著者
吉田 毅
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究
巻号頁・発行日
vol.18, no.1, pp.43-58, 2010

<p> 本稿の目的は、オリンピック金メダリストがどのような競技生活を送って金メダル獲得に至ったのか、また、金メダル獲得は金メダリストのその後の人生にどのような影響を及ぼしているのかについて、競技者のキャリア形成の視点を踏まえ解明することであった。ここでは、冬季オリンピック、ノルディック複合団体で金メダルを獲得した日本チームの1人を事例とし、ライフヒストリー法を用いて検討した。<br> 氏は、スポーツ少年団で本格的なジャンプを、中学時代に複合を専門的に始めた。高校時代にはハードトレーニングに打ち込んだ結果、日本代表としてジュニア世界選手権に出場し、また、インターハイで優勝した。氏の競技者キャリアは、中学時代までは「導入・基礎期」、高校時代は「強化・飛躍期」、大学時代は「停滞期」、そして実業団時代が「仕上げ期」と捉えられる。これは、競技力養成という点で、早期には結果を求めるよりも基礎づくりが重要であることを示唆する1つのモデルとなり得るだろう。また、ピークに達する前段階での停滞が奏功したモデルともいえるが、氏はこの時期にもオリンピックに出場したいとの夢を保持していた。氏が金メダル獲得に至るまでには、金メダル獲得の追い風というべき運命的な要素がいろいろと見出された。おそらく金メダリストの競技者キャリアには、そうした運命的な要素を孕む金メダル獲得に至るストーリーがあるのだろう。 氏のこのストーリーには、さらに各段階の指導者、ならびに両親をはじめとした支援者と様々な他者が登場する。<br> 氏にとって、金メダル獲得は至福の体験であり、ほとんど良い意味で氏の人生を変えるものであった。例えば、世間の注目を浴び、あらゆる面で自信を得、多額の報奨金を得た。現役引退後のセカンドキャリア形成プロセスでは、学校等からの度々の講演依頼、また複合のテレビ解説依頼があり、仕事では知名度の高さが有利に働いた。</p>
著者
山本 敦久
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.119-128,139, 2001-03-21 (Released:2011-05-30)
参考文献数
14

本稿は、キックボクサーたちの試合に備えた禁欲的な生活や厳しいトレーニングによる身体の磨き上げのプロセスに注目し、なぜ彼らが身体的危険や苦痛が伴うにもかかわらず「闘い続ける」のかを、フィールドワークをもとにしながら分析した。第1に、試合前2週間の減量や欲望の抑制に注目し、ジムの選手たちの相互監視によって、身体が自己規律化されるプロセスに注目した。第2に、キックボクサーの禁欲的な生活実践と、彼らが生きている社会的コンテクストとの結びつきを分析した。第3に、それらをふまえた上で、なぜ彼らは「格闘し続けるのか」を分析した。その結果、彼らが生きてきた (生きている) 社会的な条件のもとで繰り返される欠如 (「ハングリーの場所」) の体験を刻み込んだ身体図式が、試合に備えて減量や欲望の抑制によって欠乏感を駆り立てる身体図式のパターンときわめて一致することが明らかとなった。そして、試合前の減量の体験や欲望の抑制による禁欲的な生活実践を繰り返していくうちに、そこから生みだされる欠乏感を格闘に向けていくことなしには、自分のアイデンティティを保てないほど、彼らは格闘を欲していくことになるのである。
著者
坂本 幹
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
no.14, pp.71-82,122, 2006

本研究は、ガーナの農村におけるサッカー活動について、フィールドワークに基づき経験的に描くことを目標にしたものである。具体的には、サッカーを通じて形成された社会関係が、「約束金」というローカルな試合システムを通じて、スポーツの場のみならず、日々の職探しや食物の相互提供といった生活保障システムに組み入れられていくダイナミズムに焦点を当てた。<br>このことを明らかにする理由は二つある。一つは、スポーツのような文化的活動が生活どころか「生存」レベルの危機を抱えている社会において行われることは稀であり、また仮に行われることがあっても、それは生活の根源的諸問題とは位相を異にした単なる娯楽活動であるとする、これまでの第三世界スポーツ論に通底した認識を打破するためである。<br>もう一つは、従来第三世界のスポーツ活動を扱った研究が、スポーツの実践されている場のみを対象化したものであり、その場を構成する人々が同時に生活の諸問題を抱え、それに対処していく「存在」であることを等閑視してきたことにある。しかしながら本稿で実証データから明らかにしたのは、村のサッカー選手たちが、グラウンドでの「最高の気分」と「生活不安」の双方を携えて生きていることであり、スポーツの活動が生活の場と密接につながっているばかりか、むしろ大変重要な機能を備えているということである。<br>本稿では、こうした生活保障システムを支える、人々の「生活の論理」について、人類学者のJ. スコットと松田素二の議論を参照し、それをガーナの村落における若者達のサッカー活動から検討する。
著者
岡田 桂
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.18, no.2, pp.5-22, 2010-09-30 (Released:2016-10-05)
参考文献数
38
被引用文献数
2

本稿では、スポーツがジェンダー/セクシュアリティ研究の対象として浮上してきた1970年代から現代までの約40年間について、研究と理論の変遷を概観し、後半部分では、その理論と対応する現実のスポーツ界での出来事を解説する。この際、スポーツをジェンダーおよびセクシュアリティ研究で扱う大きな意義として、以下の二点を前提とした。 1.スポーツという文化が、その当初より男性による実践を前提として発達してきた強固な男性ジェンダー領域(ホモソーシャルな領域)であること。 2.スポーツが、身体そのものを用いたパフォーマンスによって、その能力の優劣を可視的に提示するという、現代に残された数少ない身体を中心とした文化であること。 これらの特徴は、特に1990年代以降、クィア理論によって従来のジェンダー理解が覆されていくことで重要度を増している。即ち、スポーツがホモソーシャルな領域であると仮定すれば、従来「男性ジェンダー」領域とされてきたスポーツは、その“男らしさ”の定義の中に既に(ヘテロ)セクシュアリティの要素も含み込んでいることになる。また、 セックス(身体)とジェンダーの連続性が恣意的であり、ジェンダーがその絶え間ない身体的パフォーマンスの結果だとすれば、スポーツもまたその身体パフォーマンスのイメージによって仮構される男性ジェンダーの理想像を形作ってきたことになり、そのジェンダーの理想と身体を結びつけてきた神話も失効することになる。 これらの理論を踏まえた上で、現実のスポーツ界におけるジェンダー/セクシュアリティを巡る状況が、そのアイデンティティの普遍化/マイノリティ化(本質化)の間を揺れ動いていることを紹介し、理論や研究の流れと一致していることを示して結びとする。
著者
日下 裕弘
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
no.3, pp.27-36, 1995

本研究は、歴史を通じてわが国の代表的な余暇文化のひとつである湯浴の意味と、その文化的特性を明らかにすることを目的としている。<br>今日の「湯浴」の起源は、古代人の神聖な精神的風土としての「禊の精神」に根ざしており、「再生」という根源的意味を担っていた。わが国における湯浴の歴史は、このような神霊やどる古代の「ゆ」(斎川水)から、仏教による施浴、上流階層の御殿湯、および江戸庶民の「浮世風呂」等々を経て、現代の温泉や「お風呂」に至るまで、「聖」→「俗」→「遊」の発展過程を示すと同時に、そこには湯浴文化の階層下降現象が見られた。<br>世界中いたるところで見られる蒸風呂と湯風呂は、日本では江戸期に融合して「風呂」と称されるようになったが、日本人独特の風呂趣味は、温泉に恵まれた湿潤で寒暑の変化の激しい風土と、古代日本人の世界観、そして道教や仏教などの思想とによって醸成された「自然遊」(あるがままの自然に遊ぶこと) 感覚によって特徴づけられる。それらの契機は、長い歴史を経て融合し、世俗化・卑俗化すると同時に、身体化、即ち、無意識のレベルにおける「かくれた形」として定着し、湯浴を日常のあたりまえの習慣につくりあげた。即ち、世俗化したわが国の「湯浴」(あの世とこの世の中間に遊び、ふわっとなる、「自然になる」という感覚様式) 文化の基底には、「人間と自然の帰一」という文化原理 (エイドス) と「いのちの再生」という価値原理 (エトス) がある、ということができる。
著者
劉 傑
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.17, no.2, pp.3-14, 2009-09-30 (Released:2016-10-05)
参考文献数
11

2009年8月8日の早朝、北京のオリンピック公園で演出された太極拳大会は、「全民健身日」の開幕を世界に宣言するものであった。このことを報道した一部の中国のメディアは、オリンピック精神が中国人、とりわけ北京人の血液に深く浸透していると強調した。北京オリンピックは中国の大衆スポーツに火を点け、2009年は中国の「国民スポーツ元年」と称されるようになった。 北京オリンピックの影響はスポーツの分野に止まらず、2008年は中国が市民社会に向けて再出発する象徴的な年にもなった。拡張的な民族主義を煽ぐ『中国不高興』(不機嫌な中国)が売られる一方で、中国の世論形成に重要な影響力を持つ研究者はもちろんのこと、一般読者の間でも、この本の論調に対する批判がインターネットを舞台に繰り広げられた。多くの研究者はこの本に現れた世界認識と極端なナショナリズムの恐ろしさを指摘し、国際社会と協力しながら中国の未来を模索することの重要性を強調した。中国に健全な世論空間が生まれ始めている。 一応の豊かさを手に入れた人々は、中国社会が直面している格差の拡大、環境破壊、人権侵害などの問題にも関心を示すようになった。数百万個とも言われるNGOが中国社会の構造変動のなかで生まれた。オリンピック前後におけるこれらの組織の活躍は、伝統的な社会主義国家にありがちな「動員型」の愛国主義運動と違い、「自発的」な社会貢献であったため、中国に本格的な「公民社会」が到来したと宣言する研究者も多い。 北京オリンピックのキャッチフレーズは「同一個世界・同一個夢想One World, One Dream」であるが、このキャッチフレーズの背後で、激しい論争が繰り広げられていた。社会主義の中国が普遍的な価値を求める国際社会と共通の夢を追い求めることができるだろうか。活発な論争は、中国における言論空間の拡大を意味するもので、オリンピックが中国に与えた影響の大きさを象徴的に表している。
著者
スティーブ・ ジャクソン 熊澤 拓也 高尾 将幸
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.27, no.1, pp.3-18, 2019

この論文の目的は、ラグビーワールドカップ2019 日本大会の文化的モーメントと場を取り上げることで、スポーツ史上、最も成功しているチームであるラグビーのニュージーランド代表チーム、オールブラックスの状況について探究することである。より具体的には、(a)ニュージーランドラグビーとオールブラックスのプロ化と商業化の展開について、歴史的に概観し、(b)ニュージーランドラグビー協会(NZR)が直面した近年の課題とそれらに対する協会の反応について確認し、最後に、(c)ラグビーワールドカップ2019 という歴史的分岐点における、グローバルスポーツとしてのラグビーの状況について意見を述べる。
著者
陣野 俊史
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.26, no.1, pp.15-28, 2018

現代のフットボールは、試合スケジュールや選手の活動のあらゆる領域にまでスポンサーの統治の力が浸透している文化現象である。しかし他方でそれは、その時代の社会的諸問題を浮き彫りにするものでもある。本論は過去二十年のフランス代表チームを跡付けながらその社会的・歴史的背景を考察するとともにワールドカップというイヴェントがいかに解釈できるのかを論じる。1998年大会、社会的に移民規制が高まる中でのフランスの優勝は「統合」の機運を生み出した。様々なキャリアと人種の選手の集合体こそがフランス代表だった。そこではワールドカップは刹那的ではあるが統合の夢を生み出しうるものだった。だが2000 年代以降のフランス代表が露呈したのは分断の線であった。適度に貧しいという均質化した環境から代表選手を目指すプロセスの共通性は、ジダンの時代にはあったが、ドラソーの頃には消え失せていた。郊外の中でもとりわけ治安に問題のある地域「シテ」に出自を持つ選手たちと社会的エリート階層出身の選手たちとの間にある亀裂は、社会的分裂の象徴だった。その問題が大きく顕在化したのが、2010 年南アフリカ大会である。そのときワールドカップは、そうした問題を世界に向けてあからさまな形で発信するイヴェントとなった。人種的統合/排除、階層的分断といった問題だけでなく、フランスにとってワールドカップは過去の植民地問題があらためて交渉される場としての可能性を持つものでもある。2014 年大会では旧宗主国フランスと旧植民地アルジェリアの試合が実現する可能性があった。二つの国の人種・政治・差別の問題が複雑に絡まり合い「親善試合」が期待できない状況で、2014 年のアルジェリアの健闘は貴重な機会だった。旧宗主国と旧植民地の間の複雑な歴史を露呈させ、そのうえでそうしたいっさいを配慮せずに試合を実現できるのも、ワールドカップのもつ可能性である。
著者
渡 正
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.28, no.2, pp.27-41, 2020-09-30 (Released:2021-10-15)
参考文献数
19

本稿は、スポーツにおけるコーチングを指導者―選手間のコミュニケーションとして捉え、それがいかなる相互行為によって達成されているのかを提示するものである。それによってスポーツコーチングがスポーツ社会学にとっての重要な研究課題であることを示す。まず、日本のコーチング研究においてコーチングがどのように理解されているかを明らかにした。コーチングとは指導者と選手の「主観のチャンネル」を合わせること、との指摘があったもののその具体的内容は明らかになっていなかった。またテキストの検討からは「指導の方法」とされていることの多くが、「指導の種類、メニュー」の提示であり、具体的な指導手順の説明がないことが判明した。 次に社会学におけるエスノメソドロジー研究に基づくスポーツコーチング研究について検討を行った。指導は(1)コーチによる修正の開始、(2)間違いの提示、(3)解決策の提案という連鎖として提示されていた。特に、指導者による「失敗の再現」は、選手に何が失敗だったかの理解を作り上げる点で重要である。また、「ボールに関連したカテゴリー」やコートの空間的分割によって、選手の身体の相対的位置が規範的に決定されることが、指導者と選手双方の理解の資源となるという。 最後に、日本における大学フットサル部の練習についてその録画データの検討を行った。日本のスポーツコーチングにおいても、エスノメソドロジー的研究の結果と同様の相互行為の連鎖が析出された。これらのことから、スポーツコーチングのある場面においては、修正の開始、間違いの提示、解決策の提案という連鎖が基礎的な手順であることが確認できた。そしてこの手順が、練習あるいは指導において、指導者にとっても選手にとっても共通に理解可能で合理的なものとして秩序づけられ、利用されていることを明らかにした。
著者
井上 雅雄
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.17, no.2, pp.33-47, 2009-09-30 (Released:2016-10-05)
参考文献数
17

1990年代以降とくに顕著となった企業スポーツの危機は、従業員の一体感や凝集性を高めるための福利厚生施策の一環として誕生したという成立の経緯そのものにあり、その後企業の広告・宣伝の役割も付加されたり、あるいはCSR(企業の社会的責任)の観点から位置づけ直されたりするようになったとはいえ、それ自体、費用対効果の点から企業業績に左右される不安定性を内包するものであった。この企業スポーツの衰退は、それを有力な人的供給源とするプロスポーツの弱体化を招き、地域社会の疲弊を加速しかねない重大な問題である。それゆえに企業スポーツを個別の経営から自立させるために、地域を主体としたクラブチームへの移行やプロリーグへの発展が追求されてきたのであり、サッカーのJリーグと野球の独立リーグの誕生はその成果であった。しかし、それらがビジネスモデルとするべき日本のプロ野球は、最近一部に変化の動きはあるものの、長期にわたって「戦力の均衡」に基づく試合のダイナミズムを創出できなかったばかりか、企業経営としての自立性の欠如や権威主義的労使関係など多くの問題をかかえたままであった。 しかもわが国にあってプロスポーツ選手の法的地位は、他の先進諸国に比べ不安定であり、それが選手たちの職業としての安定性に深い影を落としている。むろんプロ野球選手の一部に特徴的な高額な年俸は、その高い身体能力とスキルに対する報酬ではあるが、その現役期間の短さを考慮すれば彼らにあっても選手生活の後の社会生活が問題であり、当然にもセカンドキャリアが重要となる。とりわけプロスポーツ選手に固有の専門スキルは、所属球団やクラブに限定されないいわば職業特殊的なものであり、一般企業に適用可能なスキルではないゆえにその緊要性は一層高い。この意味においてJリーグが先鞭をつけた選手に対するセカンドキャリア支援の試みは、注目に値する。 その上で看過してはならないことは、瞬時の決断力や高度な集中力あるいは克己心や耐久力、旺盛な行動力など、厳しい戦いの世界で培われたスポーツ選手のいわば人間力は、第二の職業世界においても確かな優位性をもつということである。今日、プロスポーツは、市場経済システムの猛威の果てに疲弊の度が一層深まっている地域社会の、コミュニティとしての再生を担う役割を期待されている。
著者
小林 勉
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.28, no.1, pp.37-57, 2020-03-31 (Released:2021-04-15)
参考文献数
26

スポーツは国際開発では新しい領域である。本稿では、21世紀に入り「スポーツ」の領域と「開発」の領域とが急速に接近した経緯を追いながら、SDGs時代にスポーツ界で何が起こっているのかについて概説する。SDGs時代のスポーツを解読していくためには、スポーツ界のみの動向を問うのではなく、まず何よりもSDGsに至る経緯を分析しなければならない。そこで本稿では、開発援助の領域において重要な枠組みになっている「国際レジーム論」の視点を援用して国際開発の枠組みの変遷を跡づける。そして、JICAにおける「スポーツと開発」事業やスポーツ庁が打ち出してきた国際戦略などを焦点化し、日本でどのような政策が立案されてきているのかについて明らかにしながら、日本の「スポーツ×開発」の本質的な問題について解題する。東京2020大会のムードを高める戦略やスポーツ庁またはJICAのアカウンタビリティの問題としてSDPを捉えるのではなく、スポーツ固有のアウトリーチ性を活かした支援によって、SDGsで掲げられた課題解決にいかに接合させられるのかが看過されている実態を浮き彫りにしながら、最終的に「スポーツ× SDGs」の時代を迎えつつある現在のスポーツの地平について批判的検討を試みる。
著者
市井 吉興 山下 高行
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.19, no.1, pp.55-72, 2011-03-20 (Released:2016-09-13)
参考文献数
36

本稿では、日本のマルクス主義のスポーツ研究の特徴を明らかにすることを試みる。この目的のため Carrington and McDonald により編集された近年のマルクス主義のスポーツ研究を分析した著作をとおし、英語圏のマルクス主義のスポーツ研究の推移を明らかにし、日本のマルクス主義のスポーツ研究と比較する。また日本のマルクス主義のスポーツ研究史を簡単に要約する。 私たちが結論とするのは、第一に、日本のマルクス主義のスポーツ研究は、実践的な観点から日本の資本主義社会で克服する必要のあるものとして、より多くスポーツそのものの課題に焦点を当てているように思える。第二に、スポーツに関して、たとえば日本共産党のような左翼政党とともに取り組むスポーツ運動が少なからず存在し続けていたことにある。初期において、それらはプロレタリア・スポーツ運動として始まったこと。そして、それらの諸運動は、日本のマルクス主義研究に影響を与え、アカデミックな研究においてさえ、その重要な背景の役割を果たしたことである。すなわち、そのことは日本のマルクス主義研究に実践的な性格を付与し、結果として、マルクス主義は他のスポーツ組織や学問と首尾よく共同することができたことである。 私たちは、変化する社会の中で現在のマルクス主義が、実践的レベルでも理論的レベルでも、直面している困難な課題に対して示唆することとしたい。
著者
坂本 幹
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.71-82,122, 2006-03-20 (Released:2011-05-30)
参考文献数
18

本研究は、ガーナの農村におけるサッカー活動について、フィールドワークに基づき経験的に描くことを目標にしたものである。具体的には、サッカーを通じて形成された社会関係が、「約束金」というローカルな試合システムを通じて、スポーツの場のみならず、日々の職探しや食物の相互提供といった生活保障システムに組み入れられていくダイナミズムに焦点を当てた。このことを明らかにする理由は二つある。一つは、スポーツのような文化的活動が生活どころか「生存」レベルの危機を抱えている社会において行われることは稀であり、また仮に行われることがあっても、それは生活の根源的諸問題とは位相を異にした単なる娯楽活動であるとする、これまでの第三世界スポーツ論に通底した認識を打破するためである。もう一つは、従来第三世界のスポーツ活動を扱った研究が、スポーツの実践されている場のみを対象化したものであり、その場を構成する人々が同時に生活の諸問題を抱え、それに対処していく「存在」であることを等閑視してきたことにある。しかしながら本稿で実証データから明らかにしたのは、村のサッカー選手たちが、グラウンドでの「最高の気分」と「生活不安」の双方を携えて生きていることであり、スポーツの活動が生活の場と密接につながっているばかりか、むしろ大変重要な機能を備えているということである。本稿では、こうした生活保障システムを支える、人々の「生活の論理」について、人類学者のJ. スコットと松田素二の議論を参照し、それをガーナの村落における若者達のサッカー活動から検討する。
著者
山崎 貴史
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.21, no.1, pp.85-100, 2013

1990年代以降、わが国における日雇労働市場の縮小は、多くの失業者を生み出し、都市の公共空間で居住する野宿者が急増した。駅舎・公園・道路などに起居した野宿者は、90年代から絶えずクリアランスの対象となってきた。そして、そのいくつかにはスポーツが大きく関連している。たとえば、2010年の宮下公園、2012年の竪川河川敷公園では、スポーツ施設の設置によって、野宿者の強制撤去が行われた。では、なぜ野宿者の排除にスポーツが用いられるのだろうか。そして、公園におけるスポーツ施設の設置はそこで暮らす野宿者にとって、どのような問題を孕んでいるのだろうか。<br> 事例としたのは、1997年と2004年に〈ホームレス〉対策としてスポーツ施設が設置された若宮大通公園である。この公園では、〈ホームレス〉対策として、スポーツ施設が設置されていった一方で、公園内で野宿者は居住を続け、ゲートボール場では炊き出しが行われている。本稿の事例からあきらかになったのは、第一に、スポーツ施設は公園内のオープンスペースを「スポーツする場所」に利用を限定することで、野宿者にとって、居住地を制限するものとして立ち現れる点である。 第二に、野宿者と支援者はスポーツ施設による居住や活動の制限を受けながらも、スポーツ施設を利用して居住し、スポーツ施設を居住地や「野宿者支援の場所」として意味づけしなおしていた点である。<br> このことから、最後に公園といった公共空間にスポーツ施設が設置されることの是非は、そこをどのように管理するかではなく、どのように利用されているかという視点から捉える必要性を指摘した。
著者
有元 健
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.23, no.2, pp.45-60, 2015-10-15 (Released:2016-10-07)
参考文献数
53

本論は、2020年東京オリンピック・パラリンピック開催を契機として新自由主義的な国策と都市形成が結びつきヘゲモニーを構築するあり方を、東京大会招致から決定後の諸言説・表象を素材として分析し批判するものである。本論はまず、「今、ニッポンにはこの夢の力が必要だ。」という招致スローガン及びポスターを記号論的に分析する。そこでは領土的な意味合いを視覚的に連想させる「日本」ではなく音声化された「ニッポン」という記号が用いられることによって情緒的なナショナリズムが喚起されると同時に、東京という個別的な都市が「ニッポン」に置き換えられることによって、個別の利益が全体の利益を代表=表象するというヘゲモニー構造が自然化される。本論は次に、東京大会開催決定後のエコノミストや都市政策専門家の新自由主義的言説の中で2020年東京大会がグローバル・シティとしての東京の都市開発戦略にどのように奪用されているかを分析する。そこではオリンピック開催を契機とした都市開発をめぐるユーフォリアがたきつけられながら、アベノミクスの経済政策と東京一極集中化が肯定されていく。だがそうした都市開発や経済政策の受益者は階級的に選択されたものとなる。本論は最後に、そこで語られるオリンピック・パラリンピック開催の「夢の力」が、現実にはどのような結果を導きうるのかを2012年ロンドン大会の事例を参照しながら批判的に捉えていく。レガシー公約とは反対に、ロンドン大会が生み出した都市のジェントリフィケーションは貧困層を圧迫し、またスポーツ普及は全体として進まず、参加者の階級的格差が広がっている。「夢の力」を当然のように期待し、それが良きものだと前提することは、オリンピック・パラリンピックというスポーツ文化を奪用しようとする限られた一部の特権的な受益者を批判する視点を失うことになる。
著者
西原 茂樹
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.21, no.1, pp.69-84, 2013

本稿の目的は、明治末期から昭和初期にかけての甲子園野球関連言説を読み解き、当時において「甲子園野球」という独特の対象が構築されていく有様を明らかにすることである。<br> 「純真」は1920~30年代の甲子園野球関連言説において頻繁に使用された用語である。これは当初は主催者である新聞社により、選手や関係者が努めて遵守すべき「標語」として位置づけられており、必ずしも甲子園野球のあり方そのものを表現するものではなかった。しかし1920年代半ば以降、様々な論者が最高峰たる東京六大学野球と対比しつつ甲子園野球を言説化していく中で、「純真」は六大学野球とは一味違うこのイベントの魅力を表現し得る用語として捉え直され、その結果、それを核として定型化された一連の「物語」が構築されることとなった。<br> そこから窺えるのは、存続の危機に晒された明治末期の野球界が生き残りをかけて確立させた「規範」としての「青年らしさ」が、草創期の甲子園大会の運営においても重要な前提となっていたこと、そして昭和初期に商業化の一途を辿る六大学野球への批判が拡大する中で、「青年らしさ」を正しく体現し得る「他者」として甲子園野球を捉える見方が定着し始めたことである。
著者
劉 傑
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.17, no.2, pp.3-14, 2009

2009年8月8日の早朝、北京のオリンピック公園で演出された太極拳大会は、「全民健身日」の開幕を世界に宣言するものであった。このことを報道した一部の中国のメディアは、オリンピック精神が中国人、とりわけ北京人の血液に深く浸透していると強調した。北京オリンピックは中国の大衆スポーツに火を点け、2009年は中国の「国民スポーツ元年」と称されるようになった。<br> 北京オリンピックの影響はスポーツの分野に止まらず、2008年は中国が市民社会に向けて再出発する象徴的な年にもなった。拡張的な民族主義を煽ぐ『中国不高興』(不機嫌な中国)が売られる一方で、中国の世論形成に重要な影響力を持つ研究者はもちろんのこと、一般読者の間でも、この本の論調に対する批判がインターネットを舞台に繰り広げられた。多くの研究者はこの本に現れた世界認識と極端なナショナリズムの恐ろしさを指摘し、国際社会と協力しながら中国の未来を模索することの重要性を強調した。中国に健全な世論空間が生まれ始めている。<br> 一応の豊かさを手に入れた人々は、中国社会が直面している格差の拡大、環境破壊、人権侵害などの問題にも関心を示すようになった。数百万個とも言われるNGOが中国社会の構造変動のなかで生まれた。オリンピック前後におけるこれらの組織の活躍は、伝統的な社会主義国家にありがちな「動員型」の愛国主義運動と違い、「自発的」な社会貢献であったため、中国に本格的な「公民社会」が到来したと宣言する研究者も多い。<br> 北京オリンピックのキャッチフレーズは「同一個世界・同一個夢想One World, One Dream」であるが、このキャッチフレーズの背後で、激しい論争が繰り広げられていた。社会主義の中国が普遍的な価値を求める国際社会と共通の夢を追い求めることができるだろうか。活発な論争は、中国における言論空間の拡大を意味するもので、オリンピックが中国に与えた影響の大きさを象徴的に表している。
著者
チョン ヒジュン トンプソン リー
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.17-24, 2007-03-20 (Released:2011-05-30)
参考文献数
10

本稿は、2002年サッカーワールドカップが韓国社会にもたらした劇的な社会政治的影響を分析し、それに基づいて2006年大会を考察する。2002年ワールドカップ大会は保守的な影響と進歩的な影響、という両方の逆説的影響があった。韓国代表チームの成功とその結果として生まれた応援は、長らく権威主義と家父長制的保守主義に支配されていた韓国に、革新的政権が誕生する決定的な要因であった。ワールドカップは階級や地域や性別などに分裂していた韓国社会を統合することができた。しかし、その統合はナショナリズムによるものであった。韓国代表の勝利によって引き起こされた狂気は、一部の知識人にはファシズムの現れとみなされた。レッドデビル現象の特徴は盲目的な愛国主義と歪曲されたナショナリズムが、政治的無関心を煽り個人の主体性を抑制する群集心理であった。それに加え、開催期間中に起こった多くの重要な政治的社会的出来事は、メディアによって無視され、忘れられたりもした。2002年に比べて2006年ワールドカップは、それと違う体験を韓国の人々に与えた。代表チームが勝ち進むにつれて国中が次第に熱狂していった2002年に対して、2006年には開催の数ヶ月前から様々な問題が出始めた。特に、民間放送局による全面的放送はチャネルを選ぶ権利を視聴者から奪った。メディアと資本とスポーツの三角同盟には研究しなければならない問題がたくさんある。
著者
瀧澤 利行
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.15-30, 2009

体力の概念は、前近代日本の健康思想の展開においては決して一般的ではなかった。明治維新以前の日本においては、養生が健康の維持と寿命の延長に関わる基本的な思想であった。 養生は、東洋文化における生命の賦活と日常生活における摂生のための思想である。日本においても、 江戸時代(1603-1867)の間、養生論の刊行は次第に増加していった。<br> 明治新政府は、個人の健康維持に関わる概念として養生に代わって衛生を採用した。明治前半期の衛生思想の下では、「体力」は人々がどの程度働くことができたかを示す概念としてみなされていた。明治後半期になると養生や衛生の本質は、社会や国家の事項を包含すべく敷衍されていった。 伊東重は、『養生哲学』と題された著書を刊行し、その著書において、政府が「国家の養生」を実施すべきであると主張した。また、衛生局長を務めた後藤新平は、彼の主著である『国家衛生原理』において、富国強兵のための健康管理と衛生行政の理論を創出した。後藤や伊東に代表される明治期の衛生思想の基本原理は、主として社会ダーウィニズムと社会進化論に基づいていた。この理論の下では、個人の健康は国家経済の発展と軍事力の増大に関連するとみなされたのである。<br> 他方では、国民総体の健康について考えるという視点は、彼らの健康水準を平等化することを目的とした社会衛生思想を受容する契機となった。社会衛生学・労働科学の先駆者であった暉峻義等は、産業国家の発展の立場から、労働者における体力を充実させる必要性を指摘した。その暉峻は第2次世界大戦の下では、労働者が国家における人的資源であることを認識し、また、労働の体力は日本の軍事力そのものであると主張した。このように、社会衛生の理論は、次第に人間の健康を国家の資本として見なす側面を含んでいった。<br> 日本における社会衛生から公衆衛生への主潮の変化は、予防医学と健康教育に重点を置いていたアメリカ合衆国の公衆衛生政策の影響を受けた。それは次第に国際的な公衆衛生運動としてのヘルスプロモーション運動に展開していった。その過程で、体力の問題は、生活習慣病の予防と個人的な活動的な生活の文脈に向かって個人化されてきた。 そのような状況の下では、体力の社会的かつ文化的な側面から再考することが不可欠である。