折れたたみ (@oretatami)

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砲術家の高村酒造丞さんはこの家の方だと思ってたけど違ったかな? 「岩井孫六江戸日記」の筆者はこの「高村先生」と仲良しで連日囲碁打ったりボラ釣ったり遊びまわっていた笑 https://t.co/TIz0F1cHpZ
RT @zasetsushirazu: 知野文哉氏の博士論文「土佐明治維新史とその歴史意識の形成-坂本龍馬を中心に-」。読み応えがある。 なお知野氏には、著書『「坂本龍馬」の誕生』(人文書院)や、論文「坂崎紫瀾と土佐明治維新史の形成」(『鷹陵史学』46)、「瑞山会考」(『土佐史…

3 0 0 0 土佐史談

松村巌のとさ史談68号「坂本龍馬」 近江屋の奥さんに取材してて「妻の談によれば、中岡は焚飯を食いたいというてこれを近江屋の妻に求め、近江屋の妻は為めに焚飯を拵えて進めたりと云う」に 奥様レシピ教えてください!の突撃したい。 https://t.co/6FM4LNmnwL

1 0 0 0 土佐史談

台座はよく読み取れなかったのですが、「墓は先斗町の有志の人々によって建てられた事が台座に刻んで」あるんですね。 とさ史談の「菊屋峯吉(鹿野安兵衛)そのあと」、維新後の峯吉の知らない話がたくさん読めました。 (宇高氏は峯吉と親しかった河田小龍の孫) https://t.co/rX0qu6Gym7 https://t.co/x0JTEpKbgW
明治17年1月から佐々木甲象が土陽新聞で連載した「実説佐田の野風」ってどんなだろう…と検索したら国デジで読めた。 あらすじがよくわからないけど挿絵は汗血千里駒の挿絵も描いてた藤原信一のものが収録されてるし 中村裁判所のイラストも出てくるのでヨシ! https://t.co/I4svUoEsYT
おーいし圓手記「思出草」は土佐史料446巻に収録されていたけど高知空襲で焼失してもう読めない

1 0 0 0 幕末維新

おーいし圓手記「思出草」は土佐史料446巻に収録されていたけど高知空襲で焼失してもう読めない
謝罪に来たはずの戸川殿は高知城下観光エンジョイしてるし お詫びとして黒田家から京都の料亭で大変なご馳走をしてもらった林亀吉と山川左一右衛門と中村弘毅は 「いや~!イカルス号事件のおかげでご馳走になりました!w」と佐佐木に言っちゃうし いいこともある~! https://t.co/31QxEqfgTW
https://t.co/DyXKUZi6gM 『勤王者調』旧高知藩勤王人名録の死死死名簿、皆山集5巻にも同じものが載ってたんだ。 いわゆる勤王党の殉難者八十数人の中に入ってなくても、明治30年より少し前となるとこんなに生き残り減るんだ。。 https://t.co/ogykKWWXY6
https://t.co/DMpuNhK54u 翻刻は松陰全集にもあるけど『~松陰の殉国教育』の「村塾の賓客富永有隣」がいいな~
維新後に書いたのだけど山川良水筆記の「大石弥太郎、初めてミニエー銃を長崎より求め来たりて、藩内の人々直ちにこれを愛す」もあるか 買ってきた銃の話題より大石さんの長崎土佐行ったり来たりのリアタイ史料が知りたいんですけど… 圓さんが上士の日記に出てきて嬉しい
してて、大石弥が文久3年に洋銃独断購入したときに長崎~土佐の道中に田所先生とばったり会って同行した、と出てくるし、 左右次先生文久3年の長崎にいるよ~!!!と思った大石クラスタ https://t.co/oRNAry2aRW
小原与一郎日記抄で小八木五兵衛が「小米五兵衛」になってるの、瑞山関係文書の読み間違いだと思って小八木殿かわいそう…

2 0 0 0 土佐史談

あ、そのポイントを楽しんで本を読めばいいだな~と、なんだか急に分かった。 このあたり、自分が初めて読んだのがとさ史談「新政府の廊清に犠牲となりたる郷土の先輩」だったんですよね。 https://t.co/ydyRJj3DEf で、何が書いてあるかほぼ理解できなかった
https://t.co/bmcT8zrU6W 個人送信で戦前の『こうち県立図書館報』をめくってたら「窪川の小学校では谷隈山将軍の肖像及び扁額を掲ぐ」とあって 谷さん郷土の誇りになってた~ 小学校にあった扁額は現在行方不明と四万十町通信で読み、残念。 https://t.co/iaGCHfZfC2

1 0 0 0 OA 土佐名鑑大全

https://t.co/q14s1ETFxo 古民家カフェ半平(旧都築家別邸)の都築半平さんは 以前国デジで土佐名鑑大全をポチポチしてたら見かけて

31 0 0 0 OA 維新土佐勤王史

https://t.co/pLoV9TcD1N 勤王史の「品川農商務大輔が高知に来訪した際、瑞山の遺家を訪ねて獄中自画像を貰い受け、原本を宮内省に献上した」が気になって 明治17年末に高知に来てた。 来県4日目に武市さんのお墓参りしてた。 光顕よりもお墓参り来るの早い

2 0 0 0 土佐史談

https://t.co/Z2siElvzZg 今年読んだ中で面白いな~と思った近江屋、 とさ史談「坂本龍馬先生事蹟余聞」の 「高知県人で土佐史談会員の市村梅太郎君が、少壮の時この今井信郎氏に面会し、親しく暗殺当時の物語を聞いたことがあった」の談話で 藤吉と龍馬が刺客に抗戦してるところ

1 0 0 0 土佐史談

https://t.co/rrIELA7sr2 武市佐市郎が「古老の話に、明正寺には各地の志士が集まって付近の子供たちに花火など作って遊ばせたり、武道を教えたりした。 地元の小祭りに相撲の催しがあり、志士たちは地元の若者相手に相撲をとっていた」と書いてるのが好き 元力士の真田、無双できるじゃん
https://t.co/5NVZI46ASp 『「坂本龍馬」の誕生』著者の博士論文 国会図書館に行かないと読めないかと思っていたらNDL経由でも公開されてたんですね
https://t.co/V1A0VemA5F 『画人河田小龍』読み終わった 知らなかった維新後や交流関係が多くてこんな面白い人なんだ~と今更びっくりした

1 0 0 0 土佐史談

https://t.co/rX0qu6XBo7 菊屋と鹿野家の関係や場所、積読してたとさ史談「菊屋峯吉(鹿野安兵衛)そのあと」ですぐ分かった 出てくる人物や出来事が相当面白かった https://t.co/vcwhgaQ2xe

1 0 0 0 土佐史談

https://t.co/wgT4smba1s 日比谷で開催された「東亜問題尽瘁の先覚志士慰霊祭」の対象に岡崎も入ってるけど遺族の人に案内状がいってないのかな。 対象が広すぎてその人物アリなの?ってなる
昭和8年の田中光顕が坂本中岡のお墓参りしてる写真は墓前の様子変わらないな~!いつも霊山でおまいりしてる場所に光顕が立ってる~!てなる。 京都放送局で放送した光顕のラジオ談話も音声で聴きたい。 https://t.co/jpPALY4yM7 https://t.co/uouJz3ALlZ
明日は圓さんの誕生日!圓さんの好きなものを食べるんだ! …としたいところですが「圓翁は母上からの教えを守り、好き嫌いを言わなかった。振る舞われた料理に一度も非難を言うことがなかった」という話が伝記にあって
https://t.co/dLwXxKlQ7K 文久2年12/4の武市さん→おとみどの家信 間崎さん&弘瀬が高知に帰るから届けてもらってたんだ!!
酔鯨の影に―土佐藩 山内豊範 / 嶋岡晨/ https://t.co/4fNfCq14EP 嶋岡さんの「酔鯨の影に」は山内豊範が主人公になった唯一の小説かと思う

1 0 0 0 土佐史談

https://t.co/qVsRBE2Vhl 『史跡ガイドとさの自由民権』で「孤城落日の此君亭主人が隆盛を極める松鶴楼主人を斬殺した商売敵への凶行」とあってはぇ~~!と思い 同じく公文先生の「此君亭と丸山台」を見たら此君亭は経営不振で松鶴楼に買収されてるんだ https://t.co/uVAKCroO5h
https://t.co/4xZ87srNav 光顕が佐川の「伯爵田中光顕公宅址」の石碑の前で撮ってる写真 別バージョン

1 0 0 0 日高村史

https://t.co/nIzHfp9GbC 別件で『日高村史』ポチポチしていたら中村真夾男の写真が載ってた。 やっぱり光顕伯の佐川帰郷記念の集合写真の中で、 光顕の右隣にいた人が真夾男だった!! https://t.co/Xzxiyb3aat

1 0 0 0 東津野村史

『ひがし津野村史』、「能津に藤岡神社として宮地宜蔵の首を祭る所がある。」ってなんですか!? 首!?宜蔵は病死なのに!? あと生家の写真があったんだ!! https://t.co/xUnp9qd8Y4
https://t.co/gKrTqr3nfa 『こーち県議会史』を借りてたとき第一回高知県会の座席表を拡大して見てた!細川家蔵なんですね 議長が片岡さんで書紀が紫瀾&夢柳というドリー夢! https://t.co/wPcyQnaIYj
御茶屋の玄関でわめきながら縛られて強制退場されていく有隣おじさんが浮かぶ~

17 0 0 0 OA 維新日乗纂輯

https://t.co/VCf1zIXKvJ 白石さん日記の同日(文久3年10月15日)には 「夕方御茶屋へ行き…富永有隣訳有て縛せらる」とあって、やっぱり縛られていく有隣先生~

1 0 0 0 幕末維新

https://t.co/dv4sPhzaiM 豊範、エピソード類が少なすぎて神本『土佐の殿様列伝』の著者ですらぶっちゃけ書くことないです!と困ってる~ 山内家史料の豊範逝去記事に収録されている「清水昌六手記」は、家臣が幕末の豊範エピソードを語った珍しいものだと思う
NDL個人送信で『勤王志士富永有隣先生小伝』が読めるようになったので調べやすくなったな~と。小冊子でちょうどいい。 「土佐勤王党と先生」で紹介されてる大石家の有隣文書の真相がわりとしょーもなくて好き何度も読んでしまう
https://t.co/Y07TXYPX4I 『片岡健吉せんせい伝』で見て副…長…?!

12 0 0 0 OA 続再夢紀事

https://t.co/msrzDzNgNa 容堂が小南さんに激怒した話し、最近容堂新書で知って 『よーどー公遺稿』上の閏8/25付近を探しても出典が見つからないな~
鈴村譲の若い頃の写真、えひめ県警察史の髷の写真しか知らなかった 断髪の写真もあるんだ~!!! https://t.co/gc3i4pKyIm

2 0 0 0 幕末維新

NDL 幕末維新. 第13編 (第十六代豊範公紀 明治三年三月四日~明治四年五月末日) https://t.co/7KaQ5zBeUI 「豊範公肖像(木炭画)」は、はじめ写真だと思ってたので絵なの!?でした…好きな豊範のひとつ 実物で質感を確認したいなーと見たいものリストに入れていた。作者誰なんだろう

1 0 0 0 幕末維新

https://t.co/o0t88Z6PMX 個人送信で『山内家史料 第十六代豊範公紀 幕末維新』の慶応元年から明治19年まで読めるようになったのはあまりにも強すぎる
https://t.co/IozGB614CI 直寛は種崎海岸での海水浴で妻鶴井と義妹の兎美(富)姉妹を亡くしてしまう。姉妹は春猪と清次郎の子。
@matsch_ https://t.co/MtEA0U8sE1 ガタ元帥と豊景さんはこちらです。日露戦争で山縣参謀総長の副官やってたからかもしれません。 貴族院研究会写真集は、名前は知ってるけど顔を知らなかった土佐上士二世ズの写真を大量に収穫できてめっちゃ良かったです
https://t.co/VQTT70b7DQ 羽田野さんの伝記だと、吉田の羽田野さん宅に潜伏した志士の中の一人として以蔵がカウントされてる。(次デジすごすぎる~) https://t.co/UiufXatuqF

52 0 0 0 OA 豊橋市史談

豊橋の国学者羽多野敬雄の書簡に文久3年12月の以蔵の動向が出てくるんだ。 羽多野さんへ攘夷事件を語ったり新居の飯田武兵衛本陣に泊まったりしてる。 https://t.co/8xzDM9MkbO

31 0 0 0 OA 維新土佐勤王史

大江卓の「懐旧談」、当時の勤王派上士といっても曖昧な態度であった、みたいな話で 「後年瑞山会を組織せられた時にも、谷子爵は我々がその入会を拒んだが、佐々木侯爵はすすめて入会をさせたのであった」 と言ってるけど谷さんも大江も瑞山会員名簿におらへん

18 0 0 0 OA 谷干城遺稿

谷干城の口から「ゼリーと称するもの及びいちご製のじやむ」がおいしかったという言葉が出るだけで面白い 谷干城「いちごじやむ…?」

17 0 0 0 OA 維新日乗纂輯

https://t.co/D0XMvXQgEA 白石さん日記、満26歳の谷さんに「谷守部といういう人十六才くらい」て 谷さんそんな幼いか…?

8 0 0 0 OA 佐川町誌

RT @T_urade1987: 『佐川町史』に那須盛馬の書翰がほぼ全文含まれています。平尾道雄は一部使っていますが、あまり知られていないものなのでは。西郷の一存で田中光顕が薩摩藩に召し抱えられたことなどが書かれており、興味深い。 https://t.co/qovq1zFYCs
著者 上野智子氏の「『武市瑞山獄中書簡妻及び姉・妹あて』の中の高知方言」 https://t.co/n0zTWM60Za と、瑞山書簡中の方言や話しことばを取り上げた諸星美智直氏の「武市瑞山文書から見た土佐藩士の言語について」もネットで読むことができる。 https://t.co/W0puRo5NLz

31 0 0 0 OA 維新土佐勤王史

https://t.co/zNxUwN7Jch 収蔵史料図録の見開きページに大石の和歌と嘉助の辞世の句が載ってた
https://t.co/OqE2018bbh 高知空襲で焼失した「土佐史料」の全索引がないかと去年いろいろ探してたんですが、国会デジタルで見れたんですね。今は読めない史料がたくさんある…
https://t.co/A4nfRxwVC0 瑞山の獄中書簡だと新牢が「投獄される人が増えたので牢を増築するそうだが、今のように御国のために行動した者を投獄するなら千畳敷が必要でしょう」と皮肉ったり、1日だけ新牢に移ったけど狭いし暗いし最悪!と出てきたりするので 西森さんの高知監獄話に再登場してワーイ

1 0 0 0 OA 南遊日誌

https://t.co/rRxUBfgI0e 河野広中が明治12年に高知県に来たときの「南遊日誌」 立志社の豪華メンバーが出まくってる その中で反民権派の池知退蔵が2回も広中を訪ねてきている

18 0 0 0 OA 谷干城遺稿

次世代デジタルライブラリー様のおかげで、未見だった『干城遺稿』中の晩年の大石圓を知ることができました。 明治33年10月25日の「計らずも大石弥太郎氏来り久しぶりに面会す 丁字結にてなお壮健なり」で泣きそうです。明治30年代の圓は貴重すぎる https://t.co/4BqQnOGvEC

9 0 0 0 OA 南国遺事

https://t.co/JdZ9vNYP3P 盛節(天保~安政にかけて土佐藩士格の子弟の間に歌われた歌)の歌詞はいろいろなバージョンがあるけど 十番の「問う文と武は昼励み 夜は衆道で血気をば」はダイレクトすぎるッピ!

2 0 0 0 OA 旋風時代

中江が「僕は維新のもぐり志士は嫌いじゃが隈山先生と滄浪先生は好きです。それに僕は滄浪の詩が好きです。腹を切るとき泣いたと言いますが、僕は滄浪を崇拝しちょります」と滄浪の詩を吟ずる場面、 創作でも泣いてしまう https://t.co/scv9wFnbOW

2 0 0 0 OA 旋風時代

貢太郎の『旋風時代』っておかざき恭助の名前が出てた覚えがあるな~とめくってたら とみなが有隣先生は脱隊騒動で敗死したことになってた。

2 0 0 0 OA 凡人非凡人

https://t.co/uvO3PJYNYJ 横山源之助の本、『凡人非凡人』の方で「柱に凭れて眠っている人」→「旧時代の人」の順で読むと 維新政府転覆の中心にいた明治初年の岡崎と、下町の印刷所で昼寝してる晩年の羽田老人のコントラストが…こう…

4 0 0 0 OA 怪物伝

@tohyaofficial https://t.co/kO9ZJsQnbE 横山の『怪物伝』で検索したら国デジで読めました。 思い切り葆光社時代の羽田の話でびっくりしました

31 0 0 0 OA 維新土佐勤王史

「農商務大輔時代の品川弥二郎が高知県に来訪した際、瑞山の遺家を訪ねて獄中自画像をもらい受け、石摺りして周囲に配布した。原本は畏れ多くも宮内省に献上した」 と『勤王史』さんにあるので、やじの来高が気になってる。 明治14年に高知県へ樹を贈った時とは別みたい? https://t.co/pLoV9Tc5cf https://t.co/argDtxY3Ff
CiNii 論文 -  須磨琴と八雲琴--幕末維新時流行の琴の一考察 https://t.co/BOKvb6xOuI #CiNii

1 0 0 0 OA 片岡健吉

https://t.co/sDCwD5r1tt 板垣は明治36年の片岡健吉追悼会での演説でも藤・村松コンビの話をしてるけど 「西南の乱に二人の壮年が土佐より日向に赴きて薩軍に投じ」と名前を出してないので「藤好」さん認定してたのか分からない

1096 0 0 0 OA 英雄と佩刀

ミネルヴァ日本評伝選の『山内一豊・忠義』にて、 Webで読める忠義の逸話として紹介されていた 「山内忠義の関の孫六」 https://t.co/EmBHa30GU9

4 0 0 0 OA 吉田東洋遺稿

https://t.co/SMXwliM4nR 吉田東洋が豊熈公の参勤の道中におうちの夢を見てホームシックな詩(題が「夢家郷」)を作る話は 東洋遺稿の「南海山易雑記」や福島版『よしだ東洋』の16ページからだった

4 0 0 0 OA 吉田松陰全集

https://t.co/jwetYMQyZv 松陰全集5巻で読めました!

3 0 0 0 OA 真木和泉守

@shibawankok2 https://t.co/3gNUEmblyC 「菊四郎には二人の子女があった」とありました。若い印象があったのでびっくり!いつの間に!

7 0 0 0 OA 吉田松陰全集

https://t.co/zWU7adQ4IA 「その名前がいいね」と君が言ったから 七月四日は有隣記念日
@poyasyogaku https://t.co/lEdrhzAPZo 岡田○吉は自信ないのですがこちらです。 駿吉さんは国立公文書館の林有造口供の後半に出てきますが、有造はいろんな本に立志社の獄の顛末を話してるので他の本にも出てくるかもしれないです。
https://t.co/fsyBp0kuTL フォロワッサンのツイで知った。 片岡直温、大選挙干渉についても語ってるんですね

1 0 0 0 OA 土佐名鑑大全

https://t.co/qqb5p50HSJ 十川村の田邊医院 田邊家豪は土佐勤の田邊豪次郎? 医者という印象が全く無い

1 0 0 0 OA 土佐名鑑大全

https://t.co/ShHJ3nKKuB とさ名鑑大全ポチポチ 明治40年代に高知で開業していた弁護士として中岡照行を見つけた。 慎太郎の故郷宛の手紙に初太郎様と出てくる慎太郎のお姉さんの息子

1 0 0 0 OA 土佐名鑑大全

北川重光さん、野根尋常小学校の校長先生だった 大石家の記録にも重光さんは野根村の人とあったhttps://t.co/PW9fSNzEam

1 0 0 0 OA 土佐名鑑大全

中岡(安部)正十郎、『こーち県人名辞典』には立志社一等発起人・第八十国立銀行取締役と支配人、高知県茶業組合取締所頭取という履歴があり 土佐名鑑大全をポチポチしていたら明治42年頃に土佐慈善協会の副会長とあったので、色々やってるんだなと思い出していた。 https://t.co/K7r6lBcM96
https://t.co/qdEgrDELOw 片岡直温『大正昭和政治史の一断面 : 続回想録』が国会デジタルで読めるの忘れてた

1 0 0 0 OA 土佐紳士録

https://t.co/L5sHWwKFfs 『土佐紳士録』見返してたら鈴木商店に入社したばかりの岡田虎輔さんの住所載ってたんだった。 神戸住の土佐人は鈴木商店の関係者が多いのだけど、虎輔の肩書は農学士なのか(札幌農学校卒)
RT @TatsuUwa: 亡くなられた色川大吉さんは自由民権運動研究や民衆史で有名な方でしたが、1968年に「資料紹介 佐々木高行日記(前)ー天保から慶応3年まで 尊攘派下士の足跡ー」を執筆されています。色川大吉さんには数年前一度お会いしたことがありました。 https://…

4 0 0 0 OA 奇兵隊日記

好きな問題児有隣は、奇兵隊日記文久3年10月の 「富永有隣 御茶屋において総管に相背くに付き 御玄関にて狙撃隊へ命じ縛り連れ帰り候事」のゆーりんです!
CiNii 論文 -  民権派儒学者山本梅崖について : その思想形成を中心に https://t.co/exyRt7usSU #CiNii

31 0 0 0 OA 維新土佐勤王史

嘉助が圓を訪ねて渡した辞世色紙 『勤王史』だと圓氏所蔵になっていて、『とさ勤王志士遺墨集』になると青山文庫所蔵になるから どうして…いつから… ということは、他にも圓のものが青山文庫に渡ってるのかなあ~~と気になってる

4 0 0 0 OA 長宗我部信親

https://t.co/cPNNMbNmQN 森鴎外の叙事詩「長宗我部信親」が弘田親厚の息子の弘田長の依頼で書いたものだったとは。 「長宗我部信親自註」は鴎外全集じゃないと読めなかった。

8 0 0 0 OA 後藤象次郎

いわさき鏡川の『後藤象次郎』で 「土佐藩では断袖分桃(男色)のこと大いに行われ…保弥太は容貌俊秀、中山左衛士の愛する所となり、情交日に濃くなり」でアラアラアラ~~~!?って叫んだことを思い出した
村瀬 典章 「伊藤三弥(謙吉)に関する一考察 ―天誅組志士、政治家、実業家―」 愛知大学綜合郷土研究所紀要 https://t.co/LurBMqcrb5
ヨース ジョエル「民権派記者たちの投獄記録―近代国家の黎明期における監獄と「異論」の一考察―」 高知県立大学紀要 文化学部編 https://t.co/lIBTFIxnWh
RT @zasetsushirazu: 慶応元年閏5月11日(1865年7月3日)、武市瑞山(武市半平太)と岡田以蔵が死去。笹部昌利「幕末期土佐藩の国事運動と「政治犯」化」(『京都産業大学日本文化研究所紀要』26、2021年)は、武市ら「土佐勤王党による藩外交主導の状況」に対す…
https://t.co/Oy2Yy6KWIi 幕末期土佐藩の国事運動と「政治犯」化 : 「御用状」にみえる土佐勤王党への対応を素材に 「土佐藩京都藩邸史料」では土佐勤王党のこともこんなにいろいろ書かれてるんだあ…!面白かったです

31 0 0 0 OA 維新土佐勤王史

https://t.co/jElmf1LvSG 維新土佐勤王史読者に一大インパクトを与える尾崎幸之進さんの「奇行異装」集!! RT
RT @zasetsushirazu: 笹部昌利「幕末期土佐藩の国事運動と「政治犯」化」(『京都産業大学日本文化研究所紀要』26、2021年)は、「武市半平太ら土佐勤王党により主導された藩外交のありようを、藩当局者が如何に捉えていたのかを考察」。その際、行政を監査した小目付たち…

1 0 0 0 OA 土佐之武士道

https://t.co/3RCwWQEZye たおか典夫の短編「しばてん榎」の元ネタは 小八木屋敷の榎の木に出た妖怪からとっているという話好き (この本でしか小八木邸の怪異の話を見ないので探し中)

16 0 0 0 OA 維新日乗纂輯

https://t.co/K3NsUdJYF4 水戸の酒泉さん日記だと 「武市は勇気平素に増し、笑を含み短刀を持ち腹を屠り腸つかみ出し官吏に向かい是でよしかと問い笑含みて死に入る」 「平井は腹を屠り腸を引出して抛ちたり」 「間崎の最後は謹粛にありしと由」 と、えらいことになってるぞ土佐勤王党幹部の切腹

31 0 0 0 OA 阪下義挙録

RT @TatsuUwa: 田中光顕が坂下門外の変を語っていて、田中同様長生きした渋沢栄一の話も出てきます。田中は安藤信正を襲った浪士側を顕彰するわけですが、この本のインタビューで、安藤信正をある部分だけ褒めていて、それが田中の勝手な理屈で面白いです(笑) #青天を衝け htt…

7 0 0 0 OA 谷干城遺稿

https://t.co/ksYDlTmEiH 谷さんが「余と山内家との関係」で山一商会の失敗の黒幕は板垣と後藤のせい><と語ってるの好き。 「この大失敗の大参謀は板垣と後藤なり。金子真辺は両氏の犠牲となれり。これより後藤板垣氏山内家に遠くなれり」
https://t.co/tQw4EWZ1kw 瑞山関係文書の年譜に「獄の中番浜田良作 門谷貫助 夙に勤王党の同志河原塚・門田・曽和・上田等と親交あるをもって常に瑞山の為めに便宜を与え…」とあるので 元から勤王党の一部と仲良かったのかな 瑞山獄中書簡で中番貫助さんが出るところ読み直したい

25 0 0 0 OA 生きている歴史

https://t.co/iczbhDD9It 虎太郎の人物評を読むの好きなのですが 虎太郎の甲冑姿を目撃して「甲冑に身を固めてその上から目の覚めるような猩々緋の陣羽織を着て…実に見事な武者姿でした。…しかし相当重いと見えて家来が二人がかりで後からその兜を支えるようにして歩いて行きました」も面白いな~

25 0 0 0 OA 生きている歴史

RT @TatsuUwa: 長生きした歴史の目撃者フリークの私がオススメしたい本。これや篠田鉱造の『幕末百話』『明治百話』『幕末明治女百話』などを読むと今は亡き曽祖母や祖父からもっと昔の話を聞いておくべきだったと思います。 生きている歴史 - 国立国会図書館デジタルコレクショ…

7 0 0 0 OA 谷干城遺稿

谷さん赤ズボン事件は谷の「長崎及上海日誌」に記載がないので元ネタはどこなんだろう?と思ってたら 千頭清臣の談話からかもしれない? https://t.co/PidULG3n8i

1 0 0 0 OA 〔嘆願書〕

https://t.co/qVNP4tCOvD 〔嘆願書〕 作成者:桑津一兵衛(高知警察署詰警部惣代) 年月日:明治10年8月16日 宛先:小池国武(渡辺国武)(権令) 内容記述:西南戦争等により人員が不足しているので警部増員を嘆願。

31 0 0 0 OA 維新土佐勤王史

半右衛門さんの印象薄くて寺子屋の先生だったと知らなかったんですが『いしん土佐勤王史』の時点で「納屋広きによりて近隣の児童を集め習字を授けて読書を送り…」とあったんだ さ、サムライせんせい〜〜〜 https://t.co/d6xrSI0Jmm
昭和二年の宝泉寺墓前祭に、くもん菊僊?も出席してるらしいことに興味がある(龍馬会の主催だから?) https://t.co/YiL1IgHVT0 https://t.co/PDyD03Xkr5
昭和二年の宝泉寺墓前祭に、くもん菊僊?も出席してるらしいことに興味がある(龍馬会の主催だから?) https://t.co/YiL1IgHVT0 https://t.co/PDyD03Xkr5

お気に入り一覧(最新100件)

宮間純一さんから『明治太政官文書を対象とした分散所在史料群の復元的考察に基づく幕末維新史料学の構築』(東京大学史料編纂所研究成果報告、JSPS科研費研究成果報告書)をご恵贈いただきました。ありがとうございました。貴重な成果報告、じっくり勉強させていただきます。 https://t.co/iHwourvDKY
拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」(『神田外語大学日本研究所紀要』9号、2017年)では、亀山社中について、「実態としては小松帯刀配下の土佐藩脱藩浪士を中心とする一団を指す。https://t.co/A65OnLvEDg……
拙稿「慶応期後半の中央政局と薩摩藩―幕薩・薩長融和と薩英戦争を中心に」(『神田外語大学日本研究所紀要』15号)は「KUIS学術情報リポジトリ」で公開されました。 https://t.co/AMFvBExx7b
知野文哉氏の博士論文「土佐明治維新史とその歴史意識の形成-坂本龍馬を中心に-」。読み応えがある。 なお知野氏には、著書『「坂本龍馬」の誕生』(人文書院)や、論文「坂崎紫瀾と土佐明治維新史の形成」(『鷹陵史学』46)、「瑞山会考」(『土佐史談』274)などがある。 https://t.co/zfid4b1L5f
平尾先生が武市先生を、利謙さんが利通ちゃんを、柏が巌を、高木惣吉が権Bを語っている本 https://t.co/qbTdRloWmX
https://t.co/jw7qAKBFcb これは佐野が馬車事故(塀に激突したらしい)で骨折してもう歩けないと医師に言われていたところ、リハビリを頑張って驚異の回復を成し遂げ歩けるようになったという全俺が泣いた話があってだな…… 回復した祝いの晩餐会に大木を招いた時の書簡
私の推し山縣有朋本は入江貫一著「山県公のおもかげ」ですぞ https://t.co/ofXdaxMt43

4 0 0 0 OA 吉田松陰全集

この時に塾生と講師の富永有隣で禁煙しようってなったんだけど、有隣が禁煙を破ってそれに怒った高杉さんは「煙管を折るの記を読む」って文を書いた。で、それを読んだ松陰が「暢夫の"煙管を折るの記を読む"を評す」ていうのを書いてる https://t.co/zvMYOdoGAl
@oretatami https://t.co/cdWaTuLNlX こちらにありました!!
前RT:『国立国会図書館月報』2022年5月号、「大公開! 国立国会図書館での資料のデジタル化作業」より。6ページからですね。すご。いや、特撮っぽい作業風景もだけど(笑)、デジタル化のプロセス詳解、参考になります。https://t.co/rAtEl0FnMT

8 0 0 0 OA 佐川町誌

『佐川町史』に那須盛馬の書翰がほぼ全文含まれています。平尾道雄は一部使っていますが、あまり知られていないものなのでは。西郷の一存で田中光顕が薩摩藩に召し抱えられたことなどが書かれており、興味深い。 https://t.co/qovq1zFYCs
田中新兵衛が鵜木孫兵衛、志々目献吉らと島田龍章を暗殺した出典って小河一敏の入薩日記だったんですね。余り知られていないのでは。 https://t.co/9SDZBgECGb
大正3年2月28日、漢学者の岡鹿門(岡千仭)が死去。幕末の仙台藩出身で、昌平黌で知り合った友人・松本奎堂(後に天誅組の総裁)と共に塾を開いた。閻秋君「明治初期の日本における米国史の受容について」(『中国文化 研究と教育』77)は、岡が翻訳した『米利堅志』を分析。 https://t.co/XNLsI2glMW
大正2年2月17日、坂崎紫瀾(坂崎斌)が死去。坂本龍馬を主役に据えた小説『汗血千里の駒』の作者で、瑞山会の『維新土佐勤王史』の執筆も担当した。知野文哉「坂崎紫瀾と土佐明治維新史の形成」(『鷹陵史学』46)は、土佐の維新史を語る上での坂崎の重要性について考察。 https://t.co/llVIzrnJpP
小千谷談判辺りのことを改めて見直していると「なぜ?」「もしこうだったら違う結果になってた?」とか色々疑問が湧いてきたところで、この論文を見つけたので読んでみようと思う。 CiNii 論文 -  「岩村高俊自傳草稿」の翻刻と解題 https://t.co/ImeVlscwXR #CiNii
戸山銃声『人物評論奇人正人』(活人社、大正1)に「大謀叛人 活版屋の監督 岡崎恭助」がなんと立項されていました。国デジで読めます(コマ134-136)。 https://t.co/caT4ZkmTG5
「日本近世窯業史」は国デジにありました。コマ21に畑(羽田)恭輔の名があります。日本硝子会社は同書では当時の三大硝子会社に位置付けられており、羽田は最初の社長と記されています。驚いたのはコマ20に「神原精二」が伊藤契信の援助者として出てくることです。(続 https://t.co/cXmTuPDOVQ

21 0 0 0 OA 関八州名墓誌

有名人の墓を巡る人を掃苔家というが、昨今は墓マイラーとも言うらしい。大正時代の時山弥八もそんな趣味を持った人物。関東大震災で原稿を失う悲劇の乗り越えて大正15年『関八州名墓誌』を上梓した。来年の大河の主人公北条義時、宮本武蔵、吉田松陰、近藤勇など多士済々。https://t.co/dAcbZSjlWC
近世の誕生日のお祝いについてはこういう論文がありますね。将軍は祝われていたし、庶民も子供のお祝いをしてたみたい。そこそこ行われていたようです。奈良時代からのルーツがあるので、西洋文化の影響だけではないっぽい。 「近世における誕生日」鵜澤由美 https://t.co/AO4xwUhBmJ

5 0 0 0 OA 史籍雑纂

次は平井収二郎『隈山春秋』。土佐勤王党の平井収二郎の在京日記で、武市の在京日記と見比べて読むと楽しいです。岡田以蔵が大坂で麻疹にかかった際の「30歳以下でかからない者は居ない」の記述はこちらに載ります。『史籍雑纂』第5にあり、国デジオンラインで読めます。 https://t.co/cHGFEBF82T
笠谷和比古「幕末の「不平等条約」問題に関する一考察」(『大阪学院大学法学研究』47-1・2、2021年)によれば、「日米修好通商条約をはじめとする一連の国際条約は、その締結当初は決して不平等条約ではなかった。それが明治の時代に移行するなかで不平等条約化」した。 https://t.co/Q4um91vNEU
本間精一郎が気になり調べたら『越佐維新志士事略』という本を国デジで見つけた。大正十一年刊。 https://t.co/GCo7G2dOEn
亡くなられた色川大吉さんは自由民権運動研究や民衆史で有名な方でしたが、1968年に「資料紹介 佐々木高行日記(前)ー天保から慶応3年まで 尊攘派下士の足跡ー」を執筆されています。色川大吉さんには数年前一度お会いしたことがありました。 https://t.co/vNAtEfGjnn
昭和14年9月7日、渡辺蒿蔵(天野清三郎)が死去。吉田松陰の松下村塾門下生の、最後の生き残り。幕末期には奇兵隊にも加入した。海外留学して帰国した後、造船技術者として活躍。牛見真博「近代造船の先駆者・渡辺蒿蔵(下)」(『大島商船高等専門学校紀要』51)が詳しい。 https://t.co/TZY3B5mDna
慶応元年閏5月11日(1865年7月3日)、武市瑞山(武市半平太)と岡田以蔵が死去。笹部昌利「幕末期土佐藩の国事運動と「政治犯」化」(『京都産業大学日本文化研究所紀要』26、2021年)は、武市ら「土佐勤王党による藩外交主導の状況」に対する土佐藩当局の対応などを分析。 https://t.co/WvTSa3GYHr

12 0 0 0 OA 続再夢紀事

容堂公が老中部屋に出入りしていたならそこで会うことはありそう。春嶽公は政事総裁職のとき別に控え室貰ってたみたいなので、そこで面会していたのか、又は城内に大名同士向けの面会スペースがあった?例えば梅屋敷事件の後周布さんの赦免を説得した場所はどこだったのかな。 https://t.co/jBt1lTBhUz https://t.co/Z6gBT8t93d https://t.co/vAgBuctbdQ
明治30年5月3日、伊賀陽太郎が死去。幕末の土佐藩主・山内容堂の甥で、井上琢智「小野梓を支えた土佐の人びと」(『早稲田大学史記要』45)曰く、「宿毛の邑主として、戊辰戦争では宿毛を代表して機勢隊を結成」した後、約10年の英国留学を経験。小野梓や馬場辰猪を支援した。 https://t.co/zko8s7ORHM
明治29年5月1日、中沼了三(中沼葵園)が死去。幕末維新期に強い影響力のあった儒学者で、門人に西郷従道や中岡慎太郎など。明治天皇の侍読を務めたが、三条実美らと対立して辞職。藤原正信「「隠岐騒動」再考」(『龍谷大学論集』472)は、出身地・隠岐の明治維新を分析。 https://t.co/aL5VlOpYwo

8 0 0 0 OA 光雲懐古談

これは何度読んでも面白いです。『幕末維新懐古談』のタイトルで岩波文庫からも出ています(私が持っているのは岩波文庫版)。 https://t.co/ras4a1DbQQ

31 0 0 0 OA 阪下義挙録

田中光顕が坂下門外の変を語っていて、田中同様長生きした渋沢栄一の話も出てきます。田中は安藤信正を襲った浪士側を顕彰するわけですが、この本のインタビューで、安藤信正をある部分だけ褒めていて、それが田中の勝手な理屈で面白いです(笑) #青天を衝け https://t.co/iW71AAdOfl

1 0 0 0 OA 巣内信善遺稿

古高俊太郎らですが、六角獄で斬り殺された可能性はあるでしょう。少し後になりますが刑死とされる村井政礼は出獄させると言われ、外に出されたところを斬られたと同獄にいた巣内式部が書いています。奉行所が私的なかたちで斬ったものを処刑と述べていたことになりますね。 https://t.co/d5b4l94xid
明治10年3月4日、篠原国幹が死去。幕末の薩摩藩出身で、戊辰戦争で各地を転戦。西南戦争で西郷隆盛軍の幹部として戦い、戦死した。大谷正「歴史書と「歴史」の成立」(『専修法学論集』100)は、西南戦争の基本文献とされる黒龍会の『西南紀伝』の問題点などを指摘。 https://t.co/eoMqwoqJDv
『士族授産の政治的側面について : 国営安積開墾における久留米および高知士族入植の事情』https://t.co/h7EJcv9tUw

6 0 0 0 OA 往事録

西村茂樹が「往事録」にて回顧するところによると慶応三年十二月十三日(本人は十一月としていますが、途中まで一緒だった平野縫殿の記録では十二月)、西村は大坂に下る途中で伏見寺田屋に泊し、その地で土方歳三と土佐藩士の「小争闘」を見ています。 https://t.co/bjqM4uFMeW
別所興一「書評 羽賀祥二・名古屋市蓬左文庫編著『名古屋と明治維新』(風媒社)、秦達之著『尾張藩草莽隊 戊辰戦争と尾張藩の明治維新』(風媒社)」(『愛知県史研究』24、2020年)は、明治維新150年として2018年に風媒社から刊行された2冊の書籍の書評。 https://t.co/Nu4JMosO20
昭和60年3月7日、森銑三が死去。『森銑三著作集』が「正」と「続」の合計で30冊ある。高木浩明「資料紹介 森銑三刈谷日記・上(大正五年六月一七日~一二月三〇日)」(『書物・出版と社会変容』21、2018年)は、幕末の国学者・村上忠順の旧蔵書を整理したときの日記を紹介。 https://t.co/ilSY7MBGLd
昭和9年3月1日、長沢鼎が死去。幕末の薩摩藩英国留学生の最年少メンバー。帰国せず、カリフォルニアでブドウ王になった。森孝晴「長沢鼎の手紙の下書きとそこに込められた思いと精神」(『国際文化学部論集』13-1、2012年)は、留学生仲間だった森有礼への手紙を紹介。 https://t.co/3pNsWlJUrD
明治19年1月11日、小野梓が死去。大隈重信の腹心として、立憲改進党創設などに参加。大日方純夫「早稲田大学歴史館における小野梓の位置」(『早稲田大学史記要』49、2018年)は、小野が「教養をもった人によって構成される国家・社会をつくること」を目指していたと指摘。 https://t.co/glmt7PQiEt

8 0 0 0 OA 鯨海酔侯

鯨海酔侯に久しぶりに目を通して思い出した、この逸話がいつ頃のことなのか未だに手掛かりもなく不明。前後を文や供連れの少なさからすると、明治になってからのことなのかなあ。そして買い占めた容堂公は甘いものお嫌いだから、自分はひとつも食べなさそう。 https://t.co/tan83xgMqn https://t.co/bwA5ibdVGu
佐藤宏之「地域の記憶を未来につなぐ-明治維新150年とNHK大河ドラマ「西郷どん」の放映によせて-」(『桐蔭法学』24-2、2018年)は、維新150年の政策が、「地域の歴史・文化遺産を観光資源化し、保存・研究・学習よりも商品として消費すること」を重視している点を論じる。 https://t.co/XDYMB24Frv
明治9年10月20日、畠山義成(杉浦弘蔵)が死去。幕末薩摩藩の英国留学生(薩摩スチューデント)の一員。明治期に、東京開成学校校長などを歴任。犬塚孝明「杉浦弘蔵ノート」(『研究年報』15、鹿児島県立短期大学地域研究所)は、明治初年の米国滞在時の書簡などを翻刻。 https://t.co/AboM56BKcm
この、岩井孫六って人は何者なんだ…と探したらこんなんすぐ出た https://t.co/jJKISEh9zt この『江戸日記』すっごく読みたい。 安政三年、以蔵が父義平の代番として江戸に出足って、やっぱり江戸行きの名目は江戸湾警護の任務だ!
明治28年10月16日、石河確太郎(正竜)が死去。杉田成卿に蘭学を学んだ後、幕末の薩摩藩に招聘され、蒸気船の建造や開成所での講義などを担当。薩摩藩英国留学生の人選にも関与。田村省三「薩摩藩における蘭学受容とその変遷」(『国立歴史民俗博物館研究報告』116)参照。 https://t.co/wRrCUR9ATA
明治10年10月10日、手塚良仙(良庵)が死去。緒方洪庵の適塾で学んだ蘭医で、お玉が池種痘所を設立。幕府の歩兵屯所附医師を務めた。漫画『陽だまりの樹』に登場する、手塚治虫の曽祖父。湯川敏治「関西大学創立者手塚太郎と漫画家手塚治虫」(『関西大学年史紀要』10)参照。 https://t.co/FfpFN9wPML
明治39年9月28日、佐々友房が死去。幕末の熊本出身で、西南戦争の際に熊本隊の1番小隊長として、西郷軍に与した。佐喜本愛「紫溟会における「人物養成」観について」(『飛梅論集』3、2003年)は、西南戦争後の佐々らが創設した政治結社・紫溟会が、何を目指したのか分析。 https://t.co/fMaHhBDf0v
明治14年5月26日、斎藤利行(渡辺弥久馬)が死去。幕末の土佐藩重臣で、坂本龍馬が最後に帰郷した慶応3年に、コンタクトした人物。明治政府の参議を務めた。坂本保富「明治初期における教育近代化の問題状況」(『教職教育』2)は、明治期の小林虎三郎との交流を紹介。 https://t.co/K6OgWc7VmU
拙稿「慶応元年中央政局における薩摩藩の動向―将軍進発と条約勅許を中心に-」(『神田外語大学日本研究所紀要』10号、2018.3)がリポジトリで公開されました。ダウンロードも可能です。よろしければ、ご覧ください。https://t.co/e1wRWgUnqy

13 0 0 0 OA 七年史

『七年史』には面白い史料が引用されていますね。清河八郎の仙台藩、あるいは会津藩士宛てと推測される書簡など、とても興味深い。久光の大原勅使との東下を当初清河は快く思っていなかったこと、「関東にては会津奮起致すべくとも思い候」と考えていたことなどが分かります。 https://t.co/ASWRp5VWdK
大正7年11月4日、土方久元が死去。幕末土佐出身で、坂本龍馬・中岡慎太郎と共に薩長同盟を周旋(その言動は勇み足気味だったようだが)。町田明広「慶応期政局における薩摩藩の動向」(『神田外語大学日本研究所紀要』9、2017年)が詳述。 https://t.co/rJFbXsrcBp
明治21年7月19日、山岡鉄舟が死去。アンシン・アナトーリー「牛山栄治が編纂した山岡鉄舟の伝記について」(『千葉大学日本文化論叢』8)は、『山岡鉄舟先生正伝 おれの師匠』など、牛山栄治による山岡伝(全部で6冊ある)の問題点を論じる。 https://t.co/VpQIFicLTG
青山忠正「大政奉還後の政治状況と諸藩の動向」(『佛教大学歴史学部論集』7、2017年)は、大政奉還〜王政復古に至る政治動向を、主に新発田藩の史料から見る。大政奉還は薩摩、土佐、芸州、越前、尾張の朝廷工作の成果と見られていたらしい。 https://t.co/ZGwkSMmKdi
以前書いた『壬生浪士の思想事情』CiNiiに掲載されたようです。内容はともかく(笑)、これで論文扱いして頂いたことになるのでありがたいですね。 https://t.co/5WKv6IXwXc
拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」(『神田外語大学日本研究所紀要』9号、2017年)が既にダウンロード可能となっていました(^^)https://t.co/A65OnLMHFg メチャ大部で恐縮ですが、どうかよろしくお願いいたします。
昭和14年3月28日、田中光顕が死去。天保14年生まれの彼は「幕末の政争を生き延び、太平洋戦争の開戦前まで、九〇歳を超える長寿を全うした稀有な官僚、政治家」(安岡昭男・長井純市「田中光顕関係文書紹介1」『法政大学文学部紀要』52)。 https://t.co/VDVsrSRMte

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