- 著者
-
森 重雄
- 出版者
- The Japan Sociological Society
- 雑誌
- 社会学評論 (ISSN:00215414)
- 巻号頁・発行日
- vol.50, no.3, pp.278-296, 1999-12-30 (Released:2010-04-23)
- 参考文献数
- 46
この小論では, ポスト構造主義的ないしはディコンストラクティヴな志向をもって〈人間〉を検討する。とはいえ, この小論は高階理論に属するものではなく, 〈人間〉の歴史性を検討するものである。この小論では, モダニティ概念に立脚しつつ, とりわけマルクス, デュルケーム, エリアス, アレント, 大塚久雄, ニスベットらの社会=歴史的および社会経済的社会理論をつうじて, 〈人間〉が現出する社会歴史的文脈を検討する。この社会学的検討において, 関心は西欧史上の「移行期」, すなわち農村マニュファクチュアが絶対主義的商業資本に対立し, 「ブルジョア革命」によって前者が後者にやがて打ち勝ってゆく過程に, 主として注がれる。〈人間〉はこの「移行期」をつうじて実定的かつ制度的に, 今世紀において確立する。この小論は, この過程をあとづけるための検討であり, 私たちが〈人間〉であることの自明性がもつ問題性を究明するものである。「議論はここからはじまってこそ社会学になる」という人びとが多くいるかもしれない。しかし冒頭にその意義と限界の表裏一体性を明らかにしたこの小論の範囲内では, 考察はここまでである。この小論の目的は〈人間〉, 「脱人格化」 (ルーマン 1965 = 1989 : 76) といわば再人格化のシジフォス的運動をくりかえす〈人格性システム〉 (ルーマン1965 = 1989 : 179) の原基たる〈人間〉, が誕生する環境設定を明らかにすることにあった。その答えを端的に示せば, 〈人間〉とはモダニティ, すなわち共同体解体をもたらした分業がアノミックに高進する〈社会〉という環境設定のうえにはじめて現象する社会的実定性であるということである。この「アノミー」と表裏一体の関係をなしながら成立したモダニティとしての〈人間〉は, はじめ骨相学において, あるいはロンブローゾの犯罪人類学において, 外面的な「名前」を与えられる。やがてこの〈人間〉はビネーからターマンに続くIQにおいて, あるいは「スピアマンのg」において, 今度は内面的な名前を与えられる (グールド 1981 = 1989) 。さらにこの内面は学歴や資格というラベルさらには適性検査や「SPI」によって, いやまして情報化的に掘削されてゆくばかりである。ところで, 近代化・現代化や開発と呼ばれるモダニティの世界的展開のなかで, こんにち私たちがたしかに〈人間〉となったことは, じつは一つの重大問題である。この〈人間〉の問題性は, たとえば慢性的なアイデンティティ不安という, モダニティがもたらした病に如実に示されていよう。この問題性は, 〈人間〉がそもそも掘削されるべき-フーコー流に言えば-「厚み」をもった実在などではなく, その反対に掘削されることによって「厚み」を重ねてゆく近現代の社会的実定性である点にある。社会学および社会理論の根底には, 私たちがこのように〈人間〉になってしまったこと, そしてそれをもたらした〈社会〉の問題性にたいする冷徹な感性がなければならない。