著者
杉島 一広
出版者
国立科学博物館
雑誌
国立科学博物館専報 (ISSN:00824755)
巻号頁・発行日
vol.43, pp.31-35, 2006

国立科学博物館による皇居動物相調査の過程で得られたキバガ上科標本を検討したところ,Batrachedra属の未記載種1♂2♀が見出されたので,新種記載を行った.なお,記載は他の地域から得られていた多数の同種標本にも基づいている.Batrachedra flavilineata Sugisima, sp. nov.キスジホソキバガ前翅長♂4.4-5.4mm,♀4.0-6.4mm.頭部と胸部は淡黄褐色で,暗褐色部を持たない.前翅は黄色で,翅の長軸に沿った領域を除いて灰色の鱗片が混ざる;そのせいで,翅には長軸沿いに黄色い縞が走っているように見える.♀交尾器:ductus bursaeは中央部でもっとも細く,両端に向けて徐々に太くなる;ductus bursaeの後方半分は僅かに硬化し,細かい棘に裏打ちされる;ductus bursaeの前方半分は膜質で,粗大な棘群に裏打ちされた部分の長さはductus bursae全長の1/6-1/5; corpus bursaeは楕円体で,長さは幅の2倍近い;signumは極端に細長い硬化板で,そこには薄い三角形の歯群が大型歯の列と小型歯の列に不明瞭に分かれて並ぶ.♂交尾器:phallusの長さはvalvaの長さの2倍近い.本州と九州に分布.年に複数世代のようである.幼生期は不明.近似種Batrachedra parvulipunctella Chretieからは,♀ならばductus bursae全長に占める粗大な棘群領域の割合が小さいことによって,♂ならばvalvaに対するphallusの相対長が長いことによって,それぞれ識別される.
著者
篠永 哲
出版者
国立科学博物館
雑誌
国立科学博物館専報 (ISSN:00824755)
巻号頁・発行日
vol.43, pp.255-267, 2006

Thirteen families, Culicidae (6 species), Bibionidae (3), Bombiliidae (3), Stratiomyidae (5), Asilidae (5), Phoridae (1), Schiomyzidae (1), Nerriidae (1), Cryptochaetidae (1), Scathophagidae (2), Fanniidae (6), Muscidae (37), Calliphoridae (16), Sarcophagidae (17), totailling 104 species of dipterous insects are recorded. Among them, Culex pipiens pattens, Biboi adjunctus, Plecia adiastola, Microchrysa flaviventris, Sargus niphonensis, Allognosta flavimaculata, Phaonia subnigra, Helina annosa, Helina latiscissa, Pygophora maculipennis, Onesia nartshukae, Phormia regina, Metopia argylocephala are newly recorded from Imperial palace, however, most of them have recorded from Akasaka Imperial ground (Shinonaga, 2005a-c).
著者
黒沢 良彦
出版者
国立科学博物館
雑誌
国立科学博物館専報 (ISSN:00824755)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.169-"192-2", 1974

J. OBENEERGER (1935) によれば, チベット以東の東アジアに産するウバタマムシ属ChalcophoraSOLIERは5種類であるが, 筆者は, ヨーロッパ各国に所蔵される模式標本を含む多くの標本を検討する機会を得, さらに手許にある日本, 琉球, 台湾などの多くの標本を検討した結果, 東アジア産の本属の種類はウバタマムシC. japonica CORY, 1840 およびサツマウバタマムシC. yunnana FAIRMAIRE, 1888の2種に整理されるべきで, その2種が地域的に多くの亜種に分化しているものである, との結論に達した。特に, 琉球列島内での両種の変化は顕著で, 両種共に数亜種に分けられるが, その変化の傾向は全く異り, ウバタマムシでは吐〓喇列島の中之島と日本本土に原亜種japonica GORY, 吐〓喇列島の宝島に特産亜種takarajimana Y. KUROSAWA, 沖繩群島の久米島に特産亜種kumejimana Y. KUROSAWA, 喜界島を含む奄美群島と沖繩群島に特産亜種のアオウバタマムシoshimana SCHONEELDT, 八重山群島と台湾に亜種miwai Y. KUROSAWA を産する。これを系統的に分けるとtakarajimana, kumejimanaおよびmiwaiが一群をなし, さらにjaponicaがこれに近く, oshimanaは全く異った一見別種に見える程の特化した一群をなしている。他の群の昆虫ではこの様な場合, oshimanaに当る奄美群島と沖繩群島のものが独立種と見做される場合が多いが, アオウバタマムシの場合には, 両群の間に大陸産の2亜種chinensis SCHAUFFUSSおよびbourgoini OBENBERGERを置くと両者の特徴は連続してしまい, 両者を別種と見做すことは難かしくなる。両群の分布を見ると, takarajimana, kumejimana, miwaiなどjaponica群の各亜種は琉球列島の地質的に内帯と考えられる島々に分布し, oshimanaは外帯と考えられる島々に限って分布する。その分布状況は琉球列島を縦に分割するような形になっている。一方, サツマウバタマムシでは, 屋久島, 種子島以北に亜種satzumae LEWIS, 吐〓喇列島に亜種nakanei Y. KUROSAWA, 奄美群島に亜種insularis THERY, 沖繩群島と八重山群島に亜種abnormalis MIWA et CHUJO, 台湾に亜種formosana Y. KUROSAWAを産し, このうちsatzumaeとformosanaが互に近く, 他の琉球産の3亜種がそれぞれ近似する。その分布状況は琉球列島を地史に関係なく横に分割するような形になっている。両種の琉球列島内におけるこの奇妙な分布状況の相違は, 従来, 他の昆虫群でしばしば論ぜられて来た様な, 地質時代における島嶼の離合のみを基にしていては到底説明が出来ない。いま, 両種の各亜種間の近縁関係から, 各亜種の分化の順序を推定してみると, 第1表および第2表の通りになる。すなわち, 現代をP, それより一時代以前の地質時代をA, さらにその前の時代をBとし, 順次C, D, E…とすると, ウバタマムシの各亜種はF時代に, サツマウバタマムシはD時代に一本の祖先型に収斂する。この一本になった時代が, 恐らく両種が琉球列島に侵入して来た時代と考えられる。一般に西南方より日本や琉球に侵入した昆虫にとっては, 氷期は海退による陸橋の成立によって大陛方面から西より東に分布を拡大させる時期で, 間氷胡は侵入者が海峡の成立によって隔離されて環境に適応して特化を進行させるか, あるいは衰退の道をたどり, ついには絶滅するかの時期であると考えられる。従って, Aをウルム氷期, Bをリス・ウルム間氷期と考えると, Dはミンデル氷期, Fはギュンツ氷期に相当する。ギュンツ氷期に西から半島状に突出していた琉球列島に沿って東漸, 北上したウバタマムシの祖型は吐〓喇海峡がすでに成立していたので, ここで北上を阻止されて以北には侵入出来なかったと推定される。次のギュンツ・ミンデル間氷期に宮古海峡が成立したので, 現在の沖繩, 奄美両群島にまたがる地域に隔離されて特化したものがアオウバタマムシで, 吐〓喇海峡以北には分布していない。サツマウバタマムシが琉球列島に侵入して来たのは次のミンデル氷期で, この時すでに宮古海峡が成立していたので, ここで北上は当然阻止された筈で, これ以北の地域へのサツマウバタマムシの分布は陸橋による分布ではなく, 他の方法による侵入と考えなければならない。このことが両種の現在の分布様相を全く異ったものにした原因であると考えられる。ウバタマムシ属の各種は幼虫が松類の枯材の材部に穿入するので, 幼虫が穿入した松材が海中に漂流し, 海流によって思わぬ所に漂着し, これから成虫が発生することがある。対馬から漂着したと思われるサツマウバタマムシが佐渡北端で発見されたのはその好例である。また, 奄美群島型や沖繩群島型に似たサツマウバタマムシが九州南端部で時に採集されたり, ウバタマムシの緑色を帯びる個体の発見されるのは常にアオウバタマムシの漂着可能な太平洋岸沿いの地方に限られ事実も, 琉球列島から漂着したサツマウバタマムシやアオウバタマムシが漂着地に先住するサツマウバタマムシやウバタマムシに同化されて, その子孫に漂着者の形質が稀に現れるものと見做してよいであろう。この様にして両種は過去, 現在を問わず, 常に海流によって北東方に分布を拡大する能力を有するわけであるが, 漂着地に近縁の亜種がすでに存在する場合には上述の通りこれによって同化されてしまい, 漂着亜種は土着することは不可能であるが, 漂着地に対抗亜種が全くなく, 気候も適していて十分な松林さえあれば, 漂着亜種はその地に土着するのに困難は全くない筈である。この様にして, ミンデル氷期以後, 八重山群島(半島)から繰り返し漂流したサツマウバタマムシが対抗種の全くいない沖繩群島以北の島々に漂着し土着して, それぞれの亜種に分化するのにそれ程長い期間を要したとは考えられないのに反し, ウバタマムシの方は沖繩, 奄美両群島にはアオウバタマムシという有力な対抗亜種が存在するために, 漂着してもすぐ同化されてしまい土着することが出来ず, 沖繩や奄美群島の形成以後にその内側の海中に噴出した, アオウバタマムシの存在しない小火山島の久米島や宝島に漂着したものが辛うじて土着し得たに過ぎない。これが, ウバタマムシの琉球列島の内帯に見出される亜種群が互に近似するゆえんである。日本本土に見られる亜種japonicaは恐らくリス氷期かそれ以後に大陛から日本に侵入したもので, 琉球列島の各亜種が侵入出来なかった屋久島以北の地域に拡がったのであろう。この場合問題になるのは, 吐〓喇列島の中之島に産するものがjaponicaと区別出来ないことである。海流によって日本本土から中之島に漂着することは過去の地質時代においても不可能であったであろう。従って, 同島と日本本土は少なくともリス氷期以後において一度は連繋していたと考えなければならない。同一種の亜種でありながら, 中之島産のものが奄美大島亜種よりは日本本土亜種に近い例はウバタマムシ以外にもかなりの例が知られている。他の吐〓喇列島の島々に如何なるウバタマムシの亜種が産するか否か全く資料がないので, 断定することは出来ないが, 吐〓喇海峡は屋久島・口之島間よりは悪石島・宝島間の方が先に成立したのではなかろうか。地質学的にも吐〓喇海峡は宮古海峡より以前に成立し, その時代はギュンツ氷期かそれ以前と考えられているが, ウバタマムシ類の分化過程から推定される両海峡の成立時代も, この地質学からの推定に一致するのは当然とは云え興味深い。次に, アオウバタマムシoshimanaが日本から琉球列島の内帯を経て台湾に至る亜種群と異り, 大陸の中国中部からインドシナ半島に至る地域に産する亜種群に近似している理由を考察する。oshimanaは中国南部からインドシナ半島北中部に分布する亜種bourgoiniと共にウバタマムシの各亜種の中では最も古い形態を残す遺存亜種であり, oshimanaが琉球列島に隔離された後に, 大陛のウバタマムシが再び南北に分裂して出来たものが, 南のbourgoiniの祖型と北のjaponicaの祖型であると考え, chinensisとmiwaiは, bourgoiniとjaponicaが氷期の南下と間氷期の北上とを繰り返している間に生じた交雑型から生じた亜種であると考える。すなわち, 両亜種の第1回目の交雑型が翅鞘の間室の点刻はjaponicaに似ているが翅端の形はbourgoiniに似ているmiwaiで, 第2回目の交雑型が翅鞘間室の点刻はbourgoiniに似ているが翅端の形はjaponicaに似ているchinensisであろうと考えた。サッマウバタマムシの台湾亜種formosanaと日本亜種satzumaeが最も近似している理由は, 朝鮮半島と済州島には本種を全く産しないので, 中国大陸の恐らく楊子江流域に形成された両亜種の共通祖型が最近の地質時代, 恐らくはウルム氷期に, 朝鮮半島を経ずに直接九州に侵入したものがsatzumaeで, 台湾の山地に隔離されて残存したものがformosanaであるが, 大陸ではその後になって北上して来たyunnanaに同化されてしまい, 新しくnonfriediが形成されたのではないかと推定される。もちろん, ウバタマムシにもサツマウバタマシにも共に絶滅して現存しない亜種があったであろうことは想像に難くないが, ここでは一応現存の亜種に基き論を進めた。大陛における亜種の形成は地理的隔離の他に, 氷期, 間氷期における同一種内の南下, 北上の過程において, 異亜種の雑交による中間型の形成, その隔離による亜種としての固定の過程が重要な役を演じていると考えられる。これに反し, 琉球列島の様な大陛周辺部の島嶼では, 南下, 北上は不可能な場合が多く, 雑交は特殊な場合を除いては不可能で, 還境に適応して残存するより方法はない。この点で, 亜種の形成過程は大陸と島嶼地域とでは著しい相違があると筆者は考える。
著者
村田 源 小山 博滋
出版者
国立科学博物館
雑誌
国立科学博物館専報 (ISSN:00824755)
巻号頁・発行日
no.9, pp.p111-121, 1976-10
被引用文献数
4

The "Sohayaki element" was defined by the late Dr. Gen-ichi KOIDZUMI in 1931 as one of the important floristic elements of Southwest Japan, and 101 species of vascular plants were enumerated by him as the components of the element (in MAYEBARA, 1931). Since then, several investigations have been attempted to clarify the entity of the present element. It is now regarded as one of the most ancient flora of Japan. No one, however, has reevaluated the species enumerated by KOIDZUMI. Having the specimens deposited in the herbaria of Kyoto University (KYO), University of Tokyo (TI), Tokyo Metropolitan University (Makino Herbarium-MAK) and National Science Museum, Tokyo (TNS), the flowering plants cited by KOIDZUMI as the components of the "Sohayaki element" are studied in this paper from taxonomic and phytogeographic point of view. The phytogeographic significance of the present element is also discussed. As shown in Table 1,the following five groups are recognized in the "Sohayaki element" by the distribution pattern of each species. The distribution maps, based on the specimens kept in the herbaria cited above, are drawn by the KLIPS-C computer system designed by Dr. H. KANAI, National Science Museum, Tokyo. I : The plants are distributed in the Sohayaki region which includes Kii Peninsula, Shikoku and Kyushu (as shown in Fig. 1), though they are divided into 5 subgroups(A-E). The plants belonging to the subgroups of B, C, D, and E are distributed in rather narrow area than those of A. II : The plants are distributed only in the West Japan as shown in Fig. 2. III : The plants are distributed in both West and East Japan, though they are divided into 5 subgroups (A-E). Distribution areas of B and C are shown in Fig. 3 and 4,respectively. IV : The plants are distributed from the Sohayaki region in West Japan to rather north area in central Honshu as shown in Fig. 5. V : The plants are distributed from Japan to Northeast China throughout Korean Peninsula. VI : The plants are widely distributed in both Japan and the Chinese Continent. KOIDZUMI also described the following elements with the enumeration of the species, i.e. , "Central Chinese element : 51 spp.", "Kuma-Kanto element : 22 spp.", "Manchuria-Korean element : 38 spp." and "Chugoku element : 27 spp.". The "Kuma-Kanto element" was considered as the plants endemic to the areas from Kyushu to Kanto district of Honshu, and the "Chugoku element" as those endemic to the Chugoku district of Honshu. Judging from his definition of each element and the distribution patterns summarized in Table 1,B and C of III are considered as the "Kuma-Kanto element", V is recognized as the "Manchuria-Korean element" and VI as the "Central Chinese element". I and II in Table 1 are the Sohayaki elements which are now generally recognized. The Sohayaki elements occur in the area of warm temperate zone from about 200m to 800m in altitude and are minor constituents in the present vegetation. The habitat of the elements is usually restricted within the limestone or serpentine areas, in rocky places near the river which often overflows and in the ill-nourished or dried places of mountain ridges. These facts suggest that the present elements, protected from extinction by the habitat mentioned above, have survived for long time in competition with the invaders of both glacial and interglacial period.
著者
並河 洋
出版者
国立科学博物館
雑誌
国立科学博物館専報 (ISSN:00824755)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.57-62, 2006

相模湾産ヒドロ虫類については,東京大学に在籍していた稲葉昌丸が1890〜1892年に三崎で研究を行ったのが始まりである.その後,相模湾産ヒドロ虫類についての研究は,ドイツ人研究者E.Stechowに受け継がれた.彼は,F.Dofleinが1904年に相模湾で精力的に採集しドイツに持ち帰った数多くのヒドロ虫類標本について研究したのである.さらに昭和天皇は,相模湾産のヒドロ虫類について1929年から約60年にわたってライフワークとしてご研究を続けられた.この約110年におよぶ相模湾産ヒドロ虫類についての研究史についてはHirohito,his Majesty the Emperor Showa (1988)や山田(1996)により概観されている.これらの研究の結果,相模湾からは無鞘類67種,有鞘類184種のヒドロ虫類が報告された(Hirohito, 1988, 1995).久保田(1998)によると日本から無鞘類141種,有鞘類276種,計417種がこれまでに記録されている.つまり,相模湾から日本産ヒドロ虫類の約60%にあたる種が報告されていることになる.このことは,相模湾がヒドロ虫類相の豊かな海域であることを示すものであると考えられる.本調査研究は,21世紀初頭の相模湾のヒドロ虫類相を把握することを目的として,国立科学博物館の調査研究プロジェクト「相模灘およびその沿岸地域における動植物相の経時的比較に基づく環境変遷の解明」の一環として2001年から2004年にかけて実施された.そのために,本研究では,過去に重点的に調査された相模湾東部海域を中心として,相模灘までの広範囲な海域に調査範囲を拡大し,ドレッヂ調査による標本収集を試みた.しかし,一方で,人工漁礁の造成による人為的な海底環境の変化や多数の商業船の往来する航路の存在等により,過去に重点的にドレッヂ調査がなされた海域において調査が十分に行えなかった.また,今回得られた標本については,類別形質として最も重要である生殖体がみられないものが多数あった.このうち一部の無鞘類については,生体標本として実験室に持ち帰り,生殖体を形成させるために飼育を行うことで類別形質を得ることができた.しかし,多くの種については十分な同定ができず,結果として同定された種は無鞘類6種,有鞘類13種の29種にとどまった.これらのうち14種が属までの同定でしかない.このことから,現時点では過去の調査のデータと比較し,相模湾のヒドロ虫類相について十分な議論をすることはできなかった.しかしながら,今回の調査では,1新記録種Merona cornucopiaeを得ることができ,また,Hydractinia cryptogoniaの標本を70年ぶりに採集することができ,相模湾のヒドロ虫類相についての新たな知見を加えることができた.このことから,今後も相模湾とその周辺海域において生物相調査を継続することにより,特に類別形質を持つ多くの標本を収集することにより,さらに新知見を得ることが期待される.
著者
村山 定男
出版者
国立科学博物館
雑誌
自然科学と博物館 (ISSN:03857727)
巻号頁・発行日
vol.26, no.3, pp.63-66, 1959-06
著者
久居 宣夫 矢野 亮 久保田 繁男
出版者
国立科学博物館
雑誌
国立科学博物館専報 (ISSN:00824755)
巻号頁・発行日
vol.36, pp.169-183, 2000
被引用文献数
3

1 0 0 0 OA 皇居の貧毛類

著者
石塚 小太郎 宍倉 文夫 今島 実
出版者
国立科学博物館
雑誌
国立科学博物館専報 (ISSN:00824755)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.179-196, 2000
著者
西田 和美
出版者
国立科学博物館
雑誌
国立科学博物館専報 (ISSN:00824755)
巻号頁・発行日
vol.36, pp.457-461, 2000
被引用文献数
1
著者
吉見 昭一
出版者
国立科学博物館
雑誌
国立科学博物館専報 (ISSN:00824755)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.321-326, 2000
被引用文献数
1