著者
赤阪 麻由 サトウ タツヤ
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.55-74, 2015

本研究では,病者の生を厚く記述するライフ・エスノグラフィの手法を用いて,慢性疾患病者とその関係者が集う場における場の意味を明らかにすることを目的とした。慢性疾患の具体例として炎症性腸疾患に注目し,当該疾患の病者でもある筆者が立ち上げた場を本研究のフィールドとする。研究1では,参加者にとっての場の意味として【同病者同士ならではの話ができる】【「患者/関係者」という枠組みを超えて自分としていられる】【主体的な活動のきっかけ】【自己充足的な場】があり,それらの意味をつなぐ独特の文化として【自由に気兼ねなく本音で話せる雰囲気】【それぞれが主役】【形にとらわれない】が共有されていると特徴づけられることが示された。研究2では,場と共にある「研究者」「実践者」「当事者」を中心とした多重なポジションをもつ筆者の実践の在り方を筆者の視点から記述した。これら2つの視点からの記述を通して,この場が筆者を含め,集う人にとって「そのままの自分」としていられる場であることが示唆された。本研究は,フィールドにおいて多重なポジションを持つ筆者が自らの実践を発信していくにあたって,単なる「自分語り」ではなく公共性を保ちつつ,さらに筆者自身の存在を捨象せずに記述する新たな方法論的枠組みを構築する試みである。
著者
劉 礫岩 細馬 宏通
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.16, no.1, pp.46-62, 2017 (Released:2020-07-10)

スポーツのテレビ実況中継において,アナウンサーと解説者は絶えず変化する映像に現れる変化や出来事をことばで迅速に指し示す必要に迫られる。本研究はカーレースのテレビ実況中継をデータに,アナウンサーと解説者はどのようにことばによる指し示しを行い,映像と発話を結び付けるかについて分析を行った。その結果,アナウンサーと解説者は,「あっ」や「ほら」などの間投詞と,「こ」系指示表現を用いて,映像内の変化や出来事を異なる仕方で指し示すことがわかった。発話冒頭に置かれる指示表現「これ」は,現在映像内の状況にほかの参加者の注意を惹きつけるだけでなく,現在の状況について,話者はすでになんらかの仕方で把握していることを指標する。一方間投詞「ほら」は,映像に現れた話者がすでに述べた意見や予想と適合する出来事を指し示すために用いられる。これらのことばによる指し示しは,単に発話と映像を結び付けるだけでなく,実況におけるアナウンサーと解説者の職業的なアイデンティティの実現とも結びついていることがわかった。
著者
竹家 一美
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.7, no.1, pp.118-137, 2008 (Released:2020-07-06)
被引用文献数
1

生殖補助医療の急速な進展は,不妊に苦悩する女性たちに,希望と残酷な可能性の両方をもたらしてしまった。不妊治療は「先の見えないトンネル」ともいわれ,治療の結果,子どもを持てる確率は非常に低いのが現実である。不妊治療は妊娠・出産を迎えなければ完了せず,治療の継続・断念は当事者に一任される。本研究では,不妊治療を経験したうえで「子どもを持たない人生」を選択した女性 9 名との半構造化面接を通して,「子どもを持たない人生」を受容するプロセスを明らかにし,彼女たちの人生における不妊治療経験の意味を検討することを目的とした。対象者の語りは「不妊治療初期」「不妊治療集中期」「不妊治療終結期」の 3 つの時期に分けられたが,女性たちの心の変容プロセスは段階的,画一的なものではありえず,個別的で多様性にみちていた。また,対象者の語りにおいて不妊治療の経験は,「受容感の拡大」「価値観の転換」「治療の意味づけの変更」「生成継承性の芽生え」に繋がるものとして意味づけられていた。不妊治療終結期以降,不妊に苦悩した女性たちは,「社会化」を実現することによって不妊を乗り越えていた。生涯発達的観点からみると,彼女たちの語りには,肯定的な意味づけと発達的な一側面が示唆されていると思われた。
著者
小野 友紀
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究
巻号頁・発行日
vol.20, no.1, pp.207-223, 2021

バイキング方式による食事提供を行っているサクラ保育園(仮名)において,対象児アカネが自分の食事量を盛り付けるようになる過程をエスノグラフィーの手法を用いて縦断的に観察し,配膳(盛り付け)活動に着目して検討した。分析枠組みには,ロゴフの「導かれた参加」の概念を借用し,文化的道具の使用と意味の橋渡しに注目して分析した。その結果,社会文化的集団としてのサクラ保育園における固有の食事提供方法と,そこで展開されたアカネと保育者の相互作用の過程が明らかになった。具体的には,文化的道具としての「食器」は単なる器というだけでなく,盛り付けられる「料理」そのものを示すこともあれば,盛り付け分量の目安を「測る容器」や,保育者との「意思疎通の道具」にもなっていたことが窺われた。配膳(盛り付け)活動における保育者や他児との相互作用では,アカネは「食べたい分量を盛り付ければよい」というメッセージを受け取っていたと考えられ,この点で「意味の橋渡し」が行われていたと考えられた。
著者
柴坂 寿子 倉持 清美
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究
巻号頁・発行日
vol.8, no.1, pp.96-116, 2009

幼稚園のお弁当時間に子どもたちが協同で行った定型的な共有ルーティンについて,仲間文化の形成・変化の視点から検討した。幼稚園のクラス集団を入園から卒園まで 2 年間にわたって縦断観察し,ルーティンの形成過程,特徴,2 年間の意味・機能の変化について分析した。入園 8 週目,子どもたちはお弁当時間に「~の人,手ー挙げてー」「はーい」という共有ルーティンを行うようになった。ルーティンは保育者と子どもたちでの質問-応答形式を取り入れて形成されたと推測された。ルーティンでは唱和や同時挙手が起こり,興奮を伴った。またルーティンはしばしば続けて繰り返され,大きな仲間活動となることもあった。年少前半ではお弁当時間あたりに起こるルーティンの頻度が高く,お弁当の中身と子どもの様々な個人属性の両方が話題にされ,この仲間活動への参加と自己呈示がルーティンの重要な意味と考えられた。年少後半以降はお弁当の中身を話題とすることが多く,仲間活動への参加や自己呈示の他に,その場での会話ややりとり,個別の人間関係を調整する方略として利用されることが多いと考えられた。
著者
平本 毅 山内 裕
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.16, no.1, pp.79-98, 2017 (Released:2020-07-10)

本稿ではサービスエンカウンターにおけるサービス提供者の「状況への気づき」がもつ社会規範性を例証するために,イタリアンレストランの注文場面において,注文品を選んだ客の様子に店員がどう「気づく」かを,会話分析により調べる。分析結果から,注文の伺いに際して店員が客の様子に「気づく」という事態が,秩序立った仕方で相互行為的に組織されていることが明らかになった。具体的には,注文品を選んだ客がいきなり店員に声をかけることは少なく,まずは,厨房を見る,辺りを見回す,姿勢を変化させる,荷物を探る,窓の外をみる,メニュー表をよける,おしぼりの袋をあける,携帯電話をいじる等々の「注文を決める活動からの離脱を示す要素」を配置していた。この「注文を決める活動からの離脱を示す要素の配置」が,店員の「気づき」を可能にする。ただし店員はいつもこれにすぐ「気づく」わけではない。「注文を決める活動からの離脱を示す要素の配置」が失敗した場合に,客が店員を「直接呼ぶ」手段がとられる。以上の結果は,サービスの提供場面において,顧客のニーズに「気づく」ことが,店員と客とが,社会規範を参照しながら相互行為的に達成しているものであることであることを示している。
著者
阪本 英二
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.5, no.1, pp.180-193, 2006 (Released:2020-07-06)

「存在論的問い」は,とりわけ質的心理学において必要とされている。この点で,清水論文「遊びの構造と存在論的解釈」(2004,質的心理学研究,3,pp.114-129)がこの方法論を提起しそれを試みたことは,大いに評価すべきである。本論文は,今後心理学においてこの方法論が進められることを見越して,清水論文に対して以下のようなコメントと質問を提出するものである。①清水論文で導入された構造概念の整合性を検討するために,ロムバッハ(Rombach, 1971/1983)の構造概念を補足説明し,質問を提出する。②清水論文において存在論的解釈の意味するところが不明確であり一部誤解があることを指摘し,「遊び」が存在論的に問われているかを検討する。一方で清水自身の素朴な遊び了解に基づいて解釈されている点があることを指摘し,「実存論的分析論」(Heidegger, 1927/1994)という別の問い方の可能性を検討する。③その具体的方法として,遊びそのものが生き生きと生成される可能性のある「現象学的記述」を検討する。④最後に,心理学の領域で存在論的解釈が導入される際に生じうる問題について議論し,今後の展望を素描する。
著者
木戸 彩恵
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.10, no.1, pp.79-96, 2011 (Released:2020-07-08)

本論文の目的は,女性の化粧行為の形成と文化移行による変容について,その過程とダイナミズムを捉えることである。調査では,定常的に化粧行為をする/しない選択をおこなった日本と米国の大学に通う女性 9 名の調査協力者に対して,半構造化インタビューを実施した。インタビューによって得られた調査協力者の化粧行為にまつわる語りに対し,文化心理学の記述モデルである複線径路・等至性モデル(Trajectory and Equifinality Model:TEM)を用いて,時系列に沿ったモデルを作成した。さらに,個人の選択を方向づける社会・文化的影響についての分析をおこなった。結果として,①女性の化粧を促進する社会・文化的影響が強い日本では,化粧行為形成に至るまでに,「受身的化粧」「自発的化粧」という 2 つの種類の経験をすること。②文化的越境を通じて異文化に身をおくことは自文化で培われた行為を相対化して見なおし,新たな習慣の形成と変容のための契機となり得ることが明らかになった。
著者
松嶋 秀明
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.4, no.1, pp.165-185, 2005 (Released:2020-07-05)

本論では,中学校教師たち,なかでも生徒指導にかかわった教師たちは,生徒をいかなる存在としてとらえ,自らの関わりをどのように意味づけているのだろうか,この問いに答えるべく,教師へのインタビューの解釈的な探求を試みた。語りの内容を総合すると,(1)生徒を集団の一部として/個人としてとらえる視点軸,(2)生徒を教師に比べて未熟な存在として/生徒を教師と対等な存在としてとらえる視点軸という,2 つの相矛盾するような視点対によって構成される軸に言及していた。なかでも教師がそれぞれの生徒とのかかわりのなかで重視しているのは,「人間的なつきあい」と称される,生徒への半ば対等な関わりである。そのことは教師に葛藤を感じさせることもあれば,重要な思い出として本人の指導観を大きく左右することもある。また,この軸は明確な境界というよりも,教師の実践のなかでその都度,揺れ動くものである。揺らぎをふくみつつ,教師が対話的に生徒にかかわることで,生徒からは次第に教師が「動かない/不変の」対象として存在するように体験されること,それが生徒にとっては肯定的に評価され得ることが仮説として示された。