著者
山本 裕之 小寺 香奈 YAMAMOTO Hiroyuki KOTERA Kana
出版者
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター
雑誌
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 (ISSN:13472216)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.67-80, 2009-03-01 (Released:2016-05-17)

1920年代にC.アイヴズ、A.ハーバらによって実践された4分音などの微分音は、その後のヨーロッパ音楽において現代的奏法の中でも重要項目として扱われてきた。彼らが微分音に挑戦した当時のヨーロッパは平均律(12等分平均律)の概念が席巻して既に久しい。かつてのヨーロッパで長期にわたって繰り広げられてきた音律論争において、それぞれの音律の間に存在した非常に小さなどツチ(音高)の差は、19世紀という様々な調性を用いた時代の要請に応えて12等分平均律という画期的な妥協案に収れんした。西洋音楽文化の外にある各民族音楽の音律を除外して考えれば、微分音とはいったん世界標準として目盛りが敷かれた平均律からあらためて外れたピッチ、または音程のことを指す。 とはいえ、オルガンのように一度調律したらそうたやすくは調律が崩れないような楽器はわずかであり、それどころか多くの楽器では奏者がその場で随時楽器のピッチをコントロールしながら演奏する。19世紀に作られたキーをたくさん持つ木管楽器や、H.シュトルツェルなどが発明したヴアルヴをもつ金管楽器群は、それ以前の楽器に比べて格段に多くのピッチを安定させながら自在に鳴らせるように設計されている。が、その中で奏者はさらに楽器の精度と共に自らの耳と発音テクニックによって出来るだけ「正しい」ピッチを作り出そうと技術を磨いた。しかし実際の演奏では厳格に正しく、19世紀以降の「半音階の分かりやすい知的モデル」である平均律に即した音律で演奏されるわけではない。音楽のイントネーションに合わせて、あるいは奏者や楽器自体のコンディションに即して、平均律から大きく外れないピッチを作りながら演奏されるのが常である。したがって、例えばある音が僅かに数セントの単位で平均律からずれたからといってもそれは「ある音」の範囲を越えず、微分音の概念で語られるわけではない。 つまりこれらのような木・金管楽器は、音楽的内容に即して随時平均律から逸脱して演奏されることを前提としながらも、平均律を原則として作られている。したがって、そのような楽器であえて微分音を作り出すことは矛盾であるが、楽器の構造上は不可能ではない。すなわち、楽器はそのように作られてはいないが不可能ではないのである。 20世紀後半になって微分音が作品の中で頻繁に使われ始めると、各楽器の現代奏法を解説する書物には必ずといってよいほど微分音の運指表が掲載されるようになった。特に木管楽器の書物では多くのキーの組み合わせによって膨大な微分音の可能性が提示されている。金管楽器においては、楽器の機構上木管楽器のように膨大な微分音が作り出せるわけではないが、それでも実用的な量は作り出せる。しかしそのための資料が木管楽器ほど多いわけではない。そこで本稿では、金管楽器の中でも特に現代奏法に関する資料がほとんど書かれていないユーフォニアムにおいて、これまで存在しなかったこの楽器のための汎用的な微分音スケールを提示することを目的とした。
著者
池田 潤
出版者
筑波一般言語学研究会
雑誌
一般言語学論叢 (ISSN:13443046)
巻号頁・発行日
no.9, pp.1-10, 2006-12-31 (Released:2013-12-25)
著者
大戸 安弘
巻号頁・発行日
2010 (Released:2013-12-25)

課題番号:18330161
著者
山部 木の実
出版者
九州大学大学院比較社会文化学府
雑誌
比較社会文化研究
巻号頁・発行日
vol.26, pp.35-43, 2009-08-31 (Released:2010-05-25)

This paper examines the relationship between Taiheiki story (Taihei means peace) that is a tale of War In medieval times and the Ashikaga Shognate. There are three considerations about it. The first is about the author of Taiheiki named Kojima priest who was introduced in the diary of the lord Toin Kinsada in that time. Imagawa Ryoushun who was a relative of the Ashikaga farnily made cornments about the author of Taiheiki in his book “Nan Taiheiki". And Kojima priest was introduced in Kouhukuji Temple chronicle. The second specified the term that Taiheiki was written by using chronological table. The third clanfied the reasons why the Ashikaga Shognate tried to decide Taiheiki story that was written by Kojima priest as the history of the Ashikaga Shognate and reorganaize it. The results of this study are as follows, (1) The author of Taiheiki story was Kojima priest as Toin Kinsada wrote in his diary. It had been thought that the priests of Rishu sect (one of the Buddihst groups) wrote Taiheiki. Kojima priest might get the information about Taiheiki from this priests group. (2) Taiheiki that was written by Kojima priest covered the term that was from the “Shouchu no hen" that the Emperor Godaigo attempted to overthrow the Kamakura Shogunate to the time when the Ashikaga Shogunate got its power. (3) The Ashikaga Shogunate tried to adopt Taiheiki that was written by Kojima priest as the history of the Ashikaga Shougunate. Because Taiheiki included the process that the Ashikaga Shogunate came into power. It might be reorganized as the history of the Ashikaga Shougunate.
著者
N.ホーソーン(著) 望月 善次(訳)
出版者
人文科教育学会
雑誌
人文科教育研究 (ISSN:09131434)
巻号頁・発行日
no.7, pp.60-70, 1980-03-31 (Released:2013-12-25)
著者
テーウェン マーク ペーチュ ニネッテ 幸子 森 新之介
出版者
東北大学大学院文学研究科日本思想史学研究室
雑誌
日本思想史研究 (ISSN:03868974)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.1-34, 2010-03 (Released:2011-02-10)

「Mark Teeuwen, "Comparative perspectives on the emergence of jindo and Shinto", Bulletin of the School of Oriental and African Studies, Volume 70(02), pp.373-402, 2007」の翻訳(ニネッテ・幸子・ペーチュ、森新之介訳)
著者
桂木 健次
出版者
富山大学教養部
雑誌
富山大学教養部紀要. 人文・社会科学篇 (ISSN:03858103)
巻号頁・発行日
vol.19, no.1, pp.61-73, 1986 (Released:2016-02-17)

正誤表:p71.22行目 誤「国家期間」→正「国家機関」
著者
薄井 俊二 Usui Shunji
出版者
九州大学中国哲学研究会
雑誌
中国哲学論集 (ISSN:03856224)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.57-77, 1984-10-30 (Released:2010-09-14)
著者
綾部 早穂 菊地 正
出版者
筑波大学心理学系
雑誌
筑波大学心理学研究 (ISSN:09158952)
巻号頁・発行日
no.18, pp.1-8, 1996-03-15 (Released:2013-12-18)
著者
柴田 昌樹
巻号頁・発行日
2009-01-29

国立国会図書館デジタルアーカイブポータル(PORTA)は、他機関との連携・協力による「国のデジタルアーカイブ」の構築を視座に置き、当館のみならず他機関所蔵コンテンツを含むわが国全体のデジタルアーカイブを一元的・統合的に検索・利用できるサービスの構築を目指している。本講演では、平成19年10月の公開以来、これまでにPORTAが進めてきた連携・協力について、データ提供機関(データプロバイダ)の拡充及び外部提供インターフェース(API)の公開・提供の現状と、目指す将来像を紹介する。1.PORTAの位置づけ 2004年2月に、当館は「国立国会図書館 電子図書館中期計画2004」として、5年程度を目途として達成すべき電子図書館サービスの具体的方向とその実現の枠組みを示した。その柱の一つとして、国の各機関と協力し、デジタルアーカイブへの総合的なポータルサイト(入り口)を構築することとした。このポータルサイトの具体的な形として、2004年秋からのプロトタイプシステムを経て、2007年10月15日にPORTAを一般公開した。2.PORTAの現状 一般公開当初20のデータプロバイダ(そのうち他機関のものは7。大学関係機関はなし)のデジタルアーカイブ等の提供でサービスを開始したが、平成21年1月現在で31(他機関のものは18。そのうち大学関係機関は5)が提供できるようになっている。現在も大学関係機関を含む各種機関とPORTAとの連携のための協議を継続し、提供できるコンテンツの更なる拡充を図っている。また外部提供インターフェース(API)についても、平成20年3月末から検索用APIを、平成20年12月にはハーベスト用APIを公開した。「想-IMAGINE Book Search」(NPO法人連想出版)等PORTAのAPIを活用したサービスがインターネット上で出現してきている。3.PORTAの今後 デジタルアーカイブを提供する図書館、公文書館、博物館、美術館、大学、政府機関、民間等に働きかけ、PORTAと連携するデータプロバイダの増加につとめるともに、これら機関等と協力して各機関に分散されたデジタルアーカイブの統合利用環境のさらなる高度化を目指していきたいと考えている。 平成20年度国立大学図書館協会地区協会助成事業ワークショップ「大学における研究・教育活動と電子リソース利用の現在」発表資料 平成21年1月29日 広島大学中央図書館ライブラリーホール