著者
岡部 大介
出版者
日本認知科学会
雑誌
認知科学 (ISSN:13417924)
巻号頁・発行日
vol.15, no.4, pp.671-681, 2008 (Released:2010-04-23)
参考文献数
21
被引用文献数
5

This study seeks to demystify one of a niche subculture of extreme female fans and mavens known as “Fujoshi” who get really into animation, comic, novel and so on. They call themselves self-mocking term “Fujoshi” and are willing to draw⁄read fanzines that are an underground hobby focused on romantic or homosexual relationships between male characters from various media texts. In this paper, I describe how they construct their identities and social relations through narrative and practice. First I frame this work as an effort to think the differentiation between “self” and &ldquoidentity”. Then I show the core characteristic of “Fujoshi” groups is the issue of hiding identity. The assumption has been in subcultural studies that the embodied external identity display in the face of mainstream culture is foundational. But “Fujoshi” culture does it differently. Although they make their identities invisible in everyday lives, that hiding practice paradoxically makes their identities visible in “Fujoshi” community. The other area that I found interesting was their ironical communication. Because they believe that “Fujoshi” activities are considered to be inferior to the &ldquonormal” females, they express their identities self-deprecatingly. I think this practice is a defensive communication against prejudice and is also a strategy to present their identities paradoxically.
著者
岡部 大介 伊藤 瑞子
出版者
情報文化学会
雑誌
情報文化学会誌 (ISSN:13406531)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.28-36, 2008-08-01
参考文献数
28
被引用文献数
1

本稿では,人々が日常的に持ち歩くポータブルデバイス(「モバイルキット」)がいかに都市空間において利用されているかを検討する。22人の調査協力者を対象に,携帯電話,音楽プレーヤー,クレジットカード,ラップトップ,PDA,IDカードといったようなモバイルキットの日常的利用について,インタビューと同行調査,そしてモブログによりデータ収集した。その上で,人々の都市空間における行動が,いかにモバイルキットを介してなされているかを分析したい。例えば人々は,音楽プレーヤーや携帯電話を用いて電車内などの空間を私的空間として再構築しようとするし,ポイントカードやメンバーシップカードで消費行動の「足跡」を蓄積する。このようにモバイルキットは,都市空間の持つ特徴を再構築し,私的な空間を形成する。従来の携帯電話の利用に関する研究では,主に対人コミュニケーションに関して焦点があてられてきた。本稿ではその視点を拡張し,場所やインフラと人との関係を媒介する存在としてのポータブルデバイスの存在に注力した。
著者
松浦 李恵 岡部 大介 大石 紗織
出版者
日本認知科学会
雑誌
認知科学 (ISSN:13417924)
巻号頁・発行日
vol.22, no.2, pp.268-281, 2015-06-01 (Released:2015-12-01)
参考文献数
23
被引用文献数
1

This paper analyzes the relationship between participation and learning represented in ethnographic case studies of ten informants aged 23-59 participating in a common-based peer production site, the FabLab Kamakura community. Digital-based personal fabrication is a new wave culture of mavens, who are devoted to alternatives to massproduction, and are on a mission “to make (almost) anything”. FabLab Kamakura is a valuable venue for exchanging information about, for example, digital tools, Arduino,crafts, textiles, and so on. First we frame this work as an effort to think about their participation and learning using the concept of “wildfire activity theory”(Engeström,2009) and “legitimate peripheral participation (LPP)”from Lave and Wenger (1991). Then we argue an overview of FabLab culture in Japan and at FabLab Kamakura. Us-ing SCAT methodology (Otani, 2011), we group our findings in two different categories:(1) learning through participation in FabLab Kamakura, (2) the visualization of weakties and mobility through participation in wildfire activities. We conclude that partic-ipants at FabLab Kamakura are producing and designing available artifacts for their lives and works, and in doing so, what they are designing is the physical manifestation of their very thoughts.
著者
松浦 李恵 岡部 大介
出版者
日本認知科学会
雑誌
認知科学 (ISSN:13417924)
巻号頁・発行日
vol.21, no.1, pp.141-154, 2014-03-01 (Released:2015-02-02)
参考文献数
24
被引用文献数
1

This paper analyzes the relationship between agencies and artifacts represented in ethnographic case studies of ten female informants aged 20–25 participating in the cos-play community. Cosplay is a female-dominated niche subculture of extreme fans and mavens, who are devoted to dressing up as characters from manga, games, and anime. “Cosplayers” are highly conscious of quality standards for costumes, makeup, and ac-cessories. Cosplay events and dedicated SNSs for cosplayers are a valuable venue for exchanging information about costume making. First we frame this work as an effort to think about their agencies using the concept of hybrid collective and activity theory. Then we share an overview of cosplay culture in Japan and our methodologies based on interviews and fieldwork. Using SCAT (Otani, 2011) methodology, we group our find-ings in two different categories: (1) Cosplayers’ agencies and relationships with others mediated by usage of particular artifacts, (2) Cosplayers agencies visualized through socio-artificial scaffolding and collective achievement. We conclude that cosplayers are producing and standardizing available artifacts for their cosplay objects, and in doing so, they are designing their agencies. We consider that the activities like them are one appearance we can observe in the other our mundane communities not apply only to cosplay one. Not only to cosplay, however we consider that these kinds of activities apply to other mundane communities.
著者
郡司菜津美 岡部大介# 青山征彦 広瀬拓海 太田礼穂 城間祥子 渡辺貴裕# 奥村高明#
出版者
日本教育心理学会
雑誌
日本教育心理学会第61回総会
巻号頁・発行日
2019-08-29

企画趣旨 パフォーマンス心理学とは,個体主義と自然科学主義を特徴とする心理学へのラディカルな批判から出発し(茂呂, 2019),人間の集合的発達を支えようとする新しい運動である。本企画では,このパフォーマンス心理学の具体について話題提供することで,これまでの学習と発達の捉え方との違いを示し,参加者皆で学習/発達観を発達させたい。 有元(2019)が「パフォーマンスという言葉を用いるということは,アームチェアに座って頭で考えることから心理学という学問を解放したいという意図がある」と述べているように,本企画では,学習と発達について主知的(intellectual)な理解をすることを目指すのではなく,理解のパフォーマンス化(performance turn)を目指してみたい。本企画では関連する2書『パフォーマンス心理学入門』(香川・有元・茂呂編著, 2019)および『みんなの発達!』(フレド・ニューマン著,茂呂・郡司・有元・城間訳,2019)から,発達とパフォーアンスに関する4つの話題を提供する。やり方を知らないことに取り組み,発達するためには,発達の場づくりを皆でパフォームする必要があり,それはアカデミアにしても同じことだ。パフォーマンス心理学においては,研究者自身もパフォーマンスの一部(青山, 2019)であることが前提とされる。 なお本企画は,SIG DEE(日本認知科学会 教育環境のデザイン分科会)が主催する。パフォーマンス・ターンをパフォーマンスする太田礼穂 本発表では,状況論におけるパフォーマンス心理学への転回(パフォーマンス・ターン)について理論的背景と方法論を比較し,発達的実践としての「パフォーマンス」の可能性を以下の2点から議論する。 まず,パフォーマンス心理学における,パフォーマンスの位置づけとその意味を紹介する。特にこのパフォーマンスが,個人に紐づけられた成果や技術という意味ではなく,たとえば乳幼児が遊びながら今現在の自分ではない自分に「成っていく」ような協働の過程に注目する理論的装置であることを紹介する。これを支えるヴィゴツキーの遊び論や演劇論,ヴィトゲンシュタインの言語ゲームの議論などの参照を通じ,パフォーマンス・ターンの意義を整理する。 次に,状況論との連続性と不連続性について紹介する。状況論(状況的学習論)では,人間の知的営みがいかに状況の中に埋め込まれ,その中に参加する人々がどのような存在になっていくかに注目する(たとえばLave & Wenger, 1991/1993)。これは人間の知的営みが社会的起源をもつというヴィゴツキーの理論に基づくものであり,人間の思考や学習の成り立ちを過度に内的プロセスから説明しようとする個人主義的アプローチとは異なる学習・発達に関する知見だといえる。パフォーマンス心理学もヴィゴツキーの理論に基づくという意味で,状況論と思想的起源を共有しているが,両者の違いはいったい何だろうか。本発表では「現実」の分析と制約という観点から,パフォーマンス心理学がもたらす「研究」と「実践」の接続の意味を考えていきたい。学校外における子ども・若者支援のパフォーマンス広瀬拓海 近年,貧困や格差が,子ども・若者にもたらす問題に関心が集まっている。本シンポジウムで話題提供者が注目するのは,以上のような問題を受けて,身近な子ども・若者のために勉強や食事,居場所を提供する新しい地域コミュニティをつくり出した人々の動きである。パフォーマンスとは,自分とは異なる人物に成ることであるが,それは既存の社会的な制約を超えた新しい活動やコミュニティを創造(ビルド)することと切り離せない。貧困問題という急速に現れて来た社会的な課題に対して,それらを良い方向に導いていくための地域住民のコミュニティビルドは,まさに今生まれつつある新しいパフォーマンスだといえるだろう。本発表では,以上のコミュニティビルド=パフォーマンスが,実際の社会的な文脈の中でどのように準備されてきたのかを検討していく。特に,このとき交換(柄谷,2001)の観点からそのプロセスを見ていくことで,パフォーマンスが歴史的な交換様式の変化の中で生じた問題への応答としてあらわれてくる可能性について議論する。教員養成におけるパフォーマンスの実際郡司菜津美 現在,新たに教員養成に求められていることとして,(1)主体的・対話的で深い学びの場作りができるようになること,(2)チーム学校の一員として仲間と共同することの重要性について理解させること,の2点が挙げられる。筆者は教員養成に携わる一人として,この2点を重視した指導を行ってきた。そのために応用演劇の一つである「インプロ」を用い,学生たちが教師としてのパフォーマンスを学習できるように重点を置いてきた。 ここでいう教師としてのパフォーマンスとは,やり方を知らないことに皆で取り組める場をつくることであり,講義ではこのことを先取り的に体験させた。またインプロとは,共同の価値を学習することができる演劇手法であり,集団の中で失敗を失敗にしない安心感のある場を作る体験ができるものである(Lobman & Lundquist, 2007)。講義ではインプロを用いたことで,学生たちはチームの一員として仲間と共同することの重要性に気付いたと考えられた。 ただ,こうした学生たちの姿は何かができるようになったというよりは,パフォーマンスの意味・意義を体験的に知ったという方が妥当であろう。そこから何が起きるのか?授業である以上,ここが最も重要である。 本発表では,筆者が実際に授業で実践しているパフォーマンスの効果について,皆さんと検討してみたい。みんなの発達のためのパフォーマンス城間祥子 『みんなの発達!』は,現代の社会や文化の中で感情の痛みをかかえて生きているごく「普通の人びと」の日常に,ソーシャルセラピーの実践的で批判的なメッセージを届けるために書かれた本である。この本には,パフォーマンス心理学の創始者のひとりであるフレド・ニューマンのソーシャルセラピーに参加した「普通の人びと」が数多く登場する。ソーシャルセラピーは,セラピーと称しているものの,従来の心理療法とは異なり,診断とそれにもとづく問題解決を目指さない。コミュニティを創造するプロセスを通して,自らのライフ(生活,人生,生き方)の全体を転換させる実践である。 ソーシャルセラピーグループは,参加者が自らの発達を創造することを支える場である。参加者は場に「ギブ」することで場の発達に貢献する。同時に,場の発達が個々の参加者に発達と成長をもたらす。グループで試みられた新しい生のパフォーマンスは参加者相互の「ギブ」によって完成し,問題がもはや問題として成立しなくなるような発達が生じるのである。 本発表では,ソーシャルセラピーのアプローチを理解する上で重要ないくつかの概念(ゲットとギブ,全体と個別,言葉,エクササイズ等)を共有するとともに,ニューマンの哲学と実践を,私たちの文化や日常を変化させるためにどのように用いていけばいいのかを議論したい。参考文献「パフォーマンス心理学入門 共生と発達のアート」 香川秀太・有元典文・茂呂雄二 編著 新曜社 2019「みんなの発達!ニューマン博士の成長と発達のガイドブック」 フレド・ニューマン・フィリス・ゴールドバーグ 茂呂雄二・郡司菜津美・城間祥子・有元典文 訳 新曜社 2019
著者
松浦 李恵 加藤 文俊 岡部 大介
出版者
日本認知科学会
雑誌
認知科学 (ISSN:13417924)
巻号頁・発行日
vol.26, no.4, pp.440-455, 2019-12-01 (Released:2020-03-01)
参考文献数
24

This paper analyzes the relationship between costume making as a hobby and interaction with the other family members and articfacts in a room represented in fieldwork study of a female informant aged 26 participating in “Costume Play” community. First we frame this work as an effort to think about their making at home using the concept of “interest-driven” activities and poaching. Then we share our methodology based on video observation and reflective interview. Our analysis of the scenes revealed that a hobby at home (especially, sawing) is a valuable venue for observing about subjective design process with some artifacts not only for sawing but also TV, DVD, laptop,smart phone and so on. In addition, continuing one’s hobby at home is to collocate one’s interest with the other family members’ multiple interests.
著者
郡司菜津美 岡部大介# 大内里紗 松嶋秀明 有元典文
出版者
日本教育心理学会
雑誌
日本教育心理学会第58回総会
巻号頁・発行日
2016-09-22

企画趣旨 本シンポジウムでは,学校インターンシップに着目し,状況論から見える2つの「思い込み」について議論してみたい。 学校インターンシップとは,「教員養成系の学部や学科を中心に,教職課程の学生に,学校現場において教育活動や校務,部活動などに関する支援や補助業務(文部科学省,2015)」のことであり,教員免許取得に必須である「教育実習」とは異なる位置付けで導入されはじめている。文部科学省は,この学校インターンシップの導入により,「理論と実践の往還による実践的指導力の基礎の育成」が達成されることを期待しているが,その学びを確実なものとするためには,十分な環境整備が必要であることも強調している。実際に,学生を受け入れる学校の確保,学生への事前・事後指導,学校側のニーズを把握する情報提供機会の確保といった環境整備のためには,教育委員会と学校,及び大学が十分に連携する必要があるだろう。 しかし,実態として,学生・現場教員・大学教員が連携するためのシステムは未だ十分に構築されているとは言い難く,学生が「理論と実践を往還する」ための十分な取り組みがなされていない現状がある(麻生,2016)。本シンポジウムでは,こうした現状を打開する一つの手立てとして,2つの「思い込み」に着目してみたい。2つの「思い込み」とは⑴学校インターンシップは「インターン個人が学習する機会」であり,⑵指導者が「その場で指導するもの」であるといったものである。これらの学校インターンシップに関する思い込みは,学校インターンシップという「インターンの学習のための制度」が前提となったカメラワークによって現前してしまうものであり,状況的学習論は個人から状況へとカメラをズームアウトすることにその特徴がある。本シンポジウムでは,2人の話題提供者から,それぞれの「思い込み」についての知見を提供していただき,今後の学校インターンシップのあり方について再考していきたい。本シンポジウムでは話題提供・指定討論の後,参加型のワークショップ形式でフロアとの対話を深めていきたいと考えている。話題提供学校インターンシップは「インターン個人が学習する機会」なのか?大内里紗(横浜国立大学大学院) 横浜国立大学大学院のカリキュラムには,「教育インターン」という必修科目が設けられている。今回は筆者の「教育インターン」における実践について紹介することで,学校インターンシップでは誰が・どのように・学習するのか,ということについて議論していきたい。 本実践は,非行・いじめ・校内暴力・学級崩壊などの問題を持つ課題集中校である公立中学校で行った。生徒指導上の問題を持つ男子生徒2名(P, Q)に対し,中学校教員と大学チームが連携して支援を行った。実践では,P, Qにとって必要な教材や人材といった支援・指導は何かを,かれら当事者2名と教員,大学の支援チームが共に話し合うオープン・ダイアログ形式(Seikkula and Olson, 2003)を採用した。この支援実践は「中・大連携学習環境デザイン研究」と名付けられ,中学校と大学チームの共同研究いう形式でP, Qも研究者の一員として始められた。2016年5月までに6回の実践を行い,うち3回が面接を,3回が学習支援を中心とした実践であった。 本シンポジウムでは第6回の実践における支援とその後の中学校教員と大学チームの対応を事例として,学校インターンシップが誰にとっての,どのような学習の場であるのか,を検討する。第6回はP, Qが中学3年生になって初めての,面接を中心とした実践であった。実践ではP, Qにまず学習,生活面それぞれにおいて「今困っていること」について尋ねた。志望高校についての意思表明とそのために必要な勉強への言及があったその後,「部活のルールが納得できないでいる」という話題が始まった。昨年,彼らが2年生の時に顧問によって作られた10のルールが,今年に入ってから25に増えたという。そのルールには挨拶や荷物の整理整頓といったかれらにとっても了解可能な内容のほかに,部活を続ける条件としての成績,関心意欲に対する評価の下限が設定されているのだという。他の生徒に比べて学力が低いという認識のある彼らには,これは「自分たちの力でどうにもならないルール」だと思え,納得できないと主張した。「筋が通らないことだ」,と彼らは大学チームにその憤りを伝えた。大学チームはかれらの前で意見交換をした。いわく,二人の不満は理にかなっているように思える。これを教員に伝えた方が良いだろうか。そして二人に先生たちに伝えても良いかを問うた。「むしろそうしてほしい」と二人は支援を求め,大学チームは彼らの意見を中学校教員に伝えた。その結果,中学教員と大学チームからなる支援委員会で,今後このことを切り口に,指導・支援の質について検討していくことになった。 以上のエピソードから,「教育インターン」をただ単に,インターンが現場の実践を体験的に学ぶ場としてだけ観察することはできない。大学チームと生徒と中学校教員も,一方通行的に影響を与える関係ではない。「オープンに対話する」という意思疎通の回路を開いておくことで,互いに互いが影響しあい,知り合い,そのことで学習し合うような,弁証法的で集合的な学習の場を組織していると観察することもできるだろう。有元(2016)は学校インターンシップを「社会的な相互行為と,そのことに起因する人と組織と制度の発達のきっかけ」と表現している。立場によってさまざまに観察可能な変化が同時に生起し,進行し続ける多面的な現実の中で,大学院生個人の学習としての「教育インターン」はそのとらえのほんの一部であり,「教育インターン」から始まる支援者・生徒・学校の相互作用そのものを,大きな集合体の発達と捉えてみることに意味があるのではないだろうか。なぜなら,このような相互作用において,誰が作用の主体というのでもなく,どこにも正解はなく,ただ今より未来の自分たち,という「より良さ」に向けた参与者の共同的な相互作用があるだけなのだから。指導者は「その場で指導可能」なのか?郡司菜津美(国士舘大学) 教員養成課程の大学教員として,学生を教育現場に送り出す際の不安は非常に大きい。「きちんと教師として振る舞えるのか」「児童生徒に対して適切な指導ができるのか」「現場教員と上手くコミュニケーションが取れるのか」といったようなことは,考え出したらきりがない。大学教員は,教育実習や学校インターンシップの際に「事前・事後指導」,研究授業等で「教育実習生の指導」をすることが求められるが,それらの指導は,あくまでも「教師としての学び方」の指導でしかない。児童生徒とのやりとりは決まった形式があるわけではなく,その指導方法が1対1対応ではないため,教師として自律的に振る舞うことができるような「学び方を学ばせる」ことしかできない。これは学校インターン・教育実習を受け入れる先の指導教員にも言えることだろう。非常にもどかしいが,その指導は間接的で,しかも遠い未来に教員になった時を想定したものでしかない。それはまるで,現場教員が児童生徒を指導する際のもどかしさと似ているだろう。学校を卒業した後,自律的な人間として振る舞えるようになることを期待はしているが,その未来に,教員がそばで付き添っていることはできないし,ましてやその場に居合わせて指導することはできない。小学校・中学校・高等学校・特別支援学校の教員も,学校インターンシップや教育実習に学生を送り出す大学教員も,こうした同じようなもどかしさを感じながら,指導者として,指導をせざるをえないのが現実だ。 本シンポジウムでは,こうした指導者のもどかしさを皆で共有し,指導者が「その場で指導するもの」といった思い込みを捉え直してみたい。具体的には,事前・事後指導のあり方,インターンや実習生を送り出す・受け入れる側のあり方,発展的に,教師は「その場で指導可能なのか」といった問いに皆で答えてみたい。
著者
岡部 大介
出版者
東京都市大学
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2014-04-01

様々な履歴を持った人々がゆるやかにつながるファン・コミュニティにおいては,コンテンツの消費だけではなく,生産活動が重視される.本研究では,日米のファン文化を対象に,どのようなコミュニケーションを通して,創造活動が促進されるのかをエスノグラフィックに記述した.具体的には,情報ネットワーク化された社会に「足場掛け」られながら促進される学習と,様々な道具や知識,情報の「密猟」を介したものづくりについてフィールドワークとインタビューを行い,質的データ分析手法を用いて分析した.結果,つくることを通したネットワーキングのありようや,インフォーマルな学習がどのように調整されるかを見ることができた.
著者
松浦 李恵 岡部 大介 渡辺 ゆうか
出版者
日本教育工学会
雑誌
日本教育工学会論文誌 (ISSN:13498290)
巻号頁・発行日
vol.44, no.3, pp.325-333, 2021-03-10 (Released:2021-03-15)
参考文献数
11

本論文では,高等学校のコンピュータルームに3D プリンタやレーザーカッターといったデジタル工作機械を取り入れ,「情報科」の授業カリキュラムを実施した事例を報告する.授業を受けた生徒は182人である.本授業実践において,生徒らはアイデアを発想し,形にする方法を学んだ.制作過程は生徒らによってドキュメント化された.調査者は,実践者として授業に関わりながら,授業の動画撮影,生徒への質問紙調査と,生徒と教員への半構造化インタビュー,フィールドノートへの記述を行った.本論文では,学習者の成果や学習者の振り返りに関するデータを示すことを通して,デジタル工作機械を用いたSTE(A)M 教育について議論を深める.
著者
岡部 大介
出版者
日本認知科学会
雑誌
認知科学 (ISSN:13417924)
巻号頁・発行日
vol.15, no.4, pp.671-681, 2008

This study seeks to demystify one of a niche subculture of extreme female fans and mavens known as “Fujoshi” who get really into animation, comic, novel and so on. They call themselves self-mocking term “Fujoshi” and are willing to draw⁄read fanzines that are an underground hobby focused on romantic or homosexual relationships between male characters from various media texts. In this paper, I describe how they construct their identities and social relations through narrative and practice. First I frame this work as an effort to think the differentiation between “self” and &ldquoidentity”. Then I show the core characteristic of “Fujoshi” groups is the issue of hiding identity. The assumption has been in subcultural studies that the embodied external identity display in the face of mainstream culture is foundational. But “Fujoshi” culture does it differently. Although they make their identities invisible in everyday lives, that hiding practice paradoxically makes their identities visible in “Fujoshi” community. The other area that I found interesting was their ironical communication. Because they believe that “Fujoshi” activities are considered to be inferior to the &ldquonormal” females, they express their identities self-deprecatingly. I think this practice is a defensive communication against prejudice and is also a strategy to present their identities paradoxically.
著者
松浦 李恵 岡部 大介 大石 紗織
出版者
Japanese Cognitive Science Society
雑誌
認知科学 (ISSN:13417924)
巻号頁・発行日
vol.22, no.2, pp.268-281, 2015

This paper analyzes the relationship between participation and learning represented<br> in ethnographic case studies of ten informants aged 23-59 participating in a common-<br>based peer production site, the FabLab Kamakura community. Digital-based personal<br> fabrication is a new wave culture of mavens, who are devoted to alternatives to mass<br>production, and are on a mission "to make (almost) anything". FabLab Kamakura is a<br> valuable venue for exchanging information about, for example, digital tools, Arduino,<br>crafts, textiles, and so on. First we frame this work as an effort to think about their<br> participation and learning using the concept of "wildfire activity theory"(Engeström,<br>2009) and "legitimate peripheral participation (LPP)"from Lave and Wenger (1991).<br> Then we argue an overview of FabLab culture in Japan and at FabLab Kamakura. Us-<br>ing SCAT methodology (Otani, 2011), we group our findings in two different categories:<br>(1) learning through participation in FabLab Kamakura, (2) the visualization of weak<br>ties and mobility through participation in wildfire activities. We conclude that partic-<br>ipants at FabLab Kamakura are producing and designing available artifacts for their<br> lives and works, and in doing so, what they are designing is the physical manifestation<br> of their very thoughts.
著者
松浦 李恵 岡部 大介
出版者
Japanese Cognitive Science Society
雑誌
認知科学 (ISSN:13417924)
巻号頁・発行日
vol.21, no.1, pp.141-154, 2014

This paper analyzes the relationship between agencies and artifacts represented in<br> ethnographic case studies of ten female informants aged 20–25 participating in the cos-<br>play community. Cosplay is a female-dominated niche subculture of extreme fans and<br> mavens, who are devoted to dressing up as characters from manga, games, and anime.<br> "Cosplayers" are highly conscious of quality standards for costumes, makeup, and ac-<br>cessories. Cosplay events and dedicated SNSs for cosplayers are a valuable venue for<br> exchanging information about costume making. First we frame this work as an effort<br> to think about their agencies using the concept of hybrid collective and activity theory.<br> Then we share an overview of cosplay culture in Japan and our methodologies based on<br> interviews and fieldwork. Using SCAT (Otani, 2011) methodology, we group our find-<br>ings in two different categories: (1) Cosplayers' agencies and relationships with others<br> mediated by usage of particular artifacts, (2) Cosplayers agencies visualized through<br> socio-artificial scaffolding and collective achievement. We conclude that cosplayers are<br> producing and standardizing available artifacts for their cosplay objects, and in doing<br> so, they are designing their agencies. We consider that the activities like them are one<br> appearance we can observe in the other our mundane communities not apply only to<br> cosplay one. Not only to cosplay, however we consider that these kinds of activities<br> apply to other mundane communities.
著者
新原将義 太田礼穂 広瀬拓海 香川秀太 佐々木英子 木村大望# 高木光太郎 岡部大介#
出版者
日本教育心理学会
雑誌
日本教育心理学会第57回総会
巻号頁・発行日
2015-08-07

企画趣旨 近年,ヴィゴツキーの「発達の最近接領域(ZPD)」概念はホルツマンによって「パフォーマンス」の時空間として再解釈され,注目を集めている(e.g., Holzman, 2009)。パフォーマンスの時空間という考え方によってZPDは,支援者によって「測定」されたり「支援」されたりするものから,実践者らによって「創造」されるものへと転換したといえるだろう。 こうした潮流において現在,パフォーマンスの時空間を創造するための手法として,インプロ及びそれを題材としたワークショップ形式の実践が注目されている(Lobman& Lundquist, 2007)。こうした試みの多くは,単発的な企画として実施される(e.g., 上田・中原,2013;有元・岡部,2013)。 こうしたインプロ的な手法は,確かに対象についての固定化された見方から脱し,新たな関係性を模索するための手法として有用なものであり,また直接的には協働しないがその後も互いに影響し合う「触発型のネットワーク」を形成する場としての機能も指摘されつつある(青山ら,2012)。しかしインプロやワークショップを,単発の企画としてではなく実践現場への長期的な介入の手法として捉えた場合,ただインプロ活動やワークショップを実施するのみではなく,「それによって実践現場に何が起こったのか」や,「インプロやワークショップは実践現場にとって“何”であったのか」,そもそも「なぜ研究者の介入が必要だったのか」といったことも併せて考えていく必要がある。インプロという手法がパフォーマンスや「学びほぐし」のための方法論として広まりつつある今,問われるべきは「いかにインプロやワークショップ的な手法を現場に持ち込むのか」だけではなく,「パフォーマンスという観点からは,介入研究はいかにあり得るのか」や「インプロやワークショップの限界とは何か」といった問いについても議論するべきであろう。 社会・文化的アプローチではこれまでも,コールの第五次元(Cole, 1996),エンゲストロームの発達的ワークリサーチ (Engeström, 2001) など,発達的な時空間をデザインすることを試みた先駆的な実践が複数行われてきた。本企画ではこうした知見からの新たな取り組みとして,パフォーマンスの時空間の創造としての介入研究の可能性について考える。長期的な介入の観点としてのパフォーマンス概念の可能性のみではなく,そこでの困難や,今後の実践の可能性について,フロアとの議論を通して検討したい。公園で放課後を過ごす中学生への“学習”支援:英語ダンス教室における実践の記録広瀬拓海・香川秀太 Holzman(2009)の若者を対象とした発達的活動には,All Stars projectにおける「YO!」や,「ASTSN」といった取り組みがある。これらの背景には,学習・発達を,社会的・制度的に過剰決定されたアイデンティティや情動をパフォーマンスによって再創造することとしてとらえる哲学および,このような意味での学習・発達の機会を,学校外の場において社会的に奪われた人種的マイノリティの若者の存在がある。近年,日本においても経済的な格差が社会問題化しはじめている。これらの格差は,日本においても子ども達の学校外の体験格差としてあらわれ,特に情動性・社会性といった面での発達格差をもたらすと考えられる。 話題提供者はこのような関心のもと,2014年3月から,放課後の時間に公園で屯する若者を主な対象とした計6回の活動を実施してきた。これは,調査対象者の「英語学習」に対する感情の再創造を目的として,彼らが「興味あること」として語った「ダンス」を活動の基礎に,外国人ダンサーがダンスを英語で教える学習活動を組織したものである。外国人ダンサーとのやりとりの中で,子ども達がデタラメや片言で英語を「話している」状態を作り出すことによって,学校での経験を通して形作られた彼らにとっての英語学習の意味が解放され,新たに創造されることが期待された。 本シンポジウムでは特に,これらの活動に子ども達を参加させることや,ダンスというアクティビティに子ども達を巻き込むうえでの困難に注目してこの活動の経過を報告する。そしてそれらを通して,日本においてこのようなタイプの学習の場を学校外に組織していく上で考慮すべき点について議論したい。パフォーマンスとしてのインプロを長期的に創造し続ける: 方法論から遊びの道具へ木村大望 話題提供者は,2010年10月にインプロチームSAL-MANEを組織した。発足当初のチームは,子どもから大人までを対象とした対外的なワークショップ活動を積極的に行っていた。インプロは「学びほぐし」の方法であり,それを通じた自他の学びや変容が関心の中心であった。しかし,2012年に話題提供者が海外のインプロショーを鑑賞したことをきっかけに,チームは定期公演を主軸としたパフォーマンスとしてのインプロの追究へ活動の方向性をシフトさせた。ここでインプロはチームにとって「遊び」の道具となり,それ以前の方法論的理解は後景に退くこととなった。それに伴い,チームの活動は対外的なワークショップ活動から対内的な稽古的活動に転換していく このようにSAL-MANEの活動はインプロを方法論的に用いて第三者の学習を支援するための場づくりから,チームに携わるメンバー自らがパフォーマンスを「創造」する場づくりへ変遷している。この背景には,インプロに対するメンバーの理解や認識の変化が密接に関連している。インプロを手法として用いながら,自らがインプロによって変容した事例と言えるだろう。 本シンポジウムでは,この経過の中で生じた可能性と課題・困難について報告する。パラダイムシフトする「場」:21世紀のドラマへ佐々木英子 2000年前後から,同時多発的に世界各地で急速に発達してきた応用演劇という分野がある。この多元的な分野は,演劇を応用した,特定のコミュニティや個人のための参加者主体の参加型演劇であり,産業演劇とは一線を画している。この現象は,急速なグローバルチェンジの波を生き延びるための,多様性の中で相互作用によりオーガニックに変容し,持続可能な未来を「再創造」しようとする人類の知恵かもしれない。 話題提供者は,英国にて,応用演劇とドラマ教育を学ぶと共に,それに先駆け,2000~2003年,この21世紀型ドラマの「場」を,社会への「刺激」として,勉強会を行い身の丈で提案活動をした経験がある。社会から突然変異と見られたその活動は,子ども時代,正に「ZPD」において手を差し伸べられず,発達しようとする内的衝動が抑圧され腐らされるような苦痛の中,どうすれば生き延びるかを,体験と観察,思考を積み重ねた末に行った自分なりの代替案でもあった。 本シンポジウムでは,提案活動のきっかけとなった自身の子ども時代のドラマ体験,2001年の発達障害の子ども達が参加した演劇,また,最近では2014年に中学校で行った異文化コミュニケーション授業を通して経験・観察された可能性や困難などについて報告する。
著者
大谷 紀子 岡部 大介 白井 大輔 高田 志麻 沼尾 正行
雑誌
第79回全国大会講演論文集
巻号頁・発行日
vol.2017, no.1, pp.21-22, 2017-03-16

アーティストの潜在的な創造性を刺激し,創作の幅を広げることを目的として,プロのアーティストの作曲活動における自動作曲システムの活用方法を提案する.本研究で使用する自動作曲システムは,個人の感性に即した楽曲の生成を目的として開発されたもので,特定の感性に響く既存楽曲から共通する特徴を抽出し,進化計算アルゴリズムにより抽出した特徴を反映した楽曲を生成する.入力する既存楽曲や,生成楽曲の構成要素の一部をアーティストが指定することで,自身の創作意図を生成楽曲に盛り込む.活用事例として,フォークデュオ「ワライナキ」が共同募金応援ソングを作成した過程を示すとともに,作成された楽曲の印象に関するアンケート調査結果を報告する.