著者
落合 恵美子
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要
巻号頁・発行日
vol.12, pp.89-100, 1995-06-30

昨年、「近代家族」に関する本が三冊、社会学者(山田昌弘氏、上野千鶴子氏及び落合)により出版されたのを受けて、本稿ではこれらの本、及び立命館大学と京都橘女子大学にて行われたシンポジウムによい近代家族論の現状をめぐって交わされた議論を振りかえる。今号の(1)では「近代家族」の定義論を扱い、次号に掲載予定の(2)では「日本の家は『近代家族』であった/ある」という仮説の当否を論じる。
著者
山折 哲雄
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要
巻号頁・発行日
vol.1, pp.97-105, 1989-05-21

折口信夫は、日本の文学や芸能における基本的な方法が、先行する文学や芸能の形式を模倣するところにあると考え、それを「もどき」の方法と称した。「もどき」という術語には「真似る」という意味と「抵抗する」という意味の両義性があるとかれはいう。模倣しつつ批評するというように解釈してもいいだろう。和歌文学における「本歌取り」も謡曲「翁」における三番叟の演出も、みなこの「もどき」の方法にもとづいているのである。したがってもしもギリシアの芸術が「自然の模倣」であったとするならば、日本の芸術は「芸術の模倣」から成り立っていたといえるかもしれない。
著者
瀧井 一博
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
新領域・次世代の日本研究
巻号頁・発行日
pp.155-165, 2016-11-30

新領域・次世代の日本研究, 京都, 2014年11月11日-13日
著者
武藤 秀太郎
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.241-262, 2002-04

本稿は、戦後日本のマルクス主義経済学の第一人者であった宇野弘蔵(一八九七―一九七七)の東アジア認識を、主に戦時中に彼が執筆した二つの広域経済論を手掛かりに検討する。「大東亜共栄圏」は、「広域経済を具体的に実現すべき任務を有するものと考えることが出来る」。――このように結論づけられた宇野の広域経済論に関しては、これまでいくつかの解釈が試みられてきた。だが、先行研究では、宇野が転向したか否か、あるいは、かかる発言をした社会的責任はあるかどうか、といった点に議論がいささか限定されているきらいがあり、戦後の宇野の発言等を含めた総合的な分析はなされていない。私見では、宇野の広域経済論は、戦前戦後を通じて一貫した経済学方法論に基づいて展開されており、彼の東アジア認識を問う上で非常に貴重な資料である。大東亜共栄圏樹立を目指す日本は、東アジア諸国と「密接不可分の共同関係」を築いていかねばならないという、広域経済論で打ち出されたヴィジョンは戦後も基本的に継承されている。このことを明らかにするために、広域経済論を戦後初期に宇野が発表している日本経済論との対比から考察する。
著者
長田 俊樹
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要
巻号頁・発行日
vol.20, pp.81-123, 2000-02-29

『播磨国風土記』の一節に、動物の血、とりわけ鹿の血を稲作儀礼としてもちいる記述がある。この一節は、折口信夫など、おおくの学者が引用している。そこで、この引用がだれによって、どのようにおこなわれてきたのか、検証するのがこの小論の目的である。 引用した例をみると、おおきく三つの分野がある。それは民俗・民族学、日本史・考古学、そして比較神話学である。民俗・民族学者はこの一節と現代にのこる日本の民俗やアジア諸国の民俗とむすびつけてきた。一方、日本史・考古学分野では、日本の歴史にそって、同様な民俗をみつけだそうとしてきた。さらに、神話学者はハイヌウェレ型神話との関連を指摘した。それぞれの見解には納得できるものがふくまれているが、欠点もあった。(以上、『日本研究』第20集掲載) 結論として、筆者はこれを稲作儀礼として、アジア諸国の稲作文化域を想定しながら、コンセンサスのえられる見解を今後とも模索したい。そのさいには、あらかじめ想定された演繹法ではなく、帰納法で結論をみちびく所存である。また、試論として東南アジアでおこなわれる水牛供犠との関連性についてその可能性を指摘した。
著者
沈 煕燦
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.53, pp.63-84, 2016-06

日本の「失われた二十年」は日本経済の抱える問題の象徴であり、経済の停滞と崩壊の時代である。そして、その背景には、さしあたり、冷戦後の日本を支えてきた思想の崩壊があった。なかでも重要なのはデモクラシーの問題だ。本稿は、日本の「失われた二十年」と1967年の韓国小説、宝榮雄の『糞礼記』を比べて、デモクラシーの出現について考える。 本稿ではまずポピュリズムに関する最新の言説を紹介し、次いで冷戦体制が確立されようとしていた時代の韓国に目を向け、1960年の四月革命のとき芽生えたデモクラシーの可能性を探る。これは今日の韓国のデモクラシーとは似て非なるものではあろうが、『糞礼記』の登場人物たちの革命的性格に注目することによって、この時代が投げかけた問題を論じていきたい。彼らはならず者にされた人々、いわゆるルンペン・プロレタリアート、つまりデモクラシーが内包する排他性によって排斥され無視された人々である。本稿は、こうした人びとを政治的舞台に復権させることを目指すものである。
著者
白幡 洋三郎
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要
巻号頁・発行日
vol.6, pp.57-73, 1992-03-30

福沢諭吉は慶応義塾に、それまでの日本の教育施設、寺子屋や私塾にはみられなかった校庭、つまり「運動場」や「遊園」を設けた。そしてブランコ、鉄棒、滑り台などの運動施設をつくって、塾生たちに運動をさせた。
著者
頼 衍宏
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 = NIHON KENKYŪ (ISSN:24343110)
巻号頁・発行日
vol.58, pp.9-49, 2018-11-30

法隆寺金堂に珍蔵されている「銅像薬師如来坐像」という国宝の光背銘は、日本の国語学ないし古典文学の領域で重要な位置を占めている。その文体について、現代の有力説では和文とされている。一方で、「正格の漢文」という波戸岡旭の説もある。ここでは、この少数説を支持して、訓詁・音韻・修辞という三つの側面から検証した。
著者
浅岡 邦雄
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.201-214, 2003-03

本稿の目的は、鈴木貞美編『雑誌『太陽』と国民文化の形成』に掲載の論文、原秀成「近代の法とメディア―博文館が手本とした一九世紀の欧米」を批判的に検証することにある。 原論文における中心的論点は以下の通りである。出版社博文館が発行した雑誌『日本大家論集』は、米国で刊行された『ハーパー新月報』を手本にしたものである。その根拠は、『日本大家論集』創刊から七年半後、雑誌『太陽』創刊の広告に記載された九誌の欧米雑誌のなかで、米国の『ハーパー新月報』が『日本大家論集』と同様の無断転載雑誌であったからだという。また、『ハーパー新月報』が他誌から無断転載が可能であった要因として、米国はベルヌ著作権条約に加盟していなかったこと、さらにベルヌ著作権条約自体が必ずしも雑誌記事の無断転載を禁じていなかったことをあげ、博文館は『ハーパー新月報』と同じやり方で『日本大家論集』を出版し、複製の仕方が、欧米から複製されたのだと述べる。 しかしながら、前述の中心的論点は、次の理由で根本的に成立しないということができる。(1) 広告に記載された欧米の九雑誌は、雑誌『太陽』の創刊に参照された雑誌であり、『日本大家論集』はその七年半前に創刊されたのであるから、欧米の九雑誌とは何ら関係がないこと。(2) 原論文自身そのことを明らかにしているように、『ハーパー新月報』は一八五〇年代末には無断転載雑誌ではなくなっているのであるから、一八八七年創刊の『日本大家論集』が参考にできるはずがないこと。 この問題についての筆者の見解を述べれば次の通りである。 『日本大家論集』の構想は、長岡で書店を経営していた大橋新太郎によって着想されたものである。その書店で、学術雑誌などの販売の経験を通じて、彼は新しい雑誌出版の発想を得たものと考えられる。彼が扱った雑誌の中には、『日本大家論集』のモデルともいえる他雑誌から無断で記事を転載する雑誌もあった。以上のことから、『日本大家論集』の出版の発想は、新太郎の雑誌販売の経験から着想されたことは間違いない。 このように原論文には、論証作業の不備、その時代の特性に対する感受性の欠如、さらには資料を正確に読み取れていないこと、などの欠点があると指摘できよう。本稿ではこのほかにも、歴史的研究論考としていかに多くの欠陥と問題点があるかを具体的に論証した。
著者
光平 有希
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.52, pp.33-59, 2016-03

人間が治療や健康促進・維持の手段として音楽を用いてきたことの歴史は古く、東西で古代まで遡ることができる。各時代を経て発展してきたそれらの歴史を辿り、思想を解明することは、現代音楽療法の思想形成の過程を辿る意味でも大きな意義を孕んでいるが、その歴史研究は、国内外でさかんになされてこなかった。 この音楽と治療や健康促進・維持との関係については、日本においても伝統芸能や儀礼の中で古くから自国の文化的土壌に根付いた相互の関連性が言及されてきた。しかしこのような伝統芸能や儀礼だけでなく、近世に刊行された養生書の中には健康促進・維持に音楽を用いることについていくつかの記述があることが明らかとなった。その中から本論では、養生論に音楽を適用した貝原益軒に焦点を当て、(1)貝原益軒における音楽思想の基盤、(2)貝原益軒の養生観、(3)貝原益軒の養生論における音楽の役割、(4)貝原益軒の養生論における音楽の効果と同時代イギリスの「非自然的事物」における音楽の効果との比較検討、と稿をすすめながら、益軒の考える養生論における音楽効果の特徴を解明することを研究目的とした。 その結果、『養生訓』『頤生輯要』『音楽紀聞』を中心とした益軒の著作の分析を通じて、益軒の養生論における音楽の適用の基盤には、『礼記』「楽記篇」を中心とした礼楽思想と、『千金方』や『黄帝内経』など中国医学古典に起源を持つ養生観があるということがわかった。そして、その基盤上で論じられた音楽効果に関しては、特に能動的に行う詠歌舞踏に焦点を当て、詠歌舞踏の持つ心身双方への働きかけが「気血」を養い、それが養生につながるという考えを『養生訓』から読み解くことができた。また、同時代イギリスにおいて書かれた養生論における音楽療法思想と益軒の思想とを比較してみたところ、益軒の音楽効果論には音楽の「楽」の要素を重視し、音楽が心に働きかける効果を特に重んじているという特徴が見られた。 このように益軒の養生論における音楽効果は、古代中国古典の思想を基盤としながらも、その引照に終始するのではなく、益軒の生きた近世日本の土壌に根付いた独自の観点から音楽の持つ心理的・生理的な効果を応用して、心身の健康維持・促進を図ることを目的として書かれているという点で、重要な示唆を含んでいると考えられる。
著者
吴 震
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
「心身 / 身心」と「環境」の哲学 : 東アジアの伝統的概念の再検討とその普遍化の試み (ISSN:09152822)
巻号頁・発行日
pp.137-164, 2018-03-30

「心身 / 身心」と「環境」の哲学 : 東アジアの伝統的概念の再検討とその普遍化の試み, 国際日本文化研究センター, 2016年2月19日-21日