に研究されることはほとんどなかった.しかし,10代という時期は,時間的連続性の中でまとまった状態として,社会学的にもあらためて考える価値のある10年間だと考えられる.本稿は,その間題意識のもと,筆者がこれから行おうとしている,「都市と地方」の「10代」を比較しながら,それぞれの「地域性」とかかわる,かれらの「社会化」「ライフコース」についての研究の序説となるものである.
著者
千野 美和子
出版者
仁愛大学
雑誌
仁愛大学研究紀要 (ISSN:13477765)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.1-11, 2007

幸福な結末で終わる日本の昔話『たにし長者』と『手なし娘』を取り上げ,グリムメルヘンと比較しながら,その昔話の底に流れる日本人のこころのあり方,精神性を考察する.まず,『たにし長者』では,同じタイプのグリムメルヘンの『ハリネズミのハンス坊や』と比較した.グリムの物語は,呪いの言葉から生れた主人公の呪いをいかに解くかが中心のテーマであり,それは主人公の救済の物語である.それに対して,日本の物語の主人公は祈りから生れた.神への祈りと信仰が中心のテーマであり,信仰による神からの祝福の物語である.そこから,この信仰を支える心のあり方,精神性について考察した.つぎに『手なし娘』では,同名のグリムメルヘンを取り上げ,信仰のありかたの違いについて考察した.グリムのそれは神に対する信仰が強調され,その信仰の証として奇蹟が述べられるのに対し,日本のそれでは,人の心情の交流を中心に物語が展開し,その延長線上で生じた無心の行為に対して奇蹟が語られる.そこから,こころのあり方としての宗教性について考察した.
著者
西村 則昭
出版者
仁愛大学
雑誌
仁愛大学研究紀要. 人間学部篇 (ISSN:21853355)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.33-44, 2009-12-30

本稿(2)では,統合失調症の臨床事例(西村,1998)の再解釈が,特にクライエントの報告した三つの夢をめぐって試みられた.クライエントは面接過程の中で,アニマ像に導かれ,現実界に接近し,父の名の体得が行なわれるべき場へと再び到った.しかし主体は父の名の課す去勢を建設的な体験にすることができず,激しい怒りの反応を呈するだけで,父の名の受け取りを自ら拒否し,象徴界の外部,現実界の真っ只中に留まったまま,象徴界との凄まじい緊張関係に立たされる道(精神病者への道)を選んだ.心理療法はそのことを確認するために行なわれたようにも思われた.総合的考察では,『ブランビラ王女』における主体(ジーリオ)との比較によって,精神病的主体のあり方が浮き彫りにされ,そして物自体に相応するイメージを紡ぎ出し,主体を現実界へと接近させる存在として,ラカン的に捉え直されたアニマが,ラカン理論における対象a に相当することが論じられた.
著者
吉水 ちひろ
出版者
仁愛大学
雑誌
仁愛大学研究紀要. 人間学部篇 (ISSN:21853355)
巻号頁・発行日
no.16, pp.33-42, 2017

本稿の目的は,インタラクティブ・フォーカシングを用いた共感的傾聴トレーニングのプログラムを,大学院授業用に構成し実践した試みを紹介し,心理臨床初学者にとっての有用性を検討するものである.プログラムは『ハンドブック インタラクティブ・フォーカシング』を土台に,6つのステップと8つの実習で構成されている.受講者の感想からは,新鮮で意味ある実習体験として受け止められ,体験の深まりや被傾聴感を実感し,実践との繋がりを意識しながら自己研鑽の展望を得る様相が示された.心理療法における共感と傾聴という臨床実践の中核的なテーマについて,主体的な気づきによって課題が明確になり,実践への橋渡しとなる有効なトレーニング法であることが示唆された.