著者
金城 宏
出版者
沖縄国際大学
雑誌
産業総合研究 (ISSN:13405497)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.75-98, 1997-06

本稿では、沖縄県における商業集積地区(商店街)の集積構造を集積率、規模構造、業種・業態構成、販売効率及び路線価等の諸要素を用いて分析し、その特質と変容について考察を加えた。特に米軍返還施設の跡地利用・都市整備を目的とする区画整理事業や宅地造成による新商業地の形成と大型店・業態店舗の立地展開が、都市の小売商業構造と競争形態の重要な変動要因になってきている。そこで大型店の集積内立地と商業集積率の相互関係によって都市類型化を試みると共に、今後の商業集積の方向性も示唆した。
著者
李 玄〓
出版者
沖縄国際大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2009

近年、韓国では子どもを早期留学させるために家族が離れて暮らす「非同居家族」による、いわゆる「雁パパ」が出現している。「雁パパ」とは、母と子どもを留学させ、自分は一人韓国に残って留学費用を送金しながら暮らす父のことで、そこには様々な問題点も指摘されている。本研究は、早期留学によって現れた「雁パパ」現象に焦点をあてることで、韓国の外国語教育政策における現状問題と今後のあり方を探った。
著者
吉次 公介
出版者
沖縄国際大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2004

アメリカは、沖縄に米軍基地を長期的に維持するために、沖縄の施政権を日本に返還することを決めた。ニクソン・ドクトリンに伴って縮小されたアジア太平洋の軍事的プレゼンスの支柱として在沖米軍は不可欠なのであり、その在沖米軍基地を維持するために是非とも必要だったのが沖縄返還なのであった。デタントが進行し、ニクソン・ドクトリンによってアジア諸国から多くの米軍が撤退した。冷戦構造の変容や国際緊張の緩和はアジア諸国の米軍受け入れの負担を軽減していったといえる。しかし、沖縄が受けた緊張緩和の「配当」は限られたものとなり、沖縄の相対的負担が増していった。とりわけ、韓国と台湾は、在沖米軍基地機能の維持を強く望んでいたが、これは、沖縄返還が、アジア太平洋地域が沖縄への依存を深めるプロセスであったことを意味している。屋良ら琉球政府は、冷戦構造の変容と沖縄問題をリンクさせる視点がなかったわけではないが、主に「基地密度論」に代表される基地被害の軽減という観点から、在沖米軍基地を縮小することを求めた。他方、佐藤政権が、緊張緩和と在沖米軍基地の削減をリンクさせる発想を持っていたのかは定かではない。多極化、デタント、そしてニクソン・ドクトリンによってアジア太平洋地域から多くの米軍が撤退したにもかかわらず、在沖米軍の削減は限られたものとなり、アジア太平洋における米軍のプレゼンスを支えるうえでの沖縄の負担は相対的に増していった。沖縄返還とは、日本だけでなくアジア太平洋地域全体が、安全保障面で、即ち米軍の受け入れという点で、沖縄への依存を深めていくプロセスであったといえよう。
著者
大城 建夫
出版者
沖縄国際大学
雑誌
産業総合研究 (ISSN:13405497)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.1-11, 2005-03

減価償却制度の実態では、多くの会社が減価償却制度の見直しを求めていることを指摘した。減価償却に関する会計基準の具体的会計処理法が、まだ不十分であることを指摘せざるを得ない。減価償却の会計実務における税法との係わりを考えると、確定決算基準は基本的に維持されることが望ましいと考える。建物の定額法の限定した適用問題は、十分な実態調査に基づく定率法の減価償却方法の選択も認めていくべきである。定率法の算式の問題点は、わが国では、残存価額が10%となっているため現在は生じていない。しかしながら、最近では、残存価額等の適正化問題が生じており、定率法の算式問題について改めて検討すべき時期にきていると考える。税法が、耐用年数についてかなり詳細な内容になっているのであるが、法定耐用年数と実際耐用年数を比較した実態調査に基づく見直しが必要である。企業に自主的に耐用年数を決定させるために、耐用年数の適用範囲について弾力的に選択できるように認めていくべきである。残存価額と償却可能限度額は、定率法の算式の適用問題とも関わるが、備忘価額1円までの減価償却を税務署長への届出事項として認めていくべきではないかと考える。
著者
須永 和之
出版者
沖縄国際大学
雑誌
沖縄国際大学総合学術研究紀要 (ISSN:13426419)
巻号頁・発行日
vol.2, no.1, pp.21-34, 1997-11-25

The 18th century public libraries in Ireland were different form modern public libraries. Marsh's library in Dublin, built by Archbishop Narcissus Marsh in 1701, was a sort of parochial libraries. However, Marsh's library was considered as modern public library. Because the government of the library was vested in Governors and Guardians under a act for public library, passed by the Irish parliament. The Linen Hall Library established in Belfast, a industrial town in northern Ireland. The Linen Hall Library has its beginning in a subscription library of the Belfast Reading Society founded in 1788. At first, it was the library of artisans and manufacturers who lived in the city. In spite of temporary crisis caused by the rebellion of the United Irishmen, it became a academic institution in Belfast.
著者
神里 博武
出版者
沖縄国際大学
雑誌
沖縄国際大学人間福祉研究 (ISSN:13483463)
巻号頁・発行日
vol.4, no.1, pp.1-24, 2005-06

本稿は、2004年1月に実施した「小地域福祉活動の取り組み状況調査」を通して、長崎県の小地域ネットワーク活動の現状と課題を考察した。調査は長崎県社会福祉協議会(長崎県社協)の協力を得て、県下市町村社協に対して行った。調査の目的は、長崎県の小地域ネットワーク活動の現状を把握すること、特に、小地域ネットワークの対象にどのような広がりが見られるか。又、活動内容が、見守り・安否確認といった従来のネットワーク活動から、当事者の生活課題に対応した生活支援活動にまで拡大しているか。さらに、ネットワーク活動がどのような効果をもたらしたか、等を明らかにすることであった。今回の調査研究で明らかになったことは、対象が高齢者だけでなく、障がい者、子育て家庭にまで拡大し、活動も見守り以外に、買い物、介助等の生活支援も行われていることである。今後の課題としては、市町村社協が、小地域ネットワークを重要な社協活動として認識し、民生委員・児童委員、関係者と連携して主体的に取り組むことが求められる。また、対象が高齢者だけでなく、障がい者等まで拡大してきているが、現状は、依然として高齢者が中心で、障がい者等のネットワークは弱い。特に、地域で児童の虐待問題が深刻化しているが、子育て支援のネットはほとんど構築されていない。地域の福祉課題に応えるネットワークの構築が急がれる。そのためには、ネットワーク会議や社協が主催するネットワーク推進会議の設置とその機能化が不可欠である。
著者
石原 昌家
出版者
沖縄国際大学
雑誌
沖縄国際大学社会文化研究 (ISSN:13426435)
巻号頁・発行日
vol.11, no.1, pp.23-41, 2008-03

2008年、年明け早々、沖縄から「靖国神社合祀取消」が提訴されるということが明るみなった。それは戦後63年も経て、沖縄戦体験研究者に「沖縄戦体験とは何だったのか」とか「沖縄戦体験の認識」を改めて問うものである。1970年から戦争体験の聞き取り調査を実施してきた筆者としては、「靖国神社合祀取消」訴訟にあたって、ただちに沖縄戦体験との係わりを実証的に論理展開できるほどの研究を蓄積しておくべきであった。しかしながら、沖縄戦体験と靖国神社合祀との係わりについては、2005年4月以降、資料収集に着手したに過ぎず、一年前の2006年2月に、「援護法」によって捏造された「沖縄戦認識」-「靖国思想」が凝縮された「援護法用語の集団自決」-を書き上げたにすぎない。そこで本論では、「援護法」が日本の国会でいかなる議論の中で制定されたか、それが制定される過程で日本人が戦争責任を総括する機会を失うことになったことや「援護法」が沖縄にも適用されることによって米軍政下の沖縄が「靖国化」されていったことを明らかにしていく。
著者
大下 祥枝
出版者
沖縄国際大学
雑誌
沖縄国際大学総合学術研究紀要 (ISSN:13426419)
巻号頁・発行日
vol.7, no.1, pp.1-23, 2004-03

バルザックの小説『従兄ポンス』(1846年) は、これ迄に三度しか映画や芝居に脚色されてこなかった。それらはアルフォンス・ド・ローネの戯曲 (1874年) とジャック・ロベールの映画 (1924年) とジャン=ルイ・ボリーのテレビ映画 (1976年) である。ジャック・ロベールによる『従兄ポンス』の映画化について、我々は既に別稿で論じており、本稿では戯曲とテレビ映画を取り上げ、バルザックの原作がどのように翻案され、受容されていったかを知る目的で考察を進めた。クリューニ劇場で上演されたアルフォンス・ド・ローネ作5幕の翻案劇『従兄ポンス』では、登場人物だけでなく、筋の展開の面でも、原作がかなり改変されている。バルザックが描いた作中人物たちの中から10名程は省き、そのかわりに新たな人物としてオルガや公証人のエヌカンを創作している。老音楽家ポンスとシュムケが勤める劇場の下働き人トピナールの幼児オルガが、戯曲では少女に成長した姿で登場し、父親亡き後ポンスとシュムケのもとに引き取られ、作品の中で重要な役割を演じることになる。裕福なドイツ人ブリュンナーについて見ると、セシル・ド・マルヴィルと見合いをし、彼女が一人娘であることを理由に結婚を断るところまでは原作と同様である。戯曲では、その後彼がオルガと親密になり、ポンスの最後の願いを受け入れて彼女に結婚を申し込む場面が挿入されている。シュムケも原作とは異なり、彼のフランス語にはドイツ語の訛りが見られず、しかも自らの意思を自由に述べている。ポンスの莫大な遺産を狙う貪欲な人物たちの動きは原作を踏襲しているが、戯曲の大団円は小説とは全くかけ離れたものになっている。ブリュンナーが弁護士フレジエの裏をかいて、彼の友人である公証人エヌカンに依頼してポンスの遺書の作成に立ち会わせていた。その遺書のお陰でシュムケはポンスの遺産を全て相続することができ、ポンスを苦しめたマルヴィル夫人たちに何も略奪されずにすむ。シュムケは最後に「ポンス・お前の仇を討ったぞ」と叫ぶ。レモナンクとシボ夫人は、仕立て人のシボを毒殺した廉で逮捕される。つまり、勧善懲悪をテーマとした古典的メロドラムの影響が色濃く感じられる結末を迎えているのである。主役を演じた俳優の演技や演出を称賛する劇評が多く見られるものの、上演当時の観衆の好みを重視しすぎたこの脚色は、社会階級の仕組みや庶民の悲惨な生活をありのままに描き出そうとしたバルザックの意図を忠実に再現しているとは言い難い。ジャン=ルイ・ボリーのテレビ映画にも原作中の人物が何名か現われないが、新たに創作された登場人物は一人もいない。バルザックが描いたごとく、ポンスがマルヴィル夫人に贈った高価な扇が作品のヒロインであることを明示すべく、脚色家はマルヴィル一家がその扇を話題にする場面をフィルムの前半に挿入する。さらに最終場面ではその扇の由来を招待客に説明する夫人の姿を描出した後、扇だけを最後までクローズアップする手法を用いている。シボ夫人がポンスの遺書に自分の名前を書き入れてもらい、いずれ安楽な生活ができるかを占い師のフォンテーヌ夫人に尋ねる場面は、原作にそって詳細に映像化しており、聴衆の興味を引く工夫を凝らしていることが判る。また、ポンスの私設美術館に忍び込むレモナンクやフレジエの様子、さらにポンスの死の直後に彼の部屋に集まってきた葬儀屋たちの動き等もカメラが丹念に追っている。ポンスの遺産は原作どおりにマルヴィル一家の手に渡る。ドイツ語訛りのフランス語を話すシュムケがフレジエたちの策略によってポンスのアパルトマンから追い出されるところまでは画面で見ることができるが、その後彼がトピナール一家と出会って最後の安らぎを得る場面は割愛されている。シボ夫人とレモナンクがどのような晩年を送ったかは語られていないため、視聴者はフォンテーヌ夫人の予言からシボ夫人の運命を想像するしかない。フレジエは自分が予審判事に出世するといってシボ夫人を脅しているが、彼の仲間であるプーラン医師の将来は不明なままに終わる。このようにポンスが死亡した後の他の登場人物の様子は、マルヴィル一家を除いては何も語られていない。とはいえ、時間的・空間的に制約の多いテレビ映画という表現手段をとおして、脚本家と映画監督はバルザックの小説『従兄ポンス』の主要な箇所を巧みに再現していると言える。原作を読んでいない視聴者にとっても、この作品のテーマは理解できるのではないだろうか。批評家は、俳優たちの演技に対して好意的な評価を下している。アルフォンス・ド・ローネ作5幕の翻案劇とジャン=ルイ・ボリーのテレビ映画の分析をとおしてバルザックの小説作品の翻案について考えてみると、今後それが成功するか否かは、各時代の嗜好を反映したテーマの選択にかかっていると言えるのではないだろうか。