tatsu uwa (@TatsuUwa)

投稿一覧(最新100件)

13 0 0 0 OA 恋の伊藤博文

『恋の伊藤博文』という本が実際に出たことがあるらしい。 #日本史用語に恋のをつけるとモテる 恋の伊藤博文 - 国立国会図書館デジタルコレクション https://t.co/KwoQCaLvL6

4 0 0 0 OA 鉛筆だより

明治42年に徳川慶喜に拝謁した時のことを書いた横山健堂のエッセイがあった。健堂の老母は田舎侍の子が前将軍にお目にかかったということで帰りを待ち侘びて非常に喜んだ、と。横山健堂は山口県出身で、父は吉田松陰に学んで維新後は郡長になった横山幾太。 https://t.co/DDDgYY31mC
明治40年頃の長寿者を取り上げた『名家長寿實歴談』に出てくる人々みんな凄いのだけど、画家・吉見蘆月は特に凄い。文化5年(1808)生まれで、明治42年(1909)に死去。確か吉見は勝海舟の日記にも登場していたと思う。 https://t.co/8TcKrkFoel
RT @zasetsushirazu: 上符達紀ほか「史料紹介 相馬永胤日記」(『専修大学史紀要』8、2016年)は、専修大学創立者の1人である相馬永胤(幕末の彦根藩出身)の日記のうち、明治33年〜34年の部分を紹介。日記には、松方正義、井上馨、大隈重信、渋沢栄一、西園寺公望な…

13 0 0 0 OA 伊藤博文公

伊藤博文没後20年に国民新聞主催で行われた講演の講演録『伊藤博文公』に収録されている渋沢栄一の講演が面白いです。伊藤と渋沢の関係を知る上でも有益かも。 https://t.co/Mi6kLJu62Y
佐久間「しょうざん」か「ぞうざん」か論争、意外と長い歴史がある。 https://t.co/ByEti1aOfY
亡くなられた色川大吉さんは自由民権運動研究や民衆史で有名な方でしたが、1968年に「資料紹介 佐々木高行日記(前)ー天保から慶応3年まで 尊攘派下士の足跡ー」を執筆されています。色川大吉さんには数年前一度お会いしたことがありました。 https://t.co/vNAtEfGjnn
天狗党の唯一の生き残りが維新後に伊藤博文を訪ねてきたらしい。伊藤と接点のあった水戸の人々の多くが天狗党に加わって敦賀で非業の死を遂げた。このことは伊藤が末松謙澄に語っております。 #青天を衝け https://t.co/ZvJ11BG6wD
今日は来島又兵衛も登場。来島を狙撃したのは川路利良と聞いたことがあります。個人的な話ながら私は来島の生誕地近くで育ちまして、現在生誕地には石碑があります。長州の馬屋原二郎が大正になり語った『元治甲子禁門事変実歴談』 はなかなか面白いです。 #青天を衝け https://t.co/lQdVowdduY
島田一郎を題材にした小説『島田一郎梅雨日記』も国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能。便利な世の中になりました。 https://t.co/LvdKwLrNmE

8 0 0 0 OA 光雲懐古談

これは何度読んでも面白いです。『幕末維新懐古談』のタイトルで岩波文庫からも出ています(私が持っているのは岩波文庫版)。 https://t.co/ras4a1DbQQ

31 0 0 0 OA 阪下義挙録

田中光顕が坂下門外の変を語っていて、田中同様長生きした渋沢栄一の話も出てきます。田中は安藤信正を襲った浪士側を顕彰するわけですが、この本のインタビューで、安藤信正をある部分だけ褒めていて、それが田中の勝手な理屈で面白いです(笑) #青天を衝け https://t.co/iW71AAdOfl
維新後の井伊直弼の評価は複雑なものがありましたが、旧彦根藩士たちが直弼の顕彰に取り組んできたことは多くの先行研究で明らかになっていますね。横浜の銅像のことはよく取り上げられます。下記の論文は、相馬永胤ら彦根出身者の動向を明らかにしたもので参考になります。 https://t.co/DlCSNpGpkK

15 0 0 0 OA 南洲翁逸話

家近良樹『西郷隆盛』でも参考にされてたこれ、面白い。鹿児島の各町村に調査委員を置いて、まだ存命だった古老からの聞き取りを収めたもの。鹿児島に銅像が出来たときに発行されたらしい。こういう仕事は本当に重要で、いい仕事されたと思う。 https://t.co/XhKJ2Whtya

25 0 0 0 OA 生きている歴史

長生きした歴史の目撃者フリークの私がオススメしたい本。これや篠田鉱造の『幕末百話』『明治百話』『幕末明治女百話』などを読むと今は亡き曽祖母や祖父からもっと昔の話を聞いておくべきだったと思います。 生きている歴史 - 国立国会図書館デジタルコレクション https://t.co/KmwpI3RNGN
大正元年に東京府が内務省に出した贈位内申をみてみると、今でも高校の日本史教科書にも出てくるような江戸の文化人・幕臣がこぞって内申されてた(中には川路利良もいる)。人選が興味深い。下記論文で指摘されてるような、「江戸」の発見と無縁じゃないんだろうな。 https://t.co/tEKaIkGwZa
RT @zasetsushirazu: 大正13年12月8日、戸川残花(戸川安宅)が死去。雑誌『旧幕府』を主催し、『幕末小史』などを著した。岩淵令治「明治・大正期における「江戸」の商品化」(『国立歴史民俗博物館研究報告』197)曰く、「旧幕臣の復権運動に力を注いだ旧幕臣」。日本…
RT @nihonsi: 1946年に井上清が「ドンと」という表現を作り出したという。なかなか衝撃的 →茂木陽一「竹槍でドンと突き出す二分五厘」考 https://t.co/58AP2ntezS

お気に入り一覧(最新100件)

真辺美佐「立正大学所蔵『鈴木安蔵旧蔵資料』とその意義」立正大学文学部研究紀要39号(2023年)59頁以下、大量に存在していたはずの鈴木安蔵日記についての言及が興味を惹きました。https://t.co/PMmfsHq1Fg
PDFあり。 ⇒渡辺達朗, 山﨑万緋 「戦時統制下の神田神保町古書店の研究 : 組合組織と公定価格制を中心にして」 『専修大学商学研究所報』第54巻第4号(2023) https://t.co/IZGdul65QX
拙稿「慶応期後半の中央政局と薩摩藩―幕薩・薩長融和と薩英戦争を中心に」(『神田外語大学日本研究所紀要』15号)は「KUIS学術情報リポジトリ」で公開されました。 https://t.co/AMFvBExx7b
PDFあり。 ⇒池田 さなえ 「明治期日本における政治家ネットワーク形成 : 品川弥二郎・京都尊攘堂人脈の分析から」 『日本研究』第66集 (2023/3) https://t.co/SKIDVWdFsh
https://t.co/DyXKUZi6gM 『勤王者調』旧高知藩勤王人名録の死死死名簿、皆山集5巻にも同じものが載ってたんだ。 いわゆる勤王党の殉難者八十数人の中に入ってなくても、明治30年より少し前となるとこんなに生き残り減るんだ。。 https://t.co/ogykKWWXY6
この時節にぴったりの論文が『史学雑誌』に公開されてますね https://t.co/z6dGSb8IVy
前田亮介先生の論文「「史学統一」の夢 : 戦前(一九二三―一九四五)の大久保利謙」(『史苑』82-1、2022年3月)。立教大学のリポジトリでPDFファイルで読める。https://t.co/auosG3BLqZ
前RT:『国立国会図書館月報』2022年5月号、「大公開! 国立国会図書館での資料のデジタル化作業」より。6ページからですね。すご。いや、特撮っぽい作業風景もだけど(笑)、デジタル化のプロセス詳解、参考になります。https://t.co/rAtEl0FnMT
大正2年2月17日、坂崎紫瀾(坂崎斌)が死去。坂本龍馬を主役に据えた小説『汗血千里の駒』の作者で、瑞山会の『維新土佐勤王史』の執筆も担当した。知野文哉「坂崎紫瀾と土佐明治維新史の形成」(『鷹陵史学』46)は、土佐の維新史を語る上での坂崎の重要性について考察。 https://t.co/llVIzrnJpP

58 0 0 0 OA はゝその落葉

穂積(渋沢)歌子の『はゝその落葉』には、その時の話が書いてあります……。 https://t.co/dcwRIAWoxw #青天を衝け https://t.co/AJq32tgo2O
重田麻紀「毛利家家臣による知行地支配の基礎的考察」(『駿台史学』171、2021年)は、元治甲子戦争(禁門の変)の責任者として切腹した幕末期の当主・益田親施(益田右衛門介)が有名な、長州藩の永代家老・益田家について、家臣団や知行地をめぐる基礎的事項を分析。 https://t.co/YNYZJxD74Y

11 0 0 0 OA 世外井上公伝

「青天を衝け」で井上馨の顔に傷があるのですが、今まででこのことに気づいてツイートしたのは、FFでは中村武生さんだけだった。 https://t.co/PcBvP74KbM 写真だとわかりにくいこともあって、やや薄目の目立ちにくい傷になった。
大正5年10月16日、宮本小一が死去。幕末期に神奈川奉行所で働いた旧幕臣で、明治期に外交官として江華島事件の処理や日朝修好条規などに関与した。諸洪一「明治初期の朝鮮政策と江華島条約」(『札幌学院大学人文学会紀要』81、2007年)は、従来の研究における評価を再検討。 https://t.co/xKHhYRCVdg
上符達紀ほか「史料紹介 相馬永胤日記」(『専修大学史紀要』8、2016年)は、専修大学創立者の1人である相馬永胤(幕末の彦根藩出身)の日記のうち、明治33年〜34年の部分を紹介。日記には、松方正義、井上馨、大隈重信、渋沢栄一、西園寺公望などの有名人が登場する。 https://t.co/IQKJkVlimB
文久2年8月13日(1862年9月6日)、成島司直が死去。成島柳北の祖父で、第12代将軍・徳川家慶に信任された儒学者。『徳川実紀』を編纂した。藤實久美子「徳川実紀の編纂について」(『史料館研究紀要』32)曰く、実紀の編纂に成島を推薦したのは、岩瀬忠震の祖父である林述斎。 https://t.co/SLwszYvhvH

43 0 0 0 OA 猪飼勝三郎届書

国会図書館憲政資料室所蔵「川村正平(恵十郎)関係文書」の「猪飼勝三郎届書」。 平岡円四郎が刺客に襲われたことを知らせる史料。 渡辺甲斐守の旅籠よりの帰路に襲われ、深手を負ったとある。 https://t.co/jPxUBSIutI #青天を衝け

12 0 0 0 OA 続再夢紀事

容堂公が老中部屋に出入りしていたならそこで会うことはありそう。春嶽公は政事総裁職のとき別に控え室貰ってたみたいなので、そこで面会していたのか、又は城内に大名同士向けの面会スペースがあった?例えば梅屋敷事件の後周布さんの赦免を説得した場所はどこだったのかな。 https://t.co/jBt1lTBhUz https://t.co/Z6gBT8t93d https://t.co/vAgBuctbdQ
明治27年6月2日、森寛斎が死去。長州藩出身の日本画家。高久嶺之介「北垣晋太郎の幕末」(『社会科学』49-2)は、北垣国道が生野の変に参加した後、「長州に潜伏し,奇兵隊に幕府の間諜と怪しまれ,処刑されんとした時」、森に救われた逸話と、その後の両者の交流を分析。 https://t.co/cdxiZu27Os
明治5年4月16日(1872年5月22日)、砲術家の村上範致(村上定平)が死去。幕末の田原藩出身で、渡辺崋山に期待され、高島秋帆に師事した。幕府の講武所にも招聘された。鵜飼尚代・佐久間永子「村上範致と著述古記録に関する基礎研究」(『名古屋外国語大学論集』2)など参照。 https://t.co/nopVvQIXfc
昭和54年(1979年)5月17日、平尾道雄が死去。幕末維新の土佐藩や坂本龍馬などの研究で知られ、その一連の研究は良くも悪くも、「今日まで土佐藩研究の礎と評される」(笹部昌利「幕末期土佐藩の国事運動と「政治犯」化」『京都産業大学日本文化研究所紀要』26、2021年)。 https://t.co/WvTSa3GYHr

16 0 0 0 OA 江戸城本丸絵図

江戸城の図面もあるので、青天を見る楽しみとして参考にすると良いかも。 https://t.co/dNed5lwKB8
昨日の青天を衝けで出てきた狐憑きについての論考。 近世中後期から武蔵において尾裂き狐が社会問題化していったからこそ、栄一の家はあんな騒動になったわけで… https://t.co/JMeaFo5lmW
明治10年3月4日、篠原国幹が死去。幕末の薩摩藩出身で、戊辰戦争で各地を転戦。西南戦争で西郷隆盛軍の幹部として戦い、戦死した。大谷正「歴史書と「歴史」の成立」(『専修法学論集』100)は、西南戦争の基本文献とされる黒龍会の『西南紀伝』の問題点などを指摘。 https://t.co/eoMqwoqJDv
この論文おもろいで。 https://t.co/bg8KYI5W0U
昭和2年2月5日、川路寛堂(川路太郎)が死去。幕末の幕臣・川路聖謨の孫で、幕末期に中村正直と共に英国留学。宮越勉「敗戦後の志賀直哉」(『文芸研究明治大学文学部紀要』128、2016年)によれば、志賀直哉は寛堂が編述した『川路聖謨之生涯』(吉川弘文館)を読んでいた。 https://t.co/NyHHMOKJi5
大正11年2月1日、山県有朋が死去。長州藩出身で、幕末期に奇兵隊の幹部。内閣総理大臣に2度就任。伊藤博文と並ぶ元老の最有力者で、政治・軍事の両面で大きな影響力を有した。佐藤信「山県有朋とその館」(『日本研究』51)は、「空間に興味を持った人物」として分析。 https://t.co/bpc1fSErMm
大正13年12月8日、戸川残花(戸川安宅)が死去。雑誌『旧幕府』を主催し、『幕末小史』などを著した。岩淵令治「明治・大正期における「江戸」の商品化」(『国立歴史民俗博物館研究報告』197)曰く、「旧幕臣の復権運動に力を注いだ旧幕臣」。日本女子大学の創立者でもある。 https://t.co/rlRR8VsgAi
『アーカイブズ学研究』19(2013年)に掲載の、宮間純一氏による、箱石大編『戊辰戦争の史料学』(勉誠出版、2013年)の書評。複数の執筆者による多彩な切り口の論考が収録されたことを評価している。なお、宮間氏には著書『戊辰内乱期の社会』(思文閣出版、2015年)がある。 https://t.co/cSPe3nETHg
明治32年5月8日、村田氏寿が死去。幕末の越前福井藩士で、『続再夢紀事』の編纂者。勝海舟が神戸に私塾を開く資金の援助を松平春嶽に求める際、門弟の坂本龍馬に託したのが、村田宛の書簡だった。吉田健「文久三年の龍馬と福井藩」(『福井県文書館研究紀要』8)参照。 https://t.co/UOawCo1JaQ
1889年5月2日、ペルス・ライケンが死去。長崎海軍伝習所で勝海舟や五代友厚らを指導し、後にオランダの海軍大臣などに就任。杉本つとむ「幕末の洋学事情」(『早稲田大学図書館紀要』41)曰く、長崎海軍伝習所は「近代教育の形成のうえから、欠かすことのできない」機関。 https://t.co/w3TEC3AodR
上野大輔「幕末期長州藩における民衆動員と真宗」(『史林』93-3、2010年)によれば、村田清風は海防のために宗教も利用しようと考え、長州藩内の真宗僧侶たちもキリスト教や排仏論への対抗から要請に応じた。月性の門下・大洲鉄然の僧兵隊結成の動きなどを分析。 https://t.co/epYE9WUSSW
明治43年4月26日、木梨精一郎が死去。幕末の長州藩出身で、戊辰戦争で各地を転戦。真栄平房昭「琉球処分と軍隊・歴代宝案のゆくえ」(『沖縄史料編集紀要』41)は、戊辰戦争で「江戸城接収」を担った木梨が、琉球処分においても「首里城接収」の役目を期待されたと指摘。 https://t.co/HwZhMHb4bs
明治11年4月8日、川村修就が死去。初代新潟奉行、堺奉行、大坂町奉行、長崎奉行などを歴任。菅良樹「嘉永・安政期の大坂町奉行川村修就」(『日本研究』46)は、川村が「西洋流砲術に精通していたこと」を強調し、ロシア使節プチャーチンの大坂来航への対応などを分析。 https://t.co/Wtgfcec9GE
国立国会図書館のデジタルで「山口史蹟概覧 皇政復古七十年記念」を見つけて、かぶりつきで読んでる。山口市役所発行 そうとう、面白い。各支藩のあった場所とか、諸隊会議所の場所とか まだ、あのころの記憶を持った人たちが生きている時代だからくわしい https://t.co/g6EWjdAmE5
井上勲「幕末政治社会の形成」(『学習院大学史料館紀要』9)は、ペリー来航の際の、200家以上の大名家の意見書を分析。対外方針を単純拒絶、即時拒絶、折衝拒絶、時限許容など細分化。例えば折衝拒絶の中にも、すぐ打ち払うものと、攻撃された場合のみ打ち払う2種類がある。 https://t.co/W9VCdt8DfF
慶応4年5月22日(1868年7月11日)、益満休之助が死去。江戸の撹乱工作を主導した。奈倉哲三「『復古記』不採録の諸記録から探る江戸情勢(三)」(『跡見学園女子大学文学部紀要』50)は、江戸の薩摩藩邸焼き討ち事件で逮捕され、勝海舟に引き渡される過程の史料を紹介。 https://t.co/ON7tEWs3HA
岩淵令治「明治・大正期における「江戸」の商品化」(『国立歴史民俗博物館研究報告』197、2016年)は、伝統の創出という観点から近代の「江戸」の発見を分析。旧幕臣復権に尽力した戸川残花は元禄会を結成し、福地源一郎や本多晋(彰義隊の生き残り)も参加していたらしい。 https://t.co/rlRR8VsgAi
昭和20年4月10日、文倉平次郎が死去。幕末期に太平洋を横断した咸臨丸に関する調査を行い、昭和13年に『幕末軍艦咸臨丸』を著した。中公文庫の上下巻などの形で何度か復刊された。『史学』17-2(1938年)所収の會田倉吉の書評は、文倉が咸臨丸研究に一生を捧げたことを強調。 https://t.co/DtnHQKR9Np
明治21年2月10日、松浦武四郎が死去。何度も蝦夷地探検を行い、幕末期には蝦夷地通として有名だった。北海道の名付け親でもある。三浦泰之「松浦武四郎研究の現状と課題」(『北海学園大学人文論集』65、2018年)は、松浦が置かれた時代状況や立場に注意する必要性を指摘。 https://t.co/IwDHPmmeXI
慶応3年12月26日(1868年1月20日)、上山藩士・金子与三郎が死去。薩摩藩邸焼討事件で負った傷が死因。清河八郎暗殺に関与した疑惑がある。長南伸治「近代における旧上山藩士金子清邦像形成に関する一考察」(『国士舘史学』21)は、清河八郎の「贈位」をめぐる問題を分析。 https://t.co/pUBMAVog8M
明治32年1月19日、勝海舟が死去。金澤裕之「咸臨丸米国派遣の軍事史的意義」(『近代日本研究』26)は、海舟の目指した海軍像がサンフランシスコで見た米国海軍で、そのイメージは木村芥舟も共通だったとする。金澤氏の著書『幕府海軍の興亡』(慶應義塾大学出版会)に再録。 https://t.co/BX5MksxC8P
明治32年9月26日、大木喬任が死去。幕末の佐賀藩出身で、明治期に東京府知事、文部大臣、司法大臣などを歴任。湯川文彦「明治初年の民政改革における〈教育〉の台頭」(『日本の教育史学』58)は、学制公布時の文部卿・大木の、民政経験を活かした教育への取り組みを分析。 https://t.co/V3ejpVtAby

16 0 0 0 OA 防長近世史談

村田峯次郎による新選組評のひどいこと。「将軍家茂が久し振りで上洛しましたが、新選組の壬生浪士は警衛を忘れ、市中で乱暴狼藉のみやって、人々を困らしたのであった」『防長近世史談』(1927年)。これが戦前の理解。実証の姿勢に欠ける。https://t.co/9kaiO3OciR
1946年に井上清が「ドンと」という表現を作り出したという。なかなか衝撃的 →茂木陽一「竹槍でドンと突き出す二分五厘」考 https://t.co/58AP2ntezS
あとこれね。CiNii 論文 -  「稿本井上馨伝」編纂事業についての基礎的考察--伝記資料の史料学的検討から https://t.co/sUgiH27VEH #CiNii
明治36年2月21日、市来四郎が死去。幕末の薩摩藩士で、明治期は島津家の修史事業に尽力。また、西郷隆盛と互いに批判し合っていた。大久保利謙「王政復古史観と旧藩史観・藩閥史観」(『法政史学』12、1959年)は、市来が奔走して史談会を創設させた経緯などを紹介。 https://t.co/9snKTIOUDN
明治二十年のファンシーボール: あるいは鹿鳴館外交の挫折について https://t.co/UHHyR41ao0 仮装パーティの参加者について #メモ ていうかこれは仮装なんだろうか・・・? >宮中顧問官・佐佐木高行(長裃の土佐武士) >陸軍大臣大山巌(薩摩武士)

3 0 0 0 OA 長州之天下

https://t.co/dLQsaG3t6T タイトルが「怪傑坪井九右衛門」なのに大していいことかかれない坪井さん気の毒。 というか「独娘かねの入婿宗一(前名竹之進)を相続人とさだめたところへ」って竹槌さん??

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