遠矢浩規 (@tohyaofficial)

投稿一覧(最新100件)

戸山銃声『人物評論奇人正人』(活人社、大正1)に「大謀叛人 活版屋の監督 岡崎恭助」がなんと立項されていました。国デジで読めます(コマ134-136)。 https://t.co/caT4ZkmTG5
「日本近世窯業史」は国デジにありました。コマ21に畑(羽田)恭輔の名があります。日本硝子会社は同書では当時の三大硝子会社に位置付けられており、羽田は最初の社長と記されています。驚いたのはコマ20に「神原精二」が伊藤契信の援助者として出てくることです。(続 https://t.co/cXmTuPDOVQ
RT @TatsuUwa: 島田一郎を題材にした小説『島田一郎梅雨日記』も国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能。便利な世の中になりました。 https://t.co/LvdKwLrNmE
RT @oretatami: 門谷貫助さん、武市先生の牢番やってるうちに先生に感化されて脱藩、海援隊に入ったかと思ったら 明治はじめには赤坂喰違の変の武市熊吉たちの埋葬を取り仕切ってる いったい何者なんだ https://t.co/WQUOSxNdJf

5 0 0 0 OA 維新の史蹟

RT @T_urade1987: @busyo3 こちらが詳しいです。豊後屋の本姓は辻井で写真まで掲載されていますね。友七は明治十六年没。宿帳も残っていたと書かれています。 https://t.co/77dRTGOxYV
RT @zasetsushirazu: 奥中康人「岩倉使節団が見聞した西洋音楽」(『待兼山論叢』33、1999年)は、明治政府が国家プロジェクトとして西洋音楽を教育に導入したことで、人為的に西洋音楽が日本に普及したと指摘し、その意味で岩倉使節団の西洋音楽体験を重視する。 htt…
RT @zasetsushirazu: 昭和43年(1968年)4月21日、『ウルトラセブン』第29話「ひとりぼっちの地球人」が放送された。プロテ星人が登場。学習院大学が撮影に使われた回で、天皇陛下が徳仁親王時代に、講演「目白キャンパスの思い出」(『学習院大学史料館紀要』16、…
RT @machi82175302: 『日本研究所紀要』第12号はKUIS学術情報リポジトリで公開しました。拙稿「慶応二年前半の政局と薩摩藩―「小松・木戸覚書」以降の動向を中心に」もダウンロードが可能です。https://t.co/jW0JUjCOHp
RT @machi82175302: 拙稿「慶応元年中央政局における薩摩藩の動向―将軍進発と条約勅許を中心に-」(『神田外語大学日本研究所紀要』10号、2018.3)がリポジトリで公開されました。ダウンロードも可能です。よろしければ、ご覧ください。https://t.co/e1…

お気に入り一覧(最新100件)

3 0 0 0 土佐史談

松村巌のとさ史談68号「坂本龍馬」 近江屋の奥さんに取材してて「妻の談によれば、中岡は焚飯を食いたいというてこれを近江屋の妻に求め、近江屋の妻は為めに焚飯を拵えて進めたりと云う」に 奥様レシピ教えてください!の突撃したい。 https://t.co/6FM4LNmnwL

1 0 0 0 土佐史談

台座はよく読み取れなかったのですが、「墓は先斗町の有志の人々によって建てられた事が台座に刻んで」あるんですね。 とさ史談の「菊屋峯吉(鹿野安兵衛)そのあと」、維新後の峯吉の知らない話がたくさん読めました。 (宇高氏は峯吉と親しかった河田小龍の孫) https://t.co/rX0qu6Gym7 https://t.co/x0JTEpKbgW
謝罪に来たはずの戸川殿は高知城下観光エンジョイしてるし お詫びとして黒田家から京都の料亭で大変なご馳走をしてもらった林亀吉と山川左一右衛門と中村弘毅は 「いや~!イカルス号事件のおかげでご馳走になりました!w」と佐佐木に言っちゃうし いいこともある~! https://t.co/31QxEqfgTW

2 0 0 0 土佐史談

https://t.co/Z2siElvzZg 今年読んだ中で面白いな~と思った近江屋、 とさ史談「坂本龍馬先生事蹟余聞」の 「高知県人で土佐史談会員の市村梅太郎君が、少壮の時この今井信郎氏に面会し、親しく暗殺当時の物語を聞いたことがあった」の談話で 藤吉と龍馬が刺客に抗戦してるところ

17 0 0 0 OA 維新日乗纂輯

https://t.co/VCf1zIXKvJ 白石さん日記の同日(文久3年10月15日)には 「夕方御茶屋へ行き…富永有隣訳有て縛せらる」とあって、やっぱり縛られていく有隣先生~
https://t.co/VQTT70b7DQ 羽田野さんの伝記だと、吉田の羽田野さん宅に潜伏した志士の中の一人として以蔵がカウントされてる。(次デジすごすぎる~) https://t.co/UiufXatuqF

52 0 0 0 OA 豊橋市史談

豊橋の国学者羽多野敬雄の書簡に文久3年12月の以蔵の動向が出てくるんだ。 羽多野さんへ攘夷事件を語ったり新居の飯田武兵衛本陣に泊まったりしてる。 https://t.co/8xzDM9MkbO
前RT:『国立国会図書館月報』2022年5月号、「大公開! 国立国会図書館での資料のデジタル化作業」より。6ページからですね。すご。いや、特撮っぽい作業風景もだけど(笑)、デジタル化のプロセス詳解、参考になります。https://t.co/rAtEl0FnMT
続き)近藤長次郎は坂本龍馬とこの時点では同格であり、薩長融和に果たした役割を看過すべきではない」として、近藤長次郎を高く評価している。拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」は、以下からダウンロードできます。https://t.co/A65OnLvEDg…
田中新兵衛が鵜木孫兵衛、志々目献吉らと島田龍章を暗殺した出典って小河一敏の入薩日記だったんですね。余り知られていないのでは。 https://t.co/9SDZBgECGb
https://t.co/OqE2018bbh 高知空襲で焼失した「土佐史料」の全索引がないかと去年いろいろ探してたんですが、国会デジタルで見れたんですね。今は読めない史料がたくさんある…

1 0 0 0 OA 南遊日誌

https://t.co/rRxUBfgI0e 河野広中が明治12年に高知県に来たときの「南遊日誌」 立志社の豪華メンバーが出まくってる その中で反民権派の池知退蔵が2回も広中を訪ねてきている

18 0 0 0 OA 谷干城遺稿

次世代デジタルライブラリー様のおかげで、未見だった『干城遺稿』中の晩年の大石圓を知ることができました。 明治33年10月25日の「計らずも大石弥太郎氏来り久しぶりに面会す 丁字結にてなお壮健なり」で泣きそうです。明治30年代の圓は貴重すぎる https://t.co/4BqQnOGvEC

1 0 0 0 OA 亡友帖

長谷川鉄之進の話題になったので調べたところ、 「亡友帖」(国デジ:石田英吉関係文書1-19) https://t.co/TqeZt0IELq 慶応4.5.23建白〔王師討賊の事〕(北の丸:建00001100) https://t.co/ffx1azHG17 などを発見。「亡友帖」は時期が慶応3年冬の上京途中なのが興味深い。

4 0 0 0 OA 怪物伝

@tohyaofficial https://t.co/kO9ZJsQnbE 横山の『怪物伝』で検索したら国デジで読めました。 思い切り葆光社時代の羽田の話でびっくりしました
明治16年11月15日、岸良兼養が死去。幕末の薩摩藩出身で、矢野祐子「ボアソナードと、その法思想」(『早稲田法学会誌』47)曰く、明治5年に司法制度視察のため欧州に派遣されたエリートの1人(ほかは井上毅など)。帰国後、佐賀の乱や西南戦争の裁判で検察を指揮した。 https://t.co/n6o8xvsjcb
文久2年閏8月20日(1862年10月13日)、本間精一郎が死去。安政期に、幕臣の川路聖謨に仕えたことがある。笹部昌利「「人斬り」と幕末政治」(『鷹陵史学』31)曰く、「越後出身の浪人で、義挙を企て、土佐の吉村寅太郎とも親交」があった。岡田以蔵らに暗殺されたと言われる。 https://t.co/irwGXHBXPI
民蔵分離はいいぞ! 民蔵分離については長南先生の論文がめっちゃおすすめ! CiNii 論文 -  民蔵分離問題をめぐる再考察 「下ヨリ迫ラレ」る政府 https://t.co/oHnt0hxUmn #CiNii
亡くなられた色川大吉さんは自由民権運動研究や民衆史で有名な方でしたが、1968年に「資料紹介 佐々木高行日記(前)ー天保から慶応3年まで 尊攘派下士の足跡ー」を執筆されています。色川大吉さんには数年前一度お会いしたことがありました。 https://t.co/vNAtEfGjnn
昭和14年9月7日、渡辺蒿蔵(天野清三郎)が死去。吉田松陰の松下村塾門下生の、最後の生き残り。幕末期には奇兵隊にも加入した。海外留学して帰国した後、造船技術者として活躍。牛見真博「近代造船の先駆者・渡辺蒿蔵(下)」(『大島商船高等専門学校紀要』51)が詳しい。 https://t.co/TZY3B5mDna

4 0 0 0 OA 奇兵隊日記

好きな問題児有隣は、奇兵隊日記文久3年10月の 「富永有隣 御茶屋において総管に相背くに付き 御玄関にて狙撃隊へ命じ縛り連れ帰り候事」のゆーりんです!
https://t.co/Oy2Yy6KWIi 幕末期土佐藩の国事運動と「政治犯」化 : 「御用状」にみえる土佐勤王党への対応を素材に 「土佐藩京都藩邸史料」では土佐勤王党のこともこんなにいろいろ書かれてるんだあ…!面白かったです
笹部昌利「幕末期土佐藩の国事運動と「政治犯」化」(『京都産業大学日本文化研究所紀要』26、2021年)は、「武市半平太ら土佐勤王党により主導された藩外交のありようを、藩当局者が如何に捉えていたのかを考察」。その際、行政を監査した小目付たちの政治見解を重視。 https://t.co/WvTSa3GYHr
平川新さんは出羽国(現・山形県高畠町)の道場主、武田軍太の自伝をもとに「出羽国の庶民剣士―武田軍太「武元流剣術実録」の世界―」を発表した。まさに出羽の近藤勇という感じです。PDFで読めます。 https://t.co/fWOIK9lXqn
明治17年5月4日、道家之山が死去。幕末の熊本藩出身で、明治3年の藩政改革に参画した。三澤純「熊本藩明治三年藩政改革の再検討」(『文学部論叢』109、熊本大学、2018年)は、新史料を軸に道家の立ち位置や改革の実態を分析し、「実学党中心史観」の克服を提言した。 https://t.co/asHbl2eYvN
明治29年5月1日、中沼了三(中沼葵園)が死去。幕末維新期に強い影響力のあった儒学者で、門人に西郷従道や中岡慎太郎など。明治天皇の侍読を務めたが、三条実美らと対立して辞職。藤原正信「「隠岐騒動」再考」(『龍谷大学論集』472)は、出身地・隠岐の明治維新を分析。 https://t.co/aL5VlOpYwo
横山百合子「東京の明治維新-錦絵にみる町方住民の意識と維新政府の統治-」(『経済史研究』24、2021年)は、慶応3年〜明治2年の錦絵を素材に、標題のテーマを分析。東京の世情不安を憂慮した吉井友実の、「天皇の食費削減、官員の給与減」を主張した建言なども紹介。 https://t.co/Pyxw5DMxig
明治6年4月9日、広沢健三が死去。初期の明治政府で、木戸孝允と並ぶ長州藩出身の大物だった広沢真臣の子。米国留学中、 19歳の若さで病死した。重松優「広沢真臣の子,健三のアメリカ留学について」(『学苑』930、2018年)は、明治初年の教育や国際交流の事例として分析。 https://t.co/FSVytV8mS2
鈴藤勇次郎の書簡。どうも平岡円四郎暗殺事件で川村が水戸藩の刺客と応戦の際使った刀は鈴藤のものだったようです。顔に傷を負った川村に「尊兄当時は大いにモテ風聞有之御浦山敷奉存候」と言っていますね。 https://t.co/QM7gDjj9KX
大久保利通公主導の第一回内国勧業博覧会にて褒状を受けている物品と人物、団体についてはこちらで閲覧ができます。かなり読みにくいですが、拾い読みするだけでもとても面白いです☺️ https://t.co/AYFktGIenP
明治10年3月4日、篠原国幹が死去。幕末の薩摩藩出身で、戊辰戦争で各地を転戦。西南戦争で西郷隆盛軍の幹部として戦い、戦死した。大谷正「歴史書と「歴史」の成立」(『専修法学論集』100)は、西南戦争の基本文献とされる黒龍会の『西南紀伝』の問題点などを指摘。 https://t.co/eoMqwoqJDv

18 0 0 0 OA 谷干城遺稿

谷さん日記、帝政派出るじゃん!とめくってたら森新太郎や島村外内や淡中新作が登場するページで震えてきた 「島村外内氏来る 例の如く封建主義の論を出す またその子を仕官の推挙の乞あり 誠に閉口なり」って泣くからやめてほしい https://t.co/kAPfSxGogv

18 0 0 0 OA 谷干城遺稿

https://t.co/PhfVEG2xin 明治22年谷さん日記の「島村安度氏来る 森忠太郎氏病気に付き辞表を出せしことにつき事情陳述のためなり」ってどういう関係なんだ…
https://t.co/kQWxnNB7Gx 「河原塚茂太郎に付口供」って何だー!と見たら国会図書館限定
昭和47年(1972年)1月21日、『帰ってきたウルトラマン』第41話「バルタン星人Jrの復讐」が放送。花岡敬太郎「「帰ってきたウルトラマン」制作過程から読み解く1970年代の変容の兆し」(『明治大学大学院文学研究論集』49)は、郷秀樹と坂田次郎との関係性を中心に言及。 https://t.co/Kkj6NYIMnH
田中悟「戦後会津における「観光史学」の軌跡」(『国際協力論集』17-1、2009年)は、同氏の著書『会津という神話』(ミネルヴァ書房、2010年)第5章の元になった論文。会津における「戊辰戦争の語り」や観光資源としての白虎隊などを巡って、郷土史家・宮崎十三八を分析。 https://t.co/a3PLMA2gXw
『原市之進暗殺事件の高橋泥舟・山岡鉄舟黒幕説を否定する』がciniiに投稿されていました。この事件に関しては画期的な論考になりました。 https://t.co/VpAa3pCoba
『士族授産の政治的側面について : 国営安積開墾における久留米および高知士族入植の事情』https://t.co/h7EJcv9tUw
ツー ティモシー ユンフイ「黒船に乗ってきた中国人」(『国際学研究』9-1、2020年)曰く、幕末のペリー艦隊に雇用された中国人がいたことを皮切りに、「19世紀後半を通して来日中国人の数はほかのどの国をも凌いでいる」。近代日本の原点における中国人の重要性を分析。 https://t.co/XTS2bUE2Al
明治31年8月27日、島田篁村(島田重礼)が死去。幕末期に昌平黌の助教などを務めた漢学者で、明治期に東京大学教授。古賀勝次郎「安井息軒を継ぐ人々(三)」(『早稲田社会科学総合研究』11-1)曰く、「江戸時代の儒学の伝統を、明治以後の我が国の漢学へ橋渡しをした」。 https://t.co/llHNvlxxoV
文政5年5月7日(1822年6月25日)、亜欧堂田善が死去。江戸時代を代表する洋画家で、ゴジラやウルトラマンを生み出した特撮の神様・円谷英二の祖先。坂本篤史「亜欧堂田善の銅版画についての一考察」(『美術史論集』16)は、「ピョートル大帝」などの作品を分析。 https://t.co/fO2la2xIRL
れいのるず秋葉かつえ「自称詞の歴史社会言語学的研究―「拙者」から「僕」へ―」(『ことば』39)は、「僕」が日本語に定着していく過程を分析。幕末の吉田松陰は「僕」を最初に使った人ではないが、「「僕」を多用し、「僕」を広げた人」だと指摘。渡辺華山の事例などを紹介。 https://t.co/Vqbx2DlZ6a
私は英語が壊滅的なのでありがたいことに研究者の方が訳してくれた記者の記述がこの論文で読めます https://t.co/MZ2uU2LzCC
平成24年2月26日、歴史家の芳賀登が死去。著書に『幕末志士の生活』(雄山閣)、『幕末国学の研究』(教育出版センター)、『偽官軍と明治維新政権』(同)などがある。下記は、芳賀による高木俊輔『明治維新草莽運動史』(勁草書房)の書評(『社会経済史学』41-1)。 https://t.co/AFhkpXBfG2
明治41年2月16日、建野郷三が死去。幕末の小倉藩士で、第2次長州征伐で小倉城が落城した際、赤心隊を結成した。明治期に大阪府知事、米国公使などを歴任。銭国紅「洋上の対話」(『日本研究』15)は、明治3年に英国留学した建野と、清国人・張徳彝との船中での対話を紹介。 https://t.co/HF64LWbedA
1878年12月19日、ベイヤード・テイラーが死去。嘉永6年(1853年)、浦賀に来航したペリー艦隊の一員だった旅行家・作家で、琉球や小笠原諸島にも上陸した。近藤治「ベイヤード・テイラーの見たファテプル・シークリーについて」(『鷹陵史学』35、2009年)参照。 https://t.co/kONUrXDm3D
山本志乃「旅日記にみる近世末期の女性の旅」(『国立歴史民俗博物館研究報告』155)は、清河八郎の母親や松尾多勢子など、女性たちの旅行を分析。幕末期にはすでに一般化していた無手形による違法の関所抜けが、流動人口の増加や宿場への経済効果をもたらしたことを指摘。 https://t.co/p1hgsdj8LJ
安政6年9月14日(1859年10月9日)、梅田雲浜が死去。安政大獄で最初に逮捕され、獄死。中島嘉文「角田家本梅田雲浜安政大獄吟味関係資料について」(『福井県文書館研究紀要』13)は、雲浜の取り調べ調書を分析し、「尊攘運動の理論的支柱」として朝廷で期待されたとする。 https://t.co/I6EKCFy9FZ
明治39年9月28日、佐々友房が死去。幕末の熊本藩出身で、西南戦争で西郷軍に参加して投獄された。上村直己「佐々友房と独逸学」(『熊本学園大学論集 総合科学』20-2)曰く、「勤王・国権を一大主義とする紫溟会を有志と共に結成。天皇主権を主とする国権論を主張した」。 https://t.co/p5xGrpC9Pv
明治2年8月13日(1869年9月18日)、土肥典膳が死去。岡山藩重臣で、文久2年に京都で国事周旋を開始。中川和明「平田塾と地方国学の展開」(『書物・出版と社会変容』11)曰く、「岡山藩の幕末維新史を語るうえでたいへん重要な人物」。その家臣が足利三代木像梟首事件に関与。 https://t.co/BZUKMIXuJQ
明治32年8月19日、丸山作楽が死去(異説あり)。島原藩出身で、明治2年に外務大丞として樺太の領有権についてロシアと交渉。三ツ松誠「平田神学の遺産」(『宗教研究』92-2、2018年)曰く、明治政府の参議に就任する噂もあったぐらい、平田国学の門人の中で有力者だった。 https://t.co/UpzzuRYUoW

14 0 0 0 OA 平田神学の遺産

明治20年5月19日、矢野玄道が死去。幕末維新期の著名な平田派国学者で、千人以上の門人がいたらしい。また、間接的な影響力という点で、三ツ松誠「平田神学の遺産」(『宗教研究』92-2、2018年)が、大隈重信・副島種臣らを指導した枝吉神陽が、矢野と親しかったことを指摘。 https://t.co/LxgdGWkguC
大正4年5月11日、古荘嘉門が死去。幕末の肥後藩出身で、井上毅と同門。明治初期に河上彦斎と共に反政府の運動に関与。野口真広「台湾総督府内務部長古荘嘉門について」(『社学研論集』4)曰く、明治20年代の対外硬運動を担った国権党初代総理で、日本の台湾統治の重要人物。 https://t.co/U3mq6IrDAI
真辺将之「近代日本における動物と人間」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要』60-4、2015年)は、近世から近代、そして現代に至る過程で複雑化してきた人間と動物の関係性を、鯨・犬・馬を素材に分析。例えば犬に関しては、近世までは食用とする文化も存在したことを指摘。 https://t.co/q6EqL913kF
昭和20年4月10日、文倉平次郎が死去。幕末期に太平洋を横断した咸臨丸に関する調査を行い、昭和13年に『幕末軍艦咸臨丸』を著した。中公文庫の上下巻などの形で何度か復刊された。『史学』17-2(1938年)所収の會田倉吉の書評は、文倉が咸臨丸研究に一生を捧げたことを強調。 https://t.co/DtnHQKR9Np
明治41年2月16日、建野郷三が死去。幕末の小倉藩士で、幕長戦争で長州藩と交戦。小倉城の落城後も抗戦を主張し、赤心隊を結成した。明治期に大阪府知事、駐米公使などを歴任。片岡正彦「明治18年の淀川洪水と北河内」(『京都歴史災害研究』18)は、建野の災害対応を分析。 https://t.co/dDk3QUoONs
明治21年2月10日、松浦武四郎が死去。何度も蝦夷地探検を行い、幕末期には蝦夷地通として有名だった。北海道の名付け親でもある。三浦泰之「松浦武四郎研究の現状と課題」(『北海学園大学人文論集』65、2018年)は、松浦が置かれた時代状況や立場に注意する必要性を指摘。 https://t.co/IwDHPmmeXI
慶応3年12月25日(1868年1月19日)、三田の薩摩藩邸焼き討ち事件があった。奈倉哲三「『復古記』不採録の諸記録から探る江戸情勢(三)」(『跡見学園女子大学文学部紀要』50、2015年)は、諸史料から事件の実態解明を試み、益満休之助が会津藩に捕まったことなどを指摘した。 https://t.co/ON7tEWs3HA
明治32年1月19日、勝海舟が死去。金澤裕之「咸臨丸米国派遣の軍事史的意義」(『近代日本研究』26)は、海舟の目指した海軍像がサンフランシスコで見た米国海軍で、そのイメージは木村芥舟も共通だったとする。金澤氏の著書『幕府海軍の興亡』(慶應義塾大学出版会)に再録。 https://t.co/BX5MksxC8P
明治19年1月11日、小野梓が死去。大隈重信の腹心として、立憲改進党創設などに参加。大日方純夫「早稲田大学歴史館における小野梓の位置」(『早稲田大学史記要』49、2018年)は、小野が「教養をもった人によって構成される国家・社会をつくること」を目指していたと指摘。 https://t.co/glmt7PQiEt
@tohyaofficial 堀内誠之進とのつながりがもし確認できたら興味深いですね。 ところで、、和田仁『赤心報国党と篠原箭太郎』 https://t.co/2gmYOgNBBG では、冨永儀三郎が鶴崎の「毛利先生」に面会を求めたが先生が病気で会えなかった、と篠原箭太郎に送った書簡が引用されています。

1 0 0 0 OA 西南記伝

そうそう思い出した! 国デジの『西南記伝』下2に、土佐挙兵計画で立志社から西郷軍への連絡に行った藤好静さんの写真載ってて驚いたんですよ。 しかも岩神昂とツーショット。君がコンビ組んでるのは村松政克だろ…!?と。
昭和20年4月19日、歴史家の原平三が死去。戦死である。文部省維新史料編纂官を務めた人物。生前に単著は出なかったが、死後に論文集『幕末洋学史の研究』と『天誅組挙兵始末考』が、新人物往来社から刊行された。下記は、横山伊徳氏による前者の論文集の紹介記事である。 https://t.co/mxpajllpx4
後藤乾一「ジョン万次郎・平野廉蔵と小笠原諸島」(『アジア太平洋討究』29、2017年)は、幕末の水野忠徳らによる小笠原の調査について、幕府が「回収」と同時に領有権の裏付けとなる「開拓」を重視したと指摘。「開拓」の重要な柱となったジョン万次郎らの洋式捕鯨を考察。 https://t.co/1nrIHI42av
奈倉哲三「『復古記』不採録の諸記録から探る江戸情勢(3)-「薩摩藩邸焼き討ち事件」の史料的解明(その2)-」(『跡見学園女子大学文学部紀要』50、2015年)は、従来の研究で未活用だった史料も駆使して、慶応3年末の江戸を分析。 https://t.co/PftHWod9up
奈倉哲三「『復古記』不採録の諸記録から探る江戸情勢(3)-「薩摩藩邸焼き討ち事件」の史料的解明(その2)-」(『跡見学園女子大学文学部紀要』50、2015年)は、従来の研究で未活用だった史料も駆使して、慶応3年末の江戸を分析。 https://t.co/PftHWod9up

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