著者
小山 真人 鵜川 元雄
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2018年大会
巻号頁・発行日
2018-03-14

1987(昭和62)年8月20日の早朝、富士山頂で震度3の地震が発生し、その後も同月27日まで震度1~2の地震が3回続いた。これらの地震は山頂だけが有感であり、八合目付近の山小屋でも気づいた人はいなかった。遠方の高感度地震計の記録が不明瞭だったことから、山頂直下のごく浅い部分で発生したと考えられている。この地震を契機として山頂に初めて地震計が設置されたが、今日まで同様な地震は観測されていない。日誌などを遡っても例がなく、1933年以降で初めての事件であった(中禮ほか1987火山学会予稿集;神定ほか1988験震時報;鵜川ほか1989防災センター研報)。この地震は同年8月26日の各社の報道で大きく取り上げられ、火山活動との関係が取り沙汰されたが、噴火に結びつきそうな他の現象は起きなかったとされている。 現在の知識に照らすと、この地震の原因としてもっとも考えやすいのは山頂火口の陥没未遂である。過去たびたび噴火を起こした山頂火口下の火道内には空洞があって、重力的に不安定であろう。こうした火口の「栓」をなす岩石の一部が、時おり地下の空洞に崩落し、その際に小地震や火口底の陥没、場合によっては小さな噴火を伴うことが、他の火山で知られている。 裾野市立富士山資料館に展示されている山頂火口の古いジオラマに、「昭和62年8月頃 直径50m 深さ30m 陥没した」との丸い赤紙に書かれたメモが、陥没位置と思われる火口内壁に付されている。この真偽を調べるために、富士山資料館の元学芸員とジオラマを作成した職員(故人)の家族、当時の富士山測候所員、地震を受けて臨時観測に出かけた気象庁職員たちへの聞き取り調査、臨時観測の報告書ならびに測候所の気象観測日誌の確認を、富士山資料館と気象庁火山課の協力を得て実施した。また、地震前後に撮影された写真(気象庁職員、国土地理院、静岡新聞社、筆者撮影)とも照合した。それらの結果を以下に記す。(1)富士山資料館のジオラマ上のメモは、当時の富士山測候所の職員(名前不明)からの伝聞によって資料館職員が付したものらしい。(2)山頂火口内壁の同規模の円形の陥没が、地震後の写真(1988年3月と12月、1990年代)で確認できるが、地震前の写真(1986年9月と11月、1987年4月)にも認められる(1970年代の写真には確認できず)。また、その陥没位置は、ジオラマに表示された場所の近傍ではあるが若干異なる。なお、当時の観測項目中に地変がないため、観測日誌に陥没の記述はない(有感地震のみ欄外に記載)。2001年以降の写真に陥没は認められず、崩落で埋まったらしい。(3)上記陥没の存在は当時の複数の測候所員が認識しており、1982~84年頃の台風による大雨後に陥没したと記憶する職員もいるが、本当に大雨が原因かは不明とのこと。また、1987年地震後は火口内を注視していたが、際立った変化は確認できなかったとの談話もある。なお、地震当時の8月26日に山頂火口内の温度測定を実施した臨時観測の報告書には「特に高温な場所は発見できず、噴気等も全くなかった。また、大きな落石の跡も見当たらなかった」と記され、それに携わった職員の記憶にもない。以上のことから、山頂火口内壁の陥没は、1987年の山頂地震より前の1980年代なかばに発生したと判断できる。しかし、両者の発生時期が近いことから、原因が同一の疑いが残る。また、原因の如何にかかわらず、陥没の発生自体は山頂火口内壁ならびに火口底の不安定さの象徴とみなすべきであろう。現行の富士山の噴火警戒レベルは、レベル上げの際に2を使用せず、1から3に上げることになっている。気象庁によれば、レベル2は火口が特定できる場合に限っており、富士山では事前に火口が特定できないためと理由づけされている。かつて演者の1人は、住民に比べて対策の遅れがちな登山者のためにレベル2の使用を提案したが(小山2014科学)、その後の富士山火山広域避難計画対策編(2015年)ではレベル1を「レベル1(活火山に留意)」と「レベル1(情報収集体制)」の2つに分け、後者を登山者対策に使用することとなった。しかし、具体的な対策としては山小屋組合等への周知や入山規制実施の準備などとされ、登山者の避難や入山規制を義務づけてはいない。しかしながら、レベル2は本当に不要だろうか? 噴火前に火口が特定できる場合は本当にないのか? 地下からマグマが上昇して噴火に至るモデルにとらわれ過ぎていないか? 陥没や噴気の急激な復活など、噴火以外の現象の危険箇所が事前に特定できた場合はどうするのか? 上記の対策では事態の展開が速い場合に登山者の安全が十分確保できないのでは? などの疑問があり、レベル2問題は上記協議会での継続審議事項となっている。
著者
青山 雅史
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2018年大会
巻号頁・発行日
2018-03-14

1.はじめに 鬼怒川・小貝川低地の茨城県常総市若宮戸地区における2015年関東・東北豪雨による溢水発生地点周辺では,1960年代以降に砂の採掘や太陽光発電ソーラーパネル設置のため河畔砂丘が大規模に削剥され,無堤区間において堤防の役割を果たしていた河畔砂丘の縮小が進行したことに伴い洪水に対する脆弱性が高まっていったことが確認された.本発表では,本地域における高度経済成長期の砂採取や最近(2014年以降)のソーラーパネル設置のための造成などによる河畔砂丘の人為的地形改変過程とこの地区の溢水発生地点との関係を示す.2.調査方法 2015年関東・東北豪雨による溢水発生地点の一つである鬼怒川・小貝川低地の茨城県常総市若宮戸地区鬼怒川左岸の河畔砂丘における1947年以降の人為的地形変化(特に河畔砂丘の平面分布と面積の変化)と土地利用変化について,多時期の米軍・国土地理院撮影空中写真の判読,それらの空中写真や旧版地形図等を用いたGIS解析,集落内の石碑に関する調査,住民への聞き取り調査などから検討した.3.調査結果 1947年時点における若宮戸地区の河畔砂丘は,南北方向の長さが2,000m弱,東西方向の最大幅は400m弱,面積42haであり,3~4列の明瞭なリッジを有していた.その後,この河畔砂丘は人為的土地改変によって次第に縮小していった.1960年代中期から1970年代前半にかけて砂の採取のために削剥され,この時期に面積が大きく減少し,明瞭なリッジ(高まり)が1列のみとなり幅が著しく減少した(細くなった)箇所が生じた.若宮戸集落内には,元来河畔砂丘上にあった石碑や石塔が砂採取工事のため1968年に移築されたことを記した碑が存在する.2014年以降は,ソーラーパネル設置のため,河畔砂丘の人為的削剥が行われた.これらの結果,洪水発生直後の2015年9月末時点の河畔砂丘の面積は,1947年時点の河畔砂丘面積の約31%と大幅に縮小していた.2014年頃からソーラーパネル設置のため河畔砂丘北半部の一部が削られて河畔砂丘が消失した区間が生じた.この区間には,応急対策として大型土のうが設置されていた.2015年関東・東北豪雨におけるこの地区での溢水は,河畔砂丘が人為的に削られて洪水に対して著しく脆弱化していた2箇所において発生した.2015年段階の河畔砂丘の面積は13haであり,1947年から2015年にかけて1/3弱に減少していた.
著者
宮縁 育夫
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-05-17

2016年4月16日午前1時25分に発生したMj7.3の熊本地震(本震)によって熊本県から大分県を中心とする地域で甚大な災害が発生した.とくに熊本県阿蘇郡南阿蘇村では震度6強の揺れに襲われ,多数の建物倒壊とともに,100箇所以上の斜面崩壊が起こり,死者15名,行方不明者1名を出す大惨事となった.筆者はこの災害発生後から同村とその周辺域において現地調査を行い,2016年熊本地震によって発生した斜面崩壊の実態を明らかにしたので,その結果を報告する.4月16日未明の熊本地震による斜面崩壊の発生地域は,南阿蘇村を含む阿蘇カルデラ西部地域を中心としている.そうした斜面崩壊は阿蘇カルデラ壁斜面の崩壊と中央火口丘群斜面の崩壊に大きく区分することができる.前者については阿蘇カルデラの北西~西側壁の急斜面で大小さまざまな規模の崩壊が認められる.この地域の阿蘇カルデラ壁の標高差は300~450 m程度であり,大部分は先阿蘇火山岩類の安山岩からなる傾斜25度を越える斜面で崩壊が発生している.最大の崩壊は黒川に架かっていた阿蘇大橋の西側斜面で起こったもので,崩壊頂部の位置は標高710 m付近で,崩壊の高さは約300 m,幅130~200 mに達しており(いずれも土砂が堆積する部分を含む),国道57号線とJR豊肥本線を寸断した.遠望観察によると,明瞭なすべり面は認められず.崩壊面にはほぼ水平に堆積した先阿蘇火山岩類の溶岩や火砕岩などが確認できる.強い地震動によってカルデラ壁急斜面に存在した不安定な溶岩・火砕岩がクラックなどに沿って崩壊したのであろう.後者の中央火口丘群斜面の崩壊は今回の地震災害を特徴づける現象である.この崩壊は急斜面でも起こっているが,傾斜10度以下の緩斜面でも発生していることが特筆すべき点である.中央火口丘群西側斜面は,玄武岩から流紋岩に及ぶ広い組成の溶岩・火砕岩が分布しているが,そうした火山岩を厚さ数m~数10 mの未固結なテフラ層(おもにシルト質火山灰と土壌層)が覆っている.大部分の斜面崩壊は深さ4~8 m程度であり,溶岩を覆うテフラ層内で起こっていることが現地調査の結果,明らかとなった.また,崩壊した土砂は緩傾斜であるにもかかわらず,標高差の割に長距離(2016年熊本地震に伴って発生した斜面災害は,2012年7月などの豪雨による土砂災害とは異なった特徴を有している.強い地震動によっては,緩斜面であっても崩壊が発生して,その崩壊土砂が岩屑なだれ化して長距離運搬され,人命や建物に甚大な被害を及ぼすことが明らかとなった.
著者
渡辺 満久 鈴木 康弘 中田 高
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-05-19

1. はじめに布田川-日奈久断層の活動により2016年熊本地震が引き起こされ、甚大な被害を生じた。被害がとくに顕著な地域はやや局所的であり、活断層との関係が伺われる。以下、益城町と南阿蘇村の事例を報告し、今後の地震防災に活かすべき教訓として提示したい。2.益城町益城町の市街地では震度7を2度記録したが、4/16の地震時の建物被害が著しかったようである。地震被害が激甚な害域は、南北幅が数100 km程度で、東西に数 km連続する「震災の帯」をなしている。ここでは、耐震性が低くない建物までもが壊滅的な被害を被っていることがある。この「震災の帯」の中には、益城町堂園付近から連続する(布田川断層から分岐する)地震断層が見出さるため、その活動が地震被害の集中に寄与している可能性が非常に高い。木山川南方の布田川断層沿いにおいても地震断層が出現し、その近傍では壊滅的な被害を受けた家屋が集中している。その被害集中範囲も、地震断層沿いの幅およそ1km程度内に限定される。このように、地震断層直上の建物は悉く全壊し、近傍においても建物被害が著ししい。断層運動による地盤のずれとともに、強震動と地盤破壊による影響が強かったと推定される。3.南阿蘇村阿蘇カルデラ内の南阿蘇村(倒壊した阿蘇大橋周辺)においては、複数の地震断層が併走して現われた。地震断層直上およびその近傍では、ほとんどの建物が倒壊しており、多くの犠牲者を出した。ここでも、断層運動による地盤のずれてしまったことと、断層近傍での震動が強かったことが、被害を拡大させたと考えられる。これらの地震断層は、事前に検出することは非常に困難であると思われる。断層による地盤のずれの現われ方に関して、今後の防災においては非常に貴重な事例となるであろう。また、この地域においては、少なくとも5台の自動車が北~北西方向へ横倒しとなっていることも確認した。このような現象は、兵庫県南部地震では確認されていない。横ずれ断層にともなう断層直交方向のS波により転倒したと推定される。それは、南阿蘇村に集中する大規模な斜面崩壊の引き金にもなったと思われる。4.まとめ活断層の位置は、地震防災上きわめて重要活基礎的な情報であることが再確認された。どうようの現象は兵庫県南部地震時に神戸市街地でも確認されていたのであるが、残念ながら活断層の重要性が共有されることはなく、結果的に、兵庫県南部地震の教訓を生かすことにはつながらなかった。今後、活断層の事前認定が防災上極めて重要であることを再認識し、「都市圏活断層図」等を活用することによって、広域的な減災対策を講ずることが必要である。なお、南阿蘇村の事例は、現段階での活断層認定の限界を示すものである。地震防災を考える上では、既知の活断層周辺において何が起こるのか、慎重に検討してゆく必要がある。
著者
鈴木 康弘 渡辺 満久 中田 高
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-05-17

1. はじめに2016年熊本地震は、既知の活断層の活動により引き起こされた、1995年兵庫県南部地震に匹敵するM7.3の直下地震(活断層地震)である。地震本部による活断層評価により、その地震発生は長期予測されていたと言えないことはないが、①地震発生そのもの、②局所的な被害集中、③地震断層の出現において、予測通りであったとは言いがたい点が多い。局所的かつ甚大な被害は改めて活断層地震の脅威を再認識させるものであり、従来の予測の問題点や限界を確認し、今後の地震防災に活かすべき教訓は非常に多い。2. 活断層評価の問題今回の地震の震源となった活断層は、地震本部により2002年と2013年の二度にわたって長期評価されている。2002年の評価では阿蘇から八代海にかけて伸びる延長100kmの断層を一連の活断層ととらえ、布田川・日奈久断層と呼んだ。これに対し、2013年の評価では、熊本平野内の地下探査結果を重視して、布田川断層は阿蘇から宇土半島の方向へ伸びるとし、一方、益城町砥川付近から八代海までを日奈久断層と改称した。一方、国土地理院の都市圏活断層図では、布田川断層の変位地形は砥川より南方へスムーズにつながることから、布田川断層の範囲を南阿蘇村付近から甲佐町白旗付近までとした(すなわち2013年評価において「高野-白旗区間」としたものの帰属をめぐり複数の見解が示されていた)。活断層評価における断層名は長期評価の一環であることから、地震発生によりどれが適切であったかが検証されるべきである。2016年熊本地震は、2002年の評価に基づけば、4/14、4/16ともに布田川・日奈久断層の「北東部」(地震本部,2002)が連続的に活動して起こしたものということになる。一方、2013年の評価によれば、4/14に日奈久断層の最北部の一部(高野-白旗区間)が、4/16に布田川断層の一部(布田川区間)が活動したという言い方になる。別々の断層の2区間が不規則に連動したという見方よりも、ひとつの断層が一連の地震活動を起こしたとする方が理解しやすい。4/14の地震では地震断層が出現していないことから、高野-白旗区間の固有地震と見ることは困難である。なぜなら固有地震はそもそも地表の断層痕跡により認定されるものであるから。また、4/14の地震を「ひとまわり小さな地震」と認識すれば、固有地震が起こる可能性をより多くの研究者が指摘できたかもしれない。3. 断層分岐形状と震源位置の不一致地震断層のトレースの分岐は、益城町最北部(杉堂付近)より西では西へ、東では東へ向かう傾向がある。そのため、震源が益城町より西にあるとする気象庁の結果とは整合しない。とくに後述する益城町堂園から益城町市街地へ伸びる分岐断層は主断層のトレースから西の方向へ向かって分岐しており、これより西に震源があると布田川断層の地震断層トレースの出現を説明できない。断層に沿う破壊伝播が震源から連続的に進行したわけではなかった可能性を考慮する必要がある。4. 強震動の問題震度7を二度記録した益城町では、4/16の地震時の建物被害が著しい。激甚被害域は東西に伸び、南北幅1km程度の「震災の帯」を呈している。耐震性が乏しくない建物までもが壊滅的な被害を被っていることがあり、「震災の帯」の中に後述の地震断層が見出され、その活動が被害拡大に寄与している可能性が高い。布田川断層沿いはいずれも壊滅的な被害を受け、その範囲も断層沿いの幅およそ1km程度に限定される。活断層直上の建物は悉く全壊し、近傍においても強震動と地盤破壊による建物被害が著しい。阿蘇カルデラ内の南阿蘇村においては地震断層が複数併走し、地震断層直上および近傍ではほとんどの建物が倒壊して多くの犠牲者を出した。また少なくとも5台の自動車が北~北西方向へ横倒しとなった。この現象は阪神淡路大震災でも確認されなかったことであり、横ずれ断層に伴う断層直交方向のS波により転倒したと推定される。南阿蘇村に集中する大規模な斜面崩壊の引き金にもなったと思われる。5. 分岐断層(副断層)の問題布田川・日奈久断層の位置は「都市圏活断層図」(国土地理院)に詳細に示され、大半の地震断層は活断層線上に現れた。しかし、地図上に示されていない副次的な断層が現れた箇所も多い。とくに益城町堂園から益城町宮園へ総延長4kmの地震断層が現れ、益城町市街地に甚大な被害を与えた。大半が沖積地内にあるため変動地形学的手法が適用しづらかったためもあるが、台地を切る部分においても変位地形は明瞭ではない。そのことから、副次的な断層の活動性が低かった可能性がある。なお「新編日本の活断層」にはほぼこの位置に確実度Ⅱの木山断層が示されている。これとの関連も検討する必要がある。これ以外にも、副次的な断層が複雑な分布を呈した。主断層は右ずれであったが、共役の左横ずれ断層も出現した。こうした複雑さは事前に考慮できていなかった。6. 防災上の教訓活断層評価において、断層のセグメンテーションとグルーピングを再検討する必要がある。変位地形が連続する活断層を便宜的に細分することは適切ではない。強震動予測においては、震度7の分布を再現できるかを検討する必要がある。果たして「浅部は強震動を出さない」とする従来の強震動シミュレーションモデルで説明可能であろうか? 浅部が強震動を発生させたと考えるべき事例は2014年神城断層地震にもある。こうした検討のためにも、震度7の分布が公式に示される必要がある。震度7の地域では特別な地震対策が求められるため、今後の防災においては震度7になり得る地域を指定する必要がある。「強い地震はどこでも起きる」と安易に言うことはミスリードになりかねない。分岐断層が事前に評価できなかった原因を検証することも重要である。活断層の事前認定は防災上重要であり、「都市圏活断層図」等、広域的な一般防災のレベルにおける状況と改善策を明らかにする必要がある。一方、原発安全審査における活断層評価は、さらに厳密さが求められる。原発建設時の地質学的手法により敷地内および周辺に見出される断層について、今回の分岐断層のようなものを「将来活動する可能性のある断層」として判定できたか否か検証することが求められる。現在の規制基準が、活動性を明確に判断できない曖昧さを持っている場合にはこれを改訂することも検討すべきであろう。
著者
林 能成
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2019年大会
巻号頁・発行日
2019-03-14

地震災害軽減において、地震予知への社会的な期待は極めて大きい。公的機関による大規模な地殻活動の観測を根拠にするものから、民間による根拠不明な予言レベルのものまで、多くの地震予知がかなり昔から試みられているが、現実には予知率、的中率、警報期間の3つ全てを実用レベルで実現しているものはない(泊, 2015)。国として進められてきた東海地震の予知と大震法に基づく社会規制という体制は、ターゲットとする地震を南海トラフ全体に広げる検討の中で後退し、2017年11月から「南海トラフ地震に関連する情報(臨時)」による控え目な対応へと変更された。現在、市民、企業、行政などで行動指針の策定が試みられているが、事前に出される可能性がある情報についての予知率や的中率に関する共通認識が得られているとは言い難く、非常に厳格な社会規制や対応が真面目に検討される場面が少なくない。また地震研究者の間でも、地震予知の実現可能性についての認識には幅があり、大地震に先行する現象がそもそも存在しないと考える者もあれば、観測や判定に関する知見が不足していると考える者もいるなど多様性がある。そこで地震前予測情報についての地震研究者の総合的な認識を明らかにするためのアンケート調査を行なった。アンケートでは地震の事前予測ができる、できないという単純な聞き方ではなく、地震予測情報を発表に至るまでのプロセスを以下の4段階に分解したのが特徴である。4段階とは、(1)地震に先行する現象の有無、(2)その現象の観測可能性、(3)観測された事象を異常と判定できる可能性、(4)異常と判定された場合に社会に向けて発表できるか否かで、各研究者の認識を0%から100%まで10%きざみの数値で回答を求めた。さらに、地震前に情報が出された場合に、市民が制限のある生活に耐えらられる期間に地震が起こる確率(的中率)についても、同様に0%から100%まで10%きざみの数値で回答を求めた。ほとんどの研究者はこれらの数字を判断する上で明確な科学的根拠を持っているわけではないが、地震に関する調査・研究を長年進めてきた経験に基づく相場観を聞いた形である。対象とした研究者は日本地震学会の理事、代議員、合計129名で、このうちの90名から回答を得た。地震学会の代議員は会員による選挙で選出されるため、同分野の中で一定の見識を持っている研究者が選ばれていると考えることができる。アンケートへの回答は2018年の日本地震学会秋季大会の会場において対面で依頼することを基本とし、それが不可能だった人にはメールによって回答を求めた。暫定的な集計結果では、情報を発表に至るまでの4段階いずれにおいても0%から100%まで回答には幅があり、地震学者の中でも地震の事前発生予測に多様な認識があることが明らかになった。各段階の平均値は(1)「現象の有無」47%、(2)「観測の可否」47%、(3)「判定の可否」28%、(4)「発表の可否」41%となり、判定を難しいと考える研究者が多い傾向にある。しかし、全ての回答が平均値に近い研究者は少なく、専門分野やこれまでの研究経験によって、4段階のどこが難しいと考えるかには明瞭な違いが見られた。観測に基づく地震の事前予測を行い、その警報を社会に発表するためには、この4段階全てを成功させる必要がある。そこで各研究者の4段階の回答全てをかけ合わせた数字を求めたところ平均値は6%という値になった。これは市民や行政が期待している値よりも低い(たとえば、静岡新聞, 2018)。また情報が発表された時に、地震が起きる確率(的中率)の平均値は22%であった。当日の発表では平均値だけではわからない、回答のばらつきも踏まえた解析結果を示す。多くの専門家は科学的誠実さにもとづいて「実用的な地震予知ができる可能性は低い」とこれまで述べてきたが、その真意は必ずしも社会には伝わってこなかった。受け止める側では、「低い=0ではない」=「0でないなら対策を決めなければならない」=「想定される地震の被害は大きいので厳重な警戒が必要」となり、地震が発生しなかった場合を考慮しない厳重な対応策を選択しがちであった。この種の情報を使いこなすためには、市民感覚に比べて極めて低い予知率、的中率で、さらに長い警報期間を前提にした、無理のない対応策の検討が求められる。
著者
小口 高 山田 育穂 早川 裕弌 河本 大地 齋藤 仁
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2019年大会
巻号頁・発行日
2019-03-14

日本地球惑星科学連合(以下連合と記す)には、2005年の発足時から地理学に関連する学会が団体会員として参加している。2019年2月の時点において、連合の50の団体会員のうち学会名に地理の語を含む学会が6つある。他に学会の英語名に Geographical を含む学会や、地理学と関連が深い地図学や地形学の学会なども参加しており、地理学は連合の中で一定の役割を果たしている。特に、連合の地球人間圏セクションでは地理学の研究者が主体的に活動している。一方、地理学関連の諸学会の会員の中で、連合の大会や活動に参加している人の比率は低い。この理由として、地理学者の過半を占める人文地理学者が理系色の強い連合に親近感を持たないことや、各学会が独自の春季大会等を行っており、連合大会と重複感があることなどが挙げられる。しかし、連合と地理学が強く結びつくことは、双方にとってメリットがあると考える。近年、文科省などが科学における文理連携・融合を重視しているため、連合の活動を理系の研究以外にも広げることが望ましいが、この際には文理の連携を長年実践してきた地理学が貢献できる。一方、2022年度に高等学校の地歴科で必修となる新科目「地理総合」において、自然災害や地球環境問題が重視されていることに象徴されるように、地理学の関係者が地球科学の素養を高める必要も生じている。本発表では、連合と地理学が連携しつつ発展していくための検討を行う。発表者は連合大会に継続的に参加している3世代の自然地理学者、人文地理学者、および修士まで工学を学んだ後に地理学のPhDとなった研究者の5名であり、多様な側面からの考察を試みる。
著者
大野 夏樹 中田 裕之 大矢 浩代 鷹野 敏明 冨澤 一郎 細川 敬祐 津川 卓也 西岡 未知
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2019年大会
巻号頁・発行日
2019-03-14

大規模な地震の発生後に地面変動や津波により生じた音波や大気重力波が電離圏高度まで伝搬し電離圏擾乱が発生することが知られているが,地震発生後の電離圏中での鉛直方向の伝搬を捉えた例は多くない.本研究で用いる HFドップラー(HFD)では, 異なる送信周波数(5.006,6.055,8.006,9.595 MHz)の電波を用いることで複数の高度での変動を観測することが可能である.国土地理院のGNSS連続観測システム(GNSS Earth Observation Network : GEONET)により導出されるGPS-TECのデータと合わせて,地震に伴う電離圏擾乱の変動について高度方向の変化に注目し,解析を行った.2011年3月11日 14:46(JST)に発生したM9.0の東北地方太平洋沖地震において,観測点( HFDの電波反射点)直下付近の地震計に変動が確認された.HFDでは地震計に表面波が到達した約9分後に菅平,木曽受信点の両データに変動を確認しGPS-TECでは約10分後に変動を確認した.津波から直接音波が到達するには約20分かかるため,変動初期の10分は地面の変動により励起された音波が上空に伝搬して発生したと考えられる。さらにHFD, GPS-TEC, 地震計のデータにより観測された擾乱の周波数解析を行った.地震計および比較的低高度電離圏で反射したHFDデータ(5.006,6.055 MHz)の変動は,3~20 mHzまで周波数成分を含んでいたが高高度で反射したHFDデータ( 8.006,9.595 MHz)は3~5 mHzの周波数成分が卓越していることが分かった.3~5 mHzは多くの地震に伴うTEC変動で卓越する周波数帯であり本イベントでも同様の変動が確認され,高高度で反射したHFDデータにおいて近い周波数成分をもつ変動が確認された.7~20 mHzの周波数成分は,地震波が励起した音波は高い周波数ほど高高度で減衰するため,8.006,9.595 MHzのデータでは変動が減衰したと考えられる.この変動について,他の受信点のHFDデータとGPS-TECデータ, 地震計データを用いて比較・解析を行っており,発表ではその結果について報告する予定である.
著者
鈴木 雄介 山口 珠美
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

ジオパークは、平常時のみならず発災時においても、住民や訪問者に対して情報を届けるコミュニケーターとしての機能も期待される。本発表では、2015年に小噴火の発生した箱根火山において行った情報発信とそれに対するアンケート調査結果を報告し、発災時におけるジオパークの役割について述べる。箱根火山では、2015年4月末から大涌谷周辺で火山性地震が増加し、噴気の増加や蒸気井の暴噴などを経て5月6日に噴火警戒レベルが2に引き上げられ、大涌谷への立ち入りが禁止された。6月29日にはごく小規模な噴火が発生し翌30日に噴火警戒レベルが3に引き上げられた。その後、活動が低調になり噴火警戒レベルは9月11日にレベル2に、11月20日にレベル1に引き下げられたものの、大涌谷への立ち入り規制は現在(2016年2月)も継続中である。筆者らは、立ち入りが規制された大涌谷内の状況を解説することを目的とし、マルチコプターによる空撮等を用いて、解説映像を制作した。解説映像に用いた映像は7月15日と7月28日にしたもので、解説には神奈川県温泉地学研究所が7月21日にwebサイト上で発表した「箱根山2015年噴火の火口・噴気孔群(暫定版)」を用いた。制作した解説映像は、8月6日に動画共有サイトのYoutubeで閲覧可能とし、箱根ジオパークおよび伊豆半島ジオパークのwebサイトからリンクした。Youtubeでのこれまでの再生回数は約2700回である。また、環境省箱根ビジターセンター内で活動中であった箱根ジオミュージアムでは、館内の大型スクリーンを用い、訪問者に対し各種解説とあわせ映像を公開した。この映像の公開と同時に、伊豆半島ジオパークのwebサイト上および箱根ビジターセンター内で、閲覧者に対して、解説映像をどのように捉えたのか明らかにするためにアンケート調査を行った。アンケートの有効回答数は97件で、そのうちwebアンケートは65件、箱根ビジターセンターでの回答は33件であった。「このような動画を公開すべきか」という問いに対しては1件の回答を除き「積極的に公開すべき」「必要に応じて公開すべき」という回答であり、情報の需要は高いことがうかがわれた。全回答者に対し「公開すべきでない」理由を複数回答可で回答させたところ「説明不足であり誤解を生むため(9件)」「観光に悪影響があるため(6件)」「不要な恐怖心を与えるため(5件)」などの理由があげられた。「説明不足」や「不要な恐怖心」に関しては継続的な情報発信や、平常時におけるジオパークの活動によって軽減される可能性がある。一方「公開すべき」理由としては「観測観察された情報は公開されるべき(69件)」「火山のことを知るための良い材料になる(68件)」「現状を自分の目で確かめたい(65件)」が高い回答数であり、現状を自ら知り、判断したいという需要が高いことがわかった。その他、大涌谷で発生した噴火に関する興味関心の程度や、大涌谷への訪問回数と、現状の危険性に関する認識などについて解析を行った。アンケート結果からは「そこで何が起こっているのか」に関する情報の需要が高いことがうかがえた。発災時には地元自治体だけでなく、関連する研究機関などからも多くの情報が提供される。これらの個別的、専門的な情報をつないで、わかりやすく提供することがジオパークには求められている。また、発災時の情報発信の信頼性を確保するためには、どのような背景でどのような組織が何をやっているのかが伝わっている必要があり、平常時からの活動も重要である。
著者
神谷 貴文 中村 佐知子 伊藤 彰 小郷 沙矢香 西島 卓也 申 基澈 村中 康秀
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

岩石や鉱物に含まれるストロンチウム(Sr)の安定同位体比(87Sr/86Sr)は、これまで主に地質学や岩石学の分野で活用されてきたが、植物は地域基盤である岩石・土壌・水の同位体組成を反映することから、農産物の産地トレーサビリティー指標としても用いられつつある。ワサビ (Wasabia japonica)の栽培地は主に河川最上流部の湧水や渓流水であり、このような立地は、大気降下物や肥料などの人為的な影響が少なく、湧水は各地の地質を直接反映した同位体組成となると考えられる。そこで本研究では、Sr安定同位体比によるワサビの産地判別の可能性を評価することを目的とした。日本の主要なワサビ産地である静岡県、岩手県、長野県、東京都、島根県から計34地点においてワサビ97サンプルおよびその栽培地である湧水・渓流水95サンプルを採取し、微量元素と87Sr/86Srを測定した。その結果、87Sr/86Srは地質の特徴によって異なる値となり、同地点のワサビと湧水の値がほぼ一致することを確認した。第四紀の新しい火山岩地域である静岡県の伊豆・富士山地域では87Sr/86Srがほとんど0.7040以下と最も低い値となり、中生代の花崗岩や堆積岩が分布する長野県や東京都では0.7095以上で高い値となった。このように、87Sr/86Srによってワサビ生産地を判別できることが明らかになった。
著者
馬場 章 藤井 敏嗣 千葉 達朗 吉本 充宏 西澤 文勝 渋谷 秀敏
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2019年大会
巻号頁・発行日
2019-03-14

将来起こりうる火山災害を軽減するためには,過去の噴火推移の詳細を明らかにすることが重要である.特に西暦1707年の宝永噴火については,富士火山では比較的例の少ない大規模爆発的噴火の例として,ハザードマップ作成でも重要視されている.宝永噴火は基本的にプリニー式噴火であったとみなされているが,火口近傍相の研究は多くない.また,宝永山については,脱ガスしたマグマの貫入による隆起モデルが提唱されており(Miyaji et al.,2011),さらにはマグマ貫入による山体崩壊未遂の可能性と,予知可能な山体崩壊の例として避難計画策定の必要性が指摘されている(小山,2018).本発表では,宝永噴火の火口近傍相の地質調査・全岩化学組成分析・古地磁気測定などから新たに得られた知見をもとに,宝永山の形成過程について考察する.富士火山南東麓に位置する宝永山は,宝永噴火の際に古富士火山の一部が隆起して形成されたと推定されてきた(Tsuya,1955 ; Miyaji et al.,2011).しかし,赤岩を含む宝永山には多種多様な類質岩片は認められるものの,主には緻密な暗灰色スコリア片、火山弾から構成され,斑れい岩岩片や斑れい岩を捕獲した火山弾も認められる.それらの鏡下観察・全岩化学組成分析・古地磁気測定から,赤岩を含む宝永山は,Ho-Ⅲでもステージ2(Miyaji et al.,2011)に対比され ,マグマ水蒸気爆発による火口近傍の降下堆積物ないしサージ堆積物と推定される.また,宝永第2・第3火口縁,御殿庭の侵食谷側壁は,宝永噴火の降下堆積物で構成されており,ステージ1のHo-Ⅰ~Ⅲ(Miyaji et al.,2011)に対比される.侵食谷の基底部に白色・縞状軽石層は現時点において確認できないものの,下位から上位にかけて安山岩質から玄武岩質に漸移的な組成変化(SiO2=62.8~52.2wt%)をしている.そして,宝永第1火口内の火砕丘,宝永山山頂付近,御殿庭の侵食谷から得た古地磁気方位は,古地磁気永年変化曲線(JRFM2K.1)の西暦1707頃の古地磁気方位と一致する.これらの新たな知見に加えて,宝永噴出物のアイソパック(Miyaji et al.,2011),マグマ供給系(藤井,2007 ; 安田ほか,2015)と史料と絵図(小山,2009)も考慮し,宝永噴火に伴う宝永山の形成過程を推定した.宝永山はわずか9日間で形成された宝永噴火の給源近傍相としての火砕丘である.1.玄武岩質マグマがデイサイト質マグマに接触・混合したことで白色・縞状軽石が第1火口付近から噴出し,偏西風により東方向に流された(12月16日10~17時頃,Miyaji et al.,(2011)のUnit A,Bに相当).2.火口拡大に伴って第1火口の山体側も削剥され,多量の類質岩片が本質物と共に東~南方向に放出し,宝永山を形成し始めた(12月17日未明,Miyaji et al.,(2011)のUnit C~Fに相当).3.第1火口縁の地すべりによる火口閉塞ないし火口域の拡大により,噴出中心は第2火口に移行した(12月17~19日、Miyaji et al.,(2011)のUnit G~Iに相当).4.火口閉塞した類質岩片が噴出されることにより,噴火中心は第1火口に遷移し,断続的なマグマ水蒸気爆発により宝永山(赤岩)が形成された(12月19~25日、Miyaji et al.,(2011)のUnit J~Mに相当).5.噴火口が第1火口に限定されることで類質岩片の流入が止み,玄武岩質マグマによるプリニー噴火が6日間継続したのち,噴火が終了した(12月25~30日,Miyaji et al.,(2011)のUnit N~Qに相当).
著者
西川 友章 松澤 孝紀 太田 和晃 内田 直希 西村 卓也 井出 哲
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2019年大会
巻号頁・発行日
2019-03-14

Subduction zone megathrust earthquakes result from the interplay between fast dynamic rupture and slow deformation processes, which are directly observed as various slow earthquakes, including tectonic tremors, very low-frequency earthquake (VLFs) and slow slip events (SSEs), and indirectly suggested by a temporal change in the frequency of repeating earthquakes and the occurrence of episodic earthquake swarms. Some megathrust earthquakes have been preceded by slow earthquakes and terminated near the areas where slow earthquakes were frequently observed. While capturing the entire spectrum of slow earthquake activity is crucial for estimating the occurrence time and rupture extent of future megathrust earthquakes in a given subduction zone, such an observation is generally difficult, and slow earthquake activity is poorly understood in most subduction zones, including the Japan Trench, which hosted the 2011 Mw9.0 Tohoku-Oki earthquake. Here we reveal the slow earthquake activity in the Japan Trench in detail using tectonic tremors, which we detected in the seismograms of a new ocean-bottom seismograph network, VLFs, SSEs, repeating earthquakes, and earthquake swarms. We show that the slow earthquake distribution is complementary to the rupture area of the Tohoku-Oki earthquake and correlates with the structural heterogeneity along the Japan Trench. Concentrated slow earthquake activities were observed in the afterslip area of the Tohoku-Oki earthquake, which is located to the south of the fore-arc geological segment boundary. Our results suggest that the megathrust in the Japan Trench is divided into three segments that are characterised by different frictional properties, and that the rupture of the Tohoku-Oki earthquake, which nucleated in the central segment, was terminated by the two adjacent segments.
著者
鎌谷 紀子
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2019年大会
巻号頁・発行日
2019-03-14

1 はじめに日本では、北朝鮮付近を震源とする、自然地震ではない可能性がある地震波を気象庁が観測した場合は、気象庁は即座に首相官邸に連絡するとともに記者会見を開き、その事象のパラメーターを発表する。そして、過去に行われた北朝鮮の地下核実験や自然地震の波形と比較した資料を提示して、S波が不明瞭であるなどの地震波形の特徴を根拠として「自然地震ではない可能性がある」との説明を行う。これらの記者会見の資料は、気象庁ホームページで公開される。しかし、核実験の探知は気象庁の本来の業務ではないため、公に発表される解析結果はここまでである。また、CTBTO(包括的核実験禁止条約機構)のデータをもとに核実験を監視する機能を担うNDC1(国内データ・センター1)である気象協会は、核実験が行われた際には地震波形の解析を行うが、監視業務の委託元である日本国際問題研究所ホームページで公表されるのは、「爆発事象の特徴を有する波形であるので、この事象は核爆発を含む人工的な爆発事象である」といったシンプルな報告のみであることが多い。核実験の探知は日本の安全保障上重要な事柄であり、日本の研究者が核実験探知技術を研究することは重要である。今回は、これまでに日本語の文献で公表された、日本における地震波による核実験探知の研究についてレビューする。2 事象を記録していた時代現在入手できる最も古い文献は、久保寺・岡野(1960)であると考えられる。久保寺らは、1958年6月及び7月に米国がビキニ環礁で行った水爆の実験で、微気圧振動が到達するのと同じ時刻に、長周期地震計にも周期9分~1分程度の長周期の波動が記録されていたことを報告しており、それは、気圧変動によって地震計の振り子部分に浮力変化が生じたからであろうとしている。また、気象庁観測部(1972)は、1971年11月7日(日本時間)に米国によってアリューシャン列島アムチトカ島で行われた、TNT火薬約5メガトン級と言われる最大級の地下核実験による地震波形の記録を、ほぼ全国の観測点分掲載している。3 自然地震との識別に関する研究核実験を自然地震から識別するための研究は、主に松代地震観測所における地震波形を用いてなされている。山岸・他(1973)は、地下核実験のP波のスペクトルは短周期の波が卓越していることを述べた。また、大規模な地下核実験であれば、Msとmbを比較すれば識別は可能、と結論づけた。関・他(1980)は、地下核実験でも規模が大きくなるとS波や表面波が観測されることを指摘した。涌井・柿下(1986)は、MbとMSの比を使う識別方法は、大規模な地下核実験にしか適用できないことを指摘した。鎌谷(1998)は、複雑度、スペクトル比、周波数3次モーメントを使って、松代地震観測所の短周期上下動成分で観測された米国ネバダ州と中国シンチャンを震源とする地震波形を解析し、Mb5.3以上のイベントでは地下核実験の複雑度は全て1.00より小さいことを示し、自然地震からの識別には複雑度が最も有効であると述べた。岡本・神定(2007)は、2006年10月9日の北朝鮮による地下核実験について、松代の他、IRISの牡丹江と仁川の地震波形も解析し、PnやPgは自然地震のものと比較して高周波数に卓越していること、P波輻射は爆破震源に見られる等方輻射パターンであること等を示した。また、小山(2007)は、同じ実験について、松代の短周期地震計波形を使用して複雑度とスペクトル比を求め、複雑度よりもスペクトル比の方が識別しやすいとした。菊池(1997)は、1995年~1996年の中国とフランスによる核実験について、IRIS観測点の波形を用いてモーメントテンソルを求め、3つの主値の組み合わせが自然地震とは明らかに異なることや、核実験の震源としては中国は針状、フランスは円盤状のものが推定されることを示した。菊池は、震源の深さが数キロ未満で、かつ、Msとmbの差が大きい地震についてモーメントテンソルを求めることにより効率的に核実験の監視ができるであろうと述べた。これらの他、石川・他(1988)、森脇・石川(2007)、石川(2007)は、松代地震観測所における地下核実験の観測能力等について調査を行っている。また、吉澤(2008)は、IRISと防災科学技術研究所のF-netの地震波形を用いて各相の震幅や見かけ速度を求め、日本海の地震学的構造を論じた。4 今後に向けて日本における地震波による核実験探知の研究は、最近10年間はあまり進展していない。今後は、CTBTOとも連携しながら、核実験の識別技術について世界の研究成果を学ぶ努力が必要である。また、世界の地震波形を解析することにより、地下核実験の識別技術を高める研究を日本でも継続的に進めていくことが重要である。
著者
小山 真人
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2019年大会
巻号頁・発行日
2019-03-14

1707年富士山宝永噴火の火口は、これまで富士山南東斜面にある火口列(宝永第1〜第3火口)とされ、その脇にある宝永山は宝永噴火中のマグマの突き上げによって古い地層(古富士火山の一部)が隆起したものと解釈されていた(宮地・小山, 2007,「富士火山」;Miyaji et al., 2011, JVGRなど)。しかしながら、最近の台風通過による露頭状況の改善後に現地の地形・地質を見直した結果、従来の考え方と異なる結論に達したので報告する。宝永山付近の地質と赤岩の成因宝永山の山頂近くの赤岩に露出する凝灰角礫岩(ATB)は、1)黄褐色をして変質・固結が進んでいること、2)山体の傾斜とは不調和な南西方向に傾斜し、周囲の地層と不整合関係に見えること、3)宝永山の膨らみが宝永第2火口底を変形させたように見えること、4)周囲には見られない複数の断層が観察されることから、古富士火山時代の古い地層が宝永噴火の際に隆起して地表に露出したものと考えられてきた。しかしながら、地質調査ならびにドローンを用いた近接撮影画像とそれらのSfM(Structure from Motion)解析の結果、ATBは未固結・新鮮な降下スコリア(宝永スコリア:図のHSc)と指交関係にあり、従来考えられていた不整合は見当たらない。また、ATBは、着地時の高温で周囲を焼いた新鮮な火山弾・火山礫を含む。これらの観察事実から、ATBは宝永噴火堆積物の一部と考えられる。黄褐色の変質部分は、おそらく噴火時かその直後の熱水変質によるものであろう。また、第2火口底の「変形」は、HScが風下の東側に厚く堆積したことと、堆積後の斜面移動の影響と考えて矛盾はない。なお、赤岩表面の断層群には南東傾斜と北西傾斜の2系統(走向はともに尾根の伸びに沿う北東―南西)があって共役断層の疑いがあり、隆起の可能性は残される。HScの下位には、細粒基質をもつ凝灰角礫岩(宝永噴火堆積物の一般的特徴であるハンレイ岩礫を多く含む)が宝永山の東側斜面を取り巻くように広く露出しており、第1火口によって形成された火砕丘(HCC)と考えられる。宝永噴火の給源火口と推移 宝永噴火を起こした火口は、従来の考えでは宝永山の南西に隣接して北西―南東方位に並ぶ火口列(宝永第1、第2、第3火口)であり、噴火初期の軽石(宝永軽石)の給源が第2・第3火口、以後のスコリアの給源が主に第1火口と考えられてきた(宮地, 1984, 第四紀研究)。しかしながら、実際には第1〜第3のいずれの火口の周囲にも軽石が見当たらず(第1火口の東側地表に変質した軽石がまれに見つかるが、転石状で層位不明)、宝永軽石の給源火口は不明と言わざるを得ない。 一方、第3火口の東側にU字形をした火砕丘とみられる地形があり(ここでは御殿庭東火砕丘GHCと呼ぶ)、その表面ならびに断面には灰色で雑多な岩質の巨礫を多数含む角礫岩(基質は均質で新鮮な黒色岩片)が露出する。その特徴は、宝永第2・第3火口周囲の火砕丘HCCと類似し、噴火堆積物と考えられる。GHCのU字形の北西延長上には宝永山がある。 以上のことと前節で述べた宝永山付近の観察事実に加え、宝永噴火の古記録と絵図(小山, 2009,古今書院)、宝永軽石と宝永スコリアの等層厚線図(宮地, 1984)、宝永噴火のメカニズムに関する岩石学的解釈(藤井, 2007,「富士火山」;Miyaji et al., 2011)も考慮に入れて、宝永噴火の推移を次のように見直した(1〜5が従来の考え方と大きく異なる)。1.宝永噴火は、現在の宝永山から南東に伸びる割れ目(第1噴火割れ目)の噴火として始まり、最初に宝永軽石を噴出した後、割れ目火口の南東端に火砕丘GHCを形成した。2.宝永軽石(流紋岩質マグマ)の噴火を誘発した玄武岩質マグマが、軽石に引き続いて上昇し、若干南西側にずれた場所に新たに北西―南東方位の割れ目火口(第2噴火割れ目)を開いた。3.第2噴火割れ目上に並んだ宝永第1〜第3火口から爆発的な噴火が起き(火口が開いた順序は、地形から判断して南東→北西)、火口の周囲に火砕丘HCCを形成した。4.宝永スコリアが主として第1火口から噴出し、すでにあった火砕丘(GHCとHCC)の一部を厚くおおった(図のHSc)。この際に赤岩のATBも堆積した。5.主として3〜4の結果として、噴火初期にできた宝永軽石の給源火口が埋没し、宝永山が形成された。なお、宝永軽石の元となった流紋岩質マグマの一部が宝永山を若干隆起させた可能性が残る。6.噴火の最終段階に至り、第1火口底にスパター丘HSpが形成され、最後の爆発でその山頂に小火口が開いた。
著者
松田 法子
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2019年大会
巻号頁・発行日
2019-03-14

講演者は都市史・建築史を専門とする。まちの成り立ちやその展開の歴史を、地理的、建築的、社会的、文化的に検討し、わたしたちの居住地や、他の様々な土地が、いったいどのような背景や経緯によって現在に至っているのかを探っている。またそこから、土地と人とが取り結んできた本質的な関係とその意義を考えようとしている。さて、「ブラタモリ」では、番組の冒頭近くで、その土地に対するある「お題」(設問)が示される。それは一見平易な内容で、出演者や視聴者は、その設問に納得したり、そんなことはもうわかっているよ、と思ったり、あるいはまた少々戸惑ったりしながら、番組の道のりを楽しく想像する。しかし問いに的確に答えていくことは、専門家をもってしても実はかなり難しい。それは既に、多岐にわたる学術分野の知見を制作チームが吸収したうえで、かつ誰もがその土地のイメージとして理解できるようなフレーズとする、という絶妙なバランスによって練られたテーマだからだ。その後に続くまち(土地)歩きは、そのお題を軸に組み立てられていく。複数分野の専門家がリレー式にバトンをつなぎながら土地の解読に付き添うスタイルは、土地を見る視点の複数性と幅広さを担保する。そして、歩きながら答えを見つけていくこのやり方は、都市や山岳、巨大土木構築物などスケールの大きな対象や長い時間の流れを、手元や足元といった身体的で小さなスケールから体感的に理解していくという、フィールドサーヴェイの醍醐味も具現化している。そうした一方で、TVプログラムであるという媒体の特性上、問いの答え探しの道のりやそのストーリー立ては、視覚的に認識しやすい資史料や場所がつながれやすいという側面ももっている。歴史分野で言えば、絵図や古文書、古写真、現場の遺構などは大いに力を発揮するが、目で見てわかりにくい事物や、土地の歴史を語る上では重要であるものの、前提として込み入った解説が必要な事項は通過されがちになるだろう。以上について、講演者の知る範囲に限り若干の話題提供を行う予定である。
著者
宮下 由香里 吾妻 崇 小峰 佑介 亀高 正男 岸山 碧
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2019年大会
巻号頁・発行日
2019-03-14

日奈久断層帯は,2016年熊本地震の発生を受け,地震活動が活発化するエリアに属することが指摘されている.しかし,日奈久断層帯の古地震履歴は不明な点が多い.産総研は,熊本地震以降,3年間にわたって日奈久断層帯の陸域及び海域において古地震調査を実施してきた.その結果,日奈久断層帯はこれまでに考えられてきたよりも,高頻度で地震を起こしてきたことが明らかとなりつつある.プロジェクト最終年度にあたる今年度は,八代市でトレンチ調査を行った.速報的な結果と過去2年間の調査結果,今後の課題を紹介する.トレンチ調査は,八代市川田町西地点で行った.トレンチは昨年度同地点で掘削したトレンチ南側に隣接する場所で掘削した.トレンチ掘削に先立ち,7孔のボーリングを掘削して,堆積物の層相と分布を把握し,断層通過位置を推定した.トレンチは2段階に分けて掘削した.1個目のトレンチでは,西側導入路部分に断層が露出したため,断層がトレンチ壁面の中央にくるように2個目のトレンチを掘削した.2個目のトレンチは,長さ17m,幅10m,深さ6m程度で,2段堀とした.トレンチ壁面の地層は,南北両壁面において,上位より,A:人工改変土,B:河川成のシルト,砂,C:チャネルを充填するシルト,砂,砂礫,D:河川成のシルト,砂,砂礫の各層に大別される.B層は古代の土師器を含む.D層は上部の縄文後期の土器を含むシルト・砂,中部の腐植質シルト,下部のK-Ah火山灰層を含むシルト/砂互層,最下部の砂礫層から構成される.断層は,南北両壁面で観察され,北東—南西走向,高角西傾斜の見かけ正断層である.D層以下を変位・変形させる.北壁面では,断層はD層中で上方に向かって分岐する.C層に削り込まれるが,C層最下底は変形に伴う開口亀裂を充填しているようにも見える.以上より,D層/C層境界付近にイベント層準を認定した.D層を構成する地層中では,断層両側での変位量の差違,引きずり変形の程度の違い,断層低下側での層厚の変化などが認められ,D層中に1回の古地震イベントがある可能性がある.南壁面では,平行な2条の断層面が認められる.いずれもD層上部で不明瞭となるが,B層には確実に覆われる.予察的な年代測定の結果,C層から1130±30 yBP,D層から6240±30 yBPが得られている.以上より,1130±30 yBPと6240±30 yBP間に,2回以上の古地震イベントが推定される.
著者
今津 勝紀 中塚 武
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2019年大会
巻号頁・発行日
2019-03-14

年輪酸素同位体比の解析により、年単位の高解像度の気候復原が実現し、過去数千年にわたる気候変動が明らかになった。年輪を構成するセルロースの酸素同位体比はその年の夏期の乾燥と湿潤を反映する。文字資料のない先史時代などの分析では、気候の数十年から数百年の中期的・長期的変動が有効であるが、文字を本格的に利用する国家成立以降の段階では、年単位のイベントと気象のあり方を照合することが可能となったのである。人間の生活が、自然との応答の中にあることは間違いないが、これまでの歴史学においては、過去の人間の生活と自然との応答を客観的に把握する方法が十分ではなかった。高解像度の古気候復原は、歴史学に新たな「ものさし」をもたらしたのである。本研究では、日本の古代、とりわけ8世紀と9世紀を取りあげ、当該期の気候と社会との応答関係を明らかにする。中塚武による当該期の年単位気候復原により、8世紀は総体として乾燥気味ではあったが安定的であり、9世紀後半に不安定化して湿潤化し、10世紀に一転して乾燥が進行することが明らかとなった。当該期の歴史を記した文献資料『続日本紀』・『日本後紀』・『続日本後紀』・『日本文徳天皇実録』・『日本三代実録』にも気象に関する記事が含まれるが、それは簡略なものであり、実際にどれだけの旱や旱魃、霖雨や大雨であったのかはわからなかった。ようやく、高解像度の気候復原により、夏期の極端な乾燥や湿潤がどのような規模で、どのような被害をもたらしたのかを史料に即して理解することができるようになった。また、中長期的な気候の変動が把握できるようになることで、気候変動と国家や社会の変容との関連について見通しをえることも可能になった。とりわけ、本研究で注目したいのは、古代の人口変動と社会システムの変容についてである。8世紀初頭の大宝律令の施行により、中国に範を求めた律令国家が完成するが、律令国家の諸制度は、日本という枠組みの起源となり、その後の日本の歴史を根底において規定する重要な意味をもった。律令国家の支配人口は、8世紀初頭で450万人程度、9世紀初頭で550万人程度と見込まれており、8世紀から9世紀の年平均人口増加率は0.2%となる。江戸時代の初頭、17世紀の人口は1200万人~1800万人と推定されており、古代から近世にかけて人口は微増するのだが、中世から近世に至る800年間の年平均人口増加率はせいぜい0.1%から0.15%である。日本古代は飢饉や疫病が頻発し脆弱で流動性の高い社会であったが、中世に比して高率の人口増加が実現した。その背景には、人と田を中央集権的に管理する律令制による再生産システムが機能していたことが想定できるとともに、8世紀の比較的安定的な気候が作用していたことが考えられる。また、唐や新羅といった日本の周辺諸国の変動にともない、日本の律令制もなし崩し的に崩壊する。律令国家は、9世紀の後半から10世紀後半にかけて大きく変容するのだが、こうした社会システムの変容には、当時の世界情勢の変化とともに気候の変動が作用した。9世紀の後半には、耕作できない土地の増加や水損被害の田が問題化するが、その現実的な背景として、湿潤化という気候の変動があったことは間違いない。律令国家は、人と田を把握し管理することを放棄するようになるのであり、律令制再生産システムは崩壊していった。この時期は日本列島で地震が頻発し、火山の噴火もみられ、飢饉に疫病が集中する時期でもある。いわば、9世紀後半は日本古代社会の全般的危機の時代であった。8世紀の初頭に完成した律令国家の中央集権的構造は、9世紀の後半以降、崩壊しはじめ、中央政府は都市平安京の王朝政府へと縮小するのであった。
著者
加納 靖之 橋本 雄太 中西 一郎 大邑 潤三 天野 たま 久葉 智代 酒井 春乃 伊藤 和行 小田木 洋子 西川 真樹子 堀川 晴央 水島 和哉 安国 良一 山本 宗尚
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
JpGU-AGU Joint Meeting 2017
巻号頁・発行日
2017-03-10

京都大学古地震研究会では,2017年1月に「みんなで翻刻【地震史料】」を公開した(https://honkoku.org/).「みんなで翻刻」は,Web上で歴史史料を翻刻するためのアプリケーションであり,これを利用した翻刻プロジェクトである.ここで,「みんなで」は,Webでつながる人々(研究者だけでなく一般の方をふくむ)をさしており,「翻刻」は,くずし字等で書かれている史料(古文書等)を,一字ずつ活字(テキスト)に起こしていく作業のことである.古地震(歴史地震)の研究においては,伝来している史料を翻刻し,地震学的な情報(地震発生の日時や場所,規模など)を抽出するための基礎データとする.これまでに地震や地震に関わる諸現象についての記録が多数収集され,その翻刻をまとめた地震史料集(たとえば,『大日本地震史料』,『新収日本地震史料』など)が刊行され,活用されてきた.いっぽうで,過去の人々が残した膨大な文字記録のうち,活字(テキスト)になってデータとして活用しやすい状態になっている史料は,割合としてはそれほど大きくはない.未翻刻の史料に重要な情報が含まれている可能性もあるが,研究者だけですべてを翻刻するのは現実的ではない.このような状況のなか,「みんなで翻刻【地震史料】」では,翻刻の対象とする史料を,地震に関する史料とし,東京大学地震研究所図書室が所蔵する石本コレクションから,114冊を選んだ.このコレクションを利用したのは,既に画像が公開されており権利関係がはっきりしていること,部分的には翻刻され公刊されているが,全部ではないこと,システム開発にあたって手頃なボリュームであること,過去の地震や災害に関係する史料なので興味をもってもらえる可能性があること,が主な理由である.「みんなで翻刻【地震史料】」で翻刻できる史料のうち一部は,既刊の地震史料集にも翻刻が収録されている.しかし,ページ数の都合などにより省略されている部分も多い.「みんなで翻刻【地震史料】」によって,114冊の史料の全文の翻刻がそろうことにより,これまで見過ごされてきた情報を抽出できるようになる可能性がある.石本文庫には,内容の類似した史料が含まれていることが知られているが,全文の翻刻により,史料間の異同の検討などにより,これまでより正確に記載内容を理解できるようになるだろう.「みんなで翻刻」では,ブラウザ上で動作する縦書きエディタを開発・採用して,オンラインでの翻刻をスムーズにおこなう環境を構築したほか,翻刻した文字数がランキング形式で表示されるなど,楽しみながら翻刻できるような工夫をしている.また.利用者どうしが,編集履歴や掲示板機能によって,翻刻内容について議論することができる.さらに,くずし字学習支援アプリKuLAと連携している.正式公開後3週間の時点で,全史料114点中29点の翻刻がひととおり完了している.画像単位では3193枚中867枚(全体の27.2%)の翻刻がひととり完了している.総入力文字数は約70万字である.未翻刻の文書を翻刻することがプロジェクトの主たる目的である.これに加えて,Web上で活動することにより,ふだん古文書や地域の歴史,災害史などに興味をもっていない層の方々が,古地震や古災害,地域の歴史に関する情報を届けるきっかけになると考えている.謝辞:「みんなで翻刻【地震史料】」では,東京大学地震研究所所蔵の石本文庫の画像データを利用した.
著者
津島 俊介 尾方 隆幸
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
JpGU-AGU Joint Meeting 2017
巻号頁・発行日
2017-03-10

日本のジオパークにおいて大気圏および水圏の地球科学的事象が十分に扱われていないことを踏まえ,気象気候と水に重点を置いたジオストーリーと,それに基づくジオツアー用のガイドブックを作成した。大東諸島の気候は,地理的に太平洋高気圧の影響を受けやすいことに加え,地形による上昇流が発生しにくいこと,放射冷却による接地逆転層が形成されやすいことなど,環礁が隆起した特徴的な地形の影響も強く受ける。地表面はほぼ全てが第四系の石灰岩に覆われるため,陸面の水循環もカルスト地形に制約される。これらの大気水圏科学的な事象を,大東諸島に特有の地史と組み合わせることによって,地球科学的事象をシームレスに理解させる教材になるよう心がけた。さらに,南大東島には「南大東島地方気象台」があり,自動放球装置による高層気象観測も行われ,一般観光客の見学も多い。こうした施設をジオツアーに組み込むことは,最新の研究に直接触れることができる点で,教育的な意義も大きい。
著者
鈴木 康弘
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

1. 1980年以降の研究史Suzuki(2013)は、「日本の活断層」が纏められた1980年を「The remarkable year of 1980」と位置づけ、その後の1994年までの期間を「The matured period of active fault studies during seismic calm」とした。この間は「Excavation study of active faults」、「Analytical study of tectonic landform evolution based on dislocation models」、「Chronological studies supported by the development of dating techniques」、「Quantifying the rate of crustal deformation」、「Applied study to disaster reduction problem」によって特徴付けられる。さらに1995年~2005年は、「The decade after the great Kobe earthquake」であり、「Intensive investigation of active faults」、「Detailed large-scale mapping of active faults」、「Seismic reflection profiling of active fault」、「Long-term forecast of earthquake occurrence by active faults」、「Detailed study of flexural deformation and the 2004 Mid-Niigata earthquake」、「Overseas research on big earthquakes and active faults」が特徴的である。2006年以降は、「The period of rediscovery of active faults」であり、「Evaluating varieties of relation between earthquakes and active faults」、「Reexamination of active fault distribution」、「Relations between active faulting and geodetical movement」、「Considering interplate earthquake from the view point of submarine active fault」、「 Question posed by the 2011 East Japan huge earthquake」が今日まで続く検討課題である。2. 活断層をめぐる社会的問題1980年には「活断層発見の時代は終わった」とも評された。「日本の活断層」の刊行により全国的な活断層分布の概要が明らかにされた。また、松田(1975)やMatsuda(1981)によって、活断層情報からの地震規模がある程度推定できるようになり、また活動履歴情報から要注意断層を認定できるという概念が確立した。これは活断層研究の重要な到達点のひとつであり、1995年以降の地震発生長期予測を支えた。しかし一方で、原子力土木委員会(1985)により変動地形学的な活断層認定の有効性が否定された。その内容を改めて検証すると明らかな誤りが認められるが、その後の原子力発電所の耐震審査のための活断層調査に影響を与えた。当時、活断層研究者は原発耐震審査で何が行われているかに興味を示さず、反論もしなかった。1995年以降、阪神淡路大震災の反省から地震調査研究推進本部が発足し、直前予知に依存せず、長期予測を重視する方向性が示された。同時にハザード情報の公開が進み、国土地理院により「都市圏活断層図」の作成が進められた。トレンチ調査や反射法地震探査が重点的に実施されるようになり、通産省地質調査所(当時)に活断層研究センターが設置されたが、大学では活断層研究拠点は整備されなかった。「震度7」の強震動発生に関して成因論が巻き起こり、原発耐震の見直しにもつながった。強震動予測に社会的責任が重くなり、議論が複雑になった。1995年以降、地震予測手法(活断層評価および強震動レシピ)を確定する社会的要請が高まる中で、予測外の地震(2004中越、2005福岡、2007能登、2007中越沖、2008岩手・宮城)が多発した。活断層評価の信頼性に関して様々な議論も始まった。地震本部の長期評価に対して内閣府が確定度情報を付加するように求めることもあった。こうした中で原子力安全委員会においては2006年には原発耐震審査指針が改定され、2008年には活断層調査等の手引きも改定された。2011年の東日本大震災後、4月11日には福島県浜通りの地震が起きた。福島第一原発の耐震審査の際に活断層ではないとされた井戸沢断層が震源となったことが深刻な問題を提起した。原子力安全・保安院は、かつての活断層評価に問題があったとして、全国の原発に対して活断層の再評価を求めた。福島原発事故国会事故調はかつての原子力規制行政について「規制の虜」と批判し、2012年9月には原子力規制委員会および規制庁が発足した。こうした経緯の中で、原子力規制委員会は、安全と科学を重視する姿勢を明確に打ち出したが、その後も原発事業者や一部の研究者がこれを批判している。原理力安全委員会が2013年7月に決定した「原発安全規制基準」は、基本的に2006年のルールを踏襲したものである。活断層の定義も従来の「耐震設計上考慮する活断層」(=後期更新世以降の活動を否定できない断層)から基本的に変更はない。こうした30年の経緯において反省すべきことは、①原子力土木委員会(1985)に対して活断層研究者が何も対応しなかったこと、②松田(1975)の適用限界を超えた利用など、活断層研究の成果がいかに利用されているかに無関心であったことなどが挙げられる。こうした問題は「浅部は強震動を出さない」というモデルへの疑問や、「副断層が三十センチ以上動く確率は二十万年に一回より小さい」とする、「原子力発電所敷地内断層の変位に対する評価手法に関する調査・検討報告書」(JANSI一般社団法人原子力安全推進協会・敷地内断層評価手法検討委員会)http://www.genanshin.jp/archive/sitefault/data/JANSI-FDE-02.pdfへの対応などとして今日も残っている。原子力規制委員会の敷地内破砕帯調査において何が議論されているかについても多くの研究者が検証すべきである。文献:Suzuki(2013):Active Fault Studies in Japan after 1980. Geographical Review of Japan Series B, 86, 6–21.