著者
門脇 健
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.84, no.2, pp.255-281, 2010-09-30

カントの『視霊者の夢』(Traume eines Geistersehers)、シラーの『招霊妖術師』(Der Geisterseher)においては、ドイツ語のガイスト(Geist)は「霊」と訳されている。それは、啓蒙的な合理的世界の外に存在し、しかしその外からこの機械的な合理的世界に生命というエネルギーを注入するものとイメージされている。「啓蒙」によって昼が明るくなればなるほど、ガイストは彼岸の闇の中で妖しく蠢くのである。しかし、ヘーゲルの『精神現象学』(Phanomenologie des Geistes)つまり「ガイストの現象学」では、ガイストは実体であるとともに主体として「現在という昼」に帰還してくる。それは、否定性という「死」の力を伴い彼岸の夜の世界から帰還してくるのである。この否定の力が、我と我々を媒介しガイスト的な共同体を形成してゆくのである。つまり、生命のうちに死という否定をもたらすことで、人間的な共同体が形成されるのである。
著者
佐藤 慎太郎
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.79, no.3, pp.701-722, 2005-12-30

本稿は宗教学の問い直し(「宗教学とはいかなる学問か」)の試みの一つとして、M・エリアーデの宗教学を考察の対象とするものである。特に彼はその研究における鍵概念として「聖なるもの」を置いており、この概念との関係からその視点を浮き彫りにすることを試みる。そこには近代西洋世界の救済への切迫した危機意識を看取できる。彼の宗教学においてはヒエロファニー論にしてもhomo religiosus概念であっても、最終的な帰結までもってゆけば、必ず近代西洋の問題に対してポジティブな可能性を開くものとして主張されていた。すなわち彼の宗教学には意味の次元の開示による、客観性や実証性という原理では取りこぼしてしまう、非聖化を迎えた近代西洋社会において果たしうる文化的役割がいわば確信犯的に強調されていることを確認する。
著者
井田 克征
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.79, no.3, pp.769-790, 2005-12-30

ヒンドゥータントリズムの典型ともされるシュリークラ派では、チャクラプージャーと呼ばれる儀礼が行われる。聖なるヤントラに最高女神を勧請し、マントラなどを唱えて供養するというこの儀礼は、より古いいくつかの実践の複合体として形成されたものであり、そしてそれらの実践は、本来は超常力などの現世利益を目的としたものであったことが、同派の古い資料から確認される。しばしば「左道的」「オカルト的」とも形容されるこの古い実践は、時代とともにチャクラプージャーのプロセスの中へと組み込まれていくこととなった。この時、具象的な儀礼行為は瞑想的な儀礼へと置き換えられている。こうした儀礼の複合化と観念化は、YHなどの理論的著作において示された、あらゆる儀礼行為は<最高女神への帰滅=解脱>に他ならないというパラダイムに導かれて発展したものである。そして、このような解脱論の導入は、自分達の「左道的」実践を、より穏健なものへと置き換えることで正統ヒンドゥイズム側からの非難をかわそうという、戦略のひとつとして理解できるだろう。