著者
中井 好男 丸田 健太郎
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.21, no.1, pp.91-109, 2022 (Released:2022-04-01)

本研究は,ろうの両親を持つ聴者(CODA: Children of Deaf Adults)とろうの姉弟を持つ聴者(SODA: Siblings of Deaf Adults/Children)である筆者らが自ら経験した生きづらさについて分析する当事者研究である。CODA と SODA は,音声日本語使用者であることから,マイノリティの要素が隠れた見えないマイノリティとされる。そ こで,筆者らは見えないマイノリティの当事者として,自身の経験を対象化し,ろう者の家族が抱える問題の外 在化を目指した。分析には協働自己エスノグラフィ(Collaborative autoethnography)を応用してそれぞれの自己エ スノグラフィを作成し,生きづらさを生み出す構造について考察した。両者の自己エスノグラフィには,聴者の 世界に同化せんがために,ろう文化との関わりを受容するか否かというジレンマを抱えていることが記されてい る。また,聴文化とろう文化から受け取る矛盾したメッセージによって認知的不協和に陥るだけではなく,自己 を抑圧するドミナント・ストーリーを内在化することで「障害者の家族」という自己スティグマを持っているこ とも示された。この背景にあるメッセージは,筆者らと他者との相互行為に加え,両親や姉弟との相互行為を介 して伝えられるものでもあるため,構造的スティグマとしての性質を有していると言える。
著者
一柳 智紀
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.193-216, 2016 (Released:2020-07-10)

本研究の目的は,思考の外化を促す道具としてのワークシートの配布方法の相違が,小グループでの問題解決過程に及ぼす影響を明らかにすることである。大学生4人からなるグループを対象に実験を実施し,一方をグループで1つワークシートを配布する単一配布群,もう一方を学習者各自にワークシートを配布する各自配布群とし,両者の問題解決過程を質的に検討した。結果,単一配布群ではワークシート上の外的表象について全員で共同注視や指差しを行うことで,内容を確認,共有しながら理解を形成していた。ここから単一配布群においては,ワークシートが話し合いを通したグループとしての理解形成を媒介していることが示された。ただし,全員がワークシートに自身の考えを外化するわけではなく,外化にかかわる役割分担が生じていた。一方,各自配布群では全員が各自のワークシートに自身の考えを外化していた。また,他者のワークシートを指差したり自身のワークシートをグループの中央に寄せたりすることで,他者から援助を受けたり理解を共有したりしていた。さらには,他者のワークシートから考えを持ち帰り,自分のワークシートにその理解を書き加えることで,課題に対する自身の理解を精緻にしていた。ここから各自配布群においては,ワークシートが各学習者の理解形成を媒介していることが示された。
著者
最上 雄太 阿部 廣二
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.18, no.1, pp.95-115, 2019 (Released:2021-04-12)

本論文の目的は,社会的過程に着眼する関係的アプローチの理論的課題を指摘し,その問題を解決するひとつの可能性として,正統的周辺参加論の視座に立ったリーダーシップ研究の方法論的提案を行うことにある。本論文は,まずリーダーシップ研究の理論的変遷を概観し,関係的アプローチの理論的課題を指摘した。理論的課題とは,第一に社会的過程を捉えるための方法論的議論が不足していること,第二にそうした方法論に社会と個人両方の位相を含む必要があることである。次にその問題を解決する方略を探索し,個人と社会の再帰的関係に着目する再帰的アプローチとして,バトラーおよびケミスとマクタガートの議論をとりあげた。その後そうした再帰的アプローチの具体的な研究の方法的視座として,状況的認知のアプローチのひとつである正統的周辺参加論(legitimate peripheral participation: LPP)をとりあげた。以上をふまえて,LPP の視座を用いた再帰的リーダーシップ研究による方法論を提案し,関係的アプローチのひとつの展開可能性を示した。最後に,本特集の「ネットワーク」という観点における,「個人」という位相の位置づけについて議論した。
著者
清水 武
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.3, no.1, pp.114-129, 2004 (Released:2020-07-05)

本稿は,遊びの心理学的研究と理論が抱える現在の行き詰まり的状況を打破するために,遊びについて改めて問い直し,理解することを目的とした。第一に,いかに問いを立て取り組むべきかが整理され,なぜ人は遊ぶのかという問いに答えるのではなく,遊びとは何かを問う必要性が指摘された。極端な主観主義や客観主義に基づく枠組みの限界が示され,ひとつの方法として構造主義が採用された。 第二に,構造主義の立場から,Piaget の遊び論とその問題点が取りあげられ,Piaget 以後の議論とあわせることで,新たな解釈枠組みが構造モデルとして提案された。第三に,導かれた構造モデルは,遊びと探索が互いに類似し,また同時に相違しているという謎を解明し,さらに質的研究にも応用できる可能性が示唆され,遊びとは何かを明らかにする意義が改めて論じられた。最後に,これからの課題についての議論がなされた。
著者
沖潮(原田) 満里子
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.12, no.1, pp.157-175, 2013 (Released:2020-07-09)
被引用文献数
1

本稿は近年注目されつつある自己エスノグラフィの手法を発展させ,対話的に実践した試みを紹介し,その有用性と意義を検討することを目的としている。自己エスノグラフィとは,自分自身の経験を探求し,自身の意識のありようや文化について明らかにしていく質的研究のひとつの方法である。従来は研究者本人による想起的な記述がその手法として広く知れ渡っていたが,筆者は対話者を設定して,障害を抱える妹との関係を中心としたライフストーリーを語り,それに対して継続して共同的に分析・解釈を行なうことを試みた。従来の自己エスノグラフィについては,データの信頼性の問題,物語としての読みやすさやわかりやすさの欠落,分析よりも自己語りへの過度な依存,そして他者との相互的なつながりが見えにくい点が批判されてきた。また,自己を客観視することの困難さ,自己探究に伴う精神的苦痛への対応の問題も研究の実践において指摘されてきた。それに対して対話的な自己エスノグラフィはそういった批判に応えた上で,さらには他者の介在により新たな視点が生まれ,研究の拡がりが増す等の有用性があると考えられた。最後にこの方法を施行する上での留意点として,対話者の資質,研究者と対話者の関係性についても考察を行なった。
著者
永杉 理惠 若鍋 久美子
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.20, no.Special, pp.S243-S249, 2021 (Released:2022-05-20)

障害のある子どもが楽器を演奏する場合,楽譜にとらわれることのない即興による音楽表現は,その子どもの個 性や障害特性に合った演奏スタイルを活かすことができ,主体的な活動を促すのに適していると考えられる。本 研究はある演奏家の実践と語りから,彼女が特別支援学校・特別支援学級において,障害のある子どもの集団を 対象にした即興による音楽表現活動をどのように展開しているのかを分析した。その結果,彼女の即興による音 楽表現の指導は,打楽器奏者としての音への繊細な感覚が色濃く反映されたものであり,音楽や音を聴くことの 学びを促す活動がその軸となって展開していることを見出した。子どもたちが打楽器の音色やその音の響きに気 づき傾聴し,子ども同士がお互いの音による表現を聴き合いながら即興で自由に音のやり取りをする活動の過程 に,音や音楽を聴くことの学びの意義と,音や音楽によるコミュニケーションとしての意義を見出すことができた。
著者
清水 武
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究
巻号頁・発行日
vol.3, no.1, pp.114-129, 2004

本稿は,遊びの心理学的研究と理論が抱える現在の行き詰まり的状況を打破するために,遊びについて改めて問い直し,理解することを目的とした。第一に,いかに問いを立て取り組むべきかが整理され,なぜ人は遊ぶのかという問いに答えるのではなく,遊びとは何かを問う必要性が指摘された。極端な主観主義や客観主義に基づく枠組みの限界が示され,ひとつの方法として構造主義が採用された。 第二に,構造主義の立場から,Piaget の遊び論とその問題点が取りあげられ,Piaget 以後の議論とあわせることで,新たな解釈枠組みが構造モデルとして提案された。第三に,導かれた構造モデルは,遊びと探索が互いに類似し,また同時に相違しているという謎を解明し,さらに質的研究にも応用できる可能性が示唆され,遊びとは何かを明らかにする意義が改めて論じられた。最後に,これからの課題についての議論がなされた。
著者
阪本 英二
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究
巻号頁・発行日
vol.5, no.1, pp.180-193, 2006

「存在論的問い」は,とりわけ質的心理学において必要とされている。この点で,清水論文「遊びの構造と存在論的解釈」(2004,質的心理学研究,3,pp.114-129)がこの方法論を提起しそれを試みたことは,大いに評価すべきである。本論文は,今後心理学においてこの方法論が進められることを見越して,清水論文に対して以下のようなコメントと質問を提出するものである。①清水論文で導入された構造概念の整合性を検討するために,ロムバッハ(Rombach, 1971/1983)の構造概念を補足説明し,質問を提出する。②清水論文において存在論的解釈の意味するところが不明確であり一部誤解があることを指摘し,「遊び」が存在論的に問われているかを検討する。一方で清水自身の素朴な遊び了解に基づいて解釈されている点があることを指摘し,「実存論的分析論」(Heidegger, 1927/1994)という別の問い方の可能性を検討する。③その具体的方法として,遊びそのものが生き生きと生成される可能性のある「現象学的記述」を検討する。④最後に,心理学の領域で存在論的解釈が導入される際に生じうる問題について議論し,今後の展望を素描する。
著者
横山 愛
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.20, no.Special, pp.S43-S50, 2021 (Released:2021-12-29)

本研究は,一斉授業で,指名されていない児童の発話に教師がどのような対応をしているのか,また,教師の対 応によって授業展開にどのような影響が及ぶのかを検討する。小学校2 年生の算数授業の記録を対象に,指名さ れていない児童の発話への教師の対応に関するカテゴリー分析,授業計画と実際の授業展開の比較を通した事例 の分類と考察を行った。その結果,以下の3 点が明らかになった。第一に,教師は指名されていない児童の発話 を授業に活かし,児童の学習に繋げようとしていた。第二に,指名されていない児童の発話への教師の対応がきっ かけとなり,授業計画に変更が生じていた。第三に,指名されていない児童の発話に対して,教師が学習を深め る意図を持つ対応をすることで,授業計画が変更され,児童に合わせた話し合いがなされていた。具体的には, 指名されていない児童の発話を授業計画に関連づけて扱う場合には,〈追究〉し,指導内容に近づけていた。また, 指名されていない児童の発話を授業の問いとして扱う場合には,〈繰り返し〉によって,疑問を共有し,話し合い に繋げていた。以上の事例分析から,教師が指名されていない児童の発話に受容的に対応し,柔軟に計画を変更 して児童の疑問について話し合う授業過程が示された。指名されていない児童の発話への対応をきっかけに計画 とは異なる展開となった場合にも,学習の深まりに繋げられる可能性が示唆された。
著者
中川 善典 桑名 あすか
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.105-124, 2018 (Released:2021-04-12)

本研究は,民芸論や民具学において殆ど着目されてこなかった,民芸/民具の作り手の人生に注目した質的研究で ある。具体的にはまず,準備的検討として,対象物をほぼ共有する一方,殆ど交わることなく発展してきた民芸論 と民具学においてそれぞれ中心的な役割を果たした柳宗悦と宮本常一とに注目し,両者に共通する作り手像とし て「社会から軽視された作り手」「使い手と信頼で結ばれた作り手」「集団的な力に導かれた作り手」の3つを抽 出した。次いで,高知県芸西村に古くから伝わる民芸/民具の唯一の伝承者である宮崎直子氏が笠製作に見出し ている意味を解明するためのライフ・ストーリー・インタビューを行った。彼女は高齢であり,後継者がいない ため,この笠製作の技術は消えつつある。このインタビューにより,作り手に関する上記の三側面は確かに彼女に とっての笠製作の意味を理解する上で重要なテーマになっていることが分かった。また,それらが互いに関連し 合う構造が明らかになった。最後に,消えつつある民俗文化財の保存に際して,作り手のライフ・ストーリーとと もにそれを後世に残す意義について検討した。
著者
荒川 歩 白井 美穂 松尾 智康 加藤 賢大
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.18, no.1, pp.263-273, 2019 (Released:2021-04-12)

インタビュイーの中には豊かで巧みな表現を行えるインタビュイーもいれば,あまり話さないインタビュイーも いる。有名な質的研究には,そのフィールドに熟知しているというだけではなく,研究者が引用したいと思うよ うな多くの点を話すことのできる人が関わっていることが多い。そこで,質的研究にとって重要な情報とはどの ような情報なのかを明らかにするために,本研究では学会賞を受賞した 4 つの質的研究を対象に分析を行った。 ほぼすべての引用にラベルを付けたところ,それらのラベルからは 6 つのカテゴリの存在が明らかになった。そ れは,「体験の具体的な説明」「自分(たち)なりの理解,解釈,意味づけ」「問題に直面した場面における自分 (たち)なりの対処」「俯瞰的説明」「異なる時間についての見解」「現実とずれるインタビュイー」である。これ らに基づき,「良いインタビュイー」の特徴と,質的研究の根拠の構造について議論した。
著者
西崎 実穂 野中 哲士 佐々木 正人
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.10, no.1, pp.64-78, 2011 (Released:2020-07-08)
被引用文献数
1

本研究は,高度な経験を有する描画者による,一枚のデッサンの制作過程を分析することを目的とした。対象の特徴を捉え,形状や質感,陰影を描くという客観描写としてのデッサンは,通常数時間を要する。本研究では,制作開始から終了までの約 2 時間半,描画者によるデッサンの描画行為の構成とその転換に着目し,制作過程に現れる身体技法を検討した。結果,描画行為を構成する複数の描画動作パターンの存在と時間経過に伴う特徴を確認した。特に,観察を前提とした客観描写に重点を置くデッサンにおいて,「見る」行為の役割を,姿勢に現れる描画動作の一種である「画面に近づく/離れる」動作から報告した。デッサンにおいて「見る」という視覚の役割は,姿勢の変化に現れると同時にデッサンの制作過程を支えていることが示された。