遠矢浩規 (@tohyaofficial)

投稿一覧(最新100件)

今書いてるものの関係で、幕末維新の京都~江戸間の「旅費」(大名とかではなく庶民・藩士レベルの)がいったいいくらかかるのか知りたかったところ、こんなすばらしい論文がネットにころがってました。谷釜尋徳「近世後期における江戸庶民の旅の費用」https://t.co/kvHVKfZ4Tv
RT @machi82175302: 拙稿「慶応元年中央政局における薩摩藩の動向―将軍進発と条約勅許を中心に-」(『神田外語大学日本研究所紀要』10号、2018.3)がリポジトリで公開されました。ダウンロードも可能です。よろしければ、ご覧ください。https://t.co/e1…

お気に入り一覧(最新100件)

安政6年9月14日(1859年10月9日)、梅田雲浜が死去。安政大獄で最初に逮捕され、獄死。中島嘉文「角田家本梅田雲浜安政大獄吟味関係資料について」(『福井県文書館研究紀要』13)は、雲浜の取り調べ調書を分析し、「尊攘運動の理論的… https://t.co/MrpiZxn7Nd
明治39年9月28日、佐々友房が死去。幕末の熊本藩出身で、西南戦争で西郷軍に参加して投獄された。上村直己「佐々友房と独逸学」(『熊本学園大学論集 総合科学』20-2)曰く、「勤王・国権を一大主義とする紫溟会を有志と共に結成。天皇主… https://t.co/znazivMEyb
明治2年8月13日(1869年9月18日)、土肥典膳が死去。岡山藩重臣で、文久2年に京都で国事周旋を開始。中川和明「平田塾と地方国学の展開」(『書物・出版と社会変容』11)曰く、「岡山藩の幕末維新史を語るうえでたいへん重要な人物」… https://t.co/QNZGKoWETi

12 0 0 0 OA 平田神学の遺産

明治20年5月19日、矢野玄道が死去。幕末維新期の著名な平田派国学者で、千人以上の門人がいたらしい。また、間接的な影響力という点で、三ツ松誠「平田神学の遺産」(『宗教研究』92-2、2018年)が、大隈重信・副島種臣らを指導した枝… https://t.co/irRbd8mWjK
昭和20年4月10日、文倉平次郎が死去。幕末期に太平洋を横断した咸臨丸に関する調査を行い、昭和13年に『幕末軍艦咸臨丸』を著した。中公文庫の上下巻などの形で何度か復刊された。『史学』17-2(1938年)所収の會田倉吉の書評は、文… https://t.co/89xUleLt3H
明治41年2月16日、建野郷三が死去。幕末の小倉藩士で、幕長戦争で長州藩と交戦。小倉城の落城後も抗戦を主張し、赤心隊を結成した。明治期に大阪府知事、駐米公使などを歴任。片岡正彦「明治18年の淀川洪水と北河内」(『京都歴史災害研究』… https://t.co/11ZMoAhIr7
明治21年2月10日、松浦武四郎が死去。何度も蝦夷地探検を行い、幕末期には蝦夷地通として有名だった。北海道の名付け親でもある。三浦泰之「松浦武四郎研究の現状と課題」(『北海学園大学人文論集』65、2018年)は、松浦が置かれた時代… https://t.co/RXOQrlTwtP
慶応3年12月25日(1868年1月19日)、三田の薩摩藩邸焼き討ち事件があった。奈倉哲三「『復古記』不採録の諸記録から探る江戸情勢(三)」(『跡見学園女子大学文学部紀要』50、2015年)は、諸史料から事件の実態解明を試み、益満… https://t.co/dFqCC8DSLA
明治32年1月19日、勝海舟が死去。金澤裕之「咸臨丸米国派遣の軍事史的意義」(『近代日本研究』26)は、海舟の目指した海軍像がサンフランシスコで見た米国海軍で、そのイメージは木村芥舟も共通だったとする。金澤氏の著書『幕府海軍の興亡… https://t.co/9uqs02VzmG
後藤乾一「ジョン万次郎・平野廉蔵と小笠原諸島」(『アジア太平洋討究』29、2017年)は、幕末の水野忠徳らによる小笠原の調査について、幕府が「回収」と同時に領有権の裏付けとなる「開拓」を重視したと指摘。「開拓」の重要な柱となったジ… https://t.co/bXlnTAWmIL
奈倉哲三「『復古記』不採録の諸記録から探る江戸情勢(3)-「薩摩藩邸焼き討ち事件」の史料的解明(その2)-」(『跡見学園女子大学文学部紀要』50、2015年)は、従来の研究で未活用だった史料も駆使して、慶応3年末の江戸を分析。 https://t.co/PftHWod9up

フォロー(97ユーザ)の投稿一覧(直近7日間)

文化4年9月19日(1807年10月20日)、蘭学者の山村才助が死去。新井白石の著作を山村が改訂した『訂正増訳采覧異言』について、石川勞吉「日本人が初めて見たポリネシア人」(『国立民族学博物館調査報告』59)は、日本人の著作の中で… https://t.co/LsoD2b09Su

1 1 1 0 OA 写楽

@takaishinobu 閃いたのですが、もしかしたらこう言うことではないでしょうか。有名な仲田勝之助の『写楽』に、クルトが『SHARAKU』を刊行して、「それ以来である、写楽が一躍レンブラントやベラスクエスにさえ比肩すべき世界… https://t.co/LaNmDtopH5
@nagisanoyuki 今思い出したんですがこの本ご存じですか? 福井の人物を調べておられる方なら使えるんじゃないかと思います。 https://t.co/jr2HxGLarQ

3 2 2 0 OA 日本杏林要覧

@09Kumano 『日本杏林要覧』を確認すると安政元年生まれとあるので本人ではないでしょうね。ただ長州藩領だと尾崎姓の医者はこの人ぐらいです。徳山藩領にはいますが。 https://t.co/plnS7by7Kf
@09Kumano それは気になりますね。木戸の日記から明治初年までは存命だったことが分かり明治十五年の『内務省免許全国医師薬舗産婆一覧』を当たってみました。すると山口県に「尾崎文菴」という医者の存在が確認出来ます。改名したのか息… https://t.co/OoRf4Z8G9x
RT @zasetsushirazu: 明治36年10月17日、松平頼聰が死去。幕末の高松藩主で、鳥羽・伏見の戦いで官位剥奪の「朝敵」処分を受けた。坂田充「学習院大学所蔵 高松松平家旧蔵書の概要とその伝来経緯」(『人文』6、2007年)は、頼聰の蔵書などが華族会館に寄贈された経…
明治36年10月17日、松平頼聰が死去。幕末の高松藩主で、鳥羽・伏見の戦いで官位剥奪の「朝敵」処分を受けた。坂田充「学習院大学所蔵 高松松平家旧蔵書の概要とその伝来経緯」(『人文』6、2007年)は、頼聰の蔵書などが華族会館に寄贈… https://t.co/QHPfk9eKCn
RT @zasetsushirazu: 明治28年10月16日、石河確太郎(石河正竜)が死去。明治の紡績技術者で、幕末期には薩摩藩に招聘されて蒸気船建造や開成所での講義を担当するなど、重用された。堀江保蔵「近代日本の先駆的企業家」(『経済論叢』84-3、1959年)曰く、「紡績…
明治28年10月16日、石河確太郎(石河正竜)が死去。明治の紡績技術者で、幕末期には薩摩藩に招聘されて蒸気船建造や開成所での講義を担当するなど、重用された。堀江保蔵「近代日本の先駆的企業家」(『経済論叢』84-3、1959年)曰く… https://t.co/mGYGI3I9Ns
明治20年10月16日、真田喜平太(幸歓)が死去。幕末の仙台藩士で、真田信繁の子孫と言われる。高島流砲術を学んだ砲術家で、竹ヶ原康佑「嘉永期における仙台藩重臣・中嶋恒康の海防政策と砲術攻究」(『明治大学博物館研究報告』20)は、中… https://t.co/wZ4Z5UC6lD
RT @animemitarou: 卒論やレポートに取り組んでいる学生の皆さん。「背景」の先行研究のまとめの部分、苦労してませんか? 「先行研究探せったって、調べても無いもの!!」という方、以下の「資料のえじき」という文章を読んで、探してみてください。きっといい先行研究、見つ…
山本太「幕末期,水害と闘うある村落指導者に関する覚書」(『京都産業大学総合学術研究所所報』7、2012年)は、長岡藩の支配下にあった越後西蒲原郡中郷屋村と庄屋の笛木家が、どのように自然災害と向き合っていたか分析。元治元年と慶応元年… https://t.co/G27cJsywWL

フォロワー(646ユーザ)の投稿一覧(直近7日間)

小林伸生「地域産業集積をめぐる研究の系譜」経済学論究 63(3), 399-423, 2009 https://t.co/AoDARpXd71
RT @zasetsushirazu: 文化4年9月19日(1807年10月20日)、蘭学者の山村才助が死去。新井白石の著作を山村が改訂した『訂正増訳采覧異言』について、石川勞吉「日本人が初めて見たポリネシア人」(『国立民族学博物館調査報告』59)は、日本人の著作の中でオセアニ…
RT @zasetsushirazu: 文化4年9月19日(1807年10月20日)、蘭学者の山村才助が死去。新井白石の著作を山村が改訂した『訂正増訳采覧異言』について、石川勞吉「日本人が初めて見たポリネシア人」(『国立民族学博物館調査報告』59)は、日本人の著作の中でオセアニ…
文化4年9月19日(1807年10月20日)、蘭学者の山村才助が死去。新井白石の著作を山村が改訂した『訂正増訳采覧異言』について、石川勞吉「日本人が初めて見たポリネシア人」(『国立民族学博物館調査報告』59)は、日本人の著作の中で… https://t.co/LsoD2b09Su

1 1 1 0 OA 写楽

@takaishinobu 閃いたのですが、もしかしたらこう言うことではないでしょうか。有名な仲田勝之助の『写楽』に、クルトが『SHARAKU』を刊行して、「それ以来である、写楽が一躍レンブラントやベラスクエスにさえ比肩すべき世界… https://t.co/LaNmDtopH5
RT @T_urade1987: @nagisanoyuki 今思い出したんですがこの本ご存じですか? 福井の人物を調べておられる方なら使えるんじゃないかと思います。 https://t.co/jr2HxGLarQ
@nagisanoyuki 今思い出したんですがこの本ご存じですか? 福井の人物を調べておられる方なら使えるんじゃないかと思います。 https://t.co/jr2HxGLarQ

3 2 2 0 OA 日本杏林要覧

@09Kumano 『日本杏林要覧』を確認すると安政元年生まれとあるので本人ではないでしょうね。ただ長州藩領だと尾崎姓の医者はこの人ぐらいです。徳山藩領にはいますが。 https://t.co/plnS7by7Kf
RT @T_urade1987: @09Kumano それは気になりますね。木戸の日記から明治初年までは存命だったことが分かり明治十五年の『内務省免許全国医師薬舗産婆一覧』を当たってみました。すると山口県に「尾崎文菴」という医者の存在が確認出来ます。改名したのか息子なのかと言っ…
@09Kumano それは気になりますね。木戸の日記から明治初年までは存命だったことが分かり明治十五年の『内務省免許全国医師薬舗産婆一覧』を当たってみました。すると山口県に「尾崎文菴」という医者の存在が確認出来ます。改名したのか息… https://t.co/OoRf4Z8G9x
RT @ninetailsfox63: CiNii 論文 -  建設省の地震対策-11-被災建物の復旧--この程度の被害なら直せる https://t.co/zM0zRDB3M8 この程度なら直せるって線を見極める方が、ひび割れが入ったら資産価値が落ちて駄目になる話よりもよほど…
RT @zasetsushirazu: 明治36年10月17日、松平頼聰が死去。幕末の高松藩主で、鳥羽・伏見の戦いで官位剥奪の「朝敵」処分を受けた。坂田充「学習院大学所蔵 高松松平家旧蔵書の概要とその伝来経緯」(『人文』6、2007年)は、頼聰の蔵書などが華族会館に寄贈された経…
RT @zasetsushirazu: 明治36年10月17日、松平頼聰が死去。幕末の高松藩主で、鳥羽・伏見の戦いで官位剥奪の「朝敵」処分を受けた。坂田充「学習院大学所蔵 高松松平家旧蔵書の概要とその伝来経緯」(『人文』6、2007年)は、頼聰の蔵書などが華族会館に寄贈された経…
RT @zasetsushirazu: 明治36年10月17日、松平頼聰が死去。幕末の高松藩主で、鳥羽・伏見の戦いで官位剥奪の「朝敵」処分を受けた。坂田充「学習院大学所蔵 高松松平家旧蔵書の概要とその伝来経緯」(『人文』6、2007年)は、頼聰の蔵書などが華族会館に寄贈された経…
明治36年10月17日、松平頼聰が死去。幕末の高松藩主で、鳥羽・伏見の戦いで官位剥奪の「朝敵」処分を受けた。坂田充「学習院大学所蔵 高松松平家旧蔵書の概要とその伝来経緯」(『人文』6、2007年)は、頼聰の蔵書などが華族会館に寄贈… https://t.co/QHPfk9eKCn
RT @zasetsushirazu: 明治28年10月16日、石河確太郎(石河正竜)が死去。明治の紡績技術者で、幕末期には薩摩藩に招聘されて蒸気船建造や開成所での講義を担当するなど、重用された。堀江保蔵「近代日本の先駆的企業家」(『経済論叢』84-3、1959年)曰く、「紡績…
RT @zasetsushirazu: 明治28年10月16日、石河確太郎(石河正竜)が死去。明治の紡績技術者で、幕末期には薩摩藩に招聘されて蒸気船建造や開成所での講義を担当するなど、重用された。堀江保蔵「近代日本の先駆的企業家」(『経済論叢』84-3、1959年)曰く、「紡績…
RT @zasetsushirazu: 明治28年10月16日、石河確太郎(石河正竜)が死去。明治の紡績技術者で、幕末期には薩摩藩に招聘されて蒸気船建造や開成所での講義を担当するなど、重用された。堀江保蔵「近代日本の先駆的企業家」(『経済論叢』84-3、1959年)曰く、「紡績…
明治28年10月16日、石河確太郎(石河正竜)が死去。明治の紡績技術者で、幕末期には薩摩藩に招聘されて蒸気船建造や開成所での講義を担当するなど、重用された。堀江保蔵「近代日本の先駆的企業家」(『経済論叢』84-3、1959年)曰く… https://t.co/mGYGI3I9Ns
RT @zasetsushirazu: 明治20年10月16日、真田喜平太(幸歓)が死去。幕末の仙台藩士で、真田信繁の子孫と言われる。高島流砲術を学んだ砲術家で、竹ヶ原康佑「嘉永期における仙台藩重臣・中嶋恒康の海防政策と砲術攻究」(『明治大学博物館研究報告』20)は、中嶋恒康の…
RT @zasetsushirazu: 明治20年10月16日、真田喜平太(幸歓)が死去。幕末の仙台藩士で、真田信繁の子孫と言われる。高島流砲術を学んだ砲術家で、竹ヶ原康佑「嘉永期における仙台藩重臣・中嶋恒康の海防政策と砲術攻究」(『明治大学博物館研究報告』20)は、中嶋恒康の…
RT @zasetsushirazu: 明治20年10月16日、真田喜平太(幸歓)が死去。幕末の仙台藩士で、真田信繁の子孫と言われる。高島流砲術を学んだ砲術家で、竹ヶ原康佑「嘉永期における仙台藩重臣・中嶋恒康の海防政策と砲術攻究」(『明治大学博物館研究報告』20)は、中嶋恒康の…
明治20年10月16日、真田喜平太(幸歓)が死去。幕末の仙台藩士で、真田信繁の子孫と言われる。高島流砲術を学んだ砲術家で、竹ヶ原康佑「嘉永期における仙台藩重臣・中嶋恒康の海防政策と砲術攻究」(『明治大学博物館研究報告』20)は、中… https://t.co/wZ4Z5UC6lD
RT @animemitarou: 卒論やレポートに取り組んでいる学生の皆さん。「背景」の先行研究のまとめの部分、苦労してませんか? 「先行研究探せったって、調べても無いもの!!」という方、以下の「資料のえじき」という文章を読んで、探してみてください。きっといい先行研究、見つ…
山本太「幕末期,水害と闘うある村落指導者に関する覚書」(『京都産業大学総合学術研究所所報』7、2012年)は、長岡藩の支配下にあった越後西蒲原郡中郷屋村と庄屋の笛木家が、どのように自然災害と向き合っていたか分析。元治元年と慶応元年… https://t.co/G27cJsywWL