著者
皆吉 淳平 柴田 邦臣
出版者
大妻女子大学
雑誌
大妻女子大学紀要. 社会情報系, 社会情報学研究 (ISSN:13417843)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.95-117, 2006

本稿は,2005年におこなわれた第44回衆議院選挙において,若い女性層が,どのようなメディアから影響を受け,その結果としてどのように考え,投票したのかを探ることを目的としている。予想外の結果となった今回の総選挙は記憶に新しいが,特筆すべき点として,これまで選挙に関心のなかった若年層が郵政解散選挙の「劇場型政治」に"踊らされる"かのように影響を受けて与党支持に流れたこと,ブログやWebなどの新しいメディアが投票行動に影響を与えたと考えられていることなどがある。そこで本稿では,その現状を探るためにアンケート調査をおこなった。調査の結果を分析すると,若年女性層の投票行動は,特に「劇場型政治」に"踊らされて"投票をしたとは言えないことがわかった。また,ブログなどの新しいメディアはほとんど影響を与えていなかった。一方で,若年女性層の投票行動にもっとも影響を与えていたのは家族であり,各種のメディアよりも家族の中でのさまざまな情報交換に信頼を置いている傾向を確認することができた。
著者
森 義信
出版者
大妻女子大学
雑誌
社会情報学研究 (ISSN:13417843)
巻号頁・発行日
no.15, pp.175-197[含 英語文要旨], 2006

「自由と不自由」という対概念は,古代・中世の西欧社会を理解する上で,極めて重要である。中世の法史料には「自由人」を意味するingenuus, liberあるいはfreier Bauerなどの呼称が見出される。また,11世紀のある叙述史料には,(1)貴族的な古来の自由,(2)国王の守護のもとにある自由,(3)生命とのみ引き替えにするという自由,(4)意志決定の自由が見出される。(1)は社会的な自由,(2)は政治秩序における一定の自由を示していると同時に,(3)と(4)は理念的な自由を示していると解釈される。草創期のフランク王権は,国境域に入植した軍事的植民者に自由を与えた。K.ボーズルは,かれらを「国王自由人」と呼び,かれらの自由を上記の(2)と似たようなものと見なしている。国王自由人は,しかし,国境を防衛しなければならなかったので,自由に移動することは許されなかった。かれらは9,10世紀になると,教会や修道院への自己托身の結果,荘園領民の地位に没落した。他方,中世の史料は不自由な従属民をservus, mancipium, ancila, famulus, collibertus, proprius de corpore, Eigenmann, Knecht, Schalkなどの多様な呼称で呼んでいた。かれらのあいだには,社会的に見て大きな差異があったはずである。土地を持たない不自由民は,主人に対して不定量の奉仕を義務づけられていたが,ボーズルによれば,中世盛期になると,かれらは課された職務,例えば開墾活動や使者役・運搬賦役の遂行の結果,自由をもつことを許されたとされる。さらに荘園領主のもとを離脱して国王都市に逃げ込んだ奴僕も,一年と一日の後,自由市民と認められた。このように,不自由民大衆は総じて社会的に上昇することができたのである。もちろん,その自由は上記(1)のごとき無制約ではなく,「不自由な自由」あるいは「自由な不自由」と形容されるものであった。ボーズルは,また,このダイナミックな変動の緩急・遅速が近世以降のドイツとフランスの発展,命運を規定した,と主張している。
著者
浅井 澄子
出版者
大妻女子大学
雑誌
大妻女子大学紀要. 社会情報系, 社会情報学研究 (ISSN:13417843)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.1-13, 2006

本論文の目的は,映画のヒットの状況とその要因を実証分析することにある。論文の結論は次の2点に要約される。第1は,大部分の興行収入は少数の映画作品から生まれていることが,データから明らかになった。このことは,映画製作者が高い経営上のリスクに直面していることを示唆する。第2に,既に他のメディアで発表された原作の映画化,映画の続編,専門家により高い評価を得た映画,複数の映画館を所有する配給会社によって配給された映画であることは,ヒットの確率を高くすることが,ハザード・モデルより示された。原作の映画化と続編の効果は,映画製作者のリスク回避的行動に合理性があることを示唆する。
著者
千羽 喜代子 平井 信義
出版者
大妻女子大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1995

思いやりとは、"相手の立場に立って考え、相手の気持ちを汲む"ことと定義し、思いやりの精神構造に基づいて、3〜6歳の幼児の思いやり観察行動項目10項目、(1)相手の気持ちをくもうとする、(2)相手に気持ちを汲んでもらおうとする、(3)相手を援助しようとする、(4)みんなと協力する、(5)情報をすなおに表現する、(6)アイディアを豊かに表現する、(7)相手の気持ちを共有する、(8)相手との関係を深めようとする、(9)相手の心に積極的に関心を持つ、(10)人や場の雰囲気に気付き判断しようとする、からなる50の観察行動項目を作成した。これらの観察行動項目をうけて、あらたに3歳未満児の項目を考えたとき、"受容される体験""情緒の安定""自己受容""自己実現""感性としての気付き"が主要な要素となると考え、生後57日より行った追跡行動観察、及びビデオ録画の資料(男女字名ずつ)を分析・整理した。その結果、(1)0歳児クラス・1歳児クラスにおいては、保育者との関係を求め、応答を求める要求表出の頻度が高く、保育者のその気持ちを汲んでもらうことにより、"自己受容"自己実現""受容される体験"につながっていくこと、(2)2歳児クラス・3歳児クラスにおいては保育者に受容され、安定できた体験が、他児と積極的にかかわる友達関係へと発展すること、しかも、子供-子供関係における"受容""協力""援助"の体験は、思いやりを支える必要な要素であることを見い出した。(3)4歳児クラスの年令においては、葛藤体験を多くもつ時期であること、大人あるいは友達との関係をもつなかで、一緒に活動することの喜び、協力する体験をつんでいる時期であることを確認した。
著者
森 義信
出版者
大妻女子大学
雑誌
大妻女子大学紀要. 社会情報系, 社会情報学研究 (ISSN:13417843)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.129-148, 2007

紀元前2世紀末、北欧のゲルマン系譜族が南下し、ローマを脅かす動きを示したことは書誌学的に証明できる。より良い居住地を獲得するための第一次の南下と移動は、ローマ人に撃退され、ゲルマン人は所期の目的を果たせず、都市や農村を略奪して北へ戻っている。ただし、この際に捕えられたゲルマン人は小グループに分けられて北ガリアに屯田兵として入植させられた。この時期の北欧は,温暖化による海面上昇の時代にあり,北海沿岸の集落では防潮のため,さかんに盛り土がなされている。ゲルマン系諸族は、第二次移動期において、ローマ帝国の国境域や領内での土地占取に成功した。4世紀末のアルデンヌ高地、5世紀前半のボーデン潮周辺地域では,長期にわたる低温化と悪天候が生じていたと推定される。ボーデン湖畔のアレマン人は越境を開始し、北海沿岸の二つの集落の住民も離村し、この集落は廃村となっている。西ローマ帝国は、ゲルマン系譜族の移動によって,476年に終焉を迎えた。文書証拠のない時代の民族移動を跡付けることは、歴史家にとっては困難を極める。本稿は、ゲルマン民族の移動という歴史現象を,気象学上のデータとつきあわせ,前者の原因を気象変動に求めてみるという、一つの試論である。
著者
斉藤 恵子
出版者
大妻女子大学
雑誌
大妻比較文化 (ISSN:13454307)
巻号頁・発行日
no.1, pp.48-71,図5〜6, 2000-03

This paper is based upon university lectures I gave in 1998 as part of a joint series on Women's Studies. The principle aim that year was to find examples of women's ways of life within each lecturer's own specialized field. Salome was taken up. The story of Salome proved popular in Christian art from an early period, and has been portrayed in other fields such as literature, music, dance and cinema. The theme permits various approaches. Salome, best known as the heroine in Oscar Wilde's one-act play and Richard Strauss's opera, is remembered as the immediate agent in the execution of John the Baptist, but she is unnamed in the Gospels, Mark and Matthew. It is her mother Herodias that is a main agent in the beheading of John. Herodias was infuriated by John's stinging rebuke of her marriage to Herod Antipas as the marriage violated Mosaic Law. Herodias has been regarded as a cruel and wicked woman who prompted her daughter to ask for the holy prophet's head, but she would have sharply protested against Mosaic Law which was extremely unfair to women. Heredias's condemnation of Judeo-Christian laws and ethics as too favorably biased toward male supremacy is a voice worth listening to. Iconographically, Salome has often been confused with Judith of Bethulia, a beautiful Jewish widow who saved her country from the evil enemy by beheading the enemy's general with his sword. Two pictures of "Judith,alias Salome" by Gustav Klimt are adequate illustrations. Judith was sometimes regarded as the female counterpart of King David of Judea, and was admired by such woman painter as Artemisia Gentileschi. But both Salome and Judith have been portrayed by the nineteenth century "fin de siecle" artists as erotic symbols. In her Tale of Salome's Nurse, contemporary historian and writer, Shiono Nanami, interprets Salome as the courageous woman, fully aware of her responsibility as a monarch, with keen insight into the political and religious disturbances within Jewish society. Completely independent of her frail mother, she requested her step-father give her the head of John the Baptist as a reward for her dance of the seven veils. In this way, Shiono has interpreted, Salome as having brought momentary peace to her country, Judea. In conclusion, Salome is an exciting example from whom we can learn both positive and negative lessons.