著者
稲崎 富士 太田 陽子 丸山 茂徳
出版者
公益社団法人 東京地学協会
雑誌
地学雑誌 (ISSN:0022135X)
巻号頁・発行日
vol.123, no.4, pp.401-433, 2014-08-25 (Released:2014-09-01)
参考文献数
52
被引用文献数
4 9

River improvement works in the Kanto Plain have long history of over 400 years. Rice-paddy development in the Kanto Plain was significantly delayed compared to that in other plains including the Osaka Plain and the Nobi Plain. This was because of the difficulty in constructing an irrigation and drainage network, and protecting rice paddies from inundation. Therefore, the Tokugawa government started river improvement works in the Kanto Plain just after Tokugawa settled in Edo in 1590, and the works continue now. The flow of the Tone River into Tokyo Bay was originally blocked by uplands, but was finally rerouted to Choshi, 90 km east to the original mouth. The Ara River was also rerouted to the south. The purpose of rerouting was not only to reduce the risk of flooding in Edo city, but also to develop a waterway network for rice paddies to expand in the central Plain. Moreover, rerouting and connecting the Tone River with the Edo River enhanced the inland waterway transportation network of the Kanto Plain. Accordingly, a number of riverside towns, or Kashi, grew as nodes of the network. Small sailing ships and flatboats were the major conveyors of products. During the Meiji era, which followed the Edo period, canals were constructed and steamboats were introduced to replace sailing ships, at a time when water transportation was peaking. The inland waterway soon began to be replaced by present-day economic transportation systems such as rail and road. The central Kanto Plain was featured consistently by a subsiding basin through the Quaternary. Although the entire Plain was uplifted, Tokyo Bay, at the center of the Kanto Plain, sank over 1000 m. In contrast, the outer margin of the plain was uplifted 50 to 1000 m. Choshi, at the mouth of the present Tone River, is in the uplifted area. In contrast, the lower reaches of the River are at the northern extent of the subsiding basin. This is the reason why back swamp lakes or an estuary such as Kasumiga-ura and the ancient Katori-no-umi were formed in the area. Such crustal movements in the Kanto Plain continued throughout the Quaternary. Hydration and dehydration of two plates lying beneath this region were the driving force. Hydration of mantle peridotite underneath the Kanto Plain due to dehydration of the underlying Philippine Sea Plate (PHS plate), subducting from south to north 30-60 km deep (2 cm/year), causes volumetric expansion particularly at the marginal zone of the overlying plate (North American (NA) Plate). Serpentinized peridotite, produced above the Pacific Plate (PAC plate), which subducts from east to west under the PHS and NA plates, expands like popcorn and results in uplifting of the Boso Peninsular (non-volcanic outer arc) . In contrast, the sinking of the Tokyo Bay area is explained by the overlapping of the fore arc basin towards the PHS and PAC plates. From the viewpoint of tectonics, the sinking belt including Tokyo Bay is in a physical field where a sedimentary basin formed under tensile stress in the NE-SW direction. Small mantle convection caused by serpentinization of the uppermost mantle beneath the fore arc is the key to understanding the tectonic setting of the Kanto Plain.
著者
松多 信尚 太田 陽子 安藤 雅孝 原口 強 西川 由香 Switzer Adam LIN Cheng-Horng
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2010年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.88, 2010 (Released:2010-11-22)

台湾はユーラシアプレートとフィリピン海プレート上のルソン弧の衝突によって形成されている.その衝突速度は82mm/yr程度で衝突しており,多くの活断層やプレート境界が存在する.特に東海岸に大津波を起こす可能性のある給源としては,琉球トレンチと沖合の海底活断層が考えられる.もしそこで地震が発生すれば,東海岸の海底地形は急に浅くなることから,大きな津波が来襲すると考えられる.台湾の歴史津波記録は少ない.東海岸の詳細な記録があるのは日本統治時代以降である.その中には東海岸に大きな津波の襲来した記録はなく,チリ地震などでも津波が台湾に押し寄せたことは無かったため,台湾では東海岸には津波が来ないと信じる人が多い. しかし,台湾の東海岸は無人だったわけでなく,阿美族と言われる原住民族が主にすんでいた.彼らの伝承の中には”津波”を思わせる伝承も少なくない.その例の中に,阿美族の創世神話の一つがある. これは通りすがりの旅人の神がそこに住んでいた神の一家を懲らしめるために海の神に頼んで大波を起こすという話である.その中で海の神が旅人の神に「今日から五日後,月が丸くなった夜に海ががたんがたんと鳴るでしょう.その時あなた方は星のある山をめがけて逃げなさい」と言い,いよいよその日,旅人の神は星の輝く山に向け逃げ,山頂に着いた頃海はにわかに鳴り始め大波はみるみる高まって,そこに住んでいた神の一家を押し流す.しかし,大波に襲われた一家はかろうじて助かる.それを不満に感じた旅の神は再度海の神に頼むと,海の神は再度大波を起こす.とある.これは,まさに津波が押し寄せたと考えられる.南西の島に住むタオ族の伝説にも津波を思わせる言い伝えがある.この神話も突然大波が押し寄せたという.このように東海岸には津波が押し寄せたと思われる伝承が点在する. 最近の津波の記録と思われる話が成功という町に存在する.これは昭和12年に印刷された安倍明義著「台湾地名研究」にある.その中の新港(現在の成功)の説明には「この地名は大正九年にマラウラウを新港に改めた.」とあり,「8,90年前に畑地が津波に洗われて草木が皆枯死したために,その有様をラウラウといい地名とした」とある.8,90年前とは,経験者が生存している可能性もあり,確かな出来事と思われる.これは,1840-50年頃と思われる.我々はこの言い伝えを頼りに成功で津波堆積物を探す調査を実施した. 成功には5段の完新世段丘が分布する.川沿いの_I_面と_II_面は,厚い堆積物が見られる.これは,氷期でできた谷を埋めた堆積物と考えられる.一方東側に見られる海成の面と川沿いの_III_面の堆積物は厚くなく,基盤を確認することが出来る. 阿美族の集落は高位の段丘の上にあり,成功の地名の由来になった津波が阿美族の集落に被害が及んだ報告はない.したがって,最高位段丘まで遡上したことはないと考えられる.一方,_IV_,_V_面のみに津波が遡上したのであれば,その範囲は限られており,地名の変更を行うほどのインパクトがあったとは考えがたい.したがって,我々は_III_面まで津波が遡上したと考えて,掘削調査を行うことにした. 成功の町の中心部が位置する_III_面は_II_面によって川の陰になっており,堆積物は河成の礫質ではなく,海の影響が強い砂質で構成されると予想された.この_III_面の範囲は日本統治時代以前は湿地であり,日本人が段丘崖の基部に排水溝を掘ることで利用できる土地となったという.この話からこの範囲には湿地性の堆積物が予想された. 我々はまずハンドオーガーによって予備調査を新港中学校の西南の地点で行った.その結果,peatに挟まれた海の貝を含む砂が見られた.我々はこの砂の下位のpeatの年代を測定し,上部が1810-1570 Cal Yrs B.P.,下位が3070-2860 Cal Yrs .B.P.という値が得られたため,同地点を中心にジオスライサー調査を行った.その結果,陸生のカタツムリの殻が見られるpeat質な地層の間に厚さ50cm程度の二枚の海生の貝を含む砂層を確認し,砂層の間の地層から2340-2150 Cal yrs B.P.,下位の層から2990-2790 Cal yrs B.P.の年代を得た.これらの年代には,すでに海水準は安定しているため,海水準が上昇することはない.また,この地は7-15m/kyr程度の速度で隆起している.したがって,砂層堆積時の標高はかなり低かったと考えられ,離水した地域にイベント的に海水が入り込んだことは事実だが,津波と断定するのは難しい.しかし,我々は砂層が上方に細粒化することなどから,津波の可能性が高いと考えており,珪藻分析などを行う予定である. 調査の目的であった最近の津波の確実な証拠は認められなかった.
著者
太田 陽子 小田切 聡子
出版者
Tokyo Geographical Society
雑誌
地学雑誌 (ISSN:0022135X)
巻号頁・発行日
vol.103, no.3, pp.243-267, 1994-06-25 (Released:2009-11-12)
参考文献数
40
被引用文献数
4 8

1) 土佐佐賀から千尋岬東方にいたる地域の海成段丘を高位から H1, H2, H3, M, Lに分類した。M面およびそれより高位の段丘の形成は氷河性の海面変化に伴っており, M面は最終問氷期最盛期 (約125ka, 酸素同位体ステージ5e) の海進期に形成された。 H2, H1はそれぞれステージ7, および9の間氷期に対応する海進期を示す可能性があるが年代を確定できない。L面はさらに細分され, L1が完新世海進高頂期を, L2以下の面はその後の間欠的隆起を示している。2) 本地域は北西に低下する二つの傾動域 (伊の岬変動区と足摺変動区) に分かれ, それぞれの地域内ではH1面形成期以降の約3°万年間同様式の傾動が続いていた。M面形成期以降の最大平均隆起速度は 0.55m/ka (足摺岬) である。3) 二つの変動区の形成はプレート境界から分岐した断層の活動に由来すると思われる。伊の岬変動区はおそらく伊の岬断層を震源断層として形成されたと推定できるが, 足摺変動区の傾動を説明する震源断層を特定することはできなかった。細分される完新世段丘群はこれらの分岐断層の最近の活動史を記録しており, 上記両変動区で隆起時期を異にしている。
著者
白井 杏湖 河野 淳 齋藤 友介 冨澤 文子 野波 尚子 太田 陽子 池谷 淳 塚原 清彰
出版者
一般社団法人 日本聴覚医学会
雑誌
AUDIOLOGY JAPAN (ISSN:03038106)
巻号頁・発行日
vol.61, no.6, pp.576-582, 2018-12-28 (Released:2019-01-17)
参考文献数
26
被引用文献数
1

要旨 : 人工内耳 (以下 CI) を装用する中学生40人を対象に, 相対式学力検査である教研式 NRT (国語) を実施し, 5段階評定値 (評定5が最良) を確認するとともに, CI 手術時年齢, CI 装用期間, 直近の CI 装用閾値および語音聴取能, WISC で評価した動作性知能 (以下 PIQ) ならびに言語性知能 (以下 VIQ), 在籍する学校種, との関連について検討した。国語学力の評定値は,「読み」「書き」ともに評定2が最も多かった。国語学力と, CI 手術時年齢, 装用期間, 装用閾値および聴取能においては, 有意な相関を認めなかった。他方, 国語学力と VIQ および PIQ, 学校種は有意に関連していた。「読み」では PIQ と r=0.4, VIQ と0.6,「書き」では PIQ と0.6, VIQ と0.7,「読み」と学校種は0.50で相関が示された (p<0.01)。しかしながら, 偏回帰分析により VIQ の影響を固定すると, 学校種と「書き」との関連は消失した。
著者
吉川 虎雄 貝塚 爽平 太田 陽子
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.37, no.12, pp.627-648, 1964-12-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
18
被引用文献数
23 27

土佐湾北東岸に発達する海鍛丘は,上位より羽根岬面,室戸岬面および沖鷲地に分け皇れ,いずれも南東より北西に低くなる.室戸岬面の高さは南海地震の際の隆起量と正の相関を不し,地震削の沈降量とは負の相関を示す.約120年を周期としておこった大地震の際の室戸岬付近の隆起は,その間の沈降よりも大きく,段丘面の高度分布はこのような隆起沈降を差引した結果である南東より北西への傾動陸起にキって決定されたと考えられる.このような隆起地域であるにもかかわらず,各段丘面の形成過程に沈水期が挾まれているのは,氷期後の海面上昇速度が地盤の隆起速度を上回ったからに他ならない. 室戸岬面は,その地形発達の過程より判断して,約9万年前にはじまる. Riss- Würm問氷期に形成されたと考えられる.室戸岬付近の大地震1周期の問における地盤隆起の平均速度は約2mm/年と算定され,もしRiss-Würm問氷期以後かかる性質の地殼変動が一様に継続したとすれば,室戸岬面は室戸岬付近において約180mの高さにあるはずであるが,これは事実と一致する.また水準測量の結果によると,安田の水準点を基準とした吉良川の水準点の高度は,大地震1周期の問に平均1.2mm/年の割含で増大しているが,もしRiss.Würm間氷期以後このような地殼変動がつづV・てきたのであれば,室戸岬面は吉良川において安田よりも細10m高いはずであるが,これも事実とほぼ一致する.したがって, Riss-Würm間糊以後,室戸岬付近は現在と同じく平均2mm/年の速さで北西へ傾動しつつ隆起してきたと考えられる. このような地殼変動と第四紀における海面変化とを複合した結果は,この海岸の地形発達の過程とよく一致するので,この地域の海岸段丘の分化を生じたのは,地殻変動の緩急ではなく・海面変化の結果であり,その間地殼変動はほぼ一様に推移したと考えられる.
著者
池田 千恵 諏訪 利明 太田 陽子
出版者
日経BP社
雑誌
日経ビジネスassocie (ISSN:13472844)
巻号頁・発行日
vol.10, no.7, pp.18-23, 2011-04-19

『「朝4時起き」で、すべてがうまく回りだす!』の著者、池田千恵さんはもともと夜型だったが、朝型に変えてキャリアアップを果たし、今では"朝活の伝道師"とも呼ばれる。そんな池田さんの指導の下、早起きが苦手な読者2人に、10日間、朝活に挑戦してもらった。まずは、初日の朝7時に集合してもらい、池田さんから朝活の秘訣についてレクチャーを受けた。
著者
伊倉 久美子 太田 陽子
出版者
Tokyo Geographical Society
雑誌
地学雑誌 (ISSN:0022135X)
巻号頁・発行日
vol.112, no.3, pp.394-405, 2003-06-25 (Released:2009-11-12)
参考文献数
23
被引用文献数
3 3

Well-defined Holocene marine terraces are present continuously along the west coast of the Asahi Mountains. This area faces the Sea of Japan and is located east of the epicenter of the 1964 Niigata earthquake, which caused an uplift with considerable westward tilting of Awashima Island, located west of the epicenter. In contrast, the study area subsided at the time of the destructive 1964 earthquake, although the presence of Holocene and stage 5e or other marine terraces record the long-term uplift during the late Quaternary of this area (Ota, 1971). This paper describes the nature and the age of Holocene terraces, which had not been studied in detail, and discusses the uplift pattern and its tectonic significance.The Holocene marine terrace here is usually wave-cut platform with few beach deposits. At large river mouths, however, there are relatively wide and flat valley bottom plains, burying drowned valleys, and separated by sand dunes from the present beach. Radiocarbon age from the bottom of terrestrial deposits on marine deposits is 6.4 ka or slightly younger, and indicates that the emergence of Holocene terrace took place ca. 6 ka. The former shoreline height of the Holocene terrace ranges from 8 m to 4 m. Thus, the maximum uplift rate reaches 1.3 m/ka, which is larger than the uplift rate deduced from the Ml (stage 5e) terrace. The Holocene terrace is subdivided into two on the southern part of the Budo Mountains, where the uplift rate of Ml terrace is the maximum. The late Quaternary uplift of this area, deduced from marine terraces, is discordant with coseismic subsidence caused by the 1964 Niigata earthquake. This means that the uplift of this study area is not caused by seismogenetic fault for the 1964 earthquake. We cannot find the specific onshore active fault within or at both sides of the Budo Mountains and the Maya Mountains that was responsible for the coastal uplift. To interpret such a long-term uplift of the coastal area, we need to assume that offshore reverse active fault dipping eastward is repeatedly activated. Establishing the exact location, nature, and length of offshore faults is important to interpret the coastal uplift of this area.
著者
貝塚 爽平 木曾 敏行 町田 貞 太田 陽子 吉川 虎雄
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.37, no.2, pp.89-102, 1964
被引用文献数
2

木曽川・矢作川流域には,第三紀~第四紀に形成された小起伏侵蝕面,河成あるいは海成の段丘面,断層地形など各種の地形がみられる.本文は,この地域でおこなわれた日本地理学会の現地シンポジウムでの討論をもとに編集した総合的報告である.ここには,木曽川・矢作川の段丘と濃尾平野東縁の段丘の対比,それらの形成過程や気候環境なども取上げられているが,主な論点は,むしろ鮮新世末の地層とその堆積面(土岐面・藤岡面),ならびに新旧いくつかの小起伏侵蝕面の形成環境・古地理・地形発達史などの問題にある.ほかに断層地形の形成時代などについても論じた.
著者
吾妻 崇 太田 陽子 石川 元彦 谷口 薫
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.44, no.3, pp.169-176, 2005-06-01 (Released:2009-08-21)
参考文献数
25
被引用文献数
3 9 2

御前崎周辺には,御前崎段丘(高度48~25m,三崎面相当の海成段丘)と4段の完新世海成段丘(高度15m以下)が分布する.御前崎段丘は,全体として西-南西に向かって傾動し,小規模な活断層,撓曲崖および背斜構造を伴う.御前崎段丘を開析する水系の分布形態および駿河湾側の海食崖上にみられる風隙の存在は,旧汀線が北西に位置することと不調和で,段丘形成後の変形を示している.御前崎段丘上にみられる東西方向に延びる低崖は,更新世段丘上に残された地震性隆起の記録である可能性がある.完新世海成段丘は4段に区分され,I面は後氷期海進最盛期直後,II面は約3,500cal BP以前,III面は2,150cal BP以前にそれぞれ離水したと考えられる.I面の内縁高度は14mに達するが,既存のボーリングコア解析から推定される海成層の上限高度は約3mにすぎない.これらの段丘の形成過程を,海溝型の活動間隔の短い地震による隆起と,地震間における沈降および活動間隔の長い地震による大きな隆起との和として解釈した.
著者
太田 陽子 平川 一臣
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.52, no.4, pp.169-189, 1979-04-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
32
被引用文献数
17 9

能登半島の海成段丘を調査して,第四紀中・後期における古地理の推移と地殻変動を考察した.能登半島の海成段丘は,高位からT, H, M, Lの4群に大別され,さらにTは7段,Hは4段,Mは3段に細分される.M1面は最も連続的に分布し,貝化石と海進を示す厚い堆積物とを伴う広い面で,最終間氷期の海進(下末吉海進)に形成されたと考えられる.M1面より高位に約10段もの海成段丘があるので,その分布から,能登半島の大部分が更新世中期以降の離水によって生じたものであるとみられる.M1面の旧汀線高度ば北端の110mから南部の20mまで,全体として南下り,富山湾側への緩い低下を伴う傾動が推定される.しかし,半島全体が一つの傾動地塊をなすのではなく,1辺10~20km,それぞれが南下りの傾動を示す数個の小地塊の集合からなっている.M1面とそれより古期の段丘の傾動の量はほぼ等しいので,各地塊の傾動はM1面形成後に活発になったと考えられる.北端部での平均隆起速度は1m/1,000年となる.
著者
太田 陽子
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.37, no.5, pp.226-242, 1964-05-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
11
被引用文献数
5 4

大佐渡沿岸には数段の海岸段丘が発達しており,それらは高度,連続性などから第1段丘 (160~220m), 第2段丘 (80~140m), 第3段丘 (60~120m), 第4段丘 (35~70m), 第5段丘 (25~40m) および第6段丘 (5~8m) の6段に大別される.とくに,二見半島から大佐渡西岸には発達が顕著であるが,東岸にはきわめて断片的に小平坦面として分布するにすぎない.これらの中で第3, 第4段丘はほぼ全域に巾広く,また第6段丘は狭いが島全体をとりまいて分布する.段丘面の性質は地域によりかなり異なっている.すなわち,西岸ではおもに外洋における海蝕作用による海成段丘として,真野湾沿岸ではやや内湾的な場所で多少堆積作用も働いた結果の海成段丘として形成された.東岸では,急崖下の小規模なおし出し状隆起扇状地の性格をもつ所が多い.国中平野では,第2, 第3段丘は金北山下の斜面を流下する諸河川によって堆積された隆起扇状地であるが,第4段丘は,比較的厚い浅海堆積層の堆積面として形成された.なお第6段丘は全地域において海成段丘であり,温暖な fauna を含む厚い海成冲積層からなる国中平野の冲積面に続いており,日本各地で認められている冲積世初期の海進に基く地形であろう.第4段丘は冲積世海進前の海面低下期に先立つ比較的明瞭な海進期に形成されたものと思われる. 段丘面の性質の地域的差異を生じた原因は,西が緩やかで東が急斜面をもっという大佐渡の非対称な地形と,西側が外洋に面し,国中平野側が内湾的であったというような,後背地の地形および前面の海況などがおもなものであったと考えられる.このように,背後の地形や海況に著しい差異がある所では,岩石的制約は,火山岩地域などのような抵抗性の大きい岩石地域における段丘面上の stack の存在などとして現われてはいるが,段丘の形成には二次的な意味をもつにすぎないと思われる. 段丘の高度は,東西方向では大きな差異はみられないが,南北方向では島の両端から中央部に向って高くなり,しかも古い段丘ほどその傾向が著しい.おそらく第1段丘形成時(あるいはその前から)から島の中央部に軸をもつ撓曲的性格の上昇運動がつづき,その間に全域にわたる海面変化が繰返されて現在のような段丘の配列をみたのであろう.地殻運動と海面変化との関係についてはまだわからないが,少なくとも段丘面の高度の地域的変化を生じた原因は上述の示差的な地殼運動であるらしい.
著者
太田 陽子 柏木 修一 桜井 一賀 池田 潤
出版者
Tokyo Geographical Society
雑誌
地学雑誌 (ISSN:0022135X)
巻号頁・発行日
vol.97, no.1, pp.25-38, 1988-02-25 (Released:2009-11-12)
参考文献数
17
被引用文献数
3 2

Awashima is a small (7 × 2 km) island on the continental shelf along the wetsern coast of northern Honshu, and uplifted with northwestward tilt associated with the 1964 Niigata earthquake (Figs. 1 and 5). NAKAMURA et al. (1964) proposed a cumulative character of the coseismic uplift since the middle Miocene, of the island, based on the comparison of terrace profile and geologic structure of Tertiary sedimentary rocks with the coseismic tilt by the Niigata earthquake. This paper intends to establish such a progressive tilt of the island, on the basis of the detailed investigation of marine terraces.Marine terraces of Awashima are divided into H, M1, M2 and L terraces (Fig. 2). They are abrasion platforms and no tephra and terrace deposits are found, except thick deposits of L terrace at Uchiura area. The most extensive terrace, M1, can be regarded to be formed at the time of the last interglacial maximum (ca. 125 ka). The height of the former shoreline of M1 terrace ranges from ca. 75 in to the northeast to ca. 50 m to the southwest, indicating a notable northwestward tilt, which is similar to that of the 1964 earthquake, but having much steeper gradient. The gradient of the northwestward tilt of M1 terrace (20 × 10-3) is about 67 times of that of the coseismic tilt at the time of 1964 earthquake (0.3 × 10-3). It suggests that the similar coseismic uplift has repeated since the last interglacial maximum with interval of about 1900 years. Estimated resultant coseismic uplift is about 1.1 m at the northeastern part of the island, where M1 terrace is 75 m high, which is approximately same to the height estimated by the amount of coseismic resultant uplift of 67 times. Thus, average recurrence interval of the major earthquake resulting in the coseismic uplift of Awashima is estimated to be about 1900 years from the comparison of amount of both tilt and uplift.However, no significant difference is observed in terrace profiles of Ml, between A-B, parallel to strike of the tilt, and C?D or E?F, normal to it (Fig. 4). Therefore, terrace profile seems to be an unsuitable indicator for the detection of tectonic deformation, unless much steeper tilt has occured. Distribution of H and M2 terraces is too limited to discuss the deformation pattern.L terrace at Uchiura is underlain by thick marine deposits attaining ca 60 m thick, suggesting that it was formed in association with the postglacial sea level rise. No datable material was found despite examination of many borehole data and our excavation works. L terrace is subdivided into L1, L2 and L3 terraces. Episodic or intermittent emergence, probably coseismic, should have occurred at least 3 times since ca. 6000 yBP. It is consistent with the result obtained by Mi terrace. The height of L1 terrace is ca. 11 m above mean sea level, which means average uplift rate is ca. 1.5 m/ka, it is much larger than 0.7 m/ka for Mi terrace. Northwestward tilt of the lower terraces, however, is not confirmed by this study, owing to the limited distribution.
著者
太田 陽子 渡辺 満久 鈴木 康弘 澤 祥
出版者
Tokyo Geographical Society
雑誌
地学雑誌 (ISSN:0022135X)
巻号頁・発行日
vol.112, no.1, pp.18-34, 2003-02-25 (Released:2009-11-12)
参考文献数
24
被引用文献数
2 2

A remarkable surface rupture appeared in the 1999 Chichi earthquake, in central Taiwan. The nature and location of the earthquake fault was studied in detail immediately after the earthquake (e.g., Central Geological Survey, Taiwan, 2000). Its location to the pre-existing active fault trace, however, was unknown. We wish to establish a location relationship between the earthquake fault and the pre-existing active faults which are mapped from photo interpretation at a scale of 1 : 20, 000, taken in 1970's, supplemented by field observation. The identified active faults are divided into four types from I to IV, depending on their certainty as active faults as well as their location accuracy. A Type I fault is where the active fault is definite and location is certain, II is also an active fault, but with a little uncertainty as to exact location due to subsequent erosion of the fault sacrp, and also because of sedimentation on the foot-wall, and III is a concealed fault beneath the younger sediment. Type IV appeared as a lineament without any clear evidence of deformed morphology. After mapping these active faults, we added the location of our observation to the 1999 surface rupture and GPS sites for measuring the earthquake fault using CGS map (2000).We present eight areas to show the exact relationship between active fault trace and earthquake fault trace and summarized them into Fig. 10. We concluded that most (ca. more than 80%) of the earthquake fault trace occurred exactly on the active fault of Type I and II. The earthqauke fault often appeard even on lineament of Type IV, implying that this lineament should be mapped for the acive fault map. On the young alluvial lowland where it is too young to record past faulting, the earthquake fault still appears on the probable extension of known active fault trace. The earthquake fault sometimes jumps from one fault to another where two or three active fault traces are recognized. Although we can not explain the reason for such a jumping, the earthquake fault still appears on one of the known faults. Therefore, repeated faulting activity during the late Quaternary on the same trace was confirmed for the Chelugmu Fault. This implies the detailed mapping of many other active faults in Taiwan, including Type III and IV, is essential for the understanding of future rupture locations.
著者
太田 陽子 海津 正倫 松島 義章
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.29, no.1, pp.31-48, 1990-04-15 (Released:2009-08-21)
参考文献数
124
被引用文献数
56 53

This paper reviews studies conducted between 1980 and 1988 on relative sea level changes and coastal evolution during the Holocene in Japan. The Japanese Working Group of IGCP Project 200, on “late Quaternary sea level changes, ” compiled the two-volume “Atlas of Sea Level Records in the late Quarternary in Japan” in 1987, which included materials related to this topic, based on papers published since 1980. The group also compiled the “Middle Holocene Shoreline Map of Japan (1:200, 000), which demonstrated the location of the middle Holocene shoreline with numerous data on height and radiocarbon age representing the sea level of that stage, and with 15 insets, considered to be typical examples of various types of study. Numbers of papers by year in terms of research field and study area are summarized in Figs. 1 and 2. Several review papers on sea level study have been also published in the last several years, in addition to local studies.Relative sea level curves published in the past 10 years are shown in Fig. 3. The curve patterns show noticeable local or regional differences, reflecting tectonic factors with a different amount and character in each area. Some areas characterized by a rather late culmination age of the postglacial transgression contrast with most of the Japanese coast, which has a culmination age of ca. 6, 000 to 6, 500y.B.P. Two minor fluctuations of Holocene sea level which were pointed out by OTA et al. (1982), have been recognized in several areas; a eustatic origin for such fluctuation is most likely, judging by the nearly coincident occurrence of climatic fluctuation revealed by pollen analyses, molluscan assemblage analyses and submarine core data.The following topics are discussed in particular detail in this paper: 1) Progress of excavation on the Holocene lowland and coral reefs, in order to obtain systematic samples for identification of marine limits and samples for analyses of various fossils and for dating. 2) Holocene marine terrace study with special reference to coseismic uplift and volcanic activity. 3) Identification of the former sea level on the rocky coast. Barnacles and tube worms (Pomatoleios kraussii) as sea level indicators are discussed, including problems with accuracy of radiocarbon dating. 4) Problems concerning the recognition and accuracy of former shorelines in the large alluvial plain. 5) The significance of small drowned valleys as a suitable field for the reconstruction of sea level change. 6) Climatic fluctuation during the Holocene, with relation to sea level fluctuation. 7) Increased overseas studies on Holocene sea level change by Japanese scientists.
著者
高梨 信乃 齊藤 美穂 朴 秀娟 太田 陽子 庵 功雄 Takanashi Shino Saito Miho Park Sooyun Ota Yoko Iori Isao
出版者
大阪大学大学院文学研究科日本語学講座
雑誌
阪大日本語研究 (ISSN:09162135)
巻号頁・発行日
no.29, pp.159-185, 2017-02

上級日本語学習者は文章作成などの産出レベルにおいてさまざまな文法上の問題点を抱えている。本稿は、彼らが文法の誤りを自己訂正できるようなモニタリング力を養成するための教材を作成することを最終目標に置いた基礎研究である。上級学習者の産出物である修士論文の草稿を取り上げ、その中に見られる文法的な誤用を、文法カテゴリおよび誤用の種類に基づいて精査した。今回の調査で見られた誤用の90%以上が旧日本語能力試験3 級以下の文法項目であったことからも確認できるように、上級学習者の誤用の大半は初級の文法項目である。それらの誤用の一部は、初級から上級に至るプロセスの中で指導が行われていない、もしくは指導が不十分であることに起因すると考えられる。
著者
片山 直美 足土 由里佳 一野 晃代 長坂 恵樹子 加藤 江理 伊藤 えり 太田 陽子 梶川 典子 蟹谷 未香 下林 真知子 恒川 小百合 早川 ちひろ 楪葉 真由 藤本 保志
出版者
耳鼻と臨床会
雑誌
耳鼻と臨床 (ISSN:04477227)
巻号頁・発行日
vol.56, no.Suppl.2, pp.S125-S132, 2010 (Released:2011-12-01)
参考文献数
6

日本人の食の満足に及ぼす影響が大きい主食である「飯」に注目し、おいしく簡単に炊き上げるための工夫として、一般家庭で用いる炊飯器によって炊飯した飯の 3 種類の水(純水、ミネラル水、水道水)による違いを検討した。さらに選択した水を用いて、嚥下食・介護食に用いることが可能な離水しにくい粥を作製するために 5 種類の増粘剤(トロミパーフェクト、ソフティア、つるりんこ、とろみ名人、スルーキング)を用いて違いを検討した。方法として被験者である健康成人女性 92 名により各飯の「味」、「香り」、「見た目」、「総合」における官能試験を 5 点満点で評価し、物性を硬さ・粘り計(サタケ製)にて「弾力性」、「硬さ」、「粘り」、「バランス」について評価した。結果、無洗米の炊飯の際に用いる水は純水が最も高い評価であり、熱湯で炊飯することで、加水する時間なしで十分に評価の高い飯が炊き上がることが分かった。また離水しにくい粥も同様に熱湯を用いて加水する時間なしで炊き上げ可能であった。増粘剤を用いることで時間が経っても離水せず、軟らかい粥ができるため、嚥下食・介護食に適していることが分かった。