著者
佐竹 健治
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

北海道東部沖の千島海溝ではM8クラスの大地震が約70年程度の繰り返し間隔で発生しているが,17世紀にはより大規模な地震が発生したことが,北海道東部の太平洋沿岸における津波堆積物調査から明らかにされている(Nanayama et al., 2003, Nature). 17世紀には北海道南西部の3火山,駒ヶ岳(1640年Ko-d, 1694年Ko-c2) , 有珠山(1663年Us-b),樽前山(1667 Ta-b, 1739 Ta-a)が一斉に噴火している.じっさい,17世紀の津波によって運ばれた砂層は,これらの火山灰層の直下に位置しており,海岸で標高約20 m(平川,2012,科学)に達したほか,海岸から数kmまで追跡された.17世紀に発生した巨大地震のメカニズムを調べるため,Satake et al. (2008,EPS) は プレート境界断層(深さ50㎞までと深さ85㎞まで)と海溝付近の津波地震モデルについて津波シミュレーションを行い,沿岸5か所の湿地帯における浸水域と津波堆積物の分布を比較した.その結果,十勝沖~根室沖の長さ300 km,幅100 km,深さ17-51㎞の断層面上で,すべり量は十勝沖で10 m,根室沖で5 mというモデル(十勝沖と根室沖のプレート間地震の連動モデル, Mw 8.5)が,津波堆積物の分布をほぼ説明できるとしたが,海岸での津波の高さは最大10m程度であった.Ioki and Tanioka (2016, EPSL)は,上記のモデルに加えて,海溝軸付近のすべりを25 mとすれば,沿岸での津波高さが20m以上になり,17世紀の津波堆積物をすべて説明できるとした.このモデルのMwは8.8である.北海道の沿岸部では,17世紀よりも古い津波によるとされる砂層が,10世紀の火山灰層(B-Tm)の上にもう1枚,B-TmとTa-c2(樽前火山の約2500年前噴火による火山灰)との間に3-4層あることから,17世紀と同様な津波はおよそ500年間隔で発生したとされている (Nanayama et al., 2003).Sawai et al. (2009, JGR)は,過去6000年間に発生した15回の津波の間隔が,平均約400年だが100-800年とばらつくことを示した.道南の3火山は,千島弧でなく東北日本弧に属することから,17世紀の一斉噴火に関連するのは,千島海溝の巨大地震ではなく,日本海溝の巨大地震かもしれない.日本海溝北部では1611年慶長地震が発生し,津波によって多くの死者が発生した.この地震による津波は三陸沿岸や仙台平野では2011年と同様な被害を生じている一方,地震動による被害は知られていないことから,津波地震であるとされている.しかし,他の津波地震(例えば1896年三陸津波地震)のように海溝付近のみで断層運動が起きた場合,それが火山活動に影響するとは考えにくい. 1611年慶長地震が17世紀の千島海溝の地震ではないかという考えもあるが,千島海溝の波源で三陸海岸や仙台平野の津波高さ・浸水域を再現するためには,上記のモデルの3倍程度のすべり量が必要である(岡村・行谷,2011,活断層・古地震研究報告).また,釧路市春採湖湖底コアの年縞からは,17世紀の津波の発生は1636年とされている(石川他,2012,連合大会).なお,北東北(盛岡や弘前)では,1650年頃からは藩の日記が残っており,千島海溝の地震は有感地震として記録されているはずである(佐竹,2002,歴史地震).17世紀の北海道南部の3火山の一斉噴火と千島あるいは日本海溝の巨大地震の関連性を議論する際,一斉噴火は過去数千年間で唯一の現象であるのに対し,津波堆積物をもたらした巨大地震はおよそ500年間隔で繰り返してきたことにも注意する必要がある.
著者
近藤 久雄 谷口 薫 杉戸 信彦
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2014年大会
巻号頁・発行日
2014-04-07

糸魚川-静岡構造線活断層系(以下,糸静線活断層系)は,1980年代以降に精力的に実施された詳細な古地震学的調査によって,近い将来に内陸大地震を生じる断層系の1つと考えられている(例えば,奥村ほか,1994;地震調査研究推進本部地震調査委員会,2003).糸静線活断層系におけるトレンチ調査等の地点数は約44地点にわたり,日本の内陸活断層帯の中で最も高密度に古地震学的調査が実施されてきた(例えば,糸静線活断層系発掘調査研究グループ,1988など).これらの成果では,断層系最北端を構成する神城断層から下蔦木断層に至る区間(北部-中部区間:奥村ほか,1998)の最新活動時期が約1200年前と推定され,西暦841年もしくは西暦762年地震のいずれかに対比されるものと考えられてきた.甲府盆地の西縁付近を延びる南部区間では約1200年前とは異なり,より古い活動時期が推定されている(遠田ほか,1995;2000).一方,上述の神城断層から下蔦木断層に至る区間が連動型の1つの大地震であったのか,という点については課題が残されている.横ずれ成分を主体とする中部区間の中で,断層系のほぼ中央部に位置する諏訪湖周辺では盆地縁辺部を限る正断層群が発達し(例えば,今泉ほか,1997),同断層系で最も大規模な構造境界をなす.この盆地の成因については議論があるものの,最近検出された横ずれ地形(近藤・谷口,2013)等から判断して,藤森(1991)が指摘したように左横ずれ断層のステップ・オーバーに伴い形成されたプルアパート盆地である可能性が高い.すなわち,諏訪湖堆積盆地が断層セグメント境界をなすと考えられる.その一方では,糸静線活断層系の最新活動ではいずれかの歴史地震において諏訪湖セグメント境界を乗り越えて破壊が進展したとみなされてきた.しかし,例えば,諏訪湖堆積盆地の南東を延びる茅野断層におけるジオスライサー調査では最新活動時期は約2300年前であり,約1200年前のいずれの歴史地震でも活動していない(近藤ほか,2007).そこで,この諏訪湖セグメント境界周辺の最新活動時期をさらに高密度に復元することにより,諏訪湖セグメント境界の連動性を古地震学的に再検討した.諏訪湖セグメント境界の北西側付近に位置する岡谷断層・郷田地点では,トレンチ調査の結果,過去4-5回の活動時期が明らかとなり,最新活動時期が1660+-30 y.B.P.以降と推定された(近藤ほか,2013).さらに,諏訪湖セグメント境界の北東側に位置する諏訪湖北岸断層群・四賀桑原地点においてピット掘削調査を実施し,正断層運動に伴うとみられる傾斜不整合イベントをみいだした.この傾斜不整合の年代は2490±30から7710±40y.B.Pに限定され,少なくとも約1200年前の大地震に伴うものとは考えられない.さらに,下諏訪町下山田地点において実施したトレンチ・ボーリング調査では,沖積扇状地面を切る比高約2mの低断層崖が1790+-30から6750+-30y.B.P.に形成された可能性があり,現在さらに詳細を検討している.これらの諏訪湖セグメント境界とその周辺の最新活動時期からみて,諏訪湖北岸断層群および諏訪湖南岸断層群では最新活動時期が約1200年前よりも古く,西暦841年と西暦762年地震のいずれにおいても活動していない.したがって,約1200年前の歴史地震に伴い神城断層から下蔦木断層に至る区間が連動して1つの大地震を生じたとは考えられない.すなわち,神城断層から牛伏寺断層ないし岡谷断層までを含む区間と,釜無山断層群から下蔦木断層までを含む区間が約1200年前にそれぞれ別々の大地震を生じた可能性が高い.歴史史料の制約から現状では断定できないが,前者の区間が西暦841年地震,後者の区間が西暦762年地震を生じたという対比,あるいはその逆の組み合わせの可能性もある.今後,緻密な年代測定等を実施することで,両地震の対比をより厳密におこなうことも重要である.さらに,最新活動では諏訪湖セグメント境界を破壊が乗り越えなかったと考えられるものの,そのような連動型大地震が過去に生じなかったとは言えない.例えば,約2000-2300年前の古地震イベントでは,牛伏寺断層や岡谷断層,茅野断層においても共通して見いだされており,活動時期のみからは連動した可能性は考えられる.ただし,地層の欠落や年代測定の推定幅によって完全な同時性があるとは言えないため,このイベントに伴う地震時変位量を復元して検討することが必要である.さらに,数値シミュレーション等により物理的な背景をもった再現性を検討する必要があろう.謝辞:諏訪湖周辺の現地調査は(株)ダイヤコンサルタントのご協力を得ました.記して御礼申し上げます.
著者
小山 真人
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2019年大会
巻号頁・発行日
2019-03-14

演者は、「ブラタモリ」3回(2015年秋に放映された#19富士山、#20富士山の美、#21富士山頂)、ならびに「ブラタモリ×家族に乾杯」2018年初夢スペシャル(富士山・三保松原)に案内人として出演する機会を得た。ブラタモリの案内人は、単なる出演者ではなく、監修に相当する莫大な作業も裏でこなしている。地球科学専門家の立場から、演者が見聞・経験・考察したことをまとめる。番組の作られ方まず、本番ロケの2ヶ月ほど前から何度も現地下見や打ち合わせを行い、話題を厳選しながら台本を作成した後、台本通りに歩くリハーサルをスタッフだけで実施した。本番ロケの大筋は台本に沿うが、台本を知らないタモリ氏のアドリブや脱線は番組を盛り上げる重要な要素であるため、それらも洩れなく収録した。その後、放映まで一ヶ月ほどの編集作業の中で、内容の厳選とナレーション・解説CGの監修作業に携わった。ブラタモリの各回はそれぞれ1名のディレクターが担当するが、その背後にはNHKと下請け制作会社の両方から参加した十数人のディレクターグループがいる。興味深いことに、彼らはフラットな人間関係をもち、製作途中の作品を台本段階から相互に批判し合っている。その過程で台本は何度も書き換えられ、より良い番組に仕上げられていく。そうして出来上がった綿密な台本と、タモリ氏の磨かれたユーモアと話術があいまって、多くの視聴者が楽しみながら納得できる番組に仕上がる。だからこそ土曜のゴールデンタイムに視聴率10%台を維持するのであろう。旅の「お題」ブラタモリは、冒頭に旅の「お題」という謎かけがなされた後、その土地を知りつくした案内人たちが現れ、少しずつ解答へと誘ってゆく。「お題」は単純な問いかけだが、ひと筋縄では解けない。地形の微妙な高低差から土地の成り立ちを読みとり、目の前の風景や事物をつくり出した自然・社会・人の関わりを考えながら、最終解答に至る。 演者に与えられた「お題」のひとつは「富士山はなぜ美しい?」であった。これには正直困惑した。そもそも美は主観的なものであり、客観性を重んじる自然科学とは本来無縁である。しかし、折角の機会なので、均整のとれた巨大な孤立峰ゆえに富士山は「美しい」のだろうと考えた。そして、その「美」を成り立たせた要因を火山学的に考察し、次に述べる7つの「奇跡」として整理した。1.伊豆半島と本州の衝突現場の真上にできたマグマ噴出率の高い火山であること。2.山頂火口から大量の溶岩を流したこと。3.山頂火口の位置が安定していたこと。4.マグマの粘り気が適度に小さいために、溶岩流が遠くまで達して裾を引いたこと。5.富士山の土台の標高が元々高かったたこと。6.頻繁に噴火し、浸食による形状変化をすみやかに修復してきたこと。7.私たち人類が絶妙の時期(山体崩壊の後に、再び美しい山体が修復されたタイミング)に文明を築いたこと。 さすがに上記7つすべてを扱うと番組の時間内に収まらないので、このうち1〜3を除いた残りの4つを台本に取り入れることになった。単純化圧力台本・ナレーション・CG制作のすべての段階で、それらを監修する専門家には、中身を単純にわかりやすくする方向への強い要望がつねに加わる。学術的には複雑かつ未解明のことが多数あるが、そうした圧力に負けてしまうとトンデモな内容を普及する結果になる。ディレクターからの要望を聞きつつも、解明されていること・いないことを区別し、ここまでは言えるという範囲の中でそれらを単純化するというぎりぎりの選択を迫られる。その作業は高度で時間を要するものであり、専門家の解説能力・アウトリーチ能力が最大限試される。演者は苦労の末に乗り切ったつもりだが、他の放映回では疑問符がつく(おそらく専門家側が圧力に負けたとみられる)ものも散見される。素朴な疑問への対応 ディレクターから思いもよらぬ質問が出ることもあった。筆者がとくに驚いたのが、「なぜ力の方位を向き合う対の矢印で示すのか、矢印ひとつで良いのでは?」であった。これに対しては、作用と反作用の結果として力が生じることは中学校理科で習うこと、片矢印では運動の意味になることを根気よく説明して理解して頂いた。実験の考案ブラタモリでは、地形や地層ができる仕組みを直観的に示す実験が必須とされる。演者に課せられた実験は、宝永火口に見られる岩脈方位と地殻応力方位の関係、ならびに三保半島の砂嘴形成であった。前者に関しては、殻付きの栗の実を万力で割ったところ、殻にできた亀裂は圧縮方位と一致した。殻の内部にある柔らかな実に加わる圧力がマグマ内圧の高まりに相当するため、実際の岩脈方位を再現できたと考えられる。後者に関しては、試行錯誤の後、水を溜めたトレーに入れた砂を小型ポンプの水流で移動させ、砂嘴と似た形状を作ることに成功した。
著者
林 幹雄
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2019年大会
巻号頁・発行日
2019-03-14

▼番組開発の経緯「ブラタモリ」は2008年12月に深夜のパイロット番組として始まりました。当時NHKには番組開発という部署があり、そこに所属していた私を含む4人で立ち上げました。内容は「原宿・表参道」。多くの人が当たり前に目にする都市の風景を紐解いていく内容は深夜番組にもかかわらず多くの反響を呼びました。▼レギュラー開始その後2009年10月から翌年3月まで、夜10時の43分番組として全15回のレギュラー放送が始まります。タモリさんのNHKレギュラー番組出演は「ウォッチング」以来、実に20年ぶりでした。以後毎年10月から3月までのレギュラー番組として3年続きます。かつての町の姿をこうだったに違いないと再現した「妄想CG」のほか、タモリさん自身が撮影した「ブラタモ写真館」も話題になりました。番組開発当時の資料をまじえてお話します。▼最初のブラタモリの作り方見え方はほとんど今と変わっていませんが専門家の多くは工学部系の都市設計・開発や街づくりの研究者でした。何より今と違うのはディレクターの街歩きの回数です。「言葉の謎解き」はありませんでしたが「不思議な風景」をタモリさんが発見し、その理由を探って行くという作りでした。視聴者が良く知っている東京を舞台に、あまり知られていない不思議な風景や話題を探すのは大変で、文字通り靴の底が磨り減るほど歩き回りました。▼現状2015年4月からのレギュラー放送は今に至る毎週土曜19:30からの番組で、多くの方にご覧頂いています。「ブラタモリ」は、あくまで街歩き番組ですが、随分「地質」に偏った番組になりました。今のレギュラーが始まって5年。回によって「地質」だけでなく「歴史」「地理」「風俗」「文化」を総動員して、これからも街や土地の成り立ちを解き明かす魅力的な番組であり続けたいと思っています。
著者
佐藤 志彦 末木 啓介 笹 公和 国分 宏城 足立 光司 五十嵐 康人
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

2011年3月11日に発生した東日本大震災に起因する、福島第一原発事故では環境中に大量の放射性物質が放出した。地表面に沈着した放射性物質のうち、半減期が約30年であるセシウム137の除去技術の確立は、除染に伴い発生する土壌の減容化のためにも不可欠である。本研究では2012年10月に福島県本宮市で採取した土壌に対し、強酸リーチングを含む連続化学抽出を行い、残渣中に含まれる放射性物質の存在形態を把握することで、土壌中に存在する放射性セシウムに対する基礎情報を取得した。未処理の土壌に含まれる137Csは2011年3月11日時点で8 kBq/kgだった。水溶性成分、陽イオン交換成分、有機物付着成分、強酸抽出成分を順番に抽出し、最終的に約50%の放射性セシウムが残留した。存在形態を把握するため残渣土壌のオートラジオグラフィーを取得したところ、無数のスポット状汚染が見られた。このスポット汚染を直接取り出し、透過型電子顕微鏡で観察すると球状の塊で、さらにエネルギー分散型X線分析により、鉄、亜鉛、ケイ素、酸素さらにセシウムが元素として検出された。これらの特徴は茨城県つくば市で事故直後に観測されたセシウム含有粒子(Adachi et al., 2013)に類似しており、つくば市で見つかったCs含有粒子が広範囲に分析していると考えられる。また粒子全体に占めるケイ素と酸素の割合が大きく、この特徴はSatou et al.,(2015)およびYamaguchi et al.,(2016)とも類似している。ケイ酸塩は一般的に耐酸性を示すため、同様の現象が放射性粒子にも見られたものと考えられる。
著者
Jonny Wu John Suppe Renqu Lu Ravi V.S. Kanda
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
JpGU-AGU Joint Meeting 2017
巻号頁・発行日
2017-03-10

Seismic tomography has revealed enigmatic stagnant slab anomalies under Japan, Korea and NE China (i.e. the Japan slab). The stagnant slabs flatten near the mantle transition zone around ~410 to 660 km depths and extend >2000 km westward from the NW Pacific subduction zones. The location of the outboard stagnant slabs far inland under Eurasia cannot be explained by slab rollback alone and pose a challenge to our current understanding of subducted slab dynamics, in which slabs sink vertically over time with minimal lateral motion.In this study, we use new and recently published 3D slab mapping, slab unfolding and plate reconstruction constraints (Wu et al., 2016, JGR) from MITP08 and GAP_P4 global tomography (Li et al., 2008, G3; Fukao et al., 2013, JGR). We show that the Japan stagnant slabs are best reconstructed as Pacific slabs that subducted in the Cenozoic after Pacific-Izanagi ridge subduction between 60 to 50 Ma. Mantle flow forward models reproduce our Japan slab reconstruction results (Seton et al., 2015, GRL). Our reconstruction implies the Japan slabs moved laterally westwards within the upper mantle and transition zone after subduction at near-plate tectonic rates (~2 cm/yr over 50 Ma), indicating a greater lateral mobility of slabs within the upper mantle and transition zone than previously recognized.Using our Japan slab subduction model, we re-examine the enigmatic Vityaz deep earthquakes under the Fiji Basin, which are widely thought to be a globally-unique case of seismicity within a foundered and detached slab. Our Tonga slab mapping shows the Vityaz earthquakes are actually part of a >2500 km-long mega-Wadati-Benioff zone of the northern Tonga stagnant slab. Our slab reconstruction suggests the northern Tonga slab moved laterally westward in a similar fashion to the Japan slabs, but at a faster rate of >5 cm/yr over 15 Ma within the upper ~660 km. Our results suggest that earthquakes can be produced thousands of kilometers away from a subduction zone from lateral movements of still-attached but mobile stagnant slabs within the uppermost ~660 km mantle.
著者
尾方 隆幸
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
JpGU-AGU Joint Meeting 2017
巻号頁・発行日
2017-03-10

地球惑星科学に関する教育内容は,教科間・科目間,また同一の教科内・科目内でも教科書間で用語や解説内容が異なっている場合がある。加えて,地球惑星科学の成果が適切に反映されていない内容も散見される。将来の地球惑星科学教育をよりよいものにするためには,日本における地球惑星科学と学校教育との関係を議論することが必要である。
著者
尾方 隆幸
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
JpGU-AGU Joint Meeting 2017
巻号頁・発行日
2017-03-10

日本のジオパークでは,地形学的事象,特に地形プロセス学的な事象が,適切に扱われていない事例がある。火山活動や地殻変動といった内的営力の解説は正確で充実していることが多いが,風化・侵食・運搬・堆積プロセスといった外的営力の解説が正確になされていることは少ない。また,現代の地形学では認めがたい古典的すぎる解説がなされている場合も散見される。それらの問題は,ジオパークに限らず,地形学のアウトリーチ全般に共通する可能性もあり,専門家は正しい知見の普及に努めなければならない。発表では,NHK総合「ブラタモリ」における,地すべり地形(#32沖縄・首里)および隆起準平原(#67奄美の森)を事例に,地形学的事象の解説手法について報告・議論したい。
著者
林 衛
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-05-19

2016年の熊本地震は,(1)近代以降の地震災害の経験,(2)地元の民間研究組織(NPO法人熊本自然災害研究会,第1回研究会は1992年11月27日開催)や地震カタログ,研究書類による知識の発掘と共有,(3)中央政府によるハザードマップ作成などの被害予想・警鐘,(4)熊本県や熊本市,益城町といった地方自治体による耐震化施策の進行の四つの蓄積があった地域で発生した。いわば想定される事態が蓄積にもとづく想定に沿って生じたにもかかわらず,(5)「まさか,熊本では」「前代未聞の「前震」」「余震経験則 通用せず」などと,蓄積されていたはずの内容が「想定外」だと語られている点で特徴的である。そこで本研究では,防災・減災の実現のため,上記(1)から(4)の蓄積と(5)の「想定外」の語られ方の内容を整理し,惨事伝承の困難性,すなわち,「災害は忘れた時分にくる」(寺田寅彦のことばとされる)原因をリスクコミュニケーションの観点から考察する。1889明治熊本地震では,1889年7月28日午後11時49分に本震(劇震と表示),8月3日午前2時18分に最大余震である劇震が再び発生。その間,5日あまりであった。21日間に300回足らず観測された余震分布は,二つの劇震による余震経験則に従った発生パターンを示している。1894年の「余震経験則」を発表した大森房吉ら同時代の地震学者たちも,明治熊本地震の事実を目の当たりにしていたことになる。1889年(明治22年)その年に市政誕生したばかりの熊本が,水害とその5日後が地震災害に襲われた。それを受け翌1890年に熊本にも気象台が開設されている。その翌1891年のM8級内陸直下地震(濃尾地震)を契機に震災予防調査会が設立されることになる。明治熊本地震は,近代の形成期に生じた直下地震であった(表俊一郎・久保寺章:都市直下地震 熊本地震から兵庫県南部地震まで,古今書院(1998))。1975熊本県北東部の地震では,1月22日13時40分(M5.5),1月23日23時19分(M6.1) と阿蘇地方での連発(前震→本震型)。3か月後の4月21日には大分県湯布院付近でM6.4の誘発地震が発生。『日本被害地震総覧 599-2012』(東京大学出版会(2013))では,見開きにちょうど三つの地震の震度分布図が並ぶ形で両県での地震被害とともに記録されている。南隣の鹿児島県で発生した1997年の鹿児島県北西部地震でも,3月26日(M6.5)と5月13日(M6.3)の連発が知られている。2000年6月8日の9時32分の熊本県熊本地方の地震(深さ10km,M4.8)では,嘉島町,富合町で震度5弱が記録され,熊本市,益城町など熊本県中部で住家一部破損等の被害が発生している(最大規模の余震はM3.9が3回)。「益城町建築物耐震改修計画」(2012年策定,2016年3月改訂)では,「熊本県には,上述した布田川・日奈久断層帯をはじめとする多くの活断層が県内を縦横断…今後30年の間に地震が発生する確率は0〜6%と推定…内閣府の「地震防災マップ作成技術資料」の記載されている「全国どこでも起こりうる直下の地震」(マグニチュード6.9)が益城町で発生した場合には最大震度5強~7となることが予測…福岡県など地震が少ないといわれてきた地域での大規模な地震が発生したことからも,速やかな地震対策の推進が望まれています」との認識のもと,2005度の中央防災会議報告を受け,住宅,特定建築物を2015年度までに90%耐震化する計画がうたわれている。ところが,連発型の地震発生があたかも珍しいことであるかのように,また,震度7の連続が被害をもたらした事実が震度7単独ならば安全であるかのように語られてしまっている。ここに,事実を直視しようとせず,惨事伝承を忌避しようとする「想定外」生成のしくみがみてとれる。2016熊本地震の前震→本震の二つの「震度7」が「小分け」されずに一発の「本震」として発生した場合は,現行計測震度では「震度7」1回と記録されるが,住宅倒壊は一気に進んだであろう。「本震」は就寝後の真夜中の発生であった。したがって,震度7「連発」はむしろ「不幸中の幸い」であったという視点も忘れてはならない。 誰のため何のために地球惑星科学が存在しているのか改めて問われる,科学コミュニケーションの問題でもある。
著者
谷口 宏充
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

はじめに2003年ごろ、中国や朝鮮からの連絡を受けて、白頭山で火山活動が活発化していることを知るようになった。国内外の協力を得て検討を進めたが、一つ気になることがあった。以前、869年の貞観地震と白頭山10世紀噴火との関連を耳にしたことが有る。無関係ではないと言うのだ。そのような中で3.11巨大地震が身近で発生した。そこで生まれたのは2002年~2005年の白頭山における火山活動と3.11巨大地震との関係、また、両者の過去はどうであったのかと言う疑問である。日本、中国、朝鮮やロシアなど、広大な東北アジアにおける地震や噴火などの時間的な関係に焦点をあてた研究は少ない。しかし宇佐美(1974)は日本と朝鮮半島における有感地震を古文書に基づいて整理し、弱いながら両者の間には相関があることを示唆した。その中で最も明瞭な1700年頃には日本、朝鮮や中国でも史上最大規模の地震や富士山・白頭山での噴火が発生していた。近年の白頭山噴火の歴史町田(1981)による10世紀噴火に関する研究以降、東北アジアの研究者たちによって古文書や年代測定に基づき近年の噴火年代が報告された。“10世紀噴火”の年代についてはウイグルマッチング法や湖底堆積物などから940年前後の値(奥野他、2010など)が報告されている。また中国における噴出物の14C年代測定(Chichagov et. al., 1989)や地質調査(中川他、2004)に基づき、10世紀噴火の前860年頃に噴火(9世紀噴火)があったことが示されている。この噴火の火山灰は北海道森町においても発見されている(中川他、2012)。また10世紀以降の活動を調べるため、古文書に基づき確実だと思われる噴火年代を選び出した。その結果、最近の噴火は1373年、1597年、1702年、1898年、1903年の5回である。これらの内、1373年噴火は山麓からの玄武岩マグマによるものである。他の4回は外来水が関与した可能性の高い山頂噴火で、その内、1597年は規模が大きいが、残りのより新しい3回は極めて小規模な噴火と判断した。日本の巨大地震と白頭山噴火活動との時代的相関先に示した5回の噴火の内、1898年から一連と判断される1903年を除いた1373年、1597年、1702年と1898年の4回の活動について、日本における最近接巨大地震との時代的相関の検討を行った。どれだけ時間的に近接しているかを見るため、地震と噴火との前後関係は軽視した。その結果、年代差(噴火年代-地震年代)の平均値は1.3年、標準偏差は7.2年であり、3σでの年代差は‐20.4年~22.9年となった。東アジアで懸念された近い将来の白頭山噴火については、“日本における巨大地震と白頭山噴火との歴史経緯”、“最近のマグマ蓄積”、“日本と同じ広域応力場の変化”に基づき、可能性はあると判断した。もし2011年東北地方太平洋沖地震に関連して噴火が発生するなら、それは3σの確率で1991年~2034年となる。現実には今までに発生していないので、残りの2034年までが99%とした。しかしこの判断は、2002年からのマグマ性流体上昇による異常をどう評価するかで異なる。過去4回のケースと同じ時間関係は成立していたが、マグマ量が少ないなどの理由で噴火未遂に終わった、と考えるべきかも知れない。もう少し量が多かったら、最近3回と同じ小規模噴火になっていたのではないだろうか。この時間関係を869年の貞観地震にも適用すると、貞観地震に対応する白頭山噴火の年代は849年~892年であり、今まであまり知られていなかった“9世紀噴火”の存在とも調和的であった。
著者
木野 佳音 阿部 彩子 大石 龍太 齋藤 冬樹 吉森 正和
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2019年大会
巻号頁・発行日
2019-03-14

大気中二酸化炭素濃度の増加に伴う地球温暖化が特に極域で大きく現れることは極域気温増幅としてよく知られており、南半球高緯度においては、気候モデルを用いた研究によって温暖化要因の分析がされている (Lu and Cai, 2009)。また、南極氷床コアを用いた最新の研究では、地球の軌道要素である地軸の傾きや離心率の周期変動と現地気温の変動について、詳細な位相関係の議論が行われている (Uemura et al., 2018)。そこで、本研究では気候モデルMIROCを用いて、地球軌道要素が変化したときの南半球高緯度温暖化がどのようになるか大気中二酸化炭素濃度増加の場合と比較を行い、気候フィードバックの違いを調べた。大気大循環モデルに海洋混合層モデルを結合したMIROC(Hasumi and Emori, 2004)を用いて、地軸の傾きを過去にあり得る最大値とした実験、離心率を過去にあり得る最大値でかつ近日点に冬至がくるとした実験を行い、南半球高緯度の気候変化を解析した。さらに、地表面での放射収支解析 (Lu and Cai, 2009) を行った。結果として、南極氷床が存在する南極大陸上の温暖化は、地球軌道要素が変化する場合、日射が雲に遮られない晴天域の短波放射の変化によって主に決められていた。このことは、長波放射による強い加熱が温暖化をもたらす大気中二酸化炭素濃度増加の場合と対照的だった。また、南大洋上の温暖化の定性的な季節性は、放射強制力にかかわらず共通していて、夏にほとんど温暖化がみられず、秋から冬にかけて強い温暖化がみられた。放射収支解析から、この季節性をもたらす要因は、北半球高緯度の場合と共通しており、夏に海洋に吸収されたエネルギーが 冬に大気へ放出されることであるとわかった。また、定量的には、秋から冬の温暖化の強度が異なった。これには、特に春から初夏にかけての放射強制力の違いが海氷融解に与える影響が、重要であることがわかった。今後は、大気循環や降水分布の解析も行っていく。また、海洋大循環も考慮したモデルの結果も解析する予定である。
著者
白水 智
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2019年大会
巻号頁・発行日
2019-03-14

江戸時代については、巷間、人と自然が優しく共存した時代であると称揚されることが多い。しかし、実際には自然の過剰利用による資源枯渇が発生するなど、必ずしも人は自然に優しく生きていたわけではない。 「御林書上帳」という史料がある。御林とは、庶民の利用に厳しい規制がかかった幕府・大名の統制林であったが、その日常的管理は、御林守などに任命された地元住民に委ねられていた。彼らは領主の指示により、森林の状況を詳細に調べ上げた報告書を作成し、「御林書上帳」として提出した。そこには、木の種類・太さ・高さ・本数などが列記されている。歴史学研究者にとっては、解読することはできるが、ひたすら退屈な史料である。しかし林学の研究者から見ると、この帳面は、今は見ることのできない何百年も前の森林状況のデータが埋もれた宝の山であり、当時の森林環境が鮮やかに復元できる素材である。長野県林業総合センターの小山泰弘氏に信濃国北部の森林について、これらの史料を利用して復元研究を行ってもらったところ、御林の多くは直径20~30センチほどのアカマツを中心とする疎林にすぎず、豊かな緑に覆われていたわけではないことが明らかとなった。一方で、同じ地域の栄村にあった「仙道御林」は、全く様相が異なっていた。そこはナラとブナが7割を占める13.5㏊の森で、幹周2丈(6m。胸高直径2mに相当)を超える樹木が56本もあった。環境省が「巨木」とする木は幹周3m以上をいうが、それに相当する目通り9尺以上の樹木は1615本もあり、まさに現代なら天然記念物級の「巨木の森」だったのである。わずか200年前の日本にこのような森があったのは驚きであるが、逆に言えば、こうした森を当たり前のように存在させたのが日本の自然だったのであり、それが失われた原因は紛れもなく人為による伐採であった。日本の自然を考えるとき、人間活動の痕跡を大きな要因として加えることの重要性を示す重要な一例といえる。 民有林に相当する林地では、当然ながら過剰な伐採は進行し、有用樹種の枯渇を招く事態となった。北信濃の秋山地区では、スギ・クロベなどの有用な針葉樹は19世紀初頭までに多くを伐り尽くしてしまい、史料には「残るのはブナ・ナラ・トチなど雑木ばかり」と、どうでもいい無用な木ばかりになってしまったかのように記されている。それまで秋山で生産されていたのは、桶・曲物など目の通った針葉樹材を材料にした器物であったからである。しかし人は窮地に陥れば知恵を働かす。今度は材料を豊富に存在する広葉樹に転換し、木鉢・コースキ(木鋤)などの木工品作りに精を出すようになった。「使えない雑木」だったものが主たる素材になったのである。こうして新たな樹種の利用方法を編み出し、窮地を脱することができたが、「人欲は限りなし」と自ら記録に記す伐採状況であったことは間違いない。 また一方、「御林書上帳」を子細に見れば、必ずしも真実を正確に書き上げたものとはいえない部分もある。歳月を経て提出された2冊の書上帳間で、樹木の本数が全く同数に揃えられているのである。森林管理の不備を問われることを恐れて、明らかに数字を調整したと見られる。書き残された古文書は、やはり「人くさい」社会の産物でもあるのである。この「人くさい」社会の営み(政治・経済・制度・心意・習俗)を明らかにするのが、歴史学の真骨頂である。そしてこの「人くささ」を前提とした古文書の内容・文言の吟味、すなわち史料批判を通じて、史料はデータとしての意味をより明確に捉えられるようになる。
著者
村田 剛志
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2019年大会
巻号頁・発行日
2019-03-14

日本は世界有数の火山国であり、世界の活火山の約7%が存在する。火山の噴火は時として甚大な人的・物的被害を及ぼすものであり、2014年の御嶽山や2018年の草津白根山での火山災害は記憶に新しい。火山活動を正確に把握して必要な対応を取ることは、専門家のみならず周辺地域の多くの人々にとっての重大な関心事である。噴火予測などの火山の研究は、これまでは火山物理学からのアプローチが主であったが、火山周辺に設置された伸縮計や地震計などから観測される時系列データを用いた情報学的なアプローチによって、新たな展開や可能性が見えてくると期待される。火山の観測装置から得られる時系列データは噴火と大きな関係があるが、一般にデータは複雑で、専門家にとっても分析は容易ではない。我々は火山噴火分類と火山噴火予測の二つの問題に注目した。前者の目標は、100分間の時系列データからその100分間に火山が噴火するか否かを分類することであり、また後者の目標は、100分間の時系列データから兆候を認識してその直後の60分間に火山が噴火するか否かを予測することである。前者については、畳み込みニューラルネットワーク(CNN)を時系列データに対して適用するVolNetを提案した。実際のデータを用いて火山噴火分類を行ったところ、F-scoreで90%程度の精度を達成した。また後者については、時系列データにおける時間変化を検出するためにStacked 2-Layer LSTMを用いて実験を行った結果、噴火・非噴火の2クラス平均のF値による精度で66.1%であった。また、与えられた時系列データを”Non-eruption”, “May-eruption”, “Warning”, “Critial”の4つに分類する警告システムを構築したところ、”Critial”に分類された時系列データで噴火が起こったものの割合は51.9%であった。我々は京都大学防災研究所附属火山活動研究センター長の井口正人教授の協力のもと、火山に関する最大級の規模と質の時系列データを用いた実験によって、提案手法の有効性を示した。また国内および海外での火山噴火のニュースが多い昨今において、AIを用いて噴火を予測するというテーマは社会的にも関心を集め、日本経済新聞での記事、NHK鹿児島でのローカルニュース、南日本新聞での記事、月刊誌(みずほ総合研究所「Fole」)での記事など、多くのメディアで取り上げていただいた。
著者
石橋 克彦
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2018年大会
巻号頁・発行日
2018-03-14

●徳島県海陽町宍喰の大日寺に伝わる「円頓寺開山住持宥慶之旧記」(猪井・他,1982)の中の「当浦成来旧記書之写」(A)は,永正九年(1512)八月に洪浪が同地を襲い,浦中流失して約2200人が死亡したと記す.これは,石橋(2014,2015),Baba et al.(2017),馬場・他(2017)などが引用した『震潮記』中の記事(B)や,『大日本史料』『増訂大日本地震史料』『宍喰村誌』『海部郡誌』などが掲載する『宍喰浦旧記』(『徴古雑抄続編』所収,C)の元だと考えられる.BとCには大きな誤写があるが,Aについても幾つかの疑問がある.猪井・他(1982)が紹介した翻刻に拠って問題点を指摘する.●まず,「当浦成来旧記書之写/永正十一年正月に書記すとこれあり候」以下の中核部分に,以下のような内容的疑問がある:(1)橋より南の町は残らず流失したが死者は少なく,橋より北の町家は痛みは多くなかったが死人多く,「両町の人老若男女とも三千七百余人の相助し人一千五百余人也」という大被害のもとで,二人の城主が翌年十二月中旬までに諸寺諸社13を含む家数1805軒を再建したというが,被災地にそれほどの財的・人的・物的資源があったのか.(2)生存者1500余人に対して「町家千七百家」の再建は多すぎるだろう(しかも北町の損家は少数!).(3)北町で死者が多かったのは不自然.(4)海辺の大松原や集落周囲の山林を皆伐して建材を調達したというが,その後の高潮・豪雨災害を懸念せずに本当にやったのか.(5)「御取立(建築)の諸寺諸社」の中に祇園拝殿も記されているが,大永六年(1526)の再建棟札があるから(宍喰村誌),矛盾している.(6)城主「藤原朝臣下野守元信公 同宍喰村城主藤原朝臣孫六郎殿」と記すが,『阿波志』『宍喰町誌』によれば,愛宕山城主は藤原孫六郎元信,祇園山城主は藤原下野守持共で,名前が混乱している.●中核部分に続いて,「新寺駅路山一寺円頓寺宥慶/時に慶長十年三月四日書記す也」と末尾に記された「九ケ所寺々名附所付」などがあるが,その中の「御当代蜂須賀阿波守茂成公の御先祖蓬庵公」という記述にも次の疑問がある:(7)茂成(本名,家政)は天正十三~慶長五年(1585-1600)の藩主,以後元和六年(1620)までの藩主は子の至鎮,しかも蓬庵は家政の号だから,二重におかしい.●永正九年洪浪の記録全般に関する疑問:(8)宍喰は戦国期より前は高野山蓮華乗院の荘園だったが,文安二年(1445)の「兵庫北関入舩納帳」(林屋,1981)に木材運搬の宍喰船の記録が20件あり,その後も堺などとの交易や海部刀の輸出などが盛んだったというから(宍喰町誌),舟運被害が記されていないのは不自然ではないか.(9)宍喰の壊滅は畿内などにも影響を与えた可能性があり,他の記録があってもよいのではないか.●Aは「円頓寺開山住持宥慶之旧記」の一部だが,全体についての疑問:(10)冒頭に「元文四己未年の春駅路山円頓寺開山住持宥慶の旧記等円頓寺の二階の上鼡の巣の中より取出し候其の時々拝見の僧円頓寺住持嘉明真福寺住持大雲也旧記の本紙は円頓寺にこれあり候旧記本紙の通相違なく写取るもの也/時に元文四己未年三月十四日」とあるが,慶長十年(1605)頃の膨大な古記録(慶長九年津波のものも含む)が元文四年(1739)まで鼠の巣の中にあって,鼠害に遭わずに詳しく読めたのは不自然ではないか(後のほうの一部には「鼡喰い云々」とあるが).(11)「円頓寺開山住持宥慶」というが,同寺(大正元年<1912>大日寺に合併)の「御建立成来旧記之事」(宍喰町誌)は,「駅路山円頓寺住侶 法印快厳(花押)/慶長四己亥年正月二十八日書記之」として「当時開山住侶 <中略> 久米田寺多門院一代法印快尊弟子快厳時代也」と記すから,宥慶は開山住持ではないだろう.●以上の問題点は,書記や書写の各段階での思い違いや写し間違いの所為にされるかもしれない(翻刻ミスもありうるが,そのレベルではない).だが,不自然な記述が多く,Aの信憑性は低いのではないだろうか.ただし,Aの内容がすべて事実無根と言えるわけではなく,地元の記憶・伝承が融合されて架空の記録が作られたのかもしれず,生起年代は別として,個別的な歴史的事実は含まれているかもしれない.しかし「永正九年八月の宍喰浦洪浪災害」の実在に関しては,現段階では疑問と言わざるをえない.今後Aの記述内容を,史料学と地学的・考古学的現地調査によってさらに検討することが重要であろう.なお「宥慶之旧記」全体の精査は,慶長九年十二月十六日(1605.2.3)の宍喰の地震動・津波という歴史地震学の大問題に直結している.
著者
渡辺 満久
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

1 はじめに 発表者はこれまでに、「福島」以前の杜撰な審査を繰り返さずに原子力関連施設の安全性が確保されることを願い、原子力施設の再稼働の前提となる新規制基準適合性に係わる審査に対しいくつかの具体的提言を行ってきた(渡辺ほか、2013;渡辺・中田、2014)。ところが、最近の北海道泊原子力発電所の審査における、原子力規制委員会(以下、規制委員会)の姿勢には大きな疑問を感じている。本報告では、積丹半島の活構造を総括し、規制委員会による審査の問題点を指摘する。本研究では、平成25~27年度科学研究費補助金(基盤研究(C)研究代表者:渡辺満久)の一部を使用した。2 積丹半島の活構造(渡辺・鈴木、2015;渡辺、2015a;2015b;北電、2013、2014) 積丹半島西方断層は神威海脚の西縁から神恵内西方まで約60 km連続し、比高数100 mの凸型斜面(撓曲崖)を形成している。撓曲崖基部には新しい地すべり地形が多数見られ、最近も斜面が不安定になったことがわかる。北電による音波探査の結果にも、いくつかの断層構造が確認される。規制委員会は、明瞭な断層構造が確認できないことを理由に活断層の存在を否定しているようである。しかし、上述したように断層構造は確認されている。そもそも、十分な変動地形学的検証なしに音波探査結果だけで活断層の存在を否定してはならないことは、2007年中越沖地震で学習したはずである。 積丹半島南西岸では、MIS 5eの海成段丘面が30 m程度の高度にあり、高度の異なるノッチや離水ベンチが存在しているため、間欠的隆起が繰り返されていることが強く示唆される。一方、北東岸では、海成段丘面は分布しておらず、離水ベンチもほとんど認められない。このような変動地形学的コントラストは非常に明瞭であり、両地域の地形発達が同じであるとは到底考えられない。これらの特徴は、積丹半島西方断層の活動で統一的に説明できる。規制委員会は、このような地形学的特徴の違いをまったく考慮していない。また、積丹半島全域が定常的かつ一様に隆起していると結論しているが、本当にそのような地殻変動が継続しているかどうかの検証はまったく行われていない。 規制委員会は、半島南西岸の海成段丘面(MIS 5e)の旧汀線高度はほぼ一定であるとした。しかし実際には、その旧汀線高度は一定ではなく、10 km程度の区間で10 m程度の高度差がある。これは、それほど本質的な問題ではないが、このような事実誤認があることも問題である。また、神恵内付近における旧汀線高度の急変に関しても、合理的な説明はなされていない。これらの問題に関して、2015年度活断層学会で報告したところ、当時の審査担当者から「北電から満足のゆく回答はまだなく、結論はでていない」というコメントがあった。その内容は、規制委員会の結論とはまったく異なるものであり、審査の進め方などに大きな疑問を感ずる。 MIS 9以降、積丹半島南西岸は等速度で隆起していると考えられ、中新統は南西側へ撓曲している。泊原子力発電所は、MIS 9に形成された海成段丘面を掘削して建設されており、撓曲する中新統には複数の層面すべり断層がある。これらの断層が後期更新世に活動していないと断言できる証拠はない。MIS 9以降の一様な隆起運動を考えれば、今後も動きうる断層として評価すべきである。 規制委員会は、南方の岩内平野では中新統~前期更新統の撓曲構造が前期-中期更新統の「岩内層」に覆われており、後期更新世には成長していないとした。しかし、前期-中期更新統の傾斜は、発電所近傍では12~13度であるのに対し南方の岩内平野では3~4度程度であり、岩内平野では変形の程度が小さい。泊原子力発電所直下の構造を、離れた地域で検証することはむつかしい。また、岩内平野の「岩内層」は、前期-中期更新統ではなく、MIS 5eの海成層である可能性が高く、1度程度傾斜している可能性がある。以上を考慮すれば、敷地内の撓曲が活構造であることは否定できず、重要構造物直下にcapable faultが存在する可能性がある。3 規制委員会の評価への批判 規制委員会は、積丹半島の変動地形学的特徴を誤認し、積丹半島西方断層の上盤の敷地内断層の活動性に関しても正しく評価していない。規制委員会は、新規制基準に基づく安全審査を実施しておらず、事業者の調査結果を鵜呑みにして「総合的におおむね妥当」と判断している。審査ガイドに明記された厳格な審査に違背した評価であり、「過去の形式的で杜撰な審査は見直し、事業者よりの専門家が関与した非科学的な審査結果は一掃しなければならない」と批判された、保安院時代のものと同質のものである。すべては、3・11以前に戻った。【文献】北電、2013。20131003_02shiryo_01.pfd。北電、2014、20150529-000108711.pdf。渡辺ほか、2013、活断層学会秋季大会。渡辺・中田、2014、地理学会2014年度春季学術大会。渡辺・鈴木、2015、科学、85。渡辺、2015a、地理学会2015年度秋季学術大会。渡辺、2015b、活断層学会2015年度大会。
著者
北本 朝展
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2018年大会
巻号頁・発行日
2018-03-14

IIIF Curation ViewerはIIIF(International Image Interoperability Framework)に準拠した画像ビューアである。IIIFはもともとミュージアムやライブラリにおける高解像度画像の公開に相互運用性をもたらすためのコミュニティ活動から始まった。そして現在までに4つの仕様が公開されており、仕様に準拠したオープンソースソフトウェアも次々に構築されることで、IIIFを活用した画像公開は世界中に広まりつつある。ただしIIIFコミュニティは文化資源に関わる人々が中心となっているため、科学分野における利用例は未だに多いとは言えない。衛星画像や医療画像など、高解像度画像が研究の重要な素材となる割には標準化が進んでいない分野が科学分野にも多いことを考えると、そうした分野へのIIIFの適用にはまだ開拓の余地が大きいと考えられる。そこで我々は、ひまわり8号・9号の高解像度気象衛星画像を例として[1]、科学分野におけるIIIFのニーズと課題の調査を進めている。我々はすでにTimeline APIとCursor APIという拡張仕様を提案し実装した[2]。これは文化資源における「書籍」という概念を衛星画像における「時系列」という概念に拡張するための仕様であり、Timeline APIは時系列のモデル化、Cursor APIは時系列のように要素数が長大な場合の部分アクセスという問題に対する解を提示するものである。さらに、もう一つの拡張仕様であるCuration APIは、様々なIIIFソースからテーマに沿って部分画像を収集する「キュレーション」を実現するための仕様である。これはいわば、部分画像を切り取る「ハサミ」と並べてまとめる「ノリ」の機能を合わせたものであり、文化資源に限らず科学分野においても、様々な文脈による画像の再利用を広げることができる。これらの拡張仕様の開発は、世界の中でも我々の研究グループが先進的に取り組んでいるため、既存のIIIF準拠ソフトウェアでは対応できないという問題がある。そこで我々はIIIFの拡張仕様に対応した画像ビューアであるIIIF Curation Viewer [3]の開発を進めている。これは人文学オープンデータ共同利用センター(CODH)が推進し、本間淳氏が中心開発者となってアクティブに開発を進めるオープンソースソフトウェアである。このビューアは上記の拡張仕様に関する機能をすべて備えており、拡張仕様の参照実装にもなっている。またCuration APIで作成したキュレーションを保存するJSONストアとなるJSONkeeper [4]も、CODHが推進しTarek Saier氏が中心となって開発が進むオープンソースソフトウェアであり、これらの連携によってIIIF活用のためのソフトウェア基盤も広がりつつある。では気象衛星画像に対してキュレーション機能はどのように活用できるだろうか?第一に研究ツールとしての活用がある。自分が興味のある現象を矩形で囲んで「お気に入り」にブックマークすれば、後から現象を一覧することができるのが利点である。例えばカルマン渦が出現した気象衛星画像だけを集めれば、カルマン渦がどのような状況でどのように出現しているかを一覧でき、個々の場面に詳しいメタデータを付与すれば検索できる機能も将来的には実現する計画である。これによって、キュレーション機能は研究素材集として活用できるようになると考えられる。第二に、気象図鑑としての活用である。著名な現象が発生した日時の気象衛星部分画像をキュレーションに加えていくことで、「名場面集」を中心とした一種の図鑑を構築することができる。これは教育目的には有用な資源となるであろう。さらにこれを静止画だけでなく動画にすることで、時間発展する現象のダイナミクスを把握しやすい「動く図鑑」にすることも可能である。具体的には、Curation API、Timeline API、Cursor APIという3つの拡張仕様とImage APIという標準仕様を駆使し、それらをつなぐ簡単なスクリプトを開発することで、開始フレームと終了フレームをキュレーションに登録すれば、その間を線形補間でつないで動画化するシステムが構築できる。さらにIIIF Curation Viewerの固定幅切り取り機能を活用すれば、この動画を指定の大きさで作成することも可能となる。このように画像アクセスを標準化し、ツールをオープンソースとして組み合わせ可能な形で構築することによって、より複雑な処理もツール群の組み合わせによって簡単に実現可能となることが期待できる。このように相互運用性とオープンなアクセスに基づく画像公開は、衛星画像のような科学分野においてもメリットが大きいと考えており、その一つとしてのIIIFの可能性については今後も研究を進めていく計画である。 参考文献:[1] デジタル台風:次世代気象衛星「ひまわり8号・9号」画像/動画, http://agora.ex.nii.ac.jp/digital-typhoon/himawari-3g/[2] IIIFを用いた高品質/高精細の画像公開と利用事例, http://codh.rois.ac.jp/iiif/[3] IIIF Curation Viewer, http://codh.rois.ac.jp/software/iiif-curation-viewer/[4] JSONkeeper, https://github.com/IllDepence/JSONkeeper
著者
田中 義洋 松本 至巨
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2018年大会
巻号頁・発行日
2018-03-14

高等学校の「地理」と「地学」は、従来から取り扱い方が異なるものの、内容の一部が重複している。例えば、地形や気候に関して「地理」では人間生活との関わりを、「地学」では形成過程や原理を中心に扱っているが、明らかに両科目で扱っている内容は重複している。今後、このように重複する部分について、両科目の特性を生かしながらどのように取り扱うべきかを検討する必要があると考えられる。すでに自然環境と防災など共通に取り扱っている内容もあり、生徒が学んだことを将来生かせるように身につけてもらうためには、両科目の教員間の連携・調整が必要である。今回の発表では、現在「地理A」および「地学基礎」を併置している本校において、取り扱う内容をどのように連携・調整しているかを報告し、今後よりよい指導に向けてどのように行っていくべきかを提案したい。
著者
林 信太郎
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2018年大会
巻号頁・発行日
2018-03-14

日本のジオパークは高校教育での地球惑星科学教育を支援できるのだろうか?答えはイエスである。ジオパークの高校への支援はジオパークにとって大きな意味がある。また,ジオパークからの支援は高校にとって有用である。はじめに,「地学基礎」,「地理総合」のカリキュラムについて述べ,その後ジオパークヘのメリット,高校へのメリットについて述べる。なお,カリキュラムについては2018年2月14日に示された新学習指導要領(案)に基づいて述べる。また,「地学基礎」と「地理A」の現行の教科書も参考にした。<「地学基礎」,「地理総合」のカリキュラムとジオパークによる支援可能な要素>「地学基礎」:大きく「地球のすがた」「変動する地球」に区分されている。これらのうち「地球のすがた」のプレートの運動や火山活動と地震,「変動する地球」の古生物の変遷,「地球の環境」の日本の自然環境のもたらす恩恵や災害,それらと人間生活との関わりについて,ジオパークには良い教材があり,探究活動のテーマも豊富である。「地理総合」:「地理総合」の内容は大きく3つに分けられる。すなわち「地図や地理情報システムで捉える現代世界」「国際理解と国際協力」「持続可能な地域づくりと私たち」である。このうち,「持続可能な地域づくりと私たち」は,さらに「自然環境と防災」「生活圏の調査と地域の展望」に区分される。「自然環境と防災」は課題探究活動の中で,自然災害,それへの備えや対応について知識を身につけ,ハザードマップや新旧地形図を読み取りまとめる技能を身につける。日本のジオパークの中には自然災害を主要なテーマとするものが多く(洞爺湖有珠山ジオパーク,三陸ジオパークなど)「自然環境と防災」分野では多くの支援が可能である。また,「生活圏の調査と地域の展望」の課題探究では,地域の成り立ちや変容,持続可能な地域づくりについて多面的・多角的に考察することとなっている。ジオパークの活動は持続可能な地域づくりを目的としている。したがって,ジオパークそのものが,「生活圏の調査と地域の展望」の教材となり,多くの支援が可能である。「地学基礎」と「地理総合」の相補的関係:従来の「地理 A」と「地学基礎」は,地形分野に関して相補的である。「地学基礎」では,地球内部の力が扱われるが,地形への言及は少ない。一方地形については「地理 A」で学ぶことができた。しかし,「地理総合」でどのように地形が扱われるか,詳細はわからない。学習指導要領(案)では地形への言及は少ない。ただし,「地理 A」の教科書と対応する学習指導要領とを比較すると,学習指導要領にほとんど言及のない地形に関する内容が教科書には含まれている。もし同様に「地理総合」の教科書に地形に関する内容が含まれているとすれば,「地学基礎」と「地理総合」の両方を学ぶことで相補的な地形理解が可能であろう。また,「地理総合」の自然災害に関する探究活動では,地形を題材にする可能性が高い。したがって,ジオパークにによる地形についての学習支援が重要であろう。また,「地学基礎」では地震や火山について災害の要因は学ぶが,災害そのものの学習は十分ではない。例えば,土石流や豪雪については,現行「地学基礎」の教科書には記述が見られない。一方「地理総合」では,地域の自然災害が探究活動の大きなテーマとなる。災害を多面的・多角的に理解するためには,「地学基礎」と「地理総合」の両者の学習が必要である。両者の学習が困難な場合は,ジオパークによる支援が有効である。<「地学基礎」,「地理総合」への支援:ジオパークのメリット>高等学校の「地学基礎」,「地理総合」の授業を支援することは,そもそもジオパークの3つの活動(保全,教育,地域の持続可能な発達)の一つの「教育」そのものである。このほかに,「地学基礎」,「地理総合」の授業支援には,ジオパークにとって3つのメリットがある。第1にジオパークを支える人材を生み出す効果がある。「地学基礎」,「地理総合」の探究的学習が行われた場合,地域の課題やジオパークの活動に関心のある人材が生まれる可能性が高い。第2に「地理総合」の探究的活動は地域活性化に直接貢献する可能性があり,その成果をジオパークに活かせる可能性がある。第3に「地学基礎」,「地理総合」の授業支援は,防災・減災にも有用である。したがって,防災・減災に関わる人材を生み出す可能性がある。<「地学基礎」,「地理総合」への支援:高校側のメリット>「地学基礎」,「地理総合」への支援は高校にとって3つのメリットがある。第1にジオパークの専門員や大学の教員を授業に活用できることである。ジオパーク関係の学術関係者は,対話やグループ活動を通じた授業を行える人材が多い。日常的にガイド教育を行うとともに,対話的に進行するNHKの人気番組「ブラタモリ」の影響を受けているためである。第2に,地球惑星科学を総合的に学ぶことが可能になる。「地学基礎」,「地理総合」を単独で学んだ場合,地学的現象を総合的な地球惑星科学の視点から学ぶことはむずかしい。第3にジオパークそのものに探究的活動の素材を見つけることができることである。以上のように,「地学基礎」,「地理総合」への支援はジオパーク側にも高校側にもメリットがある。したがって,ジオパークからの「地理総合」と「地学基礎」への支援は可能である。支援を活発化させるためには,ジオパークから高校への働きかけが重要であろう。
著者
熊本 雄一郎 青山 道夫 濱島 靖典 岡 英太郎 村田 昌彦
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
JpGU-AGU Joint Meeting 2017
巻号頁・発行日
2017-03-10

2011年3月11日に発生した巨大地震とそれに引き続く大津波は、福島第一原子力発電所(FNPP1)の核燃料露出と炉心損傷を引き起こした。その結果、多くの放射性セシウム(134Csと137Cs)がFNPP1より漏えいし北太平洋に放出された。これまでの観測研究によって、日本近海の北太平洋に大気沈着および直接流出した放射性セシウムは北太平洋海流に沿って中緯度表層を東に移行しつつあることが明らかにされた(Kumamoto et al., 2016)。また、黒潮・黒潮続流の南側に大気沈着した放射性セシウムは亜熱帯モード水の亜表層への沈み込みによって、2014年末までに西部亜熱帯域のほぼ南端に相当する北緯15度まで南下したことが確認されている(Kumamoto et al., 2017)。一方、2011年から2015年の約4年余の間、北海道西部、新潟、石川、福井、島根、佐賀、鹿児島、愛媛、静岡県の各原子力発電所の沿岸域では、海水中放射性セシウムの継続な濃度上昇が確認されている(規制庁, 2016)。また、Aoyama et al.(2017)も2015/2016年に同沿岸海域における表面水中濃度の上昇を報告している。放射性セシウム濃度の上昇が観測された海域は黒潮系水の影響が比較的大きい沿岸海域であり、これらの結果はFNPP1事故で西部亜熱帯域全体に拡がった放射性セシウムが、時計回りの亜熱帯循環流によって日本沿岸に回帰していることを暗示している。しかしながら、西部亜熱帯循環域におけるFNPP1事故起源放射性セシウムの時空間変動は明らかではない。我々は2015年および2016年に黒潮・黒潮続流南側の西部亜熱帯域において、表面から深度約800mまでの海水中溶存放射性セシウムの濃度を測定したのでその結果を報告する。海水試料は、新青丸KS15-14(2015年10月)、白鳳丸KH16-03(2016年6月)、および「かいめい」KM16-08(2016年9月)の各観測航海において、バケツ及びニスキン採水器を用いて各10~20リットルを採取された。陸上の実験室(海洋研究開発機構むつ研究所)において硝酸酸性にした後、海水中の放射性セシウムをリンモリブデン酸アンモニウム共沈法によって濃縮し、ゲルマニウム半導体検出器を用いて放射性セシウムの濃度を測定した。濃縮前処理と測定を通じて得られた分析の不確かさは、約8%であった。北緯30-32度/東経144-147度で得られた134Cs濃度(FNPP1事故時に放射壊変補正済)の鉛直分布を、同海域において2014年に得られたそれ(Kumamoto et al., 2017)と比較した。その結果、深度100m程度までの表面混合層においては、2014年には約1 Bq/m3であった134Cs濃度が、2015/2016年には1.5-2.5 Bq/m3に増加したことが分かった。一方、深度300-400mの亜表層極大層におけるその濃度は、2014年から2016年の3回の観測を通じてほとんど変化していなかった(約3-4 Bq/m3)。この134Cs濃度の亜表層極大層は、亜熱帯モード水の密度層とよく一致していた。一方、同じく黒潮続流南側の北緯34度/東経147-150度における放射壊変補正済134Cs濃度は、2012年から2014年の約3年間に、表面混合層では検出下限値以下(約0.1 Bq/m3)から約1 Bq/m3に増加し、亜表層の300-400mでは約16 Bq/m3から約3-4 Bq/m3に低下したことが報告されている(Kumamoto et al., 2017)。これらの観測結果は、FNPP1事故から5年以上が経過した2016年までに、亜熱帯モード水によって南方に輸送されたFNPP1事故起源の放射性セシウムが同モード水の時計回りの循環によって、日本南方の西部亜熱帯域北部に回帰してきたことを強く示唆している。その他の起源(例えば陸水)の影響が小さいと仮定できるならば、表面混合層における2012年から2016年の間の134Cs濃度上昇(0.1 Bq/m3以下から1.5-2.5 Bq/m3)は、亜表層極大の高濃度水がentrainmentによって表面水に取り込まれたためと推測される。講演では、日本沿岸域の2015/2016年の観測結果速報も報告する予定である。この本研究はJSPS科研費24110004の助成を受けた。