著者
板倉 征男 松田 治男 鈴子 学
雑誌
研究報告コンピュータセキュリティ(CSEC)
巻号頁・発行日
vol.2010-CSEC-50, no.42, pp.1-6, 2010-06-24

P (プライバシー) マークの審査を通してみた最近の中堅企業の情報セキュリティ・マネジメントや情報漏えい対策の傾向,特に経営者の情報セキュリティに対する考え方の傾向を述べる.不況下で一般に情報セキュリティに対しては従来のようなマンパワーは掛けられないが,ローコストながら全社で取り組んで成果をあげつつある中堅企業も見られ学ぶべき事も多い.
著者
板倉 陽一郎
雑誌
研究報告グループウェアとネットワークサービス(GN)
巻号頁・発行日
vol.2013-GN-89, no.28, pp.1-8, 2013-09-04

復興庁職員によるツイッターでの不適切発言事案が発生したことから,総務省は,同様の事案の再発防止を期する観点から、各府省庁等に対して職員の服務規律の徹底を求めるとともに、「国家公務員のソーシャルメディアの私的利用に当たっての留意点」 を取りまとめ、各府省庁等に対して、これを参考に職員への周知徹底を行うほか、必要に応じて、内規の制定、研修の実施等を行うよう求めている。本発表では,同取りまとめの意義を,具体的事例を交えて解説するとともに,その影響等につき考察する。
著者
鶴谷 隆司 中舘 俊英 三上 一治 板倉 康太郎 千葉 太郎 田村 昌士 冨地 信弘
出版者
一般社団法人 日本心身医学会
雑誌
心身医学 (ISSN:03850307)
巻号頁・発行日
vol.26, no.1, pp.71-76, 1986-01-15 (Released:2017-08-01)

In order to investigate the character of patients with bronchial asthma, we studied their chartacteristic traits through Seikenshiki Personality Inventory (INV) which has been well known to reflect the premorbid character. The results were 48 follows. A large number of patient with bronchial asthma were nervous and cyclothymic in the characteristic pattern. The characteristic traits of high frequency were "simple-minded", "insensible", "sympathetic". "hypochondriacal", "sticky" and "restrained". Comparing males with females a to characteristic traits "simple-minded" was more freequently observed in males than in females statistically; "fun'' was often observed in males and "restrained" was often observed iA females. "Precise" was more frequently observed in the oider group than in the younger. Atopic asthmtics were significantly more insensible, restrained and careless than nonatopic asthmatics. Asthmatics with paroxyamal type showed more schizophrenic and hysteric tendencies than those with chronic type in characteristic pattern. "Simple-minded" showed significantly higher frequency in the latter than in former. Comparing mild cases with moderately severe or severe cases as to characteristic pattern, epileptic pattern was highly apparent in mild cases. These reslts suggest that the asthmatic by nature tend to devote themselves to their excessive adaptation. Moreover, their characteristic traits might influence their chinical courses.
著者
板倉 有紀 伊藤 和恵 佐藤 美智子 佐藤 はま子 大田 秀隆
出版者
東北社会学会
雑誌
社会学年報 (ISSN:02873133)
巻号頁・発行日
vol.48, pp.151-161, 2019-08-30 (Released:2021-02-26)
参考文献数
14

「認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)」では認知症高齢者等にやさしい地域づくりが目指されている.本稿では,認知症啓発・予防および認知症当事者支援が行われる秋田県羽後町の事例を取り挙げる.「若竹元気くらぶ」と「うごまちキャラバンメイト・認知症サポーター協会」という二つのグループの認知症に関する活動が成立する背景要因を検討する.特に「認知症予防」という考え方が,どのように働いているかに焦点化する.認知症予防の取り組みは認知症当事者を結果的に排除するという議論がなされてきたためである.「若竹元気くらぶ」は,認知症予防のための活動として始まったが認知症当事者支援の場にもなっている.「うごまちキャラバンメイト・認知症サポーター協会」は「若竹元気くらぶ」から独立して結成され,当事者支援のための活動として始まったが認知症予防に関心のある会員を取り入れ活動を継続している.いずれの活動においても保健福祉に関する専門知識を持つ行政職員や住民が活動に深く関与している.地域社会において認知症予防という考え方は,認知症の当事者の参加の機会にもなりうる.当事者の参加のためには専門職の関わりかたが重要である.
著者
板倉 有紀
出版者
東北社会学会
雑誌
社会学年報 (ISSN:02873133)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.17-29, 2013-07-19 (Released:2014-08-31)
参考文献数
32
被引用文献数
2

本稿では,津波被災地における支援・ケアの持続可能性について「多様なニーズ」と保健師職能という側面から考察し,災害時の保健師職能の可能性を提起することを目的とする.被災から2年を経て一部の津波被災地では,保健師人員不足が危惧され保健師の増員がおこなわれている.長期化する復興過程における被害やニーズは,事前にあらかじめ特定される/特定されないものを含めて多様であり,長期的で持続可能な「生活支援」を含めた支援とケア体制が地域社会において今日的な課題となる.本稿はこの「ニーズの多様性」の事例を理論的には災害研究における「ヴァルネラビリティ」の議論に関する問題として位置づけた上で,経験的には「ニーズの多様性」への対処・発見としての災害時の保健師の活動の意義を考察する.保健師の活動は健康面での支援・ケアだけではなく,多様なニーズを発見しそれに対処しうるものとして実践的な可能性を持つことを示したい.災害時に活かされうる保健師職能は平常時からの地区担当制や戸別家庭訪問といった保健師の活動と連続性があると考えられる.災害時/平常時の保健師の活動を維持していくためには課題もあり,効果的な派遣体制や平常時からの業務配置,保健師職能の世代間の継承性についてさらなる議論の余地が残る.
著者
板倉 有紀
出版者
東北社会学研究会
雑誌
社会学研究 (ISSN:05597099)
巻号頁・発行日
vol.103, pp.115-137, 2019-10-16 (Released:2021-10-24)
参考文献数
18

本稿では、近年保健行政で用いられる「ソーシャルキャピタル」に注目し、被災地における行政と専門職らの協働におけるソーシャルキャピタルの内実について、コミュニティカフェの事例から検討する。岩手県陸前高田市は、行政レベルで、外部支援者の保健師と医師の協力のもと、「ソーシャルキャピタル」を明確に意識した取り組みを行っている。震災後の社会状況や文脈において、その理念に適合的なかたちでコミュニティカフェが、市内の医療専門職らにより運営されるようになった。その運営の基盤には結合型のソーシャルキャピタルというよりも、職業やPTAといった橋渡し型のソーシャルキャピタルが活かされていた。コミュニティカフェの利用者らもその利用を通して健康増進に必要な様々な資源にアクセスしていることが分かった。被災という文脈において、行政と地域の医療専門職らが偶然にも協働しあう基盤が構築された一つの事例として位置づけられるとともに、地域の医療専門職の専門性という観点からみると、事業立ち上げを含む地域保健への介入と協働という点で地域づくりへの積極的関与ということが、震災前の通常の専門性とは異なることが示された。
著者
板倉 有紀
出版者
東北社会学研究会
雑誌
社会学研究 (ISSN:05597099)
巻号頁・発行日
vol.101, pp.115-139, 2018-03-28 (Released:2021-12-01)
参考文献数
13

本稿の目的は、災害時の応急対策期におけるニーズ把握の実践を主とした被災者支援の経験が、保健師と地域社会や地域住民との関わり方の再評価に対して、どのような影響を与えているのかを、退職保健師の活動事例から検討することである。岩手県大槌町では、退職保健師が住民のニーズ把握のため、ボランティアでの災害対応を行った。これは異例であり退職保健師が行政の後ろ盾のないまま活動するのは困難である。 徳島県では退職保健師を県が組織化し「プラチナ保健師」制度を設立した。この制度は、東日本大震災の際に宮城県に派遣された経験をふまえて、地域のことをよく知っている現職の保健師が統括的な立場にいる必要があり、退職保健師は現職の保健師が活動しやすいように後方支援的な立場を担うと良いのではないかという考えのもと設立された。ここで再評価されているのは地区担当制と呼ばれる保健師の活動体制である。現況では保健師の活動体制は実質的な業務分担制が主であり、地域や地区の住民と関わったり関係機関を調整したりする経験が減少している。徳島県プラチナ保健師制度は、この課題意識が東日本大震災をきっかけに具体化され、平常時からの退職保健師と現職の保健師との連携を目指す制度である。
著者
板倉 有紀
出版者
東北社会学研究会
雑誌
社会学研究 (ISSN:05597099)
巻号頁・発行日
vol.98, pp.115-135, 2016-05-30 (Released:2021-12-29)
参考文献数
21

リスクに関連した社会的行為を理解し考察するさいに、行為者の、例えば母親であるという社会的属性や、女性であるという社会的属性が、個々の事例においてどのように関連しているのかを問うことは、「リスクの社会学」にとっても一つの課題であると考えられる。本稿では、リスクに関連する行為と個人の問題に焦点を当てる。まず本特集のテーマでもある「ウルリッヒ・ベックの社会理論」におけるリスクと知識と個人の問題について考察する。次に個人の社会的属性と、リスクに関連した行為との結びつきという観点を検討するべく、「災害と女性」に関する経験的事例として「女性の視点」という言い方について検討する。まとめとして、リスクをめぐる社会的行為と個人の社会的属性の結びつきという視角に立つことが、リスク問題におけるどのような経験的事実に切り込む可能性があるのかをルーマンの議論もふまえつつ論じたい。

1 0 0 0 OA 追悼

著者
板倉 聖宣 菊池 俊彦
出版者
日本科学史学会
雑誌
科学史研究 (ISSN:21887535)
巻号頁・発行日
vol.31, no.181, pp.51-54, 1992 (Released:2021-04-07)
著者
中村 邦光 板倉 聖宣
出版者
日本科学史学会
雑誌
科学史研究 (ISSN:21887535)
巻号頁・発行日
vol.30, no.178, pp.107-119, 1991 (Released:2021-08-27)

According to the present investigation, it is found that Japanese "physical books" which discussed the essence of heat hnd disaffirmed the "material theory of heat" since 1872 (Meiji 5) and those books supporting the "kinetic theory of heat" had become predominant and been diffused rapidly. Authors did not think so earlier. They expected that there were fairly a lot confusions between traditional thoughts in Japan or the "material theory of heat" and the "kinetic theory of heat". It is shown, however, as a result of the investigation that the shift from the "material theory of heat" to the "kinetic theory of heat" had proceeded smoothly and rapidly. In this context, authors cannot help being struck with wonder by the fact that the acceptance of European science in early years of Meij in Japan was done quite neatly as a "thorough imitaion".
著者
中村 邦光 板倉 聖宣
出版者
日本科学史学会
雑誌
科学史研究 (ISSN:21887535)
巻号頁・発行日
vol.22, no.148, pp.193-205, 1983 (Released:2021-09-24)

In our last paper titled "The Value of Pi in the Edo Period" (Kagakusi Kenkyu, No.143, 1982. pp. 142-152), we did an exhaustive review of the books of native mathematics of Japan published in the Bunsei Era (1818-1830), and showed that these books could be divided into two types according to the two pi values (i.e. 3.14... and 3.16...) they respectively adopted. Specifically, the relatively advanced books of mathematics adopted 3.14..., while the value of 3.16... was generally used in popular booklets of the Jinkoki type and the like. It had been more than 150 years since Muramatsu correctly demonstrated the pi value of 3.14... in his Sanso published in 1663, but a considerable number of books still adopted 3.16... as the pi value in our period of study. Then, the next question would be how the correct value of 3.14... demonstrated by Muramatsu was handed down to the mathematicians of the Edo Period and disseminated. We carried our study a step further in this direction and tried to clarify the adoption process. As a result of our extensive research and analysis, we believe that we have successfully traced the adoption process of 3.14... instead of 3.16... as the value of pi. Among the various issues treated in this paper, the following points would be of particular interest. 1. After Muramatsu's Sanso (published in March,1663), the first book with 3.14... as the value of pi was Nozawa's Dȏkaishȏ (dated August, 1663 in the preface and published in November,1664), the interval between these books is less than two years. 2. Among the books of mathematics published during the ten years between 1663 and 1673, every one of those with 3.14... as the value of pi made an intentionnal alteration to the value adopted by its predecessor, such as 3.14 (→3.1404)→3.142→3.1416. This phenomenon had some connection with thebmovement to take over the traditional unsolved problems and it continued up to Miyake's Guȏ-sampȏ (published in 1699), in which the value of pi was further changed from 3.1416 to 3.141593. There were even a few cases of alteration from 3.142 to 3.14. 3. With the publication of Zȏho-sampȏ-ketsugishȏ (1684), Zohȏ-shimpenjinkȏki (1686) and Kaizanki-Kȏmoku (1687), the value of pi in the three most widely-read books of native mathematics in the Edo Era, Jinkȏki, Kaizanki and Sampȏ-Ketsugishȏ was altered from 3.16... to 3.14... 4. Upon examining all the books of native mathematics published between 1681 and 1690, we found that there was only one book (i.e. Kambara's Sankanki published in 1685) that had not altered the value of pi to 3.14.... and still used 3.16... All the remaining ten books adopted the value of 3.14... Once having attained this stage, how did it come about that the popular books of native mathematics fell back to the value of pi of 3.16... without any apparent hesitation ? A report, on this issue is now in preparation.