著者
鷲見 みゆき 大泉 宏 三井 翔太 崎山 直夫 鈴木 聡 樽 創
出版者
日本セトロジー研究会
雑誌
日本セトロジー研究 (ISSN:18813445)
巻号頁・発行日
vol.33, pp.1-7, 2023-11-20 (Released:2023-11-30)

スジイルカStenella coeruleoalbaは,世界中の熱帯から温帯の海域にかけて広く分布するハクジラ亜目に属する小型鯨類である.本研究では,本種の食性解明のための基礎的知見を得ることを目的として,2019年1月から2021年5月までに相模湾の神奈川県沿岸に漂着した10個体の胃内容物を調査した.その結果,6個体の胃から頭足類(カギイカ,ホタルイカモドキなど5科3種)の顎板,魚類(ハダカイワシ,オオクチイワシなど2科3種)の耳石が確認された.魚類・頭足類ともに日周鉛直移動を行う中・深層性の種が主体であったことから,漂着したスジイルカ6個体が索餌のため中・深層まで潜水したか,或いは夜間に表層へ浮上した小型遊泳動物を採餌していたことが示唆された.
著者
宇仁 義和 岡部 孝大 今井 康貴
出版者
日本セトロジー研究会
雑誌
日本セトロジー研究 (ISSN:18813445)
巻号頁・発行日
vol.24, pp.23-25, 2014 (Released:2019-12-04)

2013年7月5日、知床半島西側の岸近くでセミクジラが観察された(北緯44度15分、東経145度12分)。これは1968年サハリン島南沖で日本が調査捕獲して以来、初めてとなるオホーツク海南部での確実な観察記録である。
著者
宇仁 義和
出版者
日本セトロジー研究会
雑誌
日本セトロジー研究 (ISSN:18813445)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.9-16, 2017 (Released:2019-12-04)

1900年前後にヘンリク・メルソムが撮影した極東のガラスネガ50枚余りがノルウェーの博物館に保存されていた。これらのなかから、朝鮮半島沿岸の捕鯨に関連する写真13枚について、撮影地や被写体を調べて比定した。写真には、蔚山の長生浦捕鯨事業場や長箭湾と金剛山、ロシア太平洋漁業会社の捕鯨船ギヨルギー号と乗組員や長崎捕鯨に傭船されたメイン号、長崎の世界文化遺産の小菅修船場などが含まれていた。20世紀初頭の朝鮮半島沿岸の捕鯨に関した写真はめずらしく、良好な画質はとくに貴重である。
著者
石川 創
出版者
日本セトロジー研究会
雑誌
日本セトロジー研究 (ISSN:18813445)
巻号頁・発行日
vol.24, pp.1-10, 2014 (Released:2019-12-04)

1970年代中旬から1980年代前半にかけて,今ならば魚市場の祭りなどで盛んに行われている「マグロの解体ショー」と類似した「鯨の解体ショー」と呼ばれるイベントが国内各地で行われていた.すなわち4~5 mの鯨を丸のまま会場に持ち込み,観客の前で解説をしながら専門業者が解体し,生肉を即売する形態のイベントである.しかし,日本の近代捕鯨史に関する様々な書物や資料をあたっても,鯨の解体ショーに関する記述は皆無に近い.このため下関海洋科学アカデミー鯨類研究室では,昭和時代に開催された鯨の解体ショーの実態把握と当時の日本人の生活文化に与えた影響を考察することを研究課題とし,調査を続けている.これまでの調査で,当時鯨の解体ショーを専業で行っていた方から聞き取りを行った他,インターネット情報,一般市民から得られた情報等を基に,地方紙記事検索や現地問い合わせを行い,1975年から1983年までの17件で開催場所と時期をほぼ特定した他,少なくとも6件の開催を確認した.地域は東北地方から関東,中部,中国,近畿,四国,九州地方まで多岐にわたり,スーパーマーケットやデパートの特売,商店街のイベント,農業祭など地域の祭り等で多く開催されていた.業者は注文を受けると,2tトラックに生あるいは解凍したゴンドウクジラ(内臓抜き)を積み,解体者および解体助手(兼運転手)の2名で現地へ向かった.基本的に業者は解体のみ請け負い,鯨肉の販売は主催者側が行った.鯨の解体ショーの特徴は,現地で解体販売した鯨肉の売り上げが主催者の収益となることで,主催者側に集客以上の利点があったこと,当時鯨肉は食べていても実物の「鯨」を見る機会がない人々に大きなインパクトがあったことから,解体前に展示会を行っていたりしたこと,都市部のみならず山間部での事例が多い一方で魚市場や港での開催が確認されなかったことなどが挙げられる.
著者
森満 保 河野 正 平井 卓哉 栗田 壽男
出版者
日本セトロジー研究会
雑誌
日本セトロジー研究 (ISSN:18813445)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.7-12, 2010 (Released:2019-12-04)

2009年3月19日.宮崎県串間市大字大納恋ヶ浦の浜辺に単独座礁死したハナゴンドウ(雄)の、聴器の病理組織所見を報告した。両側鼓室胞内から、クラシカウダ属寄生虫、各十隻前後を採取した。鯨石の脱灰・HE染色による病理組織検査では、内耳炎の所見は無く、ラセン神経節にも著変を認めなかった。しかし内耳道内の蝸牛神経は、道底近辺では略正常であったが、中間部から中枢側まで、高度の変性と崩壊を認めた。また周耳骨周囲の結合組織内に散在する寄生虫卵と、輪切りにされた寄生虫体を認め、更に蝸牛周辺の結合組織内に著明な石灰化巣を認めた。顔面神経は略正常であった。単独上陸死の原因として、クラシカウダの異所寄生(聴器)により、エコーロケーション機能を失ったための採餌不能・飢餓衰弱を推測した。
著者
南部 久男 徳武 浩司 石川 創 大田 希生 藤田 健一郎 山田 格
出版者
日本セトロジー研究会
雑誌
日本セトロジー研究 (ISSN:18813445)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.17-22, 2009 (Released:2019-12-04)

2005年春に東京湾に出現したコククジラの出現状況を調査した。このコククジラは4月中旬から5月初旬にかけて東京湾内で目撃され、5月11日に千葉県南房総市旧富山町沖1kmの小型定置網で混獲されて死亡した。筆者等は5月5日から10日の間に東京湾の3海域(千葉県袖ヶ浦市沖、同県習志野市沖、神奈川県横須賀市〜横浜市沖)でこのコククジラを観察する機会を得た。いずれの出現海域も沿岸の浅海で、袖ヶ浦市沖(沖合50〜100m、最短20m程)と習志野市沖(沖合10m〜100m)では索餌をしていたと考えられ、横須賀市〜横浜市沖(沖合100〜1400m、水深11〜18m)では沿岸にそって北へ遊泳していた。本個体は東京湾へ迷入したものと思われる。観察結果からは泥底での摂餌嗜好性、北上しようとする意図があった可能性などを窺うことができた。
著者
石川 創
出版者
日本セトロジー研究会
雑誌
日本セトロジー研究 (ISSN:18813445)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.1-5, 2013 (Released:2019-12-04)
被引用文献数
1 1

山口県内におけるスナメリNeophocaena phocaenoidesの地方名(別名)について、県内の漁業協同組合へのアンケートおよび聞き取りで調査を行った。回答数はのべ49件で20種の名前が収集できた。スナメリの地方名は県東部(柳井市、上関町、周防大島町等)では「デゴンドウ」が最も多く、デゴン、レゴンドウなど同じ語源から派生したと思われる「ゴンドウ」のつく名称が多かった。一方、県西部(山口市~下関市)では「ナメ」「ナメット」など「ナメ」のつく名称が多く、東西ではっきりと呼称が分かれた。この他「ボウズ」の名称が東西両方で見られた。明治以前の文献を見ると、スナメリの呼称は「ナメリ」「ナメイヲ」など「ナメ」を含む名称が最も古く、「デゴンドウ」は広島県や周防大島等で使われていた「ゼゴンドウ」の名称が語源である可能性が高い。現在の「スナメリ」の名前は、1808年の鯨史稿に記載されたことに基づくと推測される。
著者
小林 駿 桑原 剛志 川上 萌 能登 文香 天野 雅男
出版者
日本セトロジー研究会
雑誌
日本セトロジー研究 (ISSN:18813445)
巻号頁・発行日
no.30, pp.1-5, 2020 (Released:2020-11-13)

オスのマッコウクジラ(Physeter macrocephalus)は,性成熟前に出自集団を離れてオスだけの群れを形成する.商業捕鯨期には独身オス群と呼ばれる密集したオスの群れについて度々報告がなされたが,近年の調査でオスは一日の大半の時間散開して採餌しており,密集した群れ(クラスター)は滅多に形成しないことが明らかになっている.2019年9月16日,北海道根室海峡にマッコウクジラの大群が来遊した.およそ1海里(1852m)の範囲内にいる約30頭が5分程度の潜水と浮上を繰り返しながら同調的に移動し,浮上時には様々なサイズのクラスターを形成した.この日確認された最大のクラスターは18頭で,根室海峡で調査を開始した2006年以降に目撃されたものの中で最大であった.この日観察した個体はいずれも体長10 m前後で,通常この海域で見られる個体よりも小さく,子連れの個体が見られなかったことから,性成熟前のワカオスだと考えられた.また船上からの観察中,この集団は一般的な水平移動速度よりも速い速度で移動し,メスの群れが捕食者に襲われた際にとるマーガレットフォーメーションに似た陣形を二度に渡って組んだ.今回のように大規模で密集したオスの群れやその行動についてはこれまでに観察例がなく,オスの社会構造を理解する上で重要な知見であると考えられる.
著者
石川 創
出版者
日本セトロジー研究会
雑誌
日本セトロジー研究 (ISSN:18813445)
巻号頁・発行日
no.24, pp.1-10, 2014

1970年代中旬から1980年代前半にかけて,今ならば魚市場の祭りなどで盛んに行われている「マグロの解体ショー」と類似した「鯨の解体ショー」と呼ばれるイベントが国内各地で行われていた.すなわち4~5 mの鯨を丸のまま会場に持ち込み,観客の前で解説をしながら専門業者が解体し,生肉を即売する形態のイベントである.しかし,日本の近代捕鯨史に関する様々な書物や資料をあたっても,鯨の解体ショーに関する記述は皆無に近い.このため下関海洋科学アカデミー鯨類研究室では,昭和時代に開催された鯨の解体ショーの実態把握と当時の日本人の生活文化に与えた影響を考察することを研究課題とし,調査を続けている.これまでの調査で,当時鯨の解体ショーを専業で行っていた方から聞き取りを行った他,インターネット情報,一般市民から得られた情報等を基に,地方紙記事検索や現地問い合わせを行い,1975年から1983年までの17件で開催場所と時期をほぼ特定した他,少なくとも6件の開催を確認した.地域は東北地方から関東,中部,中国,近畿,四国,九州地方まで多岐にわたり,スーパーマーケットやデパートの特売,商店街のイベント,農業祭など地域の祭り等で多く開催されていた.業者は注文を受けると,2tトラックに生あるいは解凍したゴンドウクジラ(内臓抜き)を積み,解体者および解体助手(兼運転手)の2名で現地へ向かった.基本的に業者は解体のみ請け負い,鯨肉の販売は主催者側が行った.鯨の解体ショーの特徴は,現地で解体販売した鯨肉の売り上げが主催者の収益となることで,主催者側に集客以上の利点があったこと,当時鯨肉は食べていても実物の「鯨」を見る機会がない人々に大きなインパクトがあったことから,解体前に展示会を行っていたりしたこと,都市部のみならず山間部での事例が多い一方で魚市場や港での開催が確認されなかったことなどが挙げられる.
著者
本間 義治 古川原 芳明
出版者
日本セトロジー研究会
雑誌
日本セトロジー研究 (ISSN:18813445)
巻号頁・発行日
no.17, pp.1-4, 2007 (Released:2019-12-04)

1994年以来続けてきた佐渡海峡の新潟~両津間における佐渡汽船ジェットフォイル並びにカーフェリーによる鯨類目撃記録を、2005年分も整理してみた。22回目撃されたが、1頭のみのことが多く、6回がカーフェリー、16回がジェットフォイルで、例年の記録より少なかった。目撃数は5月が最多で、4月、3月と続き、従来と異ならなかった。時間帯は午前は8時前後、午後は2時頃が多かった。同一日における複数目撃は、2回のみであった。浮遊物との接触事故は、2005年11月19日にジェットフォイルが1回起こしたのみで、軽度なため人身事故に至らなかった。本邦のみならず世界的に高速船の衝突事故が増えてきているので、接触回避策などについて議論した。
著者
市森 大地 鈴木 駿介 小島 千里 石森 謙太郎 杉谷 舞 松田 純佳 小野 雄大 松石 隆
出版者
日本セトロジー研究会
雑誌
日本セトロジー研究 (ISSN:18813445)
巻号頁・発行日
no.23, pp.29-33, 2013
被引用文献数
2

10年間通年にわたって津軽海峡で実施している鯨類目視調査計375回で発見された全鯨種について集計し、その出現の季節性と経年変化を検討した。この期間に発見された鯨類は1,876群19,065頭となり、カマイルカ、イシイルカ、ネズミイルカ、ミンククジラ、ハンドウイルカ、マイルカ、シャチの少なくとも7種類の鯨類が発見された。シャチを除く6種が4月~6月に発見頭数のピークを迎えた。一方8月~10月はどの種も遭遇率が少なく、カマイルカとネズミイルカを除く5種は、10年間に1度もこの時期の発見がなかった。ネズミイルカは、遭遇率が年々有意に増加していた。マイルカとハンドウイルカは2004年以降発見されなくなった。一方、シャチは2009年以降に発見されるようになった。
著者
石川 創
出版者
日本セトロジー研究会
雑誌
日本セトロジー研究 (ISSN:18813445)
巻号頁・発行日
no.24, pp.1-10, 2014 (Released:2019-12-04)

1970年代中旬から1980年代前半にかけて,今ならば魚市場の祭りなどで盛んに行われている「マグロの解体ショー」と類似した「鯨の解体ショー」と呼ばれるイベントが国内各地で行われていた.すなわち4~5 mの鯨を丸のまま会場に持ち込み,観客の前で解説をしながら専門業者が解体し,生肉を即売する形態のイベントである.しかし,日本の近代捕鯨史に関する様々な書物や資料をあたっても,鯨の解体ショーに関する記述は皆無に近い.このため下関海洋科学アカデミー鯨類研究室では,昭和時代に開催された鯨の解体ショーの実態把握と当時の日本人の生活文化に与えた影響を考察することを研究課題とし,調査を続けている.これまでの調査で,当時鯨の解体ショーを専業で行っていた方から聞き取りを行った他,インターネット情報,一般市民から得られた情報等を基に,地方紙記事検索や現地問い合わせを行い,1975年から1983年までの17件で開催場所と時期をほぼ特定した他,少なくとも6件の開催を確認した.地域は東北地方から関東,中部,中国,近畿,四国,九州地方まで多岐にわたり,スーパーマーケットやデパートの特売,商店街のイベント,農業祭など地域の祭り等で多く開催されていた.業者は注文を受けると,2tトラックに生あるいは解凍したゴンドウクジラ(内臓抜き)を積み,解体者および解体助手(兼運転手)の2名で現地へ向かった.基本的に業者は解体のみ請け負い,鯨肉の販売は主催者側が行った.鯨の解体ショーの特徴は,現地で解体販売した鯨肉の売り上げが主催者の収益となることで,主催者側に集客以上の利点があったこと,当時鯨肉は食べていても実物の「鯨」を見る機会がない人々に大きなインパクトがあったことから,解体前に展示会を行っていたりしたこと,都市部のみならず山間部での事例が多い一方で魚市場や港での開催が確認されなかったことなどが挙げられる.
著者
関谷 伸一 南部 久男 西岡 満 西脇 薫 栗原 望 田島 木綿子 山田 格
出版者
日本セトロジー研究会
雑誌
日本セトロジー研究 (ISSN:18813445)
巻号頁・発行日
no.21, pp.1-8, 2011
被引用文献数
1 3

カマイルカの頚椎と腕神経叢を、肉眼解剖学的に検討した。7個の頚椎のうち、環椎と軸椎はほぼ完全に融合していたが、第3頚椎以下は分離したままであった。腕神経叢は第3-8頚神経(C3-C8)および第1胸神経(T1)から構成された。これらの7本の神経根が合流しあい、左側で3本、右側で4本の神経幹となった。これらの神経幹が合して、一本の背腹に扁平な帯状の神経束となり、腋窩に達した後、上肢帯筋の筋枝と胸びれの神経を放射状に分岐した。横隔神経と肩甲上神経は、腕神経叢の頭側縁から分岐した。胸筋神経は神経束の腹側面から分岐した。神経叢の背側面からは、肩甲下神経、腋窩神経、橈骨神経、大円筋枝と広背筋枝が分岐した。正中神経と尺骨神経は共同幹をなし、前腕で多数の皮枝を分岐したのち、掌側指神経となった。この共同幹の近位部から、筋皮神経と思われる枝が分岐した。costo-coracoid筋(小胸筋)には胸筋神経と横隔神経からの枝、あるいは腕神経叢から直接分岐した枝が分布していた。頚部の短縮にともなって、腕神経叢を構成する脊髄神経の分節数が増加することがうかがえた。
著者
関谷 伸一 南部 久男 西岡 満
出版者
日本セトロジー研究会
雑誌
日本セトロジー研究 (ISSN:18813445)
巻号頁・発行日
no.21, pp.1-8, 2011-06
被引用文献数
1

カマイルカの頚椎と腕神経叢を肉眼解剖学的に検討した。7個の頚椎のうち、環椎と軸椎はほぼ完全に融合していたが、第3頚椎以下は分離したままであった。腕神経叢は第3-8頚神経(C3-C8)および第1胸神経(T1)から構成された。これらの7本の神経根が合流しあい、左側で3本、右側で4本の神経幹となった。これらの神経幹が合して、一本の背腹に扁平な帯状の神経束となり、腋窩に達した後、上肢帯筋の筋枝と胸びれの神経を放射状に分岐した。横隔神経と肩甲上神経は、腕神経叢の頭側縁から分岐した。胸筋神経は神経束の腹側面から分岐した。神経叢の背側面からは、肩甲下神経、腋窩神経、橈骨神経、大円筋枝と広背筋枝が分岐した。正中神経と尺骨神経は共同幹をなし、前腕で多数の皮枝を分岐したのち、掌側指神経となった。この共同幹の近位部から、筋皮神経と思われる枝が分岐した。costo-coracoid筋(小胸筋)には胸筋神経と横隔神経からの枝、あるいは腕神経叢から直接分岐した枝が分布していた。頚部の短縮にともなって、腕神経叢を構成する脊髄神経の分節数が増加することがうかがえた。We observed the cervical vertebrae of a Pacific white-sided dolphin, and examined gross anatomically the brachial plexus of a specimen stranded at Toyama bay in 2003. The atlas and the axis were fused into one unit. The rest of the cervical vertebrae were free. The brachial plexuses on both sides were formed by the union of the ventral rami of the lower six cervical nerves and the first thoracic nerve. These roots fused with each other to form three trunks on the left side and four trunks on the right side. On both sides, these trunks fused into one band-shaped fascicle. At the axilla, the fascicle radially gave off many nerve branches.The phrenic nerve and the suprascapular nerve arose from the cranial margin of the plexus. The pectoral nerves arose from the ventral surface of the brachial plexus. In contrast, the subscapular, the axillar, the radial, and the thoracodorsal nerves arose in turn from the dorsal surface of the brachial plexus. The median and ulnar nerves reached the forearm as a common trunk and gave off many cutaneous branches for the skin of the palmar surface of the flipper, and terminated as the palmar digital nerves. The costo-coracoid muscle was innervated by branches from the pectoral nerve and the phrenic nerve and, on occasion, a branch divided directly from the brachial plexus.The present study and a survey of the literature suggest that the more compressed in length the cervical vertebrae, the greater the increase in number of the ventral rami of the spinal nerves which form the brachial plexus.