Bi Bi (@otoroshi)

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@sum7777777sum @htmdxmama DNA採取可能な擦文期北海道在来集団の骨が出てきて無いから江戸期のアイヌのデータに飛んでるだけなんですが?アイヌのもう片方の先祖集団であるオホーツク人(アムール集団)からは縄文人ゲノムが見つかっており双方の集団の混血は約1600年前には起きていたとのことです。https://t.co/VaCgdUl4ZA
@dMUAYFRBv6GsJZx @Q8SGdoxAz7oesx4 @k2Bo5rRSaaJaDk5 @SingHear51434 @beruhaneko5 @htmdxmama 画像の元論文は母系先祖を示すミトコンドリアDNA研究。アイヌがオホーツク人由来のミトコンドリアハプログループYを継いでおり母系先祖にオホーツク人が居たということが判明したという研究結果であって、「縄文人陵辱」などという薄汚い妄言の根拠にはなり得ない。黙れ異常者https://t.co/KHaqGsuhgb
@dMUAYFRBv6GsJZx @ronettes29 画像元である増田氏佐藤氏の研究はオホーツク人mtdna研究でありオホーツク人由来のミトコンドリアDNAハプロYを受け継いでいるのでアイヌの母系先祖にオホーツク人がいることが判明したという研究。母系先祖の判明が「陵辱」などという妄言の根拠になる訳ないだろキ◯ガイ。https://t.co/KHaqGsuhgb
@bl_wa64929 @DenGonn @htmdxmama 漢字は日本国内で遅くとも5世紀には確認出来る。カタカナがカタカナとして日本国内で確認出来るのは9世紀から。論文とか読んだことあります?https://t.co/kkGJjK42GX
@Goldberg0123 @8OBe1XM7qpIDhDo 擦文人は東北蝦夷集団及びオホーツク人の影響を受けているから縄文人=では無いしニブフは続縄文人影響を受けている。=にするのは乱暴。また縄文人子孫集団遺伝子は1600年前にはオホーツク人集団に入り始めていることがゲノム研究でわかっている。https://t.co/UhSUEOb11d
@jj7imOpcg8DlAj9 @alsnova @TV21274903 @htmdxmama 1989年に日本民族学会(2004年に日本文化人類学会に学会名改称)が「アイヌ研究に関する日本民族学会研究倫理委員会の見解を政府に提出しています。学術的には「主体的な帰属意識がある限り」アイヌは民族です。 https://t.co/1ezxobbECy
@caiyue_si2 @hojihoj95070160 北海道縄文人ゲノム比較研究でアイヌは北海道縄文人由来遺伝子を7割近く受け継いでいることが分かっていますhttps://t.co/Cp3l3UgDCC
@caiyue_si2 @hojihoj95070160 少し古いですがまず国立科学博物館教授の篠田謙一氏のアイヌのmtdna研究論文からどうぞ。https://t.co/OsxMPThQjM
@nauthiz22994 @ECHOES_54 @zzTyV6vdCnkuLnm 龍山文化期の趙家荘遺跡に畔畔を伴う水田遺構が確認されています。https://t.co/T8gijcxr5d
@maruna_na 英語がいいというのであれば北海道縄文人ゲノム研究論文貼っておきますね。アイヌは縄文人由来遺伝子を66%受け継ぐ縄文人に最も近い子孫です。https://t.co/Cp3l3UgDCC
@xumail @7Znv478Zu8TnSWj 篠田謙一氏の研究論文です。「アイヌは在来の縄文人の集団にオホーツク文化人を経由したシベリア集団の遺伝子が流入して構成された」とある通り篠田氏もアイヌを縄文人子孫としています。「オホーツク人遺伝子があるからアイヌは移民」などと言っているのはバカだけですhttps://t.co/6JdbSNPWJn
@sasakure_spring 擦文集団に文字文化はありません。和人からの「輸入品」の中に刻書、墨書の土師器があっただけです。和人が蝦夷への饗応時に夷などの字を書いたそうです。擦文集団は文字によらない刻印記号文化を築いており、それはアイヌのシロシ文化に受け継がれています。https://t.co/zGqrqjg6lE
@NaraAkinara @yamasugi_moto 篠田謙一氏アイヌミトコンドリア研究の結果は「在来の縄文人の集団にオホーツク文化人を経由したシベリア集団の遺伝子が流入して構成された」というシナリオを支持したので、篠田氏は「アイヌは縄文人子孫」としています。学術研究者の論考を改竄しているのが中川八洋です。https://t.co/6JdbSNPWJn
@urrego_enurj @w_youhei →アイヌの人びとの場合も, 主体的な帰属意識がある限りにおいて, 独自の民族として認識されなければならない”https://t.co/1ezxobbECy
@KatsuhikoTsuda @saintarrow @Studying_Ainu2 @dMUAYFRBv6GsJZx @nagaoka_sun リンク先がPDFだったので同桑畑氏の少し前の論文貼っておきますね。「朝鮮に半島に逃げのびた縄文人が帰ってきて南九州に定着した」は学術的根拠を一切伴わない小説家さんのファンタジーです。https://t.co/bhNqwLkxnk
@IThEyWR6vYPlaZJ mtdna解析は「北海道縄文人集団にオホーツク人が流入してアイヌが構成されたというシナリオを支持」しただけで、「アイヌが鎌倉時代に渡ってきた」などという妄言は一切裏付けていませんが?頭の悪い匿名ネットデマ記事眺めるのを「勉強」とか言うの恥ずかしいですよ。https://t.co/6JdbSNPWJn
@kiji_nuko @kyodo_official 少し古いミトコンドリアDNA研究ですが、「アイヌは北海道在来の縄文人集団に、オホーツク人(アムール河流域が起源で5〜10世紀北海道に到来、擦文人に吸収されて道内からは消える)が流入して構成された」というのが現在の人類学研究で支持されているシナリオです。https://t.co/6JdbSNPWJn
@bQMlgTjtbE0vUpp 尚「稲作」はしていません。一方で18世紀初頭まではアイヌもヒエや大麦の栽培はしていたことが農具や畝の出土によって判明しています。松前藩の刀狩や禁農政策によって耕作技術は衰退したとされています。https://t.co/HbtWaTwR7j
@kitano_tobi @saintarrow @sumida__tokyo @nagaoka_sun @dMUAYFRBv6GsJZx @studying_Ainu 「分析結果を総合的に解釈すると,下田ノ沢擦文時代人骨の形質ーは,近世北海道 アイヌのそれと基本的 に変わ るところがないと結論される」は札幌医科大学医学博士の百々幸雄氏が言われてますね。https://t.co/dhRXUzxTnU
@eversoloman アイヌのミトコンドリアDNA研究論文貼っておきますね、理解出来る能力無さそうですが。「アイヌ集団は在来の縄文人の集団にオホーツク人を経由したシベリア集団の遺伝子が流入して構成された」とあるのは読めますか?https://t.co/OsxMPThQjM
@huna27san @sps_om @onoderamasaru @pai_tomo デマによく利用される篠田謙一氏の研究はこちら。「アイヌ集団は在来の縄文人集団にオホーツク文化人を経由したシベリア集団の遺伝子が流入して構成されたシナリオを支持」が結論であり、「アイヌが移民」だの「縄文人子孫ではない」だのの主張は一切無い。https://t.co/OsxMPThQjM
@k2Bo5rRSaaJaDk5 @Kaiyou09011 @yamamoto50yama あなたが散々貼っていた篠田謙一氏のミトコンドリア研究によると「縄文人は遺伝的に均一な集団ではなく、地域による差異がある事が判明」しているそうですよ?あなたの脳内設定で物事語るのをいい加減やめたらどうですか。https://t.co/mqNjUFc7lk
@nagaoka_sun @saintarrow @yamamoto50yama “北海道アイヌが樺太アイヌの言語を批評して「何だか外國の言葉を聞くやうて一向解らない」と云ふのを屡々聞く”という金田一記述のそこだけの切り抜きを鵜呑みにしてそうですね。樺太特有の音韻変化を戻すと通じる。樺太と北海道のアイヌ語の差は大きくない」が金田一の論ですhttps://t.co/UaM0dmUDMD
@jcf4vq2mh 先程の記事の元となった国立科学博物館の神沢氏の北海道縄文人ゲノム解析の論文も貼っておきますね。北海道縄文人核ゲノムを用いてアイヌと比較した結果先祖集団が66%一致したそうです。https://t.co/Cp3l3UgDCC
@jcf4vq2mh では国立科学博物館の篠田氏論文を。「アイヌ集団は在来の縄文人集団にオホーツク文化人を経由したシベリア集団の遺伝子が流入して構成されたというシナリオを支持」がmtdna解析結果です。この研究を捻じ曲げたデマが散見されますがあなたの見た動画もその類ですね。https://t.co/OsxMPThQjM
@sum7777777sum @GDX3Xs0sB3EIvYU @kitano_tobi @bernie_jrt @Z1mjPNmJvaL9gGT @dMUAYFRBv6GsJZx 擦文人は魚類と穀類を組み合わせた雑炊や汁物が中心で鮭、百合根、アカザなどアイヌの常食食材の多くを用いており調理器具が異なるだけで擦文とアイヌの食生活はほぼ同じであったと考えられるそうです。擦文からアイヌの食生活形成の考古学的研究の論文貼っておきますね。https://t.co/YMOFFvgcGX
@ikuo_uema @saintarrow @nagaoka_sun @yozakura2010 @kana71764655 @T3485KV1ASU122 @ekesete1 @OriyamyLove @yn9L5D9nHvKHqBw 北海道礼文島発掘のオホーツク人骨のゲノム解析結果貼っておきますね。https://t.co/UhSUEOb11dその個体の場合、縄文集団とカムチャツカ集団の混合は約2000年前、アムール集団との混合は約1600年前に起きたそうです。考古学上オホーツク人の北海道渡来は5世紀頃ですから大体合ってますね。
@sum7777777sum @Z1mjPNmJvaL9gGT @dMUAYFRBv6GsJZx @kitano_tobi @asaharal966 北海道、東北縄文人の特徴は、豊富な海洋資源と黒曜石による交易能力の高さと、限られた資源を効率的に活用する自然循環システムでありこれらはアイヌが明確に受け継いでいる要素です。なお、アイヌは18世紀初頭までは農耕を行っています。松前藩の禁農政策で衰退しただけですhttps://t.co/HbtWaTwR7j
@sum7777777sum @dMUAYFRBv6GsJZx @Z1mjPNmJvaL9gGT @kitano_tobi @asaharal966 オホーツク人の痕跡が北海道で確認できるのは5〜10世紀まで(一部トビニタイ化して残るが12世紀には擦文に吸収されて消滅)ですので「鎌倉時代に北方民族が渡来した」もデタラメな主張です。オホーツク人ゲノム解析でも北海道集団とオホーツク人の混血は2000〜1600年前の間です。https://t.co/UhSUEOb11d
@keikanounkosan なお、近年の考古学研究でアイヌが18世紀初頭までは農耕を行っていたことが分かっています。明治や昭和の古い論文記述を貼ってアイヌが農耕していなかったなどと主張する悪意のデマ拡散者がいますが、デマです。https://t.co/HbtWaTwR7j
@lnnnnnu @znKhDnGdQ8mqO9g @D9bf0NRDYrL21Ba そもそも天然痘は本州からの出稼ぎ和人が持ち込み、アイヌが運上屋の過密状態で働かされていたことで大流行したものです。幕府はロシアに対して「日本に従属するアイヌが居住している土地は日本国のもの」という主張をしており、体裁を保つ為アイヌ保護政策をとっていました。 https://t.co/o7ir3fkXo3
@ha_kun117117117 文化区分が書かれた年表出して「根拠だ」ってものすごく頭悪い主張ですよ、お気づきでないようですが。国立科学博物館研究チームが北海道縄文人ゲノム解析を行い、アイヌと先祖集団が66%一致していることが分かっています。渡来人がこのような遺伝子構成になるのは不可能です。https://t.co/hqCzkkiF9W
@MaxwelMebius @kokoko53796039 @D6Xr0lNJmzQhgYx @rosswise @gatapi21 アイヌに残るオホーツク人遺伝子はミトコンドリアDNAで多く見られますhttps://t.co/OsxMPThQjM一方で田嶋、宝来氏の共同研究でアイヌのY染色体には縄文人由来のd1a2aが80%近く見られることがわかっています。(Wikipediaでd1a2aでも検索すれば出ます)縄文人集団にオホーツク集団が流入した形になります
@MaxwelMebius @kokoko53796039 @D6Xr0lNJmzQhgYx @rosswise @gatapi21 国立遺伝学研究所の北海道縄文人の核ゲノム解析研究で、アイヌが北海道縄文人と先祖集団が66%一致することが分かっています。アイヌの先祖集団の根幹は北海道縄文人です。https://t.co/hqCzkkiF9W
@BvEisenstein @kitano_tobi 松前藩の場所請負制度下で、アイヌは和人商人によって酷使され、あるいは強制連行を受けていたことが松浦武四郎の記録に残っています。https://t.co/TZ7sw2vvPQ
@k2Bo5rRSaaJaDk5 @nagaoka_sun @aurXCanJyw3ePxS 13世紀の北海道にオホーツク人はいませんから混血はできません。北海道在来集団とオホーツク人集団の混血は2000年前〜1600年前頃というのがオホーツク人のゲノム解析で分かっています。https://t.co/UhSUEOb11d
@rHKdGCBT6fDJnQ9 @onoderamasaru ゲノム解析で見た場合、縄文人と同じクラスターに属するのはアイヌだけです。縄文人由来遺伝子が2割以下の本州日本人(大和民族)は韓国人と同じクラスターです。https://t.co/TMK7NxgmM5
@Paragon20091 鉄器普及により黒曜石は擦文後期からあまり使われなくなっています。アイヌ文化期では鉄器の代用品としては14世紀頃まで使用されており、儀礼用としては15世紀頃まで墳墓から副葬品として黒曜石円礫が出土しています。出土例は遠軽産では無く置戸山や十勝のもののようですが。https://t.co/h7aRNYurQj
@moo93541418 @doushinhoudouc アイヌも鉄器の代用品として黒曜石を使用しています。実用品としての役割は14世紀には終えていたようですが儀礼用としては15〜18世紀まで墳墓の副葬品として黒曜石が出土しています。https://t.co/h7aRNYurQj
@OGalapa3 「先住民」をどう定義しているのか不明ですが、日本人の起源を提唱したのは幕末から明治のシーボルト親子が最初のようです。「日本列島にはもともと石器人(アイヌ)が住んでいたが後に渡来してきたヤマト民族によって少しずつ北方に追いやられた」と発表していますhttps://t.co/opujnF8GJ5
@ABOFAN @nagaoka_sun @k2Bo5rRSaaJaDk5 @azkn_t 古い論文を論拠(に一切なっていませんが)として貼ったのはABOさんあなたです。アイヌと縄文人の遺伝的近縁性を裏付けるより新しい研究論文はこちらです。https://t.co/hqCzkkiF9W
@nirvanayl @dMUAYFRBv6GsJZx @goranger2019 @saintarrow @jHvNUIDakd3KDDd @pbEMqYsnT77A5DV @YM5E9FdHJbBIPkE @WmVtt7k @eatingworker @xMySyal6ngwEvPa @konchikichi152 @cawaiikumasan @3257EUR @lucycookiebick1 @Magmag40887776 @beruhaneko5 @pB3CUyKI9Wk6LLi @drbsiel1saq3bXx @masaharukun2 @Z82493900 @qqolea @wae2eub @AARKdbWeK7hQeCV @raspberry_1995 @DDIwanami @mitugoro2 @nq92HdHyDW2bE2I @k2Bo5rRSaaJaDk5 @dragonisnotryu @beru_ha_neko2 @CjMEm1ymr25eHMz @aiai22190688 @kuchinashino87 @ken8sanbi @DJ_aka_F2G @peach20211 @studying_Ainu @Studying_Ainu2 @tekkenoyaji 戦後でも差別意識は普通に残っていましたしむしろ高度成長期の頃は、アイヌの方達は貧困理由での差別も多かったそうです。https://t.co/lld3OSDqp7
@rabirabirabi888 @bernie_jrt @takenoma @suteaka_otsu アイヌは縄文人遺伝子を7割近く受けついでいるので集団母体は縄文人ですよ。またアイヌに残るオホーツク人遺伝子は母系先祖を示すミトコンドリアに多く見られるもので、篠田氏も「縄文人集団にオホーツク文化人を経由したシベリア集団の遺伝子が流入したシナリオ」としていますhttps://t.co/OsxMPThQjM
@nemurikappa @chang__air @OGalapa3 安達氏の論文でしたら日本語版で概要見れますね。2017年時点の途中経過の論文です。https://t.co/QIQTAQnkFS
@OGalapa3 北海道縄文人ゲノム解析論文です。アイヌは北海道縄文人と先祖集団が66%一致しています。https://t.co/hqCzkkiF9W
@k2Bo5rRSaaJaDk5 @nemurikappa @YM5E9FdHJbBIPkE なお、オタフクの熊送り儀礼痕跡は擦文終末期土器を伴って出土しています。https://t.co/mWz77ceY59
@k2Bo5rRSaaJaDk5 @nemurikappa @YM5E9FdHJbBIPkE Wikipediaをはじめとしてあなたの貼っている「根拠」でも本州でイオマンテの可能性は論じられているんですが。あなたは自分の貼っている論文を読んでいないんですか?https://t.co/3Yt7pqP4HY
@nemurikappa @YM5E9FdHJbBIPkE @k2Bo5rRSaaJaDk5 縄文人は猪を飼育、屠殺後送り儀礼を行なっていたと思しき痕跡が考古学上発見されておりhttps://t.co/AQjjCQzZUx瀬川拓郎氏はアイヌのイオマンテはこの飼育猪の送り儀礼が熊に変化したものとしています。https://t.co/Slq5voDC5P
@nemurikappa 国立遺伝学研究所による北海道礼文島縄文人のゲノム解析で、アイヌと北海道縄文人の先祖集団は66%一致したそうです。この論文のかなり下の方にその記述があります。https://t.co/hqCzkkiF9W
@cheena_chan あるいは「オホーツク人によって縄文人男が皆殺しにされて女は襲われた、アイヌはその子孫」などというゲス極まりないヘイトデマもありますがアイヌに残るオホーツク人遺伝子は母系を示すミトコンドリアに多く残っているのでそれも否定されます。https://t.co/iaHneIvJbg
@k2Bo5rRSaaJaDk5 学術研究無視のバカデマをやめろ。近年のゲノム解析でオホーツク文化人はカムチャッカ集団、アムール河集団、縄文人集団で構成され、縄文人集団との混合はカムチャッカ集団とは2000年前、アムール河流域集団との混合は1600年前に起きたことが分かっている。https://t.co/VaCgdUl4ZA
@zakkuri01 @AGlobalism @fccjapan 2003年発表で全く新しくありませんが?尚「縄文人形成集団も形成に寄与」ともあります。JCウィルスは基本母系しか見れず精度は参考程度です。論文の結びには「データは規模が小さい為アイヌの起源について早急に結論を導くと誤りを犯す可能性がある」の注釈までついてます。https://t.co/2JaByJp4ya
@ABOFAN @k2Bo5rRSaaJaDk5 @nagaoka_sun @azkn_t Y染色体だけミトコンドリアだけの解析で先祖を辿っているのは民間企業だけです。研究機関はゲノム解読からのゲノム配列比較で先祖集団を辿っています。アイヌは礼文島縄文人と先祖集団が66%一致していますhttps://t.co/hqCzkkiF9W
@k2Bo5rRSaaJaDk5 @nagaoka_sun @ABOFAN @azkn_t オホーツク文化人の北海道到来は考古学上5世紀からで続縄文時代はBC3〜7世紀です。歴史の認識も狂ってますね。尚、オホーツク文化人ゲノム解析によるとアムール集団と縄文人集団の混血開始時期は1600年前だそうです。無根拠に電波妄想垂れ流すのいい加減にしませんかhttps://t.co/UhSUEOb11d
@5511akb48Anna @y07k14a1227 @onoderamasaru アイヌが18世紀初頭まで鉄製農具による農耕を行っていたことは考古学研究で裏付けられています。デマ拡散する異常者連中がオホーツク海に沈むことを祈ってやみません。https://t.co/HbtWaTwR7j
@iminashihou @onoderamasaru なおアイヌが18世紀初頭まで鉄製農具で農耕していたことは考古学研究で裏付けられています。松前藩の鉄製農具の禁輸や禁農政策により衰退したそうです。嘘つきは小野寺まさる氏の方です。https://t.co/HbtWaTwR7j
@dsZGeRpqec9BsPK @onoderamasaru 18世紀までは農耕技術もありましたが松前藩の禁農政策などによって衰退したそうですhttps://t.co/HbtWaTwR7j
@m_9_fuji @onoderamasaru @73bJeTWj32EwiVj 今日もデマ拡散のお手伝いですか?精が出ますね。アイヌが農耕を行っていたことは考古学研究で裏付けられています。https://t.co/HbtWaTwR7j
@kazuaki3254 @onoderamasaru 「14世紀から18世紀の、23個所の集落跡から検出された作物種子、17個所の畠跡、6遺跡から出土した鉄製農具」が根拠です。根拠もなく嘘を堂々と書いているのは小野寺まさる氏の方ですよ。https://t.co/HbtWaTwR7j
@suzaku9999 @onoderamasaru 次から次へと嘘を垂れ流しているのは小野寺まさる氏の方なのですが。「14世紀から18世紀初頭の遺跡から鋤・鍬といった鉄製農具が出土しており、アイヌ民族は18世紀初頭まで鉄製農具を使用した広幅の畝からなる畠を造成していた」ことは10年近く前から判明しています。https://t.co/HbtWaTwR7j
@okkungo1 @onoderamasaru アイヌが18世紀初頭まで農耕を行っていたことは考古学研究で判明しています。https://t.co/HbtWaTwR7j
@themoks50 @onoderamasaru @yamaboushipika 「ネットで真実」の典型ですね。真実に最も近い場所にいるのは地道に研究を積み重ねている学術研究者達です、中傷で訴訟されて失職した元道議や空調会社元社員や極右ラーメン屋はただのデマ創作者です。アイヌは18世紀初頭まで農耕をしていたことは考古学研究で判明していますhttps://t.co/HbtWaTwR7j
@Sro3bQbv7CS6OzC @onoderamasaru 「14世紀から18世紀初頭の遺跡から鋤・鍬といった鉄製農具が出土しており、アイヌ民族は18世紀初頭まで鉄製農具を使用した広幅の畝からなる畠を造成していた」という考古学研究で裏付けられた事実を、嘘だと捻じ曲げるデマを拡散しているのが小野寺まさる氏ですよ。https://t.co/HbtWaTwR7j
@tibet_nuko @onoderamasaru 北海道の砂鉄はチタン含有量が多く古代製鉄法では低質なものにしかならず擦文期でも発達せず、東北の製鉄が発達したことで輸入品頼りになっていったそうです。鍛治技術はアイヌにもありました。18世紀になると和人の鉄農具禁輸や禁農政策によって農耕技術は衰退したそうですhttps://t.co/HbtWaTwR7j
@iminashihou @onoderamasaru どうぞhttps://t.co/kpFdQqZAfl
@hiede777 @onoderamasaru 嘘ばかりなのは小野寺氏の方なのですが。考古学研究で「)14世紀から18世紀初頭の遺跡から鋤・鍬といった鉄製農具が出土しており、アイヌ民族は18世紀初頭まで鉄製農具を使用した広幅の畝からなる畠を造成していた」ことが判明しています。デマの鵜呑み、恥ずかしいですよ。https://t.co/HbtWaTwR7j
@s4D9tpHe3iBXcoe @onoderamasaru 「14世紀から18世紀初頭の遺跡から鋤・鍬といった鉄製農具が出土しており、アイヌ民族は18世紀初頭まで鉄製農具を使用した広幅の畝からなる畠を造成していた 」ことが考古学研究で分かっています。松前藩による禁農政策によってアイヌの農耕は衰退しましたhttps://t.co/HbtWaTwR7j
「14世紀から18世紀初頭の遺跡から鋤・鍬といった鉄製農具が出土しており、アイヌ民族は18世紀初頭まで鉄製農具を使用した広幅の畝からなる畠を造成していた」ことが研究で分かっています。https://t.co/HbtWaTwR7jデマ捏造し続けるこの人のエネルギーにゾッとします。本田氏に訴えられれはいいのに。 https://t.co/ZmD8dmcJgm
@5511akb48Anna @onoderamasaru アイヌの捏造デマを最も拡散しているのが小野寺まさる氏なのですが。直近ですと「アイヌが農耕していたというのは嘘」というデマが悪質ですね。アイヌは18世紀初頭まで農耕していたことが考古学上判明しています。そろそろ研究者に名誉毀損で訴えられるのでは無いでしょうか?https://t.co/HbtWaTwR7j
@watal88 @onoderamasaru 「アイヌは18世紀初頭までは農耕技術を持っていた」が史実です。ネットのデマ妄言の鵜呑みがまさに隣国と一緒ですよ。https://t.co/HbtWaTwR7j
@atutorikka @onoderamasaru ネットのデマ妄説を鵜呑みにして民族や他者を中傷しているあなたをかわいそうとは思いませんが惨めですね。どんな教育過程を経たらそんなことになっちゃうんですか?https://t.co/HbtWaTwR7j
@bemu2017 @onoderamasaru アイヌの農耕の実態については2007年の研究成果ですから最近では無いと思いますが。https://t.co/HbtWaTwR7j
@togusa01reiiti @onoderamasaru ネットで嘘をばら撒く元道議のデマを鵜呑みにする異常者の多さに日本の危うさを感じます。アイヌに農耕技術がkあったことは考古学研究で裏付けられた事実です。https://t.co/HbtWaTwR7j
@Ussykawaii @onoderamasaru 「14世紀から18世紀初頭の遺跡から鋤・鍬といった鉄製農具が出土しており、アイヌ民族は18世紀初頭まで鉄製農具を使用した広幅の畝からなる畠を造成していた」そうです。アイヌの交易品頼みだった松前藩が禁農政策や鉄農具の収奪を行なった為農耕技術が衰退したとされます。https://t.co/HbtWaTwR7j
@tamamo82 @onoderamasaru アイヌの農耕は2007年には判明していた事です。あなたの発言は悪質な中傷ですので通報しておきますね。侮辱罪にも該当しますので証拠保全もしておきます。https://t.co/HbtWaTwR7j
@chahochaho1 @onoderamasaru アイヌが農耕していた事は2007年の発掘調査で分かっていた事であり2019年のアイヌ新法とは無関係ですが。https://t.co/HbtWaTwR7j
@T4zcT @onoderamasaru 考古学的資料で裏付けられてうる事をコラムで書かれているだけですよ。 https://t.co/HbtWaTwR7j
@onoderamasaru 「14世紀から18世紀初頭の遺跡から鋤・鍬といった鉄製農具が出土しており、アイヌ民族は18世紀初頭まで鉄製農具を使用した広幅の畝からなる畠を造成していた」事が考古学研究で分かっています。18世紀以降の和人の禁農政策や刀狩によってアイヌの農耕は衰退したとされますhttps://t.co/HbtWaTwR7j
@6PikmtAdbqz02Ux @onoderamasaru 「14世紀から18世紀初頭の遺跡から鋤・鍬といった鉄製農具が出土」という考古学的発見により「アイヌ民族は18世紀初頭まで鉄製農具を使用した広幅の畝からなる畠を造成していた 」ということが裏付けられましたhttps://t.co/HbtWaTwR7j
@6PikmtAdbqz02Ux @studying_Ainu @onoderamasaru アイヌに残るオホーツク人遺伝子は母系先祖を表すミトコンドリアに多く認められるものです。縄文人はオホーツク人女性に侵略されたのですか?https://t.co/OsxMPThQjM
@hokkaidonojii @NowHenoko @6i0o7a9u2z3e7u2 @a_sato_ru こちらの論文も、琉球王府の課税は地割制であり1人1人に割り振るものでは無かったことを説明していますよ。まあ定額で課税されてもそれを誰にどう負担させるかの割り振り自体は村の役人が家ごとに割ったでしょうしその際に人数が多い家は負担も多くなったでしょうが。https://t.co/ja5ntNJEWg
@toshibo54432047 @tobeappst @2chsenshi @bac_yumenara @mitsusato_ マリタ遺跡がありますが。これがあったから当初海上の道で南方優位→北方もありうると変わったのでは?https://t.co/LEX61nlQmy
@bac_yumenara 尚、中世温暖期と言われている平安時代ですが、平安後期の11世紀末から12世紀は大規模なエルニーニョによって日本では寒冷化が起きています。https://t.co/3YQ9PmIAPV
@ono01255 @tosikuni_japan1 アイヌに残るオホーツク人遺伝子は母系を示すミトコンドリアに多く現れており、縄文人がオホーツク人女性を妻とした構図になります。https://t.co/KHaqGsuhgb
@2chsenshi @toshibo54432047 @bac_yumenara @mitsusato_ 13世紀にオホーツク人と混血したなどと言ってる学術研究者は居ないですよ。考古学的には北海道にオホーツク人が到来していた5〜9世紀の間で北海道集団と文化が影響しあっています。また耳垢遺伝子では続縄文時代に混血が始まっていた可能性を示しています。https://t.co/KHaqGsuhgb
@north_of_ アイヌがオホーツク人影響も受けていることは分子人類学でも人体構造学でも判明していることです。https://t.co/JbFS3hGoiMオホーツク人影響があることがなぜ擦文文化を継いでいないことになるんですか?
@north_of_ 記事も動画も見ていないんですね。縄文人遺伝子はアイヌ66%琉球27%本土人13%です。北海道縄文人遺伝子が最も多く残っている=母集団がそこから移動していないということが推定出来るんですが、あなたの理解力どうかしていませんか?https://t.co/hqCzkkiF9W
@north_of_ 1962年の調査で日本国内に残る千島アイヌルーツの方30人近くいます。この調査で千島アイヌ語の絶滅が確定しました。https://t.co/a0SPUX8gzq
@Annie_002023 @nagaoka_sun 松前藩が治めたのは道南の一部である渡島部分です。それ以外の部分は蝦夷地として線引きされ明治に北海道に編入されるまではアイヌの自治領域として残されていました。編集者の記名もないような刀剣ファンサイトなどでは無く「ほんものの学者」の資料も見ましょうね。https://t.co/iqIPRUkO4q
@moo93541418 @ookinaosewadazo @onoderamasaru デタラメ妄言ですね。アイヌの墳墓には黒曜石が副葬品として多く用いられています。https://t.co/h7aRNYurQj
@yojireal @bernie_jrt アイヌは縄文人集団にオホーツク人が流入して構成された集団で、北海道縄文人由来遺伝子を66%近く受け継ぐことはヤポネシアゲノムプロジェクト内の船泊縄文人ゲノム解析結果から分かっています。https://t.co/Cp3l3UgDCC
@moo93541418 @nagaoka_sun @jyu_jyu_train @hojihoj95070160 @Fuhraibow @toxic_22222 @onoderamasaru どこからそういう頭の悪いデマを仕入れて来るんですか?アイヌの墓制は副葬品を伴う土葬です。https://t.co/tubjO2B32S
@gurinhiguma 副葬品をアイヌ文化の基準とした場合、アイヌ文化期の特徴であるシトキやタマサイ、ニンカリが出土したオニキシベ2遺跡がアイヌの墳墓となり、こちらは13世紀末から14世紀の遺跡です。https://t.co/tubjO2B32S
@gurinhiguma この論文の原本をまずは読まれたらいかがですか。https://t.co/VSjRs7tMXi擦文文化の担い手は擦文人です。文化がアイヌ文化の特徴を持っていたらそこからはアイヌ文化の担い手なのでアイヌ人です。論文著者は伸展葬をアイヌ墓制の基準としたので15世紀を起点と「仮定」しただけです。
@onoderamasaru 1871年10月8日に開拓史はアイヌの伝統葬儀方法である家送り風習、刺青、ニンカリを禁止しています。また併せて「言語ハ勿論文字之儀モ相学ヒ候様可心掛事」と、日本語を学ぶことを心がけるよう告諭しています。 https://t.co/LJxw4ZJsmn
@HasegawaTaizo20 尚、アイヌは18世紀初頭までは擦文期から引き続き鉄製農具を用いた畑作耕作を行っています。アイヌのもたらす交易品頼みだった松前藩がアイヌの自活力、自給力を奪う為に鉄製農具の供給停止や禁農政策などを行った結果、アイヌの耕作技術が衰弱してしまっただけです。https://t.co/HbtWaTwR7j
“明治に入り北海道への移住者増加は丹頂への圧力をさらに増大させた。1890年北海道庁令によって鶴の禁猟が定められるまでは依然として丹頂の捕獲と利用が続けられてきたとされる。更に丹頂の生息地として広がっていた湿原は明治期以来の開発によって約 70%が消滅してしまった”https://t.co/GtEdvYrlgC
途中経過の母系先祖しか分からないミトコンドリア研究を貼って何故かドヤってるイカスキ氏。同じ研究チームによる縄文人ゲノム解読完了後の成果報告論文がこちらhttps://t.co/Cp3l3UgDCC “日本人本土の縄文系祖先の割合は 13% でTreeMix (15.7%) 、琉球人とアイヌ人でそれぞれ約27% と66% でした” https://t.co/gH0QmLVKQ7
@ashitabasans @nagaoka_sun @sumida__tokyo @nobutake_Ishii @studying_Ainu 考古学研究でアイヌ文化期集落から畠跡や鉄製農具が発見されていますから、近年アイヌが18世紀頃までは耕作技術を保持していたことを否定する考古学者、民族学者はいないと思いますよ。「アイヌが耕作をしていなかった」という説はかなり古い説です。https://t.co/HbtWaTwR7j

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