著者
今津 節生 森田 稔 河野 一隆 鳥越 俊行 市元 塁 樋口 隆康 廣川 守
出版者
独立行政法人国立文化財機構九州国立博物館
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2009

本研究は、九州国立博物館に設置した文化財用の大型X線CTおよび精密三次元デジタイザを活用し、非接触非破壊で中国古代青銅器の構造を解析することによって、製作技法の研究を飛躍的に進めることを目的にしている。これを達成するために、世界有数の中国古代青銅器を保有する泉屋博古館(住友コレクション180点)と協力し、中国古代青銅器の内部構造データを系統的に集積した三次元デジタルアーカイブを構築した。研究成果として、国内外の学会で研究発表を行った。また、一般市民への研究成果公開として、アジアが誇る卓越した古代技術を分かり易く紹介する展示会を開催した。
著者
南 武志 武内 章記 高橋 和也 今津 節生 徳田 誠志 寺沢 薫 河野 一隆 島崎 英彦 豊 遙秋 河野 摩耶
出版者
近畿大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2014-04-01

弥生時代後半から古墳時代に重点を置き、墳墓より出土した朱の産地推定を硫黄・鉛・水銀同位体分析から行った。その結果、北部九州では古墳時代に入っても中国産朱と思われる朱が一部の墳墓に用いられていたが、それ以外の地域では古墳時代に入る前から国内産の朱が墳墓に使用されていた可能性が高く、古墳時代前期には東北地方まで畿内産の朱がもたらされたと考えられる。以上より、朱の同位体分析により古墳時代黎明期の権力推移が考察され、考古学分野に一石を投じることができたと考える。
著者
板垣 正敏 河野 一隆 藤田 晴啓 Masatoshi ITAGAKI Kazutaka KAWANO Haruhiro Fujita
出版者
考古文化財ディープラーニング研究会

本研究では高精細の文化財画像に無相関ストレッチおよび機械学習による図像解析を加え、褪色して見えなくなった文字や文様などのモチーフを鮮明化する、文化財に特化した画像解析技術の理論構築と実践を目的とする.デジタル画像の利用が一般化してからは、画像の鮮明化には画像編集ソフトウェアを用いてトーンカーブを修正するなどの手法や、ヒストグラム平坦化などによるコントラスト強調の手法が採られてきた.手動によるトーンカーブ修正などの方法は、経験や試行錯誤による職人的なもので一般化は困難な一方、ヒストグラム平坦化では一定の効果は得られるものの、鮮明な復元は困難である. 本研究では、人工衛星による資源探索などの領域で開発され、考古学でもロックアートなどの分野で活用されている無相関ストレッチと呼ばれる手法を用いて画像の鮮明化を行うとともに、深層学習技術を活用したCycleGANと呼ばれる手法で無相関ストレッチ手法によって生じた色相の変化の復元を試みた. 無相関ストレッチは,主成分変換とKarhunen-Loeve変換という2つの密接に関連したデータ変換技術を適応,拡張したものである.Karhunen-Loeve変換は,多次元空間における線形変換(回転)であり,変換ベクトルは元のデータの共分散行列の固有ベクトルとして定義される.本研究では、オープンソースの画像編集ソフトImageJのプラグインDStretchを利用する.DStretchでは画像のRGB色空間を別の色空間に変換してから無相関ストレッチを適用することで画像の鮮明化の効果を強化しているが、結果として色空間に変化が生じるため、画像復元の目的にはそのまま用いることができない.そこで我々は深層学習を用いた画像生成技術であるCycleGANに注目した.深層学習による画像生成は、画像の高精細度化や白黒画像のカラー化などにも活用されているが、pix2pixなどこれまで利用されている技術では、その学習に変換元の画像と変換後の画像のペアが必要であった.しかしながら、文化財復元の目的では、褪色前後の画像をペアで用意することはほぼ不可能である.CycleGANは順方向と逆方向の変換器を同時に学習させることで、学習に1対1の対応画像を不要にしたものである. 最初の対象物としては木簡を使用した.汚れや褪色などによって判読不可能となっている木簡から文字を判読可能な状態に復元できれば意義が大きいだけではなく、本研究の手法の有効性を判断するのに適していると考えたからである.今回は、少量の木簡画像を用いて、無相関ストレッチによる画像鮮明化の効果を確認し、CycleGANによって色相の復元が可能かどうかの実験を行い、その効果と課題を検証した.
著者
河野 一隆
出版者
史学研究会 (京都大学大学院文学研究科内)
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.91, no.1, pp.33-66, 2008-01

国家形成と軌を一にして特殊な構造と豊かな副葬品を備えた厚葬墓が登場することの追求は、人類史的な課題でもある。本稿では弥生~古墳時代の倭王権から倭国への変化の中に、日本列島における神聖王権から初期国家への移行過程の歴史的特質が埋め込まれているとみる視点から、弥生王墓や古墳の変遷を再整理し、モニュメントとしての古墳造営の意義を考察した。なぜ、特定個人の墓の造営に莫大な社会のエネルギーが集約されるのか。また、それがなぜ国家形成期に登場するのか。これらの説明として、王権の支配領域外から流入する財を、王権の領域内部で計画的かつ安全に消費するために、財を威信財へと意味転換し、その交換および消費に伴う負債関係を、現実の社会政治的関係の基軸へと読み替えるシステムが社会成員によって創出され、それが社会に埋め込まれたという視角を提唱する。同時に、財による中心―周辺関係の形成が、境界を生み出すことで、律令制国家の前段階がすでに古墳時代中期には現出していたことを想定した。しかし、このようなメカニズムは、倭王権による渡来系技術者の掌握・配布によって破綻し、古墳造営は公共性の創出機能を喪失する。ここで国家形成における厚葬墓は、その役割を終えることになる。Why royal tumuli with special burial structures and accompanied by many grave goods appeared concomitant with state formation is a basic problem of human history. I argue that the special characteristics of the historical shift from sacred kingship to the early state are embedded in the transition from Wa 倭, ancient Japanese, kingship to Wa state, which occurred during the transition from Yayoi to Kofun period. From this standpoint, I reconsider the transition from Yayoi 'Royal Tumuli' to Kofun mounded tumuli and the significance of the mounded structures as monuments of state formation. Why was a great deal of social energy concentrated in mound building for a single individual and why did these tumuli appear in the period of state formation? I propose the following as explanations for these problems. In order to stem the flow of the wealth outside the territory of the king, such wealth had to be regularly and safely consumed within the territory of the king, meaning that it was converted into forms of wealth invested with prestige. A social system was created by members of this society by revising these debt relations of exchange and consumption into the basis for actual socio-political relations and embedding them within the society. At the same time, the formation of core-periphery relations based on this wealth represented by prestige goods produced the boundaries of the territory of the king. This can be regarded as a preliminary step toward the mature Ritsuryo 律令 state, which appeared in the middle Kofun period. However, this mechanism was destroyed by the control and diffusion of immigrant engineers by Wa kings, and the operation of tumuli lost the function of a public work projects. In this way, the role of the royal tumuli that was characteristic of the process of state formation came to a close.
著者
伊藤 嘉章 小泉 恵英 木川 りか 原田 あゆみ 白井 克也 志賀 智史 楠井 隆志 河野 一隆 早川 典子 大橋 有佳 渡辺 祐基 川村 佳男 望月 規史 川畑 憲子 森實 久美子 酒井田 千明
出版者
独立行政法人国立文化財機構九州国立博物館
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2018-04-01

初年度である今年度は、情報収集を兼ねて多角的に調査を開始した。タイでは、国立の伝統文化財部で現在行われている王室の御座船の修理方法や伝統的人形劇の人形、漆工品、色ガラスを多用した木製品、布製品、石造彫刻等の製作・修理技法のほか、寺院の壁画の修理技法について調査を実施した。インドネシアでは伝統的な影絵であるワヤン・クリの製作技法や機織りによるイカットの製作技法、伝統的な青銅製品(ゴング)の製作技法についての聴き取り調査を実施した。ミャンマーではこの地域に特有な性質をもつ漆工品の調査を行い、ベトナムでは伝統的木製品の修理のための調査のほか、藕糸の製作技法に関する調査を行った。また国内に存在するアジア地域に関連する文化財についても積極的に調査を進めた。中国式寺院の独特な様式をもつ仏像や金工品や、国内で保有しているアジア地域と関連する染織品(藕糸を使用したと考えられる絵画やインド更紗)、韓国の伝統的絵画(綿布に書かれた絵画)の修理方法についての調査、響銅(佐波理)の製作痕の調査、インドネシアのガムランの音色にかかわる構造などについての詳細調査を実施したほか、出土した茶入などの陶器についても製作技法を解明するためにCTによる詳細な構造調査を行った。このほか、修理技法と係る基礎研究としては、アジア地域で伝統的技法に多用されてきた灰汁について文書の修理への利用を念頭に、成分分析と修理対象となる紙に対する影響調査を行った。
著者
黄 暁芬 宇野 隆夫 吉井 秀夫 河野 一隆 上原 雅文 米田 穣 河野 一隆 諫早 直人 宮原 晋吾 臼井 正 張 在明 塔 拉 魏 堅 王 曉〓
出版者
東亜大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2008

本研究は4年間にわたり、対象調査地のフィールドを通して考古学、歴史学、地理情報システムや年代測定法などの学際的研究を展開していた。主な成果は下記3点にまとめられる。1.漢魏帝都と郡県城址の構造プランとその象徴性1)帝都建設における理念空間の完成:漢帝都長安の建設プランは、南山子午谷口から嵯峨郷五方基壇まで南北軸線全長75kmに及ぶ。それが渭水を中心として都城・陵墓との生・死空間が南北正方位に対置し、天と地・自然山川と記念的建造物の対象性をベースにおき、漢帝国支配の正統と神聖を表象したシンボルであり、東アジア古代都城の成立にも多大な影響を与えていた。2)郡県城址の調査と復元:華北、内蒙古における戦国・秦漢期の郡県城址が計26ヵ所を調査、測量した。GPS・GIS解析によって各遺跡の方位と構造プランを解明し、中央帝都建設に対して地方郡県都市の特色を初めて把握した。一辺500~600四方の城郭都市がほとんどで、北方位を重視するが、真北からの偏角は1度~7度あり、帝都建設ほどの精度がない。その偏角の大小は、中央勢力との関係緊密度に影響されるように見て取れる。城外には正方位重視の墳墓が造営されたことも判明し、帝都長安の都市計画を模倣したものと考える。3)北方国境線遺跡の探求:内蒙古の陰山南麓一帯の調査では、城塞、長城、烽火台の併存が発見した。一辺40-50四方の城塞は城門1つ、石積みの城壁が幅3-5、頑丈な防御施設で、それに長城と烽火台は近接に築かれ、戦国秦漢期の北方軍事施設として完備されたことが判明した。2.秦直道の調査と研究1)秦直道の真相究明:紀元前212年建造された秦帝国の南北幹線道路-秦直道は歴史上、深い謎に包まれ、長い間不明なままであった。近年、秦直道の発掘調査や日中連携調査によって、秦直道の真相がようやく解き明かされてきている。山岳高地の作道、版築土の舗装道路の道幅は平均30m、道の沿線に壮観な皇室の行宮や防御に備えた関所、駅舎施設が付設された。それは高度な土木技術と巨大な権力組織によって創り出された「帝国の道」である。2)古代ローマ道との比較:ローマ道は礫石や砂石の作道が主で、道幅4の石畳みの舗装道が特徴的である。帝国領域間の軍事、交通運輸道として発達し、商用道路の兼用を含む実用性の優れた古代ハイウェーである。3.チベット吐蕃王墓の調査と実測チベットの吐蕃王国を象徴する巨大墳墓の4大分布地点で実地調査とGPS測量を行った。その結果、時期の異なる巨大方墳・円墳を特徴とした吐蕃王室・貴族大墓の構造配置と分布を総合的に把握し、吐蕃大墓の立地方位と景観の特色などの検証が初めて実施した。