著者
永田 雄三
出版者
一般社団法人 日本オリエント学会
雑誌
オリエント (ISSN:00305219)
巻号頁・発行日
vol.12, no.3-4, pp.149-168,228, 1969 (Released:2010-03-12)

Among the principal subjects of interest in 18th-19th century Ottoman history is the political influence exerted on the reform policies of the central government by the local notables known as A'yân and Derebeyi.While Mahmud II came to the throne, they, the local notables, at that time had divided and ruled even Anatolia and the Balkan area, vital parts of the empire.So this time I have studied their political activities after the Russo-Turkish war of 1768-1774, with stress on the “Nizâm-i Cedîd” of Selim III and on the “Sened-i Ittifak” of 1808, and then referred to the policy of Mahmud II for subjugation of the local notables.
著者
永田雄三編
出版者
山川出版社
巻号頁・発行日
2002

1 0 0 0 牧畜民

著者
永田雄三 松原正毅編
出版者
東洋経済新報社
巻号頁・発行日
1984
著者
永田 雄三
出版者
日本ウマ科学会
雑誌
日本中央競馬会競走馬保健研究所報告 (ISSN:03685543)
巻号頁・発行日
vol.1971, no.8, pp.91-99, 1971

競走馬用に作成した完全配合飼料を一定量摂取することによって得られるエネルギー量が,Medium Trainingに耐えられるものであるかどうかを血糖値の変動を尺度として検討した。 競走馬は牝の3才馬で育成期を終えたものを使用し,本実験期間中いわゆる競走調教法を実施した。また,実験の最初と中間と最後に日本における慣例的な競走馬の能力検査を行った。競走調教法には試作処方によるインタバルトレーニング法を採用した。血糖値の定量は,朝飼付後3時間目を運動前の安静値とし,その後運動開始し,そして運動後5分値と60分値を測定した。 摂取した可消化エネルギー量は約23,700Kca1,体重1kg当り52,6Kca1と算出された。実験期間1カ月の前半15日間に馬の体重は2.3~4.5%減少したが,その後15日間はほとんど体重の変動はなかった。 3回の能力検査の際の運動負荷においては,最終800mの全力疾走時間が60秒以上のときは,馬の血糖値は運動後二過性の上昇または下降をし,その増減の割合は運動前の30%以内であった。そして,60分後にはいつれもほぼ安静値に回復した。一方,一例だけ最終800mを56秒で走った馬は,運動後34 mg/100 mlまで血糖値が下がり,グルコースの組織内とりこみがかなり大きかったことをものがたっていた。しかしながら,このケースも60分後には安静値に回復したところから,馬の肝臓中にはかなりのグリコーゲが貯蔵されていたものと推定される。 インタバルトレーニングによる運動負荷の場合,血糖値の変動は能力検査の場合よりもやや大きく上昇または下降した。その増減の割合は運動前の値の70%以内であった。しかし,もっとも下ったのは48mg/100mlであった。能力検査の場合に比して,インタバルトレーニングを負荷したときの血糖値の変動は増減がかなり大きかったが,これは運動の強度が質的・量的にかなり異なり,強くそして複雑であったことによるものと推察される。いつれにせよ,運動後の血糖値の激減がみられなかったこと,また,60分後には安静値に近い値に回復していることから,インタバルトレーニングによる運動負荷量約6,800Kcalに対して・完全配合飼料8.5kg摂取による栄養は大体収支がつぐなわれていたと思われる。
著者
板垣 雄三 永田 雄三 斯波 義信 佐藤 次高 湯川 武 後藤 明
出版者
東京大学
雑誌
重点領域研究
巻号頁・発行日
1988

本研究計画は最終年度にあたり、総括班の連絡と調整のもとに研究活動のとりまとめが行なわれた。具体的には1.研究会の開催:公開性を原則とし、研究班組織にとらわれず、また研究分担者以外の研究者も参加した多様な形式の研究会が組織され成功した(3年間に191回)。とくに総括班の機能性を発揮して、クウェ-ト危機、地震、都市環境に関するセミナ-など現実の問題に即応した研究会がもてたことも成果のひとつである。2.第2回国際会議(中近東文化センタ-との共催 12月27〜29日)を開催し国際共同研究を充実させた。3.成果の流通:共同研究の新しいモデルとして、研究分担者や関連研究者に研究成果を迅速に公開することを目的とした出版活動も順調に行われた。3年間の出版物は231点になる。4・成果の公開性:特に今年度は研究成果の社会的還元のために、大学院生・学部学生を対象としたサマ-・スク-ル(7月23〜27日)を、一般市民を対象とした講演会を各地(仙台・大阪・福岡など)で開催した。1991年2月11〜12日の「大学と科学」公開シンポジウムー都市文明イスラ-ムの世界ーにも全面協力した。2.全体の研究活動のとりまとめとして全体集会(12月1〜2日)を開催し、共同研究・比較研究の総括がなされた。また、招へいしていたDale F.Eickelman、Hassan Hanafiの両氏より国際的見地からの評価ととりまとめに対する助言をうけた。3月23日には本研究のしめくくりの研究会を予定している。5.新たな理論枠組みに基づく研究成果のとりまとめとして、研究分担者全員および関連研究者が執筆に当たる『事典「イスラ-ムの都市性」』、『イスラ-ム都市研究史ー歴史と展望』、『イスラ-ム都市から世界史をみなおす』等の刊行が準備されている。
著者
石井 裕之 藤原 俊輔 段 秀和 永田 勝章 永田 雄三 三木 貞徳 櫛橋 輝征
出版者
公益社団法人 日本理学療法士協会
雑誌
理学療法学Supplement
巻号頁・発行日
vol.2008, pp.C3P1453, 2009

【はじめに】投球障害肘の発生は,投球動作中のlate cocking phaseからacceleration phaseにかけての肘外反による内側でのtension force,外側でのcompression forceにより生じる.特に成長期においてはこの動的アライメントに加え,身体能力の未発達・解剖上の脆弱さ,投球過多などの個人因子と練習時間量などの環境因子が相互に絡み合い投球障害肘を発生させる要因となる.一般に生理的肘外反角度は成人に比べ,成長期の方が角度が大きく,この静的アライメントである生理的肘外反角度が投球障害肘の発生要因の1つとして関連があるのかを検討した.<BR><BR>【対象と方法】2007年9月から2008年9月までの1年間,当院を受診し内側上顆剥離骨折や離断性骨軟骨炎などを診断され野球肘と認められた100名(平均年齢12.3±1.7歳)を対象群とし,2008年1月から4月までにメディカルチェックを行なった中学・高校の野球部員のうち,肘関節に投球障害の既往が無かった者109名(平均年齢14.1±1.0歳)を比較群とした.なお,両群においてはあらかじめ本調査の趣旨を説明し同意を得た.方法は,2群共に肘関節完全伸展位・回外位にて上腕骨長軸と尺骨長軸に体表からゴニオメーターを使用し角度を計測した.統計にはF検定にて2群間のばらつきが無いと判断されたため,StudentのT検定を行い,有意水準を1%以下とした.<BR><BR>【結果】生理的肘外反角度において,野球肘である対象群は14.2±3.9°,野球肘既往無しの比較群は10.0±4.4°で対象群は比較群に比べて有意に高値を示した(p<0.01).<BR><BR>【まとめ】成長期野球肘を有する対象群が野球肘既往無しの比較群に比べ,生理的肘外反角度が高値を示したことから,成長期野球肘において生理的肘外反角度が発生因子の1つとして関連があると推測された.今後,他の因子(練習時間・投球数)との関係も検討し,発生因子についてのアプローチを考えていきたい.
著者
朝井 洋 畠山 弘 永田 雄三
出版者
Japanese Society of Equine Science
雑誌
日本中央競馬会競走馬総合研究所報告 (ISSN:03864634)
巻号頁・発行日
vol.1987, no.24, pp.6-13, 1987-12-18 (Released:2010-08-10)
参考文献数
19

わが国の主要な軽種馬生産地である日高地方の採草地土壌および1番刈牧草 (チモシー) の成分について調査した. 調査牧場数は, 日高地方の9地区から抽出した151牧場である.土壌pHは, 土質による違いは認められなかったが, 土壌中のカルシウム, カリウム, マグネシウムの各含量は土質の違いによって差が認められた. また, 牧草成分についても, 粗蛋白質, カルシウム, リン, カリウム, 銅の各含量は土質によって差が認められた. 土壌成分と牧草成分間の関係は, 土質によって異なり一定の傾向が認められなかった. 草地管理方法と牧草成分の関係については, 更新後経過年数, 客土の有無, 化学肥料の施用量, 堆肥の投入量, 刈り取り時期の違いによって牧草成分に差が認められた.今後, 栄養価の高い牧草を生産するために, 各土質に適した草地管理方法の確立が必要と考えられた.
著者
永田 雄三
出版者
The Society for Near Eastern Studies in Japan
雑誌
オリエント (ISSN:00305219)
巻号頁・発行日
vol.12, no.3, pp.149-168,228, 1969

Among the principal subjects of interest in 18th-19th century Ottoman history is the political influence exerted on the reform policies of the central government by the local notables known as A'yân and Derebeyi.<br>While Mahmud II came to the throne, they, the local notables, at that time had divided and ruled even Anatolia and the Balkan area, vital parts of the empire.<br>So this time I have studied their political activities after the Russo-Turkish war of 1768-1774, with stress on the "Nizâm-i Cedîd" of Selim III and on the "Sened-i Ittifak" of 1808, and then referred to the policy of Mahmud II for subjugation of the local notables.