著者
卯野木 健 林田 敬 河合 佑亮 對東 俊介 安藤 守秀 飯田 有輝 笠井 史人 川崎 達也 神津 玲 近藤 豊 齊藤 正和 櫻本 秀明 佐々木 信幸 佐浦 隆一 中村 謙介 大内 玲 岡本 菜子 岡村 正嗣 栗原 知己 栗山 明 松石 雄二朗 山本 憲督 吉廣 尚大 矢坂 泰介 安部 諒 飯塚 崇仁 井上 拓保 内山 侑紀 遠藤 聡 大倉 和貴 太田 浩平 大塚 貴久 岡田 大輔 小幡 賢吾 片山 雪子 金田 直樹 北山 未央 喜納 俊介 草葉 隆一 桑原 政成 笹沼 直樹 高橋 正浩 髙山 千尋 田代 尚範 立野 淳子 田村 貴彦 田本 光拡 土谷 飛鳥 堤 悠介 長門 直 成田 知大 名和 智裕 野々山 忠芳 花田 匡利 平川 功太郎 牧野 晃子 正木 宏享 松木 良介 松嶋 真哉 松田 航 宮城島 沙織 諸見里 勝 柳 尚弥 山内 康太 山下 遊平 山本 夏啓 劉 啓文 若林 侑起 渡辺 伸一 米倉 寛 中西 信人 高橋 哲也 西田 修 日本集中治療医学会集中治療早期リハビリテーション委員会
出版者
一般社団法人 日本集中治療医学会
雑誌
日本集中治療医学会雑誌 (ISSN:13407988)
巻号頁・発行日
vol.30, no.Supplement2, pp.S905-S972, 2023 (Released:2023-12-10)

重症患者に対する標準化された質の高いリハビリテーションの提供は,取り組むべき重要課題である。日本集中治療医学会では,2017年に「集中治療における早期リハビリテーション ―根拠に基づくエキスパートコンセンサス―」を発行したが,系統的にエビデンスを評価したものではなく,あくまでも専門家のコンセンサスに基づくものであった。そこで,日本集中治療医学会では,質が高く,かつ,医療従事者が理解しやすく,その意思決定に資することを目的に,システマティックレビューおよびGRADE(grading of recommendations, assessment, development and evaluation)アプローチを用いた診療ガイドラインを作成した。 重症患者に対するリハビリテーションに特化し,かつ,GRADEアプローチを用いた診療ガイドラインとしては,世界初の試みである。本ガイドラインは日本集中治療医学会集中治療早期リハビリテーション委員会を核に,ワーキンググループ,システマティックレビュー班,アカデミックガイドライン推進班から構成された診療ガイドライン作成グループの合計73名からなるメンバーで作成した。リハビリテーションでは多職種連携が非常に重要であることはいうまでもない。本ガイドラインも多職種,かつ多様な専門分野を持つ医師や医療従事者,ICU患者経験者を含む多くのメンバーが作成に寄与した。 本ガイドラインでは,グループメンバーによる議論に基づいて,8領域を注目すべき臨床重要領域とした。その上で,各領域から重要な14の臨床疑問(clinical question, CQ)を作成した。 パブリックコメントの募集を計2回行い,CQに対する回答としては,10のGRADEによる推奨,4つの背景疑問の解説が示された。また,CQごとに情報を視覚的診療フローとして作成し,各CQの位置付けがわかりやすいように配慮した。多職種が関与する重症患者に対するリハビリテーションにおいて,本ガイドラインが活用されることを期待する。
著者
岡田 大士
出版者
東京工業大学
巻号頁・発行日
2005

identifier:oai:t2r2.star.titech.ac.jp:50367406
著者
岡田 大助
出版者
早稲田大学大学院 社会科学研究科
雑誌
社学研論集 (ISSN:13480790)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.310-325, 2007-09-25

論文
著者
八川 慎一 岡田 大爾
出版者
広島国際大学 心理科学部 教職教室
雑誌
広島国際大学 教職教室 教育論叢 (ISSN:18849482)
巻号頁・発行日
no.9, pp.137-146, 2017-12-20

生徒指導提要には,「生徒が抱える課題は一人一人の生徒によって様々であるので,一人一人の生徒の性格,能力などや,さらに生活環境,発達の程度,学校での生活の状況など,一人一人の児童生徒に応じた効果的な生徒指導が必要」と書かれているが,個別の課題を抱える生徒についての変容を促す長期間の継続的・包括的取組みに関する事例研究は少なく,学校現場における長期間の継続的・包括的取組みの目的,方法及び生徒の変容及びその成果と課題について明らかにした。本研究の対象中学校は,各学年10数名の小規模校で中学2年生の課題が大きかった。約3分の1の生徒は,先生によって態度が大きく異なり,厳しく指導すると暴言を吐いたり,気分が悪いと言って保健室へ逃避したりした。担任を中心に指導を重ねるが,しばらくすると再発した。また,小学生の時から喫煙が常習化する数名の生徒は,トイレや更衣室,校外等で喫煙が発覚することもしばしばあった。様々な問題行動を繰り返す生徒たちに,後追いの治療的生徒指導にあたることが続いた。さらに,前年度から関わってきた教師たちの疲弊感と,課題の大きい生徒たちに関わりたくないという思いを強く感じる状況であった。このような実態の中,個別の課題を抱える生徒の変容を促すため,組織的で毅然とした治療的生徒指導をやりきることを継続すること,さらに並行して生徒を多面的,総合的に理解していくことと共に保護者との継続的な連携も重要であるととらえ,家庭訪問等を通して生徒・保護者と関わりきる指導を考え,実践した。さらに,疲弊していた教師たちも一緒に組織的に取り組む中で関わりきる達成感を感じさせるようにした。このような継続的包括的な取組みを通して,生徒・保護者との信頼関係を築き,生徒指導上の課題を解決し,個別の生徒の変容とともに生徒全体の将来における自己実現を図る自己指導能力の育成に効果が見られた。一方,生徒指導体制の小中連携(小学校と中学校の連携)に課題が残った。
著者
濱保 和治 山崎 敬人 岡田 大爾
出版者
一般社団法人 日本理科教育学会
雑誌
理科教育学研究 (ISSN:13452614)
巻号頁・発行日
vol.59, no.3, pp.467-475, 2019-03-25 (Released:2019-04-12)
参考文献数
11

近年,教科を学ぶ意義や有用性についての意識の欠如とキャリア教育の重要性が指摘されている。平成20年9月「中学校学習指導要領解説理科編」においても,「日常生活や社会との関連」について理科で学習することが示され,理科学習でも教科内容との関連において,キャリア教育との関連を意識した指導を行うようになった。しかし,生徒の「日常生活との関連」についての意識は向上しているものの,理科学習の有用性を生徒自身に理解させることはできていない。そこで,大学との連携によって研究者が単元の学習内容に直接関わる授業を行い,社会貢献や職業選択のきっかけや夢などの話題を提供するといった教科学習に組み込んだキャリア教育を行うことで,教科学習の有用性を生徒が実感し,学習内容の深化を図るとともに将来の職業選択の可能性を広げることができると考えて,授業を計画・実施し,その効果を検証した。その結果,理科学習の有用性のうち職業生活への有用性や日常生活への有用性,及び日常生活との関連,学習意欲の向上に効果があることがわかった。
著者
栗田 浩樹 大井川 秀聡 竹田 理々子 中島 弘之 吉川 信一郎 大塚 宗廣 岡田 大輔 鈴木 海馬 佐藤 大樹 柳川 太郎
出版者
The Japanese Congress of Neurological Surgeons
雑誌
脳神経外科ジャーナル = Japanese journal of neurosurgery (ISSN:0917950X)
巻号頁・発行日
vol.21, no.11, pp.842-847, 2012-11-20
参考文献数
15
被引用文献数
1

Orbitozygomatic approachはpterional approachの応用で, より外側下方から頭蓋内高位を見上げる手法である. 本稿では, われわれが施行している基本手技 (1-piece method) について解説し, 脳血管外科領域における本法の臨床応用について検討したので報告する. 過去2年間に施行された脳血管外科手術290例 (脳動脈瘤直達術251, 脳動静脈奇形 [AVM] 摘出術39) のうち, 本法が適応されたのは7例 (2.4%) であった. 内訳はcoil塞栓術が困難と判断されたBA-tip AN 4例, 高位BA-SCA AN 2例と, 大型の左medial temporal AVM症例であり, 術後は全例で病変の消失が確認され, morbidityは1例にとどまった. Intravascular treatmentが普及した現在, 脳血管領域では使用頻度こそ少ないが, 広いsurgical corridorが得られる本法は, 高難易度病変に対して必要不可欠なapproachである.
著者
岡田 大輔
出版者
情報知識学会
雑誌
情報知識学会誌 (ISSN:09171436)
巻号頁・発行日
vol.24, no.2, pp.139-146, 2014-05-24 (Released:2014-12-01)
参考文献数
6

近年,海外を含め,壁全面に広がる大型のホワイトボード(以下WBW) が多くの大学図書館・ラーニングコモンズに設置されている.WBWは「テーマ決め,発想支援のため複数人でイメージマップを作成する」などいくつかの使用方法が考えられる.しかし,WBWの有効性は明らかではない.今回はWBW の有効性を明らかにする前段階として,WBWの設置箇所・設置者の意図・使用事例を調査し,WBWの使用方法の類型化を試みた.
著者
岡田 大助
出版者
早稲田大学大学院社会科学研究科
雑誌
社学研論集 (ISSN:13480790)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.316-323, 2011-09-24
著者
岡田 大士
出版者
日本科学史学会
雑誌
科学史研究 (ISSN:21887535)
巻号頁・発行日
vol.40, no.217, pp.1-11, 2001 (Released:2021-08-17)

This paper has analyzed the path to the reform manifesto "Tokyo Kogyo Daigaku Sassin Yoko" in February 1946, which was a landmark in the so-called "Wada Reform", the immediate post-war university reform at the Tokyo Institute of Technology, named after the then president, Koroku Wada after the World War II. The analysis was based on manuscript records of the Reform Committee written by one of its members, which had never been examined before. The author took interviews from surviving emeritus professors who were members of the Committee. The reform process, from September 1945 up to January 31, 1946, when the Reform Manifesto was adopted, can be divided into the following four periods. I. From the end of September to November 2, 1945 : the Reform Committee, headed by the president Wada, discussed a reforming ideal. They decided to concentrate on the abolition of narrow-minded and overspecialized departments in the first stage of the university reform. II. November 2, to December 14, 1945 : the Committee tried hard and with various means to persuade unwilling faculty members into abolishing the departments. III. From December 14 to December 18, 1945 : at the end of the period, the university finally decided to abolish the departments in the plenary faculty meeting, employing the support of reform-minded junior members. IV. December 19, 1945 to January 31, 1946 : the committee discussed some details of the reform. And the Reform Manifesto was adopted officially in the plenary faculty meeting at the end of this period. The Reform Committee was concentrated on the abolition of the departments to reform the war-ridden university, not insisting on the dismissal of some "undesirable" faculty members, unlike in other universities. The Reform Committee consisted of ten members, including President Wada and Secretary General, represented liberal, even radical faculty members, and they reformed the university very swiftly. They employed the enthusiastic support of reform-minded junior members of the university and passive recognition of politically indifferent, narrow-specialty-conscious faculty who were at a loss after the war.