著者
安原 陽平
出版者
沖縄国際大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2017-04-01

本研究は、学校での精神的自由の保障を目的として、2018年度から教科化される特別の教科「道徳」における教師の教育の自由について考察するものである。今年度は、研究実施計画を踏まえ、①理論状況の確認・検討、②教育行政ならびに各学校での進捗状況の確認・検討をそれぞれ進めている。①については、教科書使用義務、補助教材選定の自由を主たる対象として研究を進めた。とりわけ補助教材選定の自由については、ハードな規制に加え、ソフトな規制にも目を向ける必要があることが確認できている。この成果については、研究会ならびにシンポジウムで公表しており、次年度以降、論文として発表する予定である。同時に、ドイツにおける学校制度や教育に関する連邦憲法裁判所の判例なども検討し、比較研究の基盤も整えている。②については、2018年度からの開始に合わせて2017年度は小学校で使用される教科書の採択が実施されたため、関連する資料を収集し、検討をおこなった。とくに沖縄県の那覇地区を対象としている。採択された教科書の性格等に加え、採択の審議過程などの考察もおこなった。審議過程に関して、不透明さが残る部分もあり、教科書の内容面に加え、採択の手続的正当性も問題になることが確認できている。また、現職の教師等との研究会・勉強会にも参加し、次年度の準備状況、道徳教育推進教師の役割、保護者対応の実態など、各学校における進捗状況の把握に努めた。多忙化による準備時間の不足、人事考課と給与の連動による萎縮効果など、自律的な教育実践を妨げる諸要素を確認できている。
著者
西原 幹子
出版者
沖縄国際大学
雑誌
沖縄国際大学外国語研究 (ISSN:1343070X)
巻号頁・発行日
vol.11, no.1, pp.F1-160, 2008-03

シェイクスピアのAs You Like It(以下AYLI)における「アーデンの森」は、暴君フレデリック公爵の宮廷から追放された人々が、自由を求めてたどり着く場所である。この森の場面を経由するあいだに当初の問題は解決され、終幕では再び、彼らの宮廷への帰還が果たされる。こうした宮廷-森-宮廷といった基本構造は、シェイクスピアの喜劇ではAYLIのほかにもA Midsummer Night's Dream,Winter's Tale,Tempestなどにも見られるおなじみの構造であるが、自然の風景や羊飼いの生活が描かれる森の場面は、権謀術数のうごめく宮廷の場面とは対極を成していることから、宮廷社会または都会生活にたいする批判的視点を潜在させていると解釈されてきた。田園生活を理想的に描くという手法は、ギリシアのテオクリトスやローマのウェルギリウスにまで遡る、いわゆるパストラルの伝統に属するものである。田園生活を描くとはいっても、それは現実の農村社会の風景を直接反映させたものではなく、パストラル様式に特有の約束事に従った虚構性の高いものである。また、パストラル文学が特にルネッサンスにおいて再生し繁栄したことを考え合わせると、田園風景を描いた場面には、それまでに蓄積されてきた意味が多層的に作用していたと考えられる。したがって、シェイクスピアの「アーデンの森」を読み解くには、まずその文化的・社会的コンテクストを視野に入れる必要があるだろう。では、田園風景の描写には、どのような意味が込められていたのだろうか。観客はそこに、どのようなメッセージを読み取ったのだろうか。そこで本稿では、「アーデンの森」が受容された当時の文化的状況の一端を把握することを目的とする。ただし、エリザベス朝という時代においては特に、パストラルは様々なジャンルに遍在しているため、その共通項を見つけ出し、定義づけを行うことは困難である。そこで本稿では、AYLIの「アーデンの森」に焦点を絞り、そこに現れるパストラル的要素について、いくつかの説を取り上げながら考察していくことにする。
著者
波平 勇夫
出版者
沖縄国際大学
雑誌
沖縄国際大学総合学術研究紀要 (ISSN:13426419)
巻号頁・発行日
vol.9, no.2, pp.23-60, 2006-03-31

本稿は戦後沖縄都市形成の典型をコザ市(現沖縄市)に求め、米軍占領期間の都市展開を(1)人口集中化、(2)都市空間の出来事、(3)新階層としての基地労働者と軍用地地主の形成から戦後沖縄都市史をとらえることを目的とする。そして米軍基地に従属して形成された「基地の町」が外部都合によって左右され、自らになれないまま漂流する軌道を明らかにする。
著者
渡久地 朝明
出版者
沖縄国際大学
雑誌
商経論集 (ISSN:02887673)
巻号頁・発行日
vol.23, no.1, pp.1-8, 1995-03
著者
桃原 一彦
出版者
沖縄国際大学
雑誌
沖縄国際大学社会文化研究 (ISSN:13426435)
巻号頁・発行日
vol.8, no.1, pp.51-79, 2005-03-31

In this paper, urban societies of Okinawa, particularly those around U.S. military bases, are viewed as colonial cities, and their special composition and the mobilization and deployment of Okinawa's population after the "reversion to Japanese administration" are examined. Here, Okinawa's society is seen from the viewpoint of postcolonialism study, applying it to the sociological analysis of power relationships in colonial cities. U.S. military bases are an important factor that define the postcolonial characteristics of Okinawa's society. This paper examines how the politics of Okinawa City (Goeku:Koza) blends in with the practices of postcolonialism, and how they exert a synergistic effect in hiding colonial characteristics. Okinawa City is located in central Okinawa where U.S. military bases and urban areas are squeezed together, adjoining to each other. As an example, this paper looks into the Shirakawa Flea Market, which was formed and has been expanding in the forest of Kadena Ammunition Storage Area, and the inner-city issues concerning the city center of Okinawa City. Through these, this paper describes the relationship between postcolonialism and recomposition of urban spaces.
著者
上里 安正
出版者
沖縄国際大学
雑誌
商経論集 (ISSN:02887673)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.33-57, 1989-03-20
著者
石原 昌家
出版者
沖縄国際大学
雑誌
沖縄国際大学文学部紀要. 社会篇
巻号頁・発行日
vol.1, no.1, pp.59-67, 1973-03-10
著者
大下 祥枝
出版者
沖縄国際大学
雑誌
沖縄国際大学総合学術研究紀要 (ISSN:13426419)
巻号頁・発行日
vol.8, no.1, pp.1-39, 2004-12-30

バルザックの5幕劇『継母』は、1848年5月に歴史劇場で初演された。その稽古の最中に作家は、戯曲を通して何を訴えようとしたのか、以下のように述べている。「新しいこと、それは生活の中の真実を描くことである。簡素で平々凡々と営まれている家庭が舞台にかけられているが、その営みのもとで恐ろしいドラマが展開するのである。」この『継母』を取り上げた小論は二部構成になっており、本稿の第一部では、主としてテキストを中心とする調査方法に則り、「生活の中の真実」を観客に実感させるためにどのような工夫が凝らされているかを探ってみた。第I項で作品分析を試み、第II項から第VII項において、主要テーマ、場面展開の方法、登場人物の構想、使用語彙の特徴、小道具、タイトルとサブタイトルに関して、順次考察を加えた。主要人物四人の性格付けや、彼らを取り巻く人物たちの行動パターンの調査によって、若き男女が服毒自殺に追い込まれる悲劇的な結末は避けられないものであったと考えられる。台詞に使われている単語の類型化を通して、次のような特徴が明らかになった。結婚や恋愛に関する表現は、戯曲のテーマに添う形で多く用いられているが、同時に、娘と継母が一人の男性を巡って死闘を繰り広げる場面に呼応して、闘争や生と死に関連する単語も全編にちりばめられている。さらに、一家の主人を除く全員が何らかの秘密を持っているという設定のため、秘密の保持と暴露を表わす単語や、罪と罰に関するものもかなりの頻度で見られる。人物の行動や精神状態を反映させた単語を駆使し、家庭内の一つの事件の展開に現実味を与えながら大団円へと導く作家の手法を見て取ることができる。「生活の中の真実」描写を小説作品で試みてきたバルザックは、それを晩年の戯曲においても実現しているといえよう。タイトルの『継母』とサブタイトルの「私的なドラマ」については、それらが戯曲の内容を的確に表現しているか否かを、同時代の戯曲や辞典類を参考にしながら検討した。バルザックは当初、戯曲を『ジェルトリュード、ブルジョアの悲劇』と呼んでいた。タイトルとしては、そのヒロインの名前をとった『ジェルトリュード』が、そしてサブタイトルは後で付けられた「私的なドラマ」が、この戯曲に合致していると考えられる。なお、小論の第二部では、『継母』の成立に影響を与えたと考えられる他作家の作品、ならびにバルザックの劇作品や小説作品について考察した後、戯曲の公演の様子を再現するために新聞・雑誌の記事を調査する。最後に、1949年にシャルル・デュランがグランシャン将軍役を演じた『継母』のシナリオと原作との比較検討も試み、初演から一世紀を経た時、いかなる形で作品が受容されているかを明らかにする予定である。
著者
大下 祥枝
出版者
沖縄国際大学
雑誌
沖縄国際大学総合学術研究紀要 (ISSN:13426419)
巻号頁・発行日
vol.9, no.1, pp.1-111, 2005-12-30

本稿は、バルザックの5幕劇『継母』の上演計画と翻案をとおして、この戯曲の受容が時代と共にいかに変化していったかを考察したものである。『継母』は1848年5月に歴史劇場で初演され、1859年にはヴォードヴィル座で公演が行なわれた。フランス座でも実行される迄には至らなかったものの、この作品の上演計画が1851年と1854年と1900年に持ち上がっており、バルザックの戯曲への関心が高かったことを窺わせる。1851年のものに関しては、1848年刊行の初版本に劇場側が配役や、台詞の削除等を書き込んだ記録が残されている。『継母』は1859年の公演以来90年間のブランクを経て、1949年10月にリヨンのセレスタン劇場で舞台にかけられた。上演に際し、演出家兼主演役者のシャルル・デュランは、翻案をシモーヌ・ジョリヴェに委ねた。本稿では、1851年に手直しされた台本、および1949年の翻案を取り上げ、それらと原作を比較しながら、当時の関係者による作品解釈の仕方を探ってみた。コメディー=フランセーズ付属図書館所蔵の初版本の余白記載を調べると、初演時とは異なる配役が予定されていたことが判る。新たな台詞の加筆はどの場面にも見当たらない。総計64場のうち、25場に削除箇所があり、11場は完全に省かれている。フランス座は原作を出来うる限り短縮しようとしたようだ。娘と継母が一人の男性を巡って死闘を繰り広げるという主要テーマについては、娘の従順さと継母の厳しさのみが強調された結果、その当時よく演じられていた平凡な悲劇に変質した印象は免れない。バルザックはこの戯曲によってブルジョア家庭の真の姿を明るみに出そうとしたのであるが、父親と娘の重要な対話なども大幅に削除された1851年版では、作者の意図が生かされないまま最終幕を迎えている。セレスタン劇場での公演はシャルル・デュランの病気のために5日間しか続かなかったが、どのような内容の翻案であったのだろうか。作品全体は3幕で構成されており、1幕目は原作の1幕と2幕目、2幕目は3幕と4幕目、3幕目は5幕目をそれぞれ基礎としている。しかし、脚本家は脇台詞や、筋を煩雑にする場面を出来うる限り省くと同時に、最終場での新しい展開を予告する台詞を随所に挿入しているのである。登場人物に関しては、名前がアガトに変更された継母に原作のジェルトリュードのような強烈な性格付けをしていない点と、医者のヴェヌロンに大きな役割を与えている点が我々の目を引く。アガトと彼女に操られる夫の将軍が敵役で、彼らが窮地に追い込んだ娘ポリーヌを救出するために動き回るヴェヌロンをヒーローと看徹すことができる。演出ノートには、役者の演技の詳細な指示の他に、人物の所作や台詞を強調しながら場面の雰囲気を盛り上げる音楽を演奏する箇所が記されている。脚本家は作品の構成と演出の面から、原作を観客の共感を得やすい古典的メロドラマに変えてしまったのではないだろうか。原作を読まずにこの舞台を見た観客は、批評家から称賛された優れた演出と役者の見事な演技に魅了されたことであろう。確かに、バルザックの劇作品に頻出する脇台詞と説明的な長台詞を適度に整理することは必要であるが、作品の主要テーマに連なる場面は残すべきであろう。1851年の上演計画と1949年の翻案を調査した結果、前者は平凡な悲劇に、後者は一世紀前に流行った古典的メロドラマに内容を変更しており、「生活の中の真実」描写が実現されているバルザックの原作と重ならない部分が目立つのである。劇作品の受容は、その時代の世相や観客の好みを反映しているともいえよう。