著者
小山 一成
出版者
立正大学
雑誌
立正大学人文科学研究所年報 (ISSN:03899535)
巻号頁・発行日
vol.31, pp.17_a-10_a, 1994-03-20
著者
犬養 廉
出版者
立正大学
雑誌
立正大学文学部論叢 (ISSN:0485215X)
巻号頁・発行日
vol.90, pp.67-84, 1989-09
著者
濱田 浩美
出版者
立正大学
巻号頁・発行日
1996

博士論文
著者
白井 忠功
出版者
立正大学
雑誌
立正大学文学部論叢 (ISSN:0485215X)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.36-52, 1967-11-25
著者
藤原 裕
出版者
立正大学
雑誌
立正大学文学部論叢 (ISSN:0485215X)
巻号頁・発行日
vol.106, pp.61A-81A, 1997-09-20

フランス芸術史上二人のメッソニエが存在する。マルセル・プルーストは少年時代, 好きな画家はと問われて, 好きな音楽家のモーツアルトとグノーとともに, 即座にメッソニエと答えている。このメッソニエとは何者であるか。まず17世紀の末にイタリアで生まれ, 後ルイ15世によって王宮の祝宴を企画準備するため, その室内装飾家に任ぜられ, また肖像画家であったジュスト=オレールである。かれはロココの装飾様式に最も貢献した建築家でもあった。華やかなサロンのパネルに想像力を駆使したその装飾作品はポーランドまで響きわたった。しかしサン・シュルピス寺院のファサードのデザインをセルヴァンドニと争ったころからネオ・クラシシズムの台頭との対決となる。もう一人のメッソニエ(ジャン=エルネスト)をもプルーストは書簡などでよく引用する。だがこの方は主として優れた芸術と比較される大衆に最も人気のある19世紀の画家である。同じ1845年のサロンの出品作品でも, フロマンタンはこれを評価し, ボードレールは失望して却ってドラクロワの偉大さを発見している。フロマンタンはこのメッソニエにオランダのメツウやテニールスのような精密さを見いだしたのである。ついにナポレオン3世を描いたメッソニエは仏学士院入りを遂げ, 《バリケード》などのレアリズム絵画により戦争画家となり, T・ゴーティエが賛嘆する。ボードレールは大衆が大騒ぎする精密なレアリズムの絵に芸術とは反対のものを見る。すばらしいドラクロワよりもメッソニエが10倍も高価なので通俗作品というものの実態を詳細に書く。だが当のドラクロワがメッソニエを称賛しているから偉大が卑小を褒めると嘆き, 一級品ばかりのなかにE・ピオのコレクションにもメッソニエが入っていると不思議がる。メッソニエにより戦争絵画は隆盛の頂点に達した。第二帝政期の軍隊の外見重用と画一論議は軍人の肖像画の歴史に, まるで神秘的な文化空間をひらいた。いまや芸術は純粋に人間的なものに傾かざるを得なかった。クールベはこのレアリズム活動のすべてである。フランス軍隊の活動のパノラマの演出家たるこれら画家たちは, つねにレアリズムの概念に影響されている。愛国思想も語られ, メッソニエを手本にしたドタイユはフランス軍が名誉をかけて敵に復讐する様子を制作しようと努める。新しい傾向は写真である。彼らは写真をスケッチの基礎にしようとする。メッソニエは「ソルフェリーノの戦いのナポレオン3世」によりこの種の絵から戦闘のレアリズムへと飛躍する。こうした絵はいつも若者の徴兵にひと役買う。メッソニエらは大型のカンバスの構成にウッチェルロを意識し, ありとある軍隊のタイプの風俗と歴史について完璧な知識をおさめ, 服装史や陶磁人形の現代神話の創造の父となり, 時代の証人たる芸術家として情熱を共にする人々を求めていた。
著者
西川 治 田村 俊和 太田 勇 新井 正 氷見山 幸夫 野上 道男
出版者
立正大学
雑誌
重点領域研究
巻号頁・発行日
1993

本総括班の主たる任務は、本研究の領域全体にわたる研究推進上の企画と運営、および各班間の連絡と調整、ならびに研究成果の公表等にある。平成5年度の具体的事項を以下に示す。1.総括班会議を1回、計画研究班長会議を6回開催して、研究成果のまとめ方と公開の方法について検討した。2.本年度行ったシンポジウムは次のとおりである(予定のものを含む)。(1)第5回公開シンポジウム「GIS教育(ワークショップ)」(於 慶應義塾大学)1993年5月15日講演者数6名、参加者約100名。(2)第6回公開シンポジウム「数値地図と環境」(於 東京都立大学)1993年7月7日講演者数7名、参加者約120名。(3)第7回公開シンポジウム「地域環境変化と地理処理システム」(於 慶應義塾大学・明治大学)1994年4月3〜5日(予定)3.本年度発光した印刷物は次のとおりである。(1)NCGIAのCoreCurricilumより、GIS技術論を翻訳し(383頁)、1993年5月に刊行した。(2)本重点領域研究の研究成果総括報告書(195頁)を1993年10月に刊行した。(3)GIS技術資料のNo.3とNo.4(合本で123頁)を1994年3月に刊行した。(4)研究成果をまとめたCD-ROM(2巻)を1994年3月に完成・配布を開始した。4.本重点領域研究の成果をもとにまとめたアトラス「日本の近代化と環境変化」の執筆と編集を行なった。刊行は1994年6月の予定である。加えて、研究成果に関する概説書の編集を行なっている。5.本研究の成果を踏まえて、IGBPの第7領域との関連をもたせた次期研究計画の策定を行なっている。
著者
金子 充 平野 寛弥 堅田 香緒里
出版者
立正大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2011

本研究では、イギリスにおける批判的社会政策論、すなわちマイノリティ等のヴァルネラブルな人々の差異・アイデンティティに配慮した社会政策を構想する研究潮流を支える視点および鍵概念(「普遍主義」「互酬性」「シティズンシップ」)の整理と再検討をおこなった。近年のわが国および先進諸国の社会政策(公的扶助制度や失業者・生活困窮者支援策)では就労自立を重視した政策展開がなされているが、これらは能力に応じて就労または活動への従事を求める給付としての性格が強く、限定的な意味での普遍性や、個人単位において権利と義務を対応させる互酬性に依拠した政策展開をしていることが考察された。
著者
田嶌 和久
出版者
立正大学
雑誌
立正大学文学部研究紀要 (ISSN:09114378)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.64_a-51_a, 1991-03-20

The primary significance of the so-called "order-problem" seems that this "problem" clarifies the contents of the macro-theory (analysis) of sociology. The purpose of this paper is to show the contents of the "theory of sociology of law" at the macro-theory of sociology through the following analysis : (1) To explain the outline of "oder problem in the modern states" and "justification in modern states". This explanation makes it clear that the shortcomings of Offers' theory. (2) To show the element that distinguishes Schmitts' theory from other sociologists (especially, Habermas, Luhmann, Offe). This element must be the center of the "theory of sociology of law". (3) To examine Schmitts' "theory of law". This examination makes it clear that Schmitts' "theory of law" complements Webers'.
著者
白井 忠功
出版者
立正大学
雑誌
立正大学文学部研究紀要 (ISSN:09114378)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.71-94, 1987-03-20

Nobutada Konoe (the 8th year of the Eiroku Period : 1565-the 9th year of Keicho Period : 1614) tried to retire the Minister of the Left (Sadaijin) in the 1st year of the Bunroku Period (1592), and go to Korea in obedience to the plan of the dispatch of troops by Hideyoshi Toyotomi. But, for this plan he incurred the Emperor Goyouzei's anger and was exiled to Satsuma, Bounotsu belonged to Kagoshima prefecture in April, the 3rd year of the Bunroku Period (1594). In the midst of this exile he recorded an account of travels to Bounotsu from Kyoto and the life in his miserable exile. I examined and set forth my several opinions about the account of his travels and life with the help of simple account (an sccount of travels in Bounotsu of Nobutada : a separate paragraph) and a detailed description (an account of Sanmyakuin) in this paper.
著者
佐藤 進
出版者
立正大学
雑誌
立正大学文学部論叢 (ISSN:0485215X)
巻号頁・発行日
vol.101, pp.11-15, 1995-03-20

2 0 0 0 OA 古代歌謡と宴

著者
岡部 光恵
出版者
立正大学
雑誌
立正大学文学部論叢 (ISSN:0485215X)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.59-83, 1966-09-15