著者
佐々木 洋成
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.55, no.4, pp.468-482, 2005-03-31 (Released:2010-04-23)
参考文献数
10
被引用文献数
1

男性中高年と特定地域の自殺が社会問題となっている.本稿ではアナール学派社会史のアプローチを採用して経年的検討を行い, 現状に至った歴史的経緯を把握する.理論枠組はMertonのアノミー解釈 (欲求と充足手段の乖離) を参照し, 自殺死亡の変動をアノミー状況の変化の指標と位置づけた.使用したデータは, 『人口動態統計』の, 1899年から2002年までの男女・年齢層・都道府県別自殺死亡率である.検討の結果, 高度経済成長期の自殺死亡率が例外的に低いこと, 今日の問題状況はこの時期におこった構造的な方向転換によるものであることがわかった.日本全体は, 1960年代の急激な下降の後, 漸次的な上昇を続けている.性別では, 1960年代に男女差が縮小するとともに70年間続いた連動が終了し, 女性は緩やかに下降する一方で男性は上昇している.男性の上昇は50代とその前後に顕著であり, 経年加算的に高まる傾向がみられる.1960年代には地域差も圧縮し, その後は低水準を維持する地域と上昇する地域とに区別され, 「東海道ベルト地帯が低く, 低開発地域が高い」構成へと再編されている.
著者
横山 敏
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.26, no.2, pp.36-52, 1975-11-30 (Released:2009-10-19)
参考文献数
37
被引用文献数
1

本稿は、ヴェーバーの近代認識を検討している。ヴェーバーの近代論をマルクスとのかかわりで論ずるうえで、かれの「事象化」 (Vrsachlichung) 概念をまずもって検討することは、きわめて重要であるように思われる。一、ヴェーバーは、次のように、人類史の転換について論じている。プロテスタントによる被造物神化の拒否は、資本主義の精神の形成にさいしての一つの決定的要因となった。そのことを通して、人格的諸関係 (die persönlicehe Verhältnisse) は突破され、使命として合理的職業労働が選択されたのである。そうした労働は、事物に即した行為、態度を特徴とするのであるが、同時に、それは、社会的な事物的諸関係 (die sachliche Verhältnisse) を生み落すところとなった。二、ヴェーバーは、近代資本主義を二段階に区分している。その第一段階は、プロテスタンティズムの禁欲主義と「独自の市民的エートス」をその特色とする。資本主義の向上期において、市民の行為は、意欲して事象化を推進する。第二段階においては、客体 (官僚制) は、主体から自立し、いかなる力をもってしてもそれを破壊できないものとなる。この段階で人間は、人格的に意味の喪失に陥る。ヴェーバーは以上のようにいうが、それに対して、マルクスは、資本主義の向上期にあっても、人は事物的諸関係 (商品=貨幣関係) の担い手であり、人々が第二段階と同様に事物への隷属に陥っていると見做す。三、ヴェーバーは、事物の人間に対する非合理的専制を突破できないといっている。経済的領域にかんしていえば、この事態に対するヴェーバーの批判は、資本主義の精神の存在いかんにかかっているから、その批判は、本質的なものでないと思われる。マルクスは、プロレタリアートに高度の生産諸力と普遍的交通の領有可能性を見いだしているが、このように、マルクスが物象化として止揚可能性を見いだしたものを、ヴェーバーは、合理化の宿命としてひきうけたのだと、われわれは考えることができる。
著者
白波瀬 佐和子
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.56, no.1, pp.74-92, 2005-06-30 (Released:2009-10-19)
参考文献数
26
被引用文献数
1

本稿では, 高齢社会の階層格差を所得と支援提供メカニズムに着目して, 実証データ分析を通して検討した.65歳以上高齢者のいる世帯の所得格差は, 1986年から1995年まで拡大傾向を呈したのち最近縮小傾向にある.この格差縮小の理由の1つは, 高齢層で大きく増えた夫婦のみ世帯の所得格差が低下したことによる.夫婦のみ世帯を基準 (100) とした他の世帯構造との平均可処分所得の相対的な違いは, 高齢女性単身世帯との間で縮小されたが, 高齢女性の一人くらしに伴う経済的リスクはまだ大きい.本稿の後半部は, 既婚女性から本人と母親と夫の母親への経済的支援と世話的支援に関して分析を行った.その結果, 本人の親に経済的な支援を提供するかどうかは, 母親と同居するか, 母親が一人くらしかに左右され, 世帯構造は支援ネットワークを形成する上にも重要であった.しかし一方で, 夫の母親への経済的支援については, 世帯所得に加えて夫が長男であるかどうかが重要であった.1990年代後半においても男系型直系家族規範が機能していた.3世代同居というかたちで高齢者に生活保障を提供できる状況が減り, 高齢者の一人くらしや夫婦のみ世帯の増加によって世帯のもつ生活保障機能そのものが変わっていく.世帯状況と密接に関連していた高齢者の生活に公的な保障がどう関与すべきかは, 今後の制度設計を考える上に重要な検討課題である.
著者
稗島 武
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.56, no.1, pp.200-213, 2005-06-30 (Released:2010-04-23)
参考文献数
15
被引用文献数
2 2

本稿で, 私はレディメイドという衣服のあり方と身体の関係を切り口に, 近代の身体観の変容について論じる.具体的な分析対象としては, 雑誌『アンアン』の記事を用いる.オーダーメイドとレディメイドの大きな違いは, 衣服を着る側から関わることのできない「サイズ規格」に基づいた生産システムにある.このシステムの変化は, 生産の効率化や生産アイテムの多様性を実現した.一方, 体型に関しては, 個別の体型を包摂するとされる「サイズ規格」により作られるがゆえに, 実際の身体と衣服とが適合しない可能性を持つことになってしまった.ここにおいて, レディメイドは, 個別具体的な身体から切り離された「もう1つの身体」を体現するものとなる.この「もう1つの身体」は, 個別具体的な身体を, 1つのラインに順序立て秩序づけるような, メタ次元に存在する「身体」であるといえる.これにより, 人々は, 常にこの「もう1つの身体」に基づいて, 自分の身体を意識せざるをえない.オーダーメイドにおいて, 個別的な対象であった身体は, レディメイドにおいて, 1つのラインに順序立てられ, 秩序づけられていく.自らの身体のみならず, あらゆる身体を包摂すると考えられるメタ次元の「もう1つの身体」の成立.これこそが, レディメイドによってもたらされた身体認識の変化であった.
著者
山岸 健
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.32, no.3, pp.18-35, 1981-12-31 (Released:2009-10-19)
参考文献数
47
被引用文献数
1 1

社会学の研究領域では、まだ身体論と呼ばれるようなまとまった考察はおこなわれていないが、ヒューマニスティック・パースペクティヴで日常生活の世界と生活している人間に社会学のサーチライトが向けられてもいる現況において、私たちは、座標原点でもあれば根源的な表出空間でもある身体に注目しなければならないだろう。現象学的社会学でも身体についての若干の考察は見られるが、身体については、今日のところ、実存社会学の分野で積極的な検討が加えられている。ここでは、そのような検討をふまえて、人間と世界という軸で身体を視点として私たちが生きている世界地平に目を向けたいと思う。私たちにとって、現実構成は、日常的な営為なのである。現実構成とは何か、身体とは何か、ということを考えながら、人間そのものに向かっていきたいと思う。社会学的人間学にいたる一つのステップとして、現象学と社会学というコンテクストで身体について若干の考察を試みたいと思う。身体を考えるということは、日常生活の場面での世界経験を考えるということだ。私たちは、自分の身体によって、この世界に巻き込まれているのである。私たちが経験しつつある身体を出発点として私たちの身のまわりに目を向けるならば、私たちが生きている世界がどのように照らし出されるのだろうか。
著者
太郎丸 博
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.52, no.4, pp.504-521, 2002-03-31 (Released:2010-04-23)
参考文献数
54
被引用文献数
2

本稿の目的は, John H. Goldthorpeの問題構成と研究スタイルの検討を通して, 社会階層論とミクロ・マクロ・リンクの関係を明らかにすることである.ミクロ・マクロ・リンクの意味と枠組みを確認した上で, Goldthorpeの問題構成と研究スタイルを検討する.その結果, 以下のような知見がえられる.冷戦下では, マルクス主義と産業主義という2つの歴史主義的な理論を量的なデータ分析から “反証” することがGoldthorpeにとって最も重要な課題であり, そのためにはマクロ社会学がもっとも有効なスタイルであった.そのことが社会移動のミクロなプロセスの軽視につながった.しかし, 冷戦が終結し, マルクス主義も産業主義もその力を失ってしまったため, Goldthorpeにはデータを説明する物語がなくなってしまった.そこで, マルクス主義と産業主義にかわって物語を構築する理論として, 合理的選択理論をGoldthorpeは用いる.彼にとっては, 合理的選択理論はマクロな社会移動のトレンドを説明するためのミクロなプロセスの理論としてもっとも有望なものである.なぜなら, 合理的選択理論は抽象的で匿名的な個人像を仮定するがゆえに, マクロな現象に対して強い説明力を持つことができるのであり, 今のところ合理的選択理論以上にミクロ・マクロ・リンクに成功した理論はないからである.
著者
椎野 信雄
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.45, no.2, pp.188-205, 1994-09-30 (Released:2009-10-13)
参考文献数
16

本稿は, EM (=エスノメソドロジー) 研究の達成業績に関する主張点を理解することを目的に, EM研究の方針と方法についてのガーフィンケルの議論を検討する試みである。EM研究と伝統的研究 (=形式的分析的社会学) が, 通約不能に代替的な社会学として対照的に識別される!それは, 社会学的研究が問題とする不朽の普通の社会における/としての (in and as) 秩序現象の産出やその説明=叙述可能性に対する強調点が異なるからである。従ってEM研究と伝統的研究における方針と方法を比較することで, EM研究の方針と方法が弁別的に明示されることになる。さらにまたEM研究というものが, 局所的に産出された, 自然にそして相互反映的に叙述可能なラディカルな秩序現象として, 秩序トピックを再特定化しており, そのことにはもっともな理由があるのだということが理解されるはずである!というのも再特定化された秩序現象には, 秩序産出のための通約不能で非対称的に代替的な二つのテクノロジーが有るからである!ラディカルな秩序現象のEM研究が見出しているのは, こうした二つのテクノロジーが, 自然に叙述可能な秩序現象を産出しているワークなのである。このような理解を通して, EM研究が社会学的研究にどのように寄与しているかを考察してみることにする。
著者
似田貝 香門
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.23, no.1, pp.2-24,115, 1972-07-30 (Released:2009-11-11)

With Hegel, dialectic “Stood on its head” and was incorporated in the system of idealistic speculation which took a mystical form. Marx criticised the Hegelian method while examining Hegel's views on bourgeois society, and by “turning it right side up” (man muss sie umstülpen as Marx says) produced a consistently materialistic dialetic which was “its direct opposite”. In this article, the author deals with Marx's Okonomisch-dhilosophische Manuskripte and A note on James Mill, reviewing what Marx aimed at in his theory of alienation of labour was to make clear the theoretical and practical grounds for abolishing the system of «Entfremdung der Arbeit» (“alienated labour”) by disclosing the low of how private property as capital did work. His analysis of “alienated labour” in. Okonomisch-philosophische Manuskripte had been the attempt to prepare the theoretical basis for it, the attempt which had necessarily to lead him to the confirming of what position the private property and the alienated labour had occupied in the preceding history of mankind. On the other hand, the aim of Manuskripte was not confined to the abolishment of the “self-alienation of labour”; the final aim of it was through that abolishment to remove the human self-alienation in its totality. The so-called historical materialism was formed in order to answer theoretically these two problems thus brought forward by Manuskripte. The theory of alienation of labour, therefore, did not liquidate itself by the formation of historical materialism, the latter being in fact the development of an element of the former. And thus the theory of alienation of labour constitutes a theoretical moment of the science of history called historical materialism.
著者
谷本 奈穂
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.55, no.4, pp.418-433, 2005-03-31 (Released:2010-04-23)
参考文献数
31

本稿では複数ある「ものの見方=視覚モード」を整理する.「言葉」をモデルにして対象に潜む意味や物語やイデオロギーなるものを「読解」するというモードや, 「芸術作品」をモデルにして対象と (論理を媒介にしない) 「直接的交流」をするモードが考えられる.しかし現代においては, メディア (広告ポスター, テレビ, マンガ, インターネットの動画) をモデルにした視覚モードもある.本稿ではそのモードを〈イメージ〉の生成と名づけた.このモードは「じっくり鑑賞する」というより「ちらっと・ぼんやり散見する」点, 対象に表層と深層があるとするなら「深層」ではなくて「表層」に焦点を当てる点に特徴がある.また〈イメージ〉の生成の登場は, 人が魅惑に対してむしろ醒めて麻痺したような態度を取るようになったことを意味している.
著者
土場 学
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.46, no.1, pp.2-15, 1995-06-30 (Released:2010-04-23)
参考文献数
30

本稿は, ハイエクの自生的秩序論を, 「個人主義的秩序はいかにして可能か」という正義論的秩序問題に対する解答として捉える視点から分析し, その問題点を析出する. ハイエクの自生的秩序論は, 個人の「自由」と社会の「進歩」が整合的に進展していくプロセスを証示することを最大のねらいとしている.しかしそこで重要なポイントは, ハイエクの論証は, 「ルール・システムに従属した〈主体〉」を公理とする「自生的秩序」の論理と「ルール・システムから独立した〈非主体〉」を公理とする「文化的進化」の論理という二つの異なる論理的位相のもとで成立している, ということである.したがって, いずれにせよそこには「ルール・システムから独立した〈主体〉」は存在せず, ゆえに結局, ハイエクの自生的秩序論のもとでは個人主義的秩序にかんする正義論的秩序問題は意味をなさないのである.
著者
安田 三郎
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.3, no.4, pp.114-130, 1953-09-25 (Released:2009-11-11)

This article is a preliminary report of a joint survery conducted in 1952 by seven investigators including the authors.The questionnaire used consisted of six sections, e.g. : (a) items relating to the authoritarian personality, (b) politico-economic orientation, (c) class identification, (d) social grading of occupation, (e) spatial mobility, (f) face-sheet.The population from which the sample for this survey was drawn is the adult male population of approximately 2, 500, 000 individuals living in the urban districts of the Tokyo metropolis.Considerations which entered into the decision concerning sample size were : (a) the precision of the estimate, (b) the precision of the test of significance, and (c) the limitation of the time and financial resources. The size thus determined wes 700.Stratified sub-sampling and double sampling were used. The population was divided into 70 strata according to the type of industry and social characteristics of each districts. One primary sampling unit (cho or chôme-street) from each stratum was selected by probability-proportionately and from there 70 primary sampling units 40 male adults in proportion to the size of each stratum were obtained. These adults were again stratified according to age, occupation, and the characteristics of their dwelling place, and the final sample of 700 was obtained at a sampling ratio of 4.5 Population from which the sample was drawn was inferred from the registry of family cards.Fieldwork was conducted through the use of the house-to-house interview method and 534 person's in the sample (%) were interviewed. In order to estimate the effect of failure to interview a portion of the sample, the age-and occupation-composition of the non-interviewed group was examined and the “quasi-re-survey” method was utilized. This examination shows that deviation due to non-interviewing of a portion of the sample was negligible.The theoretical framework and the results of this survey will be reported in the following issues by individual invertigators.
著者
舩橋 晴俊
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.57, no.1, pp.4-24, 2006-06-30 (Released:2009-10-19)
参考文献数
28
被引用文献数
1

「理論形成はいかにして可能か」を問うためには, まず, 理論の役割とは何か, 理論の基本性格をいかに分類するかを考える必要がある.理論の役割には, 「規則性の発見と説明」「意味の発見」「規範理論の諸問題の解明」の3つがあり, 社会学理論は, 基本性格の差異に注目するならば, 「中範囲の理論」「基礎理論」「原理論」「規範理論」「メタ理論」の5つに分類することができる.理論形成を支える諸要因として, 学説研究, 実証研究, 問題意識と価値理念, メタ理論的な信念, 他の研究者との相互作用, 現実の社会問題との直面を提示できるが, これらが理論形成において果たす作用の比重は, 理論のタイプによって異なる.中範囲の理論や特定領域の基礎理論においては, 実証を通しての理論形成という方向づけに基づいた「T字型の研究戦略」が理論形成に有効であろう.この研究戦略に基づいて創造的な理論形成を達成したいくつもの先例が存在する.これに対して, 原理論においては, 独自の問題意識に基づいて, 先行研究の蓄積から鍵になる概念や論理を発掘し再編成することによって創造的な理論形成を成し遂げうるということが, 存立構造論によって例証される.中範囲の理論においては, 相対的に通常科学的な理論形成の比重が大きいのに対して, より根底的な水準の基礎理論や原理論においては, 認識の前提としての観点と価値理念の再定義を伴う科学革命的な理論形成が重要な意義を有する.
著者
河村 望
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.17, no.2, pp.34-43, 1966-12-10 (Released:2010-12-10)

By the defeat “Nipponshugi shakaigaku” (Japanese national sociology) which had been dominaht under the absolute Tenno system, practically lost its power, and in its place empirical and positive sociology, influenced by American sociology, prospered. Notwithstanding that this positive sociology and Marxism thory fundamentally are hostile to each other, criticism from the Marxist side of sociology was not sufficiently made in those days, and sociology akin to Marxism only dealt with the confrontation of the non-scientific Tenno system's ideology.About 1950 the theory of “structural=functional analysis” of American sociologists such as Parsons and Merton began to be introduced, and after 1955 the apposition between sociology and Marxism became clear as the theory of “mass society” lost ground. At this stage there appeared those who stood for the “critical absorption” of Marxism within sociology. They were discontented with the non-historical and super-class theory of American sociology and psychology, so they intended to develop positive sociology accepting Marxism as a grand framework. But they eventually couldn't deduce more than the protection of the past sociological method and the denial of Marxism.If we call these people “arbitrationists”, those who “absorb critically” the empirical thory of sociology from a Marxist view and intend to develop Marxism “creatively” can be called “revisionism”. It was after 1960 that this standpoint became clear as one current, and it has been greatly influenced by the revival of sociology in the sociolist states of East Europe and the U. S. S. R. and the opinion of Marxist sociology which is distinguished from a materialistic conception of history. Lately by introducing theories of “industrialized society” and “modernization” into the field of sociology, an attempt to confront Marxist theory extensively has been made.When I make a future observation from the above current, it is presumed that in so far as the attack on or revision of Marxism is made in the name of sociology, apposition between sociology and Marxism will strengthen thier hostile relation as an ideological apposition in Japan, too. In this trend Marxist sociology will make its revisionistic character clearer. And the ideological conflict between them will be continued unabel sociology as the bourgeois ideology is completely extinguished by the ruin of the bourgeoisie.
著者
直井 道子
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.37, no.2, pp.191-203,266, 1986-09-30 (Released:2009-11-11)
参考文献数
8
被引用文献数
2

フロムやアドルノによる権威主義的性格の研究は、戦後日本にとって重要な問題提起であった。とくに、家族の権威構造と権威主義的性格の関連性というテーマは、川島武宜の問題提起以来注目を集めたが、実証研究はほとんど発展してこなかった。本稿は、このテーマに関連して、夫の親と同居する主婦 (直系家族における、いわゆる嫁) が、別居している主婦より、より権威主義的か否か、をデータ分析によって追究したものである。夫の親と同居する主婦は、別居している主婦より平均的に有意に権威主義的であることがデータから立証された。さらに、その差は、同居の主婦と別居の主婦の年齢の差によるものではないことも確認された。最後に、一五歳時の居住地、夫の学歴、夫の職業、妻の学歴、ライフ・サイクル等の説明変数をコントロールしても、なお、夫の親との同居は主婦をより権威主義的たらしめる方向に対して直接効果をもつことが、パス解析によって立証された。夫の親との同居は、主婦の権威主義的性格の維持あるいは再生産に対して一定の機能を果していると結論できる。
著者
遠藤 英樹
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.52, no.1, pp.133-146, 2001-06-30 (Released:2009-10-19)
参考文献数
34
被引用文献数
3

現代社会において, 観光はますます重要な事象となっている.とくに, それはイメージを媒介することではじめて成立するという点で, 近代のありようと共鳴しあっていると考えられる.観光パンフレット, テレビ, 雑誌, 映画といったようなメディアを通じ, 観光地に対するイメージはたえず再生産されつづけており, こうしたメディアによるイメージの再生産に関する分析は, 観光という事象を語るうえで不可欠のものとなっている.本稿は奈良を事例とする意義について述べるとともに, 観光地・奈良のイメージを再生産するうえでメディアが重要な役割を果たしていることを指摘する.こうしたことについては, かつてD.J.ブーアスティンが指摘した問題圏にかさなるものであるが, ここではブーアスティンの指摘よりもさらに議論をすすめ, イメージの消費者たるべきツーリストたちが奈良という観光地をいかに読み解いているのかまでも考察する.それにより最後には, ツーリストたちが 「ブリコラージュ」の方法を用いつつ, 観光という「イメージの織物 (text-ile) 」を主体的に読み解いている姿を浮き彫りにする.
著者
塩原 勉
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.25, no.4, pp.17-36, 1975-03-31 (Released:2009-11-11)
参考文献数
29
被引用文献数
1 1

1) On Methodology. We have many differentiated sociological perspectives in the conflicting directions. In order to innovate the functionalist paradigm characterized as a normal science, we propose to combine dual counteracting perspectives : functionalism and interactionism.2) On Structure. A social system can be defined as a living system of resource-processing controlled through information-processing. Its structure is consisted of several structural components : values, norms, decision-making structure, operation structure, and resources, which are not only hierarchically arranged, but also cybernetically controlled to satisfy requisites of the system. The requisites can be classified into three layers : basic, mediating, and specific requisites. But there are inherently structural strains both within and among those components. 3) On Social Change. Three major variables (strains, external requests, and system's ability to satisfy its requisites) will determine the changes in system structure. And the changes will be facilitated by the means of multiplytyped innovations against the structural components under strains. An effort to remodel Smelser's “logic of value-added process” has lead us to a more comprehensive analytical-scheme, which can described as “a total movement process” with a series of seven phases.
著者
鈴木 努
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.57, no.3, pp.564-581, 2006-12-31 (Released:2009-10-19)
参考文献数
41
被引用文献数
1 1

山岸俊男は『信頼の構造』 (1998) において, 見知らぬ他者を信頼する人は単なる「お人好し」ではなく, 相手を信頼することで, 社会的不確実性と機会コストに対処しているのであるという信頼の解き放ち理論を展開した.その論証には主に実験心理学的方法が用いられたが, その後の社会調査による検証では必ずしも理論を支持する結果は得られていない.その原因として, 信頼の解き放ち理論は実験室状況を越えた実際の社会状況に適用するにはいまだ理論的整理が不十分であること, また実証研究において用いられたモデルが理論を適切に形式化しえていないことが考えられる.本稿では, 社会ネットワーク分析とカタストロフ理論を用いた数理モデルによって個人の社会環境とその個人が示す不特定の他者への一般的信頼の関係を形式化し, 信頼の解き放ち理論とそれに向けられた諸批判を総合した理論仮説を提示する.本稿のモデルは, 個人のエゴ・ネットワークとその属するホール・ネットワークの特性により個人の一般的信頼がどのように変化するかを示すカスプ・カタストロフ・モデルである.そこでは個人のもつ多層的なネットワーク領域を想定することで, 高い一般的信頼と緊密なコミットメント関係の両立が可能となっており, それにより実験的方法と社会調査から得られた対立的な知見を総合的に理論化する1つの枠組が提出される.
著者
Takeshi Suzuki
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
Japanese Sociological Review (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.43, no.2, pp.169-183, 1992-09-30 (Released:2010-01-25)
参考文献数
58

本論文はネオ機能主義社会学の基本構造の解読を試みるものである。ネオ機能主義社会学者は、第一に、パーソンズの理論前提的議論を継承しながら、社会体系の水準において理論前提的問題 (行為-秩序問題) を提起し、戦後社会学第二期に登場した社会学理論化の理論前提を解説してきた。結果、彼/彼女らは、一連の理論前提的議論から、それらの理論化の還元・融合による一次元化を指摘し、自らの理論化においては多彩なマイクローマクロ・リンクを可能にする多次元的社会学理論化を提唱している。ネオ機能主義社会学者は、第二に、自らの理論前提的議論 (一般化されたディスコース) を特定化しながら、リサーチ・プログラムを編成し、経験的具体的な社会秩序分析に志向してきた。彼/彼女らは、規範的マクロ社会学を主軸にしながらも、行為問題、条件的物質的要因を自らの理論化に組み入れ、多次元的な規範秩序分析を展開している。ネオ機能主義社会学は、戦後社会学第三期「マイクローマクロ・リンク」時代における有力な社会学理論化の一つとして台頭してきている。
著者
山口 節郎
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.32, no.3, pp.36-53, 1981-12-31 (Released:2010-04-23)
参考文献数
28
被引用文献数
1 1

Aシュッツの「現象学的社会学」は、社会的現実を、それを意味的に構成する諸個人の意識と結びつけて理解する最も確実な方法として、多くの支持者を見出してきている。しかし、一方で、詳しく検討してみると、彼の議論のなかにはいくつかの重大な疑問点が含まれていることがわかる。たとえば、社会的世界の理念型的構成物としての彼の「合理的行為のモデル」という考えは、はたして現象学の基本的視座と両立しうるのかどうか、あるいはそうした行為モデルと人間の自由の問題との関係はどうなるのか、そしてまた、彼のいう「適合性の公準」はそれ自体のなかに矛盾を含んではいないか、等々。こうした問題があらわれてくるのは、彼が社会科学の方法論的基礎を「自然的態度の構成的現象学」に求めようとしたことに原因があるように思われる。本稿では、シュッツの「現象学的社会学」が含むこれらの問題を、彼の主張する科学的構成物の妥当性を保証する三つの公準を中心に、考えてみたい。
著者
浦野 茂
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.64, no.3, pp.492-509, 2013

本稿は, 発達障害をもつ高校生を対象にした社会生活技能訓練 (SST) においてその参加者たちがこの訓練に抵抗していく事例を検討する. とりわけ本稿は, 社会生活技能訓練とそのなかでの抵抗について, それぞれの実践を組み立てている手続きを記述することを通じ, 発達障害者に対する制度的支援の実践が当事者に対していかなる行為と自己アイデンティティの可能性を提供しているのかを明らかにする.<br>制度的実践を介した医学的概念とその対象者の行為およびアイデンティティとの関係については, 医療化論の視点からすでに批判的検討がなされてきた. しかしこうした批判的視点にあらかじめ依拠してしまうことは, 発達障害者と呼ばれる人びとがこの概念に基づいて行いうる実践の多様なあり方を見失わせてしまう. したがって本稿はこの視点からひとまず距離をとりながら, この実践を構成している概念連関の記述を試みる.<br>この作業を通して本稿が見出すのは, 医療化論の視点とは対立する次の事態である. すなわち, 発達障害者への制度的支援の実践は, その参加者が発達障害の概念を批判的に捉え返していくための可能性をも提供しており, したがってまたこの実践のあり方に抵抗し, さらにはそれをあらためていく可能性をも提供しているという事態である. これに基づき本稿は, 当事者のアイデンティティ形成とその書き換えの積極的な契機として制度的支援の実践を捉えていく必要のあることを示すことになる.