著者
稲葉 継陽 イナバ ツグハル
出版者
熊本大学附属図書館
巻号頁・発行日
2014-10

熊本大学附属図書館(中央館)リニューアル1周年記念 第30回熊本大学附属図書館貴重資料展 解説目録
著者
フロランス ゴイエ 進藤 久乃[訳]
雑誌
人文 (ISSN:18817920)
巻号頁・発行日
no.13, pp.81-101, 2015-03 (Released:2015-03-27)

本稿は、古典叙事詩を論じた執筆者の研究(『概念なしに思考する:戦語りの叙事詩の役割』、パリ、シャンピオン出版、2006 年;「語りの構造と政治的構築:創造の最中にある叙事詩」、『口承伝統』誌、2008 年1 月23 日号所収、15 頁-27 頁)に基づき、いくつかの現代の大衆作品の新たな像を提案する。過去の偉大な叙事詩(『イーリアス』、『ローランの歌』、『保元・平治物語』)は、究極的には、「叙事詩的創造」の概念を通じて定義されうる。執筆者自身が2006 年の著作において行った詳細な分析が示すのは、これらの叙事詩は、大きな社会変革の時期に生み出され、誰もが暗唱したもので、最終的に、完全に新しい社会の概念と政治的な力を創り出したということだ。現代、このような叙事詩は世界のあらゆる場所でほとんど消え去りつつある。しかし本稿で示すのは、叙事詩の本質的な特質が、少数の現代の作品によって維持されているということであり、その作品とはトルストイの『戦争と平和』やトールキンの『指輪物語』を含む。古典叙事詩において対応する作品と同様、これらの小説が我々に促すのは、概念なしに思考すること、そして語りの方法のみを使いながらそうすることなのだ。 The article builds on Goyet’s work about ancient epic (Penser sans concepts. Fonction de l’épopée guerrière, Paris, Champion, 2006; “Narrative Structure and Political Construction: The Epic at Work”,Oral Tradition 23/1 (2008), pp. 15-27) to propose a new interpretation of a number of popular modern texts. Great epics of the past (e.g., Iliad, Song of Roland, Hôgen and Heiji monogatari) can ultimately be defined through the concept of “epic work”. The detailed analysis led in Goyet’s 2006 book showed that those epics, born in times of great social change, and which everyone knew by heart, ultimately invented a completely new conception of society and political power. In the modern era, such epics have disappeared nearly everywhere in the world. However, this article shows that their essential traits have been retained by a small number of modern texts, including Tolstoy’s War and Peace and Tolkien’s The Lord of the Rings. Like their ancient epic counterparts, these novels allow us to think without concepts, and to do so using the means of narrative only.
著者
村山 悟郎
出版者
東京藝術大学
巻号頁・発行日
(Released:2015-07-10)

平成26年度
著者
竹尾 茂樹 Shigeki Takeo
雑誌
年報・フランス研究 (ISSN:09109757)
巻号頁・発行日
no.19, pp.21-37, 1985-12-25 (Released:2016-12-01)
著者
上尾 真道
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文學報 = The Zinbun Gakuhō : Journal of Humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
vol.102, pp.65-87, 2012-03

本論は, フロイトにおける人間と必然性の関係をめぐる問題を, フロイトの「レオナルド・ダ・ヴィンチ」論の読解に基づき考察したものである。フロイトは, 人間に否応なく立ちはだかる必然性について, しばしばアナンケーという言葉で論じながら, 人間は宗教的錯覚を捨てて, それに対峙していかなければならないと述べ, その態度を科学的態度としている。本論は, 晩年の文化論に見られるこうした問題系をフロイトが先取りしていたものとして, 彼の論文「レオナルド・ダ・ヴィンチの幼年期の思い出」を取り上げる。レオナルドは, 第一に, 宗教的錯覚を排し, 自然のアナンケーに知性を通じて対峙した人物として描かれている。しかし, レオナルド論を丹念に読むならば, 父性的影響を排することで可能となった知的な自然探求は, すぐさま, 常に幼年期の母との強い情動的関係に裏付けられた神経症的な思考強迫と境を接するものであることがわかってくる。知的探求と自然崇拝が結び付くようなこの母性的影響について, フロイトのほかのいくつかのテクストを参考にするならば, それは, 偶然的な現実を覆い隠そうとする錯覚のひとつであるという見方が可能となる。そこで, レオナルド論のうちに, この母性的錯覚に裂け目をもたらすものとしての偶然をめぐる主題を探すと, 自然に湛えられた潜在的な原因の闊入として構想された偶然の概念を見出すことができる。この偶然は, 必然性のうちに主体を埋没させる強迫的探求に対して, 主体が自らをひとつの作用因として世界へ介入させる行為と創造の側面から理解されるだろう。こうした必然性に参与する偶然への配慮こそがフロイトの科学的世界観の鍵であり, アナンケーを人間の変容の舞台として理解するための鍵である。 This paper deals with the problem of the relationship between necessity and humanity in Freud's thought, based on a close reading of his article "Leonardo Da Vinci and A Memory of His Childhood". Freud often argues about the inevitable necessity confronted by all humanity in terms of Ananke, insists that humanity should face it by abandoning all religious illusions, and classifies this attitude as that of Science. This problematic which is treated mainly in his late cultural essays, can be already found in the article on Leonardo. In this article, Leonardo is described as person who possesses a scientific attitude without any religious illusion. However, this attitude reveals itself as close to neurotic symptoms, fairly influenced by the mother's affect. This maternal influence, according to Freud's other articles, can be thought of as an illusion which conceals the contingent real. In fact, the problem of contingency is easily found in the article on Leonardo, where contingency is seen as the intrusion of potential causes inside the nature. This consideration about contingency is essential to Freud's conception of Science, and might enable us to understand Ananke as a stage of the transformation of humanity.
著者
中村 修也
出版者
文教大学
雑誌
教育学部紀要 (ISSN:03882144)
巻号頁・発行日
vol.47, pp.57-78, 2013-12 (Released:2014-02-26)

663年の白村江の敗戦以後の日本の社会を、唐の占領政策のもとにいかに展開したかを描いた。従来の説では、唐による占領政策はなかったものとして、両国は戦争をしたにもかかわらず、友好関係を維持し、日本は唐にならって律令制を導入したと論じられてきた。これは戦争という現実から目をそむけた論に過ぎない。本論では、郭務悰という唐からの占領軍事司令官のもとで、いかに占領政策が行なわれたかを『日本書紀』を新たに解釈しなおすことで明らかにした。また、新羅の反唐政策によって、唐は半島・日本から撤退せざるをえなくなり、日本も唐の占領政策から脱することができたことを論じた。
著者
日本産業衛生協会
巻号頁・発行日
vol.17, no.12, 1940-12-01
著者
大嶋 光昭
出版者
[出版者不明]
巻号頁・発行日
2006-02 (Released:2016-11-26)

制度:新 ; 文部省報告番号:乙2020号 ; 学位の種類:博士(工学) ; 授与年月日:2006/2/24 ; 早大学位記番号:新4189