2 0 0 0 OA 秋田叢書

出版者
秋田叢書刊行会
巻号頁・発行日
vol.別集 第4 (菅江真澄集 第4), 1932
著者
雨宮 馨
出版者
日本重症心身障害学会
雑誌
日本重症心身障害学会誌 (ISSN:13431439)
巻号頁・発行日
vol.43, no.2, pp.238, 2018 (Released:2021-01-21)

重症心身障害児者(以下、重症児者)のアドバンス・ケア・プランニング(以下、ACP)は、がん患者と違い、急変の予測が困難であり行うべき適切な時期を見定めるのが難しい。成人在宅医療の現場でも、緩徐な進行をたどる神経疾患のACPは必ずしも行われていない現状がある。 しかし、実際に在宅療養している重症児者が急変し重篤な状態に陥ると、急性期病院で初めて会う医師から厳しい話を突然受けることになる。医師から事前に重篤な状態に陥る可能性を告げられていなかった場合、家族は「こんなことになるとは思わなかった」と当然混乱するであろう。急性期治療に従事する医師の負担感も大きく、「普段関わる医師が適切に病状を事前に伝えておいてほしい」といった希望が聞かれる。 重症児者の経過は乳幼児期の大変な時期を乗り越えると経過が緩徐であり、家族は身体に様々な問題のある状態を当たり前として受け入れながらともに生活していくため、家族の病識が薄れやすいといえる。ACPと構えて行うことは医療者にとって負担感のあることかもしれないが、重症児者のACPとして大切な一歩は、まず患者の現在の病状について家族と共有することである。 重症児者のACPの課題として、代理意思決定の問題が存在する。在宅医療では自宅に訪問するため、患者本人の病状のみならず、本人の療養環境や家族背景、教育や福祉の介入状況などが把握でき、それらを交えて関わるので、家庭の中での「○○くん/ちゃんとは」という患者の存在を共有しやすい。この子とどう過ごしたいかといった親の実際の希望を聞くことも多く、周囲の状況を交えながら、患者にとっての最善の利益を考えながら診療に反映することが可能といえる。ただ、患者の存在について共有するには時間が必要であり、在宅期間が短い乳幼児はACPが非常に難しいといえる。 家族が介護する中で抱える希望や不安に触れる機会も多い。在宅医療の依頼を受ける重症児者は医療的ケアが多く、介護者である親は子どもが急にSpO2が下がり顔色が悪くなったといったような命の危機を感じさせられる経験することも多い。自宅では実際に急変に家族のみで対応しなくてはいけないため、心肺停止といった状態に至った場合は実際に対応は困難といえる。在宅医療では終末期の緩和も含め自宅での看取りに対応することも可能であり、家族と関係をある程度築き情報提供した上で、実際にわが子が死に直面する状況に至った場合にどのようにしたいか、入院してどのような治療を受けたいのか、自宅で穏やかに過ごしたいのかといった方向性をある程度確認することも努力している。ACPとして、①本人の病状とそれに対し今後起こりうることと対応方法、②死に直面した状態の際には自宅でできる終末期の緩和方法や心肺蘇生についてといった内容を具体的に説明し、親の子どもに対する人生観や死生観、希望を踏まえ、どのような医療を望み、医療を受けどう生きてほしいのかをともに考えていく必要がある。 外来診療でのACPは、患者が肺炎等で入院し回復した後や知り合いの死などをきっかけに行っている。重症者の場合は長い年月を患者と過ごしており、介護している家族も年齢を重ねているため、適切な医療情報を提供すれば本人にどう生きてほしいかを語ってくださる方が多い。急変時は他院に運ばれることになるため、家族が悩んだ末に侵襲的な高度医療を望まないという場合には、十分に患者の病状を理解した上で家族が選択したことがわかるような意思表示の書類やカードを家族とともに作成し、急変の際に少しでも意向が反映されるよう支援している。 セミナーでは上記のことを踏まえ、①実際のACPのタイミングや方法について、②ACPの実際の難しさ、③DNARの意思表示支援カードについて、④ACPを事前に行い急変に至った事例等についてお話する予定である。 略歴 新潟大学医学部卒業 小児科専門医 東京大学医学部付属病院小児科、亀田総合病院小児科、都立小児総合医療センター神経内科等勤務後、島田療育センターはちおうじ(島はち)で障害児医療に従事し、現在はさいわいこどもクリニック在宅診療部で小児在宅診療を行い、島はちの療育外来で診療を行っている。
著者
中村 昌弘
出版者
日本ハンセン病学会
雑誌
日本ハンセン病学会雑誌 (ISSN:13423681)
巻号頁・発行日
vol.70, no.3, pp.127-133, 2001 (Released:2007-11-30)
参考文献数
6
被引用文献数
1 1

1882年、Kochによって結核の原因としての結核菌が発見され、培養、動物移植も達成されたが、らい菌はその9年前(1973年)にHansenによって発見されたにも拘わらず128年を故る現在においても、そのin vitro培養は未だに不可能である。そして、今や、らい菌培養の研究は不毛の研究として、細菌学の領域より忘れ去られようとしている。一方、らい菌のマウス足蹠内増殖、アルマジロヘの移植は達成されているので、細菌としてのらい菌の増殖能力の欠如についての疑問は全く存在しないし、らい菌が抗酸菌のカテゴリーに属するものであることは疑う余地もない。それでは何故らい菌は培養できないかの理由について、本報において、次の点について考察を加えることにする。1.長期間の培養による培地の老廃化のためか2.らい菌のカタラゼー欠損のためか3.らい菌の細胞壁の脆弱性のためか以上の、らい菌が培養できない理由の中で最もその可能性の高いものは、細胞壁の脆弱性によるものではないかと思われる。従って、らい菌の細胞壁を強靭にすれば、無細胞系で増殖する可能性は得られるものと推察される。
著者
中山 ちなみ
出版者
京都大学文学部社会学研究室
雑誌
京都社会学年報 : KJS
巻号頁・発行日
no.5, pp.171-194, 1997-12-25

The term "life" (seikatsu) is indispensable concept for describing today's sociopsychological trends of Japanese people. People tend to take interests in their residential conditions or leisure "life" rather than their occupational conditions: it is a contrast to the "workaholic" in the past few decades. Some people are interested in environmental problems or reconsider the system of their consumption "life". In Japanese sociological tradition, Life Structure Approach (Seikatsu Kozo Ron) has often treated these human life problems. Reviewing studies from this perspective, we find four focuses in this approach: (1) family, (2) social stratification, (3) community, and (4) total society. Many findings have been obtained through this approach, but there is little general framework for synthesizing these findings. In this article, a framework for empirical studies of human life in social conditions is examined. This framework is constructed on following three main aspects. (1) Life sphere: total life is divided into occupational life, residential life, and leisure life. (2) Dimension of life: human life consists of behavior, material condition, institutional condition, and consciousness. (3) Time and space: these are indispensable factors controlling all person's behaviors. This framework can be of used not only to put several findings about human life structure in order, but also to analyze life problems (seikatsu mondai) in contemporary Japanese society.
著者
広重
出版者
有田屋清右衛門
雑誌
双六
巻号頁・発行日
1843