著者
西原 正洋
出版者
奈良大学大学院
雑誌
奈良大学大学院研究年報 (ISSN:13420453)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.169-172, 2006-03

細川京兆家と庶流家の関係は、本家京兆家と庶流家の結びつきが強く、いわゆる「同族連合体制」と呼ばれる体制をとっていると詳細に述べられている。先行研究の中で、「同族連合体制」論の論議は、京兆家の側からの論理に基づく議論が中心であった。すなわち、京兆家が庶流家を内衆による「統制」をするなど、庶家を京兆家がどう動かしたことに、主眼に置かれてきたように思われる。確かに「同族連合体制」は京兆家側からの庶流家への強い影響力があったことは間違いないであろうが、庶家側から見てもただ単に「統制」されるものではなく、庶流家にも当然の事ながら「同族連合体制」の利点の一端を享受していたと考えるのが自然であろう。また、「同族連合体制」の解体の時期は諸説によりまちまちだが、おおむね政元暗殺以前とする意見が多い。しかし、私は政元暗殺以後も細川氏が一族で行動したことが史料上からも散見され、「同族連合体制」が変質しながら、しばらくは存続していたと考えており、それに基づいて考察することとする。
著者
大西 由子
出版者
奈良大学大学院
雑誌
奈良大学大学院研究年報 (ISSN:13420453)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.73-76, 2005-03

本稿の目的は、興福寺大衆の行なった放氏という事象を通して、黒田俊雄氏の提唱された寺社勢力の解明の一端を担うことにある。本稿では、南都興福寺とその興福寺と一体化している春日社、さらにこれらを氏寺・氏神とする藤原氏に焦点をあてることによって未だ解明されていない公家と寺家の関係について言及している。
著者
多田 望
出版者
奈良大学大学院
雑誌
奈良大学大学院研究年報 (ISSN:13420453)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.113-116, 2002-03

卒業論文において、「山城国一揆にみられる惣国について」という題目で考察を行った。修士論文でも山城国一揆を中心に研究を進めようと考えた時、当時の畿内、特に南山城の近隣諸国や幕府の権力構造との関係が大きく左右していたため、山城国一揆をとりまく情勢の把握が必要と感じた。そのとりまく勢力として幕府・細川氏・畠山氏・興福寺を取り上げ、地域としては大和・摂津・河内・和泉を取り上げて考察を行う。
著者
辻本 慶樹
出版者
奈良大学大学院
雑誌
奈良大学大学院研究年報 = Annual reports of the Graduate School of Nara University (ISSN:13420453)
巻号頁・発行日
no.23, pp.39-49, 2018

近代化が行われ始めた明治時代以降、妖怪や怪異といった前近代的なものは悉く排除されていった。しかし、民衆の間では心霊ブームや怪異ブームといった、明治政府が排除しようと試みた、いわゆるオカルト的なものが広く流行した時期も存在しており、政府自体も徹底して妖怪・怪異を排除したとは言い切れない部分がある。それは戦時下という限定的な状況において「奇跡」「瑞祥」という形で現れており、政府はそれを容認している。本論考では日露戦争期における「奇跡」「瑞祥」について、当時の新聞記事と博文館の『日露戦争実記』を中心に論じ、「奇跡」「瑞祥」という妖怪・怪異がどのように表現されていたかを取り上げ、それらがどのようなものであったかを考察するとともに、妖怪・怪異という存在を考察する。
著者
渡邊 ゆきの
出版者
奈良大学大学院
雑誌
奈良大学大学院研究年報 = Annual reports of the Graduate School of Nara University (ISSN:13420453)
巻号頁・発行日
no.22, pp.1-18, 2017

" 慶応4/明治元(1868)年~2(1869)年に発生した戊辰戦争戦没者の墓は、亡くなった土地や出身地など全国に点在している。墓石は文字だけでなく形状や石材等、被葬者・建立者の様々な情報を内包しており、後世に伝えるべき重要な文化財である。戊辰戦争から150年近くが経過した今、墓石の劣化が深刻化しており、いち早く保存対策を講じる必要がある。 本稿では同時期に全国各地の異なる環境下で建立された戊辰戦争戦没者の墓石の劣化状態を調査・比較し、石造文化財の劣化傾向を明らかにすることを試みた。また、墓石の劣化状態をA~Dの4段階で評価し、墓石の劣化危険度を視覚化した。 調査の結果、石造文化財の劣化の進行には、用いられている岩石の種類と凍結破壊注意日の出現回数が影響することを確認した。"
著者
小野 宏明
出版者
奈良大学大学院
雑誌
奈良大学大学院研究年報 (ISSN:13420453)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.186-192, 1998-03

現代の日本において恋愛や性に関する問題は欧米の諸外国に比べてまだまだタブーとされており、公衆の面前で話をされることは少なく、稀である。仮に話をされることがあるとしても、主として異性愛(ヘテロセクシュアル)を中心として展開される。しかし恋愛や性の形は決して1つではない。恋愛や性について語るとき、近年注目されている同性愛(ホモセクシュアル)の問題を抜きに考えることは出来ない。そこで私は「現代における恋愛と性」をテーマとし、なかでも特に同性愛に注目し、異性愛との実証的な比較研究を中心として本論文のテーマを明らかにする事を目的とした。本論文を展開するにあたり、まず同性愛というものがどういったものであるのかを明確にする必要がある。そのために過去、日本において同性愛とはどのようなものであったか、日本の社会の中でどういった位置づけにあったのか、それが現代ではどのように状況が変化したのかといったことを述べている。そしてそれを明確に打ち出した上で、具体的に現在では同性愛者と異性愛者ではその行動や考え、そしてイメージなどにどのような違いもしくは類似点が見られるのかといった疑問点を、理論を交えて2通りの調査(質問紙、ライフヒストリー)の結果をもとに考察し、最終的に結論とした。
著者
牧野 宏紀
出版者
奈良大学大学院
雑誌
奈良大学大学院研究年報 (ISSN:13420453)
巻号頁・発行日
no.23, pp.25-37, 2018-03

" 本研究では学級内の生徒間序列化現象として近年注目される 「スクールカースト」 の議論をサブカルチャー研究に応用し、そこにおいて従来は下位たる存在と見なされてきた 「オタク」 たちの文化が、むしろ 「スクールカースト」 秩序に対する対抗文化として働きうることを示した。ただし 「オタク文化」 は 「スクールカースト」 的秩序と結びついたサブカルチャー・スタイルの序列化に変化を与えることはできても 「オタク」 グループでの同調圧力に対して対抗し得ず、そのため「コミュニケーション能力至上主義」に対する対抗性を持ちえないことも明らかとなった。 なお、本研究は高等学校卒業者を対象として2012年3月から10月にかけて実施した半構造化インタビュー調査の結果に基づいている。"
著者
魚島 純一 坂本 直也
出版者
奈良大学大学院
雑誌
奈良大学大学院研究年報 (ISSN:13420453)
巻号頁・発行日
no.24, pp.1-8, 2019-02

" 兵庫県新温泉町湯区に所在する薬師堂の江戸時代に描かれた格天井板絵の一部を取りはずすことができ、蛍光X線分析により非破壊で色材の同定をおこなうことができた。格天井板絵は取りはずしが困難なためこれまで色材の分析調査ほとんどおこなわれていない。 分析の結果、一部から一般的に用いられる銅系緑色顔料である、"緑青"とは違った亜鉛とヒ素を含む特徴的な銅系の緑色顔料を検出した。 亜鉛とヒ素を含む銅系緑色顔料の存在は、平安時代や鎌倉時代のものをはじめ、国宝や重要文化財の絵巻物や屏風などを中心にすでにいくつかの報告がなされているが、地方に残された江戸時代の文化財での使用が確認されたことは、この色材の位置づけを考えるにあたって大きな意味をも持つ。今後、彩色文化財の調査をおこなう上で、この色材の存在をあらためて認識しておく必要がある。"
著者
長井 雅雄
出版者
奈良大学大学院
雑誌
奈良大学大学院研究年報 (ISSN:13420453)
巻号頁・発行日
no.24, pp.118-105, 2019-02

" 従来、梵天・帝釈天像の尊像名比定においては、着甲の有無に着目することが多い。帝釈天の出自が武勇神であることから武装していることが自然であるとし、東大寺法華堂や唐招提寺金堂の梵天・帝釈天は尊像名が逆転していると指摘されている。 本稿では、梵天・帝釈天の一尊が袈裟を着けるという他の天部像にはほとんど認められない特徴に着目した。尊像の着ける各種の衣や甲などの装備のうち袈裟、甲といった点に注目し、奈良時代から鎌倉時代までの作品を確認した。結果として、奈良時代の作品は袈裟を着ける像を梵天と考えること、中世においては着装自体が多様化し、着装と尊像名との関連も複雑になることを示した。平安時代に密教とともに請来された梵釈像を表す図像において、しばしば着甲像が帝釈天として規定・表現されていることがそれらの一因である可能性を指摘した。"

4 0 0 0 IR 島田良臣考

著者
滝川 幸司
出版者
奈良大学大学院
雑誌
奈良大学大学院研究年報 (ISSN:13420453)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.338-354, 2011-03

『菅家文草』に道真との贈答が見られる島田良臣について、伝記考證を中心に考察を加えた。道真の交流を明らかにするとともに平安前期の儒者のあり方を追求するためである。
著者
高島 敦
出版者
奈良大学大学院
雑誌
奈良大学大学院研究年報 (ISSN:13420453)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.174-178, 2008-03

我が国において古墳墳時代には、その名が示すように約350年もの間にわたって、汎列島的に高塚墳墓がこぞって築造された。このような現象は何も我が国だけにあらず、中国・朝鮮などの東アジア諸国、さらにはエジプトのピラミッドなどのように世界各地でみられるものであり、それは国家形成初期段階に共通してみられる現象、すなわち人類の歴史過程の一端として捉えられるのである。その一方で、日本の古墳は他と比べ異彩ともいうべき特色が著しくみられる。例えば、墳丘形態にあっては前方後円墳・前方後方墳・帆立貝式古墳・円墳・方墳など実に様々な形態がみられるし、墳丘上には人物・器財・動物などを象った素焼きの土製品の埴輪が樹立されるなど、いずれも日本独自の行為である。それらは、被葬者の身分や業績・個性を世に表現・表示するものであり、外部に誇示するものであった。広瀬和雄氏がいうように、まさに古墳時代は「見せる王権」「可視的な国家」として捉えられるのである。そして、そういう意味において、古墳にとって付加的要素(外部施設)の位置付けは大きいものであった。誤解を恐れずあえて述べるならば、古墳の発達はそういった付加的要素の発達に他ならないのである。周濠もまた、その付加的要素の一つである。周濠は、単に墳丘と外界とを画するものではなく、幾つもの要素により世に被葬者の権力・個性を表示するものであったと考えられる。本稿では、このような古墳の周濠の意義を明らかにすることを目的としている。
著者
村瀬 勝樹
出版者
奈良大学大学院
雑誌
奈良大学大学院研究年報 (ISSN:13420453)
巻号頁・発行日
no.3, pp.155-161, 1998-03

人は、土地を利用する際に建築や土木工事などを行う。そして、敷地や建物の安寧を土地の神に祈願する儀礼を行うことで、その土地を鎮め、清浄ならしめようとする。発掘調査においては、建物の基壇や敷地・建物に関連する土坑より土地神を供養する品々を納めた容器や鎮物が発見されることがある。現在でも神道では地鎮祭として行われており、見かけることも多い。かつての陰陽道では土公祭と称する土地鎮めの祭儀を行っていた。仏教では、密教において地鎮.鎮壇と呼ばれる修法があり、宗派によっては安鎮、宅鎮や土公供等とも呼ぶ。このように、宗教・宗派によって、その性格は同じであっても名前が異る為、研究上の用語として、土地の神を供養する儀礼を地鎮や地鎮め等と総称することもある。我々は、考古学資料や文献史料などから、神話や教義を伴う多様な儀礼の形態をもった土地神に関する信仰を知ることができる。なかでも、地鎮・鎮壇の考古学的研究においては、水野正好、森郁夫や木下密雲など先学の諸氏によって、その古代から近世にわたる様相とその背景が明らかにされてきた。拙稿は、それらの成果と業績の上に立って、私見を記したものである。
著者
愛甲 直宏
出版者
奈良大学大学院
雑誌
奈良大学大学院研究年報 (ISSN:13420453)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.27-31, 2004-03

水神。水にまつわる神の事を指す。中国においては河神・湖神・海神・濤神(潮神) の総称である。その中でも河神は、個々の河それぞれに神がおり、その対象とされる個々の河の違いからその地域性に密接な特徴を持つ。当論文で取り上げた二郎神もその河神の一人であり、四川省にある都江堰と呼ばれる水利施設から発生した。この二郎神の由来については未だ明確ではなく、定説というものがない。また、そもそも二郎神がどのような神であるのかというはっきりとした形態も掴み難い。そこで、以下二郎神のモデルといわれる人物、二郎神の成立、信仰の隆盛について検討することで、古くから信仰の対象とされてきた二郎神の姿を確認することが本論の目的である。
著者
岡本 怜嗣
出版者
奈良大学大学院
雑誌
奈良大学大学院研究年報 (ISSN:13420453)
巻号頁・発行日
no.15, pp.214-238, 2010-03

鎌倉時代中期に活躍した仏師・肥後定慶は二件の幕府関係の造像を行った。その一つが藤原頼経室であった竹御所追善の造仏であり、もう一つが藤原頼経発願の五大堂五大明王像であった。これら二つは運慶の次世代の仏師造像として早い時期のものである。本稿では、肥後定慶がこれら二件の幕府関係の造像に採用された背景の検討を行った。その結果として今回は、中原行兼という人物に注目した。肥後定慶が中原行兼の知遇を得たことによって、どのような過程で採用が行われたかというメカニズムの検討を行った。
著者
黒崎 優美
出版者
奈良大学大学院
雑誌
奈良大学大学院研究年報 (ISSN:13420453)
巻号頁・発行日
no.14, pp.65-79, 2009

本稿の主な目的は、戦国時代を代表する武将である織田信長・豊臣秀吉・徳川家康のパーソナリティについて、原子価論の観点から考察を行うことである。「原子価」(valency)は、Bion,W(1961)により精神分析学に導入されHafsi,M(2006)によってパーソナリティ論へと発展した概念であり、対象間の繋がり方の類型、すなわち、「依存」(dependency)、「闘争」(fight)、「つがい」(pairing)、そして「逃避」(flight)を規定する。戦国三武将の個性を際立たせるホトトギス考をはじめ、主立った史実や歴史上のエピソードなどを素材として用いることにより検討を行った結果、信長には闘争、秀吉にはつがい、そして家康には依存の原子価を特徴づける内容が多くみられた。このことから、三者はそれぞれ異なる原子価をもち、それが仕事のやり方や対人関係のあり方に大きな影響を与え、さらにその生涯を終えてからも、後の人々によってそれぞれの原子価特性を強化するような史実の解釈や新たな歴史的エピソードの追加がなされながら現在に至っていることが明らかとなった。最後に、リーダーシップ論からみた三者の原子価について、さらに逃避原子価に相当するホトトギス考についても言及した。
著者
平尾 浩子
出版者
奈良大学大学院
雑誌
奈良大学大学院研究年報 (ISSN:13420453)
巻号頁・発行日
no.13, pp.97-105, 2008

現在学校現場では、いじめ、不登校、学級経営が立ち行かなくなる学級崩壊に加え、最近はインターネット社会における匿名の心理的いじめが大きな問題として、社会問題にまでなっている。今後これらの学校の問題については、おきてから個別に対処する方法ではなく、学級の中で子どもに真の生きる力を育て、それらの問題が起きにくい学級集団作りを目指すべきである。そのため本稿では河村による学級状態の類型(満足型学級、管理型学級、なれあい型学級)について、Bionの集団理論における基本的概念(依存基底的想定、闘争・逃避基底的想定、つがい規定的想定、基底的想定グループ、作動グループ)を導入し学級集団の状況を整理し深く理解するための考察を行った。
著者
藤内 三加
出版者
奈良大学大学院
雑誌
奈良大学大学院研究年報 (ISSN:13420453)
巻号頁・発行日
no.14, pp.97-109, 2009

本研究の目的は、MSSM法から得られた物語にみられるアニマが4回のMSSM法の中でどのように変容しているかを検討することである。今回、1つの事例(20代前半 男性)を取り上げて、MSSMの物語からみられるアニマの変容について検討した。本事例では4つの物語が創造された。その中で「尖った描線」に投影した「僕」とアニマのやりとりが現れ、「僕」の問題と積極的に向き合うプロセスが認められた。「僕」が物語の中で積極的にアニマと関わる中で、Aさん自身の問題が浮上しその問題に向き合うことで、アニマとの関わり方やアニマイメージが変容していった。本事例の結果から、心理カウンセング場面でクライエントがMSSMの「尖った描線」に投影したモチーフを物語の中で能動的に使うことが心理的変容を促進させるために重要であることが示唆できた。
著者
友廣 信逸
出版者
奈良大学大学院
雑誌
奈良大学大学院研究年報 (ISSN:13420453)
巻号頁・発行日
no.12, pp.31-39, 2007

最近、子が親を殺害するといういわゆる親殺しの事件が続発している感があるが、これらの事件を参考に、思春期の少年たちと親の関係、少年たちの心の内面の考察を試みた。こうした少年の親に対する依存と独立の葛藤、父親との関係(父に対する同一化)を考察し、両親の不和や離婚が子に及ぼす影響を指摘した。さらに、こうした事件を防ぐためには、子どもたちの発する信号に、周りの大人が敏感になる必要があると提案する。
著者
倉阪 英恵
出版者
奈良大学大学院
雑誌
奈良大学大学院研究年報 (ISSN:13420453)
巻号頁・発行日
no.8, pp.94-98, 2003-03

シストルムは、楽器分類法において体鳴楽器の棒繋式ラットルに属する。古代エジプトでは、主に儀式用の楽器として古くから用いられ、王朝時代を通して変遷しながらも絶えず続いた。現在でもエチオピアのギリシア正教会で用いられている。他の楽器と比べてこんなに長く続いたのは、シストルムのみである。そこで、総合的(考古学・美術学・言語学)にシストルムの変遷や地域性を分析し王や女性神官との関係、用い方で長く存在した理由を明らかにするのが目的である。しかし、研究するにあたり問題が生じる。遺物が発見された際、コレクションとして持ち去られたためどこから出土したのかわからないのがほとんどである。今後の発掘で出土地や出土状況が詳細となり、考古学的な視点での研究がより明確になることを期待する。