著者
榊原 寛
出版者
日本アフリカ学会
雑誌
アフリカ研究 (ISSN:00654140)
巻号頁・発行日
vol.2009, no.74, pp.19-36, 2009

本稿の目的は, 革命や観光地化を経た近年のザンジバル島がどのような文化変容を経験しているか, その動態を描き出すことである。ザンジバル島は19世紀に中継交易港として栄え, アラビア半島やインド亜大陸からの多くの移民により「ストーンタウン」が形成された。この町の建築には, 当時の豊かな商人や貴族によって豪奢な木彫ドアが取り付けられた。しかし1964年に勃発したザンジバル革命によって島の社会構造や民族構成は大きく変化し, 豊かな住民や職人が島外へ流出するとともにドア製作の伝統も衰退したとされる。だがその後の政府の尽力などにより, 現在では製作は復活し, 新たな世代の職人も生まれている。このような背景を踏まえ, ザンジバル革命前のドアと, 革命後のドアとのデザイン面での変化とその要因を, 残されたドアの調査と職人への聞き取りから考察した。この研究から明らかになったのは, 第一に, アラブ・インドからの影響下で生成されたストーンタウンの文化と, より「アフリカ的」であるとされる郊外の文化とのダイナミックな相互交流のプロセスであり, 第二に, 現在のドア職人によってアラブ・インド・アフリカなどの各文化要素が自由に取捨選択され, 融合され, 新たな文化が生み出されつつある胎動であった。
著者
阿久津 昌三
出版者
日本アフリカ学会
雑誌
アフリカ研究 (ISSN:00654140)
巻号頁・発行日
vol.2003, no.62, pp.43-55, 2003

アサンテの諺に「親族は死体を好む」というものがある。アサンテの人びとが生者のことよりも死者に対して重大な関心があることを告発する言説的表現として頻繁に引用される慣用句である。アサンテの葬儀は, 宗教的なものよりも政治的, 経済的な意味,「あの世」よりも「この世」のものであることを認識することが必要である。ここでは, 死と死者の地位との関わりで, 生と死とを媒介として, 二つの世界を結びつける死から生への象徴的置換あるいは隠喩的装置を検討する。<br>本稿は, 西アフリカ, ガーナ共和国のアサンテの事例をとりあげることによって,「民族誌のなかの葬儀」と「実践のなかの葬儀」というコンテキストにおいて, 葬儀の儀礼的プロセスの政治的意味を検討することが目的である。「民族誌のなかの葬儀」では, 民族誌のなかで, 生と死の世界, 悲しみの表現, 遺体の処理,「髪」の神秘性, 王の葬儀の主題がとのように記述されているかを分析した。「実践のなかの葬儀」では, 1999年2月25日のオポク・ワレ2世の崩御から4月26日のオセイ・ツツ2世の即位までの儀礼的な枠組を分析した。王位継承の儀式には, 二つの儀礼的な枠組があって, ひとつは, 王位継承の方式に従って, 王の選出機関 (つまり,「王母と評議員たち」) の手続きを経るという儀礼的枠組である。もうひとつは, 先王の葬儀を経て, 儀礼的認証を得て, 正式に王位に就くという儀礼的枠組である。前者の儀礼的枠組はいわゆるアクセッションからサクセッションに至る儀礼過程である。アクセッションとは, 王の崩御とともに, 王の選出機関の決定を経て, 次ぎの王に即時的に権力が委譲するものであり, サクセッションとは, 王位が継承されたのち, その事実を内外に告知する儀式である。<br>本稿は, オポク・ワレ2世の崩御からオセイ・ツツ2世までの儀礼的な枠組を現地での資料収集と聞き取り調査にもとづいて記述したものである。王位継承というドラマを通して「死」と「再生」の置換的なメカニズムを明らかにした。先王の死と新王の誕生という王権の継受という「死」と「再生」の置換的なメカニズムが機能していると同時に, 広義の即位式という儀礼的な枠組において「死」と「再生」の置換的なメカニズムが機能している。「王の母」という擬制的な親子関係にその「謎」があるのではないかというひとつの仮説を提示することができる。
著者
松本 尚之
出版者
日本アフリカ学会
雑誌
アフリカ研究 (ISSN:00654140)
巻号頁・発行日
vol.2014, no.85, pp.1-12, 2014-12-31 (Released:2015-02-06)
参考文献数
30
被引用文献数
1

本論文では,在日ナイジェリア人のライフストーリーを,特に来日から現在に至る就業の変遷に注目しながら詳述する。特に,在日ナイジェリア人のなかでも多数派であるイボ人を事例とし,彼らの経済活動の多角化,トランスナショナル化の傾向を明らかにする。それによって,日本に暮らすアフリカ系移民の定住化とトランスナショナルな移動の関係性について論じたい。来日したイボ人たちの多くが,工場や建設現場で働く非正規労働者として日本での就業を開始する。しかし,「出稼ぎ外国人労働者」としての生活は,ナイジェリアから日本にやってきた移民たちの一面を表すに過ぎない。本論で取り上げるどの事例からも,在日イボ人たちの就業が一種に集約することなく,複数業種を跨いで多角化していく傾向が見て取れる。さらに,就業の多角化は,日本国内だけでなく複数のローカリティにまたがってトランスナショナルに展開していく。本論文では,経済活動の多角化,トランスナショナル化の傾向が,在日イボ人たちの滞在期間の長期化,高齢化と結びついた現象であることを論じる。それによって,日本人配偶者との結婚や永住権の取得といった,一見すると「定住化」ともとれる現象が,トランスナショナルな移動を促す契機となっていることを明らかにしたい。
著者
近藤 有希子
出版者
日本アフリカ学会
雑誌
アフリカ研究 (ISSN:00654140)
巻号頁・発行日
vol.2015, no.88, pp.13-28, 2015-12-31 (Released:2016-12-31)
参考文献数
44

本論の目的は,紛争後のルワンダ南西部の農村社会を生きる人びとが,生存のための社会関係をどのように再編成しているのかを検討することである。その際,寡婦や離婚女性,孤児を対象に,彼らが空間の共有や共食をとおした親密な関係性を,だれとともに,いかなる社会的,政治的な環境のなかで構築しているのかに着目する。村の人口の大半を占めるフトゥの人びとは,紛争後も父系親族集団をもとに生活の基盤となる社会関係を再構成していた。一方で,家族や親族の大半を亡くしたトゥチの人びとのなかには,紛争後に制定された法や政策などの政治的な介入を利用することで,生存のための基本的な資源を得ることができるようになり,女性だけでの居住を可能にしている者がいた。さらに,ほかのトゥチの人びとのなかには,家の貸借や共住,共食といった日々の反復行為をとおして,おもにフトゥの近隣住民とのあいだに親密な関係性を醸成している者もいた。それは,近隣住民がトゥチの人びとの困難に対して,内発的に応答するという実践によって達成されていた。紛争後の親密な場の形成は,その多くがトゥチとフトゥという集団範疇の内部でおこなわれる傾向にあり,さらに政治的な介入は,現政権によって否定されたはずのエスニシティを再強化してもいた。しかし他方で,紛争後に創出される「歴史」からこぼれ落ちてしまう人びとの,語りえない経験や沈黙こそが,他者の困難への応答を導いてもいたのである。
著者
黒崎 龍悟 岡村 鉄兵 伊谷 樹一
出版者
日本アフリカ学会
雑誌
アフリカ研究 (ISSN:00654140)
巻号頁・発行日
vol.2014, no.85, pp.13-21, 2014

本稿では,タンザニア南部高地の農村において,近年になって地域住民が独力で進めている小型水力発電に着目し,こうした取り組みがどのように実現しているのかについて紹介する。タンザニア人口の約80%は無電化地域に居住し,そのほとんどが地方である。そのような地域でも電灯やラジオの利用といった基本的ニーズを満たす他,とくに近年では携帯電話の充電など,電力へのニーズは高まっている。本稿が対象とする小型水力発電は出力が数十ワット~数キロワットとごく小規模であるものの,照明やテレビ,養鶏,携帯電話,床屋などへの利用というように電力の用途は多様であり,経済機会の創出や農村の生活の活性化に寄与している。担い手は農民や大工,教員などであり,専門的な技術を学んだ経験があるわけではなく,近隣の教会関係者や,同じ取り組みを進める職人から実践的な技術や知識を得ていた。彼らは農業や職人仕事で得た収入をもとに,廃品や中古部品を最大限活用しながら,時間をかけた試行錯誤のなかで発電に成功している。また,そのために発電システムは持続可能性や再現可能性が担保されている。小型水力発電の特徴は,現代的ニーズを満たしつつもローカルに展開できる技術に根差しているところにある。また,こうした取り組みは住民にとって身近な共有物(コモンズ)である河川を利用するため,必然的に地域社会の理解や環境保全が求められる。アフリカの現代的ニーズに端を発した小型水力発電は,地域の内発的な発展につながる可能性がある。
著者
小野田 風子
出版者
日本アフリカ学会
雑誌
アフリカ研究 (ISSN:00654140)
巻号頁・発行日
vol.2016, no.89, pp.29-35, 2016-05-31 (Released:2017-05-31)
参考文献数
18

タンザニアのスワヒリ語作家ユーフレイズ・ケジラハビは,1990年代の二作の小説により,スワヒリ文学界に実験的小説をもたらした作家として知られる。本研究では,1974年に出版されたケジラハビの二作目の小説『うぬぼれ屋』Kichwamajiに見られる奇妙な結末に着目する。本作の主人公であり語り手でもあるカジモトは,最終章で自殺するに至る。しかし本作は通常の一人称小説とは異なり,語り手の死の時点では物語は終わらない。カジモトの死の直前に正体不明の別の語り手が語りを引き継ぎ,カジモトの死とその後の出来事を語るのである。小説の最後に語り手が交代するという構造はそれまでの語り手の相対化という効果を持つため,読者はカジモトの語りの再評価を強いられる。カジモトの語りを見なおすと,彼の自分についての語りは,彼や他の人々の実際の言動と矛盾していることがわかる。例えば彼はみずからを故郷の村から疎外されるエリートとして描写しているが,実際には村人と積極的に交流し,濃密な人間関係を築いている。本研究では,このような性質を持つ語り手カジモトを,現代文学理論で用いられる「信頼できない語り手」という用語で説明できることを示し,ケジラハビの初期作品に見られる実験性に光を当てる。
著者
六辻 彰二
出版者
日本アフリカ学会
雑誌
アフリカ研究 (ISSN:00654140)
巻号頁・発行日
vol.2002, no.60, pp.139-149, 2002-03-31 (Released:2010-04-30)
参考文献数
21

シエラレオネ内戦は複雑な経緯を辿ったが, それは主に武力行使に関与する国内アクターが離合集散を繰り返したことと, 政権が目まぐるしく交代したことによる。内戦発生以後のほとんどの政権に共通することは, 独自の紛争対応が困難であったため, 民兵や民間軍事企業に依存したことである。これらのアクターは革命統一戦線 (Revolutionary United Front: RUF) との軍事的対決に有効な機能を果たしたが, 必ずしも政権の管理下になかったため, 交渉の推進には消極的で, 内戦を長期化させる一因ともなった。他方, 当初平和維持活動以上の介入をみせたナイジェリアは長期の派兵に耐えきれず, 交渉の進展に積極的な対応をみせた。結果的に2002年1月の内戦終結宣言は, 紛争ダイヤモンド輸出と武器輸入の規制と並行した, 交渉促進のための国際的な取り組みに大きく負っている。しかし主な内戦発生要因のうち, 社会的不満を表明する手段の欠如は民主的政府の設立にともなう異議申し立ての機会の確保により, そしてRUFを支援する紛争支援国の活動は国際的監視により大きく改善されたが, 政治腐敗と結び付いた資源配分や地方の生活環境は未だに深刻であるため, 内戦が再燃する危険性は払拭されていない。
著者
佐藤 誠
出版者
日本アフリカ学会
雑誌
アフリカ研究 (ISSN:00654140)
巻号頁・発行日
vol.2007, no.71, pp.101-106, 2007-12-31 (Released:2012-08-13)
参考文献数
18
被引用文献数
1 1

アフリカにおける人間の安全保障研究が提起している第一の論点は,人間の安全保障概念の再検討である。そこでは,「人間」を個人に限定せずにコミュニティで生きる者として捉える視点,さらに個人やコミュニティごとに安全が不平等である現実を認識することが必要である。また人間中心主義ではなく,他の生命体と共生する安全保障でなければならない。第二の論点は,人間安全保障と国家(国民)安全保障との関連である。国家から国民の安全を守るだけでなく,国家の正統性を再構築し国家に国民の安全を守らせる課題が不可欠であることを,アフリカの現実は示している。第三の論点は,「欠乏からの自由」と「恐怖からの自由」およびダウンサイド・リスクへの対処という考え方に関わっている。アフリカにおける人間の安全保障研究は,大半が「欠乏からの自由」に集中している。だが,「恐怖からの自由」に対する侵害に目を瞑ったまま「欠乏からの自由」すなわち開発に集中するだけでは,アフリカの現実に向き合ったことにならない。ダウンサイド・リスクは重要な提起だが,公共領域の責任を問わずに私的な対応でリスクに対処させる方向性も秘めている。欠乏のみならず恐怖の現実にどうむきあうか,そこに一つの課題がある。